第29話 「さらば図書館島」





<エヴァンジェリン>



 すでに陽が落ちて久しい。

 夜空に月の輝きは無く、代わりに真綿のような薄い雲が空に広がっている。
 ゆっくりと形を変えながら浮かぶ雲が、やけにはっきりと灰色の輪郭を空に象っているのは、今夜の星の輝きが強いせいか。

 煉瓦造りの堅い橋面を踏みしめて、私はのろのろと橋を渡っていた。
 図書館島へと続く桟橋の左右に等間隔に並んでいる照明灯には、すでに白い明かりが灯っていて、強い輝きに照らし出された私の影が、左右に薄く伸びている。

「…………はぁ」

 深い深い溜息をついて、私は暗い湖を見た。

 湖と橋を隔てている欄干に、薄く錆が刻まれているのに気付く。
 施設の整備が驚くほどに行き届いているこの麻帆良学園でも、鉄の老朽化にまで完全な対応をとることは出来ないらしい。

 それでも、刻まれた錆と見た目の傷み方からすれば、この欄干が以前に整備されてからそれほど長い時間が経っているようには見えない。
 たいしたものだと思う。
 たぶん次に整備される時には、この欄干には、より錆に強い頑強な素材が使われるだろう。
 この桟橋も、長い時間をかけて、少しづつ、より強いものに形を変えていくのだ。

「……そして、私だけが変わらないまま、か」

 自嘲気味に笑う。
 この学園で年月を重ねて成長し、巣立っていく学生達ですら、私には遙か遠い存在だというのに、学園そのものさえも私を置いていく。
 私を縛る呪いによって、なにもかも忘れて深い眠りにつくことさえ許されぬというのに、ただ年月だけが流れていくのを見ているだけしかできないのか、私は。

 いつの間にか、私の足は止まっていた。

「何もかも嫌になった……」

 心の底から出た言葉だった。
 いつまで私は縛られていなければならないのか。

 長い年月を自らを磨り減らして生き抜いて、その果てに行き着いた場所が此の地だというのなら、何故これほどの恥辱を受けなければならない?
 このような無様を晒すならば、いっそ愚かな永生者の多くが囚われたように、生への絶望の果てに永遠の眠りに堕ちた方が、まだ救いがあったのではないか。

「…………御主人ハ単ニ、地底図書館ニ行クノガ嫌ナダケダロー?」
「うるさい黙れ」

 頭の上から、従順にはほど遠い従者が無遠慮な声で私を現実に引き戻した。
 強引に忘れようとしていた仕事を思い出してしまって、私はもう一度、深い深い溜息を吐く。

「…………ウチに帰って布団にもぐって寝てしまいたい」

 この“仕事”を私に告げたタカミチの、あのなんとも複雑かつ沈痛な、まるで通夜の席に立ったような痛ましげな表情を思い出してしまって、いっそ死にたくなってきた。

 なんでこんなアホな誤解を受けなければならないのか。

 いっそのこと綾瀬夕映に魔法を教えていることなど全て告げてしまってこの誤解を全て解いてしまいたかったが、さすがにそれは私自身の計画のためにも許されない。
 だからこそ私からは中途半端な説明しか出来ず、その中途半端さから一体なにを勝手に感じとったのか、タカミチは妙に遠い目になってそれ以上追求しては来なかった。

 いや、まぁ、私の行動についての追及が無くなったのは喜ばしいことだとも。
 おかげで、私の計画の方は呆れるくらい順調だしな。
 ははははははははは。

 やり場のない怒りを何かにぶつけようにも、その気力すら湧かない。

「マー、諦メテトットト地下ヘ行コーゼー。アイツモ待チカネテルダローシ」

 主人の気苦労など考えない従者は気楽なものだ。

 頭の上に乗ったままだったチャチャゼロを、両手で捕まえて腕の中に抱きかかえてやる。
 片腕に座らせるようにして、もう片方の手で身体を支える、典型的な“お人形抱き”の姿勢。

「……御主人、腹立チ紛レニ、コッ恥ズカシイ格好デ抱キカカエルノハ勘弁シテクレ」

「フン、人の気も知らないで好き放題に口を利くからだ」

 意地悪く笑ってやりながら、私は気を取り直して図書館島へ歩き出した。

 まぁ、多少は気が晴れた。

 タカミチの誤解はそのうち解けるだろう。
 少なくとも、私の計画が成功した時には、ヤツも事の次第を理解することになる。
 まぁ、その時になって後悔しても遅いのだがな。

 これからの“仕事”も、どうせ、2、3日程度のことだし……。

「オイ、誰カ来ルゾ」

 チャチャゼロの言葉が発せられた時には、この桟橋を学園側の方から真っ直ぐに駆けてくる小さな影の存在に私は気付いていた。
 背後へと振り向いて、その姿を自分の目で確認する。

「…………フン、お守り役が今ごろ到着か」

 そこには、ふらふらとどこか危なげな足どりで桟橋を駆けてくる、子供。
 私の麻帆良学園女子中等部での担任である、ネギ・スプリングフィールドの姿があった。

 よほど疲労しているのだろう、その走りにはまるで余裕がない。
 その動きはどう見てもただのガキのそれだ。
 理由は分からないが、魔力による身体能力の補助すらできないほど疲労しているのか?

 目を細めて周囲の警戒を強めながら、私は足を止めた。

 何かに追われている様子も無さそうだから、大方、同行してくるはずのガキ共に置いていかれて慌てて後を追っているんだろう。
 ジジイの“最終試練”の話を聞いたときには馬鹿げた遊びだと思ったが……なるほど、あののほほんとした坊やにあんな必死な顔をさせるためだというのなら、悪いものではないな。

 せいぜい自分の責の重さに苦しむがいい。

「御主人、コノ場デ殺ッチマウカー?」

 チャチャゼロがどこか陽気な声で気軽に私に尋ねる。
 だが、坊やまで声が届かない程度に声の高さを調節しているところを見ると、まんざら冗談でもないのだろう。
 相変わらず、この従者には容赦という感情が欠落している。

「この学園の防備はそんな甘いものではあるまい。………何より、この場で幕を引くのはいかにもつまらんだろう?」

 耳元に囁いてやると、チャチャゼロは口をつぐんだ。

 わざわざ同意を示すこともなく、私がそう答えることは予想していたに違いない。
 それでも私に聞いてくるところが、チャチャゼロが私にとって正しく“従者”である理由であり、悪の下僕たる資格をもつ証明でもある。

 主の“悪”を試すのは、その下僕の権利のようなものだ。
 そして、主を安穏とした世界に浸ることを許さないことも、また同じく。

「……ご到着だな」

 やがて、坊やが私の所まで辿り着いた。
 脇に退き、道を空けてやる。

 そのまま私の横を通り過ぎるなら、やり過ごしてしまおうとも思っていたが、さすがにそこまで我を失っているわけではなかったらしい。

「……あ……えぇと、アナタは、マクダウェルさん……?」

 坊やは、私の前で足を止めた。

 途切れ途切れの言葉は、息切れを起こしているせいだろう。
 細かく息を吐きながらそう聞いてくる声は、まるで絞り出すように苦しげだ。

「こんばんは、先生。……こんな遅い時間に、図書館島へ急ぎの用事でも?」

 浮かんでいた笑みを消して、手の平で図書館島を示す。

 私の手の先に浮かんでいる図書館島は、もう随分と遅い時間だというのに、夜の湖の中に煌々と明かりを放ち続けている。
 呆れた話だが、あの図書館島の灯りは消えることがない。
 本の返却ぐらいなら、この時間に訪れたとしても不自然なことは何もないのだ。

 だが、それは必死に駆けてくる理由にはなるまい。

「………はい、少し込み入った事情があって……あの、アスナさんや木乃香さん達を見ませんでしたか……? こちらに向かったはずなんですけど……」

「見ていないな」

 多少つまらなく思いながら、短く答える。
 あまり声高に出来る内容の話でもないだろうに、案外とあっさりと口にしたものだ。

「……そうですか…………」

 肩を落としてそう答える仕草がどうしようもなく情けない。
 なんというか、飼い主に置いていかれた子犬を思わせるものがある。

 一瞬、この情けない坊やから無理矢理にでも詳しい話とやらを聞き出して、コイツの詰めの甘さを理由に色々とイジメてやりたいという衝動に駆られたが、なんとか抑えた。

 万が一にもこの件に深く関わるような羽目になったら目も当てられん。
 代わりに、皮肉の一つをかけてやる。

「しかし……子供がこんな時間に走り回っていては危ないぞ、先生?」

 笑みを向けてやると、坊やは逆に私に笑みを返した。

「僕は…子供ですけど………皆さんの先生ですから……。皆さんが夜遅くに外を歩いてるうちは、……僕だけ先に家に帰ったりは、……できないです……!」

 真っ正面から見つめ返してくる坊やの視線の強さに、眉をしかめる。

 息を吐きながらの空元気にしても、ずいぶんと大口を叩いたモノだ。
 ムカつくぐらいに本気の目は、自分がその言葉を実行できると信じているのだろう。

「……ああ、そうか」

 やっぱり、コイツはガキだな。
 しかも、呆れるほどバカ真面目なガキだ。
 真面目に文句を付けてやることすらバカらしくなり、私は口をへの字に結んだ。

「えぇ! ですから……マクダウェルさんも、本の貸し借りが終わったら……早めに、寮まで、帰って下さいね……?」

 どうやら、この坊やは私が女子寮に住んでいると勘違いしているらしい。
 わざわざその勘違いを修正してやるつもりもないがな。

 つまりは、私の存在に対してまるで警戒も注意も払っていないということだろう。
 かつて魔法使い共を震え上がらせた600万ドルの賞金首も、今となっては忘れられかけた過去の人物に過ぎないということか。

 別に構うものか。
 その方が今はまだやりやすい。

「……言われなくても、用件が済んだらそうするさ」

 自分が学園長のジジイから頼まれた“仕事”を思い出して、また少し憂鬱になりながら答える。

「ありがとうございます………それじゃ、僕は……、行かなくちゃいけないので……」

 ぺこり、と頭を下げてから坊やがふと視線を私の胸へと下ろす。
 少し不思議そうな表情で、坊やは私が手の中に抱いているチャチャゼロを見ると、何を思ったのか不意に柔らかく微笑んた。

「……可愛いお人形さんですね」

 そう言ってチャチャゼロへと手を伸ばし、小さなその手の平でその頭を優しく撫でる。

 カクン、とチャチャゼロの口元が開いたのが見えて、私は口から溢れそうになる笑いを隠すのに必死にならなければならなかった。

 坊やにとっては、本当に何気ない動作だったのだろう。
 チャチャゼロの頭から手を離すと、坊やはそのまま再び図書館島へと目指して走り出す。

「それじゃ、おやすみなさーい! 気を付けて帰って下さいねー!!」

 振り返りながら、満面の笑みで大きくばたばたと手を振りながら去っていく坊やの声に、私はたいして真面目に応える気もせず、ただ片手を少しだけ上げておいた。

 まぁ、そんな返事で十分だったらしい。
 照明灯に照らされた小さな背中は、すぐに小さくなっていった。

 その姿が図書館島と桟橋の境目にある大きな階段の上へと消えるのを見計らって、私は手の中に抱いたままのチャチャゼロに意地悪い笑みを浮かべながら問いかけてやる。

「ククク……惚れたか?」

「…………ソノウチ絶対ブッ殺ス」

 いつもの調子に輪をかけて平板な口調は、相当に頭にきている証拠だろう。
 実に珍しくも、黒々としたオーラを身に纏っているチャチャゼロに、先ほど胸に抱いてやった時と同じ、意地の悪い笑みを向ける。

 恨めしげな視線が実に心地良い。
 もちろんそのままチャチャゼロを胸に抱いて、私は図書館島に背を向けた。

 そして、麻帆良学園の方へと向い、桟橋を歩き出す。

「オイ、御主人。行キ先ガ逆ダゼ」

 数歩進んだところで、私の胸の中でチャチャゼロが声を上げた。
 私は足を止めずに答える。

「……コンビニにでも行ってしばらく時間を潰しにいくだけだ。坊やが地の底に落ちるまでは、もうしばらくかかるだろうしな」

 あの坊やが図書館島の地下をフラフラとさまよう様を眺められないのは残念だが、せめてその時間ぐらいは有効に使わせて貰うとしよう。
 まぁ、ただ単にあのバケモノと一緒に地底図書館で坊やを待つのが嫌なだけだが。

 …………万が一にでも2−Aのバカ共にそんな姿を見られたら、魔法の隠匿だとか以前に、その記憶をゼロまで消去してやらねばならなくなる。

 そんな危険など、死んでも冒すものか。

「ソーカ? タカミチヲ呼ンデ、自分ハビビッテ地下ニ降ネーンジャネーノ?」

 チャチャゼロが呆れたような声で聞いてきた。
 まぁ、地底図書館に降りたくないという私の心情を知っての言葉だろうが。

「ハッ……あんなバカそうなガキがか?」

 私は、その言葉を笑い飛ばす。

「大事な生徒とやらが其処にいるというなら、あのガキは、どこの誰が止めようがお構いなしに、図書館島の地の底まで落ちて行くだろう。そういうバカだよ、あのガキは」

 口元を歪めてそう教えてやった。
 なんの根拠のない自信と、人の話を聞こうともしない傲慢さ。
 ああ、そうだとも。あの坊やは間違いなく、ヤツの血を引いているに違いない。

「……ケケケ、惚れたか、御主人?」

「フン……殺してやるとも。そのうちにな」

 笑みを消して答える。
 湖から吹いた風が、不意に私の髪を乱した。






<ネギ>



 図書館に辿り着いた僕は、図書館の正面玄関を避けて、その裏側に向かった。

 朽ちかけた煉瓦造りの建物が生い茂った木々に隠されるようにして立ち並ぶ、正面から見る図書館の近代的な風情とは真逆の、古代の遺跡めいた建物が作る迷宮へと入り込む。

 そこは、いつか二人で地底図書館へ降りたとき、綾瀬さんに教えて貰った場所だった。
 図書館探検部の皆さんしか知らない、地下へと直接続いている秘密の入口。

「……あ…っ!」、

 僕は、不意に足元をふらつかせて煉瓦の壁に手を突いた。

 足元を見ると、湖の水で濡れた砂の中に、靴が半ば埋まってしまっている。
 この古い建築群の中まで麻帆良湖の水が入り込んでいるみたいだ。

 足を砂の中から引き抜いて、僕は手近な煉瓦の壁へとずるずると移動した。

 ここまで休み無く駆けてくるために酷使した足は、もう自分のものではないかのように細かく震え、絶え間ない痛みを訴えている。
 マクダウェルさんの前では無理して平気なフリも出来たけど、そこから一気に駆けてきたせいで、蓄積してきた疲労が一気に体に襲ってきてるみたいだった。

「──────生徒さん達の前じゃ、しっかりしないと……」

 そのまま煉瓦の壁に体重を預けたまま、数回、深く深呼吸。

 夜の冷たい空気が体の中に入り込んできて、疲れのあまりに朦朧としかけていた僕の意識を、はっきりと覚醒させてくれる。
 動悸が収まってきたのを見計らって、僕は壁から身を離した。

「……よし、行こう」

 皆さんが地下へ向かったのなら、間違いなく其処を通ったはず。

 僕は、半ば湖に浸食されている建築群の中を、靴を濡らしながら歩いた。
 明かりの一つも持ってこなかった迂闊さに息を吐く。
 いつもなら、魔法で明かりを灯せばいいのだと気にもしないようなこと。だけどそんな簡単な準備を忘れることですら、今の僕には痛恨だった。

 薄い星明かりだけを頼りに、壁沿いに移動しながら教えて貰った秘密の扉への道を移動していると、壁の影からわずかに白い明かりが見えた。

「────………いた!」

 明かりが見えるのは秘密の入口の方向、図書館探検に向かった皆さんに間違いない。
 僕は急いで光の方へと向かった。

 崩れかけた壁を何度か曲がって、天井の崩れた、開けた空間に出る。
 湖水にほとんど侵蝕されているものの、その中央には崩壊の手が及んでいない大きな煉瓦の建物が残っていて、そこには大きな両開きの扉がある。

 その鋼鉄製の扉が、図書館島への地下への秘密の入口。

「……きゃっ、ネギ先生!?」

「わわっ、ネギ君! なんでこんなとこにっ!?」

 そして、そこには驚きに目を見開いた宮崎さんと早乙女さんの二人がいた。

 遺跡の一部である煉瓦の石床ビニールシートが敷かれていて、そこに照明にしている蛍光灯の入ったカンテラと、沢山の大きな地図や本、ついでにお菓子が散らばっている。
 二人はその上で膝立ちの姿勢になって、小さな携帯電話を手にした姿勢のまま硬直していた。

 とりあえず無事そうな姿に安堵する。

「……えっと、あの……お二人とも…………もしかして、アスナさん達と一緒に、なにかの本を探して、ここに……?」

 おそるおそる聞いてみる。
 まさかとは思うけど、アスナさん達の姿はないし、もしかしたら図書館探検部の活動で此処にたまたま居合わせただけかも知れない。

 最初に反応したのは宮崎さんだった、みるみる顔を紅潮させて、口を開く。

「えっ……えぇっ……はっ、はひっ!」

 ………はひ?

「えーと、説明は私がするから、のどかはちょっとストップねー?」

 なんだか慌ててる様子の宮崎さんの顔を見ていると、急に横から早乙女さんの手が伸びて、宮崎さんの口を塞いで言葉の続きを遮ってしまった。

 急に口を塞がれた宮崎さんがわたわたと暴れてるけど、構わずに早乙女さんが僕の質問に答える。

「えーと……うん、ごめん。ネギ君の言う通り、今みんなで図書館島の地下に探検に入ってるところで、私とのどかは地下に降りたみんなのバックアップ中なのよ」

 早乙女さんはそう言って、ビニールシートに散らばっている地図と、手の中の携帯電話……よく見ると、図書館島探検部の名前の入った改造無線機……を見せてくれた。
 地図の書き込みは子供の遊びとかのレベルじゃない、かなり精緻なものだし、無線機だって見た目よりもずっと本格的なものに見える。

「そ、そーなんですか……って、あの、宮崎さんが!?」

 片手で口を塞がれたままの宮崎さんが、目をグルグルにして抵抗を続けていた。

「あああぁっ、ごっ、ごめんごめん! なんか自爆的なこと口走りそーだから、つい」

 慌てて早乙女さんが宮崎さんの口から手を離した。
 解放された宮崎さんは、ふらふらとビニールシートに膝をついて息を吐いた。

「はうぅぅぅぅ〜……ハルナ、いきなり酷いよ〜」
「ごめんねー、なんかこう、私も突然のネギ君の出現に焦ったって言うか……アハハハハ」

 二人のやりとりに、なんとなく安堵できるものを感じて息を吐く。
 思ったよりもずっと、図書館探検部の人達って慎重に探索するような人達みたいだし、地下に降りることそれ自体の危険はないみたいだ。

 だけど問題は、それ以外の危険なわけで……。

「早乙女さん、宮崎さん。……地下に降りた人って、どれくらいなんでしょうか?」

 小さく咳をしてから、おそるおそる聞いてみる。

「あー…えっとねーー。…………バカレンジャー全員。おまけに案内役の、このか」

 指を折りながらも気軽に答えてくれた早乙女さんに、僕は思わずその場で転倒しそうになった。

「おっ、多いーーっー!? そんなに大人数で地下に降りちゃったんですか!!?」

 予想してた人数の倍以上です。
 うぅ、そっか、綾瀬さんだって怪物さんの知り合いだし、止めたりしてくれないですよね。

「えーっと、それだけ沢山いたら安全だしー……ね?」
「ね? じゃないですよ!?」

 今日のホームルームで見てしまった、バカレンジャーと呼ばれている皆さんのお気楽な笑顔を思い出して、僕は思わず目眩を感じてその場に膝をついてしまった。

 うううううう、泣きたいです。

「あ、あの……ごめんなさい、ネギ先生……でも、安全なのは、本当ですから……くーふぇや楓さんは、すごく頼りになりますし……」

 宮崎さんがおそるおそるといった感じで慰めてくれた。
 でも、みんなが思う安全というのが盤石のものでないことを、僕は知っている。

「……宮崎さん、ありがとうございます。でも、それじゃ遅いんです」

 宮崎さんへ、ゆっくりと首を振ってみせる。
 気力を振り絞って立ち上がり、僕は早乙女さんに向き直った。

「地下に降りている皆さんに連絡はできるんですよね? ……皆さんに、すぐに戻って貰うようにお願いしてください。詳しくは説明できませんけど、夜になると図書館島の地下は本当に危険なんです」

 説明になってないかも知れないけど、とにかくまず皆さんに戻ってきて貰うのが先決だと思う。
 なんでこんな時間に図書館島に来ちゃったのかとか、そういう問題は後回しで。

「……うん、分かった。ちょっと待ってね」

 少し驚いた顔をした早乙女さんは、一瞬だけ、僕と無線機の二つを交互に見てから、最後に僕を見て素直に頷いてくれた。
 無線機の連絡ボタンらしいものを押して、携帯電話そのままに口元に当てる。

「もしもーし、もしもーし、こちら地上班ー。探索班、聞こえますかー? どうぞー」

 沈黙。

「あの、早乙女さん……?」

 おそるおそる聞いてみる、早乙女さんは少しだけ口元を引きつらせながら、手の平をこちらに向けてちょっと待つようにジェスチャー。

 ハルナさんは、焦った様子で小さく唸りながら無線機が答えを返すのを待った。
 宮崎さんもオロオロしながらそれを見守って、僕も同じように無線機をじっと見る。

 三人の視線が無線機に集中する中、返事は返ってこない。

「……ちょっと待って、強制で繋いでみるから。向こうが連絡ボタン押せなくても、これならちゃんと向こうの様子は分かると思う」

 早乙女さんの硬い声に、少しだけ緩んでいた緊張が蘇ってくるのを感じた。
 ボタンを操作するのももどかしく、早乙女さんがもう一度、無線機を耳に当てる。

「な、なにこれ……」

 スピーカから、微かに音が聞こえていた。
 それがどんな音なのかは、耳に当ててない僕には分からない。

 ────────だけど、真っ青になった早乙女さんの表情が、答えを物語っていた。

「……ごめんなさい! ちょっとお借りします!!」

 謝りながら、早乙女さんの手から無線機を引ったくって耳に当てる。

 無線機の向こうからは、耳障りな雑音に混じってほんの微かに、明日菜さんや木乃香さん、それに他のバカレンジャーの皆さんの声が聞こえていた。

『───────あたたたたっ─────どいて────どいてーっ────』

『──は……早く────────────……次を───────』

『──────アスナっ───ひざがっ……────ひざがーーっ──────』

『──────い……いたいです……───』

『───キャーーーッ──死ぬっ、死んじゃうーーー────』

 悲鳴の混じった、叫び声が。

「みっ、皆さん!? どっ、どうしたんですかーーっ!? へっ、返事を……」

 そこまで言って、ハッと気付いて僕は口を閉じる。
 例え聞こえてたって、とても向こうから無線機に向かって声をかけてくれるような状況じゃないのは、皆さんの声を聞くだけでも分かる。

「あのっ、皆さんは今、どの辺りにいる筈なんですか!?」

 無線機を耳に付けたまま聞くと、早乙女さんと宮崎さんの二人は慌ててビニールシートの上に散らばっていた地図を探し始めた。
 なにか、なにか出来ることは…………。

『───────最後の……──じゃ…。────……─は……?──』

 無線機の向こうで、微かに声が聞こえる。
 聞き覚えのまるでない、人間味を感じない不自然なまでに重く低い声。

「……だっ、誰……? あのっ、バカレンジャーの皆さんと木乃香さん以外は、誰も地下には降りてないんですよね!?」

「はっ、はいっ! 間違いないですっ!!」

 慌てて尋ねると、手の中に沢山の地図を抱えた宮崎さんが答えてくれた。
 それじゃ、この声は一体………。

『──────……った!───おさら…──────』
『──………おさら……OK…!────』

 よく分からないアスナさんの声に、合点という調子で佐々木さんの声が答える。
 ……って、いったいなんなんですか、この会話!?

 一瞬、激しい音が響いて無線機の音が途絶した。
 金属が軋むような音がスピーカーから響いて、慌てて耳から離す。

 ヒリヒリと痛む鼓膜に顔をしかめながら、逆の方の耳に無線機をつける。
 すると、スピーカーの向こうから、不自然なぐらいの静寂と、誰のものとも知れない小さな疑問の呟きがポツリと聞こえてきた。


『──────おさる?──────』


 ……………はい?

 一瞬、思考がフリーズする。

 だけど次の瞬間、スピーカーの向こうからクラスの皆さんが叫ぶ声と、それに続いて何かが破壊されるような凄まじい音が響いてきた。

 耳をつんざくような破砕音。

 とても冗談とは思えない、巨大な破壊が行われたことを示すその音は、古菲さんや佐々木さんが上げた叫び声をたやすく消し去ってしまう。

 そして、悲鳴。

「あ……アスナさんーーっ!? 皆さん……っ!……皆さーーーんっっ!?」

 返事が当然あるわけもなく。
 悲鳴は無線機の音に混じった雑音の中に消えていって、やがて聞こえなくなった。

「………あの、ネギ先生……、みんなのいた場所、分かりました……」

 宮崎さんが呼ぶ声で我に返って、僕は無線機をのろのろと耳から離す。
 強く握りしめていた手の中は、汗でひどく濡れていた。

 たぶん、今の僕は怖い顔をしてる。
 唇を固く結んで、宮崎さん達が安心できるように笑みを浮かべるように努力する。

 ────教師は、どんなに苦しくても、生徒さん達の前じゃしっかりしないといけない。
 新田先生に教えられた言葉をもう一度自分に言い聞かせる。

 それは借り物の言葉だけど、確かに僕に力をくれた。

 一度息を吐いてから、宮崎さんと早乙女さんの方に顔を向けて口を開く。

「なにかトラブルがあったみたいです。今は、連絡できない所にいるみたいですから、僕が今から一人で地下に降りて、皆さんを迎えに行ってきます」

 不安げだった二人の表情は、驚きに変わった。
 ううう、やっぱり僕が子供だから頼りないって思われてるのかな。

「えっ、ええっ? ネギ先生……一人で、ですか!?」

 手の中の地図をクシャクシャにしながら宮崎さんが詰め寄ってくる。

 いつも穏やかな宮崎さんの普段にないような勢いにちょっと驚きながら、僕はついさっき考えついたばかりの、僕が地下へ降りるための方法を話した。

「……あの、宮崎さん、これから無線機で僕をそこまで誘導してください。それなら、僕でも大丈夫だと思います…………あ……えぇと、予備の無線機とか、ありますよね……?」

「えっ、あっ……はい…………」

 宮崎さんがが自分のポケットから、早乙女さんのものと同型の無線機を取り出したのを見て、僕は二人に分からないように安堵の溜息を吐く。
 僕の考えの、唯一の問題点をクリアできた。

「……でも、罠とか…………」

「僕は大丈夫です、信じてください」

 僕が自信満々に答えると、宮崎さんは少し困りながらも頷いてくれる。
 宮崎さんは僕が魔法使いだっていうことを知っているから、大丈夫だと納得してくれた。

 ……だから、僕が魔法を封印していることは教えられない。
 それに、僕が杖で飛んで行かないことを思われる前に、話を押し切らないと。

「あっ、早乙女さん、この無線機、申し訳ないけどお借りします。それと……腰の懐中電灯を一本貸して貰えますか?」

 さっきから手の中に持ったままの無線機を見せてから、今度は忘れないように、ハルナさんの事に下げられている大きめの懐中電灯を指で示した。
 魔法を使えない僕は、明かりだって自分で用意しないといけない。

「い、いいけど……ネギ君、ホントに行っちゃうの?」

 そろそろと懐中電灯を僕に渡しながら、早乙女さんがやっぱり不安そうな声で僕に聞いた。
 それに応えられる言葉を、僕は一つしか知らない。

「………大丈夫です」

 早乙女さんの表情が晴れないのはしょうがないと思う。
 だから、僕はその先をちゃんと考えていた。

「早乙女さんは、携帯電話で学園の方に連絡してください。なんとか、タカミチ……高畑先生に繋いで貰って事情を説明してくれればなんとかしてくれると思います。……お願いできますか?」

 正直言って、僕自身の力はとても弱い。
 ここまで走ってくるだけで、それがとても分かった。
 だからこそ、クラスの皆さんを助ける方法を選んでなんていられない。

 そして僕が今思いつく限りで一番いい方法が、タカミチに頼ることだった。

「うん、それなら任せて! 高畑先生だったらちゃーんと連絡先だって抑えてるし、出来るだけすぐに来て貰えるようにお願いするからね!」

 早乙女さんはやっと安心した顔になって、僕のお願いを請け負ってくれた。

 ……ちょっとだけタカミチに嫉妬してしまった自分に気付いて、僕は笑いながら頬を掻く。
 いつかタカミチみたいに僕も、皆さんに信頼されたいな。

 本当にそう思う。
 だからこそ、今は行かないといけない。

「それじゃ、僕は先に皆さんを迎えに行ってきますね? 宮崎さん、皆さんの所までの誘導をよろしくお願いします!」

「……は、はいっ!」

 宮崎さんにそうお願いしてから、僕は地下に続いている鋼鉄の扉に向かった。

 だけど、僕の肩に、早乙女さんの手が置かれた。
 振り向くと、真剣な顔で僕を見る早乙女さんの顔が間近にあった。

「……あのさ、……ネギ先生、気を付けてね……?」

「任せて下さい! ちゃんと、皆さんと一緒に戻ってきますよ!……そしたら、夜中に危ないことをした件で皆さんと一緒にお説教ですからね?」

 ことさら明るくそう答えて、僕は笑った。

「アハハッ……お説教かぁ〜〜。うん、分かった! そればっかりは仕方ないしね!」

 早乙女さんは頭の後ろに手をやって、いつもの調子でケラケラと笑ってくれる。
 僕の肩に乗せられていた手は、いつの間にか離れていた。

「それじゃ、後はよろしくお願いしますね!」

 最後にそう言って、僕は鋼鉄の扉に手をかけた。
 重い軋みを耳にしながら左右に開いた扉の中へと、僕は体を滑り込ませる。

 僕がこれから皆さんを迎えに地下へ降りるのは、現実的に考えると成功率の高くない、ただの保険ぐらいの意味しかないと思う。

 それでも、僕はちゃんと皆さんを迎えに行かなきゃいけない。

 僕は、2−Aのたった一人しかいない、担任教師なんだから。






<主人公>



 天井の穴を見上げる。

 地底図書館の天井は、よく見てみると実に面白い。
 図書館島の地下深くに降りるほど視界に増えてくる世界樹の根が、この地底図書館の中になると、ほとんど張り巡らされてると言って良いほどあちこちに溢れている。
 そして、天井となると……ほぼ完全に世界樹の根に覆われてしまっているのである。

 世界樹の根、と言っても、その色は土色ではなく、鮮やかな緑。
 それも、一部一部が白く淡く輝いて、この地底図書館の中を照らしだしている。

 その幻想的な光景は、うっかりその辺を妖精さんが舞ったりしてるんじゃないかという気がしてきて、探してしまいそうになるほどだ。
 もっとも、ここで結構長い時間過ごしてるのだけど、そんな生き物はついぞ見たことはないのだけど。
 たぶん、いたとしても、俺を見たら光の速さで逃げるだろーし。

 いかんいかん、集中集中。

「────……ッ」

 来た。

 俺はさかさかと移動して、微かに聞こえてきた声を頼りに、地底図書館を移動する。
 砂浜を越えて、地底湖に入る。

「────………………ぁぁぁ………────………」

 目だけを水面に出して、俺は湖の中をスイスイと泳いでいく。
 ちょうど、地底湖中央に到着したところで、遙か天井、世界樹の根が作り出した天蓋を抜けて、数個の人影がこの地底図書館へと落ちてくるのが見えた。

 もう女の子達は悲鳴を上げていない。
 今回は、前に同じことしたときと違ってちゃんと気絶してるらしかった。

 うん、精神衛生上その方が良いと思う。
 同じ気絶するにしたって、俺見て気絶したりするよりも、トラウマにならないような原因で心静かに気絶した方が今後の生活を考えると幸せだろうし。

 俺は慌てず焦らず、水面から触手を伸ばす。

 きゃっち

 最初に落ちてきたのは長い黒髪の女の子。
 髪の毛が水に濡れないように、危なげなく高い位置で触手に絡めとる。

 きゃっちきゃっち

 次に落ちてきたのは、少し小柄な二人の女の子。
 長い黒髪と、ショートカットの二人を、それぞれ空中で絡めとった。
 衝撃で起こしてしまわないように注意して、絡めとりながらも柔らかく衝撃を殺して、なんとか目が覚めないように注意した。

 あれ、この髪の長い子って、もしかしなくても夕映ちゃんじゃ?

 ……っとと、きゃっちきゃっち

 うん、この落ちてきたことは間違えようもなく明日菜ちゃんと古菲ちゃんだ。
 ツインテールにした髪の結び目にそれぞれ下がっている大きな二つのベルと、一人だけ着ているチャイナ服に小麦色の肌は、どう考えても間違いようがなかった。

 うーん、学園長先生の話だと、ここに来る子って勉強の遅れている子だったと思うのだけど。
 なんで半分以上、知ってる顔なんだろう。

 まぁ、きっとこれも数奇な運命というものなんだろう。
 とりあえず、気絶しちゃってるこの子達は砂浜に寝かせてあげよう。

 こんなにたくさん女の子を捕まえてると、なんだかアレな感じの悪いモンスターにでもなった気持ちになりそうだし。
 うっかり、女の子抱えた今の俺の姿を誰かに見られたら、速攻で退治されちゃいそうだ。

 いやー、こうしてるのって見た目以上に辛いんだけどね。

 7本ある太い触手のうち、5本を女の子を掴むのに使ってるので、俺は今残っているたった2本の触手だけで水中を泳いでるのだ。
 これも、いつぞやの滝登りの修行の成果である。

 ……って、あれ? 5本?

 落ちてきた数と、キャッチした数が合わないですよ?

 慌てて周囲を見渡すと、俺が移動しようとしていたちょうど背後に、最後の一人がいた。
 凄い光景を見てしまった。
 なんか自力で水面に立ってらっしゃる人がいる。

「……やや、いつぞやの御仁でごさったか。これは失敬失敬」

 そう言って笑うのは、夕映ちゃんと出会ったときの事件で知り合った長身の女の子、楓ちゃん。
 細い目の端を緩ませてやんわりと笑う顔に安心する。

 その手の中にいつの間にか出現していた超巨大手裏剣のことは、とりあえず忘れよう。

 よく見ると、水面を歩いてるのは、忍者の道具としては有名な水蜘蛛……足にくくりつける小さな浮き輪みたいなの……なもののお陰だろう、きっと。
 いや、そんなもの履いてないけどね。うん。

 ちゃぷちゃぷと泳いで、砂浜に落ちてきた女の子達を寝かせる。

 落ちてる途中で体を怪我したりしてないかと心配して、女の子達を寝かせるときによく見てみてみたけど、怪我らしいものは見当たらなかった。
 一応、例の英単語ツイスターの安全面を監修したのは自分なので、心底安心する。
 これでうっかり怪我などさせてしまったら俺は首をくくらなければならないトコだった。

 そして全員を砂浜に寝かせて、ついでに水の中に散らばってしまっていた一部の荷物とかも砂浜に並べたところで、やっと一息つく。

 一息ついて気付いた。

 あれ、ネギ君も一緒に落ちてくるって話じゃなかったっけ?
 ネギ君いないよ?

 ……ええぇぇぇぇ!?
 まさか、途中で引っかかったとかっ!!?

「……怪物殿、どーしたでござるか?」

 オロオロしていると、物珍しげに地底図書館の中を見回していた楓ちゃんが尋ねてきた。
 流石忍者、俺の心に生まれた動揺を敏速に察知したようだ。

「なにか悪いモノでも食べたでござるか?」

 いえ、激しく違います。

 俺は慌ててホワイトボードを取り出し、マジックを走らせてメッセージを書いた。
 計画とは違うけど、ちょうど当事者の一人から話を聞けるんだし、この際聞いてしまおう。

《ネギ君知りません?》

 落ちるときも気絶してなかったみたいだし、もし一緒に落ちてたのなら、どうなったか知ってるはずだと思う。
 ここでいきなり楓ちゃんが顔を曇らせたりしたら嫌すぎるけど。
 ……いや、マジでそれは勘弁です。

「む、ネギ坊主でござるか? ここに降りてくるときには、一緒ではなかったでござるよ」

 マジですか!?
 最悪の事態を避けられたものの、予想外の展開ですよ学園長先生!?

 この場合、どーすればいいんだろう。
 ちょっと途方にくれつつ、最後の望みをかけて俺はホワイトボードにメッセージを書く。

《ネギ君はみなさんがココに行ったって知ってます?》

 それを見せると、楓ちゃんは少しだけ思案した後答えてくれた。

「……確か、明日菜殿がネギ坊主宛に置き手紙をしていったはずでござる」

 置き手紙……おお、ということはネギ君はこの子達がここに来たことは知ってるのか。
 それなら安心だ。

 俺が感謝のメッセージを書いてお見せすると、楓ちゃんは不思議そうな顔をした。
 腕を組んでフムと呟き、俺を見上げて聞いてくる。

「もしかして、怪物殿はネギ坊主が来るのを待っているのでござるか?」

 うーん、あんまり言いふらして良い話じゃないのかも知れないけど、ネギ君のこと教えて貰ったし、正直に答えるのが道理だよなぁ。
 俺は、楓ちゃんに向かって体を縦に揺らし、頷く仕草をした。

「……………?」

 わーい、分かって貰えません。
 なんとなく脱力しつつ、ホワイトボードにメッセージを書いてお見せする。

《そうです》

「おお、やっぱりそうでござったか」

 ポン、と手を叩く仕草。
 ……なんだかこの子との会話はやたら疲れる気がする。

「……………しかし、ネギ坊主のような小さな子供が、こんな地底深くまで降りてくるのは普通に考えると難しいでござるよ?」

 楓ちゃんが難しい顔を浮かべて、そう言う。
 いえいえ、ネギ君には怪しげな魔法の力がありますし、ほっといてもあっという間に地下深くまでピューンと飛んできますよ。

 ……って、そうか、楓ちゃんはネギ君が魔法使いだって知らないんだっけ?

 それじゃ、確かに心配するよなぁ。
 普通の子供が、あんな罠だらけの図書館を降りてくるとか常識的に考えても危険すぎるし。

「……それでも、怪物殿はネギ坊主が此処まで降りてくると?」

 俺の真意を探ろうとするようなその視線にちょっとビクッと震えつつも、俺はちょっとだけ真面目に楓ちゃんの言葉への返事を考えた。

 よし、仮にネギ君が賢いだけのただの子供だとしよう。
 そんな子供が、こんな夜中に、こんな地底深くまで生徒を追っかけてやってくるか?

 俺はホワイトボードにその答えを書いた。

《来ますよ》

 簡潔なメッセージに、楓ちゃんがフムと唸る。

 あの一度走り出したら止まらない暴走特急のごとき少年が、夜遅くだとか、此処が地底深くだっていうぐらいの障害で足を止めてくれるわけはないだろう。
 いざ生徒の危機だと、熱く情熱を燃やして此処までダッシュで駆けつけてくれるに違いない。
 少なくとも、自分が正しいと思っているうちはあの子のパワーは無限大だ。

 ネギ君がそういった感じの子だってことは、俺はイヤと言うほど知っている。
 だから、まぁ、のんびり待とう。

 それに。

 俺はホワイトボードにマジックでメッセージを書き加えた。

《止めてくれそうな子が、ここにいますし》

 そう言って、伸ばした触手の先で、砂浜に寝かせた明日菜ちゃんを示す。
 今のネギ君は、まさにブレーキを無くした暴走特急だ。

「はっはっはっ、そう言われると、確かにそういう気がしてきたでござるなぁ」

 楓ちゃんが楽しそうに笑う。





 ───────実際その通りになった。









 ネギ君含めて地底図書館に落ちてきた皆さんをお任せした後、俺は楓ちゃんへ別れを告げて、滝の裏側に隠されている秘密の扉を抜けて、地上へと続く直通エレベーターへと向かった。

 ……楓ちゃんに秘密の扉がモロバレしてしまったような気がするけど、きっといざという時まで秘密にしててくれるだろう。
 ニンジャなくらいだから、秘密を隠すのはお手の物のはず。
 いや、ご本人は最後まで否定してましたけど。

 秘密の扉の向こうは高い高い天井の円形の広間になっていて、肝心の地上直通エレベーターは、はるか彼方になる天井付近に設置されている。
 その高さまで辿り着くには、この円形の広間を外壁に沿ってぐるりと囲んでいる、長い長い螺旋階段を登っていかなければならない。
 普通の人間が階段を使って登ったりしようものなら、一時間やそこらで登り切るのは無理そうな、無茶な長さの螺旋階段だ。

 俺はそんな螺旋か階段を横目に、触手を壁に貼り付けながら真っ直ぐ天井に登っていった。
 ズルっぽいけど、俺の移動速度でぺたぺた這いずってたら朝が来ちゃうし。

 よく見ると、螺旋階段の途中途中には謎の壁が出現してて、マトモに登るのも無理そうだし。

 おお、よく見ると普通の学校の授業で出てくるような、テスト問題っぽいものが書かれたレリーフが壁に貼り付いているではないか。
 もしかして、クイズに答えないと引っ込まないのでしょうか?

 …………なんだろうこの昔のバラエティ番組みたいな装置。

 魔法使いの恐ろしさの新たな一面を見た気がする。
 いやまぁ、英単語ツイスターの時点でそれは判っていたけど、改めて。

 俺は、この螺旋階段を後々になって登らされる羽目になるであろう、地底図書館に残してきた皆さんに心の中で合掌して、そのまま螺旋階段を無視して真っ直ぐ縦穴を登っていった。

 螺旋階段の端に長く伸ばした触手を張り付けて、その触手を一気に縮める。
 体が浮かび上がる勢いを殺さないまま、次の触手をさらに上へ上へと伸ばして、螺旋階段の端の触手に張り付ける。
 その前に張り付けた触手を剥がしつつ、上側の螺旋階段に張り付けた触手を一気に縮めて、さらに体を上へと向けて浮かび上がらせていく。

 この動き方のコツにはすっかり慣れて、今では次に張り付ける場所に迷って勢いのまま壁にぶつかったりすることもなくなった。
 実際、最初の頃は、勢いをつけ切れずに触手が伸びきるぐらいの勢いで落っこちたり、張り付けた触手を剥がすのを忘れて空中で二つに裂けそうになったりと色々大変だったのだ。

 今では、夕映ちゃんを運びながらこのスピードを出しても安心である。

 人間、慣れだなぁ。
 ……全然人間じゃなくなってるとも言うけど。

 わずか数分の繰り返しで、あっさりと俺の体は螺旋階段の頂点へと到着する。

「……ずいぶんと遅い到着だな、バケモノ?」

 そうして辿り着いた地上直通エレベーターの前には、すでにその前にはエヴァンジェリンさんが腕組み仁王立ちの構えでお待ちしていた。

 うわ、目が怖い。

 軽くビビりつつも、慌てて触手につかんだホワイトボードに謝罪の旨を書いてお見せする。

《待たせちゃってごめんなさい》

 ついでに頭を下げるオプションをお見せしたいのだが、螺旋階段の上は足場が狭いので下手したらここから落下しかねない。
 仕方ないので、触手をウネウネと上下に揺らして謝罪の意を表現してみた。

「フン、どうせあの坊やが原因だろう? とっとと行くぞ」

 ……してみたのだが、エヴァンジェリンさんは俺の必死のジェスチャーをあっさりとスルーして、開けっ放しになっていたエレベーターの扉の中へと先に入ってしまう。

 うーん、なんか機嫌悪そうだ。
 やっぱり、今回の件はエヴァンジェリンさんとしてはかなり嫌なのだろうか。
 いや、普通は嫌だよなぁ。うむむむむ。

 それでも、礼儀を欠いてはいけないし。

 俺はエレベーターに入る前に、ホワイトボードに細い触手でさらさらとマジックを走らせてから、エヴァンジェリンさんへとお見せする。

《三日間お世話になります》

 ホワイトボードに書かれたそのメッセージを見て、エヴァンジェリンさんは一瞬、もの凄い勢いで顔をしかめた。
 なんというか、朝布団から抜け出して食堂のテーブルに着いたら、朝食に嫌いな食べ物がずらりと並んでいたかのような表情。

 そして顔を下に向けて、深い深い溜息を吐く。

 顔を上げたエヴァンジェリンさんの顔には、諦めの半分混じった苦笑が浮かんでいた。
 やれやれと言った顔で、答えを返してくれる。

「……ま、それぐらいならちゃんと面倒見てやる。だから、とっとと来い」

 要するに、地底図書館にネギ君達がいる間、俺は一時避難ということになったのだ。

 学園長先生から聞いた話によると、今回の地底図書館の使用は、勉強の遅れてる子達に集中的にテスト勉強をさせるためのものだそうなので、無理もない話である。
 謎の怪物が潜んでいるような場所で集中して勉強するなんて、常人には絶体無理だし。

 ……地底図書館に来たのが、やたらと知った顔の女の子ばっかりだったことは秘密だけど。
 あああ、こうやって俺も少しづつ秘密にまみれた魔法使いの世界に足を踏み入れてしまうのか。

 そういうわけで、一時避難することになったものの、当然俺が避難できる場所は限られている。

 その結果、俺の避難先として決定したのがエヴァンジェリンさんのお宅だった。

 なんでも、エヴァンジェリンさんは女子寮には住まずに、茶々丸さんやチャチャゼロさんと、学園の中心からは少し外れた静かな一軒家で暮らしているのだそうで、俺が隠れるには絶好の場所なのだそうだ。
 とはいえ、女の子ばかりの家に、俺みたいな生き物が入り込むのは色々と問題があるわけで。

 正直、エヴァンジェリンさんとしては相当に迷惑なんじゃないかと思ったのだけど、了承してくれた様子で、正直ホッとした。

 感謝の念を込めて、俺はホワイトボードに触手で掴んだマジックを走らせる。

《ありがとうございます》

 メッセージボードを見せると、即座に怒鳴られた。

「いーから、とっとと来い!」

 ひぃぃぃっ! なんか攻撃色っぽく真っ赤になって怒ってる!?

 久しぶりに冷凍光線の脅威を味わいたくもないので、俺は慌ててエヴァンジェリンさんに言われるままにエレベーターの中へとうねうね入り込んだ。

 俺がエレベーターの中に入ると同時に、チーン、と音がして扉が閉じていく。

 はじめて地底図書館に降りたときのことを思い出して、なんとなく懐かしい気持ちになった。
 あの、暗澹とした気持ちで螺旋階段を這い降りたときの気持ちを。

 …………感謝しないとなぁ、色んな人たちに。

 思わずエヴァンジェリンさんを抱きしめたくなってしまった。

「……万が一にでもこの場で私に触れてくるようなことがあったら、上に到着次第、八つ裂きにした上に氷塊で固めて下水に流すぞ?」

 はっはっはっ、そんな怖いコトするわけないじゃないですかー。

 ガコンという音がして、扉が閉じる。
 そして、エレベーターは遙か上、地上へと目指して動き始めた。









つづく