真っ暗闇だ。

 何も見えないはずの暗闇の中から、何かが伸びてきたのが分かったのは、たぶん、閉め切られた部屋特有の淀んだ空気が確かに動くのを感じたから。

 とっさにあたしは、手を伸ばす。
 囚われているはずの友人を求めて伸ばした手は、細い、柔らかい、濡れた感触に触れた。

 あたしの指の間に、粘液を塗り付けながら、探るように手の平から肌を這い上がってくる、濡れた感触。
 ひどく柔らかくて、その癖に肌の上に張り付いて引き剥がせないような、吸い付くような感触。
 まるで、味を確かめるように、ゆっくりゆっくりと、肌を吸うような感触。

 それがあたしの二の腕の、柔らかい部分に触れたとき、あたしの口におぞましいまでの恐怖が蘇った。

 何も見えない暗闇の中でも分かる。手に絡みつくその感触は、忘れるはずもないものだった。

「──────っ」

 あたしは、子供のように身を竦めながら口を開く。
 次の瞬間に上げる悲鳴のために、身体が自然と肺に空気を吸い込んでいく。

 けれど、悲鳴が上がるよりも先に、あたしの口を塞ぐのにちょうどいい太さの、柔らかい、粘膜に包まれた蠢くものが、滑り込むようにするりと口の中に入り込んてきた。
 勢いで閉じたあたしの口は、その蠢くものを、噛み付くように挟み込む。
 けれど、柔らかい弾力に満ちたそれにはまるで歯が立たなくて、あたしの口はいっぱいに開かされたまま、閉じることもできなくなった。

「ん、ふ、んん…………っ」

 周囲に響くはずだったあたしの悲鳴は、くぐもった小さな悲鳴にすり替えられた。

 とっさに、空いた手で暗闇を探る。

 口が開けなければ呪文も使えない。
 なにか、武器を、切るもの、叩きつけるものでも、なんでもいい。
 壁のある方へと向けて伸ばした手の平が、何かを手に取る。

「──……んんっ」

 それはひどく柔らかくて、濡れていた。
 あたしの手の中で、掴んだ何かは無数の細い紐のようにバラバラに解けて、指の一本一本に絡みつく。
 指の間の付け根の部分を、細いなにかがすり抜けながら粘液を塗りこんでいく。
 そこから伝わる、弱い電流のような、奇妙な感触にあたしはとっさに腕を引っ込めようとした。

 けれど、いつの間にかあたしの脇の下から、太く頑丈なにかが、しっかりとあたしの腕を捕まえてしまう。
 ローブの生地ごしに、びっしりと表面に張り付いた突起が、探るようにあたしの肌にを突く。
 どんなに力を込めても、振りほどくことができない。

「……ふ、んんっ……んぁ」

 あたしは恐怖に追われるように、力づくで後ろに下がろうとした。

 無理だと分かっていても、肌を撫で上げながらゆっくりとあたしの身体へ這い進んでくる無数のおぞましい感触を前に、理性を保つことなんてできるはずも無かった。

 ただただ逃げようと、一歩でもこのおぞましい存在から離れようと、身体をひねって、背中を向けながらこの部屋から逃げようとする。

「ん……んぅっ!?」

 結果は、ただ、あたしがもんどりうって倒れただけだった。
 足首に絡みついていた蠢く何かが、あたしをあっさりと地面に転がしたのだと気付いたのは、足首から這い上がったそれの先端が太股に触れたから。
 倒れた音すらしなかったのは、倒れたあたしの下にも柔らかい感触が一面に敷き詰められていたから。
 それは、あっという間にあたしの身体に絡み付いて、ゆっくり後ろに引きずっていく。

「ん……ふぅっ、んんーーーっ、ふ、んんっ、ん、んんん……っ」

 あたしの腕よりも先に、なにかが真っ直ぐに出口へと伸びていって開いたままの扉にたどり着く。
 そして、木の軋む微かな音を立てて、扉が閉じていく。

 暗闇の中に切り取られた穴のような、四角形の出口は、ゆっくりと閉じられた。


 後に残るのは完全な暗闇。


 けれど、この暗闇の中、あたしを捕えて、自由を奪うものの正体は、もうあたしには分かっていた。

 それは一面を覆い尽くす触手の海。

 細くしなやかにくねる触手、粘液を垂らして蠢く触手、先端の吸盤を収縮させながら震える柔らかな触手、無数の吸盤を内側に貼り付けた太い触手、おぞましいほどの細い感覚器を内側で蠢かせる管蟲のような触手。

 あたしの身体を、何本もの触手が、何十本もの触手が、何百本もの触手が──

 身体中の、あちこちを、触手がまさぐり、撫で上げ、嘗め回し、擦り上げ、吸い付いている。
 ローブの裾から、襟元から、袖口から、どんどん細い触手が入り込んで、隙間に潜り込んでいく。
 もがこうとする手足が優しく触手に絡みとられて、自由を奪われてしまう。

「んんっ……んっ…………ふ、んんーー……」

 あたしは、触手に絡みつかれながら、仰向けに転がされた。
 触手に絡みとられた足を高く掲げ上げられて、あたしは背中から床に倒れる形になった。
 けれど、背中の、ローブ越しに感じたのは、固い床ではなく柔らかな触手が蠢き脈動する感触。

 あたしは、触手の中に飲み込まれるように、四方から触手に巻きつかれている。
 きっと今のあたしの姿は、海にいるという、イソギンチャクに囚われた獲物のような姿なのだろう。

「ん、く、んん……ふっ、んんっ」

 真っ暗闇の何も見えない世界で、肌を撫で上げる触手の感触だけが、ぞっとするほど鮮明に感じられる。
 粘液で濡れた肌を触手が舐めるたび、甘い痺れが肌の内側を焼くのがはっきりと分かる。

 襟元からローブの中に潜り込んだ太い触手が、その先端から突き出した細い触手で、あたしの胸の上を、探るように舐め回す。
 袖口から潜り込んだ細い触手達が、あたしの脇から胸まで、ゆっくりと粘液を塗り付けながら、肌を舐めるように這い上がってくる。

 堪えるように首をすくめ、身体を丸めた直後、細い触手があたしの胸の先端を絡めとった。
 粘液が胸の先端に塗り付けられると、それ恥ずかしいほどに硬く尖ってしまう。
 触手はまるで紐で縛るみたいに、あたしの乳首を絡みつき、動くたびにかすかに擦れるように甘く縛った。

「ん……ふ、ん、んぅ……」

 否応無く与えられる刺激に耐え切れず、背中をピンと張って胸を反らした直後、もう片方の胸の先に太い触手が貼りついた。
 ぴったりと胸の先に貼りついたソレの先端には、無数のヒダが折り重なった吸盤のような器官があって、それがあたしの胸の先をしっかりとくわえ込む。
 そして、粘液をたっぷりと塗り付けながら、あたしの胸を吸い始めた。

「──────────────んんんっっ!?」

 無数のヒダヒダが、無数の突起であたしの乳首を擦り、弄りながら、容赦なく吸い上げる。
 粘液が上げているのか、チュパチュパと胸から恥ずかしい音が聞こえた。

「んーー、んっ、ふぅっ、んっ!……ん、んんっんんーーーっ! 」

 あたしは、胸を執拗に責める触手から逃れようと、必死に身をよじった。
 けれど、胸を弄る触手から逃れることができない。
 逆に、もがけばもがくほど、胸の先を引っ張られる感触が、あたしの身体を責め立てた。

 ──はなせ、はなして。

 触手が胸を啜る音がするたびに、電流は流れたように身体が痺れる。
 自分の頬が熱くなって、息が荒くなっていくのが分かる。

「んっ……く、んんっ!」

 内腿に、粘液で濡れた柔らかい触手が触れた。
 身体中を触手で弄られているのに、それがはっきりと分かったのは、あたしの身体が恥ずかしいほどに敏感になっていたせいだろう。
 内腿の敏感な肌に吸い付いた触手が、丹念に舐めるように、ゆっくりとあたしの肌の上を這い進んでいく。

 その先に触手が這い進むのを想像するだけで、脳裏でおぞましい想像が沸き立つ。

 そう思っても、足首から太股までしっかりと絡みついた太い触手は、まるで蛸のように触手の内側に張り付いた無数の吸盤をぴったりとくっつけて離さない。
 一面に張り付いた無数の吸盤が、粘液と同時にねっとりと肌の裏側をしゃぶるように肌を吸うたび、あたしの足に、痺れるような微かな痛みを残していく。

「んふ……ん、ん……ふ、ぅんーーーっ」

 足を閉じる力すら入れられないまま、じわじわ、じわじわと、大きく足を開かされていく。
 ローブが捲り上げられていって、冷たい空気が、剥き出しに晒されたあたしの腹の上を撫でた。

 不意に、足の付け根に硬いものが触れる。

 粘液に塗れた、無数の硬い突起で包まれたざらざらした触手。
 それが、あたしの前から尻にかけて、ぴったりと張り付くようにして触れると、上から下へ、その表面の突起をあたしに押し付けながら擦り上げていく。

「んんんんんんっ、ふぅ、ん────────────」

 下着越しに押し付けられる、固い突起の感触に、あたしは腰を跳ねさせて、声にならない悲鳴を上げた。。

 まるで馬車の車輪が地面を踏むように、触手に張り付いたいくつもの突起が、執拗にあたしの敏感な部分に押し付けられる。

 下着は、いつの間にかしっとりと濡れて、あたしの下肢に張り付いていた。
 その上をなぞるように、薄く開いたあたしの敏感な部分にかすかに蠢く突起が押し付けられ、もぞり、もぞりと刺激する。

「ふっ、んっ、ふぅ……んんんっ」

 巨大な芋虫が這うような、おぞましい感触は、あたしはどんなに身をよじっても、離れてくれない。
 無数の突起が蠢くたびに、粘液がこびりついて、下着がぐちゃぐちゃに濡れていく。
 生温くドロリとした粘液が肌の奥まで染み入ると、痺れるような鈍い痛みが肌の内側からあたしを責め始める。

 ────やめて、やめて

 誰かに助けを求めることも出来ず、ただ高く掲げ上げられた足首で、無意味に宙を掻く。
 触手に絡みとられた腕に力を込めるたび、胸を吸い上げられる痺れるような感触が、あたしの抵抗する力を奪ってしまう。
 身をよじっても、顔を背けても、口を塞いだ触手は離れない。

 濡れた柔らかい触手が、するすると下着の中に潜り込んでいく。

 一本、二本、次々と下着の中に入り込んだそれは、粘膜から染み出した粘液をあたしの肌に擦りつけながら、表面のかすかなぎざぎざであたしの、敏感な部分を舐め回し始める。

「くっ、んぅ……ふぁぁぁぁぁっ!?」

 触手の先がその場所に直接触れた時、あたしは足首をピンと伸ばし、背中を大きく反らして、下肢から這い上がって全身を襲った甘い痺れに悲鳴を上げた。
 細い触手があたしの大事な部分に触れるたび、まるで針金の先を刺されたような痛みと痺れがあたしを襲う。

 けれど、触手は容赦なく、あたしの敏感な部分を左右に押し開いていく。
 容赦なく蠕動を続ける太い触手が、さらに深くあたしの敏感な部分に突起を押し付け、擦り上げていく。

「んふぁ……んっ、ふっ、んんっ……ん、んんっ、んふーっ、んんんーーーっ!」

 触手がずるずると粘液を垂らしながら、あたしの股の間をすり抜けていく。
 突起が蠢き、あたしの足の付け根を擦るのに合わせて、くちゅくちゅと、粘液が擦り合わせられる音がする。

 頭が焼けるほど淫らな刺激が、自分のものじゃなくなったみたいに敏感になった下肢からあたしを責める。
 そのたび、あたしは子供みたいに泣きじゃくりながら必死に身をよじった。

 けれど、そうする程、余計に下肢が触手に押し付けられて、淫らな刺激は一層増していく。

「んんっ、ふっ、ん……んん、ん、ふぁ……んんんっ、ふぁ……」

 次第にあたしは、自分が触手から逃げたて暴れているのか、触手の淫らな行為を受け入れるために腰を振っているのか、分からなくなっていった。

 頭がどろどろと、白く惚けていく。

 けれど、下着の中に潜り込んでいく、太い、柔らかな触手の感触が、あたしの最後の理性を引き戻した。

「んん……ふ、んぁ……?」

 突起を持つ触手が身を反らせて、新しく下着に入り込んだ触手に場所を譲る。
 柔らかな触手が、細い触手にさんざん弄られ、左右に開かされた敏感な部分の入り口へと触れた。

 ちゅぷ、と音を立てて、触手の先端が大きな吸盤のように、粘液を垂らしながら吸い付いた。
 じんじんと、痺れるように強く疼いている、ひときわ敏感な突起に。

「んんんんんんーーーーーーーーーーーーっ!?」

 胸を吸って、弄っていたのと同じ。
 無数のヒダが折り重なった吸盤のような器官、それがあたしの敏感な場所をしっかりとくわえ込む。

 チュプチュプ、チュプチュプと、恥ずかしい音が上がった。

 あたしの理性を磨り潰すように、敏感な突起が吸い上げられ、擦られ、弄られて、嬲られていく。

「んっんっんんんっ! んーっ、んん、ふ、んんっ、んんんんーーーーーーーーっ!!」

 細い触手が、針金のような先端で肉壁の内側突き、硬い触手の突起が乱暴に外から擦り上げていく。
 無数の触手に、敏感な部分を蹂躙されながら、あたしの理性は今度こそ真っ白に蕩ける。

「────────────────────っ!!」

 下肢から何かが溢れ出すのを堪えきれず、あたしは背中を大きく反らし、絶頂に達した。
 触手に塞がれた口からは、悲鳴すら上げることはできなかった。






12話 「暗黒! すれ違いの悲劇!!」







 「うっひゃ〜、針金みたいになってる〜〜! これは洗いがいがありそ〜!」

 わしゃわしゃと小さな手の平で、髪の毛につけた洗髪剤を泡立てながら、妖精族のピクスが歓喜の声を上げた。
 なにやらあの妖精は洗髪に喜びを感じる部類の人間らしい。

「うむ。好きにしろ」

 その前で、木で組んだ風呂用イスに座っているのは、ドラゴニュートのギリュウである。
 私用にゴブゴブ村の大工に作らせたイスは、この女の身体には小さすぎるらしく、丸い曲線を柔らかく崩した尻がはみ出している。
 そこから伸びた赤銅色の尻尾は、タイル床に垂れてイスの周りでくるりと小さなとぐろを巻いていた。

 風呂場なのだから裸なのは当然とは言え、スタイルの良い身体を惜しげもなく晒して背後のピクスの手を待つ姿は王侯貴族のごとき潔さを感じる。
 ……人の家だというのに、態度がデカいにも程があると思うんだが。

 いや、別に反らした胸の上に乗った二つの丸い球体に腹を立てているわけではない。
 腹を立てているわけではないが、こいつわざと見せつけてつんじゃないだろうな?

「それじゃ、目を閉じてねー」
「うむ」

 きゅ、と目を閉じたギリュウの髪に、たっぷりと洗髪剤の泡が乗ったピクスの手が触れる。
 深緑色の長い髪に白い泡が絡まり、妖精の細い指先がそれを解していく。

 わしゃわしゃわしゃわしゃ。

 ふと横を見ると、私の横で、何故かぶるるとフェルパーのネコミが震え上がっていた。

「……もしかしてお前、苦手なのか?」

 洗髪。と聞いてみると、ネコミは素直にコクコクと頷く。
 じゃあ、そんなに髪伸ばすなよ、とちょっと思ったが、私だってものぐさな割にダラダラ髪を伸ばしてる身だ、文句を言うのは控えておいた。
 風呂に入る時に思ったが、やはり水嫌いはフェルパーの種族的特徴なんだろう。

 代わりに、湯船の中に海藻類のごとくたゆたっているネコミの黒髪を一房掴み上げ、手の中で撫でてみる。
 冒険者なんて商売をしている割に、髪質は柔らかい。ちゃんと手入れしている証拠だ。

「あの妖精か」

 呆れた顔で言うと、ネコミはふるふると首を横に振った。

「グノー。……えっと、今、寝てる……ノームの……」

 名前の後に、もそもそと説明を始めるのを聞いて、私は息を吐いた。
 あのノームの娘にも事情を説明せねばなるまい。
 妖精とドラゴニュートはともかく、ノームの娘は直接アレの被害に遭ったらしいから、矛先を収めさせるのはさぞかし骨が折れるに違いない。

「あの司祭か。……まったく、女四人で仲の良い事だな」

 多少皮肉を交えて答えると、私の意図などと関係なく、ネコミは熱心にコクコク頷いていた。

 えらく熱の入った肯定に、毒気を抜かれる。
 なるほど、このフェルパーはよっぽど友人達が好きなんだろう。

 少しだけ、過去を思い出す。
 人間として冒険者をやっていたのは、もうずいぶんと昔のことだ。
 ロクでもないことからバカなことまで色々あったが、なんだかんだ言っても仲間がいるのは良かった。

 もちろん、過去の記憶を美化してしまっているから、はっきりとそう思えるのだろう。人間には、元来そういう便利な機能が備わっている。
 なにしろ数百年前のことだ。もう、当時の仲間で生きているのは、私一人きりしかいない。
 戦っていた敵の方なら、案外生きているヤツもいるのだが。

 また一つ息を吐く。歳を喰うと思い出に浸りすぎるのがいけない。

「……なぁ、ネコミ」

 私は掬い上げていたネコミの髪を湯船に返して、フェルパーの顔を見上げた。

「は、はいっ!」

 ピン、と頭の猫耳を立て、背筋をピンと伸ばしてネコミが答える。
 まるで王様に粗相を咎められた使用人のような緊張した表情だ。

 ……なんだってこのフェルパーは、私に対してやたらビクビクしてるんだろうか。

「さっきからチラチラと私をを見ているが、なにか言いたいことでもあるのか?」

 風呂に入ってきてからずっとである。
 最初はそれとなく聞き出すつもりだったのだが、どうもこの娘に会話を振っても長く続かないので、諦めてストレートに聞き出すことにした。

「え、あ……な、なんでも……、ない、です……」

 だというのに、今度は目を反らして露骨に口ごもる始末だ。
 この娘は私にどうしろというのか。まさに処置なしだ。

 どうしてやろうかとネコミを半眼で睨んでいたら、湯船の外から助け舟が出てきた。

「ネコミ、どしたの〜? うっかりオシッコでもしちゃった?」

 ふわふわと羽根を揺らしてギリュウの髪を洗いながら、ピクスはそんなことを言う。

「なにぃっ!?」

 慌てて湯船から立ち上る。人の家でナニやってるんだコイツは。
 驚いた勢いでネコミを見ると、権人は真っ赤になった顔で首をブンブン左右に振って否定した。

「……しっ、してないっ! そんなことしない!」

 ゆでダコのように真っ赤になった顔で否定しているのを見て、私もさすがにそりゃないかと思い直して湯船に身体を沈めた。
 いかん。魔物基準で考えてたせいか、つい信じそうになってしまった。

「あ、ああ、信じるから落ち着け。必死に否定されるとなんか逆に怖いぞ」

 手のひらを向けてどうどうと落ち着かせると、ネコミも余計に恥ずかしくなってきたのか、ブクブクと口から泡を漏らしながら顔を沈めてしまう。
 さすがにいい歳した娘が心配することじゃないだろう。

「おい妖精、下品な推測は止めろ! こっちは湯船に浸かってるんだぞ!」

 手の甲で水を払って引っ掛けてやると、ピクスは宙をふわりと舞って避けて見せた。

「だって、ネコミっていつも口下手だしさ〜。時々モソモソ言ってたと思ったら、ヘンなタイミングでそーいうこと言い出すんだもん」
「……敵だらけの迷宮のど真ん中とかでな」

 ピクスの言葉に、目を閉じたままのギリュウが続ける。

 視線を向けると、ネコミは顔を湯船に沈めたままブクブク言っていた。
 どうやらこっちは本当らしい。

「……で、本当はナニを言いたいんだ? お前らが私を狙ってきたことなら水に流してやるって言っただろう?」

 これ以上この話題で苛めるのも不憫だったので、改めてもう一度聞き返す。
 これでだんまりを決め込むようなら、さっきの話題を蒸し返して泣くまで苛めてやる。

 そんなつもりで睨んでやると、ネコミは耳をペタンと垂らしたまま湯船から顔を出した。
 びくびくと俯いたまま、モソモソ口を開く。

「お願いが……」

 それだけ言って、口を閉ざす。そして上目遣いでこちらの顔色を伺ってくる。
 ──私よりデカいなりしてそんな風にビビられると、さすがに居たたまれなくなるんだが。

「あー、もう。いいから、とにかくその“お願い”を言え。言われなきゃ何も分からんだろーが」

 指先で鎖骨の辺りをつつきながら、鋭く問い正すと、ネコミはようやっとゆるゆると口を開いた。

「えっと……その……また、遊びに、来たい」

 口からで出来たのは、なんとも子供じみた注文だ。
 そのくせ、上目遣いにじっと見上げてくる金色の瞳は不安に揺れている。

「はぁ? なんでだ?」
「……うぅ」

 意図が分からず真意を尋ねたら、ネコミはまたブクブクと泡を立てて湯船に沈んでいった。

 身体の方は十分大人のスタイルのクセに、行動がやたら子供じみている女だ。
 たぶん、そこで嬉しそうに髪をわしゃわしゃ洗っているような仲間達が甘やかした結果だろう。

 その甘やかしの仲間である妖精が、ロクにこちらも見ずに代わりの返事をしてくる。

「愛しの怪物さんの元に、またエッチな事をしに来てもいいかって意味ですよ〜」

 二秒ほど意味が分からなかった。
 意味が分かっても、ちょっと事実としては認めがたい。

「はぁ?」

 口を半開きにして聞き返すと、ピクスは言うことは言ったとばかりに洗髪に集中していた。
 その前に座り込んだギリュウは、じっと目を閉じて洗髪を受けるばかりで、話に入るつもりもなさそうだ。

 諦めてネコミを見ると、湯船に猫耳だけが浮かんで、ブクブクと泡が浮かんでは消えていた。
 どうやら本気でそういう事らしい。

「……いや……正気か?」

 口をへの字に曲げて、私は思わず正直な感想を口にする。
 誰かに助けを求めたい気分で周りを見たが、フォローを投げかけてくれる人物もいない。
 ピクスは鼻歌交じりに洗髪を続けて、ギリュウは髪を現れるままに目をしっかり閉じている。

 ……あのな、お前ら止めてやれよ。

 代わりに、ネコミが顔半分まで浮かんできて、すがるような視線を向けてきた。

「あー……あのなぁ、お前、アイツは……」

 老婆心ながらの忠告でもしようかと口を開きかけて、寸前で思い留まる。
 ここで忠告を入れたら変な誤解されそうだし、ぶっちゃければ私にとって都合のいい申し出だからだ。
 標的になる相手は多い方がいい。

 息を吸ってから、吐く。

「あ〜〜、お前が来たいと言うなら、別に来てもいいぞ。それに、アイツが乗り気なら、お前がアイツとアレをしようがナニをしようが好きにしようが構わん。私はその辺に口出しするつもりはない」

 私の言葉に、ネコミの緊張していた顔がわずかに緩んで、目が嬉しそうにキラキラと輝いた。
 ……嬉しそうだ。ものすごく嬉しそうだ。

 こんないたいけな娘が……世も末だ。
 なにやら頭痛すら感じて、私は額に手を置いて息を吐いた。

 とりあえず、溜まった胸のもやもやは、後ほどあのアホにぶつけよう。

「おめでと〜♪ これで公認カップルだね〜♪」

 妖精の方から上がったいらん祝福の言葉に、水鉄砲で答えておく。
 私の手の中からまっすぐに飛んだ水を、妖精は視線も向けずに再びヒラリと避けた。

 舌打ちしてから、視線をネコミに戻す。
 ネコミは恥ずかしがっているのか顔を半分水に沈めていた。

「……それで、アイツのなにが良かったんだ?」

 正直あまり聞きたくなかったが、何一つ聞かないというわけにもいくまい。
 場合によっては、私の方から無理矢理にでも止めた方がいい気がする。

 決意を胸にして、沈んだまんまのネコミの返事を待っていると、ふとピクスが洗髪の手を止めた。
 顔を斜めに傾けて、いくぶん真面目な顔で口を開く。

「ナニが良かったんじゃないの?」

 ネコミは耳まで完全に沈んでしまった。
 私も沈んでやりたい気分になった。









 暗闇に目が慣れても、周囲を厚く覆う闇は晴れることはなかった。

 闇の中にかすかに見えるのは、この部屋を取り囲む押し潰されそうなほど間近にある四方の壁と、その壁すら覆うほどに一面に蠢く触手の海。
 そして、部屋の奥の壁多角に設置された窓の、格子戸の隙間から漏れる明かりだけだった。

 闇の中では何も見えないに等しく、ただ、四方を波のようにうねる触手が見えるだけ。
 ソレがどれだけの大きさかも、どんな形をしているかも認識が出来ない。

 代わりに、鋭敏になった聴覚がうねる触手の音を聞き、嗅覚がどこか甘ったるい触手から塗りつけられた粘液の匂いを感じ、そして触覚が、肌を舐め回し、撫で回す触手をあたしに思い知らせる。
 最初の頃には身に着けていたはずの衣服は、いつの間にか肌から離されて、下着すらどこにもない。
 あるのは、裸にされたあたしの肌に愛撫を続ける、無数の触手の感触だけ。

 肌に浮かんだ汗を啜るように、触手はあたしの身体を舐め回していく。
 触手が這い回った後、肌に塗りつけられていく生温い粘液は、熱い疼きをあたしの肌に焼き付けていた。



「んぅ……ふぅ、ん…ふぁ………」

 あたしの口の中を、触手がゆっくりと舐め回していた。

 最初に口を塞いだ太く柔らかい触手は、その先端から三つに裂けたのが最初。
 それぞれが、粘液に濡れた柔らかな体表を持つ舌のような触手に形を変えると、あたしの口内に粘液を流し込みながら存分に暴れ始めたのだ。

 暗闇の中に、口の隙間から漏れる、ピチャピチャという水音が上がる。

「ん…うぅぅ……ふ、んぅぅぅぅぅ……」

 口内を塞いだ触手を噛み切ろうとした気力は、もう、どうしても沸いてこない。
 自分の口から漏れるその音の淫靡さに、あたしは自分の頬が熱くなっているのを感じていた。

 触手があたしの舌を絡めとって、舌の付け根をつつく。
 舌を責める触手から逃れようとするほど、触手は執拗にあたしの舌に、ザラつく表面を擦り付けるように絡み付けてくる。
 二本の触手は、歯の裏側から口内へと這い進み、口内の内側に粘液の張り付いた表面を擦り付けてくる。
 口内を無数の触手に弄られるくすぐったさは、次第にもどかしさに変わった。

「んんっ、ふ、ンン……!?」

 不意に、口をこじ開けていた触手が太くなる。
 混乱の中、苦しさに呻いているあたしの口内を、不意におぞましい感覚が襲った。」

 じゅるじゅるじゅると音を立てて、口内を吸われていく。
 口内を犯していた粘液と一緒に、あたしの唾液が、触手の中央の孔へと吸い上げられていた。
 自分の体液を吸われるというおぞましい経験に、あたしは顔を歪めた。

 太い触手は、あたしの口内の唾液を吸い上げると、まるで歓喜に震えるように細かく脈動する。
 その代わりに、大量の粘液を口内に流し込んでいた。

「ん……んぁ……ふぁ、ぅぁ……あ……んむッ……!」

 ドロドロと口内に溢れたその液体は、飲み込むとわずかに苦く、舌がわずかに痺れるような感覚がある。
 液体を吐き出したくても、太い触手は口の奥まで入り込んでそれを許さない。

 代わりに、口の端から溢れた粘液が顎を伝って垂れ落ちていく。

「ん、ふぁ……んぁぁッ!?」

 触手に絡まれるまま左右に引かれていた腕が、急に手前に引かれて、あたしは前のめりに倒れた。
 反射的に突き出した腕が触れたのは、硬い床ではなく、床一面広がっていた触手の海だった。

「ふぅ……んぅ、んん……っ!」

 手の平を襲ったのは、蠢く無数の繊毛の感触。

 粘液で濡れたそれがあたしの身体の下、一面に不気味な収縮運動を続けているのが分かる。
 だけど、さんざん無数の触手に絡みつかれ、その粘液で汚されたあたしの指は、嫌悪よりも先に背をなぞられるような生温い刺激を伝えてきた。

「んんぁっ!……んん、ん〜〜……ふ、んぅぅ……っ」

 まるで無数の細い舌に舐め回されるような感触に嬲られながら、腕が触手の中に埋もれていく。
 腕を引き抜く力もなく、犬のような四つん這いの姿勢を強いられてしまう。

 あたしは、必死に身を起こそうと身を反らそうとした。

「んんんっ!?」

 けれど、脚に力を込めるよりも先に、両脚に太い触手がしっかりと絡みつく。
 左右の脚の太ももから脛までを絡め取った二本の触手は、意外なほどの膂力を発揮して、あたしの脚を持ち上げ始めた。
 触手の中に埋もれた両腕を下にして、身体を逆さまに、半ば吊り上げられるような姿勢。

「〜〜〜〜〜〜〜〜っ! んぁ、ふっ……ぁ……んっ、んんんんんんっ!!」

 あたしは呼吸を荒げ、必死に触手の拘束を解こうと身をよじった。。
 この触手の主がなにをするつもりなのか、暗闇の中でもイヤというほど分かってしまったからだ。

 先ほどまで、脚の付け根を擦り上げていた太い触手や、淫らな吸盤を震わせてしつこくあたしの敏感な部分に吸い付いていた細い触手が、下肢から離れていた。
 その代わりに、太く熱い一本の触手が粘液を滴らせながら、あたしのアソコに触れていた。
 表面に張り付いた細かな突起が、怪しく蠕動をしているのを感じる。

「んんっ、ふぅ、んんんっ、む、んぅ、んぁぁ……っ!」

 あたしは子供のように涙をこぼしながら首を振った。
 もしも口が利けたら、それだけは許してと、みっともなく哀願していただろう。
 けれど、あたしの口は、触手によって塞がれたまま、口内にすら触手と粘液で間断なく蹂躙され続けている。

 触手があたしの脚を左右に開かせる。
 細い触手が、粘液でドロドロに汚されたあたしのアソコの左右に吸い付き、開かせていく。

 無理矢理こじ開けられるような痛みはない。
 ただ、風が敏感な部分の奥に当たる感触に、腰骨が痺れたような感覚が走った。

 そして、その“穴”を埋めるように、ズブズブと生温い粘液で濡れた触手が入り込んでくる。

「ふぐぅ、んぅ、ふぁ……んんんっ! んぅぅ、……〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」

 半ば感覚が麻痺するほどの、異質な感覚が、腰骨を伝ってあたしの脳裏を真っ白に染めた。

 ずぶ、ずりゅ、ずりゅずりゅ。

 奥へと潜り込むため、その粘液で濡れた表面が蠕動する感触が、はっきりと自分の中に感じられる。
 それが蠢くたび、体内を電流が荒れ狂い、あたしの身体はビクンビクンと跳ね上がった。

 それを痛みのせいだと思い込もうとしても、口内を、腕を、胸を、身体中を責める触手の感触が許さない。
 触手によって身体に染み込まされた愛撫の感触が、理性を保とうとするあたしの意思を無視して、身体を内側から灼くような熱い疼きとなって、内側からあたしを責めていた。

 不意に、ぐりぐりと、奥を突き上げる感触。

「ふぐぁぁっ!?」

 頭の中が、また、白く灼ける。
 触手で塞がれた口の端から、溢れた唾液と粘液が垂れ落ちていく。

 あたしの中、その奥までを征服した触手は、ゆっくりとその中で前後に動き始めた。

 ぐちゅっ……ぬぢゅっ……じゅっ……ずぢゅっ……
 ちゅぷぅっ、きゅ……ちゅるるっ、どぷっ……

 無数の突起を蠢かせて蠕動しながら、まるであたしの中を抉ろうとするように形を歪め、そして突起の表面の吸盤が気まぐれに吸い上げる。

「―――――――――んンンっ?! んぁっ、んんんん〜〜〜っ! ちゅっ、くちゅ……ん、むぅ……んぅっ!? んんんっ、んんんんんんっっ、ふ、んっ、ン〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」

 まるで全身の感覚がそこに集まったかのように、触手の蹂躙するままにあたしの身体は震え上がり、触手に抱かれた腰は何度も激しく跳ね上がった。

 顔が、涙と涎でドロドロになっていくのが分かる。
 触手に吊り上げられたあたしの身体から、あたしの中に潜り込んだ触手が擦れるたびに、アソコから透明の粘液が溢れ出して、だらしなく垂れ落ちていく。

 仲間を助けなければならないという義務感も、化け物に犯されるという嫌悪感も、すでにあたしの脳裏からは消えてしまっていた。

 もう、なにも分からない。

 不思議なほど、何かが満たされているような感覚がある。
 自分を侵しているはずの触手と繋がって、ドロドロに混ざり合っていくような、奇妙な一体感。
 頭の中を灼き尽くされるような絶頂の繰り返しの中、あたしは、気を失うことも出来ずに嬲られ続けた。









「うっ……はぅぅぅぅ……っ」

 珍妙な悲鳴を上げて、ネコミが自分の目元をぐりぐりと擦る。
 見かねたピクスが風呂桶に湯を入れ、ネコミの顔にざぱーっと一気にかけた。

 妖精は、相手を変えながらもいまだに洗髪を続けていた。
 次の標的として風呂用イスに座っているのは、長い黒髪を白い肌に貼り付けたネコミである。

 コイツもさっきのギリュウと同じで、私が座るために作られた風呂用イスにデカい尻を乗せて、いかにも小さくて落ち着かないという様子で座っている。腹立たしいことこの上ない。

「あーもう、無理に目を開けるから目に入るのっ! ちゃんと目は閉じるっ!!」
「ご、ごめん……」

 まだちゃんと洗い流せていないのだろう、目をパチパチと瞬かせながら、ネコミがピクスに謝っていた。
 謝罪を受けた妖精はというと、再び洗髪剤を手にしてわしゃわしゃと泡立て始めている。

「……ふぅ」

 私は、ネコミ達から視線をそらし、風呂の天井を見た。
 頭が少しだるいのは、少し長く湯船に浸かり過ぎたせいだろう。

 のぼせる前に湯船から出た方がいいのだが、あいにくまだ髪を洗っておらず、そのスペースは先ほどからずっと妖精に使われている最中だ。
 せめて湯船から出て浴槽の縁にでも座ればいいのだが、この冒険者どもの前で裸体を晒すのは躊躇われた。
 いや、別にスタイルの差を気にしているわけではないのだが。

「ネコミちゃーん、かゆいところはないですか〜?」
「み、耳の、うしろ……」

 わしゃわしゃわしゃ。

 ピクスがペタリと閉じたネコミの耳を持ち上げて、小さい手で器用に泡を馴染ませていく。
 フェルパーは髪を洗うのが面倒そうだな。水が耳に入りそうで。

 ────しかし。

 なんだって私は、押し入ってきた冒険者どもに風呂を占拠されてるんだ……?

 眉根を寄せて唸ってみても、答えは見つからない。
 今更文句をつけるようなみっともない真似はしたくないが、この無法ぶりを放置しておくと良くないことが起こるような気がする。
 まぁ、冒険者なんて無法者の集まりなんだから、仕方ないとも言えるが……。

「……ヒルダ」

 唐突に名を呼ばれて、私は無意味な思考を打ち切った。
 視線を下ろして、湯船に浸かっているもう一人の冒険者に視線を向ける。

「なんだ、……ギリュウ」

 切れ長の目の冷たい容貌が、こちらを睨んでいた。

 妖精の洗髪が終わったドラゴニュートは、長い髪が湯船に落ちないようにピンで留め、脱衣所から持ってきたタオルでくるんでいる。
 タオルの間からちょこんと突き出した竜の角が、表情と反してどこか可愛らしく見える。

「聞きたいことが、ある。……私達を、倒した者の、ことだ」

 有無を言わせない口調でそう言うと、ギリュウは言葉を切った。
 やけに途切れがちな喋り方は、あまり会話に慣れていないからだろう。

 ドラゴニュートは大抵がそうだ。連中は自らの鍛錬のために、他者と関わることを拒む者すらいる。
 冒険者をやっているような者であれ、口達者ということもあるまい。

「別に教えてもいいが、聞く理由は何だ?」

 連中がここに連れて来られた経緯は、すでにアイツとネコミから聞いている。
 だが、目的も聞かずに教えるつもりはない。
 まさか復讐などとは言わないだろうが、無為に危険の種を蒔くつもりもないからだ

 私の質問に、ギリュウはあっさりと答えた。

「私を倒した者だ、竜に達する、強き子をなすため……夫にしたい」

 ナニ言ってるんだこの女は。
 思わず『アホか』と突っ込みそうになる自分を諫め、丁寧に説明をする。

「……アイツは子供どころか孫までいるジジイだ。いまさら嫁なんぞとらんぞ」
「問題ない」

 私の言葉に、ギリュウはムカつくほどあっさり即答した。

「私を、嫁にとるかどうかは……相手が、決めることだ」

 そう言って、自信ありげに胸を反らす。
 見事なまでの自己中心っぷりだ。またはデカい乳を見せびらかしているのか。

 私が眉間に皺を寄せいるのもお構いなしで、ギリュウは言葉を続けた。

「強者との、戦いで、竜化が解け……私が、竜に達する望みは、断たれた」

 そこまで言うと、目を閉じて湯に浸かった自分の白い腹に手を置く。

「……ならば、竜に達する子をなすのが、定め」

 長く喋るのが苦手なのだろう。ギリュウは途切れがちの言葉で、ドラゴニュートの定めとやらを説いた。
 あまり雌のドラゴニュートは見ないが、そういうものなのかと感心する。

「おい……」

 感心した後、ギリュウの認識に重大な問題点があることに気付いた。
 主に竜化が解けた理由の部分だ。

 とっさにネコミを見ると、洗髪中のフェルパーは慌てて白い背中を向けた。
 丸まった尻尾が、風呂用イスの下に入り込んでしまっている。

 どうやら、ネコミは仲間にアイツの悪行のことについては喋らなかったらしい。
 ギリュウが不思議そうにネコミを見た後、眉根を寄せて私を見る。
 なにかあるなら説明しろと言わんばかりの顔だ。

 私は重い溜息を吐いてから、仕方なく口を開いた。
 誤解をそのままにはしておけん。古い友人の家庭に波風を立てるわけにもいくまい。

「よく聞け。お前の竜化が解けたのは戦闘のせいじゃない」

 ギリュウが訝しげに私を見る。

「? ……なにを言う。私は、確かに、戦闘で意識を失って…………」

 確かにギリュウの気持ちは分かる。
 ドラゴニュートが竜化を常に維持するには、莫大な集中力と修行が必要になる。
 例え寝ている時ですら、常に竜である自分を意識しなければならないのだ、恐らく他種族ではこの境地に至ることは困難だろう。それを数年間以上、無意識で続けるとなれば尚更だ。

「いや、だから……なんというか。意識を失っているうちに、事故があってだな」

 それがあっさりと破られたのだ。
 まさか寝てる間に逆鱗に触れたアホがいるとは、思いもよらないのだろう。
 そもそも、逆鱗だって触れれば竜化が解けるというほど簡単なものでもないはずだ。

「…………事故? どのような? 誰が原因だ?」

 湯船をかき分けて、ギリュウが私の前に顔を近づけてきた。
 切れ長の目が、キリキリと上がる。

 戦闘の中で感じるプレッシャーとはまた別の重圧を感じて、思わずのけぞりながら私は答えた。

「アイツだ。原因は……まぁ、アイツの能力のせいで、偶然……だな」

 アイツ、という言葉にギリュウは一瞬眉根を寄せる。
 その対象が、ネコミとグノーを襲った怪物のことだと思い至ると、少し不機嫌そうに言った。

「そうか……ならば、ソイツに、責任を取らせる。私より強ければ、問題は、あるまい」

 口を開いたと思ったら、とんでもない理屈を持ち出してきた。
 ナニを言い出すのかこの女は。

 種族の差というものを一切気にしてない堂々とした宣言に、私は思わず後ずさる。
 だいたい、自分より弱かったらどうする気だ、こいつは。

 ギリュウの毅然とした表情に動揺しながら、私はその決意に待ったをかけるべく口を開いた。

「……待て。一応言っておくが、アイツに子孫を残すような機能はないぞ?」

 これはアイツの生態で、私が真っ先に調べたことだ。
 アイツの不死身っぷりと底の抜けた桶のような性欲を考えると、もしそんな機能があれば、間違いなくこの世界はあの化け物で溢れかえることになるだろう。
 そもそも、それが分かってなかったらあんなに繰り返し何度も襲われてやるものか。

「あ、やっぱりそーなの? エッチはできるのに」

 私の言葉に反応したのは、目の前のギリュウではなく、ネコミを洗髪中のピクスだった。
 黒髪を泡立てる手を休めずに、言葉だけがこちらに向いている。

 私はチラリとピクスの方を見て答えた。

「ヤツのアレは、生殖行為じゃなくて食事だ。そもそも人間とはまったく違う」
「……はい? なにそれ、汗でも舐めてるの?」

 私の答えに、ピクスが多少引いた声で疑問の声を上げた。
 気持ちは分かるが、その答えはとっくに調べ済みだ。

「いや……アレが女を襲うのは、襲った相手の精神が目的だ。行為中の相手の衝動とか感情とか……とにかく、そういう反応を引き出すことで、飢えを満たしている」

 そう。
 ヤツのアレは、ただ純粋に飢えを満たしているだけ。
 恐らくあの存在は、本来はエネルギーの補給行為そのものが必要ないのだ。

「うわぁ……なにそれ。めっちゃ邪悪な生き物じゃん」

 洗髪の手を止めてこちらを見たピクスが、嫌そうに顔をしかめていた。
 私もそう思うが、嘘は言っていない。

 だが……と、私は言葉を区切って、頬をかいた。

「まぁ、そうなんだが……そんな生き物のクセに、妙に人間くさいんだよ」

 だから、どうも調子が狂う。憎む気になれない。
 別に長いこと一緒にいたから情が移ったという訳ではない。

 恐らくこの世界全体に対してすら、異質の存在であるはずのあの生き物は、異常に性欲が強いことを別にすれば、驚くほど人間的な精神を持っているのだ。
 教えれば掃除・洗濯・裁縫までなんでもするし、最近は料理にまで興味を持ち始めた。
 怒られれば謝るし、褒めれば喜び、無視すれば嘆く。

「確かに性質は妙なヤツだが、過剰に恐れる必要があるような存在でないことは確かだ」

 肩をすくめて、私はそう締めくくった。

「……ふむ」

 黙って私とピクスのやりとりを聞いていたギリュウが、顎下に手を置いて唸った。
 眉根を寄せながら、不可解だと言わんばかりの声で聞いてくる。

「つまりそれは……惚気か?」

「違うわぁぁッッ!!」

 私は勢いよく立ち上がり、空気を読まないドラゴニュートの顔に、思いっきり湯をぶっかけた。









 密室はいまだ、暗闇に閉ざされている。

 この狭い密室には、粘液が放つ独特の甘ったるい臭いとあたしの体臭の混じった濃い匂いが満ち、無数の触手があたしの身体上げるいやらしい水音が繰り返し響いていた。

 休みなくあたしを責め続ける絶頂の余韻の中、弛緩した手足をだらしなく放り出して、あたしは触手に絡み付かれるまま、粘液にまみれて無益な身悶えを繰り返していた。
 触手は恐ろしいほど精力的に、あたしの身体を貪り続けている。

 粘液を垂らした触手がなにかを飲み込むように蠢くたび、まるで自分のものではないように、あたしの身体は電気に打たれたように震える。
 肌の上を震えながら触手が這い回るたび、あたしが今まで大事に守ってきた大事なものが削り取られていく。

「んぁっ!……あっ、はぁ……あ、ふぁぁっ!? ……く、んんっ、くふ、こふっ……」

 口内を責めていた触手が喉の奥に触れて、あたしは小さく咳き込んだ。
 そのとたん、さんざんあたしの口内を蹂躙していた触手は、慌てるように口内から引っこんでいく。

 あたしは、もう一度肩を震わせて咳き込んだ。
 詰め物が取れたあたしの口から、口内で混ざり合った唾液と粘液が、糸を引いて垂れ落ちる。

「う……あ……」

 口で息を吸うのは、ずっと久しぶりのように感じて、あたしは喉を震わせて呻きを漏らす。
 けれど、すぐにもう一度、粘液質の触手があたしの唇に割って入ろうと、その先端を押し付けてくる。

 あたしは、弱々しく顔を背けながら、必死で口を開いた。

「……おねがい………もう……ゆるして…………」

 初めにこの魔物を倒そうとしたときには考えもしなかった、みっともない哀願。
 自然と涙がこぼれる。
 無駄だと分かっていても、自分に出来ることはそれぐらいしかないのだ。

 けれど、ただその一言で、あたしの肌にまとわりついていた無数の触手は凍りつくように動きを止めた。
 石になったように硬く硬直した触手に、あたしは息を飲む。

「な……に……?」

 恐る恐る、声に出す。
 また、なにか恐ろしいことをされてしまうのかもしれない。
 漠然とした恐怖と、かすかな期待が脳裏に浮かぶ。

 不意に、硬質の音が上の方から聞こえた。

 見上げると、この部屋の奥の壁の天井に、白い、四角い穴が開いている。
 それが、格子窓から飛び込む月の光だと理解するまで、あたしはぼんやりとそれを見上げ続けていた。

 不意に、声が聞こえた気がして、視線を落とす。

 月の光の下で、無数の視線があたしを見ていた。
 動きを止めて固まった触手の中に生まれた無数の眼球が、大きく丸く見開いた瞳であたしを見ている。

 視線の集まる先、自分の姿を見下ろす。
 自分が裸で、あられもない姿を晒していることを自覚して、忘れていた羞恥が再びよみがえる。

 けれど、不意にその思考に割り込むものがあった。
 自分のものとは明らかに異質なそれを、あたしは自然と目の前に鎮座する触手の怪物のものだと認識する。
 快楽の渦の中で味わった、奇妙な一体感がそれを証明していた。

 けれど、触手から伝わったその思念は、驚愕。
 ……そして、遠方から押し寄せる波のようにゆっくりと心を覆っていく、恐怖と焦燥だった。

 ふと、視線を下に向けると、何故か、部屋の奥の床の上で綺麗に畳まれている、あたしの衣服一式がある。
 その一番上には、ちょこんと脱がされた下着が乗っていた。

 苦悩に満ちた怪物の言葉が、あたしの脳裏に確かに聞こえる。

『……いかん。……うっかり、相手を間違えてしまった……』









つづく