「ただいまハニー」
「おかえりなさい、ご主人様。ハニーってなんですか?」
玄関をそっと開いて優しく語りかけると、座敷童子ちゃんがいつものように迎えてくれた。
しかしハニーが分からないとは。やはり古い屋敷に引きこもっていたせいでカタカナ単語に馴染みがないのだろうか。
「キューティーでBugって絶対魔法防御のあるアレだ」
「はぁ」
ちょっと説明の難度が高かったのか、座敷童子ちゃんは生返事を返しながらさっさと部屋の中に戻っていく。
100%興味ないって反応だ。これほどまでに俺と座敷童子ちゃんで意識の差があっただなんて……!
「…………はぁ」
うわぁい、面倒くさい人を前にした人の反応だ。
「まぁちょっと待つんだ座敷童子ちゃん。今日は君のためにスペシャルなサプライズがあるんだが」
「言ってることはよく分かりませんがお客様を連れてきたんですね」
「………………俺の心を読むより、もっと言葉の方にリアクションを返して欲しいんだけど」
「面倒くさいです」
口にまで出された!?
いかん、ちょっとはしゃぎすぎたか。
学校では座敷童子ちゃんがいないので、ついつい帰った直後はいつもテンションが高くなってしまうのだ。
というわけで、俺はさっさと今回のスペシャルゲストを紹介することにした。
「よーし、なんかバレたから出てきていいぞー」
「はいはいはーい! はじめましてっ! 友人の竜造寺ミミでーす!!」
俺が呼ぶと、扉の影に隠れていた我が友人が座敷童子ちゃんの前に飛び出した。
学校帰りのブレザー姿。ポニーテールが興奮に揺れている。
「うわー、ちっちゃくてかわいいー! おかっぱの着物美少女!! エロい! 萌える!!」
竜造寺ミミ。同級生の女子である。
色々と趣味とか合うので長いこと腐れ縁が続いている、いわゆる同好の士というヤツだ。
なお、ミミは外面はいい上に顔は可愛いので男子の間では人気者なのだが、俺にとっては単なる同業者なので、萌えとしては路傍の石と同じ。すなわち愛でる対象には含まれない。
「ぎぃやああああああああああ!?」
俺がモノローグから戻ると、玄関に上がりこんだミミが、着物の裾から座敷童子ちゃんの足の間に顔面を突っ込んでいた。
いや、正確にはそれは未遂に終わっている。
ミミの顔面が足の間に入り込む寸前のところで、なんとか座敷童子ちゃんはその頭を両手で押さえて、これ以上の侵攻を阻んでいた。
「ななななな、なにしてきてるんですかこの人ッ!?!」
フンスフンスと鼻息も荒く、イノシシのごとく顔を突っ込んでくるミミを前に、座敷童子ちゃんが引きつった声を上げる。
「あれ、着物なのにパンツ履いてるよ!? なんで!!」
「俺が買い与えた」
「なんでそんな余計なことを!!」
憎悪に任せた叫びであった。まぁ、気持ちは分かる。
だが、俺への憎しみで動きを止めたのが命取りであった。
「ひっ!? こ、この……変態っ! 変態ッ!! 変態ッッッ!!!」
ちょうど良く手の届く場所で出番を待っていたバール状のものが、ミミの脳天に勢いよく振り下ろされた。
タタミ一畳分の座敷童子
「いやー、死ぬかと思ったよー」
「だよなぁ。俺もてっきり死んだもんだと思ったぞ」
それから約10分後。
無事に一命を取り留めたミミは、アパートの居間に上がりこんでくつろいでいた。
「…………粗茶ですが」
何かを諦めたような表情でため息をつきつつ、座敷童子ちゃんが、淹れてきた緑茶をちゃぶ台の上に置く。
『美少女の淹れたお茶!?』と湯気の立つお茶を速攻で口にしたミミが、思いっきり舌をヤケドして悲鳴を上げた。
「バカだなぁ。緑茶はまず香りを楽しむんだよ」
「そっか! 湯飲みの表面とかに残った美少女の残り香的なソレ?」
「うむ」
頭痛を堪えるように頭を抑え、座敷童子ちゃんが唸るように呟く。
「なんか、ご主人様が二人になったみたいです……」
失敬な。俺はこの世に唯一無二の存在だぞ。
だが、座敷童子ちゃんの発言を耳にしたミミは、ぴょこんと顔を上げて目を輝かせた。
「うん。それじゃこれからあたしのことは主人様って呼んでね?」
「ひぃぃぃ!?」
一瞬で覆いかぶさらんばかりに距離をつめ、両手で座敷童子ちゃんの小さな手をしっかりと包んでいる。
素晴らしいスピードだ。可愛いものハンターの異名を持つだけはある。
座敷童子ちゃんは慌てて後ずさりするが、その分だけミミが前進するので、余計にヤバい態勢になっていく一方であった。
「ちょ、ご主人様っ!? 助けてくださいよ!!」
「呼んでやったら? きっと喜ぶぞ」
「わたしがそう呼んでるのは、決してご主人様を喜ばせるためじゃないですからッ!!」
なるほど、やはりWご主人様とはいかないか。
「そういうわけだから諦めろ。あと踊り子さんには御手を触れないでください」
「ちぇー」
唇を尖らせて不満そうな顔をしながら、ミミは畳の上を這って元の位置に戻った。
だが、元の位置に戻ると、今のやり取りなどなかったことのようにいい笑顔を浮かべて首を可愛く傾げてみせる。
「それじゃ、ミミおねーさまって呼んでね?」
「竜造寺さんと呼ばせていただきます」
「…………そんなぁ……おねーちゃん悲しい……」
なんだかすごく助けを求めるような顔で座敷童子ちゃんがこっちを見ているので、俺は仕方なく助け舟を出すことにした。
その視線が萌えるのでもうちょっと放置したいのだが、今この考えもリアルタイムで読まれてるので後が怖い。
あ、『殺すぞご主人様』って視線に切り替わった。やべ。
「ミミ、呼び方の無理強いは行かんぞ」
「だって〜、アンタだけご主人様って呼ばれてて羨ましいんだもん」
指をくわえてミミが言う。人のものを欲しがる子供かお前は。
「ミミ。お前は最初からいきなり『お姉様』なんて呼ばれて嬉しいか?」
「え、嬉しいけど」
即答したミミを、俺は鼻で笑った。
ついでに額に指先を当ててクククと笑ってから、ビシィと指を突きつける。
「その考えが浅はかなんだよ。最初は苗字に“さん”付けの他人行儀名呼び方だから、好感度が上がってからの『お姉様』が活きるんだ!! 最初から好感度がMAXのギャルゲなど、苺の乗ってないショートケーキと同じだろ!?」
俺の素晴らしいスピーチに、ミミは目をまん丸にして驚くと、やがてワナワナと感動に震えだした。
そのスキを逃さず、畳みかけるように言葉を続ける。
「残念ながら俺は最初からご主人様なので呼び名を変えてもらうことはできない。だが、ミミには無限の可能性があるんだ」
「うん、分かった! 座敷童子ちゃんの攻略はわたしに任せて!!」
「がんばれ! お前になら出来るきっと出来る!!」
そんな感じでうまいことまとまった。我ながらナイス助け舟。
「……人を勝手に攻略対象にしないでもらいたいのです」
「人はみんな挑戦し続けて生きてるものさ」
「そうだよ! 何故ならそこに萌える美少女がいるから!!」
もえろーたいようーー♪ まっかにもーえろーー♪ あの美少女の、ほっぺたのーようにーー♪♪♪
俺達の戦いはこれからだ!
座敷童子先生の次回作にご期待ください!!
◆
一通りコントが終わったところで、俺は二杯目のお茶を啜った。
猫舌らしいミミはいまだ飲み干すことが出来ずに、しきりに息を吹きかけながらちまちま飲んでいる。
ちょっと差をつけてやった気分だ。
「そんなにお茶を飲んでるとおねしょしますよ?」
「しないよ! 来客がいる前でそういう話したら、名誉毀損で訴えるよ!?」
「んー……美少女におねしょの世話まで……ギリギリ、アリかなぁ」
ねぇよl! 下の世話させて喜んでたら赤ちゃんプレイじゃねぇか!!
座敷童子ちゃんも引いてるだろうが! あ、そういうプレイの存在を初めて知ったので衝撃を受けただけか。メンゴメンゴ。
「現代は大いに病んでますね……」
「まぁまぁ、ヤンデレだと思えば現代社会も可愛いもんだよ?」
深刻そうな表情で呟く座敷童子ちゃんに、ミミが可愛くウィンクなぞしながら優しくフォローを入れる。
「デレないで病みっぱなしだけどな」
ツンデレのデレ期が無いのがツンツンだから、デレ期の無いヤンデレはヤンヤンか。
俺の脳裏を、とあるクイズゲームの最新バージョンでリストラされた不人気中華キャラの満面の笑顔がよぎった。
最近は萌えキャラのテンプレが変わってきてるから、中華枠は結構貴重なんだがなぁ。
「えぇと……あの、分かったような分からないような話はもういいのですけれども。先ほどから疑問があるのです」
ちょこんと畳の上に正座しながら、座敷童子ちゃんが聞いてくる。
さりげなく俺の隣に据わってくるところが可愛いもんだ。まぁ、ミミから襲われるのを警戒して俺を盾にしてるだけような気もするが。
「なぁに? ミミおねーさまが何でも答えてあげるよ?」
さぁおいでとばかりに両手を開き、ミミが座敷童子ちゃんに語りかける。
「なんだかわたしが座敷童子だとあっさり認められてるような気がするのですが、おかしくないですか?」
一方、座敷童子ちゃんはミミを華麗にスルーしながら俺に聞いてきた。
なるほど、もう来客に対する礼儀とかその辺は全部どうでもよくなったらしい。ちょっとしつこくした時の俺への対応と全く同じだ。
「ああ、俺が教えた。座敷童子ゲットしたぜって」
「…………その表現にはいささか納得のいかないものがあるのですが、そこは置いておくとしましょう」
むぅ、ポケモンゲットだぜ的な身振りを交えたのが不味かったか。
なんかちょっとムッとされた。
「そもそも『座敷童子がいる』って聞いて、そんな誰でもかんたんに信じるものなんですか?」
ああ、その辺の問題か。
「可愛いからおk」
「だよなー」
「ねー」
俺とミミが声を揃えるのを見て、座敷童子ちゃんが聞くだけ無駄だったって顔をした。
だって可愛い座敷童子なら実在してくれた方が嬉しいじゃないか。
どれほどまでに非常識であろうとも、パソコンの画面から美少女が出てくるならば、自ら諸手を挙げて迎え入れるのが人としての掟であろう。常識は投げ捨てるものなのだ。
「ちなみに統計上、液晶よりブラウン管のディスプレイの方が美少女が出てくる可能性が高いらしい」
「そんな役に立たない知識はいりません」
日々のたゆまぬ努力なしに奇跡は起きないというのに、座敷童子ちゃんの返事は冷たい。
だがしかし、俺が弾き出したデータに、新たに異を唱える者が現れた。
「わたしはプラズマディスプレイ派かなぁ」
「ほほぅ、なるほど……確かにちょっと奇跡とか呼びそうだよな。プラズマって言葉の響き」
そんな感じに盛り上がっていたのだが、座敷童子ちゃんはすげぇどうでも良さそうな顔すると、よいしょとか言いながら立ち上がった。
「それでは、お二人の間で話が盛り上がってるようですので、わたしは席を外させて頂きますね」
いかん、嫉妬イベントか!
誤解しないでくれ。ダチと恋愛対象は別なんだ!!
「ちょっ、待って待って! 座敷童子ちゃんには、特別にお願いしたことがあるんだって!!」
「おお、そうだそう! 座敷童子ちゃんにしかできない超重要ミッションが!!」
ミミが慌てて引き止める。
そう、座敷童子ちゃんにはお願いしたいことがあったのだ。
俺達の熱意に押されて、立ち上がりかけていた座敷童子ちゃんがぺたりと座り直す。
「…………はぁ。一応、聞く前に言っておきますが、晒しものにされるような内容だったらお断りしますよ?」
「安心して! もっとファンタジックでミステリアスなお願いだから!!」
「すいません意味が分かりません」
人を言いくるめるときにはとりあえずカタカナの単語並べておくと説得力が増すような気がするのだが、座敷童子ちゃんに対しては逆効果であったようだ。いや、一般的にも逆効果な気はするが。
「じゃあ今度、わたしが個人的にロリータでエロティックなお願いをするからよろしくね!」
「意味は分かりませんがお断りします」
うん。爽やかに言っても目の輝きで下心がバレバレだぞ。
下心というか、獲物に飛びかかろうとする肉食獣のそれだが。
「ま、前置きはコレぐらいにしてだな。座敷童子ちゃんの妖怪的な属性を期待して、一つお願いがあるのだが」
「…………属性という表現に何か不快なものを感じるのですが」
「わたしは座敷童子ちゃんの幼女的な属性にいつも強く期待してます」
「ミミはちょっと落ち着け」
俺はコホンと一つ咳をしてから話を始めた。
「実は俺の通ってる学校で、トイレに花子さんという幽霊が出るという噂があってだな」
「……はぁ」
「事実検証のために学校に泊まるという内輪の催しがあるので、ぜひとも座敷童子ちゃんに同席をお願いしたいのだ」
「はぇ!?」
座敷童子ちゃんの肩が、驚いた子猫みたいにピョコンと跳ね上がる。
いや話の流れ的にはそんな突飛なお願いじゃないと思うのだが。
まぁ、内輪の催しで、学校に宿泊するというのはかなり珍しい話かもしれん。
「……いえあの、そ……そう! 畳です!!」
座敷童子ちゃんは、足元の畳をバンバンと叩いて訴える。
「わたしはこの畳があるからこの部屋にいるんですよ!? 外には出れません!!」
そういえばそういう設定があったんだっけ。すっかり忘れて、生まれた時からご主人様だったような気がしてたぜ。
だがしかし、畳の一つや一つ程度なら問題はあるまい。
「じゃ、一泊する間だけ畳を学校に持っていくか」
「えええええ!? それはちょっとムチャなのではないかと思うのですが……!」
いや、畳ぐらいならリアカーとか使えば大丈夫だろう。
だがしかし。それでも畳を動かすのが嫌というならば、選択肢は一つしかない。
「…………ならば問おう、座敷童子ちゃん」
「な、なんですか?」
俺の真剣な表情から何かを感じたのか、座敷童子ちゃんが警戒するように身構える。
それに構うことなく、俺は静かに彼女に聞いた。
「トイレをここに持ってこられるのと、畳を学校に持っていかれるのではどっちがいい?」
「ちょ」
「あ、できるよ。わたしの親が学校の理事長だから」
「え」
そういうわけで、内輪の催しで学校にお泊りするのも自由自在なのだ。
もちろん、トイレを一箇所だけ緊急に工事して、丸ごと他所に移動させてしまうことですら。
つづく
|