「……というわけで、『不用意に怖がらせて大変申し訳ない。どのような罰も受ける所存なので是非とも謝らせて欲しい』とコイツが言っているのだが」
「え、あ……ぅ…………はい……」
謝意を込めてとりあえず地面にぺたりと這ってみると、ヒルダに上から踏まれた。
そのまま容赦なく靴の踵を食い込ませてくるヒルダに屈辱を感じると共に、靴じゃなくて素足ならばこういったプレイもアリなどと思っていると、今度は蹴られた。
ヒルダのキックを受けて、フライパンの上を舞うホットケーキの勢いで宙を舞う私。
それを見て慌てて止める少女。
「あっ!
そんなに怒らなくて良いですからっ!
ボクも、その、不注意だったっていうか……」
どうやら、私の意志は間違いなく伝わってないらしい。
ヒルダが私にいわれのない折檻を加えているように見えたらしい、おお、なんと鬼畜なのだろうか。
さらに少女の謝罪は続く。
「ごめんなさい!
その、ボク、まさか魔女様が、その、あ、ああ、あああああ、愛し合ってる、最中だったなんて……全然、わかんなくて……」
おお、顔がドンドンうつむいて、トマトマもかくやと真っ赤になっていく。
話を続ける少女の声が物凄く引きつっているのは、ついつい私とヒルダとの愛の営みを思い出してしまったからだろう。
顔は真っ赤で、視線は宙を泳ぎっぱなし、脚は落ち尽きなく内股を擦り合わせている。
見たところあまり経験豊富ではなさそうなこの少女には、あの激しい営みはいささか刺激があり過ぎたに違いない。
それに輪をかけて、その後の経験は彼女に度を超した羞恥の感情を植え付けてしまったようだ。
しかしその初々しい反応には興味をそそられる。
「あっ、で、でもその、いきなり三人一緒にとかっ……ボク、そういうのまだだし……、……ダメです!
ダメですよ……っ!?」
思わずじーっと見てたら、慌てて手をバタバタ振ってなんか顔を隠す少女。
いや、なにも私の視線にそんなに怯えることはないだろうに。
それとヒルダ、今のやりとりの何が悪かったのかはよく分からないが、黙々と私に麺棒を叩き付けるのは中断して欲しいのだが。
「うるさい黙れ」
なにかしら腹の立つことでもあったのか、ヒルダはキッチンから取り出してきたやけに大きな麺棒で、出し抜けに黙々と私を殴打しはじめた。
力の篭もった重い音がリビングに響くのを、ゴブリンの少女はビクビクとした目で見ている。
それはそうだろう、目の前で生物が見る見るひしゃげていくのを見て平静になれるはずもないし、むしろ“次はお前だ”的なメッセージに受け取ってしまいかねない状況だ。
完全に人よりも長めの耳が、ぺたんと垂れてしまってる。
「あっ、あのっ、そんなに怒らなくても……」
だが、あからさまに怯えている少女のことなどお構いなしにヒルダが口を開く。
目が怖い。
「いいからこの変態生命体のことは気にするな。……というか、さっき見たものは忘れろ」
私から見ても怖いのだ、この少女からすればもう猛獣に牙を剥かれるかの如き恐怖であろう。
「……え、でも、その、さっきは」
「忘れろ」
「あ、う、え?」
「わーすーれーろー」
「は、はいぃぃぃ…………」
ヒルダの激しい脅迫によって、ゴブリンの少女は屈してしまった。
力が事実をもねじ曲げて信念を折り、暴力が幅を利かせるという恐ろしい悪循環の好例である。
ところで暴力と言えば、麺棒で殴られすぎてだんだん私の体がだんだん平面に近付いてきたのだが、もしやヒルダは私をこのまま折り畳んでラーメンにでもするつもりなのだろうか?
今の時点でも十分麺類として通用しそうな肉体を有しているのだから、これ以上麺類に近付くのは勘弁して欲しいのだが。
「そうなっても私は絶対に喰わんぞ」
ぽい、と麺棒をテーブルに放り捨ててヒルダが言い捨てる。
物凄く素っ気ないのは、やはりこのゴブリンの少女の視線を気にしているのだろうか。
先ほどの脅迫の際も、若干ながら照れが入っていた様子があったことであるし、そういうことならばもっと可愛らしい表現の仕方というものが――
なんかまた水球が割れるような音がして、私の体が半分ほど吹き飛んだ。
これで三回目である。
私の再生能力は本日フル稼働だ。
「ああああ、あのっ、魔女様っ!
ボクはもういいですから!!
さっきのこと、気にしてないですし、いきなり入ってきたのが悪かったっていうか……だから、これ以上はもう…………」
体液と肉片をまき散らしてぐったり倒れている私がよっぽど悲惨な状態に見えたのか、ゴブリンの少女が心優しくも私の助命を嘆願する。
ああ、あんな目に遭わせたというのに本当にいい子ではないか。
私とヒルダのやりとりが伝わっていないので、なにやら盛大な勘違いしているようでもあるが。
「いや、そこはちゃんと気にしておけ。気にしてなかったら絶対また同じコトされるぞ?」
「えぇっ!?」
ヒルダの言葉に、ゴブリンの少女は言葉を引っ込めて、びくりと身をすくめて私を見た。
人間よりも少し長めの耳が緊張にピコンと立っている。
なんとなくそうしなければならない気がして、私は勢いよく再生しながら立ち上がってみた。
「ひゃあああああああぁぁっっっ!!?」
目をぐるぐると回しながらソファの影に慌てて駆け込んでいく少女。
うむ、なんというか、可愛いじゃないか。
「お前も遊ぶな」
ポカリともう一度持ち上げた麺棒で私を叩いて、ヒルダがソファの影に逃げ込んだ少女をぐいぐいと引っ張り出す。
そんなことをやっていたせいか、彼女がわざわざヒルダの自宅までやってきた理由を聞き出すまでは、多少の時間がかかってしまった。
……話を聞いて、私とヒルダがさすがに申し訳ない気分で顔を見合わせたのも仕方あるまい。
4話 「疾走! 触手生物、村へ!!」
ゴブリンの少女は、自分のことをロナと名乗ると、ここに来た事情を素早く説明してくれた。
話しているうちに村の状況を思い出したのか、最初の怯えた顔から、村の長の娘として村のことを思う、真剣な表情になっていく
責任感や義務感だけではなく、本当に村のことを思っているのだろう。
そして最後にロナちゃんは、自分が払える範囲ならば、望む限りの代償を払うと約束した。
実に良い子である。
こんな子の願いを叶えるのが、魔女の役目だと思うのだが、どうだろうか?
「すぐ村まで案内しろ。どうせそんなことだろうと思ったから、必要そうな道具はもう揃えてある。それとお前、乗せられるなら私たちを運んで行け。お前の力ならそれぐらい余裕だろう?」
ヒルダは躊躇いもなくそう答える。
もちろんだとも。
勇気ある少女のために、この私も森を駆ける一陣の風になろうではないか。
そんな意志を込めてロナちゃんへとへすーっと太い触手を伸ばしてみると、彼女はすかさずヒルダの陰に隠れて、怯えた目でこっちを見ている。
……うむ、なんだか少し傷ついた。
さっき私の意志が伝わってなかったっぽいことも考えると、どうやら最後までコトに及んだ相手以外には、触手で触れても私の意志を伝えることはできないらしい。
仕方なく、にょろにょろと先に家の外へと出る。
急がないといけないのは間違いないのだ、決心が付いたら外へ出てくるだろう。
「そいつが村まで私達を乗せていく。事の最中でもなければ血迷って襲いかかってくることもないから、安心して乗れ。一刻をも争う状況なんだろう?」
「…………は、はい……すいませんっ……ボク、つい…………」
「私に謝らなくて良い。今の自分に必要なものが何かをよく考えて、そして行動しろ」
そんなヒルダとのやりとりが家から聞こえて、おずおずとロナちゃんが玄関から出てきた。
「あの……よろしく、お願いします……」
ちゃんと決心が付いたのだろう、ぺこりと頭をこちらに下げてくれる。
それでも触手を伸ばすと小兎のように震え出す様子に多少の罪悪感を感じて、あまり刺激しないようにやんわりとその細い腰を掴む。
そのままひょいと背中に乗せると、ロナちゃんは小さい悲鳴を上げてしがみついてきた。
「きゃ……」
怖々と背中に触れてくる手に触手でぺしぺしと触れると、慌てて手が引っ込んでしまう。
まぁ、こんなものだろう。
玄関の閉じる音がして、明かりの消えた家からヒルダが出て来て私を見上げた。
「よし、行くぞ」
言われるままにヒルダに触手を伸ばし、その腰をくるりと掴む。
すると、ヒルダは申し合わせたように私が引く力に合わせて地を蹴り、私の背に跳んだ。
その腕が吊していた大きな鞄を受け取り、太い触手で落とさないよう固定する。
よし、これくらいの重さなら何の問題も無しだ。
最後に一度大きく体を揺すって、二人が走っている途中に零れ落ちないよう、ちゃんと捕まっているのを確認してから、私は地面を蹴って森へと駆けだした。
森の中へと入るなり、前方に青白い光が浮かび上がる。
「わっ……ひっ、人魂っ!」
こらこらロナちゃん、そんなにくっつくと私の触手に君の色んなところが当たって、またムラムラしてしまうではないか。
「……走ってる最中にアホなことを考えるなよ?…………あれは、私が魔法で喚んだ鬼火だ。森の外までアレが案内するから、お前はあれを道しるべにして走れ」
なるほど、鬼火は道しるべのように連なって森を照らしている。
私はそれを追うように走り続ければいいというわけか。
私の走るスピードに合わせて、鬼火は左右に延々と灯っていき、通り過ぎると消えていく。
青白い炎は何とも陰鬱で、私にすらどこか身震いするような不気味さを感じさせた。
だが、私の上に載せた二人分の重みがそのような不安を打ち払ってくれる。
具体的にはくっついてくる肌の柔らかさとか、丸くて柔らかいお尻の感触とかが。
触手を腰にしっかりと巻き付けているので取り零したりは絶対しないのだが、それでもちょっと揺れたりすると、怖がって必死に縋り付いてくれるのがとても良い。
思わずわざとゆらゆら揺れたい気分になってくる。
「……いらんこと考えてると、むしり取るぞ」
「すすす、すいません、魔女様!
まだ、ちょっと、怖くて!!」
おお、なんと恐ろしい。
鬼のようなヒルダは、一体罪のないロナちゃんのどこをむしろうというのか?
もしかして自分には生えていない下の方の――――
ブチリ
「よしよし、ロナのことを言ってるわけじゃないから、安心しろ?」
「ままま、魔女様、触手、もげちゃってますよっ!?」
「いいから。どーせそのうちまた生える」
痛みはあるのだから勘弁して欲しいのだが。
これ以上あちらこちらをむしり取られたのでは堪らないので、私は前方を見据え、ただ木の隙間を駆けることだけに集中することにした。
視界に入る木々を避け、時に触手を絡めて勢いを増す道具にし、時には障害物になる木を触手でねじ曲げて隙間を抜けていく。
触手を使って全速力で駆けたことはなかったが、体がその方法を覚えている。
この無数に生い茂った木々の中は、普通の獣にとっては障害物に満ち溢れた歩みにくい場所かも知れないが、この私にとってはとても加速をしやすい空間だ。
障害であるはずの木々が、代わりに加速のための手段となってくれる。
「ひゃぁっっ、はひっ……はやっ……速いです魔女様ぁっ!」
「くっ……確かにこれは、予想以上だ……っ!!」
いつしか、私の速度に耐えるのが難しくなったのか、背に乗せていた二人は、私の触手に必死にしがみつくのがやっとのようだ。
小さい体躯が、太い触手を離すまいと腕を回し必死にすがりついてくる。
いかん、激しい揺れが巻き起こす衝撃のたびに、振り落とされまいと強く掴まれて、それが故に彼女たちの色々と柔らかい部分が私の触手に押しつけられて――
胸の感触からして、ロナちゃんの方が上か。
ブチブチブチリ
「魔女さまーーっ!?」
「いいから」
「ひゃっ……ひあああっ!
血がっ、血が飛び散ってきますーっ!!」
「いいから」
よーし、なんか出血で気が遠くなってきたから余計なことを考えられなくなってきた。
この調子で走ってればきっとそのうちに目的地に辿り着く。
そうしたらまずヒルダにしこたま謝ろう、私の体から触手が全部もがれて、千切れた触手の痕だけが残ったつぶつぶボールみたいになってしまう前に。
◆
「……あの、魔女様、この方は一体何をされているのですか?」
私の必死の謝罪表明は、ロナちゃんには何か儀式的な意味合いの踊りのように映ったらしい。
なるほど、私の意志が伝わらない彼女からは、触手を地面に這わせてリズミカルに上下に揺れ続けるその動きはさぞかし神秘的かつ美しい儀式のように見えたのだろう。
「気にするな。ちょっと主人への忠誠を改めて誓いたくなっただけだろう」
身も蓋もない説明がヒルダの口から出る。
本気でなにか意味があるとでも思っていたのか、驚くロナちゃん。
「えぇっ、そーだったんですか!?」
「あぁ、へーこら謝ってた」
謝罪の表明をそのようないい加減な言葉で説明しないで頂きたい。
私はあくまで紳士的に、他社の肉体をあげへつらうような差別的な意識を持った自分を恥じ、ツルペタでもツルツルでも平等な愛を注ごうという決意を示しただけで――
上から振り下ろされた衝撃に体がへこむ。
私は、また少し平面に近くなった。
「……あの、魔女様、その麺棒はいったいどこから……?」
「いいから」
「は、はい……っ!」
なにか先ほどのやりとりがトラウマになったのだろう。
ヒルダの返事を聞くと、あからさまにロナちゃんはビクッと震えて全身で了解の意を示した。
「とりあえず馬鹿はここまででだ。ロナ、間違いなくここがお前の村なんだな?」
ヒルダの言葉に、私も潰れるのをやめて立ち上がり、抱え込んできた治療の道具の入った大きな鞄を太い触手に吊してヒルダの側に下ろした。
「はいっ!
病人の介護に使っていた屋敷に灯りがありますから、まだみんな起きてると思います!」
なるほど、病人の中には介護を一晩中しないといけないような重態の人もいるのか。
これはさすがに、馬鹿をやっているワケにもいくまい。
「よし、それならすぐに治療に取りかかるぞ。案内と村人への説明は任せる。私を信用しているなら、全ての村人達にちゃんと治療が出来るように、間を取り持ってくれ」
「任せてくださいっ!!」
ロナちゃんはドンと胸を叩いてヒルダの指示を請け負った。
部外者に村人の治療を任せさせるよう説得するなんて、いくら長の娘のロナちゃんでも、信用が問われるような難しい役目だろうに。
「お前は、薬箱を持って付いてこい。治療の助手をさせる」
いや、それは無理だろう。
私のこの見た目が他者にとってどう映るか考えればすぐに分かると思うが、どう考えても私は治療の助手にしては見た目が凶悪かつ卑猥すぎる。
私は村の外で待機しておくというのがこの場の正しい判断だろう。
そういうわけで、私は大きな鞄を地面に置いて、村の外れへと移動を始めたのだが。
背後から触手の一本を掴まれた。
「…………付いて来いと言っただろう」
後ろに目玉を作りながら体全体を後ろ向きに作り替え、触手を掴んだままじっと私を見上げているヒルダを見下ろす。
睨むような彼女の視線からは、いったい何を考えているのかはよく分からない。
私のような怪物を従えているということをこの村のゴブリン達に示すことで、自分にまで害が及ぶ可能性をヒルダは理解していないのだろうか?
ただでさえ魔女なんて悪いイメージがあるというのに、これ以上評判を落とす必要もなかろう。
そう理解しているはずだし、していなくても今理解したはずだ。
なのにヒルダは私の触手を離そうとしない。
「あ……あのっ、魔女様と……えぇと、その、うねうねされた方!」
私たちを見ていたロナちゃんが口を開く。
……名前を名乗れないからと言って放置してたら、呼び方が凄いことになっていた。
「村のみんなは、少し怖い見た目の魔物だって、同じ魔物なら仲間だって分かってますから怖がったり嫌ったりはしないです!
魔女様だって、いざという時にちゃんと助けてくれる人だって分かったらみんなだって……」
彼女は、両手をばたばたと振って、必死になって私を引き留めようとしてくれている。
本当にこの娘は真面目な子だ。
それに、自分の村のゴブリン達を心底信じているのだろう。
……うーむ。
ロナちゃんに向けていた視線を、再び私を捕まえているヒルダへと向け直す。
変わらず、ヒルダは私をじっと見上げていた。
「だそうだ。…………それならば、いいだろう?」
あれだけ助け船を出されて、さらにヒルダにそんな風に頼まれて、断れるわけがあるまい。
私は地面に置いた大きな鞄を触手で掴み直して、村の方へと這い進みはじめた。
「あっ、あの……お二人ともっ!」
私とヒルダが村の柵を乗り越えて村の中へ入った直後、唐突にロナちゃんが駆けだした。
何故か私の前へと回り込んで、大きく両手を挙げる。
「ようこそ!
ゴブゴブ村へ!!
今、こんな時間だし、大変なことになってるけど、ボクはお二人を歓迎しますっ!」
なんというか、色々いっぱいいっぱいだろうに、律儀な娘である。
それに、なんともつたない歓迎の言葉だったが、人里など経験のない私には少しだけ嬉しかった。
……だが、すまない。歓迎されてなんだが、そのネーミングセンスは酷すぎると思う。
あれか、人間の村だとヒトヒト村なのか。
◆
ヒルダの手際は素晴らしく、たった数時間で病人達の検診と治療は終わった。
どうも、外部との接触のあるゴブリンが、人間の商人かなにかからうっかり伝染されてきた風土病だったらしく、ヒルダはその対処方法を熟知していた。
数日もすればみな元気になると聞いて、村人達は大喜びであった。
とはいえ、夜中に家を出ただけあって、私たちが村を後にする頃にはすっかり深夜を通り過ぎ、もはや日も昇ってきそうな時間となってしまった。
今は背中にヒルダを乗せて、ゆらゆらと帰宅の最中である。
さすがにお子様に夜更かしは辛かったのか、ヒルダはすっかり眠りこけている。
「…………寝てない。……誰がお子様だ……」
訂正。舟を漕いでいる最中である。
まぁ、やるべき仕事は果たしたのだから、寝てしまっても問題はないのだが。
「……誰が、お前の背中なんぞで寝るか……またヘンなことする気だろう……全く……」
そんな風に誘惑されるとちょっと衝動に駆られてしまいそうだが、今夜のところはやめておこう。
なんだかんだ言って私やヒルダに怯えていたちっこいゴブリン達が、最後には治療の手伝いを進んでしてくれて、帰り際には何度も礼を言っていた。
そんなものを見たせいで、少し自分の在り方というものを見直したい気分なのだ。
あと、してる最中に相手に寝られたら凹む。
「…………台無しなヤツめ」
もう急ぐ必要もないし、あまり揺れないように、茂みをかき分けながら森を歩いていく。
来るときに見た目印がないのが難儀だったが、村に向かう時に急いで駆けてきたお陰で、あちこちに私の残した移動の跡が残っている。
先ほどから時々視界の端に見える、影のない青白い人影さえ無視しておけば、まっすぐ家に戻るのには問題ないだろう。
これが、死霊使いの森の所以か。
家の周りには出てこないから初めて見るが、慣れると意外と気にならない。
こういうのも私が怪物だからだろうか。
「ふぁふ……それは、お前が鈍感なだけだろぅ…………?」
そういえば、ヒルダはそういうのに敏感だったらしい。
村に入るなり集まってきたゴブリン達に、ヒルダは多少怯えていた。
甘く見られないようにとばかりに虚勢を張っていたが、いつも触れている私の触手を握りつぶさんばかりのしっかりと掴んでいたので間違いはないだろう。
こんな人気のない森の奥に引きこもっているから対人恐怖症になるのである。
「……別に、それが原因じゃない」
なるほど、対人恐怖症だから、人気のない森に引きこもっていたのか。
それならば道理ではある。
「………………」
そういえば、本人は治療に集中していたから気付いていなかったようだが。
ゴブリン達は別の意味で私のことでヒルダを誤解していたようだ。
「…………?」
治療を手伝ってくれた奥さんが『やっぱり一人で暮らで寂しいからこんな凄いのを……』とか、『バカねぇ、こんな凄いのがあるから一人暮らしでもいいんじゃない』とか、しきりに私のことを賞賛して憧れの目で見ていた。
禿頭に牙の生えた妙に簡単な造形のゴブリン族の男連中に比べて、割と人間に近い造形のゴブリンの女性に褒め称えられるのは悪い気はしなかったが、ちょっと視線が怖かった気がする。
だがヒルダ、少なくとも君は彼女たちに羨ましがられていたぞ、自らの立場を誇るが良い。
「今から村に戻れ……ちょっと滅ぼしてくる……」
たった今村の危機を救ってきたばかりで、いきなりらそれはないだろう。
「誰が欲求不満の寂しい一人暮らしだ……私は別に相手に飢えてない…………」
私は常時飢えているぞ。
しかもいつでも挑戦者募集中だ。
「…………阿呆」
吐き捨てる声もか細い。
意地を張らずに、そのまま寝てしまっても良いだろうに。
そういえば、ロナちゃんも最後まで無理矢理起きて頑張っていた。
ヒルダの家まで森を抜けて全力疾走した後での治療の手伝いなんて相当なオーバーワークだっただろうに、あの娘は最後までフラつくどころか欠伸一つせずに、ヒルダの治療を手伝い続けた。
無事に治療が終わって安心したのか、村の外まで見送りに行こうとしながら、すとーんと地面に倒れてそのまま寝ていたのはなかなか衝撃的な光景だった。
慌てて助け起こすと、ふにゃふにゃと目元を擦りながら最後に『ありがとうございました』とか言って、そのまま寝てしまった。
シチュエーションのせいで、一瞬死んだかと思ったのは秘密である。
そのまま熟睡してびくともしない様子だったから、ゴブリンの戦士のおっさんに預けておいた。
今頃は柔らかいベッドの中で幸せな夢を見ているだろう。
もしかしたらやらしい夢かも知れない。
色々と若い性を刺激するようなことをしてしまったし、あの年頃の娘さんの記憶にはしっかりと染みついてしまっただろうから、夢の中に出てもおかしくないだろう。
あまり激しい夢を見てしまって、恥ずかしいことになっていなければよいのだが。
「………………」
ふむ、どうやら眠ってしまっていたらしい。
どうやら私も、思考するのに相手を求めてしまう癖が付いてしまったようだ。
とりあえず、あの可愛らしいゴブリンの少女のことは胸にしまっておくとして、今は背に乗せた方の少女を無事に家に送り届けることに集中することにしよう。
体重を預けてくる小さな体躯は、無防備すぎて扱いに困る。
……まぁ。
その重さも、悪い感覚ではない。
私の中の飢えが耐えず欲望を求め続けているのもまた確かなことだが、だからといって、ただそれのみの為に生きていくのが能でもないだろう。
それに、自分ばかりが満足するのは紳士的ではないではないか。
つづく
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