『そういえば、あの森の中にうろうろしてるお化けの類は、ヒルダが呼んだものなのか?』

 ある夜のこと。

 こいつを喚び出してから何度目の夜だとか、もう数えるのも止めてしまった頃だ。
 このところずっとそうだったように、その夜も私はヤツをベッドに招き、ヤツが望む“食事”をたっぷりと与えて……与えられてから、ヤツの触手の中に身を沈めるようにして微睡んでいた。

「ああ…………気付いていたか。そうだよ、私が“死霊使い”だ」

 心地よい疲労に引かれるように眠りかけていた私の意識を揺り動かしたその質問に、私は身を埋めたままわずかに顎だけを持ち上げ、ただ薄く目を細めてそう答える。

 一瞬、確かに私の心臓は驚きに跳ねた。
 だがそれもすぐに静まる。

 どうせこの性欲の塊のようなスケベなバケモノが、私が手にしている魔法が禁断のモノであるかどうかなど、いちいち気にするはずもないのだから。
 こうしてこの触手に触れているだけで、コイツが本気でどうでも良いと思っていることが伝わってくる。
 一方的な、卑怯なコミュニケーションなのだが、コイツはまるで気にしていない。

『それならば、死霊に家の手伝いをさせればいいのではないか?』

 その方が私が楽をできる、と、明確ではない思考のまま、内心で呟いているのが丸分かりだった。
 まぁ、正直で良いとは思う。

「死霊は生き物に干渉は出来るが、モノには干渉できないんだよ。実体がないからな」

 それが死霊のルールだ。
 もちろん、家の手伝いなんてさせたくないというのもあるが。

 どうあっても、死霊は生者を憎むように出来ている。
 生前の魂というものは、死後はこの世界から消え、神の元に召されるなりなんなりするのだが、骸に残った魂の残滓は、魂本体が失われたために生まれる渇望に耐えられず、狂う。
 そして、生きていたときににどれほど高貴な精神の持ち主だったとしても、死霊と化したそれは等しく悪鬼と化してしまうのだ。

 それが死霊。

 死者の魂などとは違う。私の操る“死霊”はそういうものなのだ。
 そんな物騒極まりない存在を、自宅の中に彷徨かせて安心などできるものか。

「それに、室内が霧だらけでは蔵書が腐るしな」

 だが、死霊の危険性をわざわざ語るつもりもない。
 自分の力を自慢しているようで馬鹿らしいし、コイツだって、どうせ興味も無いだろう。
 だから私は、むしろ、現実的な問題の方を口にする。

『……霧?』

「あの霧が、実体を待たない死霊を運ぶんだよ。それが私の作った魔法だ」

 森の中に常に淡く漂う、薄く白い霧。
 それこそが、本来ならば長時間はこの世界に止まることも出来ず、やがて拡散して消えてしまうはずの死霊をこの世界にとどめ続けることが出来る理由だ。

『なるほど、そういえば、あの森の中はどこまで行っても白い霧があった』

「…………あれが全て死霊だ。肉体を失って、生者を憎みながら彷徨い続ける」

 そして、死霊に殺されたモノの骸から、新たな死霊が作られて、無限に死霊は増え続ける。
 最初に作り出した私ですら、この白い霧を完全に消すことは出来ない。

 この死霊の霧は、もしも私がそうあれと望めば、この世界を覆い尽くすまで人を喰らい尽くし、死霊と化すことで無限に増大し続けることすらできるのだ。

『ふむ、ロナちゃんや、私が狙われないのは君のお陰かね』

「その通りだ。敵でない者に対しては指示がなければ狙わないように命令を……そういう風に条件付けている」

 それでも、もしも私に対する殺意を感じたら死霊は喜びと共に生者へ殺到するだろう。
 完全に生者を襲うことを禁じることは出来ないのだから。

 だからこそ私はこの森の奥へ潜むことを選んだ。
 それでも、危険すぎる力を持つ私を殺害しようとする者、利用しようとする者は後を絶たない。
 森の奥深くにいても、霧は年々その大きさを増している。

『なるほど、便利だな』

 私は、視線の先で踊っているも触手の先に付いた目玉を睨んだ。

「ちっとも便利じゃない。アレのお陰で、私がどれだけ面倒に巻き込まれたか……」

 そう言っただけで、なんとなくは事情を察したのだろう、謝意を込めているつもりなのか、太めの触手がその身をよじらせて私へと近付くと、私の肩を小さく叩いた。

「ん……」

 肩を叩いた触手が、そのままするすると首筋から背中へと潜り込んでいく。
 そのまま脇の下をくぐり抜け、胸の先へとチロチロと噛み付いてきたところで、さすがに我慢の限界に来て、肩に乗った触手の根本を軽くつねった。

『むぅ、痛いぞ。そういう痛い系のプレイは私の範囲外だ』

 慌ててひっこんだ触手を手で追い払い、触手が撫でた部分を手で押さえる。
 頬が熱くなっているのが分かった。
 つい先ほど、あれだけやったというのに、もうその気になっている自分の身体が恨めしい。

「なに変態じみたことを考えてるんだ、このエロ触手が! さっき言ってたように、霧に喰わせてやろうか!?」

 そう言って睨むと、私を見ていた触手の先の目玉が、不思議そうに一度瞬きをした。
 なんだこの動作、気色悪い。

『私が霧に喰われると、どうなるのだ?』

「………………む」

 そう改めて聞かれてみると、確かによく分からない。
 死霊が生者を殺すのは、その肉体を奪おうとしているからに他ならない。
 もちろん、死霊が生者をそうやって殺したとしても、決してそれは成功しない、他者の骸を使っても生き返ることは出来ないのだ。蘇るべき魂はもう其処にないのだから。

 だが、コイツの場合は…………どうなるんだ?

 そんなことを考えて動きを止めていたせいだろう。
 そろそろと下肢から這い上がってくる触手を完全に失念して、そのまま押し倒されてしまったのは。

 ――――――結局、そのままその晩は、朝まで



「…………あ」

 目を覚ますと、ベッドの中で一人だった。

 立ち上がろうとして、ひどく思い自分の体に驚き、自分が病に伏していたことを思い出す。
 ふと、枕の上を見ると、わずかに濡れた布が落ちている。

「ああ、あいつか……」

 額に乗せていたものが、ずり落ちていたのだろう。
 私はしばらくそれを見てから、ベッドの傍らにある机の上に置いた。

 ヤツが置いていったらしい、大きめの水差しを手に取る。
 ずいぶんと小さくなった氷が浮かんでいて、喉を通った水はそれなりに冷えていた。

 ヤツが最後にここを出てから、それほど経っていないのだろう。
 出て行けと言ったのに、寝ている間に部屋に出入りするなんて酷いヤツだ。

「……つまらんな、寝よう」

 水差しをテーブルに置いて、もう一度横になる。
 手を伸ばしてテーブルの上にぺたぺたと手を這わせて、先ほどの濡れた布を手にとり、自分の額の上に載せる。

「ん……」

 目を閉じる。
 すっかり温くなった布は、あまり気色の良い感触ではない。
 だか、私はその感触が、それほど嫌いではなかった。

 きっと、もう少し寝れば、風邪も治るし、ヤツもまたフラフラと戻ってくるだろう。

 だからそれまで、もう少し寝ていよう。






7話 「恐怖!蒼白の悪魔!!」







 森を割って背後から攻め入ってきたその敵に、私達は困惑した。

 先ほどの触手を無数に持つ異形の魔物の時のように、不意を討たれたたわけではない。
 敵の襲撃を警戒していた私は、即座に刀を抜き、襲いかかってきたその敵を迎え撃った。

 蒼白の皮膚を持ち、白く錆び付いた鎧を身につけた兵士だった。
 鉄兜に覆われた顔は分からない。
 ただ、皮膚だけではなく、剣も鎧も、衣服までが全て薄白い。
 美しさを感じさせる純白などではない、まるで色を失った骸のような擦り切れた蒼白の。

 カタナと剣が一合を交わす。
 それだけで、兵士の剣の腕の底は知れた。
 まるで操り人形のようなぎくしゃくとした動きに眉をひそめながらも、私は迷わずにその兵士を切り伏せる。

「…………これは、なに?」

 剣を打ち合わせたときから、これが人間ではないのは分かった。
 けど、斬った感触は更に異様だった。
 生き物を斬った感じがしない、まるで藁束を斬ったような、人の形をした者から斬った感触としては、あまりにもおぞましい感触が手に残っている。

「なんだろ? 分かんない。護符が効いてないからアンデットじゃないと思うけど……」

 グノーが地面に倒れ伏した兵士の死骸に近付く。
 私は、とっさに手を上げてそれを制した。

 尻尾がざわざわと付け根から毛をわななかせている。
 サムライの気配感知能力が、押し寄せてくる無数の敵の気配を感知していた。

「来る。いっぱい」

 それだけを言って、私は弓を引き絞るように深くカタナを構えて腰を落とす。

 グノーもすぐに承知して、魔法の詠唱を始める。
 数で押してくる敵には私が堪えて、グノーの大魔法で対抗するのがパターン。

 声もなく、音もなく、森を割って次の敵が現れる。
 槍を多にして突撃してくる、鉄の鎧で武装をした騎士が4人。

 槍が私まで届く寸前、私は限界まで引き絞っていたカタナを解き放つように、全力で真一文字に振り抜いた。
 鈍く重い、カタナが鉄を断つ音と共に、胸や胴を両断された騎士達が崩れ落ちる。

 地面に転がった上半身から、兜が転がり落ちた。
 その中にあるのは、人間とは思えない、痩せこけた蒼白の顔と、落ち窪み、黒い穴だけがある眼窩。

「…………これ、本当に、ゾンビとかじゃ、ないの?」

 目の代わりに、黒い眼窩だけのその貌がひどく怖くて、私はそこから視線を放した。

 頭の奥の警戒音は止んでいない。
 さらに森を割って、5人の兵士が駆けてくる。今度は斧を手にした軽装の兵士。
 もう同じ技は使えない。

 私は半歩退きながら斜めに構え、前に出た兵士を切り伏せ、残りの攻撃を上半身の動きだけで避ける。
 斬り戻しでもう一人を斬り、同時に鞘を兵士の足に絡めて転ばせる。

 さらに森を割って兵士が現れる。数は9。

 斧を避けながら、手甲に仕込んだ投げナイフを放つ。
 牽制のつもりで放ったそれは、その一本が防御の動作すら見せない兵士の頭部に刺さって倒しただけで、突き進んでくる兵士達の勢いを止める役にはならなかった。
 ショートソードで武装した兵士は、まるで糸に引かれるようにまっすぐに私に飛びかかってくる。

 避ける隙がない。
 後ろへ下がれば、詠唱のために無防備なグノーが危険。

「たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 私は低く身を伏せて、地面を蹴りながら身体を半回転させ、斜めに刀を振り上げた。
 私に到達しようとしていたショートソードが弾かれて、兵士達がふらりとバランスを崩して後ろへよろける。

 間髪入れずに深く地面に踏み込み、同じ軌道で上段から下へと斜めに切り降ろした。
 藁束を裂く感触と共に、深手を負った兵士達がゴロゴロと地面に伏せ落ちる。

 手首が激しく痛む、けれど、休む暇もなく、今の一撃を耐えた兵士の何人かが私に突きを放ってくる。
 私は、手首を痛めた腕の握りを弱くして、なんとか突きを弾く。

 激しい火花が散るのも構わず、私は全力の蹴りでまた一人の兵士を森の奥へ蹴り飛ばした。

 けれど、そうしている間にも、森を割って新手がやってくる。
 厚い鋼鉄の大盾を前に構え、手斧を手にした、鋼鉄の完全鎧に身を包む無数の重装兵達。
 兜のせいで見えないけれど、その奥からはあの黒い穴だけの眼窩が私を見ているのだろうか。

「……グノー、もう、駄目……!」

 私のカタナでは、あの大盾と完全鎧は簡単に打ち崩せない。
 全力の一撃で両断できなかったら、鉄に食い込んだカタナはもう使えなくなってしまう。

「ふふん、任せなさい! ああいう木偶の坊相手なら、とっておきのがあるんだから……!」

 私の言葉に応えて、グノーが杖を振り上げる。
 詠唱の完成した大魔法は、後は発動を待つだけの状態になっていた。
 弾かれるように私は後方に飛んで、グノーの後ろへと下がる。

「灼熱の炎よ、灼熱の炎よ、灼熱の炎よ! 万物の中心、精霊の極を要に、今解き放たれよ! ……“核熱”!」

 魔法使いの操る魔法で最大級の魔法、万物を焼き払う究極の炎が、杖の先から迸る。
 吹き荒れる灼熱の炎の嵐は、音さえを飲み込みながら正面にいた敵を、地面や森もろとも焼き払っていく。
 やがて炎の嵐が収まると、一陣の風が吹き、破壊の跡を舐めていった。

「やった! ざまーみろ!!」

 炎すら残らない深い破壊の傷痕に、グノーが満面の笑みで勝利の宣言を口にする。
 けれど、私の中の警戒音は、まるで鳴り止もうとしない。

 敵の居た場所には、黒く焦げ付いたまま、大盾を正面に構えた重武装のの兵士達の姿がそのまま残っていた。
 私が慌てて剣を向けると、グノーが笑う。

「パッカねぇ、核熱の炎じゃ、鎧は耐えられても、中身は黒こげなんてレベルじゃないわよ…………ほら」

 確かに、重装備の鎧の隙間から、薄い煙が出ている。
 鎧の隙間という隙間から漏れだした薄黒い煙は、生物が焼け焦げた時の匂いをかすかに残している。

 兵士達は力無く、地面へ倒れていった。中の身体はすでに繋がりすらないのか、倒れながら手足の部品がバラバラになり、兵士の姿だったそれらは、只の鉄屑の塊のようにボロボロに崩れていく。


 ――――――その向こうから、20数人の完全武装の兵士が駆けてくる。


「……嘘っ、なんでっ!?」

 慌ててグノーが後退して魔法の詠唱を始める。

「落ち着いて。まだ、なんとかなる。……なんとかする」

 カタナを抜いて、兵士に全力で向かう。
 一歩でも先に進んで、グノーから引き離さないといけない。

 そう思い、カタナを振りながらも、あの大魔法が生み出す灼熱の炎の向こうから現れた兵士に、私は強い恐怖と疑問を抱かずにはいれなかった。
 あの炎は、兵士の盾など無視して、森の奥までを間違いなく焼き払っていた。
 もしあの兵士達の後ろに兵士が控えていたとしても、一緒にあの炎に飲み込まれていた筈なのだ。

 なのに、この兵士達は、死んだ兵士の影から現れた。
 まるであの場に突然現れたように。

 私の恐れを読みとったかのように、重装備の兵士が大盾を正面に構えたままタックルを仕掛けてくる。
 弾き飛ばされ、地面へ転がりながらも、追撃の手を伸ばしてきた兵士の腕を切り払い、立ち上がる。

 ……その瞬間、背後から異様な気配を感じて、私は振り向いた。

「……っ!」

 ついさっきまで誰もいなかったはずの場所に、いつの間にか槍を手にした兵士が立っている。
 落ち窪んだ眼窩が私を見たまま、操られるようなぎくしゃくした動きで、槍を突き出す。

「いつの間に……!?」

 槍の先端を避けて、カタナで払う。
 一縷の望みを裏切るように、払った槍は幻でもなんでもない、実体があった。
 ゾンビではない、なのに、突然現れた。

「グノー! なにかおかしい! 逃げよう!!」

 とっさに名を呼ぶ。
 けれど、詠唱に集中していたグノーはその言葉に応えず、代わりに杖の先に魔法の光りを灯した。

「こっちだって、負けられないのっ! ネコミ、ちゃんと伏せなさいよ……!!」

 地面に水平に杖を置いて、グノーがそれを支えるように握りしめる。
 その動作と警告の言葉で魔法の正体に気付いた私は、慌てて地面に身を投げ出した。

「万物を包む空と大気よ、慈しみを捨て凶刃と化せ! 疾く走れ虐殺の旋風! “風裂殺”!!」

 次の瞬間、地面からの高さ1メートルぐらいの低空を、刃と化した風が薙いだ。

 断ち切られた木が、あちこちで倒れはじめる。
 先に炎の魔法で辺りの木を焼き払っていたから良かったけれど、そうじゃなければ下敷きにされていたと思う。
 私は慌てて立ち上がって、グノーに駆け寄った。

「どうよ……これなら、少しぐらい隠れてても、一網打尽でしょ?」

 杖に掴まるようにしてなんとか立ち、会心の笑みを受けるグノーに、安堵の笑みを向ける。
 周囲を取り囲んでいた気配はなく、頭の奥の警告音も止んでいた。

「今のは、グノーも危なかった」
「ま、あのゾンビもどきに捕まるよりマシでしょ。……しっかし、ホントになんなんだろうね、コイツら。魔女の作ったホムンクルスか何かかしら? それにしては装備が物々しいけど」

 多少咎めるように言ったけれど、グノーは軽く流してしまった。
 興味を今倒したばかりの敵たちに向けると、その死体の方へと近付いていく。

 周囲を見ると、先ほど私達を取り囲もうとしていた重装備の兵士は、その全てが腰や足から下を綺麗に断ち切られて、立ち上がることもなく死に絶えていた。
 さっき打ち合ったときは次から次に敵が出てきたせいで気付かなかったけれど、死体から血が出ていない。
 本当に、人形か何かのように、身体を欠けさせたまま動きを止めている。

「なにかこの生き物、凄く嫌だ。尻尾がむずむずする」

 スカートの下から伸びている、固く膨れた自分の尻尾を触れる。
 さっきの異形の悪魔と斬り合ったときと同じ、今にも襲いかかられそうな錯覚があった。

 グノーが嫌そうな顔で死体を爪先で軽く蹴ると、肩をすくめる。

「まぁ、さすがにあれだけやっつければ打ち止めでしょ。とっとと…………」

 先に進みましょう、と言いかけて、グノーが言葉を止めた。

「……なに?」

 慌てて、私は周囲を見回しながら、緩んでいた周囲への警戒を戻す。

 魔法で断ち切られて転がっている無数の木の陰から、白い肌の兵士達が立ち上がっていた。
 私の頭の中で、ひっきりなしに警戒音が鳴り響く。

 剣を手にした鉄鎧の兵士、手斧を手に大盾を構える重装備の兵士、槍を手にした兵士、小剣を構えた軽装の兵士、色褪せた白い鎧を身に付けた無数の兵士達の群れが、私達をぐるりと取り囲んでいる。
 その顔にある、眼球もなにもない、ただ落ち窪んだ眼窩の奥にある、黒々とした穴。

 その闇の奥から、何かが私達をじっと見ていた。

 そして、蒼白の兵士達の群は、鬨の声もなにもなく。
 ただ静かに、武器を構えたまま、ゆっくりと私達へと歩み寄ってくる。

 その数は、あまりにも多すぎる。


 ――――――こんなの勝てるわけない。


 戦いの場を、絶望感が支配していた。









 恐らくあの魔法使いの切り札だったのであろう、超高温の熱波を叩き付ける魔法と、風で物体を水平に切断する魔法の二つを完全に凌いでからは、明らかに二人組の少女達の抵抗は弱まっていった。

 剣士の方はまだ諦めていない。
 押し寄せる私の攻撃をなんとか防ぎ、ギリギリの所で押し返しながらも後退して私の作り出した包囲から逃れようとしているのが分かる。
 だが、魔法使いはそうではない。
 魔法を何度も凌がれたショックはすでに疲れ切っている魔法使いの詠唱速度を鈍らせていて、付け入る隙を作ることを容易にしていった。

 必死に紡いだ攻撃呪文を魔法使いが唱え終えた直後。
 ただ地面から生み出した手で足首を掴むだけで、完全に意識が余所にあった魔法使いは、地面に転倒した。
 それに合わせて、周囲から一斉に兵士を群がらせる。

 剣士がフォローに回ろうとするのも計算通り。我を忘れて魔法使いを助けようとした剣士は、後ろからのしかかる兵士の体を振り払うことも出来ず地面に倒れた。
 すかさず腕から武器を奪い、遠くへ転がす。
 剣士を完全に地面に這わせた頃には、魔法使いもまた兵士達の腕の前に為すすべもなく地面に這っていた。

 兵士達の無数の腕が、俯せに抑え込まれていた少女の身体を乱暴に引き起こすと、仰向けにさせる。
 振り払おうとする腕は捻り上げられ、蹴りを放とうとする脚も兵士の手にしっかりと掴ませる。

 もちろん、前がよく見えるように、だ。

 さて。

 剣士と魔法使いは、自分の視界を埋め尽くすほどに群れて自分を取り囲む兵士達に、何を見ているだろうか。

 魔法使いの少女は、大きな目を歪めてひどく怯えている。
 まあ、それは当然だろう。
 彼等のがらんどうの瞳の奥にあるのは、すなわち私の目。
 獣臭い欲望に満ちた無数の視線は、うら若い少女にはさぞかし堪えるだろう。

 剣士の少女は良い。
 これほど絶望的な状況もないだろうに、手足の自由を奪われたままで、自分を取り囲んで見下ろす兵士達を必死に睨み付けている。
 そんな目で見られると、私としてはかえって欲情が収まらなくなってしまうのだが。
 なにより、押さえる腕に伝わってくる、かすかな震えが堪らない。こんなに怖がっているのというのに無理をして強がるなんて、なんと愛らしいのだろうか。

 狩りの時間は終わりだ。

 私は本来の姿を取り戻していく。
 形を与えていた無数の“触手”を元の形に戻していくのだ。
 この森に溢れる霧から作り出した操り人形の兵士の姿から、粘液にまみれて蠢く我が触手の形へと。

 数十人の兵士が、寄り集まった触手を解いていくと共に無数の触手へと形を変えていく。
 そして、地面の中に潜んでいた私自身が、寄り集まっていく数百の触手の中からゆっくりと這い出してくるのを、二人の少女はただ呆然と見ていた。
 死者の手を思わせる、色褪せた蒼白の、粘液にまみれた無数の触手。

 自分を抑えていた兵士達すら、触手の塊へと変貌していくのを見て、魔法使いが悲鳴を上げる。

「きゃあああああ……んんっ、くむっ……んーーっ」

 なんとも甲高い悲鳴に苦笑して、私はその口へ触手を潜り込ませた。

 魔法使いは、慌てて首を振って振り払おうとするが、手足がしっかりと触手に絡まれて身動きできないのでは、首を振ることのできる範囲もたかが知れている。
 幼い顔立ちに違わず可愛らしいくらいに短い舌を触手の先で弄んでやると、喚き散らそうとする口もゆっくりに、噛み付こうとする力も次第に弱まり、大人しくなっていった。
 だからといって、止める理由など無いが。

「グノー、今、助ける……!」

 仲間が私の触手の嬲り者になる姿に怒りを覚えたのか、剣士の女の子が、私の拘束を振り払おうと触手でしっかりと絡め取っている両腕に力を込める。
 あまり力がある方ではないのだろう、私の触手を引きちぎるほどでもなかったが、こうも力んでいては、事に及ぶのもままならない。

 私は触手をスカートの中から、鎧の内側へと潜り込ませ、上へ上へと這い上がらせた。
 たっぷりと触手から粘液を分泌して、邪魔な鎧の下の肌着を溶かしていく。
 薄い肌着は瞬く間に溶けて消え、敏感な柔らかい肌へと触手が触れるまで、それぼど時間はかからなかった。

 柔らかな曲線を描く豊かな尻の谷をなぞり、背筋を這い上がって脇を擦り。
 内股を擦り上げながら、下着に包まれた柔肉を撫で上げて、白いお腹から豊かな乳房の合間へ。
 無数の触手が、剣士の身に付けた鎧の内側へと進入を果たしていく。

「……っ…………なにを……やめっ、あっ、ひゃぅっっ……やぁぁぁっ」

 鎧の下に少女が隠していた、その身体を触手の先で味わっていく。
 胸から突きだした乳房の柔らかさは、触手を絡めて強く押すと、形を変えて柔らかく歪み、胸の先に触手が触れるだけで、痺れたように剣士の身体が小さく震える。
 そのたびに震える二つの乳房の柔らかさは、私をしばし夢中にさせた。

 無数の触手から吐き出される粘液が鎧の内側に溢れ、とろとろと剣士の太股から流れ落ちていく。

「こっ、こんなことで……調子に、乗るな……んんっ……」

 頬を真っ赤に染めて、荒い息を繰り返しながらも、少女は怒りの言葉を漏らす。
 無数の触手に身体を嬲られながらも、剣士としての最後の力を振り絞るように力を込めた。

 だが、胸の先に細い触手を絡め、強くつねり上げると、剣士は跳ねるように身を反らす。

「ん……くっ、ひぃぁっ!!」

 そのまま左右の胸の先に触手を絡ませて、交互に抓り上げると、面白いように剣士の身体が跳ねる。

 そして、もう一本、下肢を覆っている薄い布きれの中へと触手を潜り込ませる。
 細く鋭いその触手が、悦楽に緩み始めた少女の花弁の中へと潜り込み、小さく突いた。

「あっ、やっ……やぁ……ひ……っっひぁぁぁっっ!!?」

 ひときわ高い悲鳴が上がり、剣士の身体は、電撃に撃たれたように弓なりに反れ、激しく震えた。
 そして、脱力したように力が抜けていく。

 もう、触手を振り払おうとする腕の力は消えていた。

 だんだんと触手の感触に、少女の肌が馴染んでいくのが伝わってくる。

 自分の鎧の下を這い回る触手から逃れるようとするように、ただただ必死に目に涙をにじませながら身を揺する剣士を、しっかりと触手を手足を巻き付けて、逃れられないように捕まえる。

 そうして触手で絡みとられた手足ですら、柔らかな弾力と絹のような感触で、触手を這わせればわななき震え、触手の内側に浮かぶ吸盤で吸い上げると、剣士は堪えるように身を震わせて甘い声を漏らした。

 触手で掴んだ腕の先までも細い触手を指先に絡ませ、舐めるように付け根から指先までを何度もなぞる。
 そうして、わななく指先すら粘液にまみれさせていく。

「……ふぁっ……はぁっ、あ、ああ……んっ、うぁんんっ……ひっ……んん……っ」

 休み無く自分を責め立てる触手に、剣士はだらしなく開いた唇の端から透明な涎を漏らしながら、猫の耳をペタリと情けなく伏せたまま、息も絶え絶えに甘い悲鳴を上げ続けていた。

 鎧の中へと太い触手を潜り込ませて、ゆっくりと手前に引いていく。
 粘液にたっぷりと晒されていた鎧は、その鉄片を繋ぎ止める革の留め具を溶かされ、あっさりとボロボロと崩れていく。

「あっ、ああ…………っ」

 その下から、たっぷりと受けた責めで粘液にまみれた裸の身体が露わになると、剣士は喘ぐような羞恥の悲鳴を上げた。
 自分が受けている陵辱を直視させられるのはなかなかに応えたらしく、薄くピンク色に上気した肌が、晒された裸の自分を隠そうと必死に身をくねらせる。

 だが、私がそれを許すはずもない。

 無様に割り開かれたままの足の付け根。
 先ほど軽くつついただけで、あれだけの反応を見せた敏感な部分に、触手を這わせていく。
 もう、粘液でドロドロに溶けかけている最後の布きれを剥ぎ取り、捨てる。

「やっ、……ダメっ……やめっ…………やめて……!」

 最後に守っていた部分すらも晒されたことに気付いて、羞恥からわずかに理性を取り戻した剣士が、弱々しい抵抗の声を漏らす。

 その声も、晒された尻の上へと触手をなぞり上げ、剣士が悦楽に震えるたびに敏感に身をくねらせていた灰毛の尻尾を絡みとってやると、小さい悲鳴と共に大人しくなった。

 なるほど、ここはこれで、敏感な部位らしい。
 二本の触手を逃れようとする尻尾に絡めとり、付け根と先端を嬲るように弄ってやると、ふるふると白い尻を振るわせて、剣士は激しく身を揺すって甘い声を上げた。

「ひぁっ……ひんっ、あっ! やっ、ひぁぁっっ!」

 悦楽を堪えようとしているのかとしているのか、必死に丸い尻を振るなんとも可愛らしい姿がよく見えるよう、脚に絡めていた触手を高く引き上げ、剣士の身体を奥へと引き倒す。

 丸く形の良い尻のラインがよく見える姿勢にされ、自分が見せていた痴態に気付いたのか、剣士の顔は羞恥で真っ赤に染まった。

 だが、一度悦楽という坂を転げ始めた以上、急に止まることなど出来るはずもない。

「ん……んんっ……ぁ……ひぁ……っ、やぁ、……やめ……っ」

 なんとも心地よい少女の囀りに自らが満たされていくのを感じながら、私は溢れ出す欲望に激しく脈動を続ける一本の触手を、悦楽に身をよじる彼女の下肢へと這い進ませていく。

 ぽたりぽたりと粘液を溢れさせながら蒼白の触手が向かうのは、剣士の、剥き出しにされた形の良い丸い尻。

「やっ、そこ……いやぁっ……そんなのっ……! やだぁ……っ!!」

 触手が自分に何をしようとしているのか気付いた剣士が、激しい悲鳴を上げて暴れようとする。
 甲高い悲鳴はさすがに聞くに堪えず、私は触手をその口の中に潜り込ませて、静かにさせることにした。

「んっ、んんっ…………んんーっ!」

 唇の中に潜り込んだ蒼白の触手が、内側から細い触手を伸ばして舌を絡めとり、口内を舐め上げていく感触に、剣士が声にならない悲鳴を上げる。

 そして、人間のものとは違い、わずかに鋭い牙の生えた少女の歯が、触手に噛みついた。
 多少刃が鋭くても、唇をこじ開けている、太い触手を噛み千切るには及ばない。

 だから、なんの問題はない、はずなのだが。


 ――――――――その瞬間。









 ずっと昔、まだフェルパー族の村に私がいた頃のこと。

 海に面していたその村はいつでも魚が釣ることができて、きちんと家族を養うための漁をしている大人達とは別に、私みたいな子供もみんな、魚釣りや、海に潜っての狩りをして遊んでいた。

 ある日のこと、私は海に潜っての狩りで見慣れない魚を捕まえてきた。

 それはいつも釣りで捕まえる魚とは全然違う、なんだか変な形をした、まっ白い魚だった。
 だけど、幼かった私は、あまりにも日常的に魚釣りや狩りをして、その成果をオヤツ代わりに口にしていたため、海を泳いでいるモノは何でも食べられるモノだという勘違いをしていて。

 その白い魚を迷わずに少し食べてみた。
 噛み付いたそれの、奇妙な食感は、決して忘れられない。

 そして私は、それまでの人生で味わうことの無かった、地獄の苦しみを知ることとなった。

 その、幼い頃の私が白い魚と思っていた海の生き物は、フェルパー族の天敵にして、決して口に入れてはならない禁断の海の悪魔そのもの。

 すなわち、イカ、だったのだ。

 フェルパー族はイカとかタコ、あとタマネギとかはを食べちゃダメという原則。
 一説には腰を抜かすとか言われているけれど、実際の被害はそんな甘いものじゃなくて。

 なんでそうなるかは解明されていない。ネコとかがそうだから、きっとネコに似ている私達もそうるんじゃないかって、フェルパーのみんなは言っているけれど、人間の医者によるとそれは関係ないという話だ。

 でも、そうなってしまうというのは間違いなくて、それは疑いようのない常識だった。
 そして、それを破ったらどんな目に遭うか、その時に教えられたのである。









 不意に感じた、嫌な予感。
 私は、なにか致命的な間違いを犯したような気がする。

 彼女にまとわりついていた無数の触手が一斉に動きを止めていた。まるで、危険な何かを警戒しているかのように。

 そして、その予感を裏付けるように、次の瞬間、肉食獣の唸り声を思わせる重い響きが森に響いた。



 ぐるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる…………



 その音の発生源は…………この、ネコミミの少女の、剥き出しになった白いお腹である。

 つい先ほどまで悦楽と恥辱の狭間で溺れていた少女は、必死に何かに耐えるように、くの字に身体を曲げて、ふるふると小さく震えている。

 少女の目の端には堪え切れぬ涙が浮かび、額にはぽつぽつと汗の粒が浮かんでいる。
 その瞳は、つい今しがたまで容赦のない恥辱を与えていた私にすら、真剣に助けを求めていた。

 おそるおそる、少女の舌に絡めていた触手を、その口の中から引き出す。
 自由になった唇から小さく息を吐くと、今にも消え入りそうな声で、少女は言った。

「…………トイレ……いかせて……」


 ――――――――……萎えた。


 たった一言。
 その言葉だけで、私の中に燻っていた情欲の炎は消え去った。

 あとなんか私の中に生まれてたような気がするゴイスーな力も消え去った。

 いやだって、ほら、さすがに、そういうのはどうかと思うのだ。
 まだ私のような初心者には早すぎるというか、心の準備が出来てないというか、さすがに無理というか。


 少女の涙を裏付けるように、きゅるきゅるきゅると可愛らしいお腹が悲鳴を上げる。
 尻の付け根から生えた尻尾は、痺れたようにピンと立ったままぷるぷると左右に震えて止まらない。

 事態は、まさに地獄の様相を示していた。
 このまま地獄の釜が開くことになったら、きっと私の中に拭い切れぬトラウマが出来てしまう。

 私は一瞬の淀みもなく猫耳少女を担ぎ上げると、手近に思いつく唯一のトイレを目指して全力疾走を開始した。









 気が付くとトイレの中にいた。
 何がどうなって私がここにいるのか、細かい部分は思い出せない。


 ――――――とにかく間に合った。


 とにかくそれが全てだ。
 それだけで、私はもう他のことは全てどうでも良かった。
 後処理とかも済ませて、今はただ静かに座の上に座るだけだ。

 どうしてこんな森の奥に、お金持ちの家にしかないような高級トイレがあるのかは分からないけど、このトイレとても使いやすくていいなぁ。持って帰りたい。
 せめてこの凄く使いやすい拭き紙だけでもいくらか持っていけないだろうか……。

 なんだか頭がぼーっとしていた。
 得体の知れない虚脱感が、下半身から背の裏を抜けて、頭の芯にまで届いている感じがする。
 それがなんだかひどく心地よい感じがして、私は小さく身を震わせた。

「…………あ……」

 その、さらにその前の行為を、いつの間にか頭の中で反芻していた自分に気付く。
 なんだか急に恥ずかしくなってしまい、私は頬を抑えた。

 自分の顔が、耳の先まで熱くなっているのが分かる。
 きっと今の私の顔は真っ赤だろう。

「うー……」

 ついさっきまで、色々とされていたことを思い出した。というか、それがどういうことだったのかをはっきりと意識してきた。そうだった、私は無理矢理あんな事を…………。

 立ち上がろうとして、ハッと気付く。
 そもそも私は、着ているものは何もない、裸だった。
 トイレの外で今も待ち構えているだろう触手の怪物が、私の鎧も下着も全部溶かしてしまったのだ。

 思わず逃げ場を探すけど、あるのは格子に塞がれた窓だけで、狭い個室には逃げ場なんて無い。

「……とうしよう」

 この個室を出たら、また、変なコトされちゃうんだろうか。

 そういえば、怪物の触手の先からから、あんなにいっぱい身体中にかけられた、ヌルヌルした変な気持ちになる液体は、気が付いたらいつの間にか無くなってる。
 水みたいに乾いたら消えちゃったのか、くんくんと自分の匂いを嗅いでも、あの甘ったるい匂いはしなかった。
 あの液体と匂いを思い出すと、下半身がもぞもぞして、尻尾が痺れたみたいになる。

「……グノー、大丈夫かな」

 最後の辺りのことは、あんまり覚えてないけど、グノーはどうなったんだろう。
 自分と一緒にあの触手の怪物に襲われていた相棒を思いだして、少し気が引き締まる感じがした。

 うん。やっぱり逃げないと。

 扉を勢いよく開けて、だーっと駆けていけば、逃げられるかも。
 武器とかがあったらいいけれど、この扉の外がどうなっていたかは全然覚えてないし。

『…………なんだ、帰ってたのか』

 突然、扉の外で声が聞こえた。
 鈴を鳴らすように高く綺麗な響きの、小さな女の子の声。

『……ああ、少しは治った。うん、水差しとか、助かった…………ありがとう』

 この声は、もしかして魔女の声なんだろうか。
 100歳近いって聞いたから、しわしわのお婆さんを想像していたのに、こんな可愛い声なんて想像外。

 それに、誰かと話しているみたいだけど、相手の声は聞こえない。
 声の主は少しづつこちらに近付いてくる。

『ああ、もう……なんで道を塞ぐ。まだ身体が怠いし……お前の変態趣味には付き合わんぞ……?』

 何かが軽く叩かれるような音がして、足音がさらにこちらに近付いてきて。
 私はとっさに周りを見回したけど、やっぱり逃げ場はないままで。

『……したいから通るに決まってるだろう! ベッドの中で堪えるのも限界なんだ……だいたい、お前があんな大きな水差しを置くからだな……!!』

 扉の婿絵の少女の声に段々怒りが混ざってきて、そして足音も近付いてくる。

 ……ああ、鍵もないんだ、この個室。

 ガチャ

 そして、個室の扉が開いて、その向こうに立つ女の子が私の前に姿を現した。

 綺麗な金色の髪と、透けるような白い肌の女の子。
 寝床から出たばかりなのか、少し大きめのパジャマを着ていて、その上からは不格好なセーターを羽織り、さらに首にはあちこちほつれたマフラーを巻いている。
 風邪でも引いてるのかも知れない。驚きで丸く見開かれた目は、少し赤く充血してるし。

 私は、両手と尻尾を使って必死に前を手で隠しながらそう思った。
 知らない人に裸を見られるのは恥ずかしい。
 トイレの中でこんな格好の私を見て、この魔女らしき女の子はどう思っただろう。

「……こ、こんにちは…………」

 おそるおそるそう言うと、魔女らしき少女はただただ無言で扉を静かに閉じた。
 沈黙がとても痛かった。

『くぉぉぉぉのっ、エロ触手がァァッ!! 人が風邪で寝込んでるっていうのに、一体ナニしやがってるんだ貴様はッ! よりにもよって拉致監禁、しかもその先が人様の家のトイレとはッ! いくら貴様が下劣極まりない最低王者のド変態だからと言っても限度というものがあるだろうが!? 終いには壁に擦りつけて擦り潰すぞ軟体生物ッッ!!』

 扉の向こうで何か物凄い罵声とか爆発音とか聞こえる。
 ピシャッ、て扉に液体とか肉片とかが飛び散る音がしたので、私はそっと耳を伏せた。
 よく分からないけれど、扉の向こうは凄く怖いことになっている気がする。

 そうしてしばらくの間、連続で衝撃が壁越しに伝わってきて、やがて唐突に止んだ。

「…………?」

 終わったんだろうか。
 しばらくの躊躇の後に、おそるおそる扉を開けてみる。
 廊下は、緑色の血と肉片が、床から壁、天井にまで飛び散っている大惨事になっていた。
 そんな凄惨な場に、パタリと倒れ伏している、先ほどまで怒鳴り散らしていたと思われる金髪の少女。

 そしてそれを支えてオロオロしている触手の魔物。
 壁とかに飛び散っている血とか肉片とかは大丈夫なのか、という疑問よりも先に、その姿の方が印象深かった。

 ……オロオロしてる。

 世にも珍しい異形の怪物がオロオロする図を見ていると、触手がするすると伸びてきて私の腕を掴んだ。
 とっさに身を固くした私の脳裏に、声が伝わってくる。

《聞こえるかね? 私の考えが伝わるのなら、是非とも君の助けが欲しい》

「…………わ。……喋った」

 喋った訳じゃないけれど、目の前で蠢いていてる、いかにも知性のなさそうな異形の魔物から、ちゃんとした知性があるという明確な証拠を見せられたのは驚くべき事だった。
 トイレに連れて行ってくれたことから、なんとなく知性があるんだろうなと思っていたけれど、知性らしきものが認められるのと、ちゃんと言葉が通じるのとでは、また大きな違いがある。

《怒りすぎて倒れてしまった。病状が急に悪化したのかもしれん》

 倒れている少女を支える無数の触手は、おそるおそるという様子で額に触れたり乱れた服を直したりしている。
 よく分からないけれど、この女の子が魔女で、この異形の怪物はその魔女を大事にする理由があるのだろう。

「え、でも……私、そういうの、分からない。治療とか、グノーの、担当だったし」

 とっさにそう答えると、異形の怪物は触手でそっと少女を抱える。

《もう一人の小さい方だな? すぐ連れてくる》

 そんなことを最後に告げると、異形の怪物は触手を私に伸ばし、抱え込んでいた少女を私の手の中に預けてから、触手を押し寄せる波のように猛烈な勢いで蠢かせ、廊下を這って外へと出ていった。

 そのまま一人取り残されて、少女を見下ろす。
 たぶん、病気で疲れきっている時に魔法を使ったから、一気に体力を持って行かれちゃったんだろう。
 完全に意識を失っているようで、私がそっと手の中から床へと降ろしても、目を覚ます様子はない。

 少し考える。

 今なら、簡単に逃げられるんじゃないだろうか。
 でも、任されちゃったし、こんな小さい子を置いていくのは良くないし。

 けど、このままだと後で変なコトされるかも。
 さっきの続き……。

 また、尻尾がびりびりと痺れてきた。
 ぎゅう、と勝手に動き出した自分の尻尾を握って、喉の奥で唸る。

「うー…………」

 結局、私はその女の子を抱えて、見付けた寝室のベッドに寝かせてあげた。

 ……えっと、やっぱり、見捨てちゃ駄目だと思うし。
 グノーだって連れてこられるなら、私だけ先に逃げたら駄目だと思う。うん。




つづく






<おまけ>


 剣士の女の子の言葉に従って、慌てて少女二人組にアレなことを色々してた場所へと戻ってみると、ちっこい魔法使いの女の子の姿は影も形も残っていなかった。

 散乱していた衣服の切れ端とか武器なども、ほとんどなくなっている。
 ちょっと地面に落ちた染みやら、味わい深い匂いとかが残っているので、場所は間違えていない。

 何処へ行ったのやらと探してみると、ご本人の代わりとばかりに、私が少女二人を捕まえてアレをしていた現場のすぐ側に転がっていた木の表面に、刃物で抉るように刻まれた伝言がしっかりと残されていた。

 刻まれていた伝言はシンプルに一言である。


“コロス”


 ああ、なんか色々とカッとなっていたので完全には憶えていないが、よく考えてみるとあっちの子って、最初に触手で口を塞いでからは、あの剣士の娘さんばっかり虐めてて、ほとんど放置していたしな……。

 いや、色々と弄ったりはしていたのだが、いかんせん意識は完全に猫耳のナイスバディな娘さんの方に向けられていたわけで、割を食わせてしまった形になるあっちの娘さんには大変申し訳なかったと思っている。

 …………次に会ったときには、満足のいく結果を出したい。

 そう空に誓う私であった。









つづく