目が覚めると、見知らぬ女が私の顔が私を覗き込んでいた。

 その手の中には濡れた布。
 それが私の汗でも拭こうと額を撫でたのが、目を覚ました原因なのだろう。
 目をまん丸にして驚いていた顔が、次第に喜びの表情に変わる。

 どこか冷たそうな切れ長の瞳が、なんとも子供っぽい変化を見せるモノだと思ったが。
 それよりも先に立つ疑問をのせて、私は口を開いた。

「…………誰だ?」

 私が眉をひそめて訪ねると。
 女の頭の上に乗った二つの猫耳が、不満そうにぺたりと伏せた。






8話 「決闘!自らを賭けた戦い!!」







「――つまり、侵入者を撃退したところで、ムラムラして思わずヤッてしまった、と?」

 腕組みして私を睨み付ける少女の言葉に、ぺたりとソファに身を横たえた私は肯定の意を返す。
 少なくともあの時、私は自分の衝動の赴くまま、欲望に任せて行動してしまっていた。

 あの時、あの凶悪極まりないちびっ子の魔法使いの魔法で焼き払われて、見事に生死の境界線を越えてしまったとき、私の中に存在する、ある種の感情が爆発的に膨れあがったのを感じたのだ。
 それに縋り付かなければ、私は恐らくそのまま境界のその向こう、いわゆる天国の階段を登ってしまっていたに違いない。

「いや常識的に考えて地獄だろうお前の場合。よくても魔界か異界か海の果てだろーが」

 睨む目を緩めずにヒルダが吐き捨てる。
 なんだかよく分からないが、本日のヒルダはご機嫌斜めである。

 だが機嫌を直して落ち着いて考えて欲しい、私の日頃の行いは、自分で言うのもなんだがとても善行に満ち溢れているではないか。

 なにしろ毎晩ヒルダを天国に逝かせてグシャァッ

「……踏み千切るぞ変態触手」

 踏み千切った後にそう言うと、ヒルダはトドメとばかりに一発私に蹴りを入れた。
 オマケとばかりに千切れた触手をポイと蹴り飛ばされたので、触手で掴んで繋ぎ直す。

 なるほど、たっぷりと休養もとったし、剣士ちゃんと私の共同作業で作り出した風邪薬を飲んだこともあって完全に風邪のダメージからは回復したようである。
 とても元気に溢れている様子だ。

「毎晩?」

 耳をぴこっと揺らして剣士ちゃんが小さく呟いた。
 いや、疑問系だからもしかして真相を聞いているのかも知れないが。

「お前もいらんことを聞くな!」

 勢いよく反応したヒルダが両手を振り上げて吠えると、剣士ちゃんは慌てて真面目な顔のままぺこぺこと頭を下げて平謝りしていた。
 さすがの私も同じ目に遭うのは恐ろしいので、ベッドの上で毎晩私に見せてくれヒルダの淫靡なる姿の数々についての解説は諦めよう。

「……いんび」

 尻尾を何故かピンと立てた剣士ちゃんがマジマジとヒルダを見る。
 みるみる可愛らしく朱色に染まったヒルダは、何故かテーブルに立てかけられていた麺棒を手に取ると、勢いよくそれを私めがけて振り下ろした。

 過激な照れ隠しもあったものである。
 この一撃一撃が、きっと彼女にとっての恥ずかしい記憶と同等の重みがあるに違いまい。
 それだけ私がヒルダを恥ずかしい目に遭わせてしまったということで、こうして叩かれるのも、愛ゆえの罪と言えるのかもしれない。
 いやむしろこの痛みこそが愛というか……

 えぇと、その、なんだ、さすがに私の外観がすっかり変形するほど連続して叩くのはやりすぎだと思うのでそろそろ勘弁して欲しい。
 なんだか衝撃で自分でもなにを考えてるのかよく分からなくなってきたし、この調子だと変な回路が繋がってしまいそうなのだが。

「…………少しは反省しろバカ」

 唇をへの字に曲げてそう言うと、ヒルダは麺棒をテーブル脇に戻した。
 とりあえず落ち着いてくれたようである。

「……大丈夫?」

 とれあえず一連の動作が終わったのを見計らって、おそるおそる剣士ちゃんが聞いてくる。
 良い子だ。

「どーせすぐ元に戻る。……ほら」

 まぁ、確かにヒルダの言う通り元に戻るのだが。

「わ。…………ゴム人形みたい」

 ゴム人形がどういうものかは知らないが、それはさぞかし不屈の魂を持っているのだろう。一度はお目にかかりたいモノである。

 ところで、先ほどから話が最初の流れから完全に脱線してしまっていることについて、お二人はいかにお考えだろうか。
 そもそもヒルダの要望により、事の経緯の説明をしていたはずなのだが。

「ごめん」
「……お前が変な風に話を持っていくからだろうが。さっさと続けろ」

 ちなみに、私の触手はヒルダと剣士ちゃんの腕に、それぞれ軽く巻き付けてある。
 なんだか妙な構図だが、私に口を作って発声する機能がないので仕方あるまい。

 ホントはテーブルの下で脚に巻き付けた方が見栄えが良いのだが、ヒルダが剣士ちゃんに、触手に目を作って下から覗いてくるそなどという誹謗中傷を行ったのでこうなってしまったのだ。
 まぁ、覗いても思考がだだ漏れなので丸分かりなのだが。

「……で! 死にかけて、よくわからない衝動に身を任せた、と!!その後はどうなったんだ?」

 落ち着かなげに腕を組んだり戻したり、太股をもぞもぞ揺らしたりし始めた剣士ちゃんを放置しつつ、ヒルダが力強く話を急かす。

 ちなみに、着替えなどない剣士ちゃんは、ヒルダの衣装を借りて着ている。

 布のあまっている大きめのローブを借りているのだが、さすがに下着の方はサイズ的に下だけ借りるのが精一杯だったらしく、胸の方は下着無しなのだそうだ。
 そんなわけで、布の下からもはっきりと分かる二つの豊かに盛り上がった半球は、本人の恥ずかしさなどお構いなしでこれでもかと自己主張をしていた。

 それに丈がどうしても足りなくなってしまうローブなど、先ほどから白い太股がチラチラと見えて実に胸が躍る。私には胸なんてないけど。
 まぁ、それでもさすがにその奥まではローブのお陰で覗くのは困難なので安心して貰いたい。

 さすがの私も、人前でいきなりローブの中に触手を潜り込ませたりは…………ふふふ。

「……え、ぅ」

 おお、剣士ちゃんが一生懸命脚を閉じてローブの裾を抑えている。

「だから、話を進めろと言ってるだろうが、このセクハラ大魔人がっ!!」

 力強いキックが私の目を抉った。
 ぐぉぉぉぉぉ!? キックで目を狙うとは、なんて恐ろしい攻撃方法を……っ!!

「うー」

 耳を伏せた剣士ちゃんが不満そうに唸ったので、とりあえずこの辺で止めておこうと思う。
 なんか真面目な子なので虐めたくなってしまうのである。

「もうさすがに突っ込まんぞ? とにかくその話は良いから、次はどうなったんだ、次は」

 うむ。
 その後は、死霊の森の霧を吸い込んで白くなって、触手を人間の形に変えて物量作戦でこの剣士ちゃんとちっこい魔法使いの二人組をやっつけたのだ。
 しかし、それで余計に疲れたというか、こう、飢えに飢えてしまってな。
 元々一回殺されかけたので腹に据えかねていたのもあって、いったん捕まえてしまうと、若さのたぎりが抑えられないというか、勢いが止まらずに凄い勢いで襲いかかってしまったというか。

「待て、今ものすごく重大なことをさらっと言わなかったか?」

 一回殺されかけた件か?
 それはもう別に良いのだが。無事に生き返ったし。

「そっちじゃなくて、霧を吸い込んで白くなった件だ。今は普通に以前と同じ色してるだろう?」

 ああ、なんだか色々あって元に戻ったのだ。
 きっとあれは神様がくれた贈り物だったんだろう。

「きっと陵辱と淫行とセクハラの神だな」

 まぁ、助けてくれるモノなら何でも良いではないか。今も無事なんだし。

「……あのなぁ。どうやって死霊を吸収して自分の力にしたかとかはどうでもいいのか? 言っておくが、そんなことが出来る魔物なんて聞いたことがない。恐ろしい力だぞ、それは」

 本人が恐ろしくなければ問題無しだ。
 しかもちゃんと元に戻ったとなれば、更に問題無し、むしろラッキーではないか。

「ホントにお前、自分の存在に疑問を抱かないな……。まぁ、別に良いんだが」

 自分の存在など、触手がちゃんと自分の思い通りに動いて、他者にコミュニケーションをとる手段が確立されていさえすればそれで十分である。
 私は触手が動かせなければ満足に飢えを凌ぐことも出来ないし、だからと言って、あまり一方的に飢えを満たすというのもどうかと思うじゃないか。

「最初のアレは、一方的じゃなかったとでも言うつもりか?」
「……私も、一方的だった、……と思う」

 二人がかりの不満そうな視線。
 なるほど、コミュニケーションの前提条件がそもそも性的な意味で接触することなのだから、先ほど口にした、私の希望は必ずしも満たされていないのか。

「そっか。…………大変、そう」

 うむ、大変なのだ。
 剣士ちゃんとは最後まで突入してないものの、なんとか無事に意志疎通が出来るようになったのでとても助かった。君には感謝の言葉を贈りたい。
 ヒルダのことを任せて家に残しちゃったときは、帰り道でもしかして逃げちゃってるんじゃないかとか気付いて少し慌てたのだが、ちゃんと残ってヒルダの看病してくれてたし。

「……別に、いい」

 謙虚な娘さんである。
 そんな耳まで真っ赤にして照れなくても良いのに。

「なんだ、途中で止めたのか? ずいぶん珍しいな」

 うむ、それはなんというか、深いわけがあったというか、色々あってだな。
 あわやというところで、泣いて嫌がる彼女への罪悪感から正義の心に目覚めてしまったのだよ。

「そ、そう。危ないところで止めてくれた」

 ほら本人もそう言っている。
 私が動きを止めそっと彼女を降ろしお互い和解を果たす。実に感動的な一場面だった。

「私が泣いて嫌がっても必死で止めてくれと嘆願しても、抵抗する気力が無くなるまで徹底的に、それはもう喜々として何度も何度も繰り返しありとあらゆる場所をヤリまくったお前が?」

 …………過去の罪を見て悔い改めたのだよ。

「あ、ありとあらゆる場所……繰り返し繰り返し何度も…………」

 耳をピンと立てた剣士ちゃんが、頬を真っ赤に染めたままぼそぼそ呟く。

 いやいや剣士ちゃん、あまりヒルダの艶姿を想像してはいけない。
 さすがに本人の前で、まだ○○○○な■■■を▲▲で××られて、同時に●●に▲▲▲▲を◎◎◎しながら◇◇◇◇される所を想像するのは可哀想ではないか。

「………………」

「頼むから無言でマジマジと私を見るな。いい加減突っ込むのも面倒くさくなってきたから」

 それなら私をスムーズに麺棒で平面にかえる作業も面倒くささに任せて止めて欲しいのだが。
 女の子と自分の痴態を思い出して照れてしまうのは分かるが、そもそもヒルダが生々しく過去のことを言うから、私もついあの時のことを鮮明に思いだしてしまったのだ。

 やはり最初の出会いの記憶というのは忘れがたいもの。
 だから多少君にとって恥ずかしい思い出でも、私の記憶に残るのは許して欲しい。

「…………なにを上手いことを言ってるか」

 そう言いながらも、誠心誠意の説得が通じたのか、ヒルダは攻撃を止めてくれた。

「いい加減話が進まんからな。……今度またいらんこと言ったら、平面にした後に魔法でこんがり焼いて、ホットケーキ的なものに変えてやるからな?」

 そして美味しく頂かれるという訳か。
 むしろ私は美味しく頂く方の側でありたいと思うので、それは勘弁したいところだ。

 よし、妙な雲行きになる前に話を続けよう。

 その後、色々あって私はヒルダに飲ませる風邪薬を作る手伝いや、ヒルダの看病などの手伝いをこの剣士ちゃんにお願いして、今に至るという訳なのである。

「それが、なんでそこの女はトイレに入ってたんだ? 全裸で」

 色々あったのだ。

「うぅぅぅぅぅ〜〜〜〜」

 なんだか剣士ちゃんが熱暴走気味に唸り始めたので深くは追求しないであげて欲しい。
 好都合なことに先ほど自分にとっての恥ずかしい過去を明かされることの恥辱は味わったばかりであるし、同じ痛みを知る者として剣士ちゃんを守ってあげようではないか。

「…………まぁ、いいが。どーせロクでもないことを聞かされるだけのような気がするし」

 聞くも涙、語るも涙だ。
 それはそれとして、風邪薬とか看病とかは本当なので、少しは感謝するように。

「意識のないうちにしたことを言われてもな」

 口移しで風邪薬を飲ませて貰ったりもしたというのに、そんな言いぐさはないだろう。

「……ナニをさせてるんだお前は」
「ちょっと恥ずかしかった」

 昨晩のことを思い出して、剣士ちゃんが指先で唇を押さえて赤くなる。
 薬を飲ませるのに無理矢理起こすのもどうかと思ってお願いしたのだが、実際目の前でやられるとなかなか目に毒な絵面だった。

「…………そこは普通に起こせ。たかが風邪なんだから……まったく」

 実際のところ、昨晩は私もちょっと気が動転していたので勢い余って色々とやりすぎてしまったのだが、これもひとえにヒルダの無事を祈ってのことだったのだから、そうプリプリ怒らなくてもいいだろう。
 昨日は、怒ってる最中に目の前でいきなり倒れたので、ちょっと怖かったのだ。
 多少やり過ぎてしまったが、それはどちらかというと私が動揺していたせいであって、決して面白がってやったわけではない。

「…………それぐらい分かっやるから、いちいち恩着せがましいことを言うな、まったく」

 口をへの字に曲げたヒルダは、そう言った後、一度息を大きく吐いて「ありがとう」と言った。
 素直になれないお年頃なのであろう。

「…………お前も、うちのバカに付き合わせて悪かったな。えぇと…………」

 私の感想をスルーしつつ、剣士ちゃんの方にも礼を告げる。
 その途中で、ふと怪訝な表情を浮かべると、ヒルダは私の方を見た。

「お前。さっきから剣士ちゃんとしか呼んでないみたいだが、そもそもこのフェルパーの娘の名前はなんというんだ?」

 言われてみるともっともなその疑問を受け止め、私はしばし熟考してみた。
 剣士ちゃんの名前か。
 なるほど、言われてみると私もそれを聞いた記憶がない。

 私は、触手の連なる中央に大きく作り出した眼球を、まっすぐに猫耳の剣士である少女に向け、腕に繋いだ触手を通じて語りかけた。

 というわけで、君の名前はなんなのだろうか。

「…………うーーーー」

 何故か、ぺたりと耳を伏せて唸られた。
 じとーっと睨む瞳の端にうっすらと涙が浮いてるのは何故だろう。

「お前、名前も聞かないでずーっと相手してたのか。酷いヤツだな、まったく」

 別に必要ないと思ったから聞かなかったのだが。
 私にとっては彼女がどんな人物であるか理解していれば十分だと判断したのである。
 または、うっかり聞き忘れていたとも言う。

「……ネコミ」

 剣士ちゃんは、頭頂の猫耳を伏せたまま、ボソリと呟くように小さな声で教えてくれた。

 ふむ、ネコミか。

 名は体を表すという言葉通り、猫っぽくて可愛い名前である。
 ベッドの中で寝込んでいそうな名前ともとれるが、本人はいたって元気なので問題はなかろう。

 というわけで、ありがとうネコミ。
 そもそもの目的がヒルダを襲撃しに来たはずだったらしいのに、何故かヒルダの風邪薬作ったり看病のやり方を教えて貰ったりと色々と助けられてしまった。
 お礼はそのうち、私の体を使って払おう。

「…………よろしく」
「いや、なんでそこで“よろしく”なんだ? 反応がおかしいだろ常識的に考えて」

 うむ。その疑問の答えは、そのうち私の体を使って教えよう。

「私まで巻き込むな!」









「…………まったく、人の気も知らないであちこち勝手にほっつき回って」

 息を吐いて、たった一晩でもうほつれ始めているセーターを脱ぐ。
 少し汗を吸ってしまったが、乱暴に扱うのも気が引けて、畳んでマフラーの下に置いた。

 ネコミと名乗ったフェルパーの娘は、応接室のソファで今頃丸くなっている。
 朝食に干し魚とスープを出してやったら、尻尾を振ってパクついた挙げ句、眠気に襲われて欠伸までしはじめたので、休ませてやることにしたのである。
 それも当たり前で、呆れたことにあの娘は触手に付き合って一晩中私を看病していたらしい。

 死霊を避けて森深くまで進入したことといい、あの触手を一度は始末した腕といい、間違いなく一流どころの冒険者だろうに、どこか抜けた娘だ。
 本気で憶えてないのか、それともしらばっれているのか、どこからの依頼で私を狙いに来たのかは答えなかったが、それなりに私の悪名は聞いているだろうに。

 …………いや、本気で知らないのかもしれないが、あの様子では。

 パジャマのボタンを上から一つ一つ外していき、籠の中へと放り捨てる。
 このパジャマも、ずいぶん古いものだからか、あちこち生地が傷んできている。
 そもそも生地が厚すぎて野暮ったい上に、ずいぶん長いこと倉庫にあったものなので、さんざん洗ったにもかかわらず、古着独特の匂いが抜け切れてないのだ。

 小さく自分の二の腕の匂いを嗅ぐ。
 やはり丸一日以上ベッドの中で寝て過ごしたせいだろう、汗の匂いが肌に染みついている。
 長い髪にまでそれが染みついたその独特の臭いに私は顔をしかめた。
 エロ触手にさんざん破られたせいで、あれぐらいしか寝間着が残っていないから仕方がないのだが、そろそろ街にでも出て新しいものを買ってきた方がいいかもしれない。

 そういえば、あのバケモノは衣装についての審美眼はないんだろうか。
 ちょっと甘い顔をしたらすぐに野獣の如く襲いかかって服の下に触手を潜り込ませてくるし、もうちょっとゆっくり手順を踏んでもいいだろうに。

 いや、手順を踏んでも一緒か。あれじゃあ。
 あの触手の塊に愛の言葉など囁きかけられるのを考えると怖気がする。

 自分の想像に首を振り、下着に手をかけ、引き下ろす。

 胸を覆う下着は、普段は身に付けない。
 決して皆無というわけではないが、私の胸の二つの膨らみは、女として振る舞うにはずいぶんと慎ましやかであるのは自覚している。
 まぁ、つまり、それを身に付ける必要があるほど胸がないのだ。

 身体の年齢にしては胸は大きい方だと思うのだが、これ以上の成長が望めないのも確かである。
 こればかりは、魔女となることを選んだ自分のせいなのだからしょうがない。

 しかし、あのフェルパーの豊かな胸を見ると、どうしても羨む気持ちが生まれてしまう。
 やはりあの触手も胸が大きい方が色々と喜ぶのだろうか。

「…………いや、アホな考えか。どっちにしろ好き放題するに決まってる」

 籠の中に手の中の下着を放ってから、私は風呂場に通じる戸を開いた。

 魔法技術を編み込んで私が作り出したその風呂場には、服を脱ぐ前に起動させた術式に従って、すでに浴槽に程良い暖かの湯が張られている。
 狭い風呂場の中には、湯船から出た薄い湯気が立ちこめていて、薄い熱気に包まれていた。

 染みいるような熱が裸の肌に触れる感触が心地良い。

 浴槽の側にかがみ込み、湯船に指先で触れると、思ったよりも少し熱い。
 木桶を手にとって、湯船を割って数度かき回すと、それは程良い暖かさになっていく。

 そのまま木桶の中に湯を掬い上げて、身体にかけようとしたところで。

 背後で戸の開く音がした。

 足音の代わりに聞こえる蛇の這いずるようなかすかな湿った音と、無防備に晒してしまっている私の背筋から尻までを、撫でるように舐め上げる無数の視線。

 振り返るまでもなく、視界の端から無数の触手が壁を這って伸びてくるのが見える。

 その一本が私の腕に絡み付いてきた。
 それ以外の触手は、まるでお預けを喰らった犬のように、舌の代わりに触手の先を物欲しげに揺らしながら風呂の壁から私にその先を向けている。

「…………風呂に勝手に入り込んでくるな、スケベ」

 木桶を浴槽の側に置き、息を吐いて振り返る。

 そこには、風呂場の入り口から触手を無数に生やした怪物が、蠢き続ける幾重にも絡み合った触手の先に、生やしたその無数の眼球で私を見ていた。
 怪物は器用に触手をくねらせながら風呂場の中へと自分の体を潜り込ませると、その触手の一本を使って風呂場の戸を静かに閉じる。

 さすがに裸をまじまじと見られるのは恥ずかしく、自分の身体が固くなるのを感じた。

 風呂場はそれほど広くなはない。
 この触手の魔物が風呂へ入ってきただけで、部屋の半分ほどを触手が覆っていることになる。
 外へ繋がっている窓にかけられた格子は、人の出入りのできるものではないから、出口もなし。

 どう見ても、この触手の目的は一目瞭然だ。

「風邪のせいで風呂にも入ってないのにベットでは汗だくだったから、いい加減に気持ち悪いんだ。そーいうことをしたいなら、せめて後にしろ、後に」

 それだけ言って、触手から視線を逸らし、風呂桶を持ち上げる。
 するりと伸びた太い触手がその腕を捕まえる。

『まぁ、待って欲しい』

 風呂桶の中の湯が、斜めに傾いた風呂桶から湯船へと落ちる。
 別の触手がするりと伸びると、風呂桶を私の手の中から奪い取った。

「……おい、しつこいぞ」

 獲物に襲いかからんと鎌首をもたげた触手を軽く睨むと、触手は先端の眼球を小さく収縮させながら少し後ろへ引く。
 だが怯んだのも一瞬だけで、蠢く触手の奥から大きな眼球が開き、私をじろりと直視した。

 舐めるように上から下へと探るその視線に、私はとっさに前を隠し、拳を振り上げる。

『すまん、さっきは平静を装っていたがぶっちゃけ物凄く飢えてるのだ。ネコミを襲ったとき中途半端で止めてしまったのもあるが、なんかあの二人組をとっちめる時にえらくエネルギーを使ったみたいで、こう、黙っていると頭の中がアレな感じになって落ち着かないのだ』

 さすがに先ほどさんざん殴られたのに懲りたのか、慌てたようにそんな思考が伝わってくる。
 私は溜息を吐くと手を下ろした。

「……別に、嫌だとは言ってない。ただ…………」

 その言葉を喜ぶように、太く吸盤のたっぷり張り付いた触手が私の腰へと絡み付いてくる。
 触手から溢れた粘液が腰をなぞる感触に、勝手に身体が震えるのを感じる。

「まっ、待て! 風呂に入ってないってさっき言っただろう! せめて汗を流した後にしろっ!!」

 触手の先を慌てて振り払ってそう言うと、触手は揃ってピタリと動きを止めた。
 まるで触手同士で相談しているように先端をうねうねと揺らすこと数秒。

『それはそれで』

「こ、このド変態がーーーっ!!」

 一度勢いに乗られてまえば、裸で逃げ場もないこんな状況で、抵抗できようはずもない。

 今度こそ本気で一斉に襲いかかってきた触手の群に私はあっけないほど簡単に手足を絡め取られ、蠢く触手の渦中へと引き寄せられて、百を越える無数の触手による抱擁を受けた。

 無数の触手が競うように身体の要所をつつき、たっぷりと粘液にまみれた赤黒い分厚い触手が舌のように柔らかく表面で、味わうようにゆっくりと肌を舐めていく。
 身体を流そうとした湯の代わりに、触手から分泌される粘液が私の肌に塗りつけられていくと、次第に肌の芯に痺れが走るようになっていくのが分かる。

『なるほど、これが“味”と“匂い”いうものなのだな。こうしてじっくりと嗅いだり舐めたりしてみると、確かにはっきりとその存在を感じとれる。……これはなかなか』

 赤黒い分厚いその触手が舌の代わりなのか、ことさらゆっくりと私の肌を責めているそれは、まるで味わうように胸から脇までをじっくり舐め上げていく。
 そして、鼻の代わりなのだろう、先端に細い線のような隙間のある、数本の太い触手が、どこか鈍重にうねりながら私の体のあちこちにその先端を押し付けていた。

「ん……くっ…………ど、どこをっ、……舐めてるっ、この、変態……! っつ……やっ、やめろっ……! そ、そんなとこ、嗅ぐな……この……んっ、く……ぁっ!」

 割り開かれた左右の足の付け根にそれが押し付けられてくる。
 直接そこの匂いを嗅がれる恥ずかしさに耐えかねて私が口を開くと、鈍重なその触手はそろそろとそこから離れた。

「……ん……はぁっ、…………そうだ、それで……ひゃぅっ……そ、そこは……やめ……っ!」

 代わりに、赤黒く分厚い触手が、背をなぞりながら、尻の線をなぞり、そこへ到達する。
 その先端を細く尖らせながら、無理矢理開かされた私の足の付け根を激しく何度も往復させるように舐め上げてくる感触に、私は悲鳴を上げた。









 部屋の隅にある窓の外からは、薄赤くなった外の風景が見えている。
 私が目を覚ましたのは、夕方頃になってのことだった。

「……目がショボショボする」

 変な時間に寝起きしたからだろうと結論づけて、顔を洗おうとふらふら立ち上がる。

 部屋から出て一階にある井戸の方に、なんてことを思いながら数歩を歩いたところで、私は自分が今いる部屋がいつも過ごしている冒険者の宿ではないことに気付いた。

 しばらく呆然と立ちすくんだまま目を瞬かせていると、窓の外に動くものが見えた。
 当然、窓の外は見知った街並みではなく、そこにあるのは平原と、その向こうに広がる一面の森。
 その平原にポツンと置かれた物干し台から、触手の怪物が洗濯物の取り込みをしている。

 左右に広げた触手を器用に使ってシーツを小さくはたいてから綺麗に折り畳んでいく様は、とても慣れている様子で、なんだかそれが当たり前の光景のような錯覚を感じてしまう。
 しばらくの間、私は自分が異世界に入り込んでしまったような錯覚を感じながら、その奇天烈な光景をぼんやり見ていた。

 トン、と音がする。

 振り返ると、部屋の出入り口の扉が開いていて、自己紹介の後にヒルデガルデと名乗ってくれた、綺麗な金色の髪の魔女が立っていた。
 裾にレースの装飾の入った黒のワンピースがとても似合っている。

 さっきの音はそこから出したのか、小さな手の甲を樫の扉に当てていた。

「おはよう。ゆっくり眠れたか?」

 子供だと思っていたけれど、本当は長生きしているので私よりずっと年上なのだという。
 そういえばグノーもそんなことを言ってたけれど、本物を見るとあんまりそんな気がしない。

「……うん」

 小さく頷く。
 その後になって“はい”の方が良かったかな、とちょっと反省した。

「それは何よりだ。……それで、これからどうするつもりだ?」

 首を傾げてそう訪ねるヒルデガルデさん……ヒルダさん、に、私も首を傾げて応える。

「いや、なんでそこでお前が首を傾げる」
「あ」

 いけないいけない。
 一人で行動するのが久しぶりだったから、どうするのか聞かれるのって慣れてない。

 逃げちゃったっていうグノーはどうしただろう。
 しっかりしたグノーのことだから、あんなことがあった後でもちゃんと街に帰れただろうけど、一緒に付いていけなかった私のことを心配してるかもしれない。

「えぇと……街に帰って、グノー……相棒の魔法使い、と、合流する」

 そう答えると、ヒルダさんは「そうか」と答えて私が眠っていたソファに深く腰かけた。
 まるで大人の女の人みたいに脚を組んで膝の上に手を置いて、細めた瞳で私を見る。

「それで、また私を狙いに来るのか? 冒険者のお嬢さん」
「ヒルダさん、は、悪い人じゃない」

 呼び方は来れて良いかなと思ってヒルダさんの顔を伺う。
 少し不機嫌そうだけど、オホンと咳したりしてないから、たぶんこれで良かったんだろう。

「悪い子じゃないのに捕まえるのは良くないから、もうしない」
「…………じゃあ、やっぱり本当は私が悪い子だったら?」

 急に意地悪く笑いだしたヒルダさんは、少し不思議な感じがした。
 なんだか構ってもらいたい子供みたいなことを言うな、って思いながら、ちょっとだけ首を傾げる。

「怒ってる?」

 訪ねてみると、ヒルダさんは苦虫を潰したような顔になった。
 やっぱりなにか怒ってたんだろうか。自分の耳が伏せてしまうのを感じる。

「……ちょっとな」

 そう言うと、ヒルダさんは組んでいた足を解いて、ソファの上で大きく伸びをした。
 しばらくそうして反らした体を震えさせてから、ゆっくりと力を緩める。

 そうして、両手をだらりとソファの上に載せてから、不意に私を細めた目で睨んだ。

「お前達、アイツを殺しただろう?……そりゃ、結局生きてたが」
「…………うん」

 あの時は、絶対に殺さなきゃいけないと思ったから殺した。
 今は、あの時に感じた、本能に響く激しい警報はもう鳴っていない。

「アレが死んだままだったら、私はお前達を殺していたろう」

 冷たい目が私を睨み付ける。
 怖いと思ったけど、それよりも申し訳ないという気持ちの方が強かった。

「……ごめんなさい」

 へなりと垂れた尻尾には、まるで力が沸いてこない。

「はぁ……もう、いい。……調子が狂うな、まったく」

 溜息を吐くと、ヒルダさんは手の平をぱたぱたと振って話を打ち切ってしまった。
 そうして怠そうに自分の腰に両腕を当てて、腰を反らしながら軽く揉んでいく。

「…………寝過ぎ?」
「ん?」

 私の漏らした質問に、ヒルダさんが顔を上げる。

「身体、怠そう」
「…………ああ、いや、これはまぁ…………そうだな、寝過ぎた」

 コホンと小さく咳をすると、ヒルダさんは慌てるようにソファに腰を落として座り直した。
 でも、咳をしたということは、なにか私は良くないことを言ってしまったらしい。

 なんだかよくないことばかり言ってしまう。
 少しいたたまれない気持ちで外を見ると、いっぱいあった洗濯物は全て無くなっていて、真っ赤な夕陽が森の奥へと沈んでいくところだった。

「もう日が暮れる。いくらフェルパー族が少しは夜目が効くと言っても、深夜に死霊の彷徨うあの森を出るのはお前には無理だろう。悪いことは言わないから、今夜は泊まって行け」

 ヒルダさんが、私の方をちらりとだけ見てそう言ってくれた。
 この家にお泊まり、という言葉には、ちょっとだけ心が動かされるものを感じる。
 尻尾が揺れるのを感じて、後ろ手にそれをぎゅっと握った。

「帰る。グノーが心配するから」

 冒険者は、仕事を終えて帰還するときは全員一緒に。

 グノーがそう言ったワケじゃなくて、その言葉は私とグノーが寝泊まりしている、冒険者の宿の酒場の壁に飾られている、誰とも知れない人が壁に彫り込まらた言葉だった。
 それを見付けたとき、下手くそな字だとグノーは笑ったけど、私はその言葉が好きになった。

 だから、やっぱりちゃんと街に帰って、グノーを安心させたい。
 みんなで帰るまでは仕事はちゃんと終わってないから。









 死霊使いの森が夜の帳に覆われると、闇の中に棲む死霊たちが、その姿を現す。
 声をかければ殺されて、目が合えば殺されて、触れられると殺される。
 見たら逃げろ。
 すぐに逃げないと、殺される。
 すぐに逃げないと、怖しさに気が狂う。

 近くの街で聞いた、この死霊使いの森のことを示す歌だ。

 その歌はこのうえなく真実を示していると思う。
 夜の森の中、うっすらとしか見えない森の木々の奥に、立ちすくむ蒼白い肌の人の姿が見える。
 何人も、何人も。

 その中に、兵士や騎士の姿が混ざっているのを見て、先日戦ったあの無数の兵士達が、間違いなくあの死霊達の姿だったのだと確信した。
 けれど、よく見てはいけない。
 視線はまるで感じなくて、まるで等身大の人形の群のようだけど。
 だからこそ、ひどく薄気味が悪かった。

 尻尾を逆撫でされるようなおぞましい危険の予感があるのに、人の形をしているのに、無数に立ちすくむ死霊達は、どうしてあんな、モノのように気配や意志が欠けているのだろうか。

 私は、無意識に手元にある触手を強く掴んだ。

『そう心配することはない。どうせ、私達にはなにをしてくることもないのだからな』

 そんな思念が伝わってきて、私の手に触手の一本がくるりと少し強めに巻き付いた。
 昨日に押し倒されたときみたいな粘液は出てない。
 ただ、生き物の暖かさがありがたくて、私はその触手を強く握った。

「ありがとう」
『どういたしまして』

 言葉に返される、裏表のない思念が嬉しい。
 時々ちょっと恥ずかしい事を考えるのが分かってしまうのが困るけど、この触手の魔物さんとの奇妙なコミュニケーション方法ははなんだか好きだった。
 あまり言葉を交わすのは得意じゃないから、かえってそう感じるんだと思う。

 森に生い茂る木々の闇に紛れるように、無数の触手が木々の隙間を練っていく。
 そうして道を確かめながら固く太く変形させた触手で、地面を踏み込み、後方へと蹴る。

 まるで数千の脚を持つ巨大な騎馬のように、触手さんは森の中を駆けていた。
 その触手に掴まえられて、私は死霊の森を抜けようとしている。



 多少の危険があっても死霊使いの森を抜けて街へ戻ることに決めた私を、触手の魔物さんは森の端まで送ってくれると提案してくれた。

 とても申し訳ないので断ろうと思ったけれど、ヒルダさんが、そうしないなら「出ていくことは許さん」と宣言したので、それならばと厚意に甘えることにしたのである。
 事実、森の端まで半分を越えたところで急激に増えだした死霊の群れの姿に、私は自分一人で森を出ようとしたらどうなっていたかを思い、身震いすることになった。

 死霊使いの森は深く、決して森での暮らしが長いわけではない私にとっては、まっすぐに道を進むことは難しい。
 だが、死霊の影は、そのような心配が無意味であることを証明するかのように、光の下で作られる影法師のように、どこまで行っても付いてくる。
 本当に、逃げることが出来ないのだ。

 それに、あの人影の中に兵士を見るたびに、昨日の戦いの、あの無尽蔵に増える肉体を持つ死霊の群れによって徹底的に蹂躙された敗北の記憶が蘇ってしまう。
 無数の腕に取り囲まれて押さえつけられていくあの恐怖が蘇ると、私は途端に身体が石のように固くなって、立ち向かうことも逃げ出すことも出来なくなってしまった。
 次第に息が苦しくなって、死霊達から目が離せなくなり、やがて死霊たちの、あの空洞しかない眼窩の奥にある、底のない視線が私へと向けられるような気がして。

 そこで、触手さんにお尻から尻尾までを撫でられて我に返った。

 その後ちょっと暴れてしまったけれど、おかげで私はなんとか自分を取り戻した。
 それからは、触手さんの背にじっと乗せられたまま移動を続けている。



『……もうそろそろ森の端だ。この先は死霊が多いから目を閉じると良い』

 少し迷ってから、私は触手の魔物さんの言葉に従って目を閉じた。
 もしも急に揺れたりしても落ちないように、事にしっかりと巻かれた太い触手を握る。

 それからしばらく、真っ暗闇の中、ただ触手さんの太い触手が地面を蹴る振動だけが続いて。
 背筋が冷えるような無数の視線をどこからか感じた気がして。



 そして頭をぽんぽんと撫でる感触と共に、到着を告げる思念が聞こえた。

『お疲れさま。ここで死霊の森は終わりだ』

 目を開けると、どこまでも続いているように見えた鬱蒼と生い茂る木々はなくなっていた。

 立ってるのは丈の高い草が生い茂る平原。

 振り返ると、斜面に沿って木々がまばらに生えている森の入り口に、触手を風に揺らしながら、大きな単眼をその中央に作り出して、触手さんが真上を見上げている。
 釣られて視線を上へ向けると、木の枝に覆い隠されていた天井は空けて、星空が見えていた。

 ここは死霊使いの森の外なのだと実感する。
 なんだか、あっという間だった。

 ぼんやりと空を見上げていると、腕に触手がそっと絡み付いてくる。

『別れる前に、これを。ヒルダから渡されるように言われた』

 その体の何処に隠していたのか、触手さんが自分の体の奥に触手を潜り込ませると、ずるりと一本の長剣を引きずり出した。
 きちんと鞘に収まった、装飾もない普通の長剣。

『あの刀は無くなっていたし、剣士は武器が無いと心細いだろうと。たいしたものじゃないから返さなくて良いそうだから、安心して受け取って欲しい』

 私の手元まで差し出された剣を、両手で受け取る。
 鞘から少しだけ抜いてみると、抜き出された刀身は星明かりを反射して薄く光る。
 きちんと磨かれている、良い剣だった。

「ありがとう。……ヒルダさんにも、ありがとうって」
『伝えておこう』

 そう答えると、触手さんは私の腕に巻き付けていた触手を解いて、私に向けていた目を閉じた。
 触手の先で茂みをかき分けながら、死霊使いの森へと這っていく。

「……あ」

 私は、とっさに遠ざかっていく触手の一本を掴んだ。
 手の中の柔らかい感触と一緒に、動きを止めた触手さんから思考が伝わってくる。

『どうしたかね?』

 どうしたんだろう。
 自分でもよく分からないけれど、このままじゃダメな気がした。
 触手さんの体の中央に再び大きな眼球が生まれて、私にまっすぐ視線を向けてくる。

「あ、う、……あの」

 何か答えなきゃいけないと思いながら、慌てるようにして周囲を見回す。
 自分の中で何が引っかかっているのかを必死に思い出す。

 ついさっき渡された剣が目に入った。それと、昨日の敗北の記憶。

「……あの、勝負。……まだ、終わって、……ない」

 口をついて出たのは、そんな言葉だった。

 不思議そうに、大きな眼球が瞬きする。
 触手の先に生まれた小さき眼球が、お互いに不思議がっているかのように向かい合わせで先になって先端をくねらせるように踊っている。

「勝負したい。もう一回」

 そう言って、ついさっき渡された剣を片手で抜いて鞘を落とす。

『昨日のことを気にしているのだったら、あの時は私の幸運で拾ったような勝利だったことだし、気にする必要はないと思うのだが。それに私は無益な争いは好まないし、何よりも痛いのは嫌なので斬ったはったは可能な限り遠慮したい』

 私が剣を向けたというのに、触手さんはなんだか凄く嫌がっている様子だった。

 それはちょっと困る。
 たぶん私はもう一回この触手さんと戦って、あの時の、戦いが本当に怖いと思った気持ちを、吹っ切らないといけないのだ。
 だから、やる気を出して欲しいと思って、一生懸命次の言葉を考える。

「……負けたら、なんでも言うことを聞く」

 ぼそ、と私が言うと、触手さんは困ったようにうねくらせていた触手の動きをいったん止めた。
 そしてしばらく震えるように触手を震わせると、ぺたりと地面に垂らして、私に思念を送る。

『そこまで言うなら、ちょっとだけ』

 ちょっと消極的な返事だったけど、私はその言葉に頷いて、掴まえていた触手を離した。
 するすると触手を戻し、地を這うようにして触手さんが私から距離をとる。

 剣を両手で構えて、触手さんと相対する。
 自分の中で緩みきっていた緊張感が急速に引き絞られていくのが分かる。
 平原を覆っている丈の高い草が揺れる音の一つ一つや、吹き抜けていく柔らかい風が肌を撫でていく感触が、しっかりと認識できる。

 草の中に身を隠すように体を屈めて、私は剣先を斜めに下げた。

 そうして、私から距離をとった触手さんの動きが止まったのを見計らって、はっきりとお互いに聞こえるように宣言する。

「……勝負!」

 一拍、間を置いて、私は地を蹴った。
 それに合わせるように、無数の触手が槍の穂先のようにまっすぐと伸びて私を迎え撃つ。
 私は走りながら地面に捨てていた鞘を素早く拾い上げ、正面に投げる。

 触手の槍の一寸手前に、投げた鞘が斜めに刺さったのを確認して、私はその先に足裏を乗せた。

 後ろ足で地を蹴って、その反動で、足をかけた鞘を踏み台代わりに、私はまっすぐ跳んだ。
 乾いた金属音を立てて鞘が転がる横を、触手の槍が通り抜けていく。

 私はゆっくりと宙を舞って、やがて頂点に達すると、まっすぐに落下を始めた。
 触手さんの大きな体の中央めがけて、まっすぐに。

 身体を垂直に立てるように、真下に構えたカタナを先端にして、垂直に落ちる矢のように落下するその技は、最初に会ったときに触手さんを倒したもの。

 それに気付いて、私を阻むように触手がうねりながら上へ伸びてくる。
 けれど、とっさに伸ばした触手では、落下速度のついた私の刃を止められる力はない。

 刃を止めきれずに二つに切り裂かれた触手から、紫色の体液が飛び散って、頬にかかった。
 そしてそのまま、刃先は私を見上げた大きな単眼の中央に吸い込まれるように。




 カタナが、刺さる。




 倒れたヒルダさんを前にして、オロオロしている触手さん。

“私の考えが伝わるのなら、是非とも君の助けが欲しい”

 あの時に聞こえた声は、本当に切実で、真剣だった。

“アレが死んだままだったら、私はお前達を殺していたろう”

 そう言ったヒルダさんの顔は真剣だった。

 きっと、どちらも死んで欲しくないと思ってる。




 私は剣を投げ捨てた。




 伸びていた触手が、落下する私を一足遅れて捕まえる。
 遅れて、剣が地面に落ちる、甲高い音が聞こえた。

 そのまま次々と太い触手が伸びてきて、あっという間に私の手足に絡み付く。
 触手さんの、その大きな単眼に激突する前に、私は空中にぶら下がることになった。

『分かっていても、防げないものだな』

 ふらり、とぶら下げられた私を瞬きする目で見つめながら、触手さんが言う。
 怒っている気持ちもなくて、本当に驚いてるみたいだった。

「…………ごめんなさい」

 よく分からないけれど、あのまま刃を突き立てるのは違う気がする。

 じゃあ何がしたかったのか、と言われると、自分でも答えることが出来ないけれど、私はたぶん“悪いこと”をしてしまいそうになったんじゃないかと思う。
 だから、ただ謝るしか考えつかなかった。

『まぁ、死ななかったので問題は無しだ』

 そんな風な答えが返ってくると、触手さんは私を吊り下げる触手を一本づつほどいて、ゆっくり地面に降ろそうとしてくれて。
 あっけなさ過ぎるその答えにしばらく呆然とした後、私は慌てるように解けていく触手の一本を手の平で掴んで口を開く。

「……負けた」

 大きな単眼が瞬いた。
 しばらく宙ぶらりんのまま、じっと触手さんの視線に晒される。
 自分の言ったことが段々自覚できてきて、次第に頬が熱くなってくる。

『しかし、なんでも言うことを聞く、などと言われても困るのだが』
「どうして?」

 迷うような思考に、ほとんど反射的に質問を返す。
 私を掴まえた触手をそのままに、触手の一本が私の胸の先をつんとつつく。

『勝負の勝ち負けを傘に好き放題されるのは嫌だろう?』

 囁くように頭の中に入ってくる言葉に、頬がどんどん赤くなる。

 触手につつかれた胸の先が固くなっていくのが分かる。
 腕がしっかりと触手に絡み付かれていて動かせないのが酷くもどかしくて、身体を小さく揺する。
 下着のない、直接肌の上に羽織っただけのローブの生地が胸の先を擦る感触が、痛いくらいに強く感じられて、私は小さく息を吐いた。

「…………ん……ぁ……」

 もしかして、虐められてるのかもしれない、という思いが頭に浮かぶ。
 やっぱり、いきなり斬りかかったりしたから触手さんはすごく怒ってるんじゃないだろうか。
 だからこんな風に、私から言わせるみたいに。

「…………別に、いい…………」

 それだけ言うのがやっとだった。

『ふむ、では君は、服を剥かれて裸体をじっくり鑑賞されたり、どんな匂いがするのか身体中の匂いを嗅がれたり、挙げ句にの果てどんな味がするかなどと身体中をなめ回されたりしても良いというのかね?』

「う、うん」

『ほほぅ、ではその大きい胸を触手で思うままに蹂躙されてもいいと? 触手で胸を形が変わるほど揉まれたり、細い触手で胸の先を弄り回されたり、触手の先端で胸をつつき回されて、粘液をたっぷり塗りつけられたりするかもしれないのに』

「……は、はい」

『それだけじゃない。その可愛い尻尾やお尻だって、触手で何度もねぶるように逆撫でられたり、付け根を吸盤に吸い上げられたり、たっぷりと粘液の付いた細い触手が尻を何度も擦りながら奥の奥に入り込んできて、最後には触手が君にとって信じられないような中にまで入り込んでしまうようなことだってあるかもしれない』

「…………だ、大丈夫、だと、思う」

『もちろん、好き放題というからには、一番恥ずかしいところだって例外じゃない。触手が、ネコミの知らないようなもの凄いことを色々としてしまうだろう。一本どころか複数入ってきたり、別の穴にまで入ってきたり、とても敏感な部分を剥かれて弄られたりするだろう。もちろん、最初のうちは気持ちよいだけじゃなくて痛いだろうし、そうしたらもう取り返しの付かないことになる』

「……が、我慢する」

 何をされていまうのか、全然想像できない。
 昨日だって、されているうちに頭の中が真っ白になっちゃって、あんまり良く憶えてないのに。
 けれど、どうしても断ろうという気持ちは沸いてこない。

『――――――それならは、遠慮なく』

 いただきます、とそんな思考を最後に。

 宙にぶら下げられた私は、喜びに粘液を溢れさせ蠢いている無数の触手の中に落とされた。
 あっという間に触手は私の衣装を引きちぎり、裸に剥いていく。

 さらけ出された剥き出しの肉欲に恐怖を感じて、触手を振り払おうとしてももう遅く、あっという間に体の自由は奪われて、閉じようとした脚は容易く割り開かれる。

 そして、宣言通りのことを全て、私は自分の身体で味わうことになった。









「――――それで、つい、勢いづいてヤリまくってたら、ネコミがヤリ過ぎが原因で歩けなくなったので、置いていくわけにもいかず、仕方なく連れて帰って来た、と」

 一言一言をわざわざ区切って言うと、ヒルダは脱力するかのように深い溜息を吐く。
 私は地面にペタリと這ったまま、足を組んで肘掛けのない椅子に腰かける彼女を見上げた。
 視殺せんばかりの勢いで私を睨み付ける視線に耐えかねて、慌てて目を逸らす。

「ごめん、腰が抜けて……」

 そう言うネコミは、ソファにぺたんと座らせられて、ペタリと耳を伏せて顔を俯かせている。
 とりあえず上から羽織らされたシーツはとても頼りなげで、豊かなボディラインはそのままに、白い肌が布の端から見え隠れてしている。

「いーかげんにしろ、ド変態! これ以上盛るなっ!!」

 素足で思いっきり蹴られた。
 ちょっと気持ち良かったり感じてしまうのは、生物進化における適応というものかもしれない。

「……頼むから、これ以上の変態になるなよ。まったく…………」

 しかし考えてもみて欲しい、いくらなんでもまだ憶えたての女の子にあれだけ色々とやれば、それはもう足腰が立たなくなったとしても仕方ないのではないか?
 むしろ足腰が立たなくなるまで私の行為に応えてくれたネコミの健闘を讃えるべきであろう。

「あーのーなーーーー! お前達はサルかっ! 一体、何回やったらそんなになるんだっ!?」

 頬を染めてヒルダが吠える。
 私の繰り広げた数々のプレイを想像しているのだろう。

「……6回くらいまで、数えてた」

 いや、私が認識している範囲では少なくとも10回は越えていたと思うが。
 たぶん、途中から野獣に戻ったというか、意識が怪しくなっていたのが原因だろう。

「そうなの?」

 うむ。爪を立てられたりしてちょっと大変だった。
 それはそれで、押さえつけがいがあったというか、全然アリだったが。

「……ぅぅー」

 シーツの前を合わせて、ネコミが唸る。

「えらく遅いから心配していれば、予想通りというかなんというか……」

 額に指を当てて、ヒルダはもう何度目かになる溜息を吐いた。
 その目がじろりと睨むと、ソファの上のネコミは気の毒なぐらいに小さくなっていく。

「だいたい、いきなりそっちから決闘を仕掛けておいて、自分から負けて“好きにして”とか、あからさまに誘ってるだけだろーに。それなら最初から押し倒してくれと言えばいいだろう!」

「……やっぱり、そう?」

 身も蓋もないヒルダの言葉に、耳を伏せてなんだか情けない表情になったネコミが答える。
 なるほど、やはりその解釈で間違いなかったか。
 慎重に慎重を重ねてOKなのかどうかを確認したのだが、間違いはなかったようで何よりだ。

「……うー」

 なにかししら思うところでもあるのか、ネコミは頬を赤く染めたまま俯いて、もう一度唸った。
 まぁ、色々あった直後だし、情緒不安定なんだろう。

「で、泊まっていくんだな?」

 口をへの字に曲げたヒルダの問いかけに、ネコミはますます小さくなりつつ頭を下げた。

「……はい」

 というわけで、ネコミの二泊目がここに決定した。
 正直、もうネコミが街まで合流しに行くより早くも、復讐とかに燃えるあの魔法使いの子が、この家まで押しかけてくるような気がするのだが。

 まぁ、それはそれ、言葉の通じ合う者同士なのだから、誤解を解くのは簡単だろう。









つづく