第25話 「あの悪夢が再び」





<夕映>



 図書館島の一階の扉を開き、どこか久しぶりに感じる外の世界へ出ると、湖から吹き付けてきた冷たい風が外気に触れた私の肌を刺した。

 突然の肌寒さに、地下階層から地上階へと登ったときに羽織った外出用の上着の前を留める。
 ……もう2月も半ばを過ぎているというのに、この夜の寒さは何でしょうか。

 そう言えば、図書館島の地下は季節に関係なく快適な温度が保たれている。
 まさかあの設備全体に行き渡るように暖房設備があるとも思えないですから、ただ自然現象によるものばかりではなく、なんらかの魔法の力が働いているのかも知れないです。

「……興味は尽きないです」

 私は、図書館のすぐ前にある長い階段を下りると、図書館島と麻帆良学園とを繋ぐ桟橋を一人歩き始めました。
 橋の左右に等間隔に並ぶ街灯が、私の影を二つに分けています。
 さすがに夜遅いだけあって、桟橋の上には人の姿はどこにも見えません。

 しかし、こうやって魔法使いのことを自覚した上で考えると、麻帆良学園の施設や設備には不自然な点がとても多いですね。
 むむ、今までどうして気付かなかったのでしょうか……?

 遠く夜の闇の下、麻帆良の街や校舎の灯りに照らされる世界樹の大きさに目を細めながら、心底不思議に思う。
 あんな大きな木、それこそ童話やファンタジーの世界でしか信じられないものなのですが……今こうして見ていても、不思議と違和感は感じないです。

「…………案外、世の中は不思議に満ちているものですね」

 魔法使いは、あの世界樹のこともみんな知っているのでしょうか?
 ネギ先生は地底図書館に降りる途中に、地下で見ることの出来る巨大な根は世界樹のものだと教えてくれましたが……。
 根の張る範囲が広いにも程があると思います。

 全てとは言いませんが、やはり図書館島の地下には麻帆良学園に関する大きな謎が隠されているのは間違いないようです。
 明日からも、図書館島の探索も目的が明確になってきただけ張り合いが取れてきました。

 問題は、図書館探検部の先輩達に、中等部の身で地下まで降りていることを心配されないようにすることですが。
 どうやって説得したものでしょうか。
 割と陽気な人が多いですし適当に誤魔化しても通じるような気はしますが、ハルナのような、微妙に油断してはいけないような抜け目無い先輩も少なくないですし……むむむ。

 寮に帰ったら、のどかに相談してなにか案はないか聞いてみるです。

 そういえば、ネギ先生の看病で学校に残ったのどかは、もう帰っているでしょうか?
 応急処置の例に従って診た感じは、問題なさそうでしたし、まさかネギ先生が重体というわけはないと思いますが。

 明日菜さんも一緒だったようですが、なにかしらネギ先生に対するアピールを取ることが出来ていればよいのですけれど。

「むむむ、………無理、でしょうね」

 のどかの、ネギ先生を語るときに見せるあの照れようを思い出して首を振る。
 まぁ、この件に関しては、のどかの様子を見て、必要ならばハルナと相談して何か手を打つのもいいかも知れないです。

 恋愛は人間同士の距離感の問題と言いますし、のどかがその気なら、何かしらの理由を付けて出来るだけ側にいた方がいいでしょう。

 明日からは図書館島の探索を一緒にしてくれると約束してくれましたし、そのお礼の代わりになるのならば、手伝えることは手伝うです。
 そういえば明日は土曜ですし、木乃香さんやハルナも一緒に付き合って貰いましょうか。

 最近見付けた、一緒に見たい地下の風景だって少なからずありますし。

 そうして、魔法を求めるだけで、実際に手に入れなくても……というのも、一つの考え方なのかも知れないです。
 私はまだ諦めるつもりはありませんが──────





 不意に、風が吹いた。

 図書館から出たときに吹き付けてきた、湖からの冷たい風じゃない、麻帆良学園から流れ込んできた仄かに暖かい風。
 だけど、私にはその風は、湖からの寒風よりもよりも冷たく感じた。

 身を刺すような、自分を見る視線を感じたから。

 まるで引き寄せられるように、そちらへと顔を向けてしまう。
 橋の左右に並ぶ街灯の、その一つの上に、三角帽子の人影が佇んでいた。

 帽子の下で輝く両眼が、私をじっと見つめている。
 小柄な体躯に不釣り合いな、ばさばさと揺れる長い長いマントが、まるで私を呼び寄せようとする巨大な手の平のように見える。

 そして、輝く両眼の下で、ゆっくりと半月の形に開かれる口の中。
 その中に一対の牙があるのを、私は確かに見た。



 足が動かない。



 今までこの麻帆良学園で見てきたあらゆる不思議とは別物の、恐怖というものを伴ったそれに、私は完全に意識を奪われていた。

 まるで捕食者を前にした、被食者のそれ。

 マントが大きく左右に開いて、三角帽子の人影が舞い上がる。
 それは、まるで獲物に襲いかかる猛禽のように、真っ直ぐに私へと滑空してきた。

 食べられる。

 頭をよぎったその思考に、背筋が凍り付く。

 ………………だけど同時に、私の中の冷静な部分が囁いた。

 『恐怖を感じたのは本当に一度もなかったのか?』と。

 一度目のそれは、最後にはあんなにあっさりと克服したのだから、二度目の今も前と同じように恐怖に囚われる理由はないと。
 結局、自分が怯えて恐怖に囚われたのは、私自身が自分の中に生まれた恐れに耐えきれなくなったせいだと、私は知っている。

 滑空してくるそれは、決して避けられないスピードではないはずだ。

 私は、まるで弾かれるようにして地面を蹴って横に跳びました。
 体勢を崩しながらも桟橋の端にある手すりに掴まり、なんとか無様に転がるのを防ぎます。

 そして、橋面へと降り立ったそれに向き直ります。

 やっぱり、三角帽子の人影はそれほど大きくはありません。
 襲いかかってくる瞬間、まるで巨大な悪魔のように見えていたそれは、同じ高さの地面に立ってみると自分とそれ程変わらない身長しかないことが分かりました。

 むしろ、私よりも背が低いような…………!?

「……貴女は………マクダウェルさん……?」

 私の言葉に、人影……マクダウェルさんが、小さく舌打ちして三角帽子の鍔を下ろして、目深に被り直す。
 目元が隠されて、その顔は見えなくなってしまったですが……。

 そこに立っているのは、間違いなく私と同じクラスメートの、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルさんに間違いありませんでした。






<エヴァンジェリン>



 不覚をとったつもりはなかったが、初撃を避けられたのは痛いな。

 数メートル先に立つ、クラスメイトを前に、私は内心苦い思いを感じていた。

 地底図書館へ向かう途中、人気のない道を歩くクラスメートの姿を見た私は、麻帆良学園の監視の範囲から外れた桟橋の上という状況を利用して、今日は予定していなかった“食事”をとり行うことにした。
 触媒を支払って人払いと認識阻害の魔法を周囲に展開すると、私は連れてきていたチャチャゼロを懐から街灯の一つの影に座らせて、光の届かない街灯の上へと跳ぶ。

 そうして、私は一人きりで桟橋を歩いてくるそのクラスメイト…綾瀬夕映へと襲いかかったのだが。

 手短に済ませるつもりが、綾瀬夕映は予想外の動きで私の初撃を避けて見せた。
 それどころか、姿を見せた私の正体を即座に看破して、今もなお私に向けて疑問を込めた視線を送ってきている。

 記憶消去の魔法を使わざるを得ないのは惜しいが、仕方あるまい。
 やはり、つまらぬ思いつきで行動するべきではなかった。

「そうだとも……だが、そんなことは、すぐに忘れる」

 微笑んで、一歩踏み出す。
 私を見ていた綾瀬夕映の表情が固まる。

 今の言葉だけで私の意図に気付いたか、悪意に敏感なのか、勘が鋭いのか。
 だが、今更遅い。

「……おやすみ、だ」

 懐の中から取り出した、魔法薬の瓶を二つ投げる。

「─────大気よ、水よ、白霧となれ」

 それが綾瀬夕映の目の前の地面へ、放物線を描いて落ちるまでの間に、魔法の構成と呪文の詠唱を済ませる。

「この者に一時の安息を───」

 『眠りの霧』の呪文、これでチェックメイトだ。
 この手の魔法は発動さえすれば回避不能、魔法障壁を持たない一般人は逃げることは出来ない。

 だが、私が呪文を発動させる一瞬前、放物線を描く魔法薬が触媒としての機能を果たす寸前に、綾瀬夕映は足を前に踏み出した。

「させませんっ!」

 背負ったバックパックを一挙動で腕から引き抜き、そのまま自分ごと回転するようにして、私が投げた魔法薬の瓶へと叩きつける。

 バックパックは硬い革製とはいえ、それだけで瓶が割れることはなく、弾かれた魔法薬は私の後方へと吹き飛ばされて湖面へと落ちていった。

「……チッ」

 舌打ちをして、私は前に踏み出す。
 目を大きく開き、呪縛に抑えられている真祖の魔力の欠片を発動させる。

 魅了の魔眼。一般人には至近距離ならば─────。

 私と綾瀬夕映の視線が合う。
 だが、次の瞬間───私の魔眼がその心を捕らえる前に、バックパックの底面が私の顔面めがけて突き出された。

「へぶわっ!!?」

 視界一杯に迫ってきたバックパックの直撃を受けて、私はフラフラと後退った。
 慣れないダメージに思わず顔を押さえる。

 くっ、鼻血は出ていないな……。

 視界の端に見えた綾瀬夕映は、すでに私に背を向けて図書館島の方へと駆け出していた。

 まさか、魔力の弱まった魔眼の力を通すために魔力障壁を一部解除したのを見破ったわけではないだろうが。

 目の前に立ちはだかった化け物相手に、迷わず足を踏み出すか。
 所詮は読書好きの小娘と甘く見ていたが、存外にやるではないか……?

 口元を歪ませて、私は地面を蹴った。
 今夜は満月だ、魔力で制御している使い魔の蝙蝠で、羽根モドキを編むくらいは出来る。
 ふわりと私の身体が浮き、夜の闇を舞った。

 走る速度はやはり遅い。
 バックパックの中に手を入れて何かを探しているようだが、見付けきれないらしく、手をその中から引き抜く様子はなかった。
 まぁ、携帯電話でどこかへ連絡したとしても、助けが到着するまでに血と記憶を奪えば全て済む。
 どうせならば、もう少しは楽しむとしよう。

 蝙蝠の羽根の形に歪めたマントを羽ばたかせて、綾瀬夕映の前に着地した。
 トン、と靴音を立てて地面に着地する。

「………逃がしはしないぞ、綾瀬夕映」

 笑みを向けると、綾瀬夕映の表情に冷たい緊張が走るのが分かる。

 弱者をいたぶる趣味はない。

 だが、私を眼前にして未だ何か策を練ろうとしている、まだ諦めている様子のない綾瀬夕映の表情を見るのはなかなか愉快だった。

 図書館島を背後にして腕を組み、綾瀬夕映を見る。

 さーて、お前の逃げようとした道は私が塞いだぞ。
 次はどう出るつもりだ?

 小さく喉を鳴らして唾を飲み込むと、綾瀬夕映は口を開いた。

「……マクダウェルさん、貴女は魔法使いですね?」

 確かめるようにゆっくりと紡がれたその質問に、私は微かに目を見開いた。

 ……正体を看破されるとは。

 しかし妙だな……何故“魔法使い”と気付いた?
 まさか、あのアホガキが自分の正体を触れ回ってるわけでもないだろうが…………念を入れて、少し探りを入れておくか。
 どうせ、今のこの会話の記憶を留めておかせるつもりはない。

「どうしてそう思う? 私を呼ぶのならば、もっと適切な呼び方があるだろうに」

 そう言って笑みを向けてやる。
 私の口元から覗いた牙に、綾瀬夕映が怯えたように一歩下がった。

「……吸血鬼……ですか?」

 震えているが、返事を返す気力はあるか。
 時折私の背後に視線が向かうのは、助けが来ないか期待しているのだろう。

 私は牙を隠して、綾瀬夕映の言葉にゆっくりと頷く。

「その通り。……だが、今、お前は私のことを“魔法使い”と呼んだな?」

 言い逃れを許すつもりはない。
 私は、強い意志を込めて綾瀬夕映を見据え、問いかけた。

「答えろ綾瀬夕映。お前は何故、私のことを“吸血鬼”ではなく“魔法使い”だと……そう思ったんだ?」

 綾瀬夕映の瞳に動揺が広がる。
 しょせん、まだまだただのガキだ、なにか知っているという顔を隠すことも出来ないか。

 しかし、どうして“魔法使い”のことを知っている?
 この様子からすると、別に深くこの世界に浸かってはいないようだから、たまたま巻き込まれた口か、それとも偶然魔法使いの正体を見破ったか?

 ……ああ、そうか、そういえば。

「それは…………」

 口ごもる綾瀬夕映を前にして、私は呆れて溜息をついた。
 この様子からして、たぶん間違いないんだろうが……なにをやってるんだあのアホガキは。

「……言いにくいなら続きを言ってやろう。……ネギ先生、だろう?」

「……………そうです」

 私が尋ねてやると、綾瀬夕映は諦めたように頷いた。
 事実だと確認すると、本当に呆れ果てて溜息が出てくる。

 この調子では、私が計画を実行する頃にはあのアホガキはとっくにオコジョ妖精にされて本国に強制送還されてるんじゃないか?
 どれくらい前に魔法使いだと知られたのかが分からないなら、今から記憶を消しても無駄だろうし、私からもフォローは不可能だ。

 いっそあのジジイにチクッてやれば気も晴れるかもしれんが、どうせ笑って済ませるだろうしな。
 全く、忌々しい。

 まぁ、ヤツがもうしばらくの間この学園に留まることができるのならば、それでいい。
 私は自分のやりたいようにやらせて貰うだけだ。

「まぁ、疑問は晴れた……あとは、お前の記憶を消せば、問題は解決だな」

 そう言って、魔法の触媒である魔法薬を懐から取り出す。
 今度はもう外すつもりはない。

「………待って下さい!」

 綾瀬夕映が手の平を向けて叫ぶ。
 止めるつもりはない……が、最後の言葉ぐらい聞いてやろうか。

 どうせ明日には今のこのやりとのことなど忘れて、また教室でいつものように顔を合わせることになるのだから。

 私の視線に促されて、綾瀬夕映は口を開いた。

「取引を……取引をしませんか?」

 僅かに目を細めて綾瀬夕映を見る。
 こいつは、冷静さを失ったわけでも保身に走ったわけでもなく、本気でこちらを相手に交渉をする気があるのだろう。
 こちらに向けた両の眼は、怯えるものでも卑しいものでもない、真剣なものだ。

 なるほど、言葉が通じる相手ならば…………か。

 だが、私を相手にするには、力不足だ。

「綾瀬夕映。……お前は勘違いをしている」

 冷たい目で見やる。
 やはり所詮はまだ子供だ、私が本気で視線を向ければ、わずかに恐れが滲み出る。

「………取引というものは、対等の相手にのみ有効なものだ」

 綾瀬夕映が私に向けた、その恐れこそが、私にとってはむしろ安堵を感じさせる感情だ。

 私にとっては、敵意の次に他者に向けられることに馴染んだ感情。
 その方が、対等と見られるよりずっといい。

「私とマクダウェルさんは、対等ではあり得ないと……!?」

 声を荒げて、綾瀬夕映が私を睨む。
 フン、現実に追い詰められているのはお前の方だろうに、どうしてそんな風に私を責めるような目で見るのか。
 私は、薄く笑みを浮かべて見せながら口を開く。

「違うさ。私は怪物で、お前は人間だ」

 そう言い捨てて、手の中の魔法薬の瓶を放る。






 その寸前に、私は、綾瀬夕映の表情に、急に安堵の色が浮かんだことに気付いた。

 その視線の先が、私ではなく、私の背後に向けられていることに。

「……なッ!?」

 振り向く。

 それすら果たせず、私は背後から襲いかかってきた黒い影に呑み込まれた。






<主人公>



 間に合ったッ!!

 尋常じゃないぐらいに感じる、嫌な予感に突き動かされ、俺は今までにないほどのスピードで俺は地上を目指した。
 今の時間が夜遅くで夕映ちゃんを一人で帰してしまったこととか、魔法使いのことを教えたせいで何かトラブルに巻き込まれたんじゃないかとか、色々と嫌な想像が浮かんでは消えて。

 そして、一階に僅かに残っていた一般生徒の視線の隙をくぐるのももどかしく、俺は入口の扉を開けて、一気に外へと飛び出していた。

 そして、橋の奥でこちらを向いて何かを言っている夕映ちゃんと、その前に立ちふさがっている三角帽子の人物…………魔法使いを見付けた。
 それを見付けたと同時に、俺はそのまま弾丸のように真っ直ぐに、夕映ちゃんを襲おうとしているらしいその魔法使いへと飛びかかっていった。

 三角帽子の魔法使いがこちらに振り返ってくる、その寸前に、俺は太い触手をしならせて一斉にその身体に巻き付ける。
 手と足、身体に太い触手を巻き付けて手足の自由を奪いつつ、引きずり込むようにして人影を俺の体の中に包み込み、細い触手でさらに細かく手足を拘束していく。

 うをぉぉぉぉぉぉっ、よっしゃ成功した!
 死ぬほど怖かったけど、やってみればなんとかなるもんだ!!

 ネギ君との対決で身に着けた経験が役に立った……要するに、例え魔法使いでも視界の外からの攻撃には対応できない!

 さらに、俺の太い触手は魔法使いがいつも張っている魔法障壁を唯一突破できる!

 俺が掴まえた魔法使いは、もの凄い勢いで暴れてるが、太い触手でしっかり拘束さえしておけば、魔法とかで弾き飛ばされる危険はない!!

 そして……普通の魔法使いは、杖や触媒の類がないと魔法を使えない!

 あとは、武器っぽいものとか道具類を取ってしまえば……!!
 俺は細い触手から普段は封印してある粘液を出して、暴れる魔法使いの身に着けている服を溶かしにかかった。

 ……って、おわあぁぁぁぁぁっ!?
 なんか服が溶けながら蝙蝠になった!!?

 慌てて触手の一部を緩めて隙間を作ると、蝙蝠は一斉に空へ羽ばたいて逃げていった。
 その下から、瓶みたいなのが複数転がり落ちる。
 俺はそれらを触手で全部キャッチすると、ぽいぽいと割らないように注意して側の地面に転がしていった。

 もそもそと捕まえた相手の体を探る。
 よし、…………他には……武器っぽいものはない。

 ふーー、あとは、夕映ちゃん帰してクウネルさん辺りを呼んで高畑先生とかにこの悪いっぽい魔法使いを引き取って貰えば……。

 あれ、でも、思ったより小さかったな?
 三角帽子のシルエットを見たときは、もう少し大きい風に見えたんだけど。
 なんかこう、凹凸からすると小さな女の子みたいだし……。

 い、いかんいかん、油断は不味い。
 ネギ先生の例もあるし、とにかく夕映ちゃんの安全が確認されるまではこれはしっかり捕まえておかないと。
 そんな風に自省していると。

「……かっ、怪物さん……あの、それはさすがに、ちょっとやり過ぎというか……そこまでするのはどうかと思うのですが……っ!」

 目の前で、一部始終を見ていた頬を赤く染めた夕映ちゃんが俺に言ってくれた。
 いや、でも魔法使いって、ちょっとでも油断するともの凄く怖いし。

「エ……エヴァンジェリンさん! 怪物さんにそれ以上ヘンなことをされたくなかったら、降伏してくださいっ! というか、した方がいいですよっ!?」



 えー。



 あーーー。



 ………。



 ぎいいいいいいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!?

 なっ、なっ、なんてもんを捕まえちゃったんだ俺!?

 しかも、服溶かした上に全身まんべんなくまさぐっちゃったよ!!?

「………………」

 うわーーーーーーい、なんか捕まえてる相手がふるふる震えてます!
 主に怒りとかで!!

 なんだか灼熱の如き怒りが俺を体内からぶち破りそうな雰囲気に!!?

 ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!

 だ、だ、誰かこれ取って!!?
 あ…足が、足が恐怖で固まって動きませんよぉおおおおおおっっ!!

「………で、これからどうするつもりだ? これ以上のヘンなこととやらをこの私にするつもりなのか? なにをしでかすつもりなんだろうなぁ……??」

 地獄の底から響いてくるような怨嗟の声に、俺の全身は一瞬で凍り付いた。
 わーーーい、エヴァンジェリンさんコンバンワ!!

 たぶん俺は今夜死にます。
 今夜無事に生きて帰れたら夕映ちゃんにプロポーズしようと思ってたんだ。
 嘘だけど。

 そうか、嫌な予感もするはずですよねー。
 今日が俺の命日だったわけですし、はははははは。

「い・つ・ま・で……くっつていている、つ・も・り・だ!!?」

 怒りのパワーが色々と真祖パワー的なものに火を点けたのか、エヴァンジェリンさんは未だに固まっていた俺の太い触手とかを自力でメキメキメキと音を立てて引き剥がしてくれた。

 数歩前に歩いてから、ゆっくりと振り返る。

 さっき俺が武装解除のために念入りに服とか溶かしたせいで、そりゃもう見事なまでに真っ白な肌が夜の闇に映え………って、エヴァンジェリンさんのそんな格好、見ちゃダメだ俺ッ!!

 なんて思って慌てて触手で目を閉じようとしたのとほぼ同時に、俺の視界いっぱいにエヴァンジェリンさんの手刀が迫ってきました。

 もの凄い勢いです。これは間違いなく貫通する。

 あ、死んだ。






<夕映>



 …………えぇと。

 なんだか取り残したような気持ちで、マクダウェルさんと怪物さんの方に手を伸ばした。

 だけど、伸ばした手をふらふらと彷徨わせても、具体的にどうやってお二人を止めればいいのか見当も付かず、なんだかただ手を振っているだけになってしまう。

 ど……どうしたものでしょうか……。

 怪物さんの目にいきなり手刀を突き入れたマクダウェルさんは、さらに痛そうにジタバタもがいている怪物さんを凄い勢いで蹴り倒してしまいました。

 今は、怪物さんの上に乗ったマクダウェルさんんが、激しくその足とか目とか付近に踏みつけ攻撃を繰り返しています。
 エヴァンジェリンさんは靴まで溶かされてしまったらしく、その足は真っ白な素足です。

「クハハハハハハハハハッ! 少しは反省したかこのエロナメクジがッッ!!!」

 なんだかヘンなツボに入ってしまったのか、怪物さんを踏みながらマクダウェルさんは高らかに哄笑を上げていて、それはもう楽しそうになさっています。

《ごめんなさいー》

 怪物さんは、いつの間に書いたのか、以前に私が差し上げたホワイトボードを触手の一本で持ち、パタパタとメッセージの書いたそれを振っていました。

 えぇと……なんというか、もの凄く声をかけづらい雰囲気です。

 と、止めた方がいい……いいんですか?

 なんだか、マクダウェルさんの言葉から察するに、怪物さんと彼女は知り合いだったようですし、そう考えるとじゃれ合いとも見える気もしますが。
 いえ、全然じゃれ合いには見えません。
 というか、怪物さんって私が考えた以上に不死身だったんですね……なんというか、火炎放射器程度でどうにかしようと思っていた自分の甘さを見せつけられたというか、そもそもマクダウェルさん明らかにやりすぎですよというか……。

 ああああああああっっ、怪物さんの目が潰れてもの凄いことにッ!?

 マ、マクダウェルさんーーっっ!!?

 目の前の惨状に思わず一歩足を踏み出すと、マクダウェルさんは私のことをやっと思いだしたかのように、チラリと私に視線を向けました。
 興が削がれたとでもいう風に、とてもつまらなさそうな表情で私に向けて口を開きます。

「………それで、お前が口にしていた取引というのはなんだ?」

 それは、私にとっては予想外の言葉だったというか。

「……え?」

 怪物さんとマクダウェルさんが知り合いだった時点で、私の優勢は完全に崩れたのだと思っていたので、意外すぎる言葉でした。
 思わぬ展開に惚けている私に、マクダウェルさんは言葉を続けます。

「今、私とお前は対等だ。……いや、私の方が不利といっても良い。このエロ魔物を呼ぶ時間をお前が稼いだのは事実だし、このエロ魔物の記憶を私は消すことができん。忌々しいエロ魔物だが、今の私の魔力では逃げに徹されれば殺しきれんのも事実だこのエロ魔物め」

 あの、エロ魔物と言うたびにマクダウェルさんが思いっきり怪物さん踏んでるのが、むしろ取引の話より凄く気になるんですが……。

 しかも、踏まれるたびに凄い勢いでリズミカルに跳ねてるんですが怪物さんが……!?

 い、いえ、ご本人も反省的な意味でそうされてるみたいですし、私から止めるように言うのは良くないですね…………さすがに少し私もどうかと思いましたし。

 先ほどのマクダウェルさんに怪物さんが襲いかかった時の、目の前で展開されたもの凄い光景を思い出してしまって、頬が熱くなる。あれは、なんというか、まだ18歳未満である私には刺激が強すぎたというか……。

 あぅぅぅぅぅぅぅ、くっ、私を助けるために頑張ってくださったというのに、なんというか、怪物さんを見る目が変わってしまいそうな……。
 いやいやいやいや! 今はそーいうことを思い出している場合じゃないです!!

「………そっ、それでっ、マクダウェルさんは、私の取引に応じる、と?」

 私が慌てて口を開くと、ちょっと怪物さんを踏むのに夢中になっていたっぽいマクダウェルさんがこちらを向いて答えてくれました。
 うぅぅぅぅ、怪物さん、なんだかとっても死んじゃいそうなんですが……。

「そうだな……それが、私の望みを阻まないものならば応えてやる」

 怪物さんの上から降りて、マクダウェルさんがこちらに近付く。

 えっと、怪物さんがぐにょりと横になってしまいましたが、とりあえず今は忘れることにさせて貰います。

 私は、未だにマクダウェルさんが何も身に着けていないのを思い出して、慌てて上着を脱いでそれを差し出しました。

 いくら同性である私でも、彼女の白い素肌を間近で見るのは気恥ずかしくて、目を逸らしてしまう。

 ……というか怪物さんの緑色の返り血で凄いことになってます。
 いかなる理由か、すぐに怪物さんの血は蒸発するみたいですから、気にはならないのでしょうけど、別の意味で正視できない状態というか……。

「ああ……そういえばそうだったな」

 当のマクダウェルさんはすっかり自分の格好を忘れていたらしい様子で、私に礼を言うことなく当然のように上着を羽織りました。
 それはそれで際どい格好になってしまいましたが、これでちゃんと正面から話が出来ます。

「え、えぇと……取引というのは、マクダウェルさんの当初の目的が、私の血を狙ったもの……としたらの話なのですが、これは間違いないですか?」

 念のために確認する。
 マクダウェルさんは特に面白くもなさそうに私の質問に頷いた。

「そうだ。……それで?」

 続きを促されて、私は話を続ける。

「…………私がマクダウェルさんに血液を定期的に提供するならば、夜中に生徒を襲うようなリスクのある行為を繰り返す必要はないと思うのですが、どうでしょうか?」

 例え魔法使いといえども、この麻帆良学園の中で何度も生徒を襲うような行為は決してノーリスクではないはずだ。
 事実、私はこうしてまだ抵抗しているのだから。
 それに、この行為を突発的に一人で行っている可能性が高いことからも、麻帆良学園が組織ぐるみでこの吸血行為を許している可能性は低いはずだ。

 私の推測通り、マクダウェルさんは薄い笑みを浮かべて頷いてくれる。

「その通りだな。…………だか、それは私の都合であってお前のものではない。それだけでは取引とは呼べないだろう?」

 その言葉に、私は喉を鳴らして唾を飲み込む。
 この先が、私がこの事態に陥って、追いすがる彼女の手から必死に逃げながらも、頭の端でずっと考えていたことだった。

 この状況は、私にとってまたとないチャンスでもあると。

「その代償に、私に魔法使いのことを…………いえ、魔法を……教えてください」

 マクダウェルさんが魔法使いなら。

 ネギ先生とも同じ、魔法使いの世界のことを知っていて、魔法を教えてくれる可能性の一つなのですから。
 私にとっては、彼女が向こうから遭遇してきたことは、私の目的を果たすためのチャンスでもある筈です。

 目の前で、マクダウェルさんの目が細く窄められる。
 それは、私の中にまだ残っている恐怖心を見透かそうとしているようでした。

「何故だ?」

 酷く冷たい言葉に、心臓を鷲掴みにされたような感覚に囚われる。
 それでも、私は怯まずに答えた。

「知りたいからです」

 単純な理由だった。
 限界まで、私の動機を切りつめれば、結局それだけのことだと思う。
 だけど、嘘で飾った言葉がマクダウェルさんに通じるとはとても思えなかった。

「ふむ、シンプルな理由だな。……だが、納得のいくものでもある」

 そう言って、どこか意地の悪い笑みを浮かべると、マクダウェルさんは手の平を上げた、指を三本立てて。

「……ひとつ、魔法使いのことをこれ以上誰にも伝えてはならない。ふたつ、私から魔法を教わることを誰にも伝えてはならない。みっつ……弟子となるのならば、私を師匠(マスター)と呼び、永遠の忠誠を誓え」

 二番目までは当然予想していましたが。
 え、永遠の忠誠……とは、さすが魔法使いというか、さすがに予想外です……。

 まさかとは思いますが……なにか、ヘンな要求とかされないですよね?

「……………おい、なんだその目は。師匠が弟子の言葉を聞くのは当然のことだぞ? 嫌ならば魔法のことなど諦めてさっさと家に帰って寝ろ」

 私の視線に気付いたマクダウェルさんが、目を半眼にして手の甲をパタパタと振り、しっしっと野良犬をはね除けるような仕草をしました。
 そのいい加減な仕草は、私が拒否すれば取引のことを無にして家に帰してもいいという意思表示でしょうか。
 それは、ネギ先生と同じく、一般人を魔法使いの世界には気軽に入ってこさせたくないと考えているようにもとれます。

 それに、もう本気で記憶を消すつもりもないようです。
 約束は守る……ということですか。

 私は、口元を引き結んで、マクダウェルさんを見据える。

「………分かりました。これからよろしくお願いします、師匠」

 そう言ってから、私は深く頭を下げた。
 ゆっくりと顔を上げると、マクダウェルさんが少し意外そうな顔で私を見ている。

「フン、本気ということか? ……まぁ、いいだろう」

 片方の口元を歪ませて、マクダウェルさんが笑う。
 剥き出しになった牙がとても白かった。

「…………では、手付けを貰うぞ」

 そう言って近付いてくるマクダウェルさんに、私は一瞬身体がすくむのを感じましたが。
 覚悟を決めて、服の襟元のボタンを二つ外して、自分の首筋を露わにしました。

 静かに近付いたマクダウェルさんが、私の身体を両の手で抱きすくめて。

 そして、首筋にマクダウェルさんの牙が突き立てられる。

 淡い痛みに、私は微かに声を漏らした。





 ………その瞬間、マクダウェルさんの肩越しに、恥ずかしそうに慌ててそっぽを向く怪物さんを見付けてしまってとても微妙な気持ちになったのはこの際忘れることにするです。

 いえ、見てないよ〜、みたいなジェスチャーをされても困るのですが。









つづく