第26話 「魔法使いの弟子」<主人公> 図書館島の最深部にある、無数に張り出した世界樹の根に支えられている巨大な大空洞の最上部。空洞の中に突き出された石の台座がドラゴンさんの食事のためのスペースである。 この大空洞の底がどうなっているのかは知らないが、まぁ、ドラゴンさんが守っているぐらいだからきっと伝説の勇者の装備か眠れる大魔王のどっちかが封印されてるんだろう。 俺はどっちにも興味ないので、わざわざ底まで降りたこと無いけど。 俺がカラカラと骨付き肉の入った台車を引きながら石台に到着すると、どうやって察知したのか、大空洞の底の方からバサリバサリと音を立ててドラゴンさんが飛んできた。 石台はこの怪獣映画もかくやという巨大なドラゴンさんには狭い場所なのだが、器用に翼を畳みながら、俺の目の前に二本の脚で着地する。 「ギャャャオオオオオゥゥゥゥゥッッッ!!」 高らかに咆吼を上げるドラゴンさんに、触手を一本上げて挨拶。 気合いの入った挨拶に対してジェスチャーしか返せない自分がちょっと悲しいが、字が読めないドラゴンさんにホワイトボード見せてもしょうがないしなぁ。 そんなことを自省する暇もなく、ドラゴンさんが鼻先で俺をつついた。 なんだか、いつぞやのネギ君製作の違法凶悪魔法薬事件の後から、妙にドラゴンさんが俺に馴れてくれたような気がする。 いや、前と同じく普通に噛んでくるし、別に俺を後ろ足で掴まえてからヤスリの如き勢いで頬ずりしてくるわけじゃないけどね? 俺は、ドラゴンさんに押されて倒れそうになりながらも、なんとか踏ん張って耐えつつ、鼻先を軽く触手で撫でて、台車についている鉄のカバーをガシャガシャと開けた。 ドラゴンさんは、食事が出てくるまでは首を上げて行儀良く待ってくれる。 ほーら、ゴハンだよーーーーー。 伸ばした触手の先っぽにいつもの骨付きお肉をつかんでドラゴンさんへと伸ばす。 「ギャゥッ!!」 裁断機を100倍凶悪にしたかの如きドラゴンさんの牙が骨付き肉を噛み潰すのは、俺が慌てて触手を引っ込めた一瞬後のことだった。 ちょっと不服そうな目でこちらをギョロリと睨みながらも、首を少し持ち上げて、顎を閉じたまま低く唸るドラゴンさん。 最初に餌をあげた時はよく分からなかったが、唸り声と共に鼻の穴と口の端から溢れ出る炎からして、噛み潰したお肉を口の中でセルフ調理しているらしい。 何やら美味しそうな匂いがしたところで、ドラゴンさんはガッシュガッシュという、もはや破砕音としか呼べないような音を立ててお肉を咀嚼していく。 しかし、今日はそこからの反応が違った。 「ウゥゥゥゥゥゥゥ……」 微かに首を傾げて唸ると、ドラゴンさんが咀嚼するスピードは、いつもよりもずっと緩やかなものなっていく。 そう、まるでよく味わっているかのように。 そして、いつもより長い回数の咀嚼を終えてから、ドラゴンさんは名残惜しげに巨大な舌で自分の口の周りをベロリと舐めた。 ふふふふふふ………やはり、やはり美味しかったかッ!! 今日のお肉は、俺もかつて人間の肉体だったときは何度もお世話になった、ある意味、究極の調味料の一つとも言える調味料が使われているのだ! その名も、焼肉のタレ──────黄金の味ッッ!! 「ギャオオォゥゥゥゥゥゥッッ!!!」 はいはい、もう一本あるからねー。 慌ててお代わりの骨付き肉を、にゅっと触手を伸ばそうとしたら、今度は触手を伸ばす途中でいきなり丸ごと食われました。 うをぅぅっ!? わーー、ビックリしました。っつーかちょっと痛い。 そこまで美味かったのか、焼肉のタレ。 いや、人間が美味しいんだからもしかしたら爬虫類なドラゴンさんでも美味しいのかなーと思って仕込んでみたんですが、まさかここまで大ウケするとは。 味覚とか一体どーなってるんだろう。 ちゃんと自分の触手が無事に再生したのを見届けてからドラゴンさんを見ると、あっという間に食べてしまって、再びベロで口の周りを舐めているところでした。 「グルルルル……ギャオオォゥゥゥゥゥゥッッ!!!」 ええっ、もう一本ッスか!? いつもは二本でだいたい満足しちゃうのに……っ!! 仕方なく、新しい骨付き肉を触手でつかんで差し出すと……ドラゴンさんは、噛みつこうとしたところで一度首を引っ込めて、鼻先で匂いを嗅いだ。 「ガウゥゥゥゥゥゥゥッッ!!」 怒りの咆吼を上げるドラゴンさん。 うをおぅっ、まさか食べる前にバレるとはっ!!? 俺は、骨付き肉を一旦引っ込めて、お肉の入った台車のカバーを開いて見せる。 ドラゴンさんがその中の匂いを嗅いだのを見届けてから、もう一度触手に掴んだ骨付き肉をドラゴンさんに向けてゆっくり左右に振る。 ドラゴンさん、すまない……もう、無いんだ。 キッチンに置いてあった買いおきの焼肉のタレはたった一本……ドラゴンさんの餌であるビッグサイズな骨付き肉に使うには、あまりにも量が少なすぎたのである。 そして、買い物に行けない俺にとって、焼肉のタレの補充は事実上不可能……つまり、あの二本が俺に作れる最初で最後の焼肉のタレつき骨付き肉だったのだ。 俺の心が通じたのか、ドラゴンさんは首を項垂れさせて小さく唸る。 俺が触手で差し出していた焼肉のタレのついていない骨付き肉をカプリとくわえると、翼をバサリと羽ばたかせて石台から飛び立っていった。 いつものように、石台から触手をふらふらと振って別れを告げる俺。 「ギャオオオオオオオオオオオゥゥゥッ!!」 ドラゴンさんは、去り際に一度だけ、高く鋭い鳴き声を返してくれた。 お代わりがなかったので少し機嫌が悪くなってたみたいだけど、やっぱり美味しい食べ物はそれなりに感謝されたようである。 こんな地底の底じゃやることなくて暇だろうし、ゴハンは数少ない楽しみなんだろう。 うーん、どーにかして焼肉のタレをたくさん手に入れてあげないとなぁ。 ドラゴンさんの翼が羽ばたく音が地の底へと消えるのを待ってから、俺は骨付き肉を運ぶ台車のカバーを閉じて、後片付けを始めた。 台車の底に置いている大きい雑巾数枚で、石台の上をあらかた拭き取る。 肉汁とかドラゴンさんの唾液とかをそのままにしておくと匂いの元になるので、気を付けないといけないのだ。 最初の内にはこの辺を甘く見ていたので掃除が大変だったので、今はこの辺は特に気を配るようにしている。 一応、ここも図書館の中に入るらしいし、やはり清潔に保たないといけないし。 さすがにここまで来ると本棚とかもないんだけどね。 ごしごしと石床を拭いていく。 掃除は丸く雑に拭いてはいけない、四角く隅々まで拭き取るのだ!! 「…………精が出ますねぇ」 そんな感じで触手数本による同時作業で石床を拭いていたら、いつものごとく唐突に、クウネルさんの声が聞こえた。 最近耳が良くなったのでよく分かるようになったのだが、クウネルさんが出てくるとき、クウネルさんは本気でその場所に唐突に出現している。 ちょっと前は姿を透明にしてるとかじゃないかと疑っていたんだけど、やっぱり本格的なワープだったらしい。 エヴァンジェリンさんはワープとかしないので、実はクウネルさんってもの凄い魔法使いなんじゃないだろうか。 まぁ、俺にはあんまり関係ないんだけど。 ちょっと失礼かなーと思いつつも、掃除の手を休めないままに細い触手の方でホワイトボードにメッセージを書いてクウネルさんにお見せする。 《おはようございます》 今は昼間なんだけど、ギリギリこの挨拶の方が正しい気がしたのでそう書いた。 クウネルさんはいつもの穏やかな笑顔で応えてくれる。 「えぇ、おはようごさいます。お久しぶり……ですね?」 おお、そーいえば二日ぶりかー。 前に会ったときはネギ君&明日菜ちゃん襲撃事件の翌日だったから……って、その後にクウネルさんが出てきてたの思い出したよ!? この人、俺がネギ君の違法毒物で地獄の苦しみを味あわされた後で、やけに爽やかな笑顔と共に出てきてたじゃないかッ!! 俺がホワイトボードに抗議文を書いて見せると、クウネルさんはさすがにいつもの笑みを少しすまなさそうなものにして、頬を指先で掻きながら答えてくれた。 「……あの件は申し訳ありません。止めたいと思ってはいたのですが、人目のある場所に私は出れませんし、ドラゴンを止めるのは私にもちょっと難しいんです」 あーー、そりゃそうかーーー。 いや、ドラゴンさんはなんとか出来たんじゃないかと突っ込みたいんだけど、ドラゴンさんの件はあんまり精神的ダメージは無かったのでもういいし。 ネギ君達とかエヴァさんとか高畑先生とかを止めに入ったら、運が悪いとクウネルさんの存在がバレちゃうもんなぁ。 「あと、あまりにも面白すぎる光景だったので止めるのが惜しくて……」 いえ、クウネルさん顔を手で覆いながら問題発言しないで下さい。 肩が震えているのって絶対思い出し笑いですよね!? まぁ、クウネルさんの性格がこんなんなのは薄々とは分かっていたことだし、本当にシャレにならない事態になればきっと助けてくれたんだと思おう。 そーいえば、以前に聞きたかった質問をしてなかったのを思い出して、俺はホワイトボードにスラスラとメッセージを書いてクウネルさんにお見せした。 《ネギ君って、どういう子か知ってますか?》 俺の見せたホワイトボードのメッセージに、クウネルさんは顔を手で覆うって肩を震わすのを止め、静かに目を細めた。 おお、なんか知ってるっぽいリアクション。当てずっぽうだったのに。 「ふむ……知っていますが、面識はありません」 おお、予想以上に意味ありげな答えだった。 この言い方からして、ネギ君って実はかなり有名人なのか? やっぱり魔法使いの世界でも、子供が教師してるっていうのは斬新過ぎるのだろうか? 「もちろん、彼にも私のことは秘密ですよ?」 俺の疑問を余所に、クウネルさんは笑顔で言葉を終えた。 いつものことなので、体全体を前に傾げて頷いておく。 事実、今まで誰にもクウネルさんのことについて話した事なんてないし。 しかし、魔法の秘匿とかそういう話においては、クウネルさんの右に出る者はいないんじゃないだろうか。 なにしろ存在レベルで秘密なんだから。 俺が思わず変なところに感心していると、俺がいつも身に着けている緊急用救命セットの入ったバックの中で、澄んだ鐘の音が鳴った。 “チリンッチリンッチリンッ” おぅ? まだ昼間なのに何故? あー、そーいえば、なんとなく先日が土曜だったとか聞いたような憶えがあるし、もしかして今日は日曜だったのか。 「デートのお誘いのようですね? それでは、私は邪魔にならないようにこれで失礼するとしましょう」 なんだかアレな発言を残しつつ、クウネルさんはいつものように空気に溶けるようにその場から消えてしまう。 相変わらず見事な消えっぷりだなー。 でも、別れの挨拶くらいさせて欲しかったです。 あと、デートとか言ったら本人きっとショックで落ち込んじゃいますから。 俺は触手の奥深くにしまってあるバックを引き出して、その中から銀色のハンドベルを出した。 細い触手で掴んだそれを、軽く三回振る。 夕映ちゃんに届け〜……。 我ながらいい加減な念じ方なのだが、ネギ君から頂いた霊験あらたかなこのハンドベルは、しっかりと俺の念を汲み取ってくれた。 つまりは、何の音もせずに、ただ三回振られるだけ。 鳴るはずの鈴の音は、きっと図書館島の中でも地下空洞よりずっと上にある、地下三階層で待っている夕映ちゃんまで届いたのだろう。 俺はそのことに満足して、ハンドベルを救命セット入りのバックの中に片付けた。 バックを触手の根っこの方に結び直して落とさないように固定する。 さてさて、待っている夕映ちゃんを迎えに行かなければ。 カラカラカラ〜とお肉入りの台車を押しながら、俺はぺたぺたいつもより急ぎ気味に石床を這って、誰もいなくなった地下大空洞から立ち去る。 “チリンッ” 俺を急かすように、澄んだ鈴の音がもう一度だけ鳴った。 <夕映> 怪物さんの触手に掴んで貰い、降りてきたのは地底図書館。 幻とまで言われたこの場所にあっさりと到達できる自分の境遇は、本来ならば幸運と呼ぶべきなのでしょうが、なにかしら釈然としないものを感じるのもまた事実です。 図書館探検部の先輩達から聞いた噂の通り、地底なのに暖かい光に満ちていて、数々の希少本に溢れた本棚が無数に乱立する、本好きにとっての楽園。 この図書館を見て生きて帰ったものがいないという伝説は、外れでしたが。 地底図書館では、すでにマクダウェルさん……師匠が、砂浜の端に置かれた白いテーブルセットに腰掛け、手持ちぶさたな様子で私を待っていました。 怪物さんに砂浜で下ろして貰って、一礼。 頑張れというように触手をパタパタと振ってくれる怪物さんを背にして、私は師匠の側まで行って、まず小さく頭を下げました。 「師匠、遅くなってすいませんでした。本日から魔法の修行、よろしくお願いいたします」 そして改めて深々と頭を下げてから、しばらく待ち、下げていた頭を上げます。 顔を上げた私に、師匠は笑みを深くして答えました。 「よかろう、綾瀬夕映。今日この瞬間から、貴様を我が弟子、我が配下の一人として認めよう」 まるで、無数の配下の上に君臨する悪の女王のような悠然とした佇まいで……と言っては、本人に失礼かも知れませんが。 師匠が口にした言葉は驚くほど自然で、私は改めて、つい先日まではただのクラスメイトだと思っていた彼女が年経た吸血鬼であり、同時に偉大な魔法使いであるという事実を実感したのです。 というか、配下とか言われてるのはちょっと突っ込みたいのですが。 とはいえ、弟子に入るときに師匠に絶対服従を誓ったのは事実ですから、ここは大人しく従うべきですね。 こういう時の返事といったら……。 「…………あ、ありがたき幸せです〜」 私の言葉に、しばらくなんとも言えない静寂が落ちた。 師匠が少し頬を赤くして私から目を逸らす。 「……いや、そこまで畏まらんでもいいぞ?」 あぅぅぅぅっ、そんなこと言われると、言った方も恥ずかしくなってくるです!? 私は慌てて前言のミスを言い繕おうと口を開く。 「そ、そうですか……で、ですが、弟子として認めて貰えたのは感謝していますし、その、配下という言葉もマクダウェルさんに親しい者として認知して頂けたという意味だと捉えれば、とても嬉しいことですしそういう意味でありがたいですというか、えぇと、幸せというか……そ、そんな感じでですねっ!?」 「わ、分かった分かった、分かったから落ち着けっ!!」 椅子から立ち上がった師匠が慌てて止めに入って、しばしお互い休止。 なんだか無駄に疲れた気がするです。 「………とりあえず、弟子入りの件は了承とするということで分かったな? さっき思わず先に照れたのは私が悪かったから、落ち着いて話を聞け」 「は、はいです……」 うぅ、なんだか情けない。 平常心、平常心を保つです……っ! すー、はー。すー、はー。 私が深呼吸を二度ほどして、やっと落ち着いたのを見ると、師匠も一度溜息をついてから椅子にストンと腰掛けて私に向き直ります。 そして椅子に背を深く預けてゆっくりと足を組み、口を開きました。 「さて、まずは最初の質問だが。お前は魔法を学びたいと言ったが…………まず、お前にとっての魔法というもののイメージを言ってみろ」 少し薄く細められた目には、探るような楽しげな色が見えます。 テーブルを挟んで正面の椅子に座った私は、その問いの答えよりも先に、問いかけの意図を考えてしまうです。 簡単に考えれば、この問いかけの答えには、私が師匠から教えて貰いたい魔法を口にするのがベストでしょうけれど、それ以外の意図も考えるべきか、とか。 ……む、こういう癖は哲学部などに属しているが故の性でしょうか。 私はあまり深く考えるのを止めて正直にイメージを思い浮かべ、多少恥ずかしい気がするものまで混ざってしまったそのイメージに、多少修正を加えてから口にしました。 「……ホウキで空を飛んだり、心の中に語りかけたり、杖の一振りで遠くのものを動かしたり、何もないところから火を放ったり、モンスターを呼び出したり……そんな風なものです」 一瞬、服が脱げたり、とか口にしそうになってしまって、慌てて止めます。 どちらかというと、アレはイメージというよりトラウマです。 「なるほど、いかにもな解答だな。お前のイメージ通り、それらは全て魔法を用いることで実現させることが出来る」 師匠が、軽く上げた指先を小さく振る。 指の先に淡い光が集まったと思うと、それはオレンジ色の光と変わり、最後にそれは細く燃える炎となりました。 ………本当に、まぎれもなく魔法です。 「……こんな風にな?」 口の端に笑みを浮かべてそう言うと、師匠は指先を軽く振りました。 その瞬間、炎は矢となって、オレンジの軌跡を残して飛んでいき──── こっそりこちらを伺っていた怪物さんの触手の先にぶつかって、激しく火花を散らします。 怪物さんは、驚いた様子で慌てて触手を振って火を消しました。 驚いたことに、結構な火花が出ていたはずなのに火傷の痕も残っていません。 「オイ化け物、ボーッと突っ立ってるぐらいなら、上の方に行って探してくるように言っていた本でも取ってこい!」 し、師匠、さすがに横暴が過ぎるような……。 しかし、怪物さんの方は気にもしていないのか、抗議をホワイトボードに書いたりもせずに、小さく触手を振ってからペタペタとその場を離れていきます。 そのまま、まっすぐに壁面の方に這っていってしまいました。 ペタペタペタと壁を垂直に這い登って行く姿が果てしなくシュールです。 えぇと、こういう状況に馴れて……るんでしょうか? 思わず上げた手を左右に振ってみると、怪物さんも壁を登りつつ器用にパタパタ振り返してくれましたし。 でも、さすがに今のはどうかと思うです。 私は地底図書館から怪物さんの姿が消えるのを見送ってから、おそるおそる師匠に進言することにしました。 「あの、師匠に対して差し出がましい言葉だと思うですが……怪物さんに突然火を放ったりするのは、あまりにも可哀相というか……」 私の言葉に、師匠はそっぽを向いてしまいます。 「フン、見たいなら見たいとはっきり言えばいいモノを、さっきからこそこそといやらしい目でジロジロ人の授業を眺めているからだ」 うぅ、一昨日の夜の件をまだ恨んでるのでしょうか。 確かにアレは不幸な事故で片付けるには余りにもあんまりな惨事でしたし、しょうがないと言えばしょうがないのですが…………うぅ、どうしたものでしょうか。 さすがに私としてもフォローの言葉が思いつかないです。 というか、フォローしようとあの光景を思い出しただけで、頭の中が真っ白になって言葉が出なくなるというか……あぅぅぅぅぅぅぅ。。 「……ヤツのことはいい、魔法の話に戻るぞ」 「は、はい!」 慌てて居住まいを正す。 怪物さんの件は後でご本人も交えて話すとしても、教えて貰う立場でいい加減な態度をとることは出来ません。 一言一句を漏らさず聞きとらなければ! 「まず、座学についてだが…………お前のようなタイプは独学でも問題ないだろうし、私からいちいち授業などしてやるつもりはない。こいつを読んで頭に叩き込め」 そう言って、師匠がテーブルに置いていた一冊の本を指先で叩く。 誰かが使っていたものなのか、少し紙が傷んでいるその古い本は…………。 ……題名が英語なので読めないです。 「……あの、この本は……英語版しかないのでしょうか……?」 本の中身を開いてみると日本語でした、などというのは甘い考えは通じないでしょう。 もしかしたらと思い、最後の願いを込めて師匠に聞いてみましたが。 「これは魔法使いの学院で使われる初級の魔術教本だ。私の弟子を名乗るものが、10歳のガキでも読めるようなものを、自分は読めませんなどと情けないことを口にするなよ?」 逆にもの凄い目で睨まれました。 むむ……英語版の本と言うのも何時か読めるようになりたいと思っていましたし、魔法の修行の一環と考えればそれほど苦痛ではないです。 今までは翻訳する過程に無駄を感じるので外国語の本は嫌っていましたが、選択肢が無いというのならば、知識を受ける選択肢を増やすためと割り切るとしましょう。 なにより……この地底図書館に置かれている希少本の数々がほとんど外国語で書かれているために読むことが出来ないと言う事実は、私にとって腹立たしいことの一つなのです。 「分かりました。自力で読んで、しっかり頭に叩き込むです」 しっかりと頷くと、師匠は楽しげに笑った。 「そうでなければな………なぁに、英語を完璧にマスターしたらその次が幾らでもある。最終的にはラテン語や古典ギリシア語まで憶えて貰う予定だからな?」 はぅぅぅーーっ!? 予想していたものより、ずっと大変な修行になりそうな予感が……。 い、いえ、この程度でへこたれるつもりはないです! 多少想定していた方向性と違う気がしますが、それでも魔法を修得する道のりが険しいことは覚悟していたのですから!! 「……望むところですっ!」 私の宣言に、師匠が喉を鳴らして笑った。 「まぁ、そういうのはまだ先でいい。お前には早めに役に立って貰うつもりだからな……基礎的な魔法を使えるように“実践的な”修行をメインにしてやろう」 師匠が浮かべた猛禽のような笑みに、私は微妙に口の端を引きつらせた。 うぅぅぅ、なんだか盛大に選択肢を間違えたような予感がひしひしとするのですが!? し、しかし、こういった弟子を挑発するような態度こそが、師匠の基本的な修行のスタイルなのではないでしょうか? むしろ付いてこない者をふるい落とすくらいの心構えでなければ教えられないほど、一般人が魔法を修得するのは困難であると考えた方が自然というもの。 そもそも狭き門であることを覚悟して師匠に弟子入りしたのですから、むしろ幸運の助けが必要でない修行の厳しさなど、越えられないわけがありません! つまり、ここで引くわけにはいかないですっ!! 「…………の、望むところでふぃっ!?」 「……舌噛んだぞ」 オイオイ、という目で師匠が見ているのを感じながら、私はうずくまって口を押さえました。 うぅ、良かった、舌は切れてないです。 <エヴァンジェリン> 「あぅぅぅぅぅぅぅ、目が、目が回るです〜〜〜…………」 修行開始からたっぷり4時間。 綾瀬夕映は目をグルグルと回しながら砂浜に転がっていた。 その側で淡く輝きを放っているのは、魔力を集積して循環させる魔法陣。 世界樹の根から放たれる魔力を集めたこの魔法陣の中でなら、常人でも魔力を感じとることが出来る……というか、感じざるを得ないはずだ。 綾瀬夕映には、まず修行の最初の段階として、この中で基本中の基本である“火を灯す”魔法を使わせようとしたのだが。 結局、4時間ほど延々と初心者用の杖を振り回して呪文を詠唱していただけで、最後には魔法陣の中を巡っている魔力にあてられて倒れる羽目になったわけだ まぁ、根性は認めよう。 才能はないが。 私は、読みかけの本をテーブルに置いて、修行の終わりを告げた。 「…………今日はこれで終わりだ、これ以上やればお前の体に悪いからな」 魔力を使いこなせないままに、魔力の供給を行っても毒にしかならない。 これだけ鍛錬を試みて、鍛えられたのが呪文詠唱を続けた喉と、杖を振り回していた左腕だけというのはさすがに悪かったと思うが。 どうやら、予想以上に綾瀬夕映は魔法の感覚をつかみ制御する才能がない。 次の修行方法を考える必要があるな、これは。 「……見ていろ」 そう言って、私は綾瀬夕映の側で輝き続けている魔法陣の端に、手にした初心者用の魔法の杖を当てた。 「魔法陣というものは、例えこんな棒きれで砂浜に書かれたような魔法陣でも、陣から形成される魔力が安定した後はそう簡単に消えない」 言ってから、目を回していた綾瀬夕映を見る。 ふむ、まだふらついているようだが、ちゃんと顔を上げてこちらを見ているな……。 少しでも知識を吸収してやろうというその心意気は買ってやろう。 「……だから、魔法陣を消すときには、普通は魔法陣を維持している魔力の流れを意図的に崩すことでその効果を失わせる方法を使う」 そう言って、杖で魔法陣の端に触れる。 魔法陣は一瞬不規則な明滅を繰り返してから、最後に強く輝いて自壊した。 私が棒きれで描いた砂の線も、自壊の瞬間に生まれた一陣の風に吹かれてあっさりと崩れ去り、その場に何も残らない。 綾瀬夕映に視線を移すと、なんとか砂浜に半身を起こしてメモを熱心にとっている。 ……まぁ、そのやり方も分からないではないが。 「綾瀬夕映、少しは何か掴めたか?」 テーブルに手にした初心者用の杖を戻しながら問うと、綾瀬夕映は驚いたように視線を私に向けて、すぐにその視線をまたメモ帳の中に落とした。 そして数秒ほどしてから、ようやく口を開く。 「…………何も分からなかったです」 視線を落としたまま悔しげに口を引き結んだ表情は、諦めたものの目ではない。 ただ、どうしようもない理不尽に立ち向かえないのが悔しいのだろう。 なるほど、根性は認めよう。 「魔力の制御は感覚で掴むモノだ。そう一日やそこらで掴めるものではないが、長い時間繰り返していくうちにいつかは身体が覚えるだろう」 慰めではない。元々これはそういう訓練なのだから。 まぁ、綾瀬夕映の魔法に関する才能が貧弱であることには間違いない。 「魔法は技術だ。才能は努力で埋めることが出来るし、知恵よりも知識が有効に働くこともある。お前のやり方は無駄ではないぞ、綾瀬夕映」 私の言葉に、顔を伏せていた綾瀬夕映が顔を上げる。 ……別に、優しい言葉をかけたつもりはない、私は事実を口にしただけだ。 それに、一度弟子だと認めた以上、この程度の訓練で潰れてもらっては困るからな。 ただの酔狂や時間潰しで弟子をとったわけではないのだ。 「……お前に渡した初心者用の杖と、魔法の教本はくれてやる。教本はどこでも読めるし、魔力の濃いこの地底図書館でならば魔法の訓練をする場所には最適だろう」 私の言葉に、綾瀬夕映は立ち上がり、背筋を伸ばしてから頷いた。 「はいっ!」 ……ふん、青いな。 だが、コイツは間違いなく魔法を修得するまで訓練を止めないだろう。 綾瀬夕映は、自分自身がそうだと思っているよりもずっと愚直で、だからこそ時として手段を選ばないほどの執念を見せる。 ──────だからこそ気に入ったのだ。 《お茶が入りましたよ〜》 「あ、ありがとうございます! 師匠、ご馳走になりましょう!」 …………いや、せっかく人が浸っているときに、気の抜けるメッセージ入りのホワイトボード揺らしながら目の前をペッタペッタと這い回るなと言いたいんだが。 三つのカップとポットの乗せられた木製の盆をやたら器用に触手一本で支える化け物を見て脱力しつつ、私は溜息を一つ吐いた。 どうも、この化け物が近くにいると調子が狂う。 「……まぁ、いい。今日のはちゃんと葉を選んでるんだろうな?」 私の問いに、怪物がもちろんですとでもいうように触手の先を左右に揺らした。 ……生意気な。 化け物となにやら談笑しつつ先に歩いていく綾瀬夕映の後について、私はいつもの白いテーブルセットへと向かった。 まぁ、しばらくは地味な修行だ、のんびりやるのもいいだろう。 もうしばらく、時間はあるのだから。 |