鎖で吊るされた豪華なシャンデリアが、寝室を明るく照らしていた。
シャンデリアを飾ってる水晶の明かりは、真昼のお日様の光りよりも明るくて、白々しい。
その光に照らされているボクは、シャンデリアと同じように、鎖に縛られてベッドの上に寝かされている。
寝かされているベッドは端々を精緻な装飾で飾られた高級品だったけど、肌に触れるシーツの、上品な獣の毛皮のような柔らかさを楽しむ気にもなれない。
それは、なによりシーツの感触が分かるのが、ボクの肌がシーツに触れている部分が多いからで……ようするに、ボクが今、なにも身に着けていないからだ。
そして、ボクを見下ろしている、いやらしい人間の目が、すぐ側にあるから。
ボクは裸にされて、この男達の晒しものにされていた。
「くくくくく、男爵様もまた趣味が悪い。人間に飽きて果てた末、今度は魔物の娘とは」
頭に大きなターバンを巻いた小太りの男がいやらしく笑う。
鼻の下のチョビ髭は、油を塗っているみたいに黒くて、虫の殻みたいに艶がある。
「ふぁふぁふぁふぁふぁ、高尚な趣味といってくれないかね。或いは、ちょっとした紳士の嗜みとか」
やけにクルクルした巻き毛の痩せぎすの男が、口元を歪めながら変な笑い方をする。
ナナメに跳ねたブーメランみたいな髭は、人間の絵本で見たことのある悪い貴族そのものだった。
「ほっほっほっ、これはこれは失礼を。まぁ、しょせん魔物など人間以下の家畜ですからなぁ」
商人の男が揉み手をしながら笑う。
口にしている言葉と、ボクを見下ろす嫌な目つきは、ボクが知っている人間とは全然違う。
それは、物語の中でしか聞いたことのない、サベツ主義の悪い人間そのもの。
「くそぉ……」
今すぐその顔を引っかいてやりたいと思う。
けど、その手は腕枷でバンザイの姿勢にさせられていて、前を隠すことも出来ない。
「ほほほ、しかし、なかなか可愛い娘ではないか。ゴブリンなど薄汚い山賊同然の生き物と思っていたが、なかなかどうして雌となると、ずいぶん形が違うな」
悪い貴族が目を細めると、ボクの顔をジロリと見た。
怖気がするような視線が怖くて、とっさにボクは目を逸らす。
けれど、貴族の視線はボクの顔から下へ、喉を伝って胸を見て、そこからずっと下へ下へ、ゆっくりと身体を舐めるように見ていく。
見えない巨大な舌が、たっぷりと唾液を塗りつけながら肌を舐めるような感触が、伝わってくる。
前を隠して、足を閉じようちおしても、手足を引っ張り鉄の鎖はびくともしなかった。
視線が、おへそを舐めて、下腹を伝って、閉じることもできない脚の間へ下りてくる……。
「……こっ、この、ヘンタイ!
はなせよっ!!」
必死に出した言葉は、自分でも分かるほど怯えていた。
目に涙が溜まっているのを見られないように、腕で目尻を擦る。
「くくくく」
貴族が喉奥で笑う声が聞こえて、視線が外れた。
安堵とともに息を浅く吐く。
感触だけで感じた唾液の代わりに、肌にじっとりと重い汗が浮かんでいた。
「ヘンタイとは失礼な、こちらはお前を高額で買ってくださったご主人様なのだぞ?」
「なぁに、気にすることはない。むしろこれぐらい元気な方が、教育のしがいがあるというもの」
商人が立腹しながら異議を申し立てて、貴族がいやらしく笑う。
教育、という言葉に嫌な予感を感じて顔を上げると、貴族の手が僕に近づいてくるのが見えた。
ボクは必死にベッドの上を後ろに這って、男の手から逃げようとする。
「く……くるなっ!
お前たちっ!
ボクに指一本でも触れたら、ぜったい許さないからなっ!!」
足枷から伸びる鎖がベッドの下へと伸びているので、後ずさることが出来たのは少しだけだった。
けれど、貴族は伸ばしかけた手を止める。
「ほほぉ……これはまた可愛いことを言う。指一本、指一本とはなぁ……」
代わりに貴族はにやりと笑い パチンと指を鳴らす。
どいうつもりかと、ボクが戸惑ったのはほんのわずかな時間だけだった。
急に、ガシャガシャと鉄の歯車が噛み合う音が聞こえて、ベッドの枠に添えられていた支柱が動き出す。
支柱からは、ボクの足枷に繋がった鎖が伸びている。
そして、その鎖をどんどん巻き取りながら、支柱はボクの左右へと移動していく。
「えっ、あっ……な、やぁ、やめ……」
慌ててボクは足を引っ張る鎖を止めようと力を込めたり、身体を揺すって体勢を変えようとしたけれど、鎖を引っ張る機械の力は強くて、引っ張る力は止まらない。
ガチャンと音を立てて鎖を巻き取る機械の動きが止まったときには、ボクの脚は、恥ずかしいぐらいに大きく左右に割り開かれていた。
「あっ……あああっ、いやああああっ!やだ!
見ないでっ!!」
目をぎゅっと閉じて、顔を背ける。
そんなことをしても、男達のいやらしい視線は、遮ることも出来ない。
手でそこを隠したくても、鎖がジャラジャラと鳴るだけ。
両脚を開かせている足枷は、もう限界まで引っ張られていて、音も鳴らなかった。
視線が、ボクの大事な部分を、じっくりと弄ぶように舐めていく。
「なんだ、大きい口を叩く割には、こんなに震えて……それに、ここもまだまだ子供ではないか」
貴族が声を潜めて、ボクに囁く。
恥ずかしさとくやしさで、耳まで赤く染まっているのが分かった。
「くくく、こんなに可愛らしい割れ目では、男爵様のご立派な一物を受け入れるのは大変でしょうなぁ?」
商人が屈み込んで、ボクの足の付け根を覗き込みながら言う。
声と同時に、ボクの、敏感な場所に、商人の吐息と、鼻息がかかる。
「…………い、いや……」
ボクは、首をゆるゆると振った。
涙がポロポロとこぼれているのが分かる。
「なぁに、そんなに泣いて嫌がらなくても良い……。我輩が、たっぷりと時間をかけて、お前に女の悦びの何たるかを教えてあげようじゃないか」
貴族が、ボクの上に覆いかぶさるように顔を近づけて、耳元に囁いた。
手足が動かせないボクは、男の体を跳ね除けることも出来ない。
噛み付いてやれ、そう頭の隅に考えが浮かぶけれど、背けた顔を男に向けることすら怖くてできない。
「そうそう、指一本触れたら……と言ったねぇ?
指一本触れたら、我輩を許さないんだったねぇ?」
囁き声に含まれた嘲笑の響きに不吉な予感を感じて、ボクはとっさに自分の足元を見てしまう。
開かれた足の付け根に、貴族の手が触れようとしている。
「や……やめっ…………う、あぁ……」
そろそろと、時間をかけて、男の指が迫っていく。
鎖に引かれた脚は、もがこうとしても、わずかにギチギチと鉄が引かれる音を上げるだけだった。
汗が、腿の隙間を伝って、敏感な部分の側を撫ぜる。
声を押し殺そうと、口を硬く閉じて、シーツを手の平でぎゅっと閉じる。
貴族の指先は、獰猛な獣の舌先のように、ボクの……。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!
次の瞬間、唐突にベッド脇の壁が吹き飛んだ。
「おわぁぁぁッ!!
せっかくお楽しみのところを!!
なに者だ!!?」
商人が何故か拳法っぽいポーズを取りながら声を上げる。
その言葉に応えるように、吹き飛んだ壁の向こうから颯爽と現れる一陣の風。
「フハハハハハハハ!
私の名は、死霊使いのヒルダ様だ!! 悪い人間は土下座して今までの罪を悔いろ!
さもなくば死んだ方がマシな目に遭わせる!!」
そこには、巨大な肉の塊のような、絶え間なく蠢く無数の触手の上で哄笑する、魔女の姿があった。
マントが風ではためき、とてもかっこいい。
「ふざけるな!
貴様も我輩のテクニックでにゃんにゃんしてやる!!」
「私達のテクニックを甘く見たのが仇となったようだな!!」
さっきまでボクの上にまたがっていた男が、座ったままのポーズでジャンプすると、空中から魔女様へと襲いかかる。同時に、小太りの商人が地面を蹴った。
上と下からの同時攻撃は、訓練されたもののそれだ。まさに回避不能の二重殺!
「魔女様、あぶない──ッ!!」
僕の叫びに応えて、魔女様はにやりと笑うと、その白い細腕を上げる。
「甘いわ!!
やってしまえーー!!」
次の瞬間、魔女様の足元から怒涛の勢いで伸びた無数の触手が、貴族と商人をあっという間に絡めとる。
うねうねと蠢く触手に二人の男が沈むと、ぽーんぽーんと身に着けていた服が飛び出していった。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁやめろやめろやろそこは待ってゴメンすいませんマジ反省しますからこれ以上はちょっとあひぃぃぃぃやめてためてくださいそこだけは………………………………アーッ!」」
「この我輩がこのような薄汚い触手ごときにはぅあっ!
いきなりどこをむをあああああっ!? き、貴族の我輩をひゃぅううっ! やめ、はな…っ…うひゃぁぁ! らめ!そこらめぇぇぇぇぇ!?
我輩いっひゃううううううっっ!!」
断末魔の絶叫と共に、悪は滅びた。
「とぅ!
大丈夫かゴブリンの娘!?」
一仕事終えた感じの触手さんからジャンプして、魔女様がボクの目の前に着地する。
ボクはまだ裸のままだったので、多少恥ずかしかったけど、「ありがとうございます」と御礼をした。
「なに、当然のことをしたまでだ」
笑顔でそう答えてくれる魔女様が頼もしい。
その笑顔に安心しながら、ボクはおずおずとお願いした。
「それで……あの、魔女様……。この格好、すごく恥ずかしいから……鎖、外して欲しいんですけど……」
鎖のせいでボクは大開脚させられているわけで。
魔女様はそれを真正面から見ているわけで。
いくら魔女様でも、こんな格好をずっと見られるのは恥ずかしすぎる。
だというのに、魔女様は笑顔のままでこう答えた。
「いいから」
背後に回した魔女様の手の平に、いつの間にか一本の太い何かが乗っている。
ゆっくりとこちらに向けられたそれは、黒光りするような……太くてツルリとした表面の──────
太 い 麺 棒 だ っ た 。
そしてその太い麺棒を手に、大開脚をさせられたままのボクにずんずん迫ってくる魔女様。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、魔女様……魔女様なんでぇぇぇぇええええ!?」
「いいから」
「よーくーなーいーですっ!……なんでこんなっ……って!
そんな太いの、ボク、絶対無理で……っ!!」
「いいから」
「やぁっ、いやぁぁあ……んっ…あっっ…押、押し付けないでっ……無理っ、ぜったい、無理ーーーーっ!!」
「いやぁぁ……ダメ……麺棒が……めんぼーがーーー……」
さっきまでうなされたり変な声を上げていると思ったら、急に悶え苦しみながら謎の寝言を口にしだした娘を前に、父と祖父は困り果てていた。
「……お、お父さん!
こういう時は、いったいどうすれば!?」
「ぬ、ぬぅぅぅ、儂にも分からん!
と、とりあえず、ロナの寝言の通りに、麺棒を持ってくればいいんじゃないか!?」
「分かりました、今すぐにありったけ持ってきますっ!!」
「くぅぅぅぅ、起こした方がいいのじゃろうか?
しかし、無理に起こせば健康に阻害が……ぐぬぬぬぬ」
数分後、ようやく目を覚ましたロナは、何故か麺棒を手にしたまま自分を心配げに覗き込む父と祖父の姿を前に、それはそれはすさまじい悲鳴を上げた。
その悲鳴は夜中のゴブゴブ村の隅々まで響き渡り、翌日のゴブゴブ村の村人達をちょっとした寝不足に陥らせたという。
あと、こっぴどく顔を引っかかれたロナの父と祖父は、ダメージから回復できずに翌日寝込む羽目になった。
11話 「悪夢! 虜囚の果てに!!」
客室はちょっとした負傷者収容所と化していた。
あちこちに横たわる怪我人、慌てて用意されるベッド、とりあえず清潔なタオルの山。
「だぁぁぁぁぁ、お前は阿呆か!
これは工具箱だろうが!
救急箱をとってこいと言ってるだろうにっ!!」
触手がうねうねと差し出した木製の箱を押し返して、怒声を叩きつける。
文字が読めないのを差し引いても、持ってくるときに中身の確認ぐらいしろと言ってやりたい。
触手の怪物は、一度目を瞬かせるとうねうねと部屋を出て行く。
「……寝かせた」
怪物の対応しているうちに、ネコミが冒険者共を横に寝かせ終えていた。
部屋にベッドは一つだけなので、残りはソファと机の上と床に寝かせるように言いつけたのだが。
「よりによって一番デカいのをベッドで寝かすな!
せめて鎧は脱がせろ馬鹿者ッ!!」
ベッドのスプリングを押し潰さんばかりの重さで、仰向けのドラゴニュートが寝かせられていた。
フルプレートアーマーを装着している上に、体の竜化が進み全身を甲殻と鱗で覆ったドラゴニュートは、ちょっとした岩の塊のような重さがある。
ベッドまで持ち上げたのは凄いが、どう見てもこれではベッドが潰れて使い物にならなくなる。
「肩とか、おなか、怪我してる」
仰向けにするには尻尾が邪魔だと言いたいんだろう。
ソファでもいいと言いたいが、そっちはドラゴニュートが横たわるには小さい。
「分かった分かった。じゃあせめて脱がすぞ、やり方分かるか?」
私が聞くと、ネコミはふるふると首を振った。
一つ溜息を吐いて、ネコミの横について手伝いを始める。
「言われた通りにやれよ。まずコートの留め具を外すから、少し首の辺りを持ち上げる……よし」
ネコミに手伝わせて、私はドラゴニュートの鎧を脱がし始めた。
昔も今も、それほど鎧の構造というもの変わらない。
もともと冒険者用の鎧は手順を踏めば素早く着脱出来るようになっていることが多く、ドラゴニュートの着ていた鎧も案の定、簡単に脱がすことが出来た。
鎧の下に隠れていた白い鱗は、一部が波立つように割れて、その下の皮膚はドス黒く染まっている。
「……なるほど、打撲傷と衝撃で気を失ってるのか」
話を聞いて見当は付いていたが、ゴブゴブ村の爺にやられたのだろう。
あいつも私と同じ『生き残り』で、元は魔王城の番人だ。英雄抜きの冒険者三人程度では、話になるまい。
「どう?」
ネコミが横から不安げに聞いてきたのは、見た目から負傷の程度が分からなかったからだろう。
「衝撃で深い疲労状態に陥らされているだけだ。意識が途絶えているが、ほっておけば自力で回復するだろう」
私が説明すると、ネコミは安堵の溜息をついた。
脱がした鎧をまとめて、ベッドの横にまとめ始める。
『これで良いだろうか?』
急に腕に触手が絡みつくと、そんな思考が流れ込んだ。
振り向くと、入り口から入ってきた怪物が、救急箱を触手で吊るしてぺたぺたと這ってくる所だった。
「ああ、それだ。次からは、ちゃんと憶えろよ」
そう言って応急箱を受け取り、中を開ける。
この手の打撲傷にはあまり塗り薬の効果はないので、血の偏りを防ぐ薬草を取り出す。
すり鉢で磨り潰していると、横から怪物が、触手の先に生やした瞳で件のドラゴニュートを見ていた。
「……女の寝姿をじろじろ見るな」
鎧を脱がしたときに胸は空けてある。
完全な竜化を果たしている肉体は、人間のように乳房があるわけではないが、それでもジロジロ見ていいものじゃないだろう。
両手が塞がっているので睨みつけるだけだったが、怪物の方はおとなしく触手を引っ込めた。
『そう言われてもピンと来ない。この爬虫類の人が本当に女性なのか?』
代わりに、そんな思考が流れ込む。
「完全に竜化しているがな。ドラゴニュートは、このまま修行を続けて、最後に竜になる。気絶しても竜化が解けないということは、相当な修行をしてるんだろう」
完全に竜化したドラゴニュートは実際珍しい。
人類側にいるような連中は、中途半端な半人半竜の姿で子を生し、ドラゴニュートとしての種を維持する道を選んだ者がほとんどだと思っていたが。
『なるほど』
私の言葉を受けた怪物は、もう一度目玉の付いた触手をドラゴニュートに向ける。
その先端が途中で変形して吸盤のような触手に形が変わるのに気付いたのは、触手がドラゴニュートの下半身に乗っていたシーツの中に消えたときだった。
するすると、シーツの中の盛り上がりが、仰向けに眠る竜の太い脚の付け根へと移動していく。
「……あ」
両手が塞がっていたので、とっさに止められなかった。
というか、いきなりそんなことすると予想できなかった。
『うむ、ほんとに女の子だ』
なんか納得した感じの思考が伝わってくる。
「おまっ、この……!」
黙れこの馬鹿すぐ止めろ、と口にしようとしたが、とっさのことで舌が回らない。あああああ、なんでコイツのアホ思考はダダ漏れで伝わってくるのに私の思考はコイツに伝わらないんだ!
時すでに遅く、竜の口から吐息が漏れた。
「グ、ゥ、ア……は、ひ…………あ……あ……っ」
声の途中で、その性質そのものが変化する。
次の瞬間、ギチ、と音が鳴った。
ミシミシミシと、鈍い音を立てて全身を覆っていた鱗が急激に硬度を失い、その肉体の輪郭が変化していく。
後方に伸びた竜の角だけをそのままに、突き出た顎が引き込まれ、牙は縮み行き、突き出た爬虫類の瞳が眼窩に沈んでいく。
角の後ろから生えた深緑の長い髪が、ベッドの上を波打ちながら広がっていく。
鋭い爪を伴った手は細くしなやかなものへと変わり、前傾姿勢を前提とした折れ曲がった脚が、細い脚に変わるにつれて真っ直ぐと伸びていく。
脚の間から見えていた、体を安定させるための長く太い尻尾が、みるみる短く縮んで細く短いものへと退化していく。
鱗と甲殻に覆われて硬質のシルエットをしていた肉体は、女性らしい丸みを帯びた、人間とほとんど変わらないものへと変化を遂げた。
研鑽のされ方から高齢だと思っていたが、予想よりも若い。
人間なら20を過ぎたぐらいの年齢か。
竜化した時と同じく背は高く、そのせいかずいぶんとスタイルがいい。
むき出しの胸からこぼれた大きな乳房は、形を崩さずにツンと上を向いていた。
「…………あ、あ、ああああああ」
事態に気付いたネコミが、口をあんぐりと開けて仲間の変化を見ている。
その蒼ざめた顔からすると、この事態を理解しているのだろう。
『お、おおおおおお、驚いた、まさかいきなりこんなに変わるとは……』
予想だにしない変化に、触手の怪物は慌てて脚の間から触手を引き抜いた。
引き抜く瞬間、もう一度ドラゴニュートの口から微かな吐息が漏れる。なにやってるんだコイツは。
私は、無言でドラゴニュートの娘のシーツを持ち上げると、胸までをかぶせる。
腹の打撲は残っていたが、竜の姿をしていた時よりも黒い痕は小さい。今の変化で悪化することはないだろう。
────それは、ともかく、だ。
すり鉢を置いて、両手を触手の怪物に伸ばす。
事態に気付いて逃げようとするのを無理矢理捕まえて、太い触手を引っ張り上げた。
「アホか!! お前、お前なぁぁぁ!
いきなり足の間に触手を突っ込むヤツがあるかッ!!」
どこをどうしたかは見ないでも分かる。
というか、今の変化だけで丸分かりだ。
『いや、私は単に男女を見分けようと。ほら、胸じゃ分からなかったから、そっちがあるかないかで分かるかなー、と。別に性的な目的があったわけではなくて……ですね?』
言いたいことは分からないでもない。分からないでもないが。
「ヒトが女だとはっきり言ってるのに、そんな場所を触るヤツがあるかッ!
お前、その調子で、私が寝てる時に毎回変な事をしてるんじゃないだろうなッ!?」
『いや、決してそんなことはない。ちょっと微妙な部分をくすぐるくらいで』
「それはやってるってことだろーがッッ!」
持ち上げて吊るした触手の塊をぶんぶんと振り回すと、触手はわたわたと細い触手を無数に揺らして、必死に弁明の意志を伝えてくる。
『いやいやいや、それはこう、私の愛のあらわれであって、今回のケースとはまた別の問題であって、今回は決してやましい気持ちで触ったわけではないわけで……』
なにか思考がどんどんあやしくなってきたが、私はいい加減コイツを責めても仕方ないと思い直して、触手の塊から手を離した。
ぼろんとこぼれ落ちた触手は、伸ばしたゴムが縮むように、触手本体にひゅるひゅると巻き戻っていく。
私は息を吐いてもう一度ドラゴニュートを見る。
意識を失ったまま昏々と眠るその顔は、すでに人間のそれと変わらない。
「……あのな。ドラゴニュートは修行で竜になると言ったのはまだ憶えているな?」
床の上で小さくなっている触手の怪物を前に、私は腕組みをして鋭い視線を向けた。
軽く怒りを込めたのが効いたのか、怪物はぶるぶると触手を震え上がらせて私に思考で答える。
『サー!
イエス、サー!』
ちょっと芝居じみているのがムカつくが、真面目に聞く気はあるようだった。
「なんだその返答は。……とにかく、さっきの姿はドラゴニュートが修行の末に竜に近付いていたことへのあらわれだったのだ。つまり、ドラゴニュートは人から離れるほど、ドラゴンに近い肉体を獲得していく」
触手の怪物の大きい目が瞬く。
まだ、事態がよく分かってないらしい。
「肉体の変化は自在に行えるものではない。本来、人に似た姿であるドラゴニュートがそこまで到達するには、優に10年を超える修行が必要だ」
私の言葉に、触手がビクンと揺れた。
大きな瞳がドラゴニュートの娘を見て、もう一度私を見る。
「お前が先ほど触れた場所は、竜と化したドラゴニュートの逆鱗だ。触れれば人の性が蘇り、長い時間をかけてやっと捨て去った性は、あっという間に竜と化した肉体を解いてしまう。今までの苦労を無に返してな」
やっと完全に事態を理解したのか、触手の怪物はブルブル震えていた。
なにかそういう特殊な生き物みたいで大変気持ち悪かったが、私は気にせず腕組みを解き、静かに問い正す。
「……もちろん、ちょっと触れるだけでそこまではならない。が、お前……触手で、そこをどうした?
舐めたり吸ったり突いたり擦ったりしたんじゃないか?
罪の意識が少しでもあるなら、正直に言え────」
ゆっくりと拳を鳴らしながら聞く。
少しの間のあと、微妙に視線を逸らしながら触手の怪物が応えた。
『──────ちょっとだけ』
次の瞬間放った左ストレートは、正確にデカい眼球を真正面から捉える。
飛び散った硝子体は、飛沫になって私に降り注いだ。
◆
目が覚めたら、ふわふわするタオルの山の上だった。
洗濯したばかりなのか、白いタオルからはお日様の匂いがする。
ちょっと気持ちいいなぁと、ぼんやり目蓋を下ろしかける。そのまま眠ってしまいたい気分だった。
それを留まったのは、わたしを見下ろす顔に気付いたからだった。
黙っていれば冷たい女で通るだろう切れ長の鋭い猫の目が、みっともなく目尻を落としたまま、オドオドと不安げに左右に揺れている。
ぺたりと伏せた頭の上の猫の耳は、見間違えるはずもない、わたしの仲間の顔だった。
「……おはよー」
ゆっくりと声を上げる。
口から出てきた声は、しわがれたみっともない声になってしまった。
わたしの声を聞きつけるや否や、耳を伏せてわたしを見ていた顔が丸く見開く。
「おはよう」
声を高くするわけでなく、一文字ずつ確かめるようにゆっくり発音する声。
それは慣れない相手が聞けば無感動な声と思うような声だったが、その頭の上では猫の耳がピンと立って、必死に喜びを表現していた。
クスクス笑ってから、私は少し躊躇って口を開いた。
「えーと……それで、なにがどうなったのかな?」
わたしの質問に、ネコミに耳がまたぺたりと伏せる。
また、なにかややこしい事態にでもなっているらしいと、わたしは直感的に悟った。
「ふーん、なるほど、そんなことになってたのねー」
わたしは、ネコミが出してくれた冷えたミルクを飲みながら、彼女から今までの経緯を聞いていた。
わたし達が例のでっかいゴブリンに倒されてから、ざっと半日ぐらいが経ったらしい。
外はもう真っ暗で、空には星と月が輝いている。
「うん。なってた」
こくこくと頷くネコミの手元にも、ミルクの入ったマグカップが握られている。
ここの主人はもう寝ちゃったとかで、二人のミルクはネコミが入れたものだ。
どんだけ馴染んでるんだよと突っ込みたいが、あえて口にはしなかった。
ネコミが先ほど話した話を聞いた後だと、どんな影しい突っ込みも、虚しく響くだけだろう。
「で、その触手は?」
実物見てないし、見たくもないけど、ネコミを連れ帰るには顔ぐらい合わせないと無理だろう。
そう思って聞いたのだが、ネコミは耳を伏せて口ごもった。
「……なに?」
なんかまずいこと聞いたかと思って眉をひそめる。
え、ギリュウの件で文句の一つも言ってやろうって思ってたのがバレた?
「ギリュウのことで、ヒルダさんが怒って。……悪さしないようにって、倉庫に、閉じ込めちゃった……」
ネコミは、眉を八の字にしてそう言った。
「そ、そう……」
なにその子供のしつけみたいな罰。
あとネコミもそこで何故あからさまにガッカリしてる顔になってるのか。
「えーと……例の魔女、もう寝てるんでしょ?
ちょっと出してやってもいいんじゃない??」
できれば、魔女が寝てるうちに、真偽を確かめたい。
そう思って提案したのだが、ネコミは首をふるふると横に振った。
「ヒルダさん、怒るから」
そんな理由かい。
思わず突っ込みたくなったが、ネコミの顔は真剣だ。
「あのさ……こっそり、とか、ダメなの?」
一応聞いてみたが、耳がぺたりと伏せるのを見るだけで答えは判った。
ようするに、その魔女はそれだけ義理を通さなきゃいけない相手になってるってことだ。ネコミ的に。
「……あーあ、それじゃ結局、全員起きてくるまで面会不能かぁー」
わたしはがっくり来て机に突っ伏す。
人が張り切って真面目に話を進めようとしたらコレだ。
いっそ、魔女を暗殺しちゃおうか、なんて考えが頭をよぎったけど、ネコミの話を信じる限り、そんなことしても何の意味もない。
そもそも装備や武器の類も一応、ほとんど取り上げられてるし、なによりグノーお手製の魔除けを全部取られちゃったのが痛すぎる。
万が一にもネコミが騙されていて、やっぱり魔女は悪いヤツだったとしても、ここから脱出する方法がないのは厄介だ。
「うん。……魔物さん、紹介したかった」
ネコミの方はと言うと、人の気も知らずに人智を越えるコメントを口にしていた。
紹介されて困るものナンバーワンに輝きそうなんだけど、それ。
そこまで考えて、ふと、先ほどの話を思い出す。
「ところで……えーと、その、触手の魔物に、エロいことされたんでしょ?」
ネコミはその辺について、そのものズバリな表現はしなかったが、グノーの証言と組み合わせて考えると、それで間違いないはずだ。
「……うん」
ネコミは、耳をぺたりと伏せて、少しうつむくように小さく頷いた。
首筋まで赤く染まった初々しい反応が、なんとももやもやする効果を上げている。
「いやそこで乙女乙女しい反応されても困るんだけど……っていうか、えーと、基本的に無理矢理だったんだよね?
えーと、その……二回目は、まぁ、同意の下でって話だけど」
自分で言ってても、ありえなさ過ぎる話だと思うのだけど、とにかく事実確認だ。
わたしはネコミの恋する乙女的反応をスルーしながら話を続ける。
「え、あ……う、うん。……たぶん、そう……だと、思う」
口にしながらネコミの耳は立ったり伏せたり、尻尾が上がったり下がったりと忙しく動く。
なんだこの反応。
「いや無理矢理じゃんなんでそこで口ごもるのよ」
半眼で睨みながらそう言ったら、ネコミは困ったような顔になった。
もごもごと口を動かして、当時のことを喋りだす。
「でも、その……色々、その……やって、やってもらって……途中から、私も……」
赤く染まったままの頬に両手を当てて、斜めに逸らした視線を潤ませて喋りだす。
声になんかいやな感じの熱が篭ってる。
「アーアーアーアーアーアーアーアー聞きたくない聞きたくない聞きたくなーーいーーー!
とにかく!! 最初はッ!
無理矢理だったんでしょッッ!!」
なんか聞いてるうちにだんだん、どっかから桶をもってきて頭から水を引っ掛けてやりたい衝動に駆られて、わたしは耳に指を突っ込みながら無理矢理ネコミの話を静止した。
「……うん」
案外あっさりとネコミは口を閉じる。
良かった、これ以上続けられたら気絶させなきゃいけないトコだった。
安堵と共になんともしれないもやもやが去っていく。
その次に浮かんだのは、問題の触手の魔物とやらに対する怒りだった。
わたしは、ゆっくりと息を吸った。
そして、ネコミの真正面から、目を逸らさないように顔を近づけ、一気に喋りだす。
「あのねー。アレよ、ほら。ネコミ、そーいうこと初めてだったわけでしょ?
つまりアレじゃない?
経験とか全くないところに、いきなりエロいことされちゃって、自分でも分かんないうちに情が沸いたとかさー」
ネコミがもぞもぞと反論を口にしようとするが、会話や交渉に関しては基本的に頭の回らないネコミは、考えをうまく口にすることができないでいる。
もちろん、わたしは反論を待たずして話を続ける。この手の説得は、押し切った者の勝ちなのだ。
「それに、ほら、アレだって、触手っていうからには、ほら、なんかエロイ液とか垂れ流してるんでしょ?
なんかネチョネチョされてるうちに、毒とか呪いとか魔法とかで、魅了されてるだけなんじゃない?
つまり、状態異常なんじゃないかって意味なんだけど」
ぶっちゃけ思いつきかつ言いがかりなのだが、ネコミの方はそうやら思い当たるところがあったらしく、困ったように眉が八の字に変わった。
「……でも」
拗ねたような顔で、俯きながらそれだけを言う。
ネコミがこういう顔をするときは絶対折れないことを、わたしは経験で知っている。
けど、そこまではわたしの計算のうちなのだ。
「せめて一回、グノーに"完全治療"をかけて貰うこと。いい?」
それが、わたしがネコミに了承させたいことだった。
もし、わたしが考えた危険というのが本当だったら、これで問題は解決する。
「でも」
ネコミの表情が変わった。
拗ねた顔から、困ったような表情に。
違うとか、ダメとか言いたいのに、言えないって顔だ。
「……ネコミが嘘つかないのは、わたしも知ってるの。でも、魔法とかの効果までは確かめられないでしょ?」
噛んで含めるようにゆっくりと言う。
卑怯な言い方だな、と、ちょっと自分でも思ってしまった。
「……」
わたしよりもずっと大きいくせに、子供がすがるような悲しい顔でこちらを見つめてくる。
その視線にかすかに胸が痛んだが、わたしが口にする言葉は変わらない。
「お願いだからさ……わたし達を安心させるために、お願い。ね?
ね?」
最後に、両手を合わせて頭を下げる。
うちのパーティーに伝わる、伝統的なお願いのポーズだ。
「…………うん」
それがトドメになったのだろう。
ネコミは、いまだ渋々という様子だったが、とにかく頷いてくれた。
「ん。ありがと」
そう言って、わたしは溜息を一つついた。
椅子の背に体重をかけて、ずりずりと下へ滑っていく。
全長30センチのわたしがそんなことすれば、わたしの姿はテーブルの縁に潜ってしまって、ネコミの視界からそっくり消えてしまうだろう。あんまり、顔を見られたくない気分だった。
「……それでさー。みんな起きたら、ネコミはどうする?」
ネコミの話が全部本当として。
たぶん、本当だろうなと思いながらも、さっきの話をしたのも、遠回りしたい気分だったからかもしれない。
ネコミは、とにかく心配させないように、わたし達のところに戻るつもりだった。
その目的は、色々と回りくどいこもあったけれど、とにかく果たしてしまったわけなのだ。
それで……その後、ネコミはどうする?
実のところ、わたし達って壮大なお邪魔虫だったんじゃないだろうか?
それを聞いたわたしの顔こそ、見事に拗ねた顔になっていることだろう。
ネコミは、テーブルの陰に隠れたわたしの表情に気付かないまま、あっさりと答えを返してきた。
「一緒についていく」
てっきり逆の返事を予想していたので、わたしは微妙に言葉に詰まる。
「……え、あ、いいの?」
あれ、なんだ、もしかして余計な心配だった?
そう思いながらも、いらんことを聞いてしまうのが、小賢しい妖精の知恵だった。
なにか裏がないかとか、後から言い直されるのが嫌だとか。
「うん。決めてたから」
ネコミはしっかりした口調で答える。
どうやら余計なことに気を回す必要はないらしい。
「そっか」
わたしは、なんだか拍子抜けした気分で答える。
余計なことまで気を回した自分が妙におかしくて、顔が水で膨れたパンみたいにへにゃりと緩む。
当初の心配があっさり片付いて脱力するわたしに、ネコミの言葉が続く。
「でも、仕事の合間とかでいいから、また来たい。……魔物さん、寂しそうだった」
ネコミの方はというと、あくまで真面目だ。
きっと、わたしやグノーのの与り知らないところで、ネコミは結論を出していたんだろう。
「……ん、まぁ、そのくらいなら」
しばらく、この辺りで仕事を探してやるかな、くらいのことを考える余裕ができていた。
まぁ、寂しそうな触手の魔物ってどんなんだよ!と、頭の中の何割かはツッコミを入れていたが。
よいしょと椅子の下から立ち上がり、テーブルに載ったコップを両手で抱えて口に運ぶ。
コップに注がれていたミルクの残りを平らげてから、わたしはネコミの方を見た。
いつもの通り、何をしてても真剣そのものの顔。
しかしその耳はピンと立って、尻尾を嬉しげにピンと立てている。
今の話を聞いてもらえるか心配だったんだろう。
たかが、また遊びに来たいって主張するだけで、ずいぶんと悩んだもんだと思うが、それを口に出すほどわたしは意地悪じゃない。
わたしは、ふわりと羽をはばたかせて机の上に浮かぶと、腰に手をやって口を開いた。
「さって、と。話も終わったし……他のみんなのこと、看てよっか?」
「……うん」
わたしの言葉に、ネコミは嬉しそうに頷いた。
◆
「フン、だれが入ってきたかと思ったら、お前達か」
「……魔女」
「なんだドラゴニュート」
「まーまー、ギリュウもこんなトコでまで怒ってないでさー。さっさと入ろーよ、ね?」
「なるほど、妖精族は、相変わらずどこでも馴れ馴れしい種族だな」
「ピクスを侮辱するのは、許さん」
「もー、ギリュウもそれくらいで怒んなくていいから!
確かにわたしもちょっとどーかと思ったしっ!」
「そう思うなら最初からやるなよ」
開かれた木戸を挟んで、お互いが睨みあう。
ドラゴニュートは冷たい敵意の篭った瞳で、妖精族はいかにも不満そうな膨れ面で。
その後ろから、心底困ったような、申し訳なさそうな声が上がった。
「……ごめんなさい。ギリュウが、身体が変わって、垢とか出て気持ち悪いから、身体を洗いたいって……」
続いて、くしゅんと可愛いくしゃみの声。
耳を伏せたフェルパーが、シッポを垂らして俯きがちにこちらを見ている。
私は、小さく溜息をつくと、脱力しながら身体を再び湯船に沈めた。
こんなところで言い争うのは馬鹿みたいだと気付いたからだ。
風呂の入り口で、すっぱだかのまま『入る』『入れない』の口論などするものではない。
ここは、私の家の風呂場だった。
魔法仕掛けで水を汲み上げ、魔法装置で湯を作り、大きな湯船に水を張る。
普通の宿などで用意されている一人入るのがやっとのバスタブと違い、リビングと同じぐらいの大きさの部屋を利用した設備は、ちょっとした浴場と言っていい。
魔王城に詰めていた頃に利用した大浴場を参考にした、この家の中でもっとも自慢できる設備だ。
「もういいから、さっさと入って来い。そんな格好でいつまでも突っ立ってたら風邪を引くぞ」
私の言葉に、さっきからすっぱだかで宙を舞っていた妖精が「やったー♪」と無邪気な喜びの声を上げて、まっすぐに湯船に飛び込んだ。
見た目が凹凸のないお子様体型なだけに、身体を流せと突っ込む気も起こらん。
ぬるい湯だったから良かったものを、私がもっと熱い湯にしていたらどうする気だったのかとは思うが、まぁ、考えてはいなかったのだろう。
水浴びやら川遊びは、妖精族共通の趣味であり、弱点だ。
魔王城にいる妖精共なんかは、最初から服を着る気もなく常時すっぱだかだしな。
「…………失礼する」
次いで、こちらをいまだに睨みながら、ドラゴニュートがのしのしと入ってくる。
桶を拾い上げてから、背中を流し始めた。
逆さまにした桶から落ちた湯が、身体を伝って流れ落ちていくのを見て、思わず溜息を突く。
ドラゴニュートは竜化した時と人に近い姿をとるときでは外見が大きく異なるが、雌が変化するのを直接見るのは初めてだった。
最初見たときの厳つい竜と、目の前にいる見目麗しい女とでは見た目が違いすぎる。
陶磁器のように白い肌に、無駄なく筋肉のついた均整の取れた身体。いや、正直に言うと胸と尻がでか過ぎるんじゃないかと言ってやりたい。……だいたい、その無駄な肉は何処から湧いて出てきたんだよ。
竜の面影を残しているものは、耳の後ろ辺りから後方に伸びた一対の角と、尻の上辺りから伸びている細い赤銅色のシッポだけだ。
やたらに長い深い緑の髪は、湯に濡れた肌にまとわりつき、その透けるような白さを艶かしく飾っている。
背の高さのせいもあるんだろうが、腹立たしいほど美女という言葉が似合う女だった。
「入る」
最後に入ってきたのは、ネコミだった。
今朝、服を作ってやった時にさんざんサイズは測ったが、実物を見るとその数値の大きさを思い知らされる。
もともとフェルパーは背が低めで細身の体型が普通なのだが、何故だかこの娘はそうした普通からかけ離れたスタイルをしている。
そのクセ、背筋はピンと通っており、胸や尻の肉も緩むことなく瑞々しさと弾力を保っている。
サムライに求められる、独特の機敏さを磨く訓練のせいか。
浅い傷痕が肌にいくつか浮かんでいるものの、この娘の肌も冒険者にしては白く美しかった。
腕を確かめたわけではないが、実戦の少ない雑魚ではないのだとすると、天才肌なのだろう。
そういえば、灰色の毛で覆われた耳とシッポは、先ほどからぺたりと伏せたままになっている。もしかしたら、この娘は風呂が嫌いなのかもしれない。
フェルパーのことは知らないが、ケットシーは水を嫌っていたからな。
「……ふぅ」
行儀良く体を流し始めた二人から目を離して、私は湯に肩を沈めて溜息をついた。
魔女になって以来、成長も、肉体の変化の可能性も無くした。
別に後悔はしていないのだが、こういう連中を見ると、そのことが多少恨めしく思えてくる。
「ねーねー、魔女さん。なに見てためいきついてたのー?」
声をかけてきたのは、先に湯船に入り込んでいた妖精族だった。
そのなれなれしさに顔をしかめながら、軽く睨みつける。
「なにを見て溜息をつこうが私の勝手だ」
だが、妖精の方は、私の視線に物怖じせずに首を小さく傾げた。
小さくした声で、もう一度私に聞いてくる。
「おっぱい?」
私は溜息をつきそうになって、何とか押しとどめた。
視線を妖精からそらして、天井に備え付けた魔法の明かりを見上げながら応える。
「分かってるなら聞くな」
つつつ、と妖精が近付いてくると、私の横に並んだ。
どういう理屈なのかは良く分からないが、妖精の羽は水に濡れない。
この妖精は、ぱちゃぱちゃと羽で湯船を叩いて、自身が沈まないように浮かんでいた。
「ネコミちゃんおっきーもんねぇ。魔女さんちっちゃいし」
わざとらしい溜息の後に、胸に向かう視線。
私は別に隠したりせず、代わりに妖精の胸に視線を送る。
「お前は小さいな」
妖精の胸は、控えめに言ってもまったいらだ。
仮に揉もうなどどするヤツがいたとしてもその手は虚しくすり抜けることだろう。
「そりゃー、私は種族からしてぜんぜん違うもん。張り合っても仕方ないじゃーん♪」
妖精の身体は、どうしてか、人間で言うと少年少女ぐらいのところで成長が止まる。
だから、老人の妖精というものはいない。
老人の姿の妖精族もいないわけではないが、それは別の種族だ。
「私だって種族が違う。成長しないのだから、張り合う意味がないのは同じだ」
正確には、成長しないのは、魔女になった時点で、だが。
そんなこと、言うまでもあるまい。
「魔女さん、魔女だしねぇ」
ピクスが何故かしみじみとそんなことを言ったので、私は少しだけ口元を緩めた。
珍妙な言い回しは、この間抜けな状況に妙に似合って聞こえた。
「……ヒルダだ」
私が名乗ると、ピクスがぱしゃぱしゃと羽で湯を弾きながら私の正面に回る。
「ピクスだよ。よろしくね♪」
伸ばしてきた小さな手の平を少し見てから、私は指三本を使って握手に応えた。
にこにこと懐っこい表情に、なんとも脱力するものを感じて溜息をつく。
三度ほど手を上下させてから、ピクスは手の平を離した。
そこに、横合いから下りてきた白い脚が湯船を割って沈み、ざぶんと音を立てて大きな波を作った。
湯船を羽で叩いていたピクスは波にもまれてぱちゃぱちゃと流されていく。
「ギリュウだ」
緑髪のドラゴニュートは、私を一瞥してそれだけを言った。
別に握手しろとは言わないが、こっちは無愛想が過ぎる。
まぁ、ドラゴニュートは元々、自己の力を信仰するような個人主義の連中だから無理も無いか。
むしろ冒険者のパーティーに混じっている方が珍しいのだ。
「……遅れたが、ようこそ我が領域に。お前たちが無法を働かない限り、客人として扱おう」
私が言うと、ギリュウは一瞬だけ目を瞬かせてから、自分の胸に手を当てて頭を下げた。
ぽたぽたと髪から水滴が垂れて湯船に落ちる。
「感謝する」
短い言葉だったが、ギリュウが顔を上げたとき、先程からずっと目に浮かべていた苛立ちは消えていた。
私もイラついていたが、こいつも普通じゃなかったということだろう。
次いでネコミがその横に、こちらは控えめにそろそろと入ってきた。
私に向かって小さく頭を下げる。
このフェルパーは本当に礼儀正しい。借りてきた猫どころか、借りっぱなしになったようなものだ。
どっちかと言えば、ラウルフか、下手したらコボルト以上に犬っぽいんじゃないか?
二人が揃って湯船に身体を沈めると、浴槽から溢れた湯が端からこぼれ、浴場の隅の排水溝へと流れていく。
ギリュウとネコミは並んで、ちょうど私の対面に座る。
二人とも髪をくくってないせいで、黒と緑の髪が湯の中で波打つ。
しかし……揃って浮きやがった。くそ、ムカつくな。
私は小さく舌打ちしてから視線を逸らすと、まだ湯船の上でぱちゃぱちゃと揺れているピクスを持ち上げた。
溺れていたのか遊んでいたのか分からないが、ピクスは私の手の中で顔を上げると、ギリュウとネコミの二人を見てから、二人を思いっきり指差して言った。
「うわー、おっぱい両方浮いてる。いいなー!」
ギリュウは、だからどうしたと言わんばかりに表情も変えずに自分の胸を見下ろし、ネコミは一瞬で頬を真っ赤に染めて自分の胸を押さえた。
どっちの反応にしろ、ムカつくという点では一緒だという事に驚く。
この手の、最近まで気にもかけていなかったコンプレックスを、今更になって感じるようになったのが何故かは、あまり考えたくは無い。
「ヒルダさん、うらやましい?」
私は、返事の代わりに、手の中の妖精を無言で湯船の中に沈めた。
◆
「う……あ!」
身体が、酷く重い。
跳ね起きるようにして目を覚ますと、すぐに背中から押し潰されるような疲労がのしかかってきた。
同時に襲いかかってきた眩暈を、しばらく背を丸めてやり過ごす。
眩暈が去ったのを確かめて、よろめきながら立ち上がる。
「……どこよ、ここ……」
あたしは、まだ少しふらつく足を引きずりながら、壁に手をついて薄暗い室内を見回した。
窓の外は真っ暗で、陽の光は見えない。
壁に吊るされた小さなランプから、魔法の光独特の白い明かりが漏れている。
ベッドにソファ、机、クローゼットが置かれている……たぶん、客室だろう。
そんなことをぼんやり確認している途中、不意に、目覚める前の記憶を思い出した。
ネコミを助けに死霊の森に入って、予想外の事態に襲われて……そして結局、ネコミを助けるどころか、魔女の元にすら辿り着けずに敗北した。
「うぅ……畜生」
あたしは、壁に身体をぶつけて、呻くように呟いた。
なにもかも全部あたしのせいだ。あたしのせいで、皆が……。
そこまで考えてから、ただ闇に沈むばかりだった思考の渦に、微かな明かりが灯る。
「……みんなは、どうなったんだろう」
あたしは、生きている。
それならば、他の皆が生きている可能性は高いはずだ。
あたしはもう一度、部屋の中を良く見回した。
状況を考えれば、ここは例の死霊使いの魔女の棲家だろう。
恐らくここにはネコミもいる筈。
室内には、ベッドがあるのに、あたしはソファに寝かされていた。それに机の上にはタオルの山が乗っている。
たぶん、この部屋に、他の皆……ギリュウやピクスも寝かされていたんじゃないか?
改めて自分の姿を見下ろすと、腹に包帯が巻いてあって、脇腹に薄く引き延ばされた塗り薬が塗ってあった。
治療されていた……ということは、魔女の方は、あたし達を生かしておく理由があるということだ。
それは……何か。
考えるまでも無い。あたしが襲われて、ネコミがさらわれた時のことを考えれば、答えは一目瞭然だ。
あの、触手の化け物の慰み者にするために、あたし達は生かされたのだ。
「……くそ」
歯軋りしながら、息を吐く。
怒りを抑えながら、あたしは状況を整理した。
恐らく、ギリュウとピクスがこの場にいないのは、すでに別の場所に移されていると考えられる。
あたしは魔法使いだし、身体が弱いから目覚めるまで大して時間がかからないと思われたのだろう。
実際あたしが受けているダメージが深くて、体の方はまだ本調子とは言い難い。
だけど、魔力の方はある程度回復している。
ある程度、森の外周まで逃げられれば……せめて、あたしが前に倒された辺りまで逃げ切れれば、移動の魔法を使って森の外に一息に逃げ切れるはずだ。
けれどそこまで考えてから、あたしは自分の考えの甘さに舌打ちした。
魔除けの護符が無い。
あれがなければ、森に出た途端、死霊の餌食にされてしまう。
なんとなく、あたしがあっさりと放置した理由を察する。
きっと、どうせこの場所からは誰も逃げられないと、魔女は高をくくっているのだろう。
「……甘く見ないでよ」
ぎり、と歯を軋ませて、あたしは呟いた。
あたしが目を覚ましているかを、魔女か、あの魔物が確認にきたら、たぶん終わりだ。
一人だけじゃ、あたしは戦えない。
せめて、敵と戦うには、誰か一人でも助ける必要がある。
時間はほとんど無い。
あたしは、自分の身体の軽さが役に立つことを祈りながら、出きる限り足音を殺して、部屋の外へと出た。
薄暗い廊下には、人の気配は無く、左右に分かれている。
夜中なのに、この廊下が完全な暗闇に包まれていないのは、廊下の片側の方から明かりが射しているからだった。白い光だから、魔法で灯された光だろう。
試しに耳を済ませてみたが、そちらからは何の音も聞こえない。
少しだけ躊躇った後、あたしは光を避けて、明かりの無い、暗い廊下の方へと進んだ。
「……これ」
廊下の先にあったものを目にして、あたしは、つい驚きの声を漏らしてしまった。
慌てて口を閉じる。しばらく息を殺したが、何の反応も無い。
安堵の溜息を吐きながら、あたしは改めてそれを見た。
そこには、二つの扉があった。
どちらも樫で作られた丁寧な作りの扉で、ノブには鉄製のノブには花を象った装飾がある。
問題は、二つのうちの、突き当たりの扉だ。
何故か、大きな長方形の木箱が、扉に立てかけられていて、入り口を塞いでいるのだ。
外側から、中にあるものが出るのを塞ぐように。
それは、囚人を捕らえた看守のすることだ。
口元に会心の笑みが浮かぶ。中に何が囚われているかなんて、確かめるまでも無い。
「よし……」
あたしは、一つ息を吐くと、大きな木箱を手にかけた。
少し動かしてその重さに顔をしかめるが、決して動かせないほどの重さじゃない。
問題は、音を立てないように動かさないといけないことだ。
あたしは、慎重に木箱をずらしていった。無駄な時間をかければ、発見される危険が増す。
力づくで動かすんじゃなくて、引きずるようにして動かすのだ。
しばらくの間、きしきしと、小さく床が軋む微かな音だけが続く。
数分をかけて、あたしは木箱の位置をずらして、隣の扉の前に移動させることに成功した。
「……ふぅ」
汗を拭う。
数分の作業が、まるで数時間のように感じられていた。
扉のノブに触れ、ノブを回す。
冷たい鉄製のノブは、あたしの手の中で音も無く、綺麗にくるりと回転した。
軋む音も無く、静かに開いた扉の中に、あたしは身体を滑り込ませる。
中へ入る後ろ手に扉を閉じてから、あたしは内心で微かに焦った。
部屋の中は真っ暗で、埃の匂いが微かにある。
窓ぐらいはあるかと思ったのだが、元々無いか、または格子戸が下ろされているのだろう。
明かりの魔法を唱えようと考えながらも、あたしは自分の考えの正しさを確かめるために、目を凝らしながら、部屋の奥の暗闇へ踏み出した。
次の瞬間、暗闇から溢れ出した数十本のしなやかな触手があたしの身体を絡め取ると、まるで抱き寄せるように部屋の奥へと引きずり込んだ。
前のめりに倒れた身体が、柔らかい肉の中に埋もれる。
それが、粘液を垂らして蠢く無数の触手で形作られているものだと気付いた瞬間、あたしが必死に今まで堪えてきた緊張の糸が、プツンと切れたのを感じた。
悲鳴を上げようと、口を開く。
けれど、触手がその口の中に潜り込んできて、あたしの口を塞いでしまう。
あたしは悲鳴すら上げられないまま、触手の優しい抱擁に押し包まれていった。
つづく
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