冒険者とは、迷宮探索や魔物退治などをしながら定住地を持たず旅を続ける根無し草の事を言う。

 地下迷宮の探索を専門にしていたら、いつの間にかその国に定住してしまうヤツとか、どこぞの国に正式に雇われて非公式の傭兵として雇われたり、酷いのには冒険者の振りを続けたまま雇われた国のために間諜まがいのことをしているけれど。
 少なくともあたし達は、どこの国にも団体にも属さない、正真正銘まじりっけのない冒険者だった。

 だから、リターンは全て自分達のものだけど、リスクも自分達のものだ。
 取り返すのも、自分達でやらなきゃならない。






9話 「友情!決戦前夜の誓い!!」







 この地域に立ち寄った際に、あたし達が逗留している宿は、この近辺で取れる木材という薄黒い茶色の木で組まれた、二階建ての建物だった。
 一階が食堂になっていて、朝・昼・夜の食事はサービスで付いてくる。
 この食事がとても味がいいのだけれど、それが原因で食堂がやたらに盛況で町の人間がひっきりなしに食堂を出入りしているのが頂けない。。
 深夜以外はいつも食堂の客による喧騒が二階の部屋にまで届いてくるだ。

 その喧騒の中に、あたしは一人で降りていく。
 階段を降りていく途中、あたしは微かに眩暈を感じて目を覆った。
 宿の一階にそこかしこに備え付けられたランプの明かりですら、長いこと暗い部屋にいたあたしには毒になる。

 くそ、眩しい。
 五月蝿い。

 凄腕の剣士のクセに、怖がりの気があるネコミは、その方が安心できて良いなんて言っていたけど、あたしはイヤだった。

 今は、あのフェルパーはどうしているのだろう。
 いつもあたしの後に引っ付いてきて、何をするにもあたしの顔を見て首を傾げて言葉を待っていた。

 今も、あたしのことを待って……。

「……やっほー、話ってなーに?」

 いつの間にか、あたしはテーブルに辿り着いていた。
 あたし達の席だ。

 4つの椅子に、小さめの四角いテーブル。
 片側の二つの椅子に、二人が並んで座ってこっちを見ている。

 妖精族のピクス。ニンジャ。
 ドラゴニュートのギリュウ。騎士。

 これに、ノームの司祭をやっているあたしと、フェルパーで侍のネコミで、あたし達のパーティーは全員になる。
 今は、そのうちの三人しかいない。

 あたしは、ピクスとギリュウの対面にある椅子に座ってから、息を一度吸った。
 そして二人を見ながら、一息に言う。

「死霊使いの森で負けて、魔物にネコミがさらわれた。今すぐにでも助けに行かなきゃならないの。……だから、あんた達の力を借りたい」

 四人パーティーのうち二人だけで森に向かったのはあたしだ。
 だから、けなされてもしかたがない。

 だが、この迷宮もないような田舎の町で、この二人以上の戦力が存在しないことも事実だった。

 予想していた通りに、ピクスがまず不満げに頬を膨らませた。
 碧色の髪を短く首ほどの長さで切り詰めた全長30センチほどの妖精は、ふわりと椅子から舞い上がると、腰に手を置いてあたしを不満げに見下ろす。

「でも、護符が足りないじゃん。ギリュウだけレンタルとかイヤだよ。あたしとギリュウは一心同体だし」

 そういい終わると、妖精族の娘は、「ねー」と言いながら、ランプの灯りの下で虹色に輝く、ギリュウの首筋の鱗に顔を埋める。
 ムカつく話だが、この妖精はなぜかドラゴニュートとやけに仲が良い。

 暖炉と客の熱気で少し蒸す食堂の中では、爬虫類特有の冷えた鱗の感触はひんやりして気持ちいいのだろう。
 目を細めて満足そうにしているピクスは、それ以上にあたしを追求することはなかった。

 あたしは、懐から宝石細工で飾られた護符を取り出し、テーブルに置いた。

「…………三つ。一つは、徹夜で作った」

 暗い部屋で、半日をかけてあたし自身が作ったものだ。
 これがあれば、死霊使いの森でも、死霊に襲われることはない。

 あの、正体のわからない触手の化け物を除いて。

「この護符、製造費だけで今までの冒険で稼いだお金がなくなっちゃったんじゃなかったの?」

 目を丸く開いてピクスが聞いてくる。

「ほとんどって言ってたでしょ。……溜め込んでた分の財産と、足りない分は使わない装備を売り払ってお金を作ったのよ。質が悪くて親玉の所に辿り着く前にアウトなんて馬鹿な真似はしない」

 かなりギリギリの買い物になった。
 実のところ、この宿に逗留し続けるためのお金だって、もう無いくらいなのだ。

「……キミ、ホントにグノー?」

 あたしの言葉に、ピクスが目を細める。
 失礼なヤツだ。

「悪い?」

 あたしが睨むと、ピクスがふるふると首を振った。

「うぅん、悪くないかなー。ねー?」
「……フム」

 コイツは、なにかあるとすぐにギリュウに話を振る。
 突然話を振られたドラゴニュートは、喉の下を震わせてあたしの顔を見た。

 本来は山岳に住み、竜となるため何者に関わることもなく修練を積むというドラゴニュートでありながら、人間の冒険者に混じって騎士としての訓練を積んできたこの竜は、角持つ爬虫類の頭と、鱗に覆われた二足歩行する人に似た体躯を有している。
 コイツは人間と比べると一回りでかいのだが、長い尾で椅子に座るのが邪魔なせいでいつも前のめり気味に座っているため、今もその顔はあたしの頭と同じくらいの高さで、目の前に突き出されていた。

 その顔が、薄く口を開いて少しだけ牙を剥き出すと、目の下から目蓋をぴくぴくと上下させた。
 コイツなりの笑みの表情だ。

「悪クナイ」

 その返事を聞いて、あたしは妙に疲れた気になって背を椅子につけた。
 少し身体がずり落ちるのを支えながら問いかける。

「……で、付き合うの、それとも怖じ気づいた?」

 あたしの口から、少しだけ強い言葉が出たのを敏感に察して、ピクスが顔をあげてこちらを見る。

「そーいう挑発とかさー、らしくないよね? いつもなら、おだてて丸め込むじゃん」

 ニタニタと笑う顔に腹が立って、あたしは邪険に手の平を振って覗き込んでくるピクスを追い払った。
 顔が赤くなっているのが分かったが、触れたりすればとまたからかわれるので、意識から離そうと努力する。

「うっさい! ついてくるか、こないか! さっさと決めてよっ!!」

 言いながら、すでに答えはなんとなく分かっていた。

「行くよ?」
「無論ダ。友ノ危機ヲ見過ゴセルモノカ」

 二人は、揃って頷いた。

「……ありがと」

 そう言って、あたしはテーブルの上から、宝石の護符を一つ取る。
 表情を見られたくなくて、顔を少し伏せる。

「へへへー、照れてる照れてる」

 笑いながらピクスが護符を取り、首に下げる。
 最後に、ギリュウがそれを手にとって手首に巻いた。

 そして、ギリュウは椅子から立ち上がる。

「準備ヲシヨウ。明日ノ朝、出発ダ」

 あたしが何かを言う前に、ギリュウはあたしの顔を見下ろしてそう言った。

 話が違う。
 あたしは即座に立ち上がってギリュウを睨み付けた。

「今からって言ったでしょ! 急がないと……」

 あたしが話を続ける前に、ギリュウの鱗に覆われた重厚な手の平が、頭の上に乗ってくる。

「目ニ隈ガアル。反応モ鈍イ。先ホド、階段ヲ下リテキタ時、足元ガフラツイテイタ」

 ムカつくほど重い手の平は、あたしの口からそれ以上の言葉が続くのを止めてしまった。
 全部、自覚はしていたことだ。

「そーいうこと、ネコミも心配だけど、今はグノーの方がもっと心配。だって、全然余裕ないじゃん」

 ピクスが下に回り込んで、いつも通りのあけすけな笑みであたしに言う。

「……でも、ネコミは今……」

 思い出すのは、あの絶望的な戦闘の中、自分達を引き倒してさらなる地獄へと引きずり込んだ無数の触手。
 口の中に潜り込んだ細い触手が舌を嬲る感触、身体中を這い回る触手が、服の内側に潜り込みそれを溶かしていく。
 あのとき、肌が晒される羞恥よりも、触手に肌を撫でられることにぞっとするほど嫌悪感を感じていない自分に、たまらない恥辱を感じた。

 ネコミがさらわれた後にあの場に残した三文字の言葉は、あの恥辱を忘れないことを、あの化け物に屈しない殺意を誓った言葉。
 そうしなければならないほどに、あの触手のおぞましいやり口は巧妙だったのだ。

 あのまま、森の奥にさらわれていったネコミが、あの地獄に抗えるとは思えない。
 どれほどおぞましい目に遭わされているか。

 心を壊され、あの化け物の苗床として、嬲られ続けるネコミを幻視して、あたしは身体を震わせた。

 けれど、ピクスがあたしの肩を叩き、現実に引き戻す。

「絶対しくじれないんでしょ? あたしだって、そんなエロい目に遭わされたくないし、グノーだってそーでしょ?」

 あまりピクスが見せない、真剣な顔。
 身体を襲っていた震えが収まるのが分かる。

「ピクス、ハ、俺ガ守ル」

 あたしは守らないのかい、なんて言葉が思いついたが口にはしない。
 守ってもらうのはついでで十分だ。

「……分かった。寝てくる。でも、夜明けになったらすぐ出発だからね?」

 あたしが頷くと、ギリュウの手が離れる。

「無論ダ」

 さっきと見せたのと同じ、口の端で牙を剥き出しにする笑みの表情を見せてギリュウは力強く頷いた。
 するりとあたしの前から離れて、その肩に乗ったピクスも同じように微笑んで頷く。

「絶対に成功させよ?……だってほら、あれでしょ」

 そう言って、宿の壁の一角を指差す。
 壁に直接掘り込まれた文字。

“冒険者は、仕事を終えて帰還するときは全員一緒に”

 下手糞な字だと思う。
 酔った勢いで、誰かが担当で壁に彫りこんだ言葉。

「あれ彫ったの、グノーでしょ?」

 うるさいバカ、と小さく口の中で言って、あたしは階段を上って部屋に戻る。
 部屋に戻るなり、ベットの中に倒れこむ。

 意識が泥に沈むように消えていく刹那、あたしの脳裏に、四人で冒険していたつい最近の光景が浮かんだ。









 夕食は、無事に風邪から全快したヒルダによるビーフシチューだった。

 牛の肉は、この前にロナちゃんが運んできたゴブゴブ村から送られてきた感謝の品の一つで、この辺では結構な貴重品らしい。
 燻製にしてしまうのも手だが、せっかくなので日が経つ前に食べてしまうつもりだったのだそうだ。

 ちなみに、触手の表面に味覚や嗅覚を備えることに成功した私もちょっとだけ味見させてもらったが、確かに美味しそうな味だった。
 まぁ、口も消化器官も無いので、別に食えるわけじゃないのだが。
 しかし、なんで私はビーフシチューの味を美味しそうだと感じることが出来るのだろうか。謎である。
 そのようなものを口にしたことなど一度も無いというのに。

 ふむ、今度ヒルダに料理を習って見ようか。
 味見が出来るのなら、頑張れば料理スキルを身に着けるのも可能かもしれない。
 もっとも、食感とかが分からないので微妙といえば微妙なのだが。

 閑話休題。

 食後、食器洗いを済ませて食堂を兼ねた居間に戻ってきた私は、自らが思いついた一つのアイデアに心躍らせていた。

 料理を習う件ではない。
 それも興味のあることだが、今思いついたのはもっと重要なことだ。

 なにより、今、この時にしか出来ない事である。この機を逃せば機会は永遠に失われるかもしれない。
 私は内心の焦りを抑えて、つとめて平静を装いながら居間へと這い進んだ。

「ふぅん、自由都市郡は統合されたのか。じゃあ、聖教国の方と戦争になったんじゃないのか?」
「なってなかった、と、思う」

 居間では、ヒルダとネコミがなにやら話している。
 よくは分からないが、この森の外の、人間の国の領域の話らしい。

「ふーん? じゃあ、自由都市郡が統合した……連合? だったか、そこの通貨が変わったんじゃないか?」
「あ、うん。変わった。銀貨だけど、綺麗な丸いのに」
「なるほど、協定を結んで属国になる道を選んだ訳か。賢明な判断だな」

 ヒルダは訳知り顔で頷いているが、私はサッパリ分からない話題だ。
 ついでに言うと、ネコミも異国の歌でも聞かされているような顔できょとんとしている。

「ああ、お前か。ご苦労だったな」

 私は触手を伸ばして、いつものようにヒルダの細い腕に軽く巻きつけた。
 同時に、ネコミの腕にも一本、触手を巻きつける。

 決して二人の二の腕の柔らかさを比べようという意図があるわけではなく、あくまで意思疎通のためである。

 細いヒルダの折れてしまいそうな華奢な感触も良いが、よく鍛えているネコミの腕は筋の通ったしっかりした感触と、力を篭めていない時の意外な柔らかさがなかなかに良い。

「ほぅ、そうか。私の腕は肉の足りないトリガラか?」
「……スジ」

 ヒルダの目がすかさず攻撃色に染まり、ネコミの耳がぺたんと伏せる。

 待ちたまえ二人とも。
 私が伝えたいのはあくまで女性にはそれぞれ良い所があるということであって、決してどちらかが劣っているなどということではない。
 貧乳には貧乳の、巨乳には巨乳のよさがあり、それらはお互いを支えあうことで、さらにお互いを高めあうことが出来るのだ。

「支えあうのは大事」

 こくこくとネコミが頷く。
 彼女は本当に聞き分けの良い良い子だと思う。

「単にお前に見境が無いだけだろーが」

 一方のヒルダというと、じと目で私を見ながらそう評した。 
 彼女は見た目の可憐さに反して、いちいち反応が辛辣すぎると思うのだが。

 このように、私は相手の身体に触れることで、意思を伝えることができるのだ。
 その代わりに私の意志は相手にだだ漏れになるわけだが、意思疎通の手段が与えられるだけで私にとっては十分だ。
 そもそも万物に対して公明正大である私に、嘘を吐く必要などは無いのだから。

「神父さまみたい」

 ちょっと感動したようにネコミが尻尾を振って目を丸くしている。
 まぁ、私がそのように思われるのも当然だろう。
 ある意味、聖職者と私は似たようなものだからな。主に名前の響きとかが。

「“しょく”しか合っとらんわ!」

 ヒルダが軽く爪先で私の触手の一本を蹴る。
 いやいや、私はいい加減なことは言っていない。神には仕えてないが、この身にやましいことなど一切ないぞ?

「お前は、やましいことしか考えてないだろーが!」

 私の主張が不満だったらしく、ごすっと私の体に麺棒をめり込ませながらヒルダが言う。

 体の中央部分を作り出していた眼球ごとめっこりと凹まされて、私は仕方なく新しい眼球を作り出しながら麺棒から逃れた。
 私の弱点の一つが打撃であることを悟って以来、ヒルダはいつも麺棒をどっからともなく出してくるようになったのだが、本当にどこから出しているのだろうか。もしや魔法か?

「お前が四六時中アホなことを言うから持ち歩く羽目になってるだけだ。殴るぶんには血飛沫とか出なくて鬱陶しくないからな?」

 そこまでして突っ込みに徹するとは、ヒルダはよほどの突っ込み気質の持ち主らしい。
 ベッドの中では突っ込まれ気質だが。

 そんなことを思った瞬間、無言で振り下ろされた麺棒が私の頭を見事に平らにした。

 あまりそんな光景に慣れていないネコミが心配そうに私の目を覗き込む。

「……大丈夫?」

 なに、そんな耳を伏せて心配がらなくても、愛ある限り私は不死身だとも。

「また、くだらんことを」

 ぽい、と麺棒を部屋の隅に投げながら、ヒルダは呆れたように息を吐いた。
 ちょっと照れてるといいなぁ。表情に一切出てないのが残念だが。

「今の一撃には純粋に貴様への怒りしかこもとらんわ!」

 残念だ。
 時に、お互いが分かり合うために一つ提案があるのだが。

「……一応言ってみろ」

 せっかく珍しいお泊りの客様がいることだし、せっかくだからこれから二人だけでは出来ないことをしてはどうだろうか?

「…………具体的には?」

 3Pとか。

 そんなことを思った瞬間、無言で激しく振り下ろされた麺棒が、私の頭を見事に潰れたお饅頭にした。
 部屋の隅に放ったはずの麺棒がどうやってヒルダの手の中に移動したかは永遠の謎だ。

 あまりそんな光景に慣れていないネコミが心配そうに私の目を覗き込む。

「……大丈夫?」

 なに、そんな耳を伏せて心配がらなくても、愛ある限り私は不死身だとも。

「ンな変態を心配せんでもいい! エロ触手! お前もあんまりアホなことばっかり言ってると、お前の不死身具合がどの程度か端っこからちょっとづつ微塵切りにして試すぞ? それとも綺麗に平らにしてから麺にして茹でてやろうか!?」

 言われる前に既に平らにされてる私をぐりぐりと力いっぱい踏みながらヒルダが怒鳴る。
 個人的には裸足ならややオッケーなのだが、靴越しでは全然嬉しくないのでこういうプレイはベッドで痛い痛いいたいゴメンマジゴメンちょっと言い過ぎましたそれ以上は千切れちゃうからやっぱ踏まないで!

「え、あ、あの、やりすぎ。かわいそう」

 どうすればいいか分からずおろおろしているネコミの言葉で毒気を抜かれたのか、踏みつけ+靴先の抉り攻撃が私の体を靴で貫通する前に攻撃を止めてくれた。
 ちょっと反省した。やはり親しき仲にも礼儀ありというか、もう少し手順を踏まえないと不味いか。
 3Pはもっと好感度というかフラグというか、とにかくもっと色々させてくれるようになってから改めてお願いしよう。

 ちなみに今のはあくまでヒルダとの愛情を深めようという前向きな決意の表れであって、決して愛情を深めた後の色々が目的というわけではないことを言っておく。

「フォローを付け足すな」

 ヒルダも興味津々のクセに。

「もっかい踏むぞ」

 疲れたようなじと目で私を睨むと、ヒルダはテーブルに乗せてあった紅茶っぽい飲み物を飲んだ。
 一人で喋りまくりなので喉が渇いたのだろう。

「……あの」

 そこで、話が一段落したのを待っていたらしいネコミが、小さく挙手をした。
 ちっちゃい怪獣のように吼えるヒルダに遠慮していたのだろう、おずおずと小さく上げられた手の平が可愛らしい。

「なんだ? 別にいちいち断らなくていいから遠慮せずに聞け。さっきは私から質問攻めにしてしまったからな」

 少しばつが悪そうにしながらヒルダが応える。
 私は地味にもっかい踏まれたが、それ以上の追求はなかった。泥沼だしな。

 ヒルダの鷹揚な態度に安心したのか、ネコミは手を下ろして口を開いた。

「3Pってなに?」

 なんの意図もなさそうな、真面目な顔での質問である。

 おおおおおおお、聞きましたかヒルダさん!?
 今のセリフはちょっと問題ですよ?
 あんなおっきな胸してそんな言葉が飛び出すなんて、こいつはもしかしなくても誘っているかもしれませんし、そうじゃなかったとしても紳士淑女の嗜みとして一つ実践で我々が教えてあげる必要が……ッ!!

「分からないなら忘れろ!」

 勢い良くそう答えながら、ヒルダは思いっきり私のボディを踏みつけにした。

「でも」
「いいから忘れろ!」
「だって」
「わーすーれーろーーー!!」

 純真な子の一言で耳年増でエロエロな自分を自覚してしまった気恥ずかしさは分かるが、落ち着いて欲しい。

 照れ隠しに私をドンドン踏んでるせいで、なんだか私のボディがかき混ぜた目玉焼きみたいになってきているのだが。
 いや本気で痛いっていうか、痛すぎて痛覚が麻痺しちゃってるんだがマジで止めてくださいマジでストンピングはヤバい色々飛び散ってるかホントに。

「……!?」

 その時の私の潰れ方がよっぽど怖かったらしく、思わず止めようとして私を見下ろしたネコミがビクッとなっていた。
 一瞬でパンパンに膨らむ尻尾がとても猫っぽかった。









 居間へと私が這い戻ると、ヒルダは酒の入ったグラスを傾けているところだった。
 私がいないうちに台所の方から持ってきたらしい酒瓶は、夕食と同じくゴブゴブ村から貢物として送られたてきたものだ。

「……ん、あの娘はちゃんと寝たのか?」

 こくりと喉を鳴らして酒を飲み込むと、ヒルダは床を這う私の姿に気づいて声をかけてきた。
 多少意外そうな物言いは、私が眠っていたネコミを客室のベッドに運ぶついでに襲ってしまうとでも思っていたのだろう。
 失礼な話だ。
 ちゃんとネコミは客室のベットに寝かしつけてきている。

 私は、ヒルダの向かい側の椅子に触手を絡め、その体を軽く椅子の上に乗せた。
 別にそんなことをしないでも床に這っていればいいのだが、床を這っているとすぐヒルダに踏まれるので、せめてもの予防措置である。

「何をふてくされてるんだ。……ほら」

 溜息をついたヒルダが、机の上でグラスを持っていない方の手を私へと伸ばした。
 掌を上に私へ向けられたヒルダの手を見て、なんだか犬の躾のようでコレも納得いかないかと思いつつ、私は太い触手の一本をちょこんとその上に乗せる。
 意外にも、ヒルダがその触手を手の中でしっかりと握ってくれた。

 ヒルダは、そうしてから、グラスをもう一度呷り、私に言う。

「明日にはちゃんと仲間の元に帰してやれよ」

 ネコミのことである。
 私自身、まさか二晩も泊めることになるのは予想していなかったのだが、さすがにそんなに長い間宿泊させるのは不味いか。
 そもそもこの家の主に無断で宿泊させてるのも悪いのだが。

「……それは別に良いんだが」

 ヒルダは深く息を吐く。
 頬がもう赤くなっているところを見ると、なかなか強い酒らしい。

「ぶっちゃけ仲間の方はネコミがお前に……まぁ、なんだ、良くないことをされてると思ってるだろう……?

 私は気持ち良いことしかしてな痛いイタイイタイ握らないで握らないで漏れるもれるなんか漏れてる!!?
 なんか私の触手を握ってくるパワーが格段に増したので、テーブルをベルの触手でぺしぺし叩いてストップをお願いする。

「アホか! ……あのなぁ、仲間が助けに来るとか、お前の方が退治されるとか考えてないのか?」

 私の触手を握り潰そうとする腕の力こそ止まったものの、青筋を浮かべたヒルダの怒鳴り声は止まらない。
 しかし、その言葉の内容からすると私の心配をしてくれているらしい。
 ありがたいことだ。

「……今回の件は、お前は私の巻き添えだったからな。それに、結果的にお前に守られたことは感謝してる」

 椅子の上から送っている私のまっすぐな視線(直径1メートル弱)に耐えられなくなったのか、ヒルダは視線を反らしてそのようなことを言った。
 別に照れなくていいのに。二人きりなのだからここは存分にデレてもらっても……すまない調子に乗った。

 ヒルダは言葉で責めると暴力が返ってくるので、いつも自重しようと思っているのだが、結局毎度のように同じ轍を踏む羽目になっているのは我ながら不思議だ。
 もしかしたら私はヒルダの暴力を求めているのだろうか?
 難しい問題だ。

「本気でそれ言ってるなら、二度とお前に触らんぞ……?」

 それは勘弁して欲しい。話し相手がいないと寂しくて死んでしまう。
 ウサギは寂しいと死んでしまうのだ。

「全然関係ないだろうが! お前のどの辺がウサギなんだッ!!」

 性欲が強いところとか。

「…………もういい」

 なにかしら脱力したらしく、ヒルダはへなへなとテーブルに突っ伏してしまった。
 安心して欲しい。この理論によるとヒルダだって立派にウサギっぽいぞ。

 あ、やっぱ今の無し。握られるのは全然嬉しくないい、ひたすら痛いだけだから是非やめて欲しい。ストップ・ザ・暴力。

「……話を戻すぞ」

 ラジャー了解です。
 えーと、仲間が助けに来て私が退治される件だったか。

「ああ。冒険者というのは魔物退治のプロだ。本気になれば、何をしてくるか分からん」

 確かにムチャクチャしてきてたが。スゲェ魔法で森がめっちゃ焼けたり斬れたりしてたし。
 しかしまぁ、私が退治されるほどではないんじゃないかとも思う。

「……馬鹿。周りにも注意を払えよ。この森の近くにはゴブゴブ村だってあるし、あまり無体をして大きな問題になれば、魔王軍に粛清されるぞ?」

 待て、そんな一気に言われても理解できない。
 ゴブゴブ村にまで迷惑がかかるというのは……そんな卑劣な感じでは無いと思うのだが、ネコミとかを見る限り。

 だが、魔王軍に粛清とか言われても私はサッパリだ。

「今の魔王は穏健派で、魔物と人間の組織だった争いや無法行為は禁止されている。一応、ここは魔物の領土で、お前の外見はどう見ても魔物だから、粛清の対象には十分だ」

 そうだったのか。
 言われてみると確かにゴブゴブ村はめっさ平和だったし、実は魔物というのはみんなあんな感じなのか。
 うむ。なんにしろ平和な感じなのは良いことだ。

 ……粛清とかはちょっと頂けないが。

「今は平和だが、昔は色々あったんだよ。あまりにも無法が過ぎて、オークなんかは種族ごと滅ばされたからな」

 長い金髪をかき上げて、ヒルダが深い溜息をついた。
 そう言えば、魔女であるヒルダは見た目よりずっと長生きしているのであった。

 私には分からないが、きっとそれが必要になるような嫌な時代が、確かに存在していたのだろう。

「……だから、目に付けられるようなことはするな。私が守ってやるのだって限界はあるんだから」

 そう言って、テーブルに半ば突っ伏したままヒルダはグラスにわずかに残っていた酒を飲み干した。
 深い溜息は、何を思い出してのものなのかは分からないし、私も尋ねるつもりは無い。

 願わくば、私の身の上を案じてのことであって欲しいが。
 贅沢は言うまい。

「ふん。いい男のようなことを言うな。見た目は触手の塊のクセに」

 ヒルダが笑うように目を細くする。。
 私はその言葉に抗議するように、本体に作り出した大きな眼球を半眼に閉ざした。
 私だって落ち着いたことを言いたくなる夜だってあるのだ。

「ああ、そういえばさっきは3P3P言ってたクセに、本気で襲いかかってこなかったな? いつもなら、考えながらもう触手伸ばしてきてただろう? そう思って力いっぱい踏んだのに、拍子抜けだったぞ」

 まぁ、あれは確かに全力全開ではなかった。
 あれぐらい距離的に近くだったら、本気の私ならば二秒でそのままあんなことやこんなことをして、そのまま一気にアレな場所にスギューンできたかもしれない。

 しかし、まぁ、なんというか……ほら、あれだ。
 家に戻ってくる前に外でネコミとたっぷりと色々アレなことをしたせいで、なんだかスッキリ爽快というか、いつもみたいに飢えてないというか、賢者としての自分を自覚できるようになっているというか。

 私のその説明に対して、ヒルダはみるみる微妙になっていった。

「お前、実は単なるデカいチン●なんじゃ……」

 女の子がチ●コとか言うものではないぞ、はしたない。

 というか、スゲェ真面目な顔でそんな嫌な考察をしないで欲しい。
 私はもっと理性と知性、そして紳士的な精神に溢れた健康的な成人男性だ。

「仮性包茎だけどな」

 それは違うだろう……ッ!
 これはあくまで変身前の一形態であって、いつでも変身できるこれは別にお子様のアレとは違ってちゃんと大人のソレと同一のものでだな……!!

 私は抗議の意味を含めておもむろに椅子からテーブル上に乗り上げると、引き伸ばした太い触手を数本、ヒルダの顔の目の前に突きつけて、文字通り変形させる。

「ぬぉっ!? いきなり這いよってくるな……っ!!」

 待て! 目をそらさずよく見ろ!!
 触手の先端は、確かにいわゆる成人男性のアレにそっくりの形をすることもできるのだが、コレとアレはあくまで似て非なる器官だ。

「くっ……か、顔に突きつけるなヘンタイっっ!!」

 私の触手をヒルダの手の平が反射的に掴み取る。
 もっとも触手の数は一本や二本ではないので、その程度の抵抗では私の解説を妨げることは出来ない。

 むしろ、手に握ったことでヒルダも私の説を再認識することが出来ただろう。
 ほら、私の触手はもっとヌルヌルしてるし、出る液体もアレに似てるけど違うしな!!

「だ、出すなよ! 絶対出すなよっ!?」

 焦ったヒルダが慌てて口にするが、ちょっと待って欲しい。
 私は決してそんなつもりではなかったのだが、ぎゅっと両手で一本づつ握られている触手は、大いに手の平で掴まれる感触を堪能しているわけで、しかもヌルヌルさを分かってもらうために手の中でちょっと前後してみたらこれがまた良い具合に

「ひやぁぁぁ!?」

 正直すまんかった。

 しかし、もうちょっと私の主張を聞いて欲しい。

 私のコレは、機能によって細い触手を備えた工作型や、無数の吸盤を備えて微妙な力加減も可能な吸着型、さらには先端に目玉を生やしてどんな隙間も覗ける目玉型など、自由自在の変形が可能なのだ!
 こんなことが、一段階の変形しか持たない通常のアレにできるだろうか!?

 見よ!無数の変形形態が織り成す、自由自在・縦横無尽の動きによる多重演奏の恐ろしさを!

「ひぁっ!? ば、ばか、いきなり服の中に入れるなっ! それにこんなところで…………ひぃんっ!?」

 椅子に座ったままのヒルダに、一斉に無数の触手がもぐりこむ。

 服の袖口からヒルダの脇に潜り込んだ触手が、その先端から無数の細い触手を伸ばして、肋骨の線を一本一本、なぞるように舐めていく。
 襟首からヒルダの背中に入り込んだ触手が、その表面の無数の吸盤を使って、白い肌を啄ばむように吸い上げ、小さな無数の吸着の痕を付けていく。
 捲り上げた上着の裾から入り込んだ触手が腹から這い上がり、ヒルダの緩やかな胸の膨らみをなぞり上げると、その先端の突起を探り当て、弄るようにしつこく突つく。
 脚の間を這い上がった太く無数の突起を備えた触手は、慌てて閉じようとする柔らかな太腿にたっぷりと粘液を塗りつけながら這い進み、その奥に隠された、柔らかな肉へと先端が当たる。

 びくん、と小さな体躯が震えた。
 ヒルダの口から漏れた甘い喘ぎには、もう拒否の意志が含まれていない。

 だがその時。
 私の触手の一本の、その先端に生み出された目が、居間の入り口で寝ぼけ眼のままこちらを見ているネコミを発見した。



「────おしっこ」

 なんだかどこを見ているんだか分からないぼんやりとした目で、ネコミは私とヒルダに向かってそれだけを告げた。



 それきり重苦しい沈黙が横たわる。

「……ぅ、ぁ」

 なにかしらヒルダが呻いたが、寝ぼけ眼のネコミからは何の反応も無い。

 驚きのあまり思わず色々な動きを止めてしまったので、私もヒルダもなんだか宙ぶらりんのまま、しばし視線を宙にさまよわせた。
 やがて、顔を真っ赤にして絶句していたヒルダが、おずおずと口を開いた。

「そっちの……廊下の、突き当たりだ…………」

 ヒルダの腕は私が触手で絡めとっていたので、私が触手の一本を伸ばしてトイレの方向を示した。

 それを見て取ると、ネコミはふらふらと夢遊病患者のような足取りで居間を横切り、トイレのある廊下へと行ってしまった。
 しばしの間を置いて、トイレの戸が閉じる音が聞こえる。

 遠く聞こえたその音は、なんだかやけに間抜けに聞こえた。



 私の大きな眼球と、ヒルダの顔が見合わせられる。

「……えっと」

 ヒルダが何か言いかけるが、その先は言葉にならずに宙に消えた。
 沈黙が再び二人きりの居間に横たわり、私はしばしこれからどうするかを迷うことになった。
 こういう行為はタイミングが大事というか、私もこう、今夜は大丈夫とか言った直後のことだったので大変に心苦しくもあるわけで。

 すでに私の触手は、ヒルダの肌からそろそろと離れかけているわけで、やっぱり落ち着いてみると無理矢理だったかもしてない気がしてきてちょっと自重しようとかそんな思いが。

 だが、私の迷いを断ち切るごとく、ヒルダが顔を真っ赤にしながらもそもそと口を開いた。

「……続き、私の部屋で」

 それは蚊の鳴くような小さな声だったが、私の聴覚的器官である触手には十分に響いた。
 否、私のこの触手の奥にひっそりと輝く魂に響き渡った。

 その返事の代わりに、私はヒルダの体を太い触手を使ってしっかりと絡めとり、椅子の上から持ち上げる。
 そして、ヒルダの寝室へと全速前進の勢いで這い進むのだった。



 その後、どうなったかは言うまでもあるまい。
 とりあえず、ヒルダがたっぷり疲労してからぐっすりと幸せな眠りにつくことができたことだけは確かだ。









「グノー、朝だよー? 起きてるー?」

 ふわふわと羽根を舞わせて、音も立てずに室内へと侵入してきたピクスにベットの中から視線を返す。

 鍵が開けられる微かな金属音で目を覚ますことが出来た。
 自分の神経が、自分でも驚くほど鋭敏になっているのが分かる。

「……大丈夫。自分でも驚くほど調子良いから」

 立ち上がり、解いていた長い髪をまとめるために、髪をすくい上げる。

 すると、ふわふわと首の後ろに下りてきたピクスがその髪を掴んだ。
 いつの間にリボンを拾い上げたのか、手馴れた仕草で私の代わりに髪をまとめてリボンで縛っていく。

「ん……そういえばさ。髪のセットしてもらうの、久しぶりな気がする」
「だってグノー、ちっとも髪弄らせてくれないじゃん」

 髪を左右でツインテールに結ぶと、ピクスはあたしの前にづわりと回りこんで唇を尖らせた。

 音も無く宙を移動する妖精のニンジャを怖がって、近寄らせないようにしたのはいつからだったか。
 何故か笑いがこみ上げてきて、あたしは笑いながらピクスの頭を小さく撫でた。

「ありがと」

 驚いたのか、ピクスは慌てて胸を張ると「ど、どういたしまして」と、少し裏返った声で返した。
 そのやりとりがなんだかお互い子供じみてるように感じて、揃ってくすくすと笑う。

「……その髪、けっこうバサバサだったし、後で洗ってあげるから」

 絶対戻ってこようね、とまでは言わずに、ピクスはふわりと飛んで部屋の扉へ行ってしまう。
 あたしは一瞬躊躇いながらもその背中に声をかけた。

「ネコミもお風呂苦手だから。一緒に洗ってやってよ!」

 ピクスは振り返らない。
 だが、扉が閉じる寸前、廊下に響くような大きな声で返事が返ってきた。

「それはグノーの仕事!」

 ベッドの中で、そりゃ面倒な仕事ね、と呟いてから、私は立ち上がった。
 床のひやりと冷たい感触に、頭の中で微かに眠りの中でとろけていた部分が覚醒していくのを感じる。

 まだ日が昇って間もない灰色の街並を、格子窓から見下ろしながら、現在で揃えられる最高の装備を身に着けていく。
 朝の冷えた空気を肺に吸い込み、冷たい武器と鎧を身に着けていくごとに、自分の中に確かな自信が蘇っていく。
 二日前に味わった敗北を、取り返すのだ。

 ギシ、と扉が軋む音を聞いて、あたしは視線を入り口に向けた。
 鋼鉄の鎧に身を包んだギリュウが、その肩に毒塗りのダガーを装備したピクスを乗せて立っている。

 装備を整え、杖を手にしたあたしが静かに頷きかけると、二人も同じように頷きを返した。



 あたしはもう一度、死霊使いの森へと踏み入れる。
 あの忌まわしい森の奥へ行き、ヤツをブチ殺して仲間を取り戻してやるのだ。









つづく