ゴブゴブ村はすっかり元の平和を取り戻していた。

 もともとゴブリン、というか魔物は無駄なくらいに生命力に溢れている連中ばっかりなので、大きな問題さえクリアしてしまえばこんなものだ。
 つい数日前まで村で猛威を振るっていた病気も、今では完全に根絶しちゃっている。

 昨日から、村には商人さんが来ていた。
 馬車一つに荷物を積んだだけの小さな交易相手だけど、人間の国のものは村ではとても珍しいので、いつも喜んで歓迎している。
 ボクがもっと小さかったころから村に出入りしているその商人さんは、いつも夕方に村に到着してから、一晩を村で過ごして、昼前に出て行くのだ。

 村には宿屋なんて洒落たものはないので、商人さんが村に来たときには村長の家に泊まることになってる。
 つまり、ウチなんだけど。



 朝食が終わった我が家の食堂。

「おかーさーん。お皿、ここに置くねー」
「はいはい。ありがとうね、ロナ」

 母さんは食事の片づけで、父さんとお爺さん、それに商人さんはテーブルに残っている。
 ボクはというと、母さんの手伝いでお皿を片付けた後、父さんたちの話を聞こうかと思ってテーブルに戻った。

「いやいや、本当にすいませんでした。我々も魔物の方との交易は経験が少なかったもので……」

 食堂では、商人さんがしきりに父さんたちに謝っていた。

 商人さんは、立派な口髭を生やした太っちょの人で、お話がとっても上手いので村の子供に人気がある。
 ボクも昔は商人さんから聞く人間の国の話、本当かどうかもよく分からない冒険譚が大好きで、商人さんが家に泊まっていく時にはいつも夜中までお話をせがんだ。

 最近はさすがに止めちゃったけど。
 今思うと、夜中に男の人の部屋に忍び込んでた自分が大変恥ずかしい。
 別に人間に興味があるわけじゃないけど、一応、ボクももう年頃の女の子な訳だし。

「なぁに、気にせんでいいですよ。それより、これに懲りずにこれからも村に来てください」

 商人さんの謝罪の言葉に、父さんがにこやかにそう応える。

 顔の造形がとってもシンプルなので表情がよく分からないのと、鍛えすぎて一般のゴブリンの範疇を超えた肉体は岩のように硬くデカくて威圧感抜群、という二点が言葉とは裏腹に商人さんを威嚇しまくっている。

「がっはっはっはっはっ、そもそも儂らが病に負けたのも鍛え方が足りなかったせいじゃしなぁ! そんな何度も頭下げんで、気にせんでもえぇぞ?」

 お爺ちゃんが豪快に笑って商人さんの肩をぽんぽんと叩いた。
 でも、父さんに輪をかけて鍛え抜かれた肉体は、一般のゴブリン云々以前に大きすぎる。
 猫背気味に屈み込んでも全長5メートルを超えている緑色の巨体は、うちが村一番の大きな屋敷と言われている最大の要因なのだ。屋根が高いだけでふつーに一階建てなのに。

 そんな巨体の二人に迫られると、どう見ても脅迫してるように見えるわけで。

「……そう言ってくださると、大変ありがたいです。ははははは」

 迫力満点の二人に迫られて、商人さんが微妙に青ざめる
 さすがに気の毒に思えてきたので、ボクは横から助け舟を出すことにした。

「ねーね、一人旅なのに病気になったら大変じゃない? 少し、お薬分けてあげよっか?」

 薬というのは、先日にヒルダさんから貰った薬のことだ。

 この辺りの森で材料が採れるので、今では村の呪術医のお兄さんが作って、村の常備薬になっている。
 ボクにはよく分からないけど、お兄さんによるととても長い時間保存が効くのが凄いらしい。

「おお、それは大変ありがたい。あの病気では、私も大変難儀してねぇ」

 嬉しそうに商人さんが言ってくれたので、ボクはすぐに隣の部屋に置いてある薬箱に向かった。

 その間も、商人さんと父さん達の話は続いている。
 うまく話の流れが変わったようで、村の外の方の話をしていた。

「しかし、商人さんもあちこち旅をして大変ですなぁ。やはり、病気にかかることは多いんですか?」
「いえいえ、それほどでもないんですね。危険があるとしたらもっと別のことですよ」
「ほぅ、別のことと言うと?」
「やはり一番危険なのは、山賊の類でしょうか……そう言えば、最近この近くでオークの山賊が出るという噂があります。大きな商隊が襲われて、護衛ともどもやられたのだとか」
「……オークの生き残りかのぅ。商人殿、人間の国の方で討伐隊は出てるんじゃろうか?」
「うーん、お恥ずかしいのですが、この辺りは辺境だからと、国の方はなかなか動いてくれんのですよ」
「それはいかんのぅ。こちらの方でもなんとかできんか動いてみましょう」
「ああ……それは助かります。私はそちらの道は避けていますが、やはり遠回りは辛いですしね……」

 商人さんも、なんだか色々大変らしい。
 山賊なんてお爺ちゃんがやっつけちゃえばいいのにと思うけど、そんな簡単なものじゃないのかな?

「もって来たよー。飲むときは、水と一緒に一度に一袋、一日三回飲むよーに!」

 ボクに薬をくれたときの、呪術医のお兄さんの真似をしてみたら、商人さんは笑いながら受け取ってくれた。

「うん。大事に使わせてもらうよ」

 ニコニコ顔で商人さんはボクの手から薬を受け取る。
 もうちょっと真面目に聞いてほしかったけど、あんまり嬉しそうだったのでこちらも思わず笑ってしまう。

 ちょっと間抜けに見える口髭は、商人の信用に関わるから剃れないそうだけど、ボクが思うに、相手を笑わせて油断させるためのものだろう。

「それじゃ、お礼……というには、安いものだけど、これをどうぞ」

 そう言って、商人さんはお菓子の入った袋をくれた。
 綺麗な麻袋の中に、鮮やかな色の飴玉や、トウモロコシから作った揚げ菓子が入っている。

「わ! いいの、おじさん?」

 こういうお菓子はこの村じゃ珍しい。
 特に、キラキラした黄色やピンク色の飴玉は、最近人間の国で作られたもので、めったに食べられないものだ。

「前に寄った町がちょうど祭りの途中でね。こういうのもたくさん売られてたから、まぁ、味を見るために買ってみたんだよ。これはその時の余りさ」

 商人さんが肩をすくめてそう言ってくれた。

「ありがとう! 大事に食べるねっ!」

 遠慮する理由もなくなったので、ボクは安心して受け取る。

「ほっほっほっ、良かったのぅ、ロナ」
「うん♪ 」

 お爺ちゃんが手を伸ばしてボクの頭を撫でてくれた。

 よく周りから『頭が握り潰されそうで見てて怖い』と言われるけど、ボクはお爺ちゃんの大きい手は好き。
 みんな、不必要に怖がりすぎたと思う。

「いやぁ、どうもありがとうございます。本当に、人間の国は色々と美味いものがありますなぁ」
「最近は錬金術の応用で、新しい調理法とかもあるそうで、これは国の知り合いの学者の話なんですが……」

 父さんと、商人さんがまた難しい話を始めたので、ボクはぺこりと頭を下げて食堂を出た。
 手の中のお菓子入りの袋をどーしようかと思いながら。

 村の子達や友達に上げるには量が少ないし、一人で食べるのもなんだかもったいないし……。
 薬のお礼で貰ったものだから、薬を作った人におすそ分けをするのがいいかなぁ。

 頭に浮かんだのは、死霊使いの森の魔女様と、村の呪術医のお兄さん。
 ボクの頭に浮かんだ天秤は、あっさりと魔女様の方に傾いた。

「よしっ! 」

 森に行くための道具を身に着けて、玄関に向かう。

「おとーさーん! 魔女様のところに、お菓子のおすそ分けに行ってくるー!!」

 一声かけてから、ボクは家から駆け出した。






10話 「決戦! 魔物 対 冒険者!!」







 白い霧が森を覆っている。

 肌にまとわりつくような粘性の霧は、私たちの歩みに合わせて避けるように左右に割れていく。
 遠く怨嗟の声が聞こえるのは、きっと気のせいじゃないだろう。

「不気味だねー」
「不気味ダナ」

 ピクスとギリュウは揃ってそう口にした。
 あたしもそう思う。一昨日にこの森に来たときにはここまで霧は濃くなかった。
 警戒が強くなっているのかもしれない。

「……別に襲って来やしないわよ。あたしの魔除けは完璧」

 事実、白い霧はあたし達に触れることも出来ず、周囲の空気をゆるゆるとかき混ぜ続けているだけだ。
 問題は、この霧が例の魔女にあたし達の侵入を伝えてる可能性ぐらいか。

「不意討ち警戒なら、ピクスにお任せー♪」

 ……あたしが顔をしかめたのに気付いたのだろう。
 ピクスがそう言いながら、ふわふわとあたし達の先頭を切って宙を舞った。
 魔除けの効果に怯えるように、白い霧が逃げていく。

「虫の知らせってヤツ?」

 背中の半透明の羽を指差して言うと、ピクスはあたしに振り返った。
 ピクスは腰に手を置いて頬を膨らませる。

「しっつれいねー。わたしは妖精であって虫じゃありませーん」

 そう言ってから、くるりと空中で半回転する。
 ふわふわと勝手に進んでいくピクスを早足で追いかけながら、「ごめんごめん」と謝ると、やっと飛ぶ速度を緩めてくれた。

 木だらけ草だらけで、時々木の根が張って歩きにくくなっている森である。
 羽根がついてるのは正直羨ましい。

「……ファフ」

 さっきからマイペースであたしの横を付いて来ていたギリュウが欠伸を漏らす。
 朝早くから出発したせいだろう。ときどき薄い目蓋が開いたり閉じたりしている。

 警戒する様子がまったく見当たらないのは、ピクスの警戒能力に全幅の信頼を置いているからだろう。
 まるで冬眠前の蛇みたいな顔をしていたドラゴニュートは、白い喉を小さく鳴らすと、前を見たまま私に話しかけてきた。

「グノー、"転移の衣"デ、直接森ノ奥ニ行ケナイノカ?」

 パーティーごとの移動魔法は、一度座標を記憶した場所になら何度でも転移することが出来る。
 あたしはあの場の座標を記録しておいたから、実際、転移の魔法が正常に使えればあの場に移動することが可能だ。
 だけどあたしは首を振って否定する。

「ダメ。この霧が移動先にあると、魔力の集中が阻害されるから」

 この霧の厄介な特性の一つだ。
 攻撃魔法で戦う分には、魔除けのおかげで邪魔されずに使えるけど、転移の魔法は移動先に魔力の場が形成されるので、この霧に邪魔されてしまうのだ。

「脱出には使えるから、とにかくネコミを確保すればOKよ。そこまでは、地道に我慢」

 あたしの言葉に、ギリュウは目を細めて無言で頷いた。

 今更、魔女を捕縛なんてするつもりはない。
 あたし達は、とにかくネコミを確保したら即効で逃げるつもりだった。

 もちろん、例の触手の化け物を葬る手段は用意している。
 けど、確実に葬れる保証はない。
 ましてや、あの触手の化け物と、死霊使いの魔女がコンビで襲ってきたら勝ち目は薄い。

「出来れば、この霧で魔女に見付かっていないことを祈りたいなぁ……」

 あたしは神に祈った。ずいぶん長い間、祈っていない気がするが。
 一応、司教なので神の奇跡も使えるのだけど。

「わたしも魔女の賞金には興味ないー。あの賞金の出所って軍隊でしょー? あの辺と関係持ちたくないもーん」

 先頭を行くピクスが歌うように言う。

「霧ト、例ノ化ケ物以外ニハ、敵ハイナイノダロウナ?」

 目を細めてギリュウが聞いてくる。

「たぶんね。この霧って、他の魔物とは基本的に相性が悪いし」

 この三人だけの強行軍は、敵の主力が霧であることを前提とした計画だ。
 総戦力が魔女と触手の化け物ならば、三人でも何とかなるが、手下に魔物の群れなんかがいたなら、正直言って勝利は絶望的だ。
 特に、あたしの顔がバレればネコミを人質に取られる危険もある。

 それだけは避けないと……。

 そこまで考えたところで、ピクスが鋭い警告の声を発した。

「……後ろから走ってくる! 二足歩行、数は1、重さは……子供くらい!!」

 一瞬の思考の後、あたしは判断を下した。

「たぶん魔女よ! ピクスは不意討ち狙い! ギリュウ、前衛! 遭遇と同時に"魔障壁"をかけるから、すぐ距離詰めて!」

 想定した展開と違いすぎる。
 あたしは内心で舌打ちしながら、魔法防御の呪文を唱え始めた。

「大気に満ちる魔力の加護よ。我等が前に、魔力の衣を……」

 言いかけたところで、前方の茂みを裂いて人影が現れる。
 あたしが詠唱を止めたのは、人影の正体を確認した為だった。

「……え?」

 きょとん、と、目を丸めてこちらを見る、シャツに半ズボン、鎧も無しの軽装にナイフを手にしただけのゴブリンの少女。
 まるで、ありえないものを見るかのように目を瞬かせ硬直しているのは、この森に冒険者が近付くわけがないということを知っているからだろう。

「グノー」

 引き絞られた弓のように身を屈め、ギリュウがあたしに問いかける。

 躊躇いは一瞬だった。
 このゴブリンが死の霧に襲われていないということは、魔女の許可を得て森に向かうものということ。
 万が一にもあたし達のことを魔女の耳に入れられる訳にはいかない。

「倒して」

 殺して、ではない。
 そう自分に言い聞かせながらあたしが告げると、ギリュウは放たれた矢のように地を蹴って、まだ立ちすくんでいる小さなゴブリンへと躍りかかった。
 振り上げられた大剣を目にしながら、ゴブリンは手にした小さなナイフで必死に身を守ろうとする。

 その口が「とうさん」と、か細い悲鳴を上げた。









「ふぅ………はっ!……ふぅ……はッッ!!」

 カタナを大上段に振り上げ。草に触れるまで振り下ろす。

 最初はゆっくりと、回数を重ねるごとにわずかづつ速く、それに合わせて足運びも絡めていく。
 その一連の動作の中でもっとも大事なのは、振り下ろすカタナの刃を違えない事だ。

「はっ!……はッ!!……はッッ!…はッッ!!」

 カタナは、切れ味こそ最強の武器だが、その反面切れ味以外は極端に他の武器に劣る。
 斬る時に、刃先がわずかでもナナメにずれていれば、カタナは容易く折れるのだ。

「はっ!はっ!!はッッ!はッッ!!」

 たとえば、斬り合いの中で剣をぶつけ合う時。
 カタナを使う者は、決してカタナを防御に使ってはならない。

 カタナは、その一撃一撃が必殺のものでなければならない。
 サムライがカタナを振る時は、常に刃を通し、その間にあるもの全てを切り裂くつもりであれ。

「……ふぅ」

 それが、私がカタナを教わったお師匠様の言葉だ。
 ちょっとよく分からなかったので、言いつけどおり毎日素振りを欠かさないようにしている。
 お師匠様はそれでも良いと言ってくれたけれど、私は果たしてお師匠様の言葉を守れているのだろうか?

「もう少し、しようかな」

 なんだかもやもやしたので、私はもう一度最初からカタナを振り始めた。

 空は青く澄み切っている。
 小高い丘の上にあるこの家は、澄んだ風が吹き付けてきたとても気持ちがいい。
 草むらに転がりたい衝動が浮かんだけれど、私はなんとかそれを抑えて訓練を続けた。

「ふぅ………はっ!……ふぅ……はッッ!!……はっ!……はッ!!……はッッ!…はッッ!!」

 横薙ぎ、袈裟、逆袈裟。
 それからしばらくの間、私は黙々とカタナを振り続けた。
 ずーっとカタナを振っていると、不思議とお師匠様の教えのことを忘れてすっきりしてくる。

 そんな風に、意識がカタナの刃先でいっぱいになっていたところで、急に足に何かが絡み付いてきた。

「ひゃぁぁぁぁっ!?」

 とっさにそれを斬りそうになって、すぐにその正体に気づいて慌てて止める。
 私の足に触手を絡めたまま、少し離れて私を見ていたのは、触手の魔物さんだった。

『お疲れ様』

 触手を通して、そんな言葉が伝わってきた。

「お、お疲れ様」

 慌ててそう返してから頭を下げる。
 触手の魔物さんも、物まねなのか、少し体を斜めに揺らすのがちょっと可愛かった。

 お仕事が終わったので実に来てくれたみたいだった。
 触手の魔物さんの背後では、三列並んでいる物干し竿にかけられて、ベッドのシーツや、ヒルダさんの服、下着とかのお洗濯物が、風に吹かれて小さく揺れている。
 そこまで見てしまってから、ちょっと耳を伏せた。

 やっぱりヒルダさんは、触手の魔物さんに下着とかも洗ってもらってるんだ……。
 恥ずかしくないのかな。それとも、やっぱりそういうのって、色々、深くつながりがあると、あんまり気にならなく……。

『洗濯物を見ながらなぜに身悶えしているのだろうか?』

 そこまで考えてところで、触手の魔物さんのそんな考えが唐突に伝わってきたので私は慌ててしまった。
 カタナを手にしたまま、手をばたばたと振って「なんでもない」と連呼する。

『ああ、シーツを見て昨晩の私とヒルダの……』

 それから伝わってきた触手の魔物さんの思考は、私の考えたことより凄くて、私は黙りこくってしまった。
 いくらなんでも、そんなところまで……ちょっと想像できない。怖い。
 ……ホントに気持ちいいのかな。

『む、あまり刺激的過ぎたかね? すまんな、つい自然と考えてしまう』

 黙っている私が怒っているように見えたのか、触手の魔物さんがそんな風に謝った。
 私は人からそんな風に思われるところが多いらしい。

「違う」

 私は首をふるふると横に振って答えた。

『む、もしや望むところだったのか?』

 すると、なぜかそんな言葉が返ってきたので、私は首を振るのを止めた。
 もう一度首を振るべきかどうか。
 悩んでいるうちに、じわじわと顔が赤くなってくるのが分かる。恥ずかしい。

『それはさておき』

 触手の魔物さんは、太い触手を一本上げると、くいくいとヒルダさんの家の方を指した。
 釣られてそちらを見る。

『そろそろ昼食が出来るそうだ。昼食後は仲間のところに帰るのだろう?』

 あ。

 何故か、私は口をぽかんと空けて驚いた顔をしてしまった。
 そういえばそうだった。
 なんとなく、ここでずっと暮らしていくような気がしていた自分に驚く。みんなもきっと待ってるのに。どうしてそんな風に思ってしまっていたのだろう。

『ヒルダが、衣装とかも用意してくれたそうだ。その格好では街まで行けないのだろう?』

 そう言って、触手の魔物さんが、私が着ているガウンの帯留めをつついた。
 ヒルダさんから借りたそれは、私が着るには丈が低いので、足とか胸とかお尻とかが窮屈。
 でも、尻尾が出せる衣装があまり無いのでとりあえず貸してもらったものだった。

「へ、変?」

 とっさに尋ねたのは、自分の格好が急に恥ずかしくなってきたから。
 落ち着かなくなって、尻尾が勝手にぱたぱた揺れてしまう。

『私としてはとても目の保養にはなるので嬉しいのだが、その姿で街を歩くのは過剰サービス過ぎてもったいないお化けに訴えられるだろうね』

 よく分からない。もったいないお化け?

 でも、触手の魔物さんとしては変な格好ではないみたいだった。
 なんとか尻尾がぺたんと寝てくれたので、もぞもぞとガウンの裾を弄っていた手を止める。

「えっと、分かった」

 ここではいいけど、街中は駄目なのだろう。
 そういえば。グノーにも同じようなことで怒られたことがあったのを思い出した。

『さて、では行こうか』

 触手の魔物さんは、私に触手を絡めたまま、ぺたぺたと草原を這って家の方へと戻って行く。
 先に行く魔物さんの、後ろ向きに湧き出した小さな目が、私を催促するようにじっと見ている。

「……うん」

 頷いて、わたしは触手の魔物さんについていく。
 拗ねた顔をしてると、自分でも思った。

 小さく駆けて魔物さんの横に並ぶと、触手が一本、私の腕を舐めた。

「ひゃ…」

 ひんやりした感触がちょっと気持ちよくて、私は小さく声を上げてしまう。
 びっくりして腕を見たが、触手はすぐに魔物さんの体の中に引っ込んでしまっていた。

『ふむ。やはり、汗はしょっぱいな』

 代わりに伝わってきたのはそんな思考。

「……汗、好き?」

 聞いてみたら、触手の魔物さんは『かなり』と答えた。
 そのままぺたぺた這っていく。

 別にまた舐めてもいいのに、と思った。









 瞬間、背筋に怖気が走った。

 わたしは妖精族だが、それよりも先に、ニンジャだ。
 その極意は、敵の不意を狙って必殺の一撃を下す、無手の暗殺者。
 わたしの能力はそこまで達していない。
 服を着たほうが傷を受ける確率が低いし、素手よりもダガーを手にしているほうが殺傷力も高い。

 だけど、隠行と気配の察知には自信がある。
 妖精族独特の能力である、気配を察知するセンスによるものだ。

 だからこそ、それが"働かない瞬間"がなによりも恐ろしいことを知っている。
 まるで自分の頭の中の空白の中から滑り出てきたように、何の気配も感じさせず敵が出てきた瞬間。

「……うちの娘になんの用ですかのぅ?」

 ギリュウの振り下ろした大剣が、突然滑り込んできた影の、手にした棍棒で止められた瞬間。
 わたしは、警告を発することも出来なかった自分を恥じる前に、その敵の力量に冷たい汗を流していた。

「……と、ととと、……とうさんっ!」

 ゴブリンの娘がそう言って、現れた影の胸に飛び込む。
 そいつは、ゴブリンというにはデカ過ぎる。ギリュウより頭一つデカいということは、全長2メートルは軽く超えているはずだ。
 どう見ても、トロルやオーガーのサイズ。

「ははは、山賊が出るっちゅう話を聞いたからちっと心配になったんだが、ちょうど良かったみたいだなぁ」

 片手で持った棍棒で、ソイツはギリュウの持つ大剣と拮抗している。
 確かに馬鹿力だ。巨体からすればそれだけの力はあってしかるべきだろう。

 だが、わたしが一番恐ろしいのは、ソイツが出現した瞬間の速さ。
 恐らく娘の危険を察知して森を駆け込んできたのだろう。
 それも、わたしが気配を察知する暇も無いほどのスピードで。

 こいつは、この巨体で、ゴブリンの素早さを持っている。
 ありえない話だが、そう考えるのが一番説明が付く。

「シャアアアアアアアアアッッ!」

 ギリュウが半歩踏み出し、体重を乗せて拮抗を崩す。
 押し負けたゴブリン(親)がわずかにバランスを崩して、体重が後方に傾く。

「……ガァァァァァァッッ!」

 ギリュウが裂帛の気合を込めて、水平に大剣を薙いだ。
 圧倒的な重量の鉄の塊が、まるで巨大なギロチンのように、ゴブリン(親)の胴に迫る。

「甘いわぁぁぁぁッ!!!」

 重いものが叩きつけられる音がして、次の瞬間には大剣が地面に沈んでいた。
 ゴブリンが上から下に振り下ろした棍棒が、横に振られる途中の大剣を地面に叩きつけている。

 やっぱり、トロルやオーガーに比べて格段に反応が速い。
 ゴブリンが大剣を踏みながら、ギリュウに肩からぶつかっていく。

「グォォォォォ!!」

 とっさにギリュウが口から酸のブレスを吐き出すが、皮膚を微かに焼く程度の効果しか出せない。

 ショルダータックルは、正確にギリュウの胸を捉えた。
 鈍い音と共にギリュウが吹き飛ばされて、仰向けに地面に転がる。

「しばらく休んどれっ!!」

 振り下ろされる棍棒を見ながら、わたしは堪えた。
 ギリュウを助けに行きたい。
 だけど、今、わたしが飛び出せば、何もかもぶち壊しになってしまう。

「疾く走れ虐殺の旋風! "風裂殺"!!」

 わたしが期待した通り、グノーは切り札の一つを切った。
 敵が出現した瞬間、ギリュウが斬りかかった瞬間から詠唱を始めていたのは、わたしの警告が無かったことを『それだけの力量の敵』と判断したから。
 それを察してくれるだろうという信頼と、繰り返し連携組んだ仲間だから分かる行動予測。

 万物を切り裂く風の刃は、水平に森を走り、倒れたギリュウの真上を抜けて、ゴブリン(親)の胴を裂いた。
 木々が倒れて、茂みから草が散る。
 一瞬遅れて噴出した血飛沫が、舞い落ちてくる葉を赤く染めた。

「やるのぅ……だが、この程度で倒れちゃあ、村長の名折れだ…………」

 そう言って、ゴブリン(親)はニヤリと笑う。
 ゴブリン(親)は、倒れなかった。

「クゥ……駄目カ……」

 胴から血を流していたが、致命傷にはとても見えない。
 すぐに、立ち上がろうとしているギリュウへと、棍棒を振り上げようとしている。

 けれど、舞い散る木の葉と倒れ行く大木の音は、わたしが求めていた『囮』の役を十分に果たしている。
 わたしは、大きく一度羽ばたいて、舞い散る木の葉の隙間を滑っていった。

 まっすぐに、ゴブリン(親)の首筋に。

「ぐ」

 手にしたダガーの先が、柔らかい皮膚に潜り込む感触と同時に、呻き声が聞こえた。
 妖精族のわたしの一撃は、手練のニンジャのように首を刎ねたりはできない。

だけど、毒の塗られたダガーなら、一番毒が回りやすい場所、首筋に小さな傷さえ付けばそれでいい。

「ごめんね♪」

 強力な麻痺毒は、一瞬でゴブリン(親)の力を奪った。
 巨体が前のめりに崩れ落ちていく。

「……無念。もう、一人、いた……とは」

 最後にそう呻いて、ゴブリン(親)は動かなくなった。

 勝った。
 戦いの緊張で、いつもの何倍にも引き延ばされていた時間が元に戻り、わたし達は息を吐いて動き出す。

「助カッタ」

 ギリュウは、わたしをチラリと見てそう言うと、ゆっくり立ち上がった。
 言葉が少ないのは、力量で負けていた悔しさだろう。
 数歩を歩いて、先ほど棍棒で地面に埋められたままだった大剣を引き抜く。

「はぁ……うん、ありがと。やっぱ、あんたみたいなのが一人いると違うな……うん」

 緊張が解けたのか、長い杖に身を預けながらグノーが言った。
 たぶん、ネコミと二人でこの森に入ったことを後悔してるんだろう。その顔は優れない。

「へへへ、もっと褒めてー♪」

 わたしは努めて明るく笑いながら、グノーの側をふわふわ舞った。
 グノーが苦笑交じりに手を上げたので、わたしはその手に自分の手を打ち合わせる。
 小気味いい拍子の音が鳴った。

「サテ……」

 わたしとグノーのじゃれ合いをいつもの無表情で見ていたギリュウが、黙りかねるといった調子で口を開く。
 それに気付いて、慌ててギリュウの側に戻った。
 遅れて、グノーもそこに駆けつける。

「悪いけど、あんたを見逃すわけにはいかないの」

 グノーが冷たい声で言った。

 親が倒されるのを目の前にして、怯えた顔でへたり込んでいる小さなゴブリンがそこにいた。
 ギリュウが大剣を振り上げるよりも先に、わたしはふわりとその子の後ろに舞い飛んだ。

「ごめんね……おやすみ♪」

 そして、振り向くよりも先に、ダガーの柄を首筋に。
 衝撃の焦点を絞った一撃は、一瞬でゴブリンの意識を刈り取った。

 けれどその瞬間、わたしはうっかり見てしまったのだ。
 その口が「おじいちゃん」と、か細い悲鳴を上げるのを。

 瞬間、背筋に怖気が走った。









 ネコミを上に乗せ、私は森の中をのんびりと這っていた。

 上に乗ったネコミは、ヒルダお手製のワンピースとキュロットスカートを履いている。
 熱にスカートでいいのに、と思ったらヒルダに睨まれた。
 いや決してスカートだったら柔らかいおみ足の感触が楽しめるとか、さり気にパンツ覗けたりするのが良いなどと言う訳じゃないのだが。
 そもそもそんなことしても、私に乗っているネコミにはバレバレだしな。

「う、うん」

 いや、困らなくて良いから。
 キュロットスカートも似合っている。
 お尻の穴から突き出た尻尾がとてもキュートだ。

「……ありがとう」

 ネコミは尻尾をピンと立ててそう答えると、そのままうつむいて黙り込んでしまった。

 さて、森の外に向かう道だが、今日はやけに霧が濃い。
 夜中のように、死霊が人の形を取って遠くに列を並べたり、怨嗟の視線を送ってくることはないが、その代わりに視界がやたらと悪くなっていた。
 私だけならば、それでも気にせず木に触手を巻きつけて跳んで進むことも出来るが、ネコミを背に乗せたままうっかり木にぶつかったら危ないので、落ち着いて地面を這うことにしたのだ。

 遅くなって申し訳ないが、私がいないと死霊使いの森の霧を抜けられないのだから仕方ない。
 結局、ヒルダはこの森の霧の攻撃対象からネコミを外すことをしなかったのだ。

「それは、当たり前だと、思う」

 私の心の声に、小さく一度震えてから、ネコミが言った。
 やっぱり気にしているんじゃないか。

「でも、最初に私は、ヒルダさんを捕まえに来たんだし……触手の魔物さんも、やっつけようと、してたし」

 いやいや、誤解は解けたんだから水に流してもいいだろう?
 ネコミが良い子なのはヒルダも認めているのだから、別にどうってことは無いと思うのだが。

「でも、触手の怪物さん、死んじゃいそうに……」

 私は別に気にしてないのだが。

「でも、なにかあったら……」

 むぅ。

「……ごめんなさい」

 いや、ネコミが謝ることではない。
 ヒルダとネコミの言い分はもっともだと思う。

 私が、個人的な願望として、ネコミとまた会う機会が欲しかったのだ。
 私にとって、理性的なコミュニケーションが可能な相手は、現在この広い世界の中で、恐らくヒルダとネコミの二人だけしかいないのだからな。
 そのような個人的な欲求で迷惑をかけるのは申し訳ないのだが。

「え、あ、う……う、うぅん。迷惑じゃない」

 ネコミがふるふると首を振る。
 嬉しい反応だ。これがネコミの帰り道でなかったら即座に押し倒すのだが。

「あ……」

 まさか、また連れて帰るわけにも行くまい。
 さすがにヒルダも怒るだろうし、ネコミの仲間だって心配しているだろう。

「…うん」

 もしその気があったら、この前進入するときに使った道具でまた遊びに来てくれたまえ。
 女の子の仲間だったら大歓迎するぞ。
 この前の、ちっこい女の子には気の毒なことをしたから、もしそのきがあったらまたゆっくりお相手をしたいことだしな。

「うん、分かった」

 こくこく、とネコミは頷いてくれた。
 次に遊びに来てくれるのを楽しみに待っていよう。
 それまでに、食事の作り方をヒルダに教わって、歓迎のご馳走などを作るのもいいかもしれない。

「楽しみ」

 立てた尻尾をゆっくりはたはたと振りながら、寝込みはこくこくと真面目な顔で頷いた。
 やはり好物は魚系だろうか?
 ゴブゴブ村からの差し入れに釣ってきた川魚などもあったから、今度ロナちゃんに川魚が取れる場所など聞いて、釣りなどしてみるのもいいかもしれない。

 そんなことを思っていたら、急に視界が開いた。
 一瞬、森の外に着いたのかと思ったが、白い霧は遠巻きに渦巻いているし、奥の方ではまだ森が続いているのが見えている。
 何故か森の中に大きな広場が出来ていて、その広場を白い霧が避けているのだ。
 広場の地面にはあちこちに焼け跡が残っていて、中心の辺りから放射状に草が焼き払われ、折れた大木が激しい熱に晒されたように炭化している。

 こんな光景を、俺はつい最近に見た。

「……これ、"核熱"の痕……他にも、魔法が、たくさん……」

 ネコミが私の思い付きに同意する。
 耳をピンと立てて周囲を見回すと、ちょうど戦闘の痕の中心と思われる方を見たまま視線を固定する。
 少し遅れて、私は慌ててそちらに向けて大きく目を開き、ネコミの視線の先を注視した。

「……グノー! ギリュウ! ピクス!!」

 ネコミが名前を叫ぶと同時に、私の上から跳んだ。

 その場所は、まさに死屍累々というに相応しい光景だった。

 まず、一昨日に私を追い詰めた、長い髪の毛をツインテールに結い上げた、小麦色の肌のちっこい女の子が、ぐったりと地面に崩れ落ちるようにして倒れている。
 次に、碧色の髪を首ぐらいの長さで短く切り詰めた、半透明の蝶の羽を持った全長30センチほどの妖精みたいな女の子が、折れた木の幹に叩きつけられたように手足を投げ出してぐったりしている。
 最後に、鋼鉄の鎧を身に纏った角突き爬虫類人間みたいなのが、何かに背中から叩きつけられたかのように、地面に軽くめり込むようにして動かなくなっている。

 その中央に立っているのは、巨大な棍棒を手にした、小山のような大きさの厳つい緑色の肌の巨人。
 岩のような肌を腰ミノ一つで覆っているが、人間の筋肉のパロディのような、有り得ないほど硬質の太く分厚い筋肉は、そんな鎧よりもその肉体を強固なものに見せている。
 そのくせ、禿げ上がった頭にはつぶらな瞳と2つの穴だけの鼻、突き出した顎から上に伸びる白い2本の牙だけしかなく、そのなんとも簡単な造形は、可愛らしくさえ見えた

 だが、その立ち姿の異様さは、正対したらすぐに分かるだろう。
 その巨体に反して、異常なほど手足の動きが静かで滑らかに見える。
 まるで、跳ね上がる寸前の昆虫を前にしているような、独特の緊張感がこの巨体から発せられているのだ。

 ネコミは、そんな存在を前に、瞬時に抜き放った刀を突きつけ立ち塞がっていた。
 倒れている三人を守るように。

「……皆を、どうした」

 ネコミの口から発せられた鋭い声で、私ははじめて、この巨大な緑色の魔物が、先ほどの三人を倒し、ネコミがその敵討ちをしようとしている現状を理解した。

「ほぉ、また一人来たんかのぉ。嬢ちゃん、この娘っこどもの仲間かいのぉ?」

 ネコミの問いかけに、巨人のしわがれた声が言葉を返す。
 年寄りなのか。それとも、巨人は種族的にこんな喋り方なのか。

「なかなかたいした娘っ子共じゃったなぁ。魔王城でも、こんな強いパーティ−はなかなかお目にかかれんかったわい。……目ぇ覚ましたら、もっと修行してから出直すように言っておくんじゃなぁ?」

 ふぁふぁふぁふぁふぁ、と笑う。
 なんだ、思ったよりも友好的じゃないか。

 私は、その場でネコミの側まで這い進み、ネコミの足に触手を軽く絡めて、周囲を改めて見回す。

 少し離れた場所で、太い木の幹に背をつけて2メートルちょっとのサイズの、腰ミノ付けた顔の造形が簡単な緑色の魔物……たぶん、デカいゴブリン……が、気絶している。
 その横には、同じく木に背をつけたまま意識を失っているロナちゃんの姿である。

 どうやら、ゴブゴブ村の方らしい。

 …………もしかして、この巨大な緑色の魔物って、デカいゴブリンなのか?

「ゴブリンッ!?」

 私の思考を聞いて、ネコミがびっくりした顔で声を上げた。
 驚きにピンと立った尻尾が逆立ち、パンパンに膨らんでいる。

「おお、そうじゃ……なんじゃ、嬢ちゃん、見て分からんかったんかの?」

 不満そうな声だが、造形がシンプルな顔はちょっと眉間にしわがよっただけであんまり感情を伝えてくれない。
 それでも非難の意志を感じたネコミは、慌ててちょっとだけ頭を下げて「ごめん」と答えた。

 しかし、ゴブリンいうことなら話が早い。
 ゴブゴブ村から来たゴブリンなら、たぶんヒルダの知り合いだろう。
 ここに倒れている冒険者の人たちとゴブリンさんに何があったかは分からないが、きっと些細な勘違いによるものに違いない。
 ちゃんと事情を説明すれば戦闘のような野蛮な行為は避けられるだろう。

「え、あ……う。……あの、ゴブゴブ、村? の、ゴブリンさん、ですか?」

 私の意志を汲み取って、ネコミちゃんが緑の巨人に話しかけた。
 よし、ナイスだ。正直カタナを構えっぱなしなのはどうかと思うが、この際その辺りは安全確保のためと思って眼をつぶろう。
 仕方ないのでネコミの横から私も触手をパタパタさせて自己主張をしてみる。

「おぅ……? おお、おお! もしや、お前さんがヒルダ嬢ちゃんが最近喚んだっていう珍しい魔物かの? 」

 やっと私のことが眼中に入ったのか、緑の巨人改め巨大ゴブリン氏は何度もカクカク頷きながら構えを解いてくれた。
 その代わり、私のことを「ほぉぉぉぉ……これが」とか言いながら見下ろしてくる。

 ネコミは目を丸くして巨大ゴブリン氏の様子を見ていたが、戦意がなくなったことに気付いて、慌てて自分もカタナを引っ込めた。
 よし。とりあえず戦闘勃発は免れたようだ。

「あの……私の、仲間」

 ちらちらと、倒れている三人を見ながらネコミが巨大ゴブリン氏に話しかける。
 たいへん言葉が足りない問いかけだったが、大意は察したらしく、巨大ゴブリン氏は頭を掻きながら答えた。

「おぅ、そうじゃそうじゃ。どうも森でばったり出くわしたか何かでドンパチしとった様子でのぅ。孫と息子がやられとったんで、久しぶりに暴れたんじゃよ」

 なるほど。なんとなく理解した。
 冒険者は魔物と遭遇したら問答無用で襲いかかってしまう人たちだしなぁ。

「……ごめんなさい」

 巨大ゴブリン氏の言葉に加えて私の考えまで受け止めて、ネコミがしゅんと耳を伏せて謝る。

「がっはっはっはっ、なぁに、この森も迷宮みたいなもんじゃしな。出会って戦うのはしょうがないじゃろ」

 巨大ゴブリン氏は豪快に笑って謝罪を流してしまった。私としても同感である。
 死人さえ出なければ、ちゃんと謝ってくれれば問題ないのだ。

「まぁ、よう事情は分からんが、お仲間なら連れて帰ってやってくれるかのぅ? ここに放り出すワケにもいかんし、僧侶魔法でもかけてやらにゃあ当分目を覚まさんからなぁ」

 巨大ゴブリン氏がそう提案する。
 確かに、この森の中に気絶した生き物を放置するのは危険っぽい。
 あの霧が近付かないところを見ると、たぶんネコミが言っていた魔除けとかで守っているんだろうけど、何かの拍子ということもあるし。

「……はい」

 こくこくとネコミが頷く。
 ちょっと変な展開になってしまったが、無事に合流できたから良かったと言えるだろう。

 後は、一緒に連れて帰るだけ……か?
 しかし、よく考えたら森の外に放り出すのはいくらなんでも可哀想か。

「それだけしてもらったら、大丈夫」

 私の心配を他所に、ネコミはこくこくと頷いている。
 自分が迷惑をかけたと思っているのだろう、寝込みはさっきからチラチラと向こうで気絶したロナちゃんたちの方を気にしていた。
 そういう生真面目なところはえらいと思うが、さすがにその大きな爬虫類の人を引きずっていくのはネコミには無理だろう。

 ヒルダには悪いが、一度戻ってもう一晩泊めてもらうのが……。

「!」

 ネコミの尻尾がぴんと立った。
 そして、そわそわと揺れる視線に合わせてふらふら左右に揺れだす。

 まぁ、本人も乗り気のようだし、そういうことになった。



「それじゃあ、またのぅ〜。久しぶりに思いっきり戦えて、楽しかったって伝えてくれ〜」

 先ほどの話からしてと、ロナちゃんのお爺さんだったらしい巨大ゴブリン氏は、片腕に息子とお孫さんを抱きかかえると、大きく手を振りながらゴブゴブ村の方に帰っていった。

「んん……やぁぁぁ……売り飛ばされるぅ……。こんな大勢の前で……ダメだよぅ……そんな値段、つけないでぇ……」

 なんか抱きかかえられたロナちゃんが変な夢見てるっぽかったが、とりあえず全員でスルーしておいた。
 よく分からんが、君に幸あれ。









 というわけで、落ちてたのを拾って持って帰ってきたのだが。

「持って帰ってくるな!」

 お家で飼っちゃダメ?

「子供みたいにお願いしてもダメだ! とっとと捨てて来いっ!!」

 いや、だが、しかし、昏倒している娘さん達をあんな危険な森に放り出すというのは、さすがの私でもちょっと気が咎めるのだが。

「……はぁ……分かってる」

 私の言葉に、ヒルダがふかぶかとため息を付いて椅子に身を沈める。
 なにか老け込みそうな溜息だったが、思うに、なんだかんだで優しいヒルダのことだから、もともと本気で反対するつもりはなかったのだろう。

「いいか、全員目を覚ましたら、ちゃんと家に帰せよ? 絶対だからな?」

 勿論だとも。
 この誠実さに満ち溢れた大きな目と、万人に深い愛を注ぐ心を信用して欲しい。

「信用できるかっ! なんで1人帰しに行って3人増えて帰ってくるんだお前はっ!!」

 がーっ!と吠えるヒルダを前に、私はほんのちらっとだけ6P、とか考えてしまった。
 いや、決して他意があるわけでなく、現在ヒルダの家にいる総人口に対して単位「P」を当てはめてみただけなのだが。ホントに。

「こ! の! ド! ヘ! ン! タ! イ! がっっっ!!」

 麺棒で平たくされながら、私は必死に再度の説得を試みたが、なかなか誤解は解けない。

 まぁ、よくあることだ。うん。
 死にさえしなければ、そのうちきっと誤解も解けるだろう。









つづく