第5話 「吸血少女対話編」





<主人公>



 平穏だった地底図書館は、なんだかとっても殺戮空間と化していた。

 金髪のお子様の放つやたらよく切れる謎の糸攻撃が宙を舞い、オロオロしている俺の前脚に凄い勢いで絡みつく。

「フハハハハ! これだけ切り刻んでも全然死なんとはなッ!!!」

 ひぃぃぃぃぃぃ、足切れた! 足がチョン切れましたよ!?
 すぐ生えてくるから大丈夫なんですけど、しっかりくっきり痛いです!!

「ならば、ギリシア神話に従って傷口を灼いてやろう!! 茶々丸、試用中のビームの使用を許可する! 焼き払えぃ!!」
「申し訳がありませんが、マスターのご命令ですので」

 礼儀正しくぺこりと俺に謝った茶々丸さんが、ゆっくり顔を上げる。
 その目から直でビームが出てきた。

 えぇぇぇぇぇっ、俺にもできない目から光線ワザを茶々丸さんがッ!?
 アイタタタタタタタタタッ、傷口に染みるぅぅぅ!!
 全然触手が生えてくるの止まってませんから! もう照射し続けないでください〜〜ッ!!

「フハハハハハハ、踊れ踊れ! よし、茶々丸、目だ!目を狙え!!」
「了解です、マスター」

 華麗に宙を舞う茶々丸さん、一気に視界に迫るブーツの靴底。
 みぎゃゃあああああぁぁぁぁッ! キックが目に!!?

 目がー! 目がーー!!

「クハハハハハッ……せっかくだ! ハカセが取り付けた新兵器のテストも兼ねるぞ!! ありったけの火器を使ってしまえぃっ!!」
「…………ああ、マスターがこんなに楽しそうに」
「薙ぎ払えぃっ!!」
「はい、マスター」

 なんだか茶々丸さんの身体のあちこちからあり得ないサイズの銃火器が飛び出して、その銃口が一斉に火を噴いた。
 視界が白く染まっていく。盛大な爆発で宙を舞う、俺。

 そんな爆発の中でも、何故か女の子が上げる高笑いはよく聞こえた。
 ああ、ホントに楽しそうだな……。





<エヴァンジェリン>



 私は軽い水浴びを済ませて、この地底図書館の中央に湛えられた湖の縁から上がる。

 地下図書館に流れ込んでいる滝の下、水の流れが弱く底の浅い場所を選んだのだが、この地に流れる水はほど良く暖かく、予想以上に肌に触れる水の流れは心地よかった。

 水の流れが心地良い、とはな。

 吸血鬼としての特性のせいで、私は本来、流れる水の中に身を置くことは好きじゃない。一箇所に留まる水である風呂は好きだが、シャワーなどを利用するのは避けることにしている。
 それでもこの地の水の流れを心地よく感じるのは、恐らく世界樹の魔力が水に溶け込んでいるせいだろう。
 なんとも、贅沢な地だ。

 茶々丸が用意していたバスタオルで体を拭き、茶々丸に髪を拭かせる。
 ドライヤーの類がないのは業腹だが、こんなバケモノの巣窟にそこまで求めるのは無理があるというものだろう。濡れた髪が重いのは、我慢してやる。

 濡れた身体を完全に拭き取ってから、茶々丸が用意していた下着を身に纏い、あまり装飾のない黒のロングドレスを身に纏った。
 地味ではあるが、バケモノの相手には過ぎた衣装だろう。

「………というか、茶々丸。何故替えの衣装一式まで用意していたんだ?」
「はい。こんなこともあろうかと思いまして」
「…………………ハカセに変な思考プログラムを打ち込まれたのか?」

 ……というか、あのバケモノに私の服が溶かされるなど予想していたなら、体を張ってでも止めろと言ってやりたい。
 私も予想できなかったぐらい唐突な事故だったから、仕方ないが。
 なにかしら納得いかんな。

 髪を軽く梳いて、茶々丸に髪を拭かせるのを止めさせ、私は地底図書館の片隅の方に目をやった。

 そこには、この部屋の主がおとなしくうずくまっている。
 うずくまって……?
 なんか、触手が変な形にねじれているんだが、何をしている?

「茶々丸、あのバケモノはさっきからあの妙なポーズをとっているのか?」
「反省のために正座をされているようです」

 よく見ると、確かに目のある部分を体とするなら、その下で太い触腕がちゃんと折り畳まれている。
 それでも相当ポーズに無理があるらしく、なんだかプルプルと震えていた。

「………あのバケモノはなんでこんな無駄に器用なんだ?」

 呆れつつ、“糸”を足の一本に巻き付けて転ばせる。
 ゴロゴロと転がったバケモノは、触手をワタワタと揺らしつつも、私の方を見る前に慌ててその目玉を触腕で覆って丸くなった。
 どうやら、未だに私を裸に剥いたことを気にしているらしい。

「…………………………もう着替えは済んだぞ」

 脱力しつつ告げると、バケモノは安心したようにぐにゃりと脱力して、目を覆っていた触腕を下ろした。
 次いで、私を見た後、きょろきょろと周囲を見回しはじめる。

 ……? なにを探している?

「どうぞ」

 茶々丸の方はそれを察していたらしく、すぐに白い板のようなモノを取り出して、バケモノの触腕の一本に手渡した。
 ホワイトボード……か? 握りまで付いているのは、自分で作ったのか。

 バケモノは、ペコペコ頭を下げながら(その動きがなんとなく分かってしまう自分に腹が立つが)ホワイトボードを受け取って、付属しているマジックでなにやら書き始めた。
 ひょいとそれをこちらに見せてくる。

《ごめんなさい》

 それを見せながら、もう一度頭部らしき部分を前後に揺らして、必死にぺこぺこと謝っている。なんだこの生き物。

 ……また腹が立ってきた。

「よーーし、反省したな? 二度と私にのし掛かるんじゃないぞ…? 今度やったらその目玉をえぐり取る」

 手の平を握りつぶす仕草を見せて、睨みを利かせてやると、こちらを見ていたバケモノが小兎のように震え上がる。
 震えながら、なにやらホワイトボードに書いて見せてきた。

《もうえぐられました》

 ・・・・・・・。

「……100回えぐり取る」

《ヒィ!》

 何故か律儀にホワイトボードを見せつつビクンと震えるバケモノ。
 ………こいつ、実は結構余裕があるんじゃないか?

 なんだか脅しをかける気力も失せて、私は息を吐いた。

「まぁ、いい」

 いい加減、弱い者イジメじみてきたので、私は目に力を込めるのを止めた。
 しっかり上下関係は体で憶えたようだからな。

「それよりも、いい加減に端っこで震えているのは止めて、ちゃんと客をもてなせ。この地底図書館はお前の庭なんだろう?」

 私がそう言って聞かせると、バケモノは慌てて周囲を見回しはじめる。
 ああ、テーブルを探しているという訳か。
 なら

「テーブルと椅子ならあちらにございますが」

 …………私が何か言う前に、茶々丸が小さな滝の側に置かれたパラソル付きのテーブルセットを指し示した。ちょうど、私が気になっていたヤツだ。
 何故だろう、ヤケに腹が立つ。

「茶々丸、さっからヤケに気が利くな。よっぽどあのバケモノの動きは分かりやすいのか? 私にはさっぱり分からんが」
「はい、とても。触手が沢山あるので感情データの採取が極めて簡単です」
「………一本一本から読みとっているのか」

 なんて無意味な機能だ。
 一度、ハカセと話をする必要があるな。

 バケモノは、またペコペコと触手を揺らして茶々丸に礼をすると、やけに長く伸ばした触腕をテーブルセットで示して《こちらへどうぞ〜》と書かれたホワイトボードを私に見せた。

「……どうでもいいが、その触腕を伸ばす技、気色悪いぞ?」

 言ってやると、バケモノは触手をピーンと伸ばして揺らしながら震えていた。
 あー。まぁ、ショックを受けたというのは分かった。

「ショックを受けていられるようです」
「いちいち説明せんでいい!」

 バケモノの横をすり抜けて、とっととテーブルに着く。
 茶々丸に椅子を引かせてから座ると、何故かショックから立ち直ってきたらしいバケモノが、私の横の椅子を引いた。
 そして、茶々丸に触手を向けて何やらゆらゆらと揺らしている。
 何しているんだコイツは。

「ご厚意はありがたく思いますが、私はマスターの従者ですから、マスターのお側に控えさせていただきます」

 なにやらよく分からないが、触手のうねうねした動きに意志疎通する余地があったらしく、茶々丸が丁寧に断る。
 バケモノの方も納得したらしく、椅子を戻してテーブルの向かい側に移った。

 ……む、まさかコイツ……?

 バケモノは、椅子を引くと、その横からゆっくりと触手をくねらせながら椅子に這い登っていく。

 本気か。

 どう見てもバケモノのサイズと椅子のバランスに無理があるのだが、それをゆっくりと少しづつ体重を椅子に預けていくことで成功させるつもりらしい。
 ゆっくりと触腕をくねらせて這い登り、椅子の上に重ねるように載せていく。 椅子が揺れるたびに無数の触手を左右に揺らしてバランスをとる様は、まるで一輪車乗りの曲芸師のようだ。
 それも、手が無数にある曲芸師だ。気持ち悪いことこの上ない。

 やがて、バケモノは見事に椅子に載った。

 ………なんか、陸揚げされたタコみたいだな。

「……お見事です」

 茶々丸、誉めるな。

「まぁ、別に椅子に座ろうとするのは自由だ…気色悪いがな。だが、そうやって椅子に無理矢理座ることで、貴様が人間であったことの誇りを維持できるというのなら、それもまた意味のあることだろう。気色悪いが」

「マスター、二回言ってます」

「わざとだ」

 触手をぐったりと床に垂らして落ちこんでいるバケモノを放置して、茶々丸に紅茶を淹れに行かせた。

 さっきキッチンでセットを見付けたからだ。
 あの呆け老人が何を考えてそんなものを準備させたかは知らんが、どうせこのバケモノはそんなものロクに使わんだろうし、せいぜい有効活用させて貰う。
 後は、葉にもちゃんと金をかけているかどうかだが……あまり期待は出来ないかな。
 まぁ、茶々丸の腕ならそう酷いことにはなるまい。

 そんなことを思っていると、いつの間にか気を取り直していたらしいバケモノが、おずおずとホワイトボードになにか書き始めていた。
 ………こいつは、体も馬鹿みたいに丈夫だが、精神力まで丈夫だな。
 どっちかというと鈍感なだけかも知れんが。

 バケモノが、文字を書き終えたホワイトボードを見せる。

《名前を教えてもらえませんか?》

「……そう言えば、名乗っていなかったな」

 書かれた質問に拍子抜けしながら、私は答える。
 今さら凄んで答える気もない。

「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。真祖の吸血鬼だ」

 答えると、妙な間があった。
 しばらくして、ホワイトボードを書いてみせる。

《かわいい名前ですね》

「なんだその無難なコメントは?」

 このバケモノ、いちいち反応が腹立つな。
 ついでに、バケモノがホワイトボードに書いている次のメッセージを見て、前もって言っておいてやる。

「お前の名前はジジイから聞いている、いちいち書かんでも良いぞ? どっちにしろ、お前の呼び名なんぞ、バケモノで十分だからな」

 そう言うと、バケモノはホワイトボードに書きかけていた自分の名前を消した。すぐに別のメッセージを書き始める。

 ふむ……別に怒るわけでもなし、か。

 覇気のないヤツだ。
 本当にバケモノなのか、疑わしいぐらいだな。

 なんにしろ、バケモノの触手のうねうねした動きからはほとんど感情など読みとれない。というか、見てるだけで気色悪い。
 いい加減目を逸らそうとしたところで、ホワイトボードを見せてくる。

《びっくりしました》

 いや、なにがだ。
 バケモノ呼ばわりされたことにか?

 じと目で睨むと、慌ててバケモノが《吸血鬼がいたなんて》と書き足す。

 いや、さっきの私の発言は良いのか。
 挑発したつもりだったのに、スルーされると悲しいものがあるんだが。

「……あーーーー、まぁ、そうだ。吸血鬼はこの世界に存在するぞ。魔法使いと同じで、一般人がその存在を知らないだけでな」

 適当に返事してやると、バケモノがホワイトボードに返事を書いた。

《おれの血は吸わないでね》

「だぁぁれが貴様の生臭そうな緑色の血など吸うかッッ!!!!」

 怒りに任せてテーブルをバーンと蹴り上げる。
 向かい側でバランスを崩したバケモノが、触手をワタワタと揺らしながらゆっくりと後方に倒れ込んでいった。
 フン、ざまぁみろ。

 倒れ込んで転がったバケモノは、触手をうねらせながらゴロゴロ転がると、また椅子をテーブルの向こうに立ててから、必死扱いて登りだした。

 ……蹴りを入れてまた倒してやりたいんだが。

「私がいくら吸血鬼でも、吸血する相手を選り好みぐらいするというのを理解しろ。永遠に貴様のような得体の知れんバケモノの血など吸血したりはせん」

 ゆっくり丁寧に睨みながら語ってやると、バケモノはこくこく頷いた。

 その勢いで椅子ごと倒れて、ごろごろとテーブルの下に転がる。

「………踏み殺していいか?」

 足元に転がった単眼に怒りを押し殺しながら聞いてやると、バケモノは触手をサカサカ動かして慌てて逃げていった。

 なのに、また椅子に這い登る。いい加減にしろと言いたい。

 三回目の椅子の登攀に成功したバケモノは、しばらくぐったりと疲労した様子を見せた後、例によってホワイトボードを見せてきた。

《ところで、どんなご用ですか?》

 しばらく、考える。

 おお。

「今日は、一昨日の夜の礼を言いに来た」

 答えると、何故か沈黙が生まれた。
 バケモノが、すごい不思議な言葉を聞いたとでもいう風に巨大な目をパチパチとまばたきしている。
 ……できたのか、まばたき。目蓋なんて無いと思っていたんだが。

「私がお前の触手を切り刻んだり目玉をえぐりとったりしたのは、いきなりお前が私に襲いかかったからだ。……貴様、それを忘れるつもりではないだろうな…?」

 殺意を込めて睨みつけてやると、バケモノは慌てて触手を左右に振ってチガウチガウと訴えかける。

 いや、絶対に今、何言ってるんだこの人とか考えただろう?

「とにかく、私はその礼を言いに来ただけだ」

 小さく咳をする。

 そうだ。

 このバケモノの妙な調子にあてられて、私がこのバケモノに会いに来た理由を忘れていた。

 私はコイツに、聞いてみたかったのだ。
 私の言葉に、このバケモノがいったいどう答えるか。

「この礼に、この私が一つ、お前の願いを聞いてやろう。なにか私に頼みたいことはあるか?」

 私の言葉に、バケモノは触手をくねらせて考えるような仕草を見せる。
 ………実際の所はどうか知らないが、少なくとも考えてはいるはずだ。
 無論、聞きたいのは、ただの願いなどではない。

「私は、あのジジイ…学園長とは違い、ある程度好きに動ける。公には口を開いて頼めないようなことだって、聞いてやれるぞ」

 細めた目でバケモノを見る。
 触手をゆらゆらと揺らしているだけ、私の言葉に、なにを考えているのか。

「例えば」

 ゆっくりと、その脳裏に伝わるように語ってやる。

「……お前を殺した、あの魔法使いの男を、どうにかしてやりたい、とかな?」

 その言葉に、バケモノの触手が小さく揺れるのが見えた。
 口元に笑みが広がる。

 そうだ、それでいい。
 お前が真に願っている願いを聞かせろ。

 私はそれが聞きたい。
 お前は、自分をバケモノに貶めた存在に、何を思う?

 バケモノは、触手をしばらく揺らして、その眼球をぐるりぐるりと動かして、周囲に視線をさまよわせる。
 そして、ふと視線を一点で止めた後、ホワイトボードに触手に絡めたマジックを走らせて、私への答えを書き始めた。

 ……? ……何故、紅茶を淹れている茶々丸を見た?

 まぁ、いい。どうせ答えはすぐに分かる。

 ヤツの出す答えは……

《おれの主食ってなんでしょう?》






 ・・・・・・





 こ い つ 人 の 話 を 聞 い て な い 。





 ・・・・・・・





「……… フッ、フハハハハ……お前は何を言っているんだ? それは私に対する宣戦布告と考えて間違いないのか? というかアレか、私を食べたいという宣言なのかそれは。しかもアレか、むしろ別な意味で食べたいとか抜かすつもりかこの変態エロ生命体がッ!! やはりそのエロ視線を放つエロ目玉を100回えぐり取ってやらねばならんようだなッッ!!!?」

「マスター、紅茶が入りました」

 テーブルを持ち上げてゴキブリの如く挽きつぶしてやろうとしたところで、茶々丸が紅茶を淹れてきた。

 チッ……命拾いしたな。

 私が持ち上げようとしたテーブルの上に紅茶が置かれたので、仕方なく手を下ろして座り直す。
 テーブルの向こうでは、またバケモノが椅子から転げ落ちて転がっていた。
 生まれたての子鹿の如く震え上がっているのを見て、少しだけ気が晴れた。

「……で? …なんだ今の願い事は。頭でもおかしくなったのか? どの辺に脳があるか私が縦にピーッと裂いて確認してやろうか?」

 茶々丸の淹れた紅茶を口にする。
 チッ、いい葉を使っているな。あのジジイ、無駄なことに金を使いおって。

 横目で睨むと、椅子にまた這い上がってきたバケモノが、ホワイトボードを見せてくるところだった。

《口がないのでものを食べられないんです》

「……当たり前だ。大方、お前の肉体は魔力だけで維持できるんだろう。魔力の塊である世界樹の側で生きている限り、お前は別に喰わずとも問題ない」

 あまりにもくだらない願い事だったが、答えると言った以上は答えてやる。

「この地底図書館に根を張っている植物は、全て、世界樹から延びた根の一部だ。そこから溢れる魔力がこの地底図書館には満ちている。お前にとっては、居るだけで満腹になる餌場のようなものだ」

 世界樹の魔力について教えてやると、バケモノは触手を揺らしながらやたらなるほどなるほどと感心していた。
 感心していたと分かったのは、茶々丸がいちいち触手の動きについて細かく解説したからだが。

「これで満足したか?」

 投げやりに聞くと、バケモノは少し触手を揺らして押し黙った。
 ホワイトボードにマシックでなにかを書きかけて、しかし書く言葉が思いつかないのか、ふらふらと触手を宙に彷徨わせている。
 なにか不服でもあるのか?

 意図を掴みかねていると、茶々丸が動いた。

 ティーカップに紅茶を注ぐと、バケモノの座る椅子の前にそっと置く。

「………どうぞ」

 いや、どうぞ…って何をやってるんだ茶々丸。
 わけがわからん。

 しかし、何故か茶々丸とバケモノには通じ合うところがあったらしい。
 バケモノは茶々丸に導かれるかの如くその触手を一本伸ばして、カップの中にそっと入れた。
 いや、なにをする気だお前ら。

「大丈夫です」

 いや、茶々丸が言いたいことも分からん。何を力強く頷いているんだ。

 何故か、変な緊張感が生まれる。
 そして唐突に不気味な音が、周囲に響き渡る。

 じゅ…じゅる……ずるるる……じゅ……ちゅるるるる……ちゅ……

「……………」

 カップの中に入っていた紅茶が、じわじわ減っていく。

 茶々丸が静かに頷いた。
 紅茶を全て吸い尽くしたバケモノがホワイトボードに《美味しいです!》と書いて嬉しそうに差し出すと、茶々丸が丁寧に礼をしてカップを下げる。

 ・・・・・・・

 ・・・・

 ・・・

「気色悪いわッッッ!!!!!」

 跳び蹴りを喰らったバケモノは、放物線を描いて湖の真ん中に着水した。

 正直、私はもう、当初の思惑などどうでも良くなっていた。
 なんというか、このバケモノと付き合っていると私のなにか大事な部分がドンドン駄目になっていく気がする。

「……マスターが楽しそうでなによりです」

 あと、茶々丸。お前もおかしくなってないか?









 麻帆良学園中等部校舎の屋上。

 今日も、空は呆れるほどの青空だ。

 校庭の方からは、なにかしらの試合を開始する笛の音と、元気だけが取り柄のガキ共の作り出す喧噪が聞こえてくる。
 きっと、この馬鹿みたい降り注ぐ陽の光の下で走り回っているのだろう、クラスメイト達のことを想像して、私はうんざりした。
 陽の光は、この屋上にも降り注ぎ、風すらも暖かく眠気を誘う。

 そうしていつものように、影に体を横たえて空を見ていると、屋上の扉を開ける気配があった。

「よー、エヴァ」
「なんだ、タカミチ。体育の授業だったら、出る気はないぞ」

 顔も見ずに答える。
 すでに保健室で休むための許可は取ってある。
 同じ休むなら、保健室だろうが屋上であろうが変わるまい。

「彼の所には行ったんだろ? どうだったか聞こえと思ってね」
「…………何があったか知りたいなら、ハカセの所へ行け。茶々丸に記録が残っているから、それを見れば済む話だろう」

 眠気も手伝って、私は高畑に背を向けて横になった。
 相手をするのも面倒くさい。

「まぁまぁ。ちょっとどんな風だったか聞きたくてさ」

「………2回ほど目玉をえぐって、7,8本触手を千切って、ついでに一発全力で蹴りくれてやったが、ピンピンしていたな。お前がヤツを始末しても良いと私に言い切れる訳だ」

 簡潔に事実を説明してやると、タカミチが動揺する気配を感じた。

「ちょ!? そ、そこまでやったのか?」

 なんだ、ヤツの再生能力のことは知らなかったのか。

「ヤツがうっかりのしかかってきたからな。自衛のための不可抗力だ。なにか文句があるなら、次からは自分の発言に気を付けろ」

 半分だけ顔を上げて睨み付けてから、もう一度タカミチに背を向ける。

「……ヤツは好かん。殺す価値もない、無害なバケモノだ」
「…………………そうか」

 もうなにも答えてやる気はない。
 今はただ、睡魔に身を任せたかった。

 タカミチの方も、だいたい事情を察したのだろう。
 これ以上話を聞く必要もないと思ったのか、それとも諦めたのか、私の背後からタカミチの気配は離れていく。

 その途中でふと、その足が止まった。

「…………そこ、気に入ってるのか?」

 少し笑いを含んだ声だ。
 腹が立つ。

 私は返事をせず、しっしっと手の甲を振ってやる。
 タカミチも答えを期待していなかったのか、何も答えずに屋上から立ち去っていった。

「………ふぁふ」

 欠伸が零れる。
 ああ、暖かい風が、腹立たしいほどに心地いい。

 …………もうしばらく、眠ろう。









つづく