夜の遅くに俺は目を覚ました。
机の上に置いたままの、壁時計の針の音が耳障りだったのかも知れない。
ぼんやりと、俺は畳に敷かれた布団の中から顔を上げて、周囲を見回した。
灯りを消した部屋は、ほとんどなにも見えない。
ただ、部屋に一つしかない曇った窓から差し込む街灯の明かりが、部屋を完全な暗闇に包むことをかろうじて防いでいる。
だけど、だからこそ、俺は部屋に存在する“異質”に気付いてしまった。
引っ越ししたばかりで、ろくに荷物も開けてないダンボールが積まれた部屋の片隅、空の本棚と机の間に、ちょこんと、それは座っていた。
「…………え」
子供が座っている。
おかっぱの、赤い着物姿の少女。それが、暗闇の中にじっと正座している。
それが、じっと俺を見ている。
タタミ一畳分の座敷童子
こ、怖えええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、なんだこれ!!
いや待て、落ち着いて考えろ。このアパートの他の住人の娘さんとかが鍵を開けたままにしてしまった俺の部屋にこっそりと侵入して俺の寝顔をじっと見ていたというアクシデントかも知れないじゃないか!
そう考えたらこの状況も一種の萌えイベントではないか!
場合によってはこれから毎日「お兄ちゃ〜ん、起きて〜!」とか起こしてもらったり、布団にダイブしてくる愛くるしい攻撃に驚いたみたり、最終的には「もうわたし、お兄ちゃんのことお兄ちゃんだなんて思えない…」なんて夢のエンドも!
いや、もしかして今のこの瞬間も、まさかジャパニーズ・夜這い!?
こんな小さな女の子が、俺の身体に興味を抱いてしまうお年頃なのか!?
「…そういう目的で出てきたわけじゃないです………」
じっとこっちを見ていた女の子が、顔を伏せてぼそぼそと喋る。
ああ、じっとこっちを見てるだけだったのでなんか怖かったが、やっぱり普通に喋ると可愛いじゃないか。なんか照れてるみたいな表情もナイス。
「…………可愛いとか……言われても」
……………。
「あの、もしかして心を読んでます?」
「はい」
今の無しで。
呪わないでください呪わないでください呪わないでください呪わないでください呪わないでください呪わないでください呪わないでください呪わないでください呪わないでください呪わないでくだ……
「の、のろいませんよ!?
」
否定された。良かった、悪霊じゃなさそうだ。
体も透けてないし足もちゃんとあるし。
着物の丈が短いと、正座したときに見える白い太股がグッドだ。 しかも正面だと足の間から着物の中がうっかり覗けちゃったりというパプニングの可能性も!
まさか着物だからって、下は履いてません。というような神がかったサービスはないだろうけど。
とか思ってたら、女の子の足がもぞもぞと落ち着かなげに動き出す。
おお、俺は心を読まれている。恐るべし超能力少女。
「……あの、お願いですからあまりヘンなこと考えないでください」
「うむ」
「それと、わたしはその、ちょうのうりょく少女というものじゃなくて、座敷童子です」
「そうか。ところでやはり下は履いてないのか?」
なんか座敷童子少女が泣き出してしまった。
いかんついついイジめすぎた!
イジめは格好悪いよね!!
「ごめんごめん座敷童子さん、ちょっと恐怖のあまり気が動転して」
「どう見ても恐怖を感じているようには見えませんでしたけど……」
「はっはっはっ、可愛い女の子を見ると、ついついイジリたくなる性分でね。あ、イジるといってもあくまで芸人的な意味であって性的な意味じゃないよ?」
「………今なら人を呪えそうな気がしてきました」
なんか恨みがましくこちらを見ている座敷童子少女だが、一旦口を開いてくれたお陰で怖さは感じない。
俺は、言葉の通じる相手なら、たいていなんとかできる自信があるのだ。
中学生にして両親から一人暮らしの許可を無理矢理取ったのは伊達じゃない。
「…そのお歳で一人暮らしなんですか」
驚いたのか、先ほどまでの呪いっぽい視線を止めた座敷童子少女が聞いてくる。
ああ、心が読めるんだったか。便利だなぁ。
「うむ。両親遙か南国のアブラカタブラ共和国とかなんとかという国に転勤されて、俺だけ日本に残りたいってゴネて一人暮らしすることになった」
「ご両親は心配されていないのですか?」
正座のまま少し身を乗り出して聞いてくる座敷童子ちゃん。
おお、この子は良い子だ。
「まぁ、二人ともそれなりに信頼してくれてんの。それに、俺がマジでヤバくなったら向こうに行くっていう約束してるし」
あと、うちの両親はとてつもなく夫婦仲がよいので、俺のワガママで引き離すのも悪いってのもあった。
…と思っていることを心を読まれて、いい人だなぁ、と思われる俺であった。
「……思ってませんが」
「思ってくれ」
そして俺をお兄ちゃんと呼んでくれ。
「呼びません」
冷たいなぁ。
◆
とりあえず、部屋の電気をつけてから話を聞くことになった。
わざわざ真っ暗になってから出現したことから、座敷童子という種族は光に弱いのではないかという懸念もあったが、別にそんなことは全然ないらしい。
単に、安アパートの中に自分が出現した原因が良く分からなかったので、状況をよく見るために俺が寝てから部屋を見回していたのだという。
恥ずかしがり屋さんだ。
「……へんなことされそうで怖かったので」
「はっはっはっ、そんなことはないというのは良く分かっただろう?」
「………………現在進行形で、へんなことをされてます」
で、なんで座敷童子ちゃんが、この部屋に出現した原因を自分で分かってないかという問題なのだが、これもだいたいの推測は付いた。
座敷童子ちゃんによると、彼女は元々ド田舎の古い屋敷に住んでいたらしい。
しかしその屋敷にも時代が移り変わるにつれて住む人がいなくなってしまい、座敷童子ちゃんはいつしか眠ってしまっていた。
ここからは推測なのだが、たぶんその屋敷は取り壊されてしまったのだろう。
で、なんで座敷童子ちゃんがここにいるのかというと、原因はこの部屋に敷かれている畳なのである。
このアパートは、今時の安アパートにしては珍しく畳敷きの部屋で、その割には家賃もずいぶんと安く、俺は不動屋さんに二つ返事で賃貸の契約を結んだ。
とはいえ、前の住人が悪かったのか長い時間人が住んでいなかったのか、その部屋の畳は大分傷んでいた。
俺はこのことを契約の前に大家さんと相談して、俺が住み始める前に部屋の畳を交換してもらうように頼んだのだ。
この時、俺は気付いていなかったのだが、大家さんは一言も“新しい畳と交換する”なんて言ってなかったのである。
冷静に見てみれば、確かにこの部屋の畳は新品にしては変に趣がある。
つまり、取り壊された屋敷から状態の良い畳をもってきて、この部屋の畳にしてしまったのだろう。
そして、なにがどう作用したのか細かいところは分からないが、屋敷に住んでいた座敷童子ちゃんも、その畳と一緒にこの部屋に来てしまった、と。
「……と、いうことみたいですね」
「そう考えると、君も苦労したんだなぁ」
自らの住処を追われて、いつの間にやら見知らぬ地に来てしまった座敷童子ちゃんの寂しさは、とても言葉に出来ないものであろう。
「さぁ、俺の胸に飛び込んでおいで?
この胸で傷心の君を慰めてあげよう」
「……………遠慮しておきます」
座敷童子ちゃんが深々と溜息をつくのは、かつての住処を追われた悲しみか。
「単に呆れてるだけです」
「ツンツンだなぁ」
「なんだか勝手になにかの規格に当てはめないでください」
座敷童子ちゃんは、半眼でこちらを睨みつつ冷たーい声で言い放った。
だがしかし!
そんな怒った顔も可愛いのである。
黒曜石のように艶やかな黒い髪と、対照的に透けるような白い肌。
身に着けているのは、花の柄が入れられた紅色の着物で、丈が短めで可愛らしい。
見た感じの年齢は、だいたい小学生高学年ぐらいだろうか。
ただし、その大きくて可愛らしい瞳には、しっかりとした知性の輝きがある。
胸はつるぺただが。
「………なんだかまた呪いたくなってきたのですが」
「いやいや、人間中身じゃないぞ。特に女の子はたとえ見た目がロリッ子でも設定年齢が高ければ18禁なシーンも大丈夫だ」
「よく分かりませんけれど、なんだかひどく身の危険を感じるのです」
なんか座ったままずりずりと後退されて、微妙に距離をとられてしまった。
いや、襲いかかったりはしないぞ、失敬な。
それともやはりパンツ履いてないから不安なのか?
「……………」
ずりずり(後退)
「無言は肯定と受け取っていいんだな?」
確認してみたら、ダンボールが飛んできた。
「ぐわぁぁぁぁぁぁっ!?
ポルターガイストォォォォォォッッ!!?」
恐るべし座敷童子!
呪わないって言うから安心してたら物理的な攻撃をしかけてくるとはッ!!
あとポルターガイストと言ってるけど単に立ち上がった座敷童子ちゃんが部屋に積んでたダンボールを投げつけてきただけである。
「わ、分かった!
悪かった!! 今度ちゃんとパンツ買ってくるから!!」
「………それはそれでなんだかイヤなのですけれど」
「じゃあフンドシか!?
あの締め付けがイイのか!!?」
またダンボールが飛んできたのでとりあえず黙った。
今度のは本が詰まってるヤツだったのでかなり致命傷気味だった。
投げつけてくるにしても、子供のパワーじゃない。
直に殴られたらたぶん俺は死ぬ。しかもグラップラーな人に殴られた感じに空中でぐるぐる回ってしまうかも知れない。
「とにかく、いやらしい発言はやめてください」
「了解した」
さすがにこれ以上ダンボールを投げつけられたら俺の命に関わる。
なので、俺は紐のみとかスケスケとか、さらには穴の空いちゃってるパンツを買ってきて困らせるなどという素敵な計画は胸の奥にしまっておこう。
「………なんだか泣きたくなってきたんですが」
「はっはっはっ、人の心を読むなんて座敷童子ちゃんは悪い子だなぁ」
あと仁王立ちしていると着物の裾から伸びる白い生足がとても魅惑的だ。
そんなことを思いつつ、ゆっくりと布団に横になる俺だった。
「さりげなく見上げないでくださいっ!!」
当然の如く真っ赤になった座敷童子ちゃん踏まれた。
ああ、至高の感覚。
俺は天にも昇る気持ちでそのまま夢の世界に旅立った。気絶したとも言うが。
それでも、よい夢が見れそうだなぁ。
つづく
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