沼を泳ぐ夢を見ていた。

 ひどく粘性の高いその沼の中で、私は必死に手足を振って泳ごうとする。
 沼の中から逃れようと、私が必死に手で沼をかきわけるたびに、ひどく粘りつく水が、指の間にまで絡みついてくる。
 激しい嫌悪感に私は顔を歪めた。

 足を大きく動かすたびに、大きな何かが足の間に潜り込もうとしているかのように感じる。
 悲鳴を上げたかったが、口を開けば沼の水がその中にも潜り込んできそうで、私は怯えながらじっと口を固く閉ざしていた。

 いつの間にか、身に着けていたはずの服が泥の中に紛れるように消えていて、それでも私を沼の中を泳がなければいけない。

 身体が沼の中で動くだけで、沼の液体が意志を持っているかのように肌をなぞり、ゆっくりと唾液をのせて舐めていくように。
 裸になった胸の先が休みなく粘り着く沼の水に擦られ、必死に閉じようとする脚の付け根の奥にすら、それは例外なくそれは潜り込んでくる。
 沼の中で私はいつしか自分を失い、砂粒が肌と粘りつく沼の水との間で擦れる感触に、身を反らして打ち震え、ひどく甘い声を漏らしていた。

 そうして、唇の中にも沼の水が潜り込んできて、私は……。





 目が覚めると、私は蠢く触手の中に捕らえられていた。

 休み無く動く無数の触手が、私の肌を容赦なく責め立てている。
 両の手にはしっかりと触手が絡み付いて、指先にまで丁寧に細い触手の行為の対象にされている。
 脚は、当然のように左右に大きく割り開かされていた。

 寝る前に履いた薄い白のショーツは半ば溶け落ちていて、無数の侵入者によって内側からいびつに盛り上がり、それらが次々と吐き出す白濁色の液体によってぐっしょりと濡れていた。
 それを濡らしているのが、触手からの粘液だけではないことは、下肢から臀部にかけて走っている重たく甘い刺激で、嫌というほど分かってしまう。

 無防備に触手に弄られ続けていた私の身体は、今さら立て直すことなど無理なほどに快楽の方へと天秤が傾いてしまっていた。

「んっ……くっ…………」

 何か口にしようとしたものの、そうして開いた口の中にすら触手が潜り込んでくる。
 舌が、細く伸びた触手に絡みとられ、口にしようとした罵声は私の頭から消えてしまう。

 何かをこらえるように脈動している太い触手が、私の下肢にあてがわれる。

「…ぁっ……!………っ!……っっ!!」

 そして私は結局、夢の続きを現実で体験することになった。






2話 「野獣! 触手生物 対 魔女!!」







 触手の中に埋もれるようにして肌を押しつけたまま、私は微睡んでいた。

 さんざん私の肌を汚した白濁色の粘液は、いつの間にか空気のように溶けてしまっている。
 ただ、妙に甘ったるい匂いだけが、消えない残滓のように私の肌に絡み付いていて。
 その匂いと、肌に染みついた行為の感触が、薄く私の頭を惚けさせている。

 身体の芯が重く、手足が妙にだるい。
 触手の中に埋もれたまま、かすかに身じろぎする。

 手足を微かに動かすたびに、触手の裏に無数に貼り付いた吸盤が、触れる肌を小さく吸った。
 甘噛みのような肌をくすぐる感触は、だが、決して不快なモノではない。

 触手の一本が私の髪を絡めとり、一束掬い上げる。

 擦りつけられ、浴びせられて、酷く粘液で汚されていた髪の毛は、何事もなかったように触手をすり抜けて、金の糸のように解けて私の肌の上へ流れ落ちていく。
 髪の毛が、裸の肌に触れて流れ落ちていくくすぐったい感触に小さく息を漏らす。

 もう少し眠りたいなと思い、私は目を薄く閉じた。

 身体が暖かい泥になるような、そんな感覚に落ちていく途中で。
 触手から意識が伝わってきた。

『……しまった、明日は一回だけだと昨晩約束したというのに、もうやってしまった…………』

 …………。

 内心で溜息を一つ吐く。
 そうして、ことさら意識をはっきりとさせてから、小さく息を吸った。

「……こぉぉの、変態エロ触手が! あれだけヤリすぎは禁止だって言ったのに、なんで一晩経っただけであっさり約束を忘れて盛ってるんだ? あぁ!?」

 私の怒鳴り声に、怪物は驚きながら私の肌にまとわりつかせていた触手を引っ込めた。
 一瞬だけ、身体の芯の部分が切なくなる。
 もう少しあの中に埋もれていたいという欲望が、まるで残響のように私の中に響いている。

『いや、約束はまだ破ってはいない。ただ、一回だけという約束の一回を、今消費しただけだ』

 また屁理屈をこね始めた魔物に半ば呆れつつ、私は魔物には分からないように、まだ疼きの止まっていない下肢をシーツの下に隠す。
 足を摺り合わせるだけでも、声を漏らしてしまいそうだ。

 一度唇を噛んでから、大きく口を開いた。

「じゃあ、事が済んだんだから、とっとと朝の洗濯と薪割りに行って来いッ!!」

 拳で魔物をベッドから殴り落とす。
 事が済んだ直後のコイツは、驚くほど力がない。
 あっさりとベッドから転げ落ちた触手は、しばらくの間は名残惜しそうに、私の方へ触手を伸ばしたり引っ込めたりと繰り返していたが、私が睨むと、慌てて部屋の外へと出ていった。

「後で話があるからな! 色々とハッキリさせるから、覚悟しておけよっ!!」

 ……寂しそうな背中に罪悪感など感じてやるものか。

 蠢く触手が部屋から出ていき、蠢く触手が完全に見えなくなってから、鼻息を一つ。

「フン、阿呆め」

 小さく呟いて、勢いよくベッドに身を沈めた。

 そうしてしばらくぼんやりとベッドの中に身を沈めていると、いつの間にかあの甘い匂いは薄れて消えていき、身体の芯に染みいっていた疼きも和らいでくる。
 匂いは毒の類ではなく、あの魔物の持つ魔力によるモノらしいということは分かっていた。
 本人が離れればすぐに消えてしまう。

「…………朝風呂にでも入るか……」

 一度身体を洗って、このなんとも知れない倦怠感をどうにかしたい。

 そう決めて、ベッドから身を乗り出し、側に置いている洋服箪笥を引く。
 身体を拭く布を引っ張り出して、着替えの服をまとめて手に取り……さらなる問題に気付いた。

「ショーツがもうないな……」

 ついさっき溶かされたのが、棚の中にあった最後の一枚だったらしい。
 ベッドの方は溶かさないのに、なんだってヤツはいちいちヤるたびに下着の方を溶かすんだ。
 あれか? 趣味で溶かしてるのかあの変態は!?

 くそっ……いつかは、こうなるんじゃないかと薄々とは思っていたが……。

 舌打ちをしながら、勢いよく立ち上がる。

「あたたたたたた……」

 瞬間、腰に鈍い痛みがずきりと走って、思わずつんのめってしまった。
 床に屈み込んだまま、腰に手を置いてなとか痛みをこらえる。

 裸で床に転がる恥ずかしさにシーツを慌てて被るが、痛みの方はなかなか引かなかった。

「本当に、好き放題やりおって……」

 昨晩たっぷりと、さらに続いて今朝から連続して魔物に嬲られたせいで、腰の辺が随分と怠くなっていて、無理に動くと鈍い痛みがある。
 足の方にもかなり来ているらしく、まともに歩くのもきつかった。
 そして、ヤツを喚んでから連日こんなものだから、ここ三日、ろくに外にも出ていない。

「いかん……」

 食糧の備蓄はまだあるが、このままだらだらと日々を重ねるのは不味い。
 その先に、どんな結果が待っているかは考えるまでもないことだ。

 きっとこのままでは…………私は、サルになってしまう。

 ベッドに鎖でくくりつけられたまま、あの淫獣の上に乗って白痴のように嬌声をあげ続ける自分の姿を想像して、私の額に冷たい汗が流れ落ちた。
 しかも、よく考えたら今の状況はかなりこの想像に近い気がする。
 一体いつの間に、と思ってしまう時点で私の方が心に隙を作りすぎていたのだろうか。

 あまり人間と会うこともないし、会話に飢えていたのは自覚していたが、まさかあんなバケモノ相手にまで情が…………いやいやいやいや。

 …………なんとか……なんとか、せねばなるまい。
 この現状をとにかく打破するのだ。


 ヤツが戻ってきたら、このままの調子で襲いかかってくるなら家から追い出してやると、しっかりと言いつけてやらなければなるまい。









 ヒルダの拳によってベッドの外へと追いやられた時は暗澹たる思いだったのだが。
 いざ外へ出てみると、朝の陽の光はなかなかに気持ちいい。

 見渡す限りに広がる、緑溢れる大森林。

 湿気は薄く、陽の光が適度に射し込む程度に茂った木々の隙間からは、心地よい風が流れてくる。
 ヒルダから聞いた話によると、この森は“死霊使いの森”と呼ばれているらしい。
 とてもそんな風に呼ばれているとは思えない、穏やかな森のように見えるのだが。

 理由を聞いたが、意地悪く笑って教えてくれなかったので、命名の理由は分からない。
 或いはこの世界の住人は総じてセンスがおかしいのかもしれない。

 ヒルダが一人で暮らしている小さな家は、その森にある小高い丘に建っている。

 この森にはそぐわない頑丈な煉瓦造りの建物で、どこか人形の家を思わせる赤い屋根と丸みを帯びた窓の可愛らしい建物で、なんとヒルダが魔法を使って数時間で作ったものらしい。
 中にはキッチンからリビングにベッドルームに倉庫に書斎と、この大森林の中にあるとは思えない設備が整っていて、さらには、無限に水の出る井戸と風呂まで付いている。

 はじめて見た時には魔女の凄さの一端を見せられた気分になったものだ。
 こんな素敵な場所に、こんな素敵な家を作って暮らしているなんて、これはもう他に必要なモノはないに違いない。

 …………などということは当然なかった。

 一人暮らしというのは、何かと面倒なモノなのだ。
 掃除洗濯食事の準備にベッドメイク、その他もろもろの雑事にいい加減耐えられなくなり、魔女であるところのヒルダはその技能をもつてして、その面倒さを解決しようとした。

 この森の中に発見した儀式上を利用して、下僕となる悪魔を召喚しようとしたのだ。

 それで失敗した結果が私らしい。

 ちなみに、何故に失敗と断言できるかというと、悪魔の召喚には自動的に含まれるはずの従属の契約がされてないことと、私がいかなる悪魔にも該当しない謎の種族であるからである。
 とはいえ、あの施設を使ってもう一回悪魔を召喚するのは不可能とのこと。

 これでは目的は果たせない。

 そうして彼女か困り果てていたところ、この私が本来悪魔に与えられるべきだった役割の、が時やら雑事やらを引き受けることを申し出たというわけだ。

 残念ながら炊事に関しては、そもそも私にモノを食べるスキルがないことから不可能となってしまったが、それ以外の掃除洗濯やらの雑事は普通にできる。

 そういうことで、私は彼女の身の回りの世話を引き受けることになったのだった。



 そして三日が過ぎた!!



 今、私は、先ほどのヒルダの言いつけ通り、昨晩のうちにまとめておいた彼女の着替えや汚れてしまったシーツやテーブルクロスの類をタライに入れた水を使ってじゃぶじゃぶと洗濯している。

 当初はうっかりショーツを引き千切ったりして怒られたが、今や揉み洗いの極意を触手に刻んで、驚きの白さを実現することに成功している。

 ちなみに、風呂場でヒルダにもこの極意を実行したら有効だった。
 さすが極意である。

 もちろん、洗いだけではなく、洗い終わった品物のすすぎ、布を傷つけないように水気を払う絞り、そして皺一つなく洗濯竿に干すまで、全ての動きが完璧である。
 なにしろ私には数千本に及ぶ、大小から太さ長さまで様々な無数な、触手があるのだ。
 この程度の雑事、朝飯前である。

 …………召喚されて覚えたのは以上だ。

 この世界が何と呼ばれていて、どんな住人が住んでいるか?

 実は、初日にヒルダがこの世界がいかなる場所なのか説明をしてくれるはずだったのだが。

 残念ながら、黒板まで準備した彼女が張り切った様子で教鞭を片手に、メガネを付けて登場してしまったのである。
 彼女の遠回しな誘惑に私は紳士的に答え、そして一晩愛し合った結果、この世界についての説明の件はうやむやになってしまった。

 後になってその件はどうなったか聞いてみたら、獣でも見るような目で睨まれた。

 そういうわけで、私はなんだかよく分からないが人っ子一人住んでいないらしい“死霊使いの森”にあるヒルダの家で、丁稚をして暮らしているのである。



 以上、近況の説明終了。

 洗濯物も終わったので、薪割りの道具を取りに家の中へと戻る。

 扉を開けてリビングに入ると、キッチンの方で料理する音が聞こえた。
 自分のための朝食を作っているらしい。

 ちなみに、私は食事が必要ないので関係ない。
 どうやら私の食事は、私の中に存在するある種の情動が満たされることと等しいらしいのだ。

 言うなれば、彼女自身が私の食事ということになる、などという考えが彼女に知られたらそれこそ酷い勢いで殺されそうなので、この発想は封印しよう。

 洗濯が終わったことを報告するついでに、先ほどはできなかった朝の挨拶をあらためてしようと思い、私はキッチンへと向かった。
 家の中の床は私自身によって綺麗に磨かれていて、冷えた感触が触手に気持ち良かった。

 もちろん、床を這い進む触手から粘液の一つでも零すようなことはしない。
 自分で綺麗にしたものを自分で汚すようなことをするものか。

 これだけしっかりとこの家の家事に貢献しているのだ、そうそう邪険にされることはないはず。

 ただ、先ほど言われた、覚悟しておけという言葉が気になる。
 ここは慎重に、穏やかに挨拶をすることで彼女の印象を良くせねばなるまい。

 私はそう自分に言い聞かせて、キッチン中へ入った。
 ヒルダは、キッチンに常備されている火を放つ魔法の薬瓶の上にフライパンを当て、なにやら炒め物らしい料理を作っている様子である。

 フライパンから料理が焼ける音がしているせいか、それとも料理に夢中になっているのか、私の存在に気付かないまま無防備に背を向けている。
 その格好は、丈の長いシャツ一枚きりで、素足が剥き出しになっていた。

 彼女に挨拶しようと伸ばしていた触手が、自然と動きを止める。
 重力の重さに引かれるように触手が床へ静かに着地する。

 その触手の先端に眼球が生まれたのはいかなる奇跡か?
 いや、私がやったのだが。

 とにかく、彼女の足下に這い落ちる触手のその先端の眼球から、私は彼女をとてもローアングルで見ることに成功したのである。

 そこには、美しい純白の布地が………………なかった。



 というかパンツ履いてない。



 ――――――ふむ、これはいけない。

 チラリズムを利用した交渉手段の奥義の一つとして『ノーパン接待』というものが存在するらしいが、私としてはさすがに慎みが足りないと思うのだ。嬉しいが。
 そもそも、そういう部分はきちんと下着の中に秘めておくことで、その無限の可能性をさらに高めていくのが大事なのだ。

 いくら丈が長めのシャツを着ていることでチラリチラリとしか見えないと言っても、そのチラリと覗くモノが丸出しのそれではさすがに興が削がれるというものではないか。嬉しいが。

 それに、丈が長めのシャツというのも重要な問題点がある。
 下着を履いてないということは、現在、彼女の身に着けている着衣はそれ一枚きりなのだ。
 ちなみに、上の下着は、慎ましやかな胸である彼女には必要ないようだ。

 まぁ、実はこっそりと何着か所有しているようだが、普段は着けない。
 背伸びしたものの、やはりあまりお気に召さなかったのだろう。

 とにかく、彼女は今、シャツ一枚きり。

 これはやはりアレだろうか。いつでも準備は良いということだろうか。
 確かに私の方も、この数日で少々紳士的ではない振る舞いを多々してしまったのだが、だからと言って彼女からそれに合わせるというのは…………その、なんだ、申し訳ない。

 だが、その好意を受け取らないのは紳士的ではないだろう。
 据え膳喰わぬは……なんとかというし。

 私は、そろそろとヒルダの背後に近寄る。

 ここは、彼女の料理が一段落するのを待つべきか。
 それともいっそ、途中から襲いかかって、同時進行でやって貰うか。

 む……同時進行!?
 これはなにか、新しい世界が開ける予感がする。

 これは是非試してみなければ――――

「――――ん?」

 私が期待に心をざわめかせながら、飛びかかるタイミングを見計らっていると、ヒルダが何気ない仕草で振り向いた。

 視線は最初、台所の入り口で蠢いていた私に向けられ、次にその私から床に伸びた触手を辿って、彼女の足下でローアングルから見上げている私の小さめの眼球へと向けられた。

 ヒルダはしばらく不思議そうな顔をした後、合点がいったように微笑む。

 そうして、ゆっくりとその細い足を上げた。
 高く上げられた腿でシャツの裾がまくれ、彼女の色々と幼い部分が私の視界へ映し出される。

 なんと大胆な。
 やはりこれはヒルダとしてもあえて見せるつもりで――――

「死ね、この変態触手」

 振り上げられた足は、そのまま垂直落下して容赦なく私の眼球を踏みつぶした。



 ぎゃああああああ、目が……! 目がぁぁああああああ!?


 目がぁぁぁああああああああああああッッ!!!









 リビングに、ヒルダの怒りの声が響き渡る。
 私は、多少小さくリビングの端にうずくまりながら、その声を聞いた。

「だーかーら! お前が所構わず襲いかかるから、下着にも困ってるんだって言ってただろうが!!」

 なんだかんだ言って、モロに自分の大変に涼しい状態になった下半身を見られたのは恥ずかしかったらしい、大音声でそう私に告げるヒルダの顔は赤みが差している。

「今朝お前に洗わせた分が、最後の残りだったんだよ。乾いたら履こうと思って、とりあえず朝食の準備の方を先にしたんだ。勝手に変な解釈で襲いかかってくるな!」

 なるほど、どうやら彼女が下半身スッポンポンで料理をしていたのはそういう訳らしい。

 一枚だけ着ているのがエプロンじゃないからおかしいとは思っていたのだが。
 純白のエプロンは、抜けるような白い肌の彼女にはとても似合うだろう。

「だ・か・ら! 人の身体でそういうエロい妄想をするんじゃないって言ってるだろうが!! 」

 噛み付かんばかりに吠え立てられて、私はこの思考を中断させた。
 本当に噛み付かれてはたまらない。

 しかし、そうやって照れる姿はなかなか可愛らしいではないか。

 よもやこんな可愛らしい少女がつい先ほどキッチンをヘルズキッチンとでも改名しないといけないような大惨事に陥れたとは誰も思うまい。

 シチューに私の目玉がぽとんと落ちたのを、少し考えてから梳くって捨てたのを見たとき、私はよもや自分は食材と認識されてしまったのではないかと恐怖したのだが。
 普通はそこはシチュー自体を捨てるところではないだろうか?
 そのまま煮込んでみるとか一瞬考えたように見えたのだが、それは私の見間違いだろうか?

「……まー、不味そうだったしな」

 ヒルダの二の腕には、一本、私の触手が絡んでいる。
 そこから私の考えはすっきりかっきりヒルダに伝わってしまうのである。

 というか、美味しかったら食べてしまったというのだろうか。
 自分と同じ知的生命体に対しての敬意を払おうという心構えがないのだろうかこの幼女は。

「幼女言うな」

 ヒルダはそう言って、半眼で私を睨みながら朝食のスプーンでシチューを啜った。
 私の方は食事が必要ない種族なので、ただ見ているだけだ。

 こういう部分は不便だと思う。
 喋っていては食事をすることが出来ない彼女の方は、口を開かなければ私に意志を伝えられず、口を開く必要のない私の方は食事の必要がない。
 逆だったなら良かっただろうに。

 ヒルダは、溜息を一つ吐くと私の方を見て口を開いた。

「せめて、服を溶かすのを止めろ。なんでお前はいちいち襲いかかるたびに人の服を溶かすんだ? お前がさんざん溶かして糸屑にしたショーツの中には、首都の方でしか取り扱ってないような高級品も混じってたんだぞ?」

 噛んで含めるようにそう告げられると、さすがの私も反省せざるを得ない。
 この世界の物品の価値についての知識がないのではっきりとは理解できないが、あまりそういった事を口にしないヒルダが口にするからには、大きな被害だったのだろう。

 恐らく、家事手伝い程度の仕事では代価にならない。

「分かったているなら、もうちょっと時と場所をわきまえろ。覚えたてで盛りきったガキじゃあるまいし、もう少し控えられんのか?」

 覚えたてのガキなどという欲望に技巧が追いついていない子供と一緒にされては困る。
 少なくとも私はヒルダを十二分に満足させ――――

 ザクッと音がして、フォークがテーブルに突き刺さった。

「…………」

 えーと、うむ。
 最初よりは、衝動を抑えるのに慣れてきた感じはする。

 先ほどの台所での件だって、ヒルダの一撃で私の中にあった衝動というか勢いのようなモノが抑えられたお陰で無事で済んだのだ。
 以前だったら、あの程度は気にせずに空気を読まないまま襲いかかっていただろう。
 いや、空気を読んでなかったのはヒルダの方だったと私は今でも信じているが。

「……そんな理由で真っ昼間から襲われてたまるか」

 なにしろ下半身丸出しだったのだ。下半分すっぽんぽんだったのだ。
 あのまま襲いかかれば、溢れる情熱に任せてやってやれないことはなかったに違いない。

「繰り返すな。変態エロ触手」

 しかし、女の子が大事な部分を丸出しでは風邪を引いてしまうのではないか?

 確かに私は常時全体的に丸出しの印象を受けそうだが、実際にはそういった部分は事に至っている最中以外はしっかりと内側に隠している。

「なんだ、お前それだけチ○コがあって、一本残らず皮被ってたのか?」

 ……それは聞き捨てならない言葉だ。

 私の触手を、人間の男が待つような単機能なブツと一緒にしないで頂きたい。

 人間の男のブツが、厚い辞書を軽々と持ち上げるパワーや、踏み潰されてもすぐ生えてくる耐久力、最長10メートルまで伸びる長さ、それに暴れる子猫もひと縛りの自由自在なしなやかさを備えているとでも言うのかね。

「そんな気色の悪いモノを持ってるのは、この世界広しと言えどもお前だけだな。あと、なんでそんなに誇らしげなんだよ薄気味悪い」

 ヒルダが吐き捨てるように言って、うんざりした顔でスープを口に含む。

 ちなみに先ほどの子猫というのはヒルダのような少女のことを指すのであって、本当に子猫にそんな可哀想なことはしない。

「いやなんかフォローするとこおかしくないか?」

 お腹を出して転がる子猫を見て可愛いという気持ちと、お腹を出して眠る君を見てムラムラするという気持ちは似て非なるものだということを分かって欲しい。

「朝っぱらから襲いかかってきたのはそれか……」

 いや最初は、子供みたいに可愛い寝顔だな、という評価だったのだが。

 その、シャツがまくれてお腹が見えるどころか、胸の辺りをポリポリと自分で掻いて、シャツのまくれ方がさらに上の部分まで到達して色々と見えてしまったのが問題だったというか。
 しかも、普段では聞けないような大胆な寝言を聞いてしまって、思わずメーターが一気に振り切れてしまったというか。

「……なにを聞いた?」

 それはお互いの良好な関係を保つためにも秘密にすべきだろう。
 寝言だとはいえ、彼女があのような積極的な。
 あんな甘い声で、彼女があんな大胆な言葉を無意識のままに口にするなんて、彼女だって知らない方がいいに違いない、下手をしたら私が彼女の羞恥と怒りによって家を追い出されてしまう。

 ちなみに格闘家っぽい味付けをした言い方にすると『こっちの準備はとっくに出来てるぜ! グズグズせずにかかって来いやぁ!!』みたいな感じのセリフだった。

「…………考えがダダ漏れなんだが。……あと、それはあくまで夢の中だからだ。寝言だったら無意識だから本音が出てくるなんて、馬鹿げた考えだぞ?」

 そう言って、シチューの入った皿を口元で傾ける。
 持ち上げた皿で隠される寸前に見えたヒルダの頬は、図星を突かれたためか紅潮していた。

「してない」

 いやいや、していたようにしか見えなかった。
 それに慌てて否定するところも怪しいではないか。

「……黙れ包○触手」

 それは聞き捨てならない言葉だな!!









「で、それを証明するために、私に襲いかかった、と」

 私の触手の中に埋もれるようにして肌を押しつけたまま、ヒルダが私を恨めしげに睨んでいる。
 さんざん彼女の肌を汚した白濁色の粘液は、空気のように溶けてしまっていた。

 私の粘液のように、彼女の怒りも空気に溶けてくれないだろうか?

 それに、あの時点になってもいまだパンツを履いていなかったヒルダにも問題があったのではないだろうかと思うのだが、どうだろう?
 なんというか、つい勢いで押し倒したところで、ヒルダさんがパンツ履いてなかったので、なんこう抑えが完全に効かなくなってしまったというか。

「…………責任逃れをするな」

 逆に考えようではないか。
 パンツを履いていなかったおかげで、パンツが溶けることはなかったのだ。
 この調子で、ヒルダは普段からノーパンで過ごしてみるという逆転の発想はいかがだろうか。

 そういえばノーパン健康法という言葉があったと思う。
 おお、二重にお得ではないか。

「……あー、なんかもう、どうでも良くなってきたな…………」

 いやいや、自暴自棄になるのは良くない。
 人は自ら考え、自らの足で前に進むことで現状を打破し、進化していく存在なのだ。
 ただ快楽に溺れるだけでは獣と変わらないではないか。

「お前が言うな」

 ぽか、と殴ってから、ヒルダは嘆息した。
 結局そのまま、ふにゃふにゃと目を閉じてしまう。

 うむむ、食べてすぐ寝ると牛になるというのに。

 仕方なく私は、ヒルダの身体を太い触手でしっかりと抱え上げ、ベッドへと運ぶことにした。
 少なくとも身体だけは小柄な少女に過ぎないヒルダの身体は、驚くほどに軽かった。

 ベッドにヒルダを横たえて、シーツをかぶせてやってから、ふと思い出す。



 …………そういえば、朝言っていた、覚悟しろって話はなんだったのだろうか?









つづく