第36話 「夜は平穏に過ぎ」





<刹那>



 図書館島の、裏側。
 怪しげな遺跡もどきの建築物が建ち並ぶ一角に、私はぼんやりと立っていた。

 つい数分前に惨殺死体っぽい状態になっていたはずの悪魔が、触手をぐにゃりと歪めながらゆっくりと前傾して、私に触手の一本に掴んだホワイトボードを掲げて見せている。

《色々ありがとうございました》

 私の想像の中で完全に挽肉と化しているはずだったその体は、どこからどう見ても健康体そのものにしか見えない。
 いや、触手の怪物に健康的な印象は受けないが、いやそういう問題ではないのだが。

「…………あ、あぁ…………いや、私も……あまり役に立てなくて…………」

 とにかく私は返事を口にした。

 具体的にこの悪魔から感謝される内容を思い出そうとしたが、ついさっきエレベーターの奥に引きずられていった姿の方がインパクト強すぎてあまり思い出せない。
 地底図書館の森で、お嬢様がまき絵さんと楽しげに過ごされていたのを見つけて、しばらく様子を見た後そのあと……。

 左右にスライドしていくエレベーターの奥から、ゆっくりと姿を見せる闇色の殺意。
 それを不意に思い出して、私は小さく身震いした。

「大方あのクソジジイ辺りは勘付いているだろうが、どうせこれぐらいなら問題にもせんだろう。お前も面倒なことにしたくなければ、今回のことは口をつぐんでおけ」

 ……その闇色の殺意の張本人であるエヴァンジェリンさんが、割とどうでも良さそうに欠伸を漏らしつつ、そう忠告してくれる。
 なんなんだろうこの落差。
 エヴァンジェリンさんの顔、教室ではついぞ見ないような、実に満足した風な顔になっているのは私の気のせいだろうか。

 耳にしているはずのありがたい忠告が、耳の中を右から左へ通り抜けていくのが分かる。
 ついさっきの殺意の固まりのような形相がちらついて全然集中できない。

「……あ……はい、そう……ですね」

 なんとか生返事をすると、エヴァンジェリンさんが腕組みをして私に笑みを向けた。

「ま、お前が最初に発見したおかげで大事にならずに済んだ。血の気の多い連中が見付けていたら、今頃コイツはとっくに退治されてただろうしな」

「は……ははははははは……そうですね……」

 すいません突然の出会いにびっくりして退治しそうになってました。
 退治できませんでしたけど。

「分かったら、お前も少しは目立つ行動を自粛して、感謝の踊りでも舞っておけ」

 そう言ってエヴァンジェリンさんが大人しくしていた話を見守っていた悪魔の側面ををハイヒールの爪先でつつくと、悪魔は本当にくねくねと踊り出した。

「あ、いえ、そんなことをされても……あああ、ホントに踊らなくてもいい……ッ!」
「はっはっはっ、バカみたいだぞ貴様」

 エヴァンジェリンさんが楽しそうに笑うのを聞きながら、私は慌てて悪魔の踊りを止めさせた。
 勘違いとはいえ斬ってしまったのは事実なのだから、感謝される理由はないと思う。
 それになんだか精神がもの凄い勢いで疲弊していく気がするし。

 しかし、悪魔の踊りは終わらない。……というかこれは踊りなのか?
 その下肢から生えた無数の細い触手の繊細の動きと、太い触腕の豪快な動きで、まるでジェスチャーをするかのような奇怪な動きが続く。
 その悪夢的な光景は、体の芯から響くようなうっすらとした恐怖を呼び起こさせる気がする。

 …………いや、いかん。落ち着け私。このままでは悪魔のペースだ。
 なんとか自分を取り戻さねば……しかし、一体どうすれば……ここはやはり、痛みか!?

 つい最近、刀子さんから聞いた幻覚魔法を打ち破るために自らの脚に手刀を突き刺したという話を思い出して、ゴクリと唾を飲む。

「……まぁ、とりあえず感謝が済んだらそろそろ行くぞ。いつまでも一カ所で人払いを続けていれば、流れの歪みで厄介な連中にまで気付かれるからな」

 飽きたらしいエヴァンジェリンさんがそう言って、とりあえず悪魔の踊りは終わった。

 ……良かった、危ないところだった。
 もう少しでなにか致命的な暴走をしていたような気がする。

《分かりましたー》

 先ほどまでの奇怪な儀式など何事もなかったかのように、悪魔がホワイトボードで答える。

 なんというか、スムーズな受け答えだった。
 そういえば、エヴァンジェリンさんとこの悪魔の詳しい関係はまるで聞いていないのだが、主従が身に染みついてるんだろうか。

「どうせ、人目のある橋を避けて対岸から泳いできたんだろう? 私が認識阻害の魔法をかけておいてやるから、岸まで乗せていけ。また誰かに発見されたら面倒だからな」

《それはとても助かりますー》

 エヴァンジェリンさんが言い放った言葉に、ホワイトボードで返事を返す悪魔。
 私の術では確かにこれほどの違和感の余るものは隠せないし、術者が側にいた方が、結界に属する魔法は間違いなく発揮できる。

 でも。

 の、乗るんだ、コレに…………。

 いまだうねうねと細い触手を蠢かせ続けている悪魔の姿をチラリと見て、自分の顔が引きつるのが分かった。本当に大丈夫なのだろうかそれは。
 座っている下でうねうね蠢いたりしないのだろうか。

 想像するだけで足下からなんともしれない感触が想像できてしまうというか、私の中の被害妄想的な幻覚だと分かっていても鳥肌が止まらない。
 烏族だけに鳥肌とか一瞬頭に浮かんだのは一種の現実逃避だろうか。

「…………そ、それは……その、お気を付けて……」

 なんと言っていいかよく分からず、とにかく頭に浮かんだ言葉を口にすると、エヴァンジェリンさんにものすごく呆れられた。

「別に気をつけることなどあるか……それより、期末試験の方、欠かさず準備しておけよ? こんなつまらん事にかまけたおかげであの坊やが落第になったら目も当てられんからな」

「はっ、はい! もちろんです!!」

 よくは分からないが、エヴァンジェリンさんもネギ先生のことを気にかけているらしい。
 そういえば、悪魔もネギ先生と顔見知りのような話をしていたようだし、私などには伺い知れない人知を越えた人間関係があるのだろう。

「よろしい。それでは、さらばだ」

 慌てて声を張り上げてしまった私の返事に満足してしまったらしく、エヴァンジェリンさんは応用に頷いて私に背を向けた。
 エヴァンジェリンさんへと長い触腕をうねうねと蠢かせて付いていきながら、悪魔がその半身を歪めるように曲げて、ぎょろりと私に巨大な眼球を向ける。

 思わず身構えた私へ、悪魔はホワイトボードを触手に絡めて私へと掲げて見せた。
 そこに書かれていたのは、極めてまっとうな励ましの言葉。

《試験勉強頑張ってください》

「あ、ああ…………ど、どうも」

 ……普通すぎて逆に反応に困る。

 自分でも微妙な顔をしていると思いつつも、とにかく半分ほど頭を下げると、悪魔は満足した様子でぐにゃりと体を揺らし、そのまま麻帆良湖へと沈んでいった。

 2/3ほど沈んだところでエヴァンジェリンさんがその上に乗ると、そのままバシャバシャと音を立てて水面をゆっくりと滑っていく。
 エヴァンジェリンさんが魔法薬を触媒に魔法を唱えている、呪文の内容は届かないが、それがエヴァンジェリンさんが使う認識阻害の術なのだろう。

 ………しかし、思ったよりゆっくりなんだな。

 触手で水面を叩いているのか、小さな飛沫を上げながらじわじわと水面を移動していくその物体からは、ひどく反応しづらいものを感じた。
 見送り続けていると頭痛がしてきたので、私は小さく首を振って、その場を離れた。

 気が付くと、もう夕日が落ちようとしている。

 図書館島を利用している麻帆良の学生達も、図書館へと向かっていく者の数より、図書館から帰っていく者の数の方が多くなっていた。
 そんな生徒達の中を一人歩いていると、橋の向こうから見知った顔が近付いてくる。

「なんだ、刹那。やっぱりここに来ていたのか」
「ああ、龍宮か…………」

 私の前で足を止めたのは、女子寮で同室の龍宮だった。

 桟橋の前の広場にある自販機で買ったのだろう、オレンジの缶ジュースを手にして、逆の手には薄い学生鞄を提げている。
 制服姿のままだし、期末試験対策ための勉強会に参加した帰りなのだろう。

 ……ずいぶん長い間、地底図書館に降りていたのだな。
 そう思ってみると、たしかにずいぶんと長い間地上から離れていた気がする。

「……気持ちは分かるが、あまり気に病むな。決断を先に延ばすなら、考えても疲れるだけだぞ」
「あ、…………ああ。……うん、そうだな……」

 また生返事をしてしまった。
 返事したその後でやっと、龍宮が私とお嬢様とのことを言っているのだと思い当たる。

 ああ、そういえば、ここに来たのもそれが始まりだったような……。

 私の返事に煮え切らないものを感じたのか、龍宮が少し眉をひそめる。
 小さく息を吐くと、手にしていたオレンジジュースを口へと運んだ。

 一気に飲んでしまおうとばかりに喉を鳴らすその姿に、私は。
 ふと、小さな衝動に駆られた。

「なぁ、龍宮。……ちょっと」
「…………?」

 オレンジジュースを傾けたまま、龍宮が私を見る。

「……あれ、見えるか?」

 私は、麻帆良湖の対岸辺りの湖面を指でさした。

 その指先に引き寄せられるように、龍宮の視線が麻帆良この湖面へと向けられる。





 ブフゥゥゥゥッッ!!



 龍宮の口から、飲んでいたオレンジジュースが勢いよく噴き出した。
 夕日に照らされたオレンジジュースが橙色に輝きながら霧となって空へと舞っていく。

 あ……認識阻害の魔法があるのにちゃんと見えたのか。

 凄いんだな……魔眼。

 ……というか、龍宮が口からジュース噴き出す図なんて初めて見てしまった。


「ごふっ……ごふっ…………いきなり、ヘンなものを……見せるな……バカ……っ!」
「す、すまん……つい、思いついてしまって……」

 激しくむせている龍宮の姿に、ちょっと慌てて背中をさする。

 麻帆良湖を見ると、もう私には、水面を泳ぎゆく触手の怪物の姿は見えなくなっていた。






<主人公>



 緑色のジュースを喉を鳴らして爽やかに飲み干し、空になったグラスを前に突き出しながら100万ドルの笑みを浮かべて女の子が言う。

『弾ける炭酸っ!メロンスカッシュ夕張メロン味! 春限定ですっ!』



 しゅわーーーーっ!



 ここは泣く子も黙る悪の魔法使い、エヴァンジェリンさん宅。
 色々とお世話になった刹那ちゃんに礼をしつつお別れして無事にエヴァンジェリンさんの別荘へと戻り、今は夕食も済ませて夜半過ぎである。

 俺はリビングの床にごろごろ這いながら、テレビを見上げていた。
 驚いたことにリビングには家主のエヴァンジェリンさんをはじめ、他の皆さんも勢揃いである。

 なんとなく、俺が《今日でお別れですしみんなでテレビでも見ませんか》と提案してみたら、意外にも、本当に全員でテレビの前に集合することになったのだ。

 あー、なんかちょっと嬉しい。

 「どういう理屈だアホ」とか「オレガ動ケネェカラッテ勝手ニ付キ合ワセンナ」とか言われた気もするけど、やっぱりこういう人と人とのふれあい的空間に飢えていたのですよ俺は。
 チャチャゼロさんによると、エヴァンジェリンさんがテレビを見るのはもの凄く珍しいらしいし。
 なんて優しいんだエヴァンジェリンさん。

 本気でテレビに興味なさそうで、番組がはじまったわけでもないのに、すでにソファに横になったまま退屈そうに脚をぶらぶらさせてるけど。

 ちなみに従者の茶々丸さんがソファの横で姿勢正しく立っているので、エヴァンジェリンさんの行儀の悪さがスゲェ目立ちます。
 チャチャゼロさんですら椅子に行儀良く座ってますし。

 いや、チャチャゼロさんは、単に動けないから行儀良い姿勢で安置されてるだけなんですけどね。

 まぁ、テレビの前でどう過ごすかなんて人次第だからいいのですけど。
 俺なんて床這ったままですし。

 ああ、木の板の床はひんやりしていいなぁ。

「……あまり床に広がるな。なんか気持ち悪い」
「目玉焼キミテーダナ」

 おお、いかんいかん。
 どうも気持ちいいところで伸びてると表面張力がなくなってグニャグニャになってしまう。
 俺は慌てて伸びきっていた触手を引き戻して視線をテレビに戻した。

 さて、なんだって最後の日になってテレビを見たくなったのかという話なのだけど。

 当たり前の話だが、地底の底にはケーブルも届いてないし電波も届かない。
 再び俺が地下に戻れば、こうやってテレビを見ることももう出来なくなるのだ。
 そう思うと、一度くらいのんびりと、テレビのバラエティ番組とか見ておきたくなったのである。

 ちょうど良く、今日は面白げな番組があったことだし。

 と、やっとCMが終わり、なんとも珍妙なBGMと共に俺のお目当ての番組が始まった。

『南米に潜む恐怖の吸血生物! チュパカブラの正体を追う!!』

 ――夏もまだ遠いというのに超常現象特集が放映されてるだなんて、我ながら幸運すぎる。
 いや、そこまで見たかったのかと聞かれると疑問があるけど、チャチャゼロさんが推した裏番組の死霊のなんたらとか、なんとかの生け贄とかよりは楽しげな番組だろうと思う。

「……フン、相変わらずテレビというのは低俗な内容しか流さないな」

 エヴァンジェリンさんはソファにだらしなく寝そべったまま、チラリとだけ画面を見て、つまらなさそうに鼻で笑った。
 そして視線をいつの間にか手元にあった本へと落とし、そのままページをめくり始める。

 家主様は一瞬で興味を失ってしまわれたようです。

「人間ノ犠牲者ガイルンダッタラ、惨殺死体トカ映ラネーカナー」
「吸血生物だそうですから、死体の状況もそれほど派手なものにはならないと思われます」
「知ッテルカ? 血ヲ吸イ尽クシタ死体ッテ水分少ナイカラ良ク燃エルンダゼ」
「それは、血液というか、体液全般を吸われた場合かと――」

 チャチャゼロさんの物騒な発言に、傍らに立ったままの茶々丸さんが律儀に受け答えをする。
 この二人は俺に付き合ってテレビを見てくれるらしい。

 そんなことを思う間に、コメンテーターとかの紹介が終わって、UMAの解説が始まった。

 画面の中では、チュパカブラの紹介に続いて、想像図らしいトゲトゲとくなった宇宙人みたいな絵が映されて、人を襲う際の動きが何故か克明にCGで再現されていく。
 最近のテレビは、ホントにどうでもいいような説明にまでCGを使うなぁ。

「ウワ、ダセーナ、コイツ。現地人ニモ返リ討チにサレルンジャネーカ?」

 やせ細った猿にトゲがついただけ、というチュパカブラのあまり強そうに見えないフォルムにチャチャゼロさんはがっかりしていた。
 この方はチュパカブラに何を期待しているのか。

 確かに見た目の残念さに関しては否定はしませんけど、夢とロマンの結晶であるUMAが現地の人に猟銃とかであっさり返り討ちになったら可哀相ですよ。

「……こんな皮膜が腕に付いていても、飛行どころか滑空すらできません。チュパカブラという生物は竜種のように翼の生む揚力に頼るのではなく、魔力によって飛行しているのでしょうか?」

 茶々丸さんはというと、チュパカブラの襲撃シーンの再現CGを前に、理解不可能なものを目にしたかのような顔で唸っている。

「ッツーカ、コノ細ッコイ足ジャ二足歩行シヨーニモ、自重ニ耐エラレネーダロ」

 なんて厳しすぎるダメ出し。
 あー、真面目に考えるとそうですけどね……。

 実は、ちょっとだけ、魔法使いの世界ではチュパカブラの正体とかはすでに判明済みだったりするのかなー、とか思ってたんだが、どうやら魔法使いの世界的にはスルーされていたらしい。

 さすがはUMA。未確認動物の名に恥じぬ未確認っぷりである。

 それならば、子供の頃には『未確認動物大百科』とか『UFO・UMA大全集』などのミステリーやらオカルトやらの特集本を読み漁った人間として擁護せねばなるまい。
 二人の真面目な突っ込みに、すらすらと触手でマジックをホワイトボードに走らせる。

《深く考えちゃダメですよ。UMAは未確認だからこそロマンがあるんです》

 そんなUMA好きからのお願いのメッセージを書いたホワイトボードを、触手で掴んだまま一生懸命ゆらゆらと揺らして皆さんにお見せすると。

「……オ前ガ言ウトモノ凄イ説得力ダナ」

 なんかもの凄く微妙な表情を浮かべて、チャチャゼロさんが呻いた。
 いえ、それはどういう意味ですか。

 さっきからなにげに話を聞いていたのか、ソファに寝そべっていたエヴァンジェリンさんが、読みかけの本から顔を上げて口を開く。

「いや、そもそもコイツの存在にロマンなんて最初から無いだろ」

 ひどっ!?

 いやいや、ちょっと待った、俺はUMAじゃないですよ!?
 ちゃんと魔法先生とかエヴァンジェリンさんとかに存在確認されてますからっ!!

 思わずホワイトボードに自己主張を書こうとする俺の触手を、茶々丸さんの冷静な言葉が止めた。

「でも、情報を与えられていない一般生徒の皆さんからすると、やはり未確認生物……つまりUMAという定義に当てはまってしまうのではないかと……」

 ……確かに、否定できない。
 よもや、俺自身がUMAだったとは想像の範疇外だった。

「まぁ、UMA扱いがイヤならせいぜいこれ以上目撃されないようにするんだな。うっかり噂でも広まれば、今度こそあることないこと尾鰭がついて、噂の的だぞ? そうなったら――――」

 言葉を途切れさせたエヴァンジェリンさんが、意味ありげにテレビ画面を横目で見る。
 それに釣られて、俺もゆっくりとテレビ画面に視線を向けた。

『……なんとこのチュパカブラに多額の賞金を賭けている資産家がいるそうです! その賞金を狙って目撃情報を追っているハンターさんもいるそうで、その額はなんと――――』

 わー、一生遊んで暮らせそうな額ですね。









 チュパカブラ捜索のドキュメントで、ここまでチュパカブラの行く末に感情移入して見ていたのは、日本広しと言えども、俺だけだったのではないかと思う。

 暗闇の中に見えた謎の影に向けて猟銃が次々と放たれたときは、思わずチュパカブラの無事を祈って神に祈ってしまった。
 無事に謎の影が森の奥へと逃げ去った時には、安堵のあまり、思わず堅く緊張させてしまっていた触手をぐにゃりと伸ばして脱力した。

 良かったねチュパカブラ、森にお帰り。

「ドー見テモソーイウ話ジャネーダロ」

 涙ぐんでたらチャチャゼロさんに冷たく突っ込まれた。



 そんな感動ストーリーも無事に終わり、今は画面の中ではニュースが流れている。

 エヴァンジェリンさんは本格的に本の世界に没頭していて、茶々丸さんは先ほどから台所の方でデザートを準備していた。
 俺はというと、殺人事件のニュースがないと嘆くチャチャゼロさんの相手をしながら、茶々丸さんから受け取った、俺が食べられそうなメニューをプリントした紙をぱらぱらとめくっている。

 当然シチューとかが中心なのだが、それでもボリュームのある内容だった。
 寮で暮らしていた関係上、俺も少しは料理できる人なので、この読み物はなかなか興味深い。

 地下に戻ったら食材チェックして、作れそうな物をリストアップせねば。
 そんなことを思っていたせいで、勘が鈍っていたのか。

 玄関の扉の向こうから聞こえる、小気味の良い金属音に、俺は反応が遅れた。

 なんとなく、夕映ちゃんのベルから聞こえてくる涼やかなベルの音に似てるなぁ、なんてことを思いながら、料理のリストの紙をぺらりとめくって。

 それが来客を告げるベルだと思い出したのは、いつの間にか戻っていた茶々丸さんが玄関の扉へと手をかけた時だった。

 カランカランと音を立てて何の抵抗もなく玄関扉が開かれる。

 …………あれ? お客さん??

 え、あ、えぇっ?? マズくないですかそれ???

「お邪魔しますー」とか聞き覚えのない女の子の声が玄関の向こうから聞こえてきた時点で、やっと俺は状況を把握することが出来た。

 人が! 見知らぬ人が入って来ようとしてますよっ!?

 慌てて俺は、目に入ったリビング中央のテーブルの下に潜り込もうとした。

「アホかっ!」

 間をおかずにソファから伸びてきたエヴァンジェリンさんの脚にげしっと蹴られた。

「まったく、なんで真っ先に隠れきれそうにもない場所に潜り込むか貴様は……」

 それでも逃げようとしたら、そのまま脚で太い触腕の一本を踏みつけられて、それ以上の逃走を阻止されてしまった。
 じたばたじたばたと暴れてみるけど、爪先でいい感じに床に押しつけられて抜けられません。

 え、いえ、あの、人が来たんですよね?
 隠れないとまずいですよね? UMAとして捕獲されて売れるのはイヤですよ?

 転がったまま必死でそんな言葉を目で訴えかけていると、エヴァンジェリンさんが額を指先で押さえながら呆れたように息を吐いた。

「お前のことを知られて困るような人間など、家に上げるわけがないだろうが。来客は魔法関係者で、私の協力者でもある。……だから、安心して堂々としていろ」

 その言葉と共に、俺を踏んづけていた爪先が離れる。

 おそるおそる立ち上がると、もう目の前に、件のお客さんがいた。

 両手一杯に何やらファイリングされた紙の束を抱えた、お下げで眼鏡な女の子である。
 着ている白衣が妙に板に付いてるけど、ちっこさからして中学生だろう。
 やっぱりエヴァンジェリンさんの同級生かな。
 あんまり魔法使いっぽくないけど、ホントにいきなり俺と顔を合わせて大丈夫なんだろうか。

 また悲鳴とか上げられんじゃないかとびくびくしながら女の子の反応を待っていると、彼女は胸の前で手を合わせて、目を輝かせらながら黄色い悲鳴を上げた。

「わぁーーっ、お話には聞いてましたし映像でも見てましたけど、実物は本当に凄いですっ!」

 ありえない反応に、びくっと俺の体が揺れる。
 視界の隅で、電光石火のスピードで落下したファイルをキャッチする茶々丸さんが見えた。

「ホントに7本足歩行なんですね! 奇数だとバランスとかずれちゃうと思うんですけれど、平衡感覚とかは大丈夫なんですか? もしかして補助足の方でそういうのをカバーする造りになってるんでしょうか?」

 エヴァンジェリンさんに魔法使い関係の友人がいらっしゃるという話を聞いてはいたものの、全然俺の姿に怯える様子もないその姿は、やはり嬉しい。

 ……嬉しいんだけど、好奇心に満ち満ちたその瞳がやけに怖いんですが。

 ちょっと後ずさりつつも、とにかく礼儀を優先することにする。
 いつものようにホワイトボードにすらすらとメッセージを書いて、お見せした。

《はじめまして》

「あ、失礼しました! 私は葉加瀬聡美って言います。はじめましてー」

 ホワイトボードに書かれた俺のメッセージを読んだ葉加瀬さんがぺこっと頭を下げる。

 おお、意外に礼儀正しい子だ。
 俺もホワイトボードに返事を書いてお見せする。

《これはご丁寧に》

「なるほど! 目にゴミが入らないようにちゃんと透明の膜が張ってあるんですねー。これって、眼球からの分泌物とかが固まったものなんですか? 出しっぱなしだとゴミが付いたり傷付いたりしたら見えにくくなっちゃいますし……あ、でも傷とかなら再生しちゃうからそれでもいいのかな? 自動修復機能って便利ですよねー」

 わー、ホワイトボード見てないよこの子。
 むしろ俺のボディを眺めてるよぺたぺた触ってるよあのあんまり触らないでください。

「へー、こっちの細いのが補助脚ですかー。伸び縮み自在だから、用途の区別は太さの方が重要なのかな? わーっ、やっぱり見た目は海棲生物っぽくても、構造は根本的に違いますね?」

 いやいやその細い方の触手は割と敏感なのであんまり引っ張らないで。

「わわ、ホントにその足って滑らかに稼動するんですね! 関節単位で動く動物と違って軟体動物の体の動きって機械で再現しにくいから、茶々丸から見せて貰った怪物さんの動作のデータは凄く興味深かったです! 特に垂直に立った時とか驚いてジャンプした時の動きは軟体動物に不可能な動作ですし、アレは軟体動物界にとってはちょっとした革命ですよ!!」

 いえそんな革命は起こしたくないです。
 この子、なんか俺を見る目が新製品のオモチャを見る子供みたいに輝いているんですが。

 あと、なんで手にスパナとかノコギリとか握ってるんですか?

「ハカセ。いらん感動は伝えんでいいから。あと解体するな」

 目の動きとかでなんとなく俺が困ってるのを察してくれたのか、微妙に引いた顔のエヴァンジェリンさんが横から助け船を出してくれる。
 どっちかというと呆れている感じだけど、こういう反応は初めてで、なおかつなんかとっても怖かったので、正直ありがたいです。

「あぅ、そうですね。今日は別の用件出来たんでした……」

 さすがにはしゃぎ過ぎたのに気付いたのか、勢い余って俺の足を一本くらいお土産に持って帰っていきそうな勢いで迫っていた葉加瀬さんも無事に止まってくれた。

 それでも諦められない顔で、もう一度俺の方に話を振る。

「……あの、でも、後で個人的に動作のデータも取らせて貰って良いですか? 今新しく研究してる多脚戦車の開発のヒントになりそうなんです」

 熱っぽい目で女の子にお願いされるのは嬉しいですけど、俺の足の動きをもの凄く注目するのは勘弁して下さい。なんか凄く恥ずかしいです。

 俺が視線に硬直しているのを横目で見つつ、エヴァンジェリンさんが口を挟む。

「あの大学の研究所で警備に使ってるようなヤツか?」

 あ、それは見たことある。

 なんかアニメとかにでも出てきそうな、車輪でスイスイとアスファルトを滑って動くクモみたいな形の大きなロボットだ。
 アレ、警告無視したりしたら当たると地味に痛いゴム弾攻撃をしてくるんだよなぁ。

「うーん、今私が研究してるのもそんな感じですけど……どうしても多脚戦車ってああいう形にまとまりがちだから、私はもうちょっと一捻りしたいんです。それで、怪物さんの動きを参考にすれば面白いのが作れるんじゃないかなー、と」

「機能性に優れているからあの形にまとまったんじゃないか?……というか、こんなバケモノの動きを参考にしたロボットを作るな」

 わーい、酷い言われようです。
 でも俺もそう思います。

 俺みたいな形のロボットが警備用に大学の研究所の周囲を徘徊してたら、それはもう"研究所"という名称の前に"悪の"とか"狂気の"とかつけないといけなくなりそうだし。

「機能性も大事ですけど、それだけじゃ新しい物は作れないですよー。時代を切り開く科学者に必要なものは、未知の世界を踏破する探求心です! ……あ、それに怪物さんのフォルムは結構機能的で好きですよ?」

 いえ、機能的に好きとか言われましても。
 なんだろうこの嬉しくない好意。

「あと、後ろ側にも目があったら機能的に見て完璧だと思うんですけど……」

「…………どんなバケモノだそれは」

 エヴァンジェリンさんの呻くような突っ込みは、俺の内心を正確に代弁してくれた。






<夕映>



「ふぁふ…………ん」

 ふと欠伸を漏らしてから、何気なく傍らに置いていた時計を見てみる。
 小さな置き時計の数字の針は、ずいぶんと遅い時刻を差していた。

「む……いつのまにか、ずいぶんと遅い時間になってますね」

 時計は深夜を差しているというのに、地底図書館の中は何も変わらず明るい。
 本当に、この場所は住む人の時間の感覚を狂わせます。

「あ〜〜、ホントや〜〜」

 私の横に寝そべって本を読みふけっていた木乃香さんが、どこかぽーっとした様子で私の背中ごしに時計をのぞき込む。
 む……長い髪の毛がかかって妙にこそばゆいのですが。

 見上げると、長い間寝そべって本を読んでいたせいか、木乃香さんは髪の毛をピンピンとあちこちに立てて、寝ぼすけの寝起きのごときみっともない姿になっています。

「……もう、おやつの時間や」
「いえ昼間じゃなくて深夜の方の三時ですから」

 寝ぼすけなのは外見だけじゃなかったようです。
 本の世界に没頭しすぎたのでしょうか。

 ため息をついて、傍らに置いていたポシェットから折り畳み式のブラシを取り出して木乃香さんの髪をかるく梳きました。
 むぅ、木乃香さんの髪は、枝毛の目立つ私の髪と違って、本当に絹糸のようですね……。
 なかなか梳き心地が良くて、こういうのが好きなハルナの気持ちがちょっと分かったです。

「ん〜……ゆえ、ありがとな〜……」
「いえいえ、これぐらいでしたらいつでも」

 寝癖を直してからポンと頭をなでる。

「ん…………あ、あれ……?」

 それがスイッチだったのか、無事に再起動を果たしたらしい木乃香さんは、しばらく目をパチパチと瞬かせて時計を見た後、唐突に頭を抱えて悲鳴を上げました。

「あかん〜、ウチ、久しぶりに夜更かししても〜た〜」

 楽しそうに嘆いている木乃香さん(本人としてはまじめに嘆いているのだと思いますが)を横目で見つつ、私も自分の髪をポシェットから取り出した手鏡でチェックしました。

「たまにはいいのではないかと。このかさんは、いつもアスナさんやネギ先生や朝食の準備で毎朝早いのでしょう?」

 う、やっぱり髪の毛がピンピン跳ねてます。
 この地底図書館はくつろぎオーラが強すぎて、ついつい油断して身繕いを怠ってしまいがちです。注意しないといけませんね……。

 横目で見ると、木乃香さんが顎に手を置いてなにやら悩んでいます。

「でも、みんなにゴハン作ってあげるの、ウチ大好きやからなぁ……」
「……このかさんはホントに貴重な人材ですね」

 私の部屋では、朝食の準備は同居人であるのどかとハルナと三人での持ち回りになっているので、当番じゃない日の夜更かしは珍しくありません。
 毎日進んで朝食の準備を買って出ている木乃香さんの方が偉すぎると思うのです。
 本当に、たまにはゆっくり休んでもいいと思うのですが。

「あはは、ありがとな〜」

 そう提案すると、私の頭をぽんと撫でて、木乃香さんはいつもの笑顔で笑いました。

「……アスナさんとネギ先生が羨ましいです」

 のどかやハルナと共に、少なからずお部屋にお邪魔したことのある身としては、木乃香さんの美味しい料理を毎日食べられるというのは羨ましい話です。
 いえ、最近はのどかの料理の技術が著しく成長しているので、美味しい料理を食べられるという意味では私の部屋も負けてないのですが……。

 それとは別に、木乃香さんの側にいられることを羨ましいと思ってしまうのはなぜでしょう?
 自分の頬が熱くなるのを感じて、私は小さく首を振りました。

「あはは、食べたくなったらいつでもみんなで来て〜な」
「…………そうですね。無事にテストが終わったら、皆でお邪魔させてくださいです」

 最近はネギ先生がいることもあって自重していたのですが、たまには良いでしょう。
 のどかを応援する身としても、そういった機会を設けるのは吝かではないです。

 この前にお邪魔したときは、うやむやのうちに宴会に突入してしまって、アスナさんに揃って追い出されてしまいましたし。

「ん〜、楽しみやな〜。それじゃ、がんばって期末テスト頑張らんと……!」
「……ですね。皆さんを呼んで、期末テストで最下位脱出記念パーティーといきましょう」

 珍しく拳を握りしめて力強く宣言する木乃香さんに、私も頷きました。

 なにしろ期末テストで学年一位を逃せばそのパーティーの主役になるべき人物がいなくなってしまうのですから、頑張らざるを得ないと言うか。
 その他にも、のどかのことや魔法の世界がらみのことも含めて、今、ネギ先生に学年を去られてしまうのはとても困ります。

「期末テスト、頑張りますか……」

 怪物さんからの情報で、ネギ先生のクビのかかった試練というものの中にこの地底図書館の件が含まれていることを知ってしまった今では、むしろ期末テストよりも先に、に無茶な要求する学園の方をどうにかしたいのですが。
 その件は、今のところは私の胸の中に秘めておきましょう。

 そんな風に考えていると、ふと、木乃香さんが私の手にした本に視線を向けました。

「そーいえば夕映、その本ってなんの本ー?」

 じーっと興味深そうな視線を向けているのは、私の手の中にあるその本が、普段はあまり見ないようなハードカバーの洋書だからでしょう。

「……む」

 そう言えば、最初のうちは地底図書館のあちこちから集めてきた参考書の類を読んでいたのですが、途中から読む本を変えたんでしたっけ。
 いつもの日課で魔法使いの初級教本に目を通しているうちに、ついついそのまま熟読してたのでした。

「洋書、です…………趣味の本ですが、英語の勉強にはなるかと」

 一応、嘘は言ってないです。
 事実として英語の成績は上がりましたし。

「おおー、なんや格好いいなぁ〜。ちょっと見てええ?」

 にこっと笑う木乃香さんの手の平に、少しだけ悩んでから本を乗せる。

 どうせ私たちはフィクションに慣れた本好きの友。本当の魔法の参考書なんて発想よりも先に、フィクションとしての本であるという結論に達するはず。
 少し読むぐらいなら問題はないでしょう。

 木乃香さんは私が開いていたページに指を挟んで、ぱらりぱらりとページをめくった。

「むむっ、これってオカルト関係の本ちがうん? こーいうのってすっごく高いんやないの?」
「貰い物なので値段はちょっと……」

 というか、非売品にも程があるぐらい非売品です。

「ウチも占い研究会の部員の端くれ、こーいう本には一家言あるんよ。私の見立てやと、この本は…………むむむむむむむ、結構簡単な英語やけど、時々わからん言葉がある〜」

 呪文の項目を指でなぞりつつ、木乃香さんが唸る。

「それはラテン語です。……私もギリギリ発音が分かり始めたぐらいで全然読めないです」
「おお〜、なんや本格的やね〜。凄いわぁ〜」

 しきりに感心する木乃香さんに「ちゃんと読めてるわけじゃないですからたいしたことないです」と返しつつ、私は魔法使いの教本を返して貰いました。

 ちょっと失敗です……木乃香さんは神秘系のグッズには目がないんでしたね。

 まさか適当に本の呪文を唱えて大成功、などという恐ろしい事態はないと思いますが、なにげに占い研究会屈指の占いの的中率を誇っている木乃香さん。万が一のことを考えて、あまり触れさせていいものではないでしょう。

「ハルナが、夕映がヘンな本読んでる〜〜!ってすっごい気にしてたけど、そ〜いう本やったんやねぇ。ウチ、てっきりもっとトンでもない本かと思ったわぁ」
「………参考までにお聞きしますが、一体どんな本を想像してたんですか?」

 木乃香さんの言葉に思わず突っ込むと、聞かれた本人は何故か頬に手をやって顔を赤くした。

「いやわぁ、夕映もそんな大胆なこと聞かんといて……そんな、洋がつく本やからって……」
「一体どんな本を想像してたんですかッ!?」

 くねくねと体を揺らして答える姿に思わず激しく突っ込むと、木乃香さんはくすくすと笑う。
 なんとも楽しそうなその表情に、からかわれたのだと気付いて、私は息を吐いた。

「……もう。……あまり、恥ずかしいことを言わないでください」
「アハハハ、ごめんなぁ〜、拗ねんといて〜」

「ほら、夕映とくっくつの久しぶりやし。話してるとついつい楽しくなってきてなぁ〜」

 そう言われると、こういうやりとりは久しぶりな気がします。
 一年の時は、図書館探検部での集まりのたびにこんなやりとりをしていましたっけ。
 あの頃は、私ももっとムキになって……いつも、のどかが間を取り持ってくれてました。

「そうですね。……私も、状況はともかく、こういう状況は久しぶりで、楽しいです」

 少しだけ昔を懐かしんで頬を緩める。
 そうして、まだくすくすと笑っている木乃香さんと二人で、少しの間笑っていました。

 そうして、しばらくの時間が過ぎて、ふと思い出したことを口にする。
 なんとなく聞きづらくて言えなかったことです。

「…………あの、一つ、是非ともお聞きしたいことがあるのですが」
「ん〜、なんやなんや、ウチに言うてみ〜〜?」

 少し眠そうにしながらも、身を乗り出して話に乗ってくれる木乃香さんに安心して、私は慎重に言葉を選びながら、ずっと聞きたかった質問を口にした。

「……今日のお昼過ぎに、なにか……こう、変なものとか……見なかったですか? えーと、その、なんというか……UMA的な生き物とかを……」

 そう。

 今日の夕方、怪物さん本人が、木乃香さんに見付かったという話をしていたにも関わらず、当の目撃者であるはずの木乃香さんは、その話を私を含めて誰にもしていないのです。
 よもや怪物さんが私に虚偽の申告を行うなんて事はあり得ませんし、木乃香さんの方に、秘密にするだけの何らかの理由があるとは思うのですが。

 それを聞き出そうにもどう言葉を切り出せばいいか思いつかず、気が付けば、いつの間にかこんな時間になっていたのです。
 考え込んでいるうちにあまり良くない方向に想像が働いたこともあって、一時はいっそ聞かない方が、とも思いかけていたのですが。
 なんだか先ほどの空気に触れてあまり深く考えるのもバカバカしい気がしてきました。

 そして、実際に聞いた見た結果は、というと。

「あ、もしかして夕映も見付けたん?」

 ……と、木乃香さんはあっさりと答えてくれました。

 やはり深く考えるよりも普通に聞いてみるのが一番ですね。
 こういう時は、なんにでもあけすけな所のあるハルナの気安さが羨ましいです

 それはそれとして。

 ここは、話を合わせて詳しく聞いてみることにしましょう。

 正直なところ、全てを話してしまいたいです。
 ですが、魔法の秘密のことはネギ先生や師匠の安全にも関わってくる重要な問題ですから、いい加減な扱いは出来ません。
 それは諦めるしかないです…………すみません、木乃香さん。

 私は、必死に頭を巡らせてから、口を開きました。

「…………えぇと、たぶん、そうです。はい。……あの、どうして他の皆さんに黙ってたのです?」

「なんやネギ君とかまきちゃん、すっごく怖がってたやろ? ウチは平気やと思ったけど、あんまり怖がらせたらあかんな〜と思うてんよ」

 その答えに、私は感心しました。

 ……というか、怪物さんについてはホントに平気なんですね……実物を知る身としては、秘密にした判断の的確さよりも、むしろそちらの方に感心してしまうのですが。

「……そ、そんな理由だったんですね」

 思わず返してしまった私の言葉に、木乃香さんが不思議そうに首を傾げる。

「ん〜……それじゃ、夕映はなんで黙ってたん?」

 はぅあっ、しまったですっ!?
 ここは同意するところだったのに、物思いにとらわれてつい反応をしくじってしまいましたっ!!

 て、的確な回答、的確な回答…………!!

「えーと、なんというか……ですね。ちらっと見ただけなので、自分の目を疑っていたというか、もしかしたら幻覚かもしれないと思いまして…………確証がつかめなかったのです、はい」

 こ、言葉尻が、我ながら怪しすぎます……!
 なんとかフォローの言葉を……フォローミー!!

「ふーーーーーん、そっかぁーー…………ふぁふ……」

 ……なんだか木乃香さん的には眠気の方が優先だったようで、私の怪しい返事はあくび一つでチャラにしていただけたようです。
 安心すると同時に、もの凄く脱力感が押し寄せてきます。

 まぁ、確かに気にしないでいてくれればそれでいいのですが……。

「……あの、このかさんの言ったとおり、あまり騒ぎ立てるのも良くないと思いまかし、この件は二人だけの秘密ということにしたいと思うのですが……どうでしょうか?」

 一応、怪物さんのためにも念押しを入れておきましょう。
 これでとりあえず、怪物さんのことはこれ以上の問題にならないはずです。

「そ〜やねぇ〜…………ちゃんとお母さんに会えたんやとえぇけど…………」

「………………………………お母さん?」

 ……と思ったら、なんだかまた謎な言葉が返ってきたのですが。
 あの、どちらから、怪物さんのお母さんとかそういう話に進化したのでしょうか……?

 思わず身を乗り出してみるものの、木乃香さんはもはや目を開くのも億劫そうに、椅子に腰かけたまま、うとうとと首を揺らしています。
 よく考えたら、もう深夜にも程があるくらい深夜でした。
 いつも健康的な生活をしている木乃香さんでは、油断すると眠気にさらわれる時間帯です。

「……むにゅ……それじゃ、ウチはもう限界やし、もう寝させてな〜……」

 甘えるような声でそう言われて、私はしばらく口を開けたり閉じたりしていましたが……。
 これはもう無理だろうと思い、仕方なく詳しいことを聞くのを諦めました。

「は……はい、おやすみなさいです」
「ん、おやすみ〜…………」

 そのまま、小さな寝息を挙げて、木乃香さんは眠りに落ちてしまいました。
 小さく溜息を吐いて、私も椅子に背を預けて眠る姿勢に入ります。

「………………………………………………………………お母さん?」

 微かに目を開けてみても、そこには変わらず空はなく、昼夜変わらず暖かい光で地底図書館を照らしている、木の根で編み込まれた天井があるばかりで。

 私の疑問に答える声は、どこにもありませんでした。









つづく