少女の啜り泣く声が、狭い室内の中を、水面に広がる波紋のように静かに響いていた。

 魂を裂くような慟哭ではなく、幼子のように泣きじゃくる涙声でもない。ただ、自らの運命を知りながら抗うこともできない自分に対する絶望、そうして悲嘆にくれたどうしようもない悲しみが、少女の口から溢れて、こぼれ落ちているのだ。

 よく磨かれた陶磁器製のタイルの壁は、少女の声を冷たく輝きのみで答えている。
 そのずっと奥、部屋の突き当たりに填められた窓枠の向こうは、月明かりの見えない曇り空の深夜。昼間なら見えるだろう明るい外の風景の代わりにあるのは、四角に切り取られたような闇だけだ。
 カバーもなしに剥き出しになった蛍光灯の淡く光だけが、時折微かに瞬きながら、うなだれた少女の首筋を照らしている。
 その光の下で、整然と並んだ個室の奥に鎮座する西洋便器たちは、固く蓋を閉じて、少女の泣き声に聞き入っているかのようだった。

 そう、ここはトイレ。

 それも俺が在籍する中学の1F西棟にある幽霊が出ると噂の、女子トイレの中なのである。
 出没するという幽霊の名前は、もちろん花子さん。
 俺達オカルト研究会はその花子さんの実在・非実在を検証するため、こうして夜遅くに学校に泊り込んで女子トイレを見張っているのだ。

「……しくしくしくしく」

 そして、先ほどから啜り泣くこの少女こそが、この検証実験の秘密兵器として俺が招いた期待の国産妖怪・座敷童子ちゃんなのである。





タタミ一畳分の座敷童子






「まぁまぁ、座敷童子ちゃん。そんなに泣かないで。可愛い顔が台無しだよ?」
「座敷童子ちゃん。先輩妖怪なんだから、もっとどーんと構えとくんだ。後輩に甘く見られたらダメだぞ?」

 この検証実験を企画した張本人。オカルト研究会会長・竜造寺ミミが、座敷童子ちゃんに慰めの言葉をかける。
 ちなみに激励の言葉をかけたのが副会長の俺だ。

 なおオカルト研究会のメンバーはこの二人だけで終了あり、もちろんこのトイレに泊り込んでいるのもこの二人だけだ。
 二人とも、学校内のクラブ活動ということで、揃ってジャージ姿になっている。
 おお、この色気もへったくれもない紺色の運動服を身に纏い、学校構内で真摯に部活動に励む姿はいかにも健全な中学生らしいではないか。思わず卒業アルバムの一枚に残したいほどだ。今が真夜中でここが女子トイレであることなど気にもならないではないか。

「わたしまで巻き込まないでください!」

 座敷童子ちゃんの啜り泣く声が止まり、がおー、と吼えるような怒りの声があがった。

 怒る姿もかわいらしいこの座敷童子ちゃんの衣装はというと、俺達が着ているような地味なジャージではなく、俺の部屋でもいつも身に着けている少し丈の短い赤い着物だ。
 俺がプレゼントしたガーターストッキング付きのストッキングもちゃんと着けてきている。我ながら素晴らしい。日替わりで履けるくらいたくさんプレゼントして本当によかった。

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!? ジッ、ジロジロ見ないでくださいッ!!」

 俺プラス、ミミまでがじーっと下半身部分に視線を集中させてるのに気づいて、座敷童子ちゃんは慌てて崩れていた足を閉じ、着物の裾を両手でしっかりと押さえた。
 その一連の動作。そして頬を林檎のように赤くしたまま、少し涙目で睨んでくるまで、一つの完成された芸術と言っていいのではないだろうか。萌える。

「本当にご馳走様でした」
「ありがたやありがたや」
「拝まないでください!!」

 抗議の声も仕方ないが、俺達が君できることはこれだけなのだ。溢れる感謝の気持ちを前に、どうして止める事ができるだろうか。
 あ、ミミがデジカメで撮り出した。いいなぁ後でデータをコピーして貰おう。

「ひとの……ッ! 話を……ッ!! 聞きなさいッッ!!!」

 とうとう我慢の限界を超えたらしい座敷童子ちゃんが、手近な場所に立てかけてあったモップを掴んで振り上げる。
 さすがにトイレ清掃用のモップで攻撃されるのは色々と嫌なので、慌てて俺達は退避した。ばしーんばしーんとモップがタイルの床を叩く音が、トイレの中に響き渡る。よく絞ってあるヤツで良かった。もし水飛沫が飛んでたら俺達は全滅してたところだ。

「落ち着くんだ! た、確かに座敷童子ちゃんが引っ込んでる間に強制的に連れてきたのは悪かったと思ってる!!」

 座敷童子ちゃんの暴走を止めるべく、俺は慌てて謝罪の言葉を口にする。

「そ、そう! 出てきたら驚くかなー、って思って。ほらサプライズ的な?」
「気絶するかと思いましたよ! 気が付いたら、い……いきなり、こんなことになってたんですよ!?」

 ミミのあんまりフォローになってないフォローにキレた座敷童子ちゃんが、ばしんばしんと、モップを持ってない手の平で自分の足元を叩いた。
 つまりは、俺の部屋から業者の人によって運び込まれた畳を。


 今やこの女子トイレでは、俺の住むアパートの部屋の六畳間に敷かれていた畳がそのまま垂直に積み上げられ、洗面台の正面の開いたスペースに堂々と鎮座しているのである。
 もちろんトイレの床面と設置しないように、下には木材で組んだ土台が置かれ、さらに万一にも水気が移らないように下にはビニールを張っている。


 これだけちゃんとしてれば座敷童子ちゃん的にも十分オッケーだと思ったのだが。
 現に、座敷童子ちゃんはしばらくしたらちゃんと畳の上にいつの間にか出現してくれた。出てきた途端、わなわな震えだしてからやがて泣き出したけど。

「確かにいきなり泣き出したのを見て、ちょっと悪いことしちゃったかなー、とかは思ったが」
「でも泣き出す座敷童子ちゃんはとても可愛かったです」
「…………悪かったと思ってるならさっさとおうちに帰してくださいよッ!!」

 なんかミミが言ってたが座敷童子ちゃんはスルーした。この可愛い女の子大好き娘の対処はそれしかないと悟ったらしい。賢明な判断だ。
 だが、まだまだ考えが甘いといえるだろう。世の中にはスルーできない現実というものもあるのだ。

「業者さん帰っちゃったから明日の朝になるまで無理」

 俺もミミも、箸より重いものは持ったことはない頭脳労働系の人間なので、畳を今から二人だけで家まで運ぶとか絶対無理だ。
 座敷童子ちゃんが自力で移動できない以上、この女子トイレで夜明かしする以外の選択肢はないのである。

「……うぅぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜…………座敷童子なのに、厠でひとばんを明かすなんて……」
「はっはっは、何事も経験だぞ座敷童子ちゃん」

 座敷童子ちゃんは、積み上がった畳の上で再びさめざめと泣きはじめた。ちなみにさっき思わず視線を足元に集中させてしまったのはこの畳のせいである。
 座ってるのが高い位置になってるせいで、こう、座敷童子ちゃんが足を崩すと丈の短い着物の裾からガーターベルトがチラリと覗いて……。

「がぅるるるるるるっっ!!」

 ばしーんばしーんとモップを振り回し始めたので、俺は慌てて再び女子トイレの端っこまで後退した。
 いかんいかん。もうこのパターンは止めよう。

 しかし、花子さんもまだ出てきてないのに、もうかなりクライマックスだなこの女子トイレ。









「というわけで、あたし達七雲学園中学校オカルト研究会は、校舎北棟1Fの女子トイレに出るという、花子さんの霊が実在するかを確かめるべく、本日はこの女子トイレに宿泊して異変の有無を確かめることになったのです!」 

 トイレの入り口側に立てた三脚にデジカメを設置すると、さっそくミミはカメラに向かってアナウンスなんぞをはじめる。
 その様子を積み上がった畳に座って眺めながら、座敷童子ちゃんは不思議そうに首を傾げた。

「竜造寺さんは、いったいどなたに語りかけているおつもりなんでしょうか?」
「別にネットにリアルタイムで実況してるってワケもないから、とりあえず撮っておいて後で編集でもするんだろう。たぶん。」

 あれから平身低頭ひたすら謝罪を繰り返し、俺達はなんとか座敷童子ちゃんを落ち着かせることに成功していた。
 決め手となったのは、これ終わったら特上寿司を奢るというミミの約束である。

 今は三人揃って女子トイレの中、適当に時間を潰しながらこの女子トイレに我々が泊り込んだ本来の目的である花子さんがやってくるのを待っているわけだ。

「そういえば、花子さんってゆうめいな方なんですか?」
「学校に出てくるオバケとしてはかなりメジャーだな。漫画とかアニメにもなってるし」

 しかも作品によってはかなり萌える。

「…………この時代はメジャーになるとオバケでもマンガとかアニメになっちゃうんですか……」

 平和で良い時代じゃないか。不気味な噂として声を潜めて語り継ぐよりは、いっそアニメ化してみんなで応援してやる方が健康的だし。
 まぁ、応援される側としてはかなり反応に困るだろうが。

「でも、ここにでてくる、その“花子さん”というのは…………」
「はい! そこはオカルト研究会会長であるあたしが教えてあげましょう!!」

 デジカメへの一人アナウンスごっこが終わったのか、ミミが座敷童子ちゃんの畳に戻ってくる。
 三脚はそのまま、デジカメの方も回しっぱなしになっていた。記録容量の大きい、朝まで撮影を続けられるような品物なんだろう。

「その噂は、ずっと昔から女子の間で囁かれてるのよ。もしかしたら、この校舎が作られるよりも前からかもしれない。それぐらい昔からね」

 演出のつもりなのか、ミミは声を低めて脅かすような口調に変えながら、両手の甲をブラブラさせて話を続ける。

「噂の内容はこう。“校舎北棟1Fの女子トイレは使ってはいけない。特に日が暮れてからは。なぜならそのトイレには、花子さんがいるから”」

 ミミの言葉通り、俺は一度もその噂を聞いたことはなかった。
 学校で仲良くしていた先輩からミミがたまたま聞かされて、そこから興味本位で噂の出所を探り始めたのが今回の調査のきっかけである。
 驚いたことにこの噂は、10年以上前に刷られた学級新聞でも記事として語られていたのだ。

「でも、このトイレの場所と、花子さんが出てくるということ、それ以上のことは噂では語られてないのよ。あたしの見つけた昔の学級新聞によると、実際に見たなんて話もあったんだけど、花子さんに具体的にどんなことをされたかは教えてくれなかったんだって」

 これもまたこの噂の妙な部分だった。
 この手の怪談のパターンは『目撃者が行方不明になりました』みたいな謎は謎のままパターンとか、あるいは目撃者が大袈裟に目撃談を話したりして噂を余計に胡散臭くしてしまうパターンが普通のはずだ。目撃者が存在するのに何も語りたがらない、というのはちょいと珍しい。

「それで、真相を解明するために泊りがけで女子トイレで張り込みすることになったわけ」

 以上が、このお泊り会の目的である。

「ちなみに前に一度、夜中にこの女子トイレに忍び込んだときは一時間色々頑張ったというのに何も起きなかった」
「これ二かい目だったんですか!?」

 ちなみに今まで夜中にオカルトスポットの検証のために忍び込んだ場所はここだけではない。
 この竜造寺ミミという女は、自分の興味が向いたならなんだってやる。そして俺も楽しそうだったらばなんでもやる男なのだ。

「……夜遊びは禁止ですからね」

 いかん。座敷童子ちゃんが保護者属性なのを忘れてた。
 普通、俺ぐらいの年頃だと割と夜更かしとかしてるモンなのだが、うちの場合は早寝早起きは健康の第一歩であると固く信じている座敷童子ちゃんによって消灯時間が厳しく定められている。最悪ブレーカーを落とされるので、俺は泣く泣く早寝早起きの健康体にさせられているのである。
 座敷童子ちゃんと戯れるのに夢中ですっかり確認するのを忘れていたが、オレの腕時計の針は夜中の22時頃を指している。いつもならオレも座敷童子ちゃんもとっくに寝ている時間なのだ。

「というかご主人さま、いいかげん眠くないですか? むりして夜更かしをするとおからだに障りますよ?」
「このために昼間のうちにたっぷり昼寝してたから大丈夫だ」

 保健室とか、休み時間の校舎屋上とか、眠るのに適した場所は学校には沢山ある。十分な睡眠を得ている俺は、少なくとも深夜を過ぎるぐらいまでは起きていられるだろう。
 さすがに早朝ぐらいには寝てるかもしれないが、そんな時間に出てくるルーズな幽霊はいないと信じている。

「座敷童子ちゃんもそろそろ眠くない? お布団敷こうか?」
「大丈夫ですし、やらしいことされそうだからぜったい眠りたくないです」

 何故か手をワキワキさせながら尋ねるミミの提案を、座敷童子ちゃんはさっくりと断った。
 まぁ、ミミのことだ。花子さんの実在証明の検証用に持ってきたデジカメとかの中身を座敷童子ちゃんの映像オンリーにする位はするだろう。

「ミミさんこそ眠くないんですか?」
「大丈夫。あたしは夜型だし」

 そう言ってニコニコと座敷童子ちゃんに微笑みかけるミミ。こいつは可愛い女の子が傍にいれば24時間とか余裕で起きてそうな気がする。
 そしたら寝込みが襲えるしな。

「…………なんかしたらモップとか畳とかで殴りますよ?」
「なにもしないよ! ちょっと寝顔を撮影するくらいだから!! あとちょっと着替えさせたり!!!」

 なんか荷物が多いと思ったらそういうことか。なんという用意周到な。
 まぁ、こんなこともあろうかと座敷童子ちゃんの身体のサイズをミミに教えといたのは俺だけどさ。

「人のぷらいばしーをかんたんにひとに教えないでください!」

 おお、プライバシーなんて難しい言葉を使うなんて、座敷童子ちゃんは賢いなぁ。

「うぅぅ〜〜……っ! そういうこと言うなら、わたしにも考えがありますよ!!」

 俺の頭に浮かんだ素直な感想が何かしら気に障ったらしく、座敷童子ちゃんが本気の顔になった。
 とっさにモップ攻撃を警戒してその場から後退したが、予想に反して座敷童子ちゃんはモップを振り上げる代わりに、何事か思い出そうと頭をひねり始める。

「えっと……えっと……あ! ほらご主人さま、この前むねのおっきな女のひとの、いやらしい本を鞄に隠入れてきたでしょう!!」

 びしーっと指差してそんなことを高らかに宣言する。いやそんな大声で指摘するようなことでもないと思うが。

「あ、それあたしが貸したやつ」
「安心してくれ座敷童子ちゃん。俺は巨乳も貧乳もいけるクチだ」

 ちなみに俺は写真集と二次元のどちらでもオーケーというオールラウンドプレイヤーである。
 ミミも同上である。なにしろ我がオカルト研究会の部訓は『可愛いものに貴賎はない』なのだ。どの辺がオカルトなんだろうウチのオカルト研究会。

「うぅぅぅ〜〜……なんでこんな人たちと厠のなかでひとばん過ごさないといけないんですか…………」

 力なく畳の上に崩れ落ちる座敷童子ちゃん。

 だが安心して欲しい。なにしろ今日は金曜の夜。
 もし花子さんが現れなかったら、明日の夜までお泊り会を延長することも可能なのだ。









 時計の針は0時を回った。

 その間、個室を一つ一つ見回ってみたり、怪しげな花子さん召喚のための呪文を色々試してみたり、それに座敷童子ちゃんを付き合わせて照れる姿に和んでみたりとしたものの、まったくもって花子さんは俺達の前に姿を現すことはなかった。

 座敷童子ちゃんの表情には、このお泊まり会が延長戦になることを恐れるあまり焦りの色が浮かんでいる。
 一方、このお泊り会の主催であるミミはというと満足した顔だ。ぶっちゃけこの催しは“座敷童子ちゃんと遊ぶ会”になってる気がしないでもない。

 とはいえ、いつまでもテンション高いまま遊びまわるガッツもなく、そろそろちょっとダレてきた俺達は、座敷童子ちゃんの畳に三人揃って腰かけたまま、持ち込んだクーラーボックスから取り出したペットボトルなんぞをチビチビやっていた。
 俺は眠気覚ましの無糖コーヒー。ミミは果汁味の炭酸ジュース。座敷童子ちゃんは味の渋さが売りとかいうマイナーなメーカーのお茶だ。
 ついでにおにぎりも持ち込んでいるのだが、ちょっとトイレの中で食事までするのはなぁ、と結局だれも手を付けなかった。

 そんな風にまったりしていると、不意にミミがこんなことを言い出したのである。

「ねぇねぇ、トイレの前とか通ったり、見たりしたら急にトイレに行きたくなったりしない?」
「…………えっと、わたしはなんとも」

 そいや、座敷童子ちゃんがトイレ行ってるのを見たことないなぁ。ゴハンはちゃんと俺が食べるときは一緒に食べてるのに。
 もしかして美少女はトイレに行かないとかそういう幻想を自ら体現してるのだろうか。それとも実はこっそり俺のいないうちにちゃんと出してるのか。

「ご主人さま、いらないこと考えないでください」

 なんか睨まれたので俺はそれ以上の思考を止めた。でも、水洗トイレに驚いて『ひゃあん』なんて悲鳴を上げて飛び上がる座敷童子ちゃんとか想像するとたまらなく可愛いじゃないか。ぜひとも目にしたい。目にしたかった。
 おっと、なんか涙目でプルプル震えだしたのでこれ以上想像するのはホントになしだ。メンゴメンゴ。話を戻そう。

「えーと、トイレを見ると行きたくなるっていう気持ちは、俺もちょっと分かるが、今は別にトイレに行きたい気分じゃないな」

 あんまり長く居過ぎてるせいかもしれない。または、慣れ親しんだ畳の上に居るせいで、あんまりトイレって感じがしないのかもしれん。
 俺の答えを聞いたミミは、ちょいと不満顔になった。どうやら期待していた回答じゃなかったらしい。

「でも、あたしはそういう気分なのよ」
「そうか」

 しばらくの沈黙。

「おお! ちょうどいいからここでやればいいんじゃね? 花子さんが出てくるかもしれん」
「あんたがここにいるのに?」

 さすがにそりゃまずいか。

「つまりお前はこう言いたい訳だな。“お前ちょっとあたしが用を済ませてる間、隣の男子トイレ行って来いや”と」
「当ったりー♪」

 小さくパチパチパチと拍手するミミ。一切の反論を許さないといった感じの、実に素晴らしい笑顔だ。

 面倒くさいけどしゃーないか。
 仕方なく俺は畳から立ち上がり、女子トイレの入口に向かった。

「あ、デジカメ止めといて」
「うむ」

 大人しく録画を止めてデジカメの電源を落とす。いくら取材のためとはいえプライバシーは必要だしなぁ。
 カメラのレンズの蓋を閉めながら、ふと気になって俺は女子トイレの中を見回した。もちろん、今のところはこの女子トイレの中のどこにも、噂になっている花子さんとやらの姿は見当たらない。

 しかし、前に夜中に忍び込んだときも、せいぜい個室の中を一つ一つチェックしただけで、実際に利用とかはしてなかったのである。

「ホントになんか出たらどうするんだ?」

 俺はそう聞かずにはいられなかった。

「そこは座敷童子ちゃんに八面六臂の活躍をしてもらう方向で」
「いえそんな期待をされてもこまるんですけど……」

 ミミがいい笑顔で答えるのを、座敷童子ちゃんがかなり困った顔で見ている。
 でもまぁ、確かに座敷童子ちゃんなら得意のモップ攻撃で花子さんを撃退するくらいワケはないだろう。

「んじゃ、廊下で待ってるから終わったら呼んでくれ」

 トイレ特有の、あのどこからか聞こえてくる、水滴が垂れる、ぽちゃん、ぽちゃん、という音を耳にしながら。
 俺は座敷童子ちゃんに軽く手を振って、女子トイレの扉を開けて真っ暗な廊下に出た。

 さすがに深夜ともなると肌寒い。
 女子トイレの中は狭いから、俺達がいるうちに暖かくなっていたんだろう。俺は上に着たジャージのチャックを上まで引き上げて、手にした懐中電灯で気まぐれに校舎の中を照らしながら、部長様の呼び出しを待つことにする。

 欠伸を一つかみ殺していると、寒さのせいか、ぶるりと震えがきた。
 ま、たかが5分か10分程度ならあっという間だろう。何かが起きるなんてこともないだろうさ。









つづく