その人を初めて見たのは、一年も前。
 ボクが男の子と混じって森の中を駆け回っていた頃のことだった。

 その日ボク達は、狩人もどきになった気分で森を駆け回って遊んでいた。

 その最中、少年の一人が、突然怯え始めたのだ。
 今すぐ家に帰りたいと言い出すその子を不思議がりながらも、本気で怯えきった様子に、他の子にも恐怖が伝染していくのはあっという間だった。

 意地っ張りだったボクだけが、そんなの気のせいだと言い張って、森の探索を続けて。
 そして、見つけてしまった。

 薄い乳白色の霧が漂う森の中、薄い布のように宙を漂い続ける白い影、森の木の間にぽつぽつと立っている、青白い肌の無数の人間たち。

 “死霊使いの森”

 父親が夜に眠る前に話してくれた物語を思い出す。
 ボクは、そんな話は単なる迷信だと、父親に言い返したと思う。
 魔女なんてどうせただの人間もどき、人間なんかにそんなことはできない、と。

 ボクは、大人達の何人んはその魔女と時々会っていて、薬とか、魔法の品とかを食料と交換しているという話を知っていたから、そう答えることができた。

 商売の相手が、そんなお化けみたいなモノのはずがない。
 どうせ人間に追われて逃げてきた人間が、ボクたちのことが怖くて噂を広めてるんだ。

 だけど、いつの間にか周囲は白い霧の中に押し包まれていて、鳥の鳴く声も聞こえない。
 さっきまで射し込んでいた陽の光すら、もう何処にも見えない。

 泣くことも叫ぶことも暴れることも出来ず。
 ただぼんやりと、ボクは自分がもうダメなんだと感じていた。
 きっと、今にも、こいつらの手が伸びてきて、ボクは遠いところへ連れて行かれるのだ。

 ほら、今にもあの青白い肌の人間の手のひらが――――

「坊主、こんな森になんのようだ……?」
「きゃああああっっ!?」

 肩に触れられた手のひらの感触に、ボクは素っ頓狂な悲鳴を上げて犬のように這いつくばった。
 腰の力が入らなくて立ち上がる事も出来ず、ボクはみっともなく四つ足を地面に付いたまま、恐怖に震えながら声のした方を振り返った。
 そして、私に声をかけた人物は、そこに立っていた。

 村の結婚式でだけ使うことが許されている純白のドレスのような、ボク達とは全然違う、絹のようになめらかな汚れ一つない白い肌。
 小人の職人の一世一代の腕をかけた黄金細工でも作れないような、淡い光沢を放つ糸で編まれたとても長い金色の髪。
 まるで私の心を見透かすように細められた蒼い瞳。

 ボクはただ頬を真っ赤にして、ぱくぱくと口を開いたり閉じることしかできなかった。
 その、人形のように綺麗な少女に、ボクは人目で心を奪われてしまったから。

 彼女が、父親の言っていた魔女だと、理性が判断する。
 魔女は村に来ない。
 付き合いのあるわずかな村人が、直接この森に訪れて物々交換をするのだ。

 だから、魔女がこんな姿をしているなんて知らなかったはずなのに、どうしてかボクは、目の前に立つ、ボクよりも幼く見えるその小柄な少女を魔女だと思った。

「…………なんだ、迷子か?」

 呆れたような声で、魔女は腰に手を置く。
 すると周囲の風景は一変していた。

 いつの間にか、乳白色のあの霧は消えて、木の隙間から届いた日差しが私の頬を照らしている。
 安堵に脱力して土に伏してしまいそうになるのをこらえ、ボクはなんとか口を開いた。

「あ、あの、ボク……ここに、来るつもり、なくて……だから……」

 思うように言葉が思いつかなくて、泣きそうになる。
 すると、ボクを安心させるように微笑んで、魔女は小さな手の平でボクの頭を撫でてくれた。

「分かっている。すまないな、怖がらせて」

 首を勢いよくぶんぶんと振る、自分が悪いのだとそう伝えたくて。
 魔女は困ったように、それでも「ありがとう」と言った。
 照れたように、可愛らしい顔で。

 だけど、急に魔女は口を固く結ぶと、何かを小さく呟いた。
 すると、優しそうな笑みは消えていた。

「いいか? この森の奥は、私の住処だ。本当に助けが必要なとき以外は、絶対にここに来ちゃいけない。…………だって、ここは死霊使いの森だから」

 そう、どこか感情の籠もらない、淡々とした声で言う。
 ボクの前で屈み込んで、直接ボクの目を覗き込むようにして、言った。

「……いいね?」

 ボクは、少しの間を置いてから頷いた。
 躊躇したのは、この美しい少女をもう少しだけ見ていたいと思ったから。
 それに、こんなに優しそうなのに。

 そう思いながらも口に出来なかったのは、あの乳白色の霧の中からボクを見ていた無数の黒い眼窩が、まだボクの脳裏に刻まれていたから。
 選択を誤ればどうなってしまうのか、そんな恐怖がボクの口を堅く縛り付けた。

 そして、魔女の指先の示すまま、ボクは森から逃げ出した。






3話 「悪夢! 死霊使いの森!!」







 村の長である父さんが倒れたのは、過労のせいだと村の呪術医は言っていた。

 先代のお爺さんから代替わりしたばかりの呪術医は、まだまだ若いから頼りないって年寄りの皆が言ってたけど、
村の為に必死で頑張っているのを知っていたからその診断を疑う人はいなかった。
 だけど、その呪術医が倒れて、父さんと一緒に仕事していた村の男達がバタバタと倒れて、やっとそれが過労なんかじゃない、質の悪い病気か呪いなんだってことに皆が気付いた。

 小さく咳き込んでから、目眩に襲われて倒れて、全身が怠くて動けなくなる。
 そんな村人がたくさん出てきた。

 村の皆は急いで対策を練ったけど、その中心になる筈の呪術医が倒れているせいで上手く対処できないまま数日が過ぎてしまって、事態は悪い方へと転がっていった。
 子供達の中にまで、同じような症状を起こす者が出始めた。
 大人達はまだ耐え切れているけれど、体力のない子供達はそう長い間病に耐えることは出来ない。

 辺境であるこの村からは、医者や治癒術師のいるような大きな集落は遠すぎる。
 人間の街の方が近いぐらいだが、もちろん人間を頼れる筈なんてない。

 だけど、人間の中でも頼ることの出来るものがいることを、村の何人かは知っていて、何よりもほとんどの大人でも教えられていないその住処を、ボクは知っていた。

「あの魔女をボクが連れてくる。父さんは、魔女と交流があったし……事情を話したら、きっと助けてくれる」

 村人達を集めた会議の席でそう言ったボクに、他の皆が驚きの表情を向ける。

「し、しかし、交渉をしていた長老……お父様は、倒れてられますし、悪くすればロナ様までがあの魔女に……」
「そうだ、それにあの魔女は死霊使いの森にいる。もし行く途中に死霊に捕まったら……」
「人間に頼るなんて馬鹿げてるだ! もっと別の方法を考えましょう!」

 口々に否定の言葉を口にする村人達に、ボクは首を振って言葉を続ける。

「大丈夫だよ。本当に助けが必要なときは…………必要なときは、助けてくれるって、言ってたから」

 村人の一人が、驚いた顔で口を開いた。

「……ま、まさか、ロナ様はあの魔女と面識がおありなんですかッ!?」
「うん、昔ね。……怖かったけど、優しそう人だったよ」

 驚きを流すように、気楽そうな顔を作って笑い、そう答える。
 これで納得してくれればいいと、そう願ったことも気付かれたらしく、今までずっと口を閉ざしていた、村の戦士連中でも古株のおじさんが重々しく口を開いた。

「それならば、儂らからはなにも言うことはありませんじゃ。ですが、せめて儂ら戦士を護衛にお付け下され。……長の大事な愛娘であるロナ様を、こんな夜中に危険な死霊使いの森に行かせたとあっては、儂らは長に顔向けが出来ません!」

 背の戦斧に触れてそういうおじさんに、ボクは厳しい顔で首を振った。

「ダメ。みんなは村の人達を看病してあげて。……それに、森を駆けるならボク一人の方が速い」

 反論を認める気はない。
 それに、夜の森だって、ボク達は昼間のようにものを見ることが出来る。

 さらに何か口を開こうとした村人を手で制して「長の娘としての命令だから」と言うと、今度こそ誰も反論する村人は誰もいなくなった。
 そんな風に他の村人に命令をする自分が嫌だったけれど、今は時間が勿体なかった。

 会議場を出て、父さんの補佐役をしていた人を探して、自分に何かあったときの対処を伝える。
 そしてその足で、ボクは村の端から深い森の中へと入った。

 その先にある、一年前に行ったきり二度と足を踏み入れなかった闇の果て。

 泣きそうなボクを、優しく微笑んで頭を撫でてくれた、綺麗な魔女と出会った場所。

 死霊使いの森へ。









 霧の中を駆ける。

 どれくらいそうしていたのか分からない。
 死霊使いの森に入ってから。
 あの乳白色の霧が周囲を覆い隠してからボクはそのことを考えるのを止めていた。

 木立の影に立つ青白い影から、無数の視線を感じる。
 ただぼんやりと立つ影は、まるで影法師のように、走っても走ってもボクの左右の木立の影に立ちすくんで、ボクが走る姿をじっとみている。
 夢でも時々思い出す、あの黒い眼窩の奥の恐怖を振り払い、視線をまっすぐ正面にのみ向けて、ボクは走り続けた。

 視界の端をちらちらと白い布のような者が舞っているのが見える。
 あの布の中から覗いている白い手は、きっと女の手だ。

 もし道を間違っていたら、疲労で動けなくなったボクは、あの手に――

 …………ダメだ、考えるな。

 ボクは唇の端を噛んで、走ることだけに意識を集中させた。
 あの時の記憶は、一欠片すら忘れていない。
 走る方向は間違っていない、だから間違いなく、あの少女の住処に辿り着けるはずだ。

 そう自分に言い聞かせながら、ただひたすらに闇を駆ける。

「…………っ!」

 正面、霧の向こうに何かが見えた気がして、ボクは息を飲んだ。
 その瞬間に、木の根に躓いて、ボクは駆けていた勢いもろともゴロゴロと地面を転がった。

 受け身を取る時間すら惜しく、転がりながら地面を蹴って、そのまま正面へ駆け続ける。
 背中越しに宙を切る女の手を幻視して、ボクは小さく身を震わせた。

 髪や服にまとわりついた土を払いこともせず、ただ一心に走って――――


 不意に、視界が晴れた。

 辿り着いたのは小高い丘、森が途切れて丈の低い草ばかりが生えるその場所に建つ、不自然なほど形の整った、煉瓦造りの小さな一軒家。
 丸い窓から橙色の光が溢れていて、ずんぐりとした煙突から白い煙が空へと上っている。
 こんな場所に、こんな立派な建物が建っているなんて事、ありえない。

「やった……ちゃんと、辿り着けた……」

 息を吐いて、その場にへたり込む。
 気付くと、休み無く走り続けた疲労に、胸が早鐘のように鳴り響いている。
 安堵のあまりそのまま倒れてしまいそうだった。

 ふと思いついて、怖々と後を振り向く。
 ボクの目でも見通せないほど暗く深い森の奥には、なんの姿も見えなかった。

「…………もう、戻れないよね。……うん」

 村では、父さんや大人達、子供達が苦しんでいる。
 ボクは軽く頬を叩いてから、その建物の入り口へ、近付いていった。

 呼び出しの為のベルもない、小さな色付きガラスが装飾にはめ込められた扉の前で足を止める。

「わ……」

 びっくりしたのは、入り口の扉が鉄製の扉だったこと。
 ちゃんとした樫の扉だって村には少ないのに、鉄製の扉なんて。
 それも、村の戦士が身に着けているようなドワーフ族製の無骨な鉄じゃなくて、もっと丁寧に時間をかけて作られたような、綺麗な装飾が施されている。

 緊張しながら、ボクは、とにかくノックをしようと思って握った手を扉に近づた。

「――――……っ…………ぁ…………ぅっ……」

 その時、ボクの耳に届いたのは、扉の隙間から漏れる、微かな音。

 ただの音じゃなくて、間違いなく人の声だった。
 苦しげな呻き声みたいな、悲鳴みたいな、低く掠れた女の子の声。

「この声……!?」

 ひどく胸騒ぎがした。
 握った手を開いて慌てて扉のノブに手をかける。

 ノブを激しく押し引きすると、何の反動もなくそれは後に開いた。
 そして、扉の奥、その建物の中で行われていた光景が、ボクの目の中に飛び込んできた。



「……あっ!……んっ……ふぁぁ…………あぁっ……ん……んぁっっ!!」

 揺れる白い肌。
 無数の薄黒い触手が、ランプの明かりに照らされてぬらぬらと輝いていた。
 少女の身体が助けを求めるように激しく揺れるたび、金色の髪が激しく舞っている。

 触手の中に埋もれる少女は、何も身に着けていない裸で、身体を隠すことも出来ないように、無数の触手によって手と足をしっかりと絡み取られていた。

 わずかに膨らんだ胸を、脇から回り込んだ触手がなぞるように這い回り、あらわになった胸の先の桜色の突起を、細い触手がしつこくつついている。
 そういるたびに、少女は弱々しくを反らして触手のもたらす責めから逃れようとするけれど、身体をわずかに揺らすだけでは逃れることも出来ない。

 無数の触手が、あざ笑うように少女の肌にその先端を擦りつけ、粘液を吐きかける。

 しっかりと触手の中に深く埋もれさせられた下肢に、無数の太い、細い、蠢く突起の突き出た触手が、その身を擦りつけながら、何度も何度も這い続けている。
 逃れようと腰を浮かせようとする少女を、太い触手がしっかりと脚を絡めて押さえつけ、より一艘触手の中へと沈めると、少女の口から甲高く甘い悲鳴が上がった。

 その少女は、一年前にボクが見た、あの綺麗な少女で間違いなくて。
 あの、森の中で出会った綺麗な少女が、ボクの目の前で、得体の知れないバケモノの黒々とした無数の触手に絡み取られて、ただただ陵辱されている。

「え……う…………ぁ……?」

 理解不能な光景に、ボクは呆然とそれを見ることしかできなかった。

 触手の中には、無数の目があってそれが視線ですら嬲るように、自分の触手の中で溺れ続けている魔女を見ている。

 その目の一つが、ボクを見た。

「っ……!!」

 生理的な嫌悪を感じて、私はほとんど無意識に後ずさっていた。
 その瞬間、村のことも魔女のことも考えることが出来なくて、ただ恐怖だけが脳裏にあった。

 でも、その場から逃げ出すには、恐怖に気付いたのが絶望的に遅くて――――

 最初、細い触手が数本、槍のような早さで伸びて、ボクの身体に絡み付いた。

「ひっ!」

 小さく悲鳴を上げて、触手を力ずくで振り払おうとする。
 細い触手は引っ張る力も弱くて、必死に引き剥がせばなんとか振り払える。
 けれど、そうしてもがいているうちに太い触手が次々と伸びて、ボクをあっさりと捕まえた。

 脚に絡み付いた太い触手をふりほどこうとして、逆に急に引かれて玄関に転がってしまう。
 空いていたもう一本の脚の足首にも太い触手が巻き付くと、ボクを建物の中へと引っ張り始めた。

「……やっ……離せっ!」

 バタバタと足を振りながら、手を入り口の扉へと伸ばす。
 けれど、その腕に触手が絡み付いて、別の触手がノブを掴んで扉を閉じてしまった。

 這いつくばったままおそるおそる振り向くと、そこにはボクを捕まえた怪物が、無数の触手を蠢かせながら大きな眼球でボクを覗き込んでいる。
 小さな眼球が先に付いた触手がボクの身体をじろじろと舐めるように見る。

「なっ……なにを……」

 何をするつもりか、そんなこと、分かっているのに。
 触手の一本が上着の裾から服の中に入り込む。
 それがボクの身体をまさぐりはじめて、嫌と言うほどそれを思い知らされた。

「やっ………やだっ……やめろっ! ボクは……こんなことしてるヒマ……っ!!」

 何を言っても、こんな怪物が聞いてくれるはずがない。
 堰を切ったように触手が次々とボクに襲いかかって、すぐにボクの口が塞がれた。

 触手によって上着がまくり上げられて、晒された胸を蹂躙される。
 細い触手がズボンの中へ入り込み、下着と肌の間をしつこく擦り上げながら何度も往復する。

 やがて、ズボンが引き下ろされて、お尻が外気に晒される。
 何をされるのか、恐ろしい想像に半狂乱になって暴れようとしても、手足を押さえる触手は堅く強くて、立ち上がることも出来ない。
 太い触手が、粘液をたっぷりと滴らせてお尻を撫で上げたとき、ボクは抵抗を諦めて――



 何かが物凄い勢いで叩き付けられ、砕け散る音がした。



 その次に、水を詰めた水袋が破られて勢いよく破裂したような、耳障りな音。
 生ぬるい青色の液体がボクの身体にかかる。

 おそるおそる視線を上げると、そこには、身体を半分失ってよたよたと後ずさる怪物がいた。
 周囲にはバラバラに砕けた椅子の破片。

 そして、裸のままの少女――魔女が仁王立ちで立っていた。

 片手に、折れた椅子の足を一本。
 もう片方に、魔女の証でもある杖を持っている。

「……あ、あぁぁ…………ボ、ボクは…………」

 何かを言わないといけないと分かっていても、何を口にすればいいのか分からない。
 頭の中は恐怖と混乱で渦巻くばかりで、どうすればいいのか分からない。

 そうしていると、魔女は何故か困ったように息を吐いて、私の額に触れた。

「…………眠れ」

 その言葉が聞こえた直後、ボクの意識は闇に閉ざされた。









「……どういう思考回路をしてるんだお前は。普通、最中に来客があったからって、喜々としてコトの最中に引きずり込んだりするか?」

 あの時、少女と目があった瞬間、私の頭の中には“挑戦者現る!”みたいな文字が見えた。
 瞬間、この状況はもうどうでも良いから、とにかく目の前に現れたこの子に色々やってみよう、というチャレンジスピリットが生まれてしまったのである。
 言葉で表すならば、“なぜ事を成すか、そこに女の子がいるからである”という感じか。

「もう一回魔法で体を削ってやろうか? 激しい衝撃を与えれば、何かの弾みで少しくらいその腐った思考回路も元に戻るかもしれん」

 真顔で杖を向けるヒルダの瞳に本気の光が宿っていたので、私は慌てて前言を撤回した。

 というか、実際やりすぎたとは思っているのである。
 もしもあのまま事に及んでいたら、被害者の娘さんには間違いなくトラウマが残っただろう。
 それを考えると、ああいう行為はどうかという気持ちもある。

「…………万が一、お前がそんな無体な真似を喜々としてやるようだったら、召喚者として責任を持って、お前を必ずこの世界から塵も残さずに抹消してやるからな?」

 ヒルダに激しく睨まれて、私は身を小さくすくめる。

 事の最中になるとどうも意識がそっち方面に傾きまくってしまうというか、抑えが効きづらくなってしまうのだが、今回は本当に危なかった。
 なにしろヒルダ以外の人を目にするのは初めてだったし、こんな事態考えてなかったのである。

「…………そう言えばそうか。まぁ、これで分かっただろうから、今後は気を付けろ」

 溜息をついて、ヒルダは杖を下ろした。

 魔法で眠らせたらしい被害者の少女を抱え上げ、ソファに横たえる。
 脱がされかけた衣服を戻す時にもう一度睨まれて、さすがに私も気まずさを感じた。

 別に自分を呪いたいなどとは思わないが、確かに、あまり良い習性とは言えないかもしれない。
 一応、ヒルダにさんざん止めるように言われた、襲いかかるときに勢いで服を破り取るクセだけは抑えられていたようなのだが。

「そういう問題か……まったく」

 服を直してやるのを待ってから、改めて少女を覗き込む。
 冷静になると不思議なのだが、なぜにこの少女の肌は真緑なのだろうか?

「ゴブリンだよ。近くにある集落から来たんだろう」

 ……ゴブリンって、もっとこう、醜い子鬼っぽいイメージがあるのだが。
 見た感じは普通の女の子のように見えるのだが。

「女の子だからな。男の方は割とお前のイメージに近いよ」

 イメージが伝わるというのは便利だ。
 しかし、ゴブリンとは。
 ぼんやりとある印象だと、人間に悪さをする山賊みたいな連中ってイメージがあるのだが。

「いや、この辺にいるのは農作と狩りで生計を立てているような大人しい連中だ。それに人間に悪さをするのは人間も同じだろう?」

 それは確かにそうだなぁ。
 まぁ、それを言ったら私の方がよっぽど怖い見た目なので、文句は出ない。
 むしろ可愛い方がいいじゃないか。

「……またヘンなことするなよ?」

 無理矢理襲うような行為は極力控えよう。

 私の肯定の意があまりお気に召さなかったのか、ヒルダは呆れたように溜息を吐くと、事が始まる前に自分の着ていた服を探し始めた。
 今までのやりとりの間、ずっとヒルダはスッポンポンだったのである。
 慣れというものは恐ろしいと思うが、私としては眼福なので何ら異を挟むことはない。

 私はヒルダが私に思いっきり叩き付けたせいで砕け散った椅子の破片を集め、ヒルダはぐちぐちと愚痴を言いながらも衣服を探す。
 あーもう恥ずかしいな、とか、なんだってあんな最中に、とか言ってるから、やはり事の最中をモロに見られたのは大変恥ずかしかったらしい。
 もしかしてさっき私にこっぴどく怒ったのも照れ隠しだったのかも知れない。

 そんなことを思っていると、私が片付けておいた服を見付けたらしく、ヒルダが口を開いた。

「おい、脱がした服をいちいち折り目正しく折り畳んでおくのはどういうつもりだ?」

 ヒルダの視線の先にあるのは、私が彼女から脱がし終わり次第に、洗濯担当の義務として、きれいに折り目正しく折り畳んで傍らのテーブルに置いておいた服だ。
 服の一番上には、先ほど彼女の脚から私が引き下ろした下着が乗せられている。
 乱暴にならないように細心の注意を払って丁寧に脱がしたので、破れたりはしていないだろう。

 多少下着を脱がすタイミングが遅かったので染みとか付いてるかも知れないが、それは自業自得ということで勘弁して貰いたい。

「うるさいわッ!!」

 真っ赤になったヒルダが椅子を投げつけてきたので慌ててキャッチする。家具に罪はない。

 ヒルダの方も、命中することは期待してなかったらしく特に追い打ちはなかった。
 家具を触手で抱え上げて元の場所に戻す。

 そうしている間も、ヒルダは何故かすぐに着替えることはせず、全裸のままなにやら悩んでいる。

「…………むぅ」

 パンツの端をつまんで吊し、難しい顔でじっと見ているところを見ると、どうやら穿いていいものかどうか悩んでいるらしい。
 だが結局、着替えの下着もロクに無いことを思い出したのか、諦めてその場で穿きはじめた。
 片足づつ脚を通してそれを穿く。

 穿き終えた直後、一瞬ひどく微妙な、憂鬱な表情を見せたので、きっと色々とあったのだろう。

「……いちいち観察するなっ!」

 いや、目の前で着替えられるとさすがに気になるというか。
 色々としている時に見るヒルダの裸も良いが、素の時に見る裸もまた別の味があるのだ。

 それが着替えのシーンとなるとさらに――――



「着替えは余所でする! 貴様は部屋の掃除していろっ!!」

 着替えをひっつかんだヒルダは足音高く隣の部屋へと立ち去り、私が後を追う間もなく、扉が爆発するんじゃないかという勢いで閉められてしまった。
 扉に挟まれて千切れた触手の鋭利な切断面を見て追跡を断念する。

 仕方ない、申しつけられた部屋の掃除をしておくことにしよう。

 ……と言っても、色々と始めたときに倒してしまった家具を元に戻して、ヒルダが破壊した椅子を片付けておくだけである。

 部屋にスプラッタな感じで飛び散った私はの体液や肉片は、私がそう意識すると、するすると壁や床を滑りながら集まって、全て私の体に戻ってくる。
 意識しなければそのうちに消えるのだが、なんとなく勿体ない気がしたのでそうした。

 我ながら便利な機能であるが、掃除が簡単だという理由でさっきみたいな暴力行為を気軽にされてしまうのが問題点だ。

 あとは、寝てしまっている女の子の方だけど。
 ソファに寝かせられたその子を見直す。緑色の肌が、なんとも変な感じだ。

 ゴブリンとか言われても、私には肌が緑なだけで普通の女の子に見える。
 背が小さくて全体的に小柄な感じなのは、この子がゴブリンだからなのだろうか?

 日に焼けた硬い薄い色の髪が四方に飛んでいる、ショートカットというか、乱雑な髪型。
 可愛い顔立ちなのだが、厚めの上着に半ズボンという男の子っぽい衣装のせいで、少年なんじゃないかと勘違いしてしまいそうだ。

 とはいえ、私からしたら、この子が女の子なのは体の丸みからして丸分かりだし、なにより匂いからしていかにも女の子という感じではないか。
 見た目にしても、今は胸がないのが原因でそう見えるだけで、もう少し成長すれば色々と出るところも出て見分けが付くようになるんだろう。

 ああ、よく見ていると、半ズボンが中途半端に脱げかけている。
 どうやら半ズボンの前を留めるボタンを触手で千切ってしまっていたらしい。

 私もまだまだだな。
 内心で溜息を吐きながら、リビングの端にある棚から裁縫箱を取り出す。
 無数の細い触手を使ってする針仕事は、ここ数日の家事で完璧に身に着けていた。
 最初のうちにヒルダの衣装をさんざん破いたり溶かしたりしたせいで、彼女の衣装はずいぶんと減ってしまった。その埋め合わせのために覚えた技術である。

 眠ったままの少女の上から触手を伸ばして、そろそろと足を開かせて半ズボンのボタンに触手を触れさせちまちまと針と糸を通していく。
 ちなみにボタンは修復不能になったヒルダさんの衣装から集めたものを使う。
 どうも俺の体液では鉄のヤツは溶けないらしく、寝室や家のあちこちで残っていたのだ。

 ちまちまちまちま。

 最近気付いたのだが、こういう細かい仕事を触手でやるのは頭が冴える感じがしてとても良い。
 そのうち毛糸を所望して、セーターとかを編んでみるのも良いかも知れない。
 そういえば、この森には冬などは来るのだろうか?

 …………よし、出来た。

 そのうち私好みのセクシーな衣装でも自作してヒルダにプレゼントするのもいいかもしれない。
 そんなことを思いながら、ふと視線を上げると、少女と目があった。

「……や……」

 目の中に見える恐怖と、震える身体。
 なるほど、どうやら彼女は、私が先ほどの続きをしようとしていると勘違いしているらしい。
 驚かないで欲しいのだが、落ち着いてくれないだろうか?

 落ち着いて状況を見さえしてくれれば、私の触手が別に君の履いている半ズボンの内側に入り込んではいないことに気付くことが出来るはずだ。
 それに、私が触手に手にしている針や糸を見てくれるのも良い。
 半ズボンのボタンが見覚えのあるものではなくなっている事実と、そのことを照らし合わせれば、私が半ズボンのボタンを修理していたという回答を容易に得られるはずだ。

 だからどうか、悲鳴を上げて助けを呼ぶことだけは許して欲しい。

 そんな思いを込めて、私はゴブリンの少女の脚を一撫でした。



「……ぃ……っ……いぃ……いやぁぁーーっ! おかーーーさぁぁんんっっ!!」



 直後、扉を蹴り破らんばかりの勢いで駆けつけたヒルダの破壊魔法が私を襲った。









つづく