森の中を駆けていく。
 急がないと、手遅れになってしまうから、一瞬でも早く目的地に辿り着かないと。
 焦りばかりが頭をよぎって、目の前すら見えなくなりそうで。

 だから、足下に何かが絡み付くのに気付けず、ボクはあっさりと足をすくわれて宙を舞った。

 地面に投げ出される。
 そう思って、ボクは反射的に衝撃に備えて身体を固くしてぎゅっと目を閉じる。

 けれど、地面にぶつかる前に、何かがボクの身体を空中で絡め取った。

「……えっ……」

 目を開くと、視界に移ったのは、蠢きながら絡み合う無数の触手と、その中から覗く無数の眼球。
 表面が粘液で濡れきったその黒色の触手が、ボクの身体を捕まえていた。

「……ぇ……な、なに……これ…………」

 太さと細さ、その計上も様々な無数の触手が絡み合い、触手同士の表面に付いた粘液が糸を引きながら粘り着くような音色を立てるのが、何故かとてもいやらしく感じられて、ボクは自分の頬が赤くなるのを感じた。
 どこか甘い香りが鼻をツンと刺激して、ひどく落ち着かない気分になる。
 触手の隙間からじっと見る視線が、まるでボクの身体を探っているように感じられて、冷たい汗が流れる。

「……やだっ! ……いーかげん、離してよっ、ヘンな目で見るなっ!」

 慌ててボクは手足にまとわりつく触手から離れようと暴れ出した。

 だけど、濡れた触手はのらりくらりとボクの暴れる動きに合わせて動くだけで、なかなか解けない。
 絡み付いた触手はどんどん数が増えて、ボクの身体は触手の主の方へと引き寄せられていく。

「やっ、離せっ! 来るなっ、バカーッ!!」

 叫んで、大きく振り上げた足が太い触手にがっしりと掴まれる。

「……えっ」

 表面に無数の吸盤の貼り付いた、蛸を思わせるその太い触手は、ボクが慌てて両手で足から引き剥がそうとしている間にも、数を増やして次々と手足に絡み付いていく。
 吸盤が肌に吸い付く感触に、背筋に電気が走って、振り解く余裕が無くなっていく。
 いつの間にか、ボクの体は無数の触手が絡み合う渦の中に引き込まれていた。

「ひゃっ……やっ……や、やぁっ! なんで……!?」

 絶対に振り解けないような力じゃないはずなのに、触手はどんどんと数を増していき、みるみるうちにボクの手足を完全に征服してしまう。
 どんなに手足に力を込めても、もうボクの力じゃ動かすことも出来ない。

 そのまま、ボクは触手の渦の中に半身を埋めるように仰向けにされた。
 触手の中から見えていた、あの無数の視線を背中に感じて、背筋にぞわぞわと悪寒が走る。

 次に何をされるのか、不吉な予感が頭の中で鎌首をもたげる。

 触手にがっちりと固定された手足は、左右に大きく開かされて、前を隠すことも出来ない。
 背後から伸びてきた触手が、背中越しに前に回り込んできて、ボクのお腹を撫でた。

「やっ……触らないでよっ……こんな、卑怯な真似……っ……ひゃぅっ」

 濡れた触手が背後から次々と伸びてきて、粘液をたっぷりと滴らせながら、身体を舐め始める。
 次第にそれは、ボクの服の中にも入り込んできて、微妙な部分を擦っていく。

「……やだっ、……このぉっ、調子に……んっ……のってぇ……っ…………」

 そのたびにボクは必死に身をくねらせて、敏感な部分に触手が触れるのを防ごうとするけど、身体中をひっきりなしになめ回す無数の触手から逃れることは出来なくて。
 次々と与えられる刺激に、だんだんと身体が頭がぼぅっと痺れてくる。

「ひゃぅっ!……んんっ……くっ……」

 きゅ、と足の付け根を強く擦られて、ボクは我に返った。

 いつからそこにいたんだろう。
 触手にずっと虐められているボクの姿を、じっと見ている人影がある。

 痴態を見られていた相手の顔を見て、ボクは自分の身体に震えが走るのが分かった。

「えっ? えぇっ? な、なんで?」

 見惚れるような艶のある白い肌は、まるで濡れているように見えた。
 自分よりもずっと幼い貌をしているのに、自分には絶対に出来ないようなひどく妖艶な微笑みを浮かべて、紅を差したように赤い唇をペロリと舐める。

 その仕草に、ゾクリと寒気が立った。

「魔女様……? あ、あのっ……この触手離してって、言ってくださいっ!……こんなの恥ずかしいです……」

 必死に呼びかけるけれど、魔女様は聞いてくれない。

 ゆっくりと霧の中から前に進み出てきた魔女様の、その腕の中には、どうしてか大きな麺棒があった。



 な  ん  で  麺  棒  ?



 凄くいい顔で、魔女様がじわりじわりと近付いてくる。

 なにかしら嫌な予感を感じてボクはその場から逃げようとしたけれど、絡み付いた触手は、まるで魔女様と申し合わせてるみたいに、しっかりとボクの手足を掴んで離さない。

 麺棒が、じわじわと近付いてきて。
 いつの間にかボクはズボンを履いてなくて。

「ダ、ダメですーーっ!……そんなの入りませんっ! やぁ、いやぁぁぁ……っ!」

「いいから」

「良くないで……ひゃっ……おしつけないでっ、魔女様ぁっ……ひぃんっ!」

「いいから」

「やっ……いやぁぁっ……無理ですっ! 無理ーーーっ!!」





「無理って…………なにがだ?」

 目の前に、造形の少ない顔の中にぽつんとくっついた二つのつぶらな瞳があった。
 その下にあるのは、高さの丸でない穴二つだけの小さい鼻。
 顎の方が大きいせいで太めの二本の牙が上向きに剥き出しになっている、大きな口。
 妖精族の名残という長めの耳だけが、かろうじてボクと同じ種族であることを示している。

 ゴブリンという種族は総じて男の人の顔はみんなそんな造形なわけで
 それでも誰だか分からないわけはない。
 ゴブリンなのに冒険者にうっかり緑色のトロルと勘違いされて、陽の当たるところに誘導されてしまって大変困惑したという、無駄なぐらいの頑強な胸板は忘れたいのに忘れられない。

 つまり、目の前にあるのは間違いなく、ボクの父さんの顔だった。

「…………で、……で…………で…………」

 それを理解して、自分が布団の中で眠っていたのだということを思い出して、今の時刻が朝なのだと理解して。
 そして、今までボクが見ていた夢の映像が、頭の中でもう一度再現されて。

「で?」

 父さんが、まるで紙芝居屋さんに話の続きをねだる子供みたいに、身を乗り出して聞いてくる。
 自分の頬が、耳が、顔全体がどんどん熱くなっていく。

 ボクは、大きく息を吸ってから、声の限り叫んだ

「出てけぇぇええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーっっ!!」

 ついでに、枕元にあった小物とか椅子とか枕そのものとかをありったけ投げつけた。

「おわわわわっ、なんだいきなりっ!? 儂はちっとも起きてこんから、親切心でロナを優しく起こそうとしただけだぞ!? それとも、これが噂の理由無き反抗期というヤツなのかっ!!?」

 頭を抑えて逃げ出しながら、父さんが勝手なことを喚く。

「年頃の娘の部屋に勝手に入って勝手に起こしに来るだけで、十分反抗したくなる理由なの!」

 円盤投げの要領で、布団の脇にあった小さな丸テーブルを投げつけると、さすがに慌てて父さんは部屋の外へと逃げ出していった。
 勢いよく閉じた扉に、投げたテーブルが激しい音と共にぶつかって落ちる。

 扉の向こうで父さんの足音が去っていったのを確認してから、ボクはぐったりと布団の中で脱力した。

「うぅぅぅぅぅ…………すごい夢見ちゃった」

 テーブルを投げつけた姿勢から、へなへなと身体を前に倒して崩れ落ちる。
 そのまま何も考えずに突っ伏してしまい衝動に駆られるけど、ボクはなんとか踏みとどまった。

 そろそろと、怯えるようにパジャマのズボンのゴムを引く。
 その下に穿いた下着に触れると、見るまでもなく、恥ずかしいぐらいに湿った感触を返した。

 ううううううう、穴があったら入ってしまいたい……。

 しばらくの間、ボクはベッドの中で身体を二つに折って、際限なく沸き上がってくる羞恥心に、必死に耐えなければいけなかった。
 落ち着けば落ち着くほど、先ほどまでの夢の中の映像や、あのぞわぞわする感触が脳裏に蘇ってきて、なんとも知れない気分になってしまう。

「バカバカっ! ボクは一体、なに考えてるんだーっ!」

 最後にでてきた魔女様のことを思いだすと、もう顔から火を出してしまいそうだった。
 いくらなんでも恥ずかしすぎる。

 自分の頭をぽかぽかと叩いたりして、なんとか平静を取り戻そうと努力する。

 それから、すっかり汚してしまった下着はこっそりと処分して。
 新品の下着に着替えたボクが、いつものように朝の食卓に立つことが出来るまで、30分もかかった。






5話 「暴走! 抑え切れぬ欲望!!」







 昼を過ぎると、森の中は急に涼しくなる。
 ボクはその時間を利用して、あの夜と同じように死霊の森を抜けた。
 二回も訪ねたせいで耐性が出来ちゃったみたいで、不思議と森の中に佇む青い影を見てもそんなに怖くなかったし、向こうから近付いてくるような気配もなかった。

「…………うぅ、なんで、あんな夢見たばっかりなのに、また来ちゃったんだろ……」

 そして今。
 背中に重い荷物を抱えたまま、何故かボクはあの小さな家の前に来ていた。
 ゴブリン族はみんな力自慢なので、ボクだって自分より大きい荷物を背負っても大丈夫。

 子供がまるまる一人くらい入れそうな大きなバックには、この前のお礼ということでゴブゴブ村のみんなから集めてきたお礼の品々がたくさん入っている。
 ほとんどが収穫してきた野菜や果物、穀物とかばっかりだけど、気に入ってくれるかな。
 お父さんの話だと、食材の方が喜ばれるって話だったし、大丈夫だと思うけど。

 ……そんなに色々知ってるなら、いっそお父さんが魔女様に渡しに行ってくれればいいのに。

『儂は倒れてた間の村のアレコレをしなきゃならんから、お礼の方はロナが渡しに行ってくれ。魔女様のこと、尊敬してるんだろう? 色々話を聞いてくると良い』

 お父さんの言葉を思い出して、恨めしく思う気持ちが蘇ってくる。

 ボクだって、魔女様のお顔を見たくないわけじゃない。

 あの触手がいっぱい生えた……うねうねした人だって、村ではすごく一生懸命働いてくれたし、その、最初のことは怖かったけど、ホントはいい人みたいだったし。
 でも、あんな恥ずかしい夢を見ちゃったばっかりで、どんな顔をすればいいのか全然分からない。

 あんな夢みたいなことは無いって分かってるけど!
 でも、どーしても考えちゃうっていうか!!

「そうだ! 玄関で挨拶して、扉を開けてすぐにお礼の品を置いて帰ろう!」

 突然閃いた思いつきに、ボクは思わず小躍りしたい気分になった。

 急げばほとんど顔を合わせずに済むし、運が良かったら姿すら見ないで済んじゃう!
 ものすごーく無作法かもしれないけど、荷物の入ったバッグの中にはみんなのお礼の言葉は手紙に書いて一緒にしてるし、置いていったってちゃんと気持ちは伝わるはず!
 この前みたいなこともあるかも知れないし、ずっとお邪魔するよりすぐに退散する方がいいよね!

 …………この前みたいなこと。

 また、色々思い出してきて、顔が熱くなってくる。

 そ、そーだ、扉開ける前に、ちゃんとよく聞き耳しないと…………。

 こそこそと扉の前に近付いて体を斜めにして耳を扉に付ける。
 しばらくそうしていたけど、扉の向こうからは何の音も聞こえてこない。

 よし、今だ!

 ボクは勢いよく扉のノブに手をかけて、押し開いた!
 昨晩に見た時と同じリビングは、テーブルも椅子も綺麗に片づいていて、誰の姿もない。
 キッチンの方から洗い物の音なんかも聞こえないから、奥の部屋にいらっしゃるか、もしかしてまだ寝室で眠ってたり、どこかに外出中なのかも。

 ボクはこのチャンスを逃さすに慌てて背中のバックを床に下ろして、すぐ分かるように玄関の正面に置いた。
 そのまますぐさま逃げる体勢を取りつつ、早口でまくし立てるように挨拶の言葉を上げる。

「こんにちはーっ! この前はありがとうございましたちゃんとお礼したいけどお忙しいみたいですけどこれで失礼しますお礼の品物をここに置いていきますからお納めくだひゃあああああああああああああっ!?」

 後ろを振り向いたら、目の前に巨大な触手の塊がうねうねしていた。

 晴天の下、黒い触手が粘液を反射させててらてらと光っている。
 その大きな塊の中にぽつぽつと小さな穴が浮き出ると、その中から眼球が生まれてボクをじっと見る。

「あああああああおおはよようございますすすすっ!!」

 回らない舌で必死に挨拶の言葉を口にした。

 挨拶はなんとか口に出来たものの、身体の方はぜんぜん付いてこない。
 ボクは荷物を下ろして床に置こうとしていたポーズのままで固まってしまっいた。

 だけど、そのポーズで触手の方にお尻を向けてしまっていたことに気付いて、ボクは慌ててお尻に手を当てて隠すようにしながら正面に向き直る。

 べ、別にお尻を向けたら変なコトされるって思った訳じゃないけど、無作法だからっていうか――。

 そんな言い訳を頭の中で必死に繰り返していると。

 にゅ、と太い触手が伸びてくる。
 吸盤が内側に貼り付いた、太くて滑らかに動く蛸のような触手。

「ひゃっ……!」

 反射的に目を閉じる。
 目を閉じてから、後悔した。

 これって夢の中で――――――

 ぺしぺし

 そう、目を閉じたボクは頭をぺしぺしされて――――

「…………はい?」

 目を開けると、触手をリズミカルに蠢かせながら、うねうねした人は奥の方に移動していくところだった。

「えっと……あれ?……あの、えっと……」

 頭におそるおそる触れてみると、粘液の跡も付いてなかった。
 狐につままれたような気分でその場に呆然と立っていると、突然リビングの奥の廊下の先から、魔女様のすっごい罵声と扉を蹴破る音が聞こえて、びっくりした。

 か、帰っちゃっおうかな……?
 チラリと背後を見る、なんだかこの家の中より、おどろおどろしい森の中の方が安全な気がしてくる。
 そろりそろりと、後ずさりを始めたところで。

「……ああ、なんでまたお前が来たかと思ったら、この前の礼か?」

 魔女様が廊下の先から現れたので、慌ててボクは背筋をピンと立て、直立不動の姿勢をとった。

「こ、こんばんは!」

「…………まだ昼過ぎだぞ?」

 呆れた顔でそう言われて、また顔が真っ赤になってしまう。

「こんにちは、です!!」

「ん。……本当に、よく来たな……ふぁふ……」

 言い直すと、口元に手をやって小さな欠伸を噛み殺してから、腰に手を置いてちょっどたけ笑ってくれた。

 見惚れるような綺麗な顔に加えて、今日の魔女様は何故か眼鏡をかけている。
 それと、まるで寝起きみたいに、金色の髪が少し乱れて、あちこちに飛んで艶を失ってしまっている。

 じっと見ていると、少し困ったように笑ってから、『ちょっと研究をな』と答えてくれた。

「けんきゅう……ですかぁ」

 この前、村を助けてくれたときの、魔女様の治療の光景を思い出す。
 村のみんなが想像してたような魔法や呪術とかでのてっとり早い治療とは違う、病人のことを細かく調べて症状を見極めてから、薬草や体を冷やしたりの対症方法での治療。
 長い時間と根気のいる仕事だったけど、自分たちで何とか出来たという安心感があって、ゴブゴブ村のみんなもしきりに魔女様のことを見直してた。

「あの、あの時は、本当にありがとうございましたっ!」

 なんだか急に先ほどまでの自分の考えが恥ずかしくなって、慌てるようにボクは頭を深く下げる。

「あ……いや、私だって少なからず礼が目当てだったし、お前の父親は数少ない商売相手だったからな。そんなに改まって礼をしなくてもいいぞ?」

 ちょっと慌てるように言われて、ボクも顔を上げる。
 もしかして困らせちゃったのかと思ったけど、目を逸らしてあさってに視線を逸らした魔女様は、それでも少しだけ嬉しそうに見えた。
 そんな風な魔女様を見てると、ついボクも口元が緩んでしまう。

「あ、あの! バックの中に、みんなの感謝の言葉を手紙にして入れてますから! 絶対見てくださいね!!」

 お父さんの思いつきで書かれたそれは、皆で書いているのをはたから見た時はなんだか子供っぽくて恥ずかしいと思ったけど、魔女様ならきっと喜んでくれる気がした。

「…………あ、あー。うん……分かった」

 反応弱めに、魔女様は小さくこく、と頷く。
 ちょっと子供みたいな仕草に見えて、少しだけお姉さんの気持ちになれた。
 いけないいけない、またなんか変なこと考えちゃってる。

「それじゃ、大事なものは渡せましたから、これでボクは……」

 魔女様がお仕事中なら、あまり長居して邪魔しちゃダメかと思って、そう言ったのだけれど。
 そう言って外へと出ようとするボクの足を、魔女様の言葉が引き留めた。

「……ああ、そうだ。ちょっと待ってくれるか? 村まで持たせたいものがあるから」









 うぅ、気まずいよぅ……。

 あの後、しばらく待っていろ、と言って魔女様が奥に引っ込んじゃってから、ずいぶん時間が過ぎた気がする。
 ボクはリビングの中央にあるテーブルにある椅子を勧められて、そこでじっと座って待っていた。

 最初は、すぐに戻ってくるかと思っていたけれど、なかなか魔女様は戻ってこなくて。

 テーブルを挟んで向かい側。
 床に直接触手の塊が這っていて、所在なげに太い触手を蠢かせている。

 ボクと同じで、も魔女様を待っているのかも知れない。
 そんな風に思うと、ちょっとお預けをされている犬みたいで可愛いな、なんてことを思ってみる。

 でも、見た目からして可愛いと思うにはやっぱり無理があった。前言撤回。

 最初の頃は何をしているかもよく分からなかったけど、よく見てみると、小さな本を参考にしながら、細い触手の先に編み針と毛糸を絡めて、試行錯誤しながら編み物をしている。
 針を掴んだ触手の動きは下手っぴで、あまり上手くいってないみたいだったけど、子供の頃はもっぱら男の子と遊んでいたボクだって、編み物の心得はまるでない。
 助言の一つでもできれば会話というか、意志疎通のきっかけになるんだけど……。

 チラチラと見ていると、ふと、編み物をしている触手を見つめていた眼球と目が合ってしまった。

 すると、何を言う暇もなく、ぽつぽつと眼球の中に新しい眼が生まれて、一斉にボクを見る。

 母さんの作ってくれるホットケーキ。
 目玉が生まれてくる様子を見て、フライパンの上で熱せられたそれにぽつぽつと気泡が生まれてくる様子をつい想像してしまってから、ボクは激しく後悔した。
 うぅ、しばらく食べられなくなっちゃった……好物なのに。

「あっ、いえっ! なんでもないですよっ!!」

 慌てて、両手でブンブンと振り回したなんでもないことを主張すると、ボクを見ていた沢山の怪物さんの目はじわじわと小さくなって消えていった。

 うぅ、普通に出している目をこちらに向けるとかして欲しい。
 なんでいちいち目玉を増やすんだろう……あ、でもどこにでも目が出てくるならその方が便利だもんね。

 想像できないけど、いっぱい目があった方があちこちから見えて便利だし……。

 そう思ってから、なんとなく足下が気になって、ボクはズボンの裾をさりげなく正した。
 もしかして、足とかじっと見られてるのかも。
 でも、あからさまに気にしたら、気を悪くしちゃうかも知れないし。
 だけどホントにじっと見られてたら恥ずかしいし…………ホントに見てたら、どうしよう。

 なんだか足下まで触手が這ってきているような気がして、私はしきりに足を閉じたり開いたり、小さく組んだり元に戻したりしていた。

 や、やっぱり気のせ――――

 つつ、と太股に舐められるような感触。

「ひゃぅっ……!?」

 跳ねるように椅子から立ち上がって、慌てて自分の足元を見る。

 ……あれ? 触手、来てない……。

 頭の中に疑問符を浮かべながら、さっきの感触を感じた太股を指でなぞる。
 ただの水……じゃなくて、舐めてみるとしょっぱい。

 汗だった。

 ふと、顔を上げると、うねうねの人が続けていた編み物が止まっていて、触手の隙間に生まれた無数の目玉が、不思議そうにじっとボクのことを見ている。
 まるでたくさんの群衆のただ中にいるような錯覚を覚えて、私はみるみる赤面した。

「あ、あはははははははっ、えっ……えーと……暑いから、いつの間にか汗かいちゃってて! ちょっと、汗がひやっとして驚いちゃったというか…………い、いきなりすいませんでしたっ!!」

 つたない説明をしながらわたわたと頭を下げて、慌てて椅子を戻して座る。
 顔を伏せてから、落ち着け、落ち着けと念じているけど、顔が火を噴きそうに熱くなって止まらない。

 ああああーん、絶対変な子だって思われてる!

 弁解したくても、『あんなにびっくりしたのはアナタに触られたかと思ったからです』なんて絶対言えないし、そっちの方が余計にダメダメだし。
 いっそあのまま扉を蹴破って森の果てまで逃げちゃえば良かったんだ……。
 そしたら絶対不思議がられるけど、少なくともこれ以上ヘンなことをして困ることはないはず。

 い、今からでも、間に合うかも……?

 脱出のタイミングを計ろうと、おそるおそる顔を上げて、うねうねの人を見る。

 すると、ボクの目の前、テーブルの上に、トンと音を立ててガラス製のジョッキが置かれた。
 太い触手がそれを持ってきたのだと気付いて、触手の主の人へと視線を向けると、丸く開いた目がボクとジョッキを交互に見ている。

 の、飲みなさいって、こと……だよね?

「えっと、あの……どうも、ありがとう……ございます」

 小さく頭を下げてから、ジョッキを見る。
 表面に水滴が浮いているのは、中身がとっても冷たいからだろう。
 でも、この中身って……なんだろう?

 透明だけど……これって、水で、いいんだよね……?

 もう一回、顔を上げる。
 触手の先の大きな目玉は、何も語らないでただボクを見ているばかりだった。

 ジョッキをずるずるとテーブルの上で引いて、中を見てみる。
 透明度な水は、濁り一つなくて、ボクの顔を映していた。

 せ、せっかくだし……飲まないと、悪いよね……うん。

 おずおずと両手でジョッキを持ってから、少しだけ傾ける。
 喉の中を、ジョッキの中身が滑り落ちていく。

「わ、この水、美味しい…………」

 とっても冷たくて、この辺りの井戸水だと少し残りがちな土の味とか、濾すのに使う草の味とかが全然しない。
 どーやってこんな水を作ってるんだろ?
 少し呆然としてジョッキの中の透明な液体を見る、これがホントにいつも飲んでる土の味の残った井戸水と同じモノなんて凄く不思議だった。

 思わず両手で抱えてこくこくと一気に飲んでしまう。

 喉を通り抜けていく冷たい感触がとっても心地よかった。
 トン、と大きなジョッキをテーブルに置いて、もう一杯貰えないかな、と思う。

 けど、不意に下肢に襲ってきた感覚に、そんな考えは吹っ飛んでしまった。
 そういえば、朝ご飯食べてから村を出るまで一度も行かなかったし、今日はけっこう暖かかったのに、急に冷たいもの飲んじゃったから、無理もないはずだけど、なんでこんな時に。

 うぅぅぅぅ、急にジョッキ一杯の水なんて飲むから……。

 ……オシッコしたくなってきちゃった…………。





◆◆◆





 案内されたのは、2メートル×1.5メートルくらいの狭い個室だった。
 個室の奥の上側には、格子がついた窓があって、森ばかりが見える外の光景が見えた。
 そこから、外の少し温い空気が入り込んでいる。

 入ってすぐ、真正面に鎮座しているのは、大きな椅子みたいな器。
 人間の街とか、ずっと東にある魔都とかにはあるって聞いていたけど、魔女様の家のもこれだったんだ。

「うわー、これが!」

 上にまたがって穴の中にするんじゃなくて、座れるように縁のついた器の中にして、魔法仕掛けの装置で器の中を洗浄しながら器の下の穴へ流すのが、この西風式便器というものだ。
 びっくりすると同時に、その便利さに魔女様が羨ましくなるくらいだった。

 流れたものがどうなるんだろう? 汲み上げ式じゃないなら、やっぱり魔法でどーにかしちゃうのかなー。
 こういうところは、素直に魔法が羨ましくなる。
 そのうち、こういうのも魔法無しでなんとか出来たら良いんだけど、ずっと先だろうなぁ。

 使い方はなんとなく知ってたので、案内してくれたうねうねの人に感謝の言葉をかけて、扉をすぐに閉めた。

 おずおずと、縁に腰かける。
 少し考えてから、ズボンを脱がないといけないことに気付いて、慌てて足下まで引き下ろす。

「ふー……いいなぁ、これ、どれくらいのお金がかかるんだろう」

 そんなに高い値段のものじゃなかったら、父さんに我が侭言って、家に取り付けて貰えないかな。
 でも、人間の街にしかそういう設備を作る人っていないかぁ。
 ドワーフさんも、どうせ人間の街に出入りしてるなら、すごい武器とか作るよりよっぽどこういうもの造る技術を人間の街から持ってきて欲しいのになぁ。

 腰かけて、いると妙に落ち着くせいで、なんだかぽやぽやと色々と考えてしまう。

「……なんか、落ち着くと逆に引っ込んじゃった…………」

 う、パンツ下ろしてるんだから、早く済ませた方がいいよね。
 なんでこれ、座ってるとやたらに落ち着くんだろう。



 そんなことをぼーっと考えている時、ふと背後からボクを見ると強い視線を感じた。


「……え?」

 そろそろと、振り返る。
 こんな風にゆっくり振り返ったって、視線の主が待ってくれるわけじゃないことは分かっているのに、どうしても一気に振り返ることが出来ない。
 振り返る時間を伸ばして、自分の中の悪い予感が間違いだったことを願ってるみたいに。
 あるいは、背後に隠れていた何かが、視界から消えてくれるのを期待するみたいに。

 けれど、それはいた。

 格子窓の外の風景がいつの間にか黒一色に塗り潰されて、その中に大きな眼球が浮かんでいる。
 その黒色は、格子の隙間から溢れ出して、個室の中へと入り込んでくる。

 ……格子窓に見えていたのは、格子窓一面に張り付いて蠢き続ける黒色の無数の触手だった。
 そして、格子の隙間から溢れた黒は、粘液を垂らしてボクに迫ってくる触手。

「ひっ、ひやぁぁぁっ!!」

 ほとんど反射的に立ち上がろうとして、不意につんのめる。
 いつの間にか、ドアの下の隙間から、無数の触手が這い出てきて、ボクの足首をしっかりと掴んでいた。

 視線を下ろすと、みるみる床下を覆っていく無数の触手。

「……やっ、いやぁぁっ、離してっ! やだぁっ!!」

 想像を絶するおぞましい光景に、私は半狂乱になって悲鳴を上げた。
 細い触手が次々絡み付いてくるのを、必死に腕を振り回して引き剥がして、足下を這い上がろうとする触手を引き剥がす。
 肌に張り付いた吸盤が剥がれるたびに、刺すような刺激が肌を突いて、声を上げてしまいそうになってしまう。

「きゃっ……!」

 不意に背後からお尻を撫で上げられて、ボクはもう一度悲鳴を上げた。

 無数の触手を前に、自分がまだ下半身を丸出しにしたままだったことに気付いて、頬が熱くなるのを感じる。
 慌てて、ボクは足下へ引き下ろしていたズボンと下着を引き上げようとした。

 けれど、無数の触手が、下着の縁に絡み付いて離さない。

「やっ、やだ! 離してよっ!!」

 触手を振り払おうと、うずくまったまま力を込めていると、その隙に格子からドンドン溢れてきた触手がボクの背中から、シャツの首筋へと潜り込んでくる。

「やんっ、やめっ……ひゃあああぁっ!!」

 背中から潜り込んできたその触手を引き抜こうとして、慌てて立ち上がった瞬間、足下に集まっていた触手が不意にボクの足を手前に引っ張った。
 足下のことを考える余裕を失っていた私は、あっさりと足を滑らせてもう一度便座の上に尻餅を付いてしまう。
 して追い打ちをかけるように、壁に張り付いて機会を伺っていた触手が、足や手に絡み付いてきた。

 ズボンは脱がされて、足下で触手にくしゃくしゃに丸められている。
 足は左右の壁に触手によってしっかりと押さえつけられていた。

「なっ、なにする気……、こんなことしたら、魔女様が……んんんっ!?」

 そう言いかけた瞬間、口の中に太い触手が入り込んだ。
 口の中で先端から細い触手が突き出てきて、舌を絡め取って、口の中で暴れ回る。

「んんっ……んんーーっ!」

 首を振って外そうとしても、手足を押さえられているせいで上手く動けず、触手を口の中から追い出すことがどうしても出来ない。
 そうしている間も、もう、個室の中に溢れかえっている無数の触手は、抵抗できなくなったボクの身体のあちこちに、じわじわと触れてくる。

 最初は触手で胸の先をつつくようにじわじわと。
 次第に無数の触手が大胆に肌をじっとりと舐めるように撫でてくる。
 そのたびに粘液がじっとりと肌に塗りつけられて、ぼぅと頭が惚けるような甘い香りが個室に満ちて、痺れるような刺激が肌を撫でるたびに、耐え難い衝動が下肢を襲い始める。。

 その感覚がじわじわと強くなっていくことで、ボクはやっと我に返った。
 必死で触手を振り払おうと身体に力を込める。

「んっ、んんっ……んーっ…………んんんんーーっっ!!」

 声を張り上げようとしても、開こうとした口の中に新しい触手が入り込んで声を抑え、手足は太い触手が抑えて離してくれない。
 そして、焦って涙目でもがくボクをあざ笑うように、太い触手の先から細い触手が次々と生まれて、針のような細い先端が、大きく開かされたボクの足の付け根をつつき始める。

 そこが、ボクの敏感な部分を、つんと強く突いた瞬間。

 こらえていたそれを我慢できなくなって、ボクはとうとう――――



 ――なんてことになったらどうしようと思ったけれど、別にそんなことはなかった。



「……うぅ、出ないよぅ」

 格子窓から入り込んできた生温い空気が個室の中に満ちていて、なんだか頭がとろけそうだった。









 ふむ、えらく長いトイレだな。

 リビングのいつもの定位置にぺたんと這って、ヒルダから受け取った編み物の教本に目を通しながら、触手に絡め取った編み針を操って毛糸を編んでいく。
 これがなかなかに難しく、私は人間の手というものがいかに巧妙に造られているのかを実感してしまった。
 まぁ、だからこそ、触手でそれを再現することは、私にとってのプラスになるだろう。

 そんなことを考えつつも、廊下の方に向かわせた触手の先端に造った目で、トイレのドアをじっと見る。
 もしかして何か不具合でもあったのだろうか?
 そもそもトイレに足を踏み入れたことのない私には、どう不具合が起こるのかもよく分からないが。

 しかし、どうしたものか。

 言葉が通じない相手が側にいるというのは何とも奇妙である。

 なんだかこちらをチラチラと見ているようでもあるし、何か言いたいことがあるのかと思って言葉を促すと、逆に慌ててごまかしはじめるし、一体何がしたいのか。

 まさか、私に愛の告白でもしたいのだろうか?

 なるほど、トイレから出てこないのは私がこの飢えに耐えられずにやってくるのを待っているのか?

 いやいやいや。
 あまりにも馬鹿げた考えだ。勘弁していただきたい。

 排泄行為を行う場所で神聖な愛の営みを行うなど罰が当たるではないか。
 というか、場所がどうであるかなどを語る以前に、その二つを結びつけるのは私には無理だ。
 なんというか、ダメだなのだ。

 ――――私にだって、興奮できないことぐらい、あるのである。

 排泄行為の必要がそもそも存在しない私には、全く理解不可能な世界なのだ。

 しかし、恐ろしいことに、ヒルダの言によればこの世界の中には、そういった行為に快感を覚えるような奇特な存在が確かに存在するのだという。
 よもやヒルダがそうだったのかと私は恐怖と戦慄に恐れおののいたが、耳まで真っ赤になって破壊魔法を連発してきたところを見ると違っていたらしい。
 そのようなことを私に求められると大変困るので、そのことについてはとても安心した。

 しかし、それはそれとして、えらく長いトイレだ。

 まぁ、そのうち出てくるだろうというとで、私は再び目の前で行っている編み物に意識を戻した。
 なんだかこれやってるとなんとなく落ち着くのだ。

 朝からヒルダにお預けを喰らってるせいで、飢えに飢えているもやもやを紛らすにも、ちょうど良い。

 そう、よく考えれば、ロナちゃんが視界にいないのも、私としてはありがたいとも言えるのだ。
 テーブルの下にぺっとりと這ってるせいで、ついつい下から覗いてしまう健康的な二本の足は、今の私にはなんとも目の毒であることだし。
 ついつい触手で撫でてみたくなる自分を抑えるのにも一苦労なのだ。

 うっかりそんなことをしてしまったら、せっかくの理性の砦が崩壊してしまうではないか。





◆◆◆





「待たせたな。これは、あの時の病気の治療法と、同じような伝染しやすい人間の里にある病気とかの病気とかについての医学書を、魔物語に訳し直したものだ。村の呪術医に渡してやってくれ」

 両手一杯に本を抱えた本をよたよたと持ってきたヒルダさんは、リビングに入るなりボクにそう言った。
 ポロポロと落ちそうになる紙の束を、横から伸びてきた触手がひょいひょいと捕まえてテーブルに載せる。

「うぅぅ、はい……了解です……」

 ボクは、テーブルからよろよろと伏せていた顔を上げて、なんとか言葉を返した。
 自分でも、返事に元気がないのは理解しているけれど、そうするのがやっとだったのだから仕方がない。

「どうした? なにか、えらく疲れた顔をしてるが」

 きょとん、と目を瞬かせて魔女様が私を見る。

「いえ、なにも……まったく…………」

 むしろ、まったくなにも無かったのが、逆にヘンに疲れちゃった原因というか。

 あの後も、色々あったのである。

 トイレから戻ってきたボクを、触手が無理矢理捕まえて、どこかへさらわれるー!と思ったら、手を洗わせようと井戸の前まで引きずって行っただけだったり。
 本の読み方を聞きたくて近付いてきた触手さんに驚いて、椅子ごと触手さんに頭から倒れ込んじゃって、くっついた粘液を泣きながらまた井戸で洗う羽目になったり。

 最後は、うねうねした人も、なんだか迷惑そうにリビングの隅に避難しちゃってたし。

「少し遅くなったが、せいぜい、一時間ぐらいだっただろう?」

 …………うぅ、ボクの中では、24時間ぐらいたったような気分です。

 純粋な厚意で、わざわざ村のためになるものを作ってくれていた魔女様に、まさかそんなことを言ううわけにもいかず、私はなんとかふにゃふにゃと笑顔を作って、こくこくと頷いた。

「えっと、……ちょっと暑くて眠りそうになっただけで、すぐ、でした!」

 そう言ってみたものの、やっぱりボクの笑顔の裏なんてお見通しみたいで、魔女様は頬を掻きながらも、すまなさそうな表情をしてしまう。

「ん〜、まぁ、それならいいが。……悪かったな、すぐ済むと思ったが、備えのことを考えて少し時間をかけすぎてしまったんだ。その分、ちゃんとしたものを作ったから、村の役には立つと思う」

 そう言って、魔女様がポンと叩いた紙の束は、本当に凄そうだった。
 共通魔物語で書かれた病気の説明が、事細かに注意書きを加えながら丁寧に書かれている。
 ボクだけじゃよく分からない部分もあるけど、呪術医のお兄さんなら、本当に役立ててくれるだろう。

「それじゃ、大事に持っていきます! この分のお礼は…………お礼は、えと、……また、持ってきますね?」

 勢いよく頷いて、そう言ったものの。
 つい語尾が弱くなってしまうのは、色々と思い出してしまったせいというか。

 きっと、明日以降、あの夢みたせいで頭の中にあるもやもやが晴れた頃には、すっきりした気分で魔女様のお宅に来れると思うので、そのときを楽しみにしよう。

「ああ。次に来たときには、ちゃんと相手出来るように時間を作ろう。今日はすまなかったな」

 少し微笑んで、魔女様はそう言ってくれた。

「はい!」

 そんな風に気遣ってくれるのが嬉しくて、ボクも勢いよく頷く。
 けど、その直後の展開は完全に予想してなかった。

「じゃあ、お前、ちょっと送ってこい。どうせもう村までの道は憶えてるんだろう?」

 軽く足先で触手を蹴って、魔女様がそう言ったのだ。
 リビングの端の方で埋もれていた触手の塊は、丸く開いた目でしばらく瞬きをしていたけれど、結局諦めたようにぬるぬると触手を這わせながら床を這って僕の前までやってくる。

「え、あの……ええっ?……あの、もしかして、送るって……?」

 おそるおそる魔女様を見ると、怪訝そうな表情を返された。

「ん、嫌だったか?」

 このうねうねと蠢いてる触手の塊にまたがって移動することに、魔女様はまるで疑問も感じてない様子で、本当に不思議そうに聞いてくる。
 そりゃ、この前は乗せて貰いましたけど、蓋りっきりで、誰もいない森の中を乗せて貰うなんて。
 そんなの、まるで――――。

 魔女様の横では、触手を絡ませながら立ち上がった塊が、大きい目を丸く開いてボクを見ている。

 うぅぅぅ、そんなこと、本人を目の前にして言えるわけないじゃないですか!?

「……え、えーと」

 触手の人がじっと丸い目を開いてみているのを見返す。
 胸が急に激しく高鳴って、頬がドンドン熱くなってくるのが分かる。

「い、嫌じゃ、ないです…………けど」

 ぼそぼそ、とボクは答えた。





 そして、暗い森の中で。

「やぁっ……ウソっ……こんなのっ、……おかしい……っ」

 ズボン越しに、足の付け根の部分に太い触手が押し付けられて、激しく前後にボクの身体を揺すり上げる。
 触手の内側に無数に突き出ている突起が、何度も何度も押し付けられて、そのたびにボクの足腰に痺れるような感覚が端って、頭が真っ白になりそうになる。

 がっちりと足を掴んだ触手は外れる様子もなくて、腕も触手にとられているので腰を浮かすこともできない。
 ボクの全体重が、そのままボクの身体を触手の刺激に押さえつける枷になっていた。

「あっ…………んぅ……あぁっ……くっ…………んん……ん……っ……」

 堪えようとしても、耐えきれないくらい熱い息が口から漏れてしまって。
 ボクは、涎が口の端から零れてしまうのも構わずに自分の大事なところをその触手に押し付けていた。
 嫌なはずなのに、どうしても止められない。

「もっ……やぁ…………ぁ……ああああっ……!」

 そしてボクは、どうしようもない気持ち良さに全身を震えさせて、触手の中に体をうずめるようにして脱力してしまった。

 行為の間、がっちりとボクの脚に絡み付いて押さえつけていた触手が、蠢きながら足首を持ち上げると、細い触手がするするとズボンに入り込んでくる。
 ぬるりと触手の粘液が肌を擦る感触。

「ひっ、……ひゃぅっ!」

 熱い棒が押し付けられたみたいに、ボクは腰を跳ねさせて悲鳴を上げた。

 反射的に腕に力を込めるけれど、がっちりと腕を掴んだ触手は力を緩める様子はなかった。
 ボクが抵抗できるのを理解してるのか、触手はまるで嬲るようにズボンの中に入り込んで、前を留めるボタンを弄ったり、下着を引っ張ったりしている。
 好き放題に自分の服を弄られる感触に、ボクは頬が熱くなるのを感じた。

「なっ、なにするの…………」

 薄れかけていた羞恥心がまた戻ってきて、問い質そうとした声にも力が入らない。

 そして、ボクの質問なんてお構いなしに、触手はズボンの左右の端に絡み付いて、ボクの半ズボンを、下着ごと、するすると引き下ろしていった。
 足をばたつかせて抵抗しようとするけれど、足を絡め取った触手はしっかりとボクの足を掴んだままで、腹が立つくらい器用にその行為を終えてしまう。

 さっき触手に虐められたせいで、ぐっしょりと濡れてしまっていた下着が、脱がされた後も無数の触手の中で弄ばれている。
 だけど、そんな触手の行為よりも、自分の恥ずかしい箇所が晒しものにされたことの方が、今のボクには耐えきれないほど恥ずかしいことで。
 それをよく分かっているのか、触手もボクの足を掴んで左右に大きく引っ張った。

 触手の中に生まれたいくつもの目が、大きく開かされたボクの身体を見る。

「やっ……見ないで…………っ」

 無数の目から視線を逸らして、ボクは弱々しく口を開くことしか出来なかった。
 ついさっき、あの触手に恥ずかしい箇所を擦られて、自分がどれくらい喜んでいたのか、見せつけられる。

 ボクがこれからなにをされるのか、もう分かっていた。
 だけど、もう逆らえない。

 それが分かっているのか、無数の触手は何もしないで……じっと、ボクを見ている。

「………………おね……がい、します……。……もう、イジメないで……」

 それ以上のことは、恥ずかしくて言えなかった。
 ゆっくりと、濡れた触手が、うねり蠢きながら、左右へと分かれていく。

 その向こうから、一本の……黒光りするような……太くてツルリとした表面の――――




 太  い  麺  棒  が  出  て  き  た  。





 そしてその太い麺棒を手に、大開脚をさせられたままのボクにずんずん迫ってくる魔女様。

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、魔女様……魔女様なんでぇぇぇぇええええ!?」

「いいから」

「よーくーなーいーですっ!……なんでこんなっ……って! そんな太いの、ボク、絶対無理で……っ!!」

「いいから」

「やぁっ、いやぁぁあ……んっ…あっっ…押、押し付けないでっ……無理っ、ぜったい、無理ーーーーっ!!」





「……むぅぅぅ、なにが無理なんじゃあ?」

 目の前に、造形の少ない顔の中にぽつんとくっついた二つのつぶらな瞳があった。

 ゴブリン族の男連中独特の簡単な造形の顔と、それに全然合ってない鍛えられた肉体。

 ゴブリンなのに冒険者に緑色のキングトロルと勘違いされて、気が付くと魔王城に配備されていて勇者連中のの経験値稼ぎ攻勢に大変難儀したという。
 その無駄なぐらいの立派な巨体は、忘れたいのに忘れられない。

 つまり、目の前にあるのは間違いなく、ボクのお爺さんの顔だった。

「…………で、……で…………で…………」

 それを理解して、自分が帰宅と同時布団の中に潜って眠ってしまったのだということを思い出して、ついでにあのうねうねした人が実際は最後まで触手一本触れてきたりはしなかったことを思い出して。

 にも関わらず、今までボクが見ていた夢の映像が、頭の中でもう一度再現されて。

「で?」

 お爺さんが、まるで紙芝居屋さんに話の続きをねだる子供みたいに、身を乗り出して聞いてくる。
 自分の頬が、耳が、顔全体がどんどん熱くなっていく。

 ボクは、大きく息を吸ってから、声の限り叫んだ

「出てけぇぇええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーっっ!!」

 扉の向こうでお爺さんの足音が去っていったのを確認してから、ボクはぐったりと布団の中に突っ伏した。

「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!」

 じたばたとベッドで暴れる。
 自分のあまりの恥ずかしさに、いっそ死んでしまいたかった。

 下着も当然、また処分した。
 感触からそうなのだと分かっていても、パジャマのズボンの端を持ち上げて、穿いていた下着の惨状と、触れたときの絶望感は忘れられない。
 ズボンも急いで履き替えて、夜のウチにこっそり洗わないと。

 そうして泣く泣く新しい下着を探したら、朝に処分した筈の下着が綺麗に洗われた上で下着入れの中に入っているのを見付けて、本格的に死んでしまいたくなった。









「んっ……あぁ……はぁっ…………もぅ、これくらいで、いいだろう……? いい加減にっ……んんっ!」

 少し悪戯が過ぎたらしい。
 触手の先を唇に絡めていると、軽く歯先で噛まれて、慌てて私は触手を引っ込めた。

 そう、怒らないで欲しいのだが。
 なにしろ、私は丸一日間も食事をしてないで耐えてきたようなものなのだ。
 確かに人間ならばそれでも問題はないだろうが、私の肉体は人間と違ってエネルギー効率が悪いらしく、半日が過ぎた頃には強烈な飢えでだんだん頭が回らなくなっていた。
 ともすれば、私ははじめてヒルダと遭遇したときの、あの獣同様の存在に逆戻りしてしまいそうだったのだ。

「あー……悪かったよ。お前、ヤらないと飢えるんだったな……」

 しかも、飢えた私の前に、ロナちゃんという格好の餌がぶら下がっていたのだ。
 紳士として望まぬ相手に襲いかかるのは堪えたものの、あの数々のハプニングは我慢の限界にも程があった。

「……我慢って。そもそも、普通の紳士は来客を襲おうとか思わん」

 いやいや、確かにロナちゃんはそうとは見せないようにしていたようだが、私をチラチラと見る目には確かに意識している様子と、静かな信頼的なものが感じられた。
 きっと、逢瀬を重ねていけばいつかは心だけではなく分かり合えるようになれる時が来るであろう。
 なにより、最後に私が送っていった時に拒否しなかったのが証拠だ。

 絶対の信頼がなければ、二人きりになるような危険な行為は出来なかっただろう。

「それは妄想だろう。この前の怯え方を見ただろ? あれだけ酷い目に遭って、また自分からヤられたいなんて思うものか。むしろお前の側にいて、嫌悪感をまるで見せなかったことの方が驚きだ」

 しかしそれだと、ヒルダはロナちゃんに怖がってる私に乗れと命じた恐ろしい悪女ということになるのだが。
 てっきり私へと嫌がらせかと思ったのだが。

「あー、すまん。久しぶりに研究に集中してたからな。熱中するとちょっと周りがおろそかになるのは自分でも自覚してる。……今度、埋め合わせはするつもりだ」

 まぁ、それがいいだろう。
 ロナちゃんは、ヒルダにえらく懐いてるようだったから喜ぶに違いない。
 君たちが二人で話しているときのあの空気には、私ですら近寄りがたいものがあるからな。

「はぁ……なんだそれは。まったく」

 ところで、埋め合わせという言葉で思い出したのだが、あの娘さんに色々と接触したのに必死に耐えねばならなかった私にはないのだろうか。
 具体的には、色々と我慢していた分、今すぐその埋め合わせが欲しいところなのだが。

「……またか? はぁ…………まぁ、いいだろう。ちゃんと研究終わるまで邪魔しなかったしな。……うん」

 溜息を一つ落としながらも、ヒルダは薄く微笑んで長い金の髪を掻き上げる。

 そうして、私の本体へと体重を預けてくる彼女の前に、私はひょいと一本の触手を差し出した。

 ところで、研究の時に付けていたメガネを拾ってきたのだが。
 ちょっと付けてくれると、本日一日待たされた分の利息にちょうどいいのではないだろうか。

「はぁ……なにをするかと思えば」

 溜息を吐きながらも、ヒルダは私の触手の先に手を伸ばし、その眼鏡の弦を手にした。

「…………変態め」

 もちろんだ。

 魔法で作り出した光に照らされて、小柄な少女の影が、もう一度無数の波打つ触手の中に引き込まれていく。

 やがてその光も消えたが、彼女の上げる甘い声だけはいつまでも寝室に残っていた。









つづく