第27話 「ウソツキと誤解」





<ハルナ>



 最近、女子寮で同室の親友二人の様子がおかしい。

 もっと言えば、親友である綾瀬夕映の様子がおかしく、その心配をしているらしい宮崎のどかもまた一緒におかしくなっているのだ。
 二人の親友である私としては、これはいかんと思うわけだよ。

 今は朝のショートホームルーム前。
 登校してきて挨拶を交わしたり、自分の机に陣取って朝のお喋りを楽しんでいるクラスメイト達の中で、私は一人思い悩んでいた。
 開いたままのスケッチブックに筆を走るわけでもなく、自分の机に頬杖をついて教室を見渡す。
 件の親友の片割れであるのどかは、私と同じように自分の机に座ったまま、物憂げな様子で窓の外、校門の方にじっと視線を向けている。

 探しているのは、まだ教室にいない夕映だろう。

 今朝の登校の時間にも、遅くまで外出していたせいで寝不足らしい夕映は身支度がずいぶんとかかってしまって、私とのどかの二人だけで登校してくる羽目になってしまった。
 待ってくれって言ってくれればいくらでも待つのに、のどかが気になってるネギ先生のことまで持ち出して『自分のせいで遅刻させられないです』なんて言うから。
 あーいう融通の利かないところが、我が親友たる夕映の最大の欠点である。

 ここは一つ、問題の早期解決を図るべきだと思う訳なのだけど。

 なんだかこう、今回の問題は実に根が深いらしい感じで、ちょっと簡単には手を付けられない感じなんだよねぇ。
 のどかだって言いにくいこともあるみたいだし、一体どの辺りから問題が発生してるのか判断しにくい。
 こういう問題って、後手に回ると悪い方向に進むから難しいんだよねー。

 実のところ、いつぞや言ってた“図書館でできた知り合い”に会いに行ったり、もしかしてラブいことになってるんじゃないかとか妄想していたのだが、のどかに聞いたらもの凄い勢いで否定されたし。
 本人も、夜遅くに帰ってきた割にはあんまりラブいムードじゃないし、だからってなんかトラブルに巻き込まれてるって様子でもないし。
 むしろなんか充実してる感じなんだよねぇ……一体何をしてきたんだか。

 最近は、夜中に何か怪しげな勉強してるみたいだし。
 しかも、なにしてるのか聞いても、教えてくれないという秘密主義っぷり。

 うーむ、この情報通のハルナ様に分からないことがあるというのは、プライドが傷付けられるなぁ……ふふふふふ。
 これはいっそのこと、禁断の手段に出ちゃうという手も……。

「ハルナ、おはよ〜〜!」

「うひゃあああああああああああっ!?」

 ぽふ、といきなり背中を両手でタッチされて、私の心臓は跳ね上がった。
 慌てて振り返ると、いつものように平和そうな笑顔を浮かべた木乃香の顔が間近にある。

「どーしたん? 」

 不思議そうに問う親友に、にへらと笑いを返す。
 こっちの親友は、相も変わらず平和そうでなによりだ。

「おはよ〜さん。ん〜〜、のどかとゆえ吉のことでちょっとね〜〜」

 ひらりひらりと手を振って挨拶。
 今日は一緒に登校してきたらしく、斜め前の机を見ると同室の明日菜の姿もあった。

「あ〜、あの図書館の知り合いのことやな?」
「にゃははー」

 納得顔でポンと手を叩く木乃香に、笑いだけで返す。

 べつに秘密にするつもりもないんだけど、木乃香に話すにしてもこの話題はまだまだ熟成が足りないのである。
 もっと面白くなってきてからバーンと教えてあげないとねー。

 問題は、どーやって面白い話にするかなんだけど。

「……んー、これなんや?」

 開きっぱなしにしていたスケッチブックが興味を引いたらしい。
 自分の机に座るかと思っていた木乃香は、私の机の上で開きっぱなしになっているそれの中の絵を不思議そうに見ている。

「あ〜〜、コレね?」

 その視線の先を見て、私は苦笑を浮かべた。
 描きかけのイラストを上から鉛筆で塗り潰した、丸いぐるぐるの塊。
 いつぞや夕映から図書館であったという謎の友人さんのことを聞き出そうとしたとき、証言を元にイラストで再現しようとして、結局失敗に終わったものだ。

「これがその、夕映とのどかの友達さん」

 ……いや、失敗に終わったんだけど、夕映によると何故かこのぐるぐるの塊はその友人さんに“ちょっと似てる”らしいのだ。

「ふぇー、こんな人やの? 丸い人なんやなーー」

 いやいや、感心されても。
 むしろ丸い以外の特徴がこの絵から伝わってこないんだけど。

「はっはっはっ、ホントに丸い人なのかもねー。ほら、ふとっちょだから私達みたいなピチピチの女子中学生に紹介されるのは恥ずかしーとかさー」

 ありそーな話だけど、なさそーな話でもあるかな。
 それぐらいであの二人があんなに必死に紹介するのを断ったりすることもないだろーし。

「んー、顔がまん丸いのかも知れんよー?」

 木乃香が両の手の平で、自分の頭の回りに大きい丸を描く。
 いやいや、木乃香。
 そんなに頭が丸くて大きかったら、愛と勇気だけが友達のヒーローになっちゃうから。

「しっかし、やっぱり実物見たいなー、木乃香ー、なんとか夕映のこと説得してー?」
「ハルナに無理なら、ウチにだって無理やって〜〜」

 にこにこと笑いつつ、パタパタと手を振って木乃香は答えた。
 よく見ると眉だけちょっとだけ困ってるのは、やっぱり無理のあるお願いだったからか。
 とはいえ、この暢気な笑顔はやっぱり何度見ても癒されるなぁ。

「そりゃーざんねん。それじゃ、謎の人物の秘密はいつかこのハルナ様が暴いてやらないとしましょーか。情報通の名にかけて!」
「アハハ〜、あんまり無茶しちゃあかんよ〜?」

 私の言葉にやんわりと突っ込みながら、木乃香は自分の席に向かった。
 そーいえばもうすぐショートホームルームの時間だし、他のクラスメイト達もボチボチ自分の席へと戻っている。

 ありゃ、夕映まだ来てないのに。
 首に縄をかけてでも一緒に連れてきた方が良かったかな?

 ちょっと焦って教室の入口の方に視線を向ける。
 そうすると、ちょうど後ろ側のドアを開けて夕映が教室へと入ってきた。

「やっほ〜、夕映。おっそいよー!?」

 急ぎ足でこちらへ向かってくる親友へと私が挨拶がてらに手を振る。
 いつもは登校途中に買ってきている怪しげなジュースが手の中にないという事は、よっぽど急いできたんだろう。

 だけど、そこから夕映の動きがいつもと違った。
 自分の席に向かう途中で足を止めたのだ。

 夕映がピタリと足を止めたのは、夕映が出てきた教室後ろのドアと夕映の机との途中にある、エヴァちゃんの席の前。

 夕映は、短い挨拶の言葉とともに、エヴァちゃんに丁寧にぺこりとお辞儀をした。
 その挨拶に対して、エヴァちゃんの方は軽く手を上げて返す。
 なんというか、妙に丁寧な夕映のお辞儀とそれを受けるエヴァちゃんの表情は妙に様になってる感じで、まるで慣れた主従関係って感じなんですけど。

 なんだろう、この二人の雰囲気。

「も、もしや……これは、ラブ臭……!?」

 思わず立ち上がりつつも眼鏡をずり上げる。
 今の一連の動作には何かあると、私の中の第六感が囁いたっ!

「ハルナ、アホなこと言ってないでさっさと席に着くです」

 囁いたんだけど、渦中の人物である夕映の方にあっさりと否定されてしまった。
 あー、うん。そりゃそーか。

 そのまま私の隣の席に座った夕映は、何事もなかったかのように鞄を机の横に置いて、取り出した教科書やノートを机に入れ始める。

 つんつん、と横から肩をつついてみる。

「ねーねー、さっきの意味ありげなやりとりってなんだったのかなー? お姉さん詳しいことを聞きたいなー?」

 親友二人を取りまいている問題についてのヒントになるかも知れないし、麻帆良女子中等部一の情報通を名乗る身としても、今の不思議な一幕の謎は是非とも聞いておきたい。
 エヴァちゃんって可愛いんだけどちょっとガードが堅くて情報がないのだ。

 私の問いは予想済みだったのか、夕映は小さく溜息をついた。

「……この前の休日の間に知り合いになったというだけで、ハルナが想像しているような怪しげな関係ではないです」

 すげない調子の答えだったけど、私はちょっとだけ驚いた。
 まさか目を離している隙に、エヴァちゃんと友達になっていたとは。

「ねーねー、どーやったの? エヴァちゃんって結構話しかけづらいから、私もなかなか親しくなれなくてさー」

 椅子から半分身を乗り出して、小声でこそこそと耳打ちして聞いてみる。
 実際、エヴァちゃんには私も何度か話しかけてるんだけど、いつもすげない返事を返されちゃうんだよねー。

 私の問いに、夕映は一瞬だけど、かなり微妙な顔をした。
 そして、なんだか難しそうな顔で答える。

「……たまたま、きっかけが掴めたんです」

「きっかけ、ねー」

 一体全体どんなきっかけだったのか、聞いてみたいんだけど────



 ───────────キーンコーンカーン……



 あぅ、時間切れか。
 前のドアを開けて、いつものようにネギ君が教室に入ってくる。

 しっかし、これは本格的に調べてやらないと気が済まなくなってきたなー。






<夕映>



 怪物さんと示し合わせた待ち合わせの場所は、はじめて怪物さんに地下を案内して貰ったときに連れてこられた、余剰分の本が並ぶ本棚で作られた、深い深い縦穴。

 時間の無駄を省くために来る途中にハンドベルを鳴らして、この縦穴の上で、下から迎えに来てくれる怪物さんと合流する。
 それが最近の私の、図書館島の地下における行動パターンでした。

 怪物さんも気を遣ってくれているでしょう。
 その腕に掴んで貰って移動するとき、下から上へと流れていく風景は、ほとんどこんな薄暗い縦穴ばかりです。
 自分の足で探索した時に見ることのできる、図書館島の地下にだけにある、驚異的な光景の数々とは全然違う、まるで舞台の裏、衝立の後ろのような寂しい風景。

 いつか親友と見るときのためにそんな光景を見るのは取っておきたい。
 なんという、厚顔無恥な願いでしょうか。

 きっと怪物さんは、ずっとあの薄暗い舞台の影に隠れて生きているのだというのに。

 ……こんなことを考えてしまうのは、やはり、最近の修行生活に疲れが溜まってきているからでしょうか。
 今朝は、のどかやハルナにも迷惑をかけてしまいましたし、心配をかけないように、もっとうまくやらないといけないです。
 せめて、修行が次の段階に進めば、もう少しは楽になると思うのですが。

 もう師匠の元で修行をはじめて一週間以上が経ちましたが、いまだに私の初心者用の杖の先には魔法の火が灯る様子はありません。
 師匠は、問題ないと言ってくれていますが、さすがにここまで何も起こらないと、本当に私に魔法が使えるのか自信が無くなってきます……。

「……怪物さん、今日は遅いです」

 縦穴に腰かけて、足をふらふらと揺らす。
 底の方からゆっくりと吹いてくる冷たい風が、足に触れて気持ちがいいです。

 足に触れて……

「………………なにやってるです?」

 一瞬心臓が跳ね上がりそうになりましたが、なんとか平静を保つことに成功しました。
 足元にいつの間にか這い寄っていた怪物さんが、ぺったりと本棚に貼り付いたまま、触手の先で私の足先をつついています。
 気配が無いにも程があると思うのですが。

 怪物さんは、私の疑問に答えるように先ほどからメッセージを書いていたらしいホワイトボードをにゅっとこちらに見せてくれました。
 マジックの先を滑らせてあまり音が出ないように気を付けてるところが芸が細かいです。

《近くに友達が来てるよ》

 そのメッセージに、慌てて背後を見回す。
 左から右まで、注意深く見てみましたが……とりあえず、今現在に私を見ている視線はないようです。

 安堵に息を吐いてから、怪物さんに視線を戻す。

「見られてないなら今のうちに移動するが吉です。怪物さん、お願いします」

 後ろにチラチラと視線を向けながら、そろそろと身体を縦穴の底の方に近づける。
 怪物さんは私が落ちないように慌てて触手で足元を掴んでくれた。

 そのまま穴の縁から腰を浮かせて、触手に掴まるようにしながら怪物さんに体重を預けると、手慣れた動きで触手を腰に巻き付けてくれた。
 そのまま地下へ降りてくれると思ったのですが、怪物さんはためらうように体を揺らして、もう一度穴の上の方に大きな眼球を向けました。

「……どうしたです?」

 声を潜めて尋ねると、怪物さんはホワイトボードにその返事を書いてくれた。

《近くにいる子の中に、のどかちゃんがいる》

 ……のどかが。

 でも、他にも一緒に誰かがいるなら、不用意に出てはいけないです。
 そもそも、これから私と怪物さんがどこに行くか聞かれたら答えられないわけで。
 それなら気付かれないうちに行く方がいい……です。

「行きましょう。一緒にいるのは多分ハルナですし、心配はないです」

 もしかして、私のことを探しに……さすがにそれはないですね。
 平日からこの階層までハルナが降りてくるのは珍しいですから、漫画の資料か何かを探すために、のどかに手伝って貰って降りてきたのでしょうか。

 私の要請を聞いて、怪物さんは音もなく触手を動かして地下へと降りていく。
 音を消しているせいで、まるで無音のエレベーターのように静かに風景が下へと流れていく。

 薄暗い風景をあまり見ないように視線を伏せていると、いつの間に書いていたのか、怪物さんが私にホワイトボードを見せた。

《いいの?》

「…………エヴァさんの修行のことは秘密にする約束です」

 私の答えに、怪物さんは体をわずかに揺らした。






<のどか>



 最近はいつものことになっている、寮の部屋へ帰ってすぐの『図書館島への用事』で部屋を出ていった夕映を、ハルナと一緒に追跡しはじめて30分くらい。

 私の思った通り、夕映が降りてきたのは図書館島地下三階層でした。

 本当は、どうしても夕映が心配だからと尾行をはじめちゃったハルナを、いざとなったらなんとか止めようと思ってついてきたんだけど。
 結局ハルナの勢いを止めることは出来なくて、こんなところまで来てしまいました。

 それに、ネギ先生に魔法を教えて貰うことを断られた翌日から、夕映は図書館島でなにをしているのかどうしても教えてくれません。

 だから、友達が心配だっていう気持ちは私も同じですし……。



「……いっないわねー、確かにこの辺に行ったと思ったんだけど」

 懐中電灯を左から右へとゆっくり揺らして、ハルナが低く唸る。
 私達の視線の先には、地下へと続く大きな穴がありました。

 たくさんの本棚で作られた、懐中電灯の光なんかでじゃ底を照らせないような深い深い大きな穴には、それ以外のものは何も見えません。

「でも……登攀用のロープも降りてないし、こっちじゃないと思うよ……?」

 私とハルナが探している、友達の夕映の姿もそこにもない。
 姿があったら……あったら、たぶん一緒にいる怪物さんもハルナに見付かっちゃうわけで、それはとても困りますし。
 ……でも、少しだけ見付かって欲しいという気持ちもある。

 胸に手を置いて小さく溜息をつく。
 怪物さんに迷惑がかかるようなこと、考えてはいけないです。

「まぁ、そりゃそーだよねぇ〜……そいえばさ、のどかってここ来たことあるの?」

 穴の底を懐中電灯で照らすのを諦めて、ハルナが穴の縁から離れて戻ってきました。
 その途中、さりげなく口にされた質問に、私の心臓が跳ねる。

「う、うん……この前、夕映と二人で」

 私は、ハルナの勘の良さに驚きながらなんとか答えました。

 いつも思うけど、この友人は時々ものすごく鋭い。
 なんとなく口にしてるに違いない言葉がとても核心を突いたりしていて、もしかしてハルナに隠しごととかをするなんて不可能なんじゃないかって思えてきます。
 動物的な嗅覚というか、むしろ心を読んでるんじゃないかって思うくらい。

「あー、そういえばこの前の土曜にみんなで探検に来たとき、長いロープがどうとか言ってたわねー。けっきょく木乃香と私のロープが足りなかったけど、もしかしてここに来ようとしてたの?」

「う、うん……」

 はぅぅぅぅ、そ、そこまで気付いちゃってたんだ……。
 このまま聞かれていたら変なことまで喋っちゃいそうだったので、慌てて私の方から口を開く。

「あ、あの……ここじゃないなら、もしかしてもう帰ってるのかも……」

 おずおずと提案してみる。

「そーねー、でも、せっかくこんな深くまで降りてきたんだし、もうしばらく探さない?」

 がんばって言ってみたのに、あっさりと却下されちゃいました。
 それに、満面の笑顔で言われたら嫌って言えないないわけで。

「う、うん……」

 ハルナの言葉に、私は頷きました。

 その返事に、ハルナは嬉しそうに目を輝かせます。
 仕切直しとでも言うように、パンと手を叩くと、私の手を引いて歩き出しました。

「せっかくだし、最近夕映と二人で探索した分の成果を見せて欲しいな〜。ひょっこり夕映も見付かるかも知れないし、一石二鳥でしょ?」

 肩を組んでのしのしと歩くハルナはいつも通り。
 いつの間にか目的を見失っちゃってるところまでいつも通りだけど。

「うん、いいよ」

 なんとなくホッとして、私は了承しました。
 うん、なにをしてるのは分からないけど、三階層にいたらもしかして怪物さんが様子を見に来てくれるかも知れないし。
 そしたら、ホントに夕映もひょっこり来てくれるかも知れない。

「今、ちょ〜ど書いてる新作の資料に欲しい本があるのよ〜。まずね……」

 新作というのは、ハルナが描いている漫画の話。
 その新作を見せてくれるという約束で、私はハルナが探しているという資料になる本を探しに図書館の中を歩き出しました。

 いざとなったら私と夕映が手伝うことになるかも知れないから、結局見ちゃうことになるかもしれないけど。
 ……あんまり凄い内容の話じゃないといいなぁ。









 ────二時間後。

 本棚に左右を挟まれた迷路の中。
 ハルナは腰に下げたバックにくくりつけた懐中電灯を頼りに、私は手の中の懐中電灯を頼りに、図書館島の地下を歩いていました。

「………よーし、大量大量ーっ!!」

 先頭に立つのは、両手一杯に本を抱えて嬉しそうなハルナ。

 自分が借りる本は自分で持っていくのが図書館探検部の規則だけど、さすがにそんなに一杯持って帰るのはどうかと思います。
 三階層まで降りてくると、他の人が同じ本を借りに来ることも稀になるし、しっかり図書館で借りられる本の数とだけしか借りていないんですけれど。

「ハルナ、こんなにいっぱい借りたら、また返すの大変だよ……?」

「だいじょーぶだいじょーぶ、2回くらいに分ければオッケーだって〜」

 ケラケラと笑って返しつつ、ハルナは凄く器用に片手の腕から先だけを本の山の中から引き抜いて、パタパタと手を振って答えた。

「ああああああ、落ちてる、落ちてるって〜!」

 ぐらりと揺れたハルナの腕の中の本の山の、その山頂部から文庫本が滑り落ちる。
 私は慌ててそれが床に落ちる前にキャッチしました。

「……ふぅ。良かった」

 別に床が汚いって訳じゃないけど、勢いよく落ちたりしたら本が傷んじゃうし。
 手の中で軽く本を撫でてから、ハルナに返しました。
 ちょっとだけそのまま持っていってあげたいと思ったけど、人目がないから決まり事を破るのは良くないって、前に夕映に叱られちゃったし。

「あらららら、ありがと〜〜……うーん、やっぱりこのどっかの外国版の城の写真集が、重くてデカすぎたかなーー? なんとかなると思ったんだけどー」

 小さく片手で謝ってから、私から本を受け取ると、ハルナは心底不思議そうに首を傾げる。
 それよりも、ハルナの見通しのいい加減さの方に問題があるって気付いて……。

 小さく溜息をつくと、ドサリと本の落ちる音がしました。

「も〜〜、ハルナ〜……」

「え、私じゃないわよ?」

 数歩前を歩いていたハルナが、きょとんと不思議そうな顔で私を見る。
 そう言われてハルナの足元を見ても、その足元には落ちている本はありません。

 ぐるりと周囲を懐中電灯で照らすと、私達が歩いてきた通路の、二列ほど後ろの本棚で、一冊のぶ厚い本が床に落ちていました。

「あ……」

「あ〜〜〜、もしかして私が移動中にぶつかったんじゃない?……ごめん、のどか。私の方はこんなんだし、直してくれる?」

 一瞬、ホラー映画のようなシチュエーションを想像して固まってしまった私を、ハルナの推測混じりの言葉が助けてくれました。
 でも、それが一番ありそうな話ですし、そうですよね?

「……うん」

 頷いて、懐中電灯で床を照らしながら落ちている本に近付いて、拾い上げる。
 題名も分からない外国語の本の表紙には、意地悪そうな二本足の悪魔がいやらしく歯を剥き出しにして笑っている絵が描かれていて、私をドキリとさせた。
 こういう怖い絵は、苦手です……。

 こんな嫌な顔の怪物より、いっそ顔が無くてもあの怪物さんの方が……。

 本をあまり見ないようにして、本棚を探すと、空いている場所はすぐ見付かりました。
 近付いて、隙間に本を戻そうとして。



 その隙間から、巨大な目が私を覗き込んでいるのに気付いてしまった。



 ────────────────────────。

 ────────────。

「のどか………のどかーっ!?」

 あっ、え……あああっ!?

 今一瞬、意識が……って、ああああ、この大きい目って、もしかして。

 いつの間にか懐中電灯と本が地面に落ちていて、私は今にもそのまま真後ろに倒れ込みそうになっていて。
 本棚の隙間から私を見ていた目はものすごくおろおろと左右に揺れている。

 あああっ、今にも本棚の影から出てこようとしてますっ!

 私はなんとか倒れないで踏みとどまった……けど、ハルナが凄く心配そうな目で今にも駆け寄ろうとしていて……い、いけない、こっちにハルナが来たら怪物さんが。

 えっ、えっと……な、なんとか、なんとかしないと……!


「な……なーーーんちゃってっ!」


 今の方に駆け寄ろうとしていたハルナの動きが固まって。
 本棚の影から出てこようとした怪物さんも、同じように硬直してくれました。

「……………」

 はうぅぅぅ、沈黙が……痛いです。

「お、驚くかなー……なんて…………」

 ぼそぼそと、言い訳めいた言葉を口にしてみる。

「あー、えー……う、うん、……驚いた。…………別の意味で……」

 ハルナの返事が、ものすごく生返事……。
 笑おうとしている顔が私にも分かるくらい引きつっちゃってる。

「ごめん……」

 嘘でもなんでもなく、本当になにかに謝りたい気持ちになったので、私は思わず謝罪の言葉を口にしていました。
 のろのろと、いつの間にか落としてしまった懐中電灯と落ちていた本を拾い上げる。

「あー、うんー、いいからいいから。うん、のどかは頑張ったと思う。ちょっと真に迫りすぎてて驚いたっていうか、ネタばらしのタイミングが予想外だっただけだし……今度同じコトするんだったらネタあわせしようか?」

 ごめんなさい、もう許して欲しいです。
 こんな時に限ってハルナのフォローが優しすぎるよぅ……。

「うぅん、いいの……お願いだから忘れて…………」

 私はそう言って、拾い上げた本のカバーをぺしぺしと力なく払う。
 視線を上げると、本棚の隙間から怪物さんが、《ゴメン》と書いたホワイトボードを、一生懸命に私へ見せていました。
 ああ……えっと、こっそり私を呼ぼうとしてたんですね……。

 小さく息を吐いて、そっと手の中の本を本棚に戻す。

「……あー……うん、分かった。……忘れるから、そんな落ち込まないでいーのよ?」

 なんだか沈痛な表情でハルナが慰めてくれる。
 うぅぅ、なんでしょう、この空気。

「えっと…あ、あのね……ハルナ。……私、ちょっと、近くのお手洗いに行ってくるから……上の階の休憩所で、待ってて欲しいの……」

 おずおずとお願いする。
 ハルナだけ一人にするのはすごく申し訳ないけど、怪物さんならきっと夕映のことを知ってると思うから、話を聞かないと。
 恥ずかしい言い訳だと思いつつも、ハルナに怪しまれないで一人になる理由は、私にはこんなことぐらいしか思いつきませんし……。

「う、うんうんっ、分かった! それじゃ、先に行ってるからっ!!」

 もしかしたら何か聞かれるかも知れないと覚悟していたけど、ハルナはあっさりと承諾してくれました。

 慌てるように私に背中を向けて、二階層へと続く階段へ歩き出して……。
 だけどその途中で足が止まりました。

「ハルナ……?」

 ハルナは、身体半分だけ振り返って、心配そうな表情を私に向けます。
 おずおずと口を開いて私にかけてくれた言葉は……。

「……ハンカチ貸そっか?」

「ハンカチなら、持ってるからいい……」

 うぅぅ、そこまで落ち込んでないのに。
 さっきの沈黙は泣きたくなりましたけど、本当になくほどじゃないですよぅ……。

 なんだか本当に落ち込みたくなってきました……。

 なんだかすっかり脱力してしまった手足を引きずって本棚の影に回ると、怪物さんがホワイトボードを触手で大きく掲げて私に見せていました。

《ゴメン。さりげなく呼ぼうとしたけど失敗でした》

 メッセージの後半は、自分の失敗を自覚してくれたようで頼りなく小さい。

 怪物さん、さっきのは全然さりげなくないと思う。
 今でも、気絶しないでいられた自分にちょっと驚いてます……。
 というか、あんな大きな目が本棚の隙間からこっちを見てるなんて、それこそ子供の時に見て怖い夢そのままで、思い出しただけで……。

「……お願いしますから、もうやらないで下さいね……?」

 あの光景を思い出してしまってちょっと泣きそうになりながら、とにかくお願いすると怪物さんはコクコクと何度も身体を揺らして頷いてくれました。

 私も、小さく頭を振ってさっきの光景を忘れました。
 はうぅぅぅ、ついでにハルナもさっきのことは忘れてくれるといいなぁ。

 ちょっと遠い目で天井を見上げていると、怪物さんがホワイトボードに触手で掴んだマジックを使ってメッセージを書いています。
 書かれているメッセージは、失礼だと思いつつも横から見せて貰うと、そこにはこう書かれているところでした。

《夕映ちゃんをさがしてたの?》

「あ……はい! 怪物さんは、夕映が最近なにをしてるか、知ってるんですか……?」

 私の言葉に答えて、怪物さんがホワイトボードに書き足した答えは。

《知ってるよ》

 その答えを見て、安堵と、そしてちょっとだけ咎めるような気持ちが私の中に生まれました。
 どうして、夕映は私に教えてくれないんだろう……。

 怪物さんは、私が読んだのでホワイトボードの文字を消していく。
 一つしかない大きい目からは、怪物さんがどんなことを考えてるかはまるで伝わってきません。
 けど、怪物さんが悪いひとじゃないのは、私も夕映も知ってます。

「あの……怪物さん、夕映がなにをしてるのか、教えて、もらえないでしょうか?」

 そう聞いて、怪物さんの返事を待つ。
 さっき消した後にすぐ書き始めたみたいで、怪物さんが私に見せたホワイトボードにはもうメッセージが書いてありました。

《夕映ちゃんは魔法の修行をしてます》

 …………本当なんだ。

 ちょっとだけそうじゃないかと思ってたけど、やっぱり本当に、夕映は魔法の秘密に自分の力で辿り着くことが出来たんだ……。

 ネギ先生に魔法のことを教えて貰おうとして断られた後に、夕映と二人で交わした約束を思い出す。

 私はもう魔法のことは諦めていいと言っちゃったこと。
 だけど夕映は魔法のことを諦められないって言って、図書館の探検を続けたいと言っていたことと。
 私もその手伝いをするって言ったら、夕映は、それならお礼に私とネギ先生のことを応援してくれるって言ってくれて……。

 だから、おめでとうって言ってあげたいのに、どうして夕映はそんな大事なことを教えてくれなかったんだろう。

 私の問いかけるような視線に、怪物さんはホワイトボードを下げて、次のメッセージをまた書きはじめました。
 口の中が乾いていて何かを口にすることが出来ず、私はただホワイトボードを怪物さんが見せてくれる時を待っています。

 そうして、少しの時間の後に、怪物さんが見せてくれたメッセージにはこう書いてあった。

《鬼のような師匠に魔法のことは喋るなと命令されてるので、夕映ちゃんは魔法のことを誰にも喋れないの》

 あ……ネギ先生も言ってた、魔法は秘密にしなきゃってルール……。
 真面目なところのある夕映なら、そういうことを言われたら絶対に守るから。

 そっかぁ……それで、夕映は喋りたくても喋れなくて……。

「あ……でも、怪物さんは、私に教えちゃっても……?」

 慌てて尋ねると、怪物さんはすらすらとホワイトボードに答えを書いて見せてくれた。

《口止めされたのは夕映ちゃんだけだから》

 そ、そういう問題なんですか……。

 たぶん、夕映がこんな話を聞いたら詭弁だと怒っちゃうんでしょうけど。
 それでも、やっぱり、教えてくれて嬉しいです。

「……ありがとうございます。私、夕映のこと、とても心配してたから……怪物さんが教えてくれたおかげで、すごく安心できました」

 深々と頭を下げる。
 胸のつっかえがとれたような、安堵の気持ちが沸き上がって、私は息を吐いた。

 怪物さんは、気にしないでいいよと軽く触手の一本を振って応えてくれる。

「あの、それじゃ、夕映には……」

 私がそこのことを知っているって言わない方がいいのか、それとも言っちゃってもいいのか、そんなことを聞こうとしたところで。
 怪物さんは次のメッセージを見せてくれました。

《夕映ちゃんは毎日鬼のような師匠に鬼のような特訓をされてクタクタなので、のどかちゃん達も気づかってあげてね》

 私は、怪物さんのメッセージを読んですぐに、精一杯の声で頷きました。

「はいっ、もちろんです!」

 夕映と交わした、魔法のことを応援するって約束、まだ生きてるよね?

 それに……師匠の人について特訓って、やっぱりそんなに簡単に、魔法使いになったりできるわけじゃないみたいだし。
 まだまだ、私が夕映の力になれることはあると思う。

 だから、私は夕映の魔法の修行だって応援するって決めた。






<主人公>



 うーん、のどかちゃんは本当にいい子だ……。

 最近は夕映ちゃんも修行がうまくいかないこともあって落ち込みがちだったし、のどかちゃんとも最近会うことがないのも気になっていたのだ。
 少しでも二人の助けになればと思って話しかけてみたのだけど、なんとも元気のある返事を返してくれたのでホッとした。
 あの様子なら、夕映ちゃんものどかちゃんも大丈夫だろう。

 やっぱり、修行とか勉強ばっかりを頭に詰め込むのは肉体的にも精神的にもよろしくない。

 それに俺の場合は、助けたくても見た目の怖さがあまりにも酷すぎるので、精神面のケアでは役に立たなさそうだしなぁ。
 せいぜい登り降りを手伝ってあげるぐらいだし、もーちょっと何かの役に立てばいいんだけど。

 古菲ちゃんには大ウケだった俺の滝登りの術も、夕映ちゃんにやってみせたらあっさりと見抜かれたしなぁ。
 夕映ちゃんによると足の数を見れば簡単に分かるそうだけど、なんで古菲ちゃんの目はごまかせたというのに夕映ちゃんにはあっさりバレるんだ?
 ここは、なにか新たな芸を開発しなければならないのだろうか。

 そんな悩みを抱えたまま地底図書館の天井へと降りてくると、夕映ちゃんの修行がちょうど終わったところだった。
 目を回した夕映ちゃんが砂浜に寝ていて、その横でエヴァンジェリンさんが砂浜に描かれていた魔法陣を杖で削って消している。

 どうやら今日も駄目だったみたいである。

 あんまり騒がしくするのも目を回している夕映ちゃんに悪いので、天井から直接落下したりしないで、壁の巨大本棚を伝って触手でペタペタと這い降りていく。

 完全に這い降りたところで、地底図書館に乱立している本棚の一つの影から飛来したチャチャゼロさんが、俺の頭めがけて襲いかかってきた。
 ほとんど反射的に触手でキャッチしようとして失敗。

「ケケケ、オ前モ今日ハ落第ダナー」

 あわや刺されるかと思ったが、チャチャゼロさんはナイフの刃の平でぺしぺしと俺の頭頂部に当たる部分を叩いただけだった。
 今日のチャチャゼロさんとの修行では、この気配を消してからの空中キャッチ訓練をやったのだが、結局一度もチャチャゼロさんは掴まえられなかった。
 掴まえ損なうたびにチャチャゼロさんに頭頂部を刺されるので凄く痛かったです。

 エヴァンジェリンさん達の所へ向かう途中に、ホワイトボードにすらすらとメッセージを書いて、チャチャゼロさんに返事をしておく。

《次は頑張りますよー》

 実はこの訓練は割と簡単だと思っていたのだ。
 チャチャゼロさんって小さくて軽いし、触手の一巻きで掴まえられそう……とか。

 うん、甘かったです。
 なんか銃弾ぐらいのスピードで跳んできてませんかこの方。
 しかもなんか空中で方向転換するというオプション付きですよ。

 背中の小さい翼で方向転換してると教えられたときは、あまりの非常識に久しぶりに言葉を失いました。
 だって羽根のサイズ、10センチぐらいなんですよ?

「御主人ジャアルマイシ、オ前ノエロ触手ナンカニ捕マルカヨ」

 そんな感じであっさり笑い飛ばされました。
 別に悔しい訳じゃないけど、やっぱり無理があるよなぁ。

 あと、ちょっと怖いのでホワイトボードにメッセージを書いた。

《それ、エヴァンジェリンさんのいるとこで言わないで下さいよー》

 聞いたら絶対俺が殴られるので。
 この前の夜の件で、いまだにエヴァンジェリンさんからの俺への風当たりは厳しい。
 勘違いだったとはいえとんでもないことをしてしまったことは自覚しているので、俺は俺で、怒れるエヴァンジェリンさんのされるがままになるしかないのだが。

「アイヨ」

 チャチャゼロさんも、怒れるエヴァンジェリンさんをつい刺激してしまって俺の体に放り込まれそうになってからは、あんまりこの件には触れなくなった。

 ……というか俺、存在そのものが罰ゲーム扱いされてね?

 いや、もういいんですけど。ははは。

 まぁ、最近はエヴァンジェリンさんの怒りもだいぶ収まってきたみたいである。
 どっちかというと、夕映ちゃんの修行の方に意識を傾けているので、いつの間にか忘れてくれたような感じだけど。
 うーん、これは夕映ちゃんには頭が上がらないなぁ。

「…………おい、修行を途中で終わらせたと思ったら、途中で姿を消していたな? 何をウロウロしてきた?」

 あぅ、サボッたわけじゃないんですけど、やっぱりまだ怒ってます?
 俺は慌ててホワイトボードにメッセージを書いてお見せする。

《茶々丸さんにお願いされていた本を借りてきたんです》

 太い触手の中に、落とさないようにしまっていた本を見せる。
 これは本当で、もうそろそろ迎えに来る茶々丸さんから頼まれていたのだ。

 最近は色々と本を読むようになったので、エヴァンジェリンさんの家の本にはないような本を探しているのだという。
 図書館の本を代わりに見繕って欲しいといわれたときは、てっきり真面目な本をお願いされると思っていたのだけど、意外な感じの本だったのでビックリした。
 まぁ、エヴァンジェリンさんの家には無さそうな軽い本という意味では確かに納得するような本だったけど。

「そういえば、茶々丸がそんなことを言っていたな……まぁ、それならいい」

 本にも興味はないらしく、プイ、と顔を背けられてしまった。

 ちょっとしょげつつ茶々丸さんから頼まれた本をテーブルに置いておく。
 ふと見ると、夕映ちゃんが持ってきた初心者用魔法使いの教本もテーブルに乗っていた。

 エヴァンジェリンさんから譲り受けたその本には、この短い期間で繰り返し開いたようで、最初に渡されるのを見たときよりもページが歪んでいる。
 色の付いた栞が複数挟んであったり、日本語のメモが何ヶ所か飛び出しているのが、研究熱心なところのある夕映ちゃんらしい。

「……あぅぅぅ、怪物さん、戻ってたですか……」

 よれよれと歩いてきた夕映ちゃんが、ぐらりと椅子に座り込む。
 なんだかとっても辛そうだ。

 最近はいつもなのだけれど、それでもちょっと心配になったのでホワイトボードにメッセージを書いて、夕映ちゃんに見せる。

《大丈夫?》

「……今はちょっと駄目ですけど、少ししたら回復するです」

 夕映ちゃんはそう応えると、椅子に深く腰掛けて上を見上げた。
 常備してある濡れタオルを目に乗せて、そのままぐったりと椅子に体重を預ける。

 なんだか、乗り物酔いみたいだなぁ。

「……言っておくが、命に関わるような修行ではないぞ。魔力の流れを体に憶えさせる修行に、魔力を感覚的に掴みきれない身体がついていけなくなっているだけだ」

 夕映ちゃんの側で、何かやれることでもないか考えていると、エヴァンジェリンさんが夕映ちゃんの状態を説明してくれた。
 いや、分かるようで良く分からない説明だけど。

「マァ、魔力酔イ、ミタイナモンダロ」

 おぉ、やっぱり乗り物酔いの類なのか。
 頭の上からかけられたチャチャゼロさんの補足説明に納得。

 納得して触手二本でポンと手を叩く仕草をすると、エヴァンジェリンさんが「なんでも簡単に説明すればいいというものではないだろーが!」と怒っていた。
 いえ、夕映ちゃんと違って俺は別に魔法を憶えたりするつもりもないので、簡単に端折った説明だけして下されば。

 エヴァンジェリンさんが頬を膨れさせたままテーブルに座り込んでしまったので、お詫びの印にお茶でも淹れようかな……と思ったところで、茶々丸さんが来た。

 出てきたのは地底図書館のあちこちにある滝の一つの、裏側からである。
 エレベーターへと向かう非常口の扉がそこに隠されているのだが、滝の裏側という構造上、水飛沫とかが当たって茶々丸さんの髪や服はは少し濡れてしまっている。
 こういうところが不便だなぁと思うのだけど。

 ……?
 なんか、額に手を当ててるみたいだけど。
 もしかして、滝の中に石とか混ざってたのかな……それは手当しないと。

 触手の付け根から救急セットを取り出そうとして、そもそもロボットに救急セットには必要ないことを思い出した。
 それに、よく見たら茶々丸さんはカードかみたいなものを額に当ててたみたいだけだし。

 その時、エヴァンジェリンさんが勢いよく立ち上がった。

「…………不味い、すぐにタカミチが来るぞ! 綾瀬夕映、どこでもいいからすぐに隠れろ! 見付かったら修行を止めさせられるぞ!?」

 えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ、いきなりですか!?

 いやでもちゃんと事情を説明したら……いやでも確かに高畑先生はまともな大人だし、エヴァンジェリンさんみたいな悪の帝王っぽい人の修行は止めさせられるかも知れないけど。
 確かに、学園の人達は魔法使いのことは秘密ってルールみたいだし、記憶消したりする魔法も本格的に出来そうだから、ちょっとシャレにならないか。

 でも、高畑先生から隠れるってかなり無理がないですか!?

「タ、タカミチって……高畑先生ですか!? でも、どうして……」

 夕映ちゃんは、俺以上に面食らっている。
 ああ、そういえば高畑先生って確か女子中等部の担任してたし、名前や顔を知っていたのかもしれない。
 普通に学校の教師やってる人の名前をいきなりこんな場所で聞かされたら、そりゃ普通にパニックになるよなー。

「クッ、時間がないと言っているだろう………ッ! ただでさえ、生半可な隠れ方では気配を察知されるというのに……」

 夕映ちゃんの隠れ場所を探しているのだろう、エヴァンジェリンさんも焦った様子で周囲を見回している。
 地底図書館の中はものすごく広い。
 いくらなんでも、隠れるだけなら遠くの方で身を潜めていればなんとかなるはず。

 俺は、とっさに夕映ちゃんに触手を伸ばした。
 夕映ちゃんも俺の意図を察して俺の方に近付いてくれる。

 そのまま、夕映ちゃんを抱えて地底図書館の奥の方に移動………

「………も、もう来るぞ! そのままソイツを隠せ!!」

 いきなり背後から蹴りを入れられました。
 つんのめった勢いで、触手で抱えて持ち上げようとしていた夕映ちゃんの身体が、俺の触手に埋もれてしまう。
 うわわわわわっ、ごめん!

 慌てて立ち上がろうとした瞬間、非常口のある滝の裏に、人の影が見えて。
 俺は再度内心で謝りながらも、夕映ちゃんを素早く俺の触手の下、地面との間に周囲から見えないように隠した。
 慌てて細い触手を伸ばして下に隠れている夕映ちゃんを周囲から見えないように偽装し、太い方の触手はいつものように地面に垂らす。

 一瞬、悲鳴を上げたり暴れたりされたらどうしようと思ったのだけど、状況を察してくれたらしく、夕映ちゃんを身体を丸めて息を潜めてくれている。
 さすがに呼吸困難になるほどびっしりと俺の触手は生えていないが、まさか呼吸音で気付かれることはないだろう。
 達人っぽく気配とかは探られそうな気がするけど、こんなインパクトのある気配の前には隠れている夕映ちゃんにまでは気付けまい!

 そんな一瞬のやりとりの直後、滝の裏側から高畑先生が現れた。

 片手を上げて挨拶をする高畑先生に、こちらも触手を一本上げて左右に振る。

「久しぶりだね、元気なようで安心したよ」

 ああ、久しぶりです高畑先生。
 まともな高畑先生になるともっと久しぶりです。

「マトモソーデ何ヨリダナー」

 チャチャゼロさんあの件のことはもう止しましょう。
 高畑先生も不思議そうな顔してますし、万が一にでも説明する羽目になったらどうしてくれるんですか一体。
 ただでさえさっきから夕映ちゃんのことがバレないかビビリっぱなしなのに。

「…………それで、今日は何の用だ。まさか、わざわざ地の底までこの化け物を見物に来たというわけでもあるまい?」

 エヴァンジェリンさんが多少苛立たしげに高畑先生に話しかける。
 少しでも話を早く終わらせたいんだろーなー。
 というか、是非とも終わらせてくださいエヴァンジェリンさん。俺にはちょっとこういう雰囲気は耐えられそうもないです。

 高畑先生はいつものように少し苦笑して答えた。

「ははは、見物というのは酷いけど、彼の顔を見に来たというのも間違いないんだけどなぁ。それと別に、学園長からの言伝を伝えに来たのさ」

 うん、俺みたいな化け物に優しい言葉だと思います。
 気遣って下さってとても嬉しいです。
 嬉しいですけど、なんかこう、心の奥に色々とアレな危機感が高まらざるを得ないというか……いえ、ホントに高畑先生が善意で気にかけてくれているのは分かってるんですよ!?

「……まさか、コイツを外で使うなどと言うんじゃないだろうな?」

 俺の内心の葛藤を余所に、エヴァンジェリンさんが顔をしかめた。
 でも、外で使うってなんだ?

 ……俺が外に出たりしたら、それだけで超B級パニックホラー映画になると思うんですけど。

「それは絶対にないし、させない」
「…………どうだかな」

 二人の間に、見えない火花が散った気がした。
 正直何を言っているのかは俺にはよく分からないのだけど、二人とも付き合いが長いようだし、色々とあるんだろう。
 この前は楽しげに喧嘩してたし。

「僕だけじゃないさ、彼のことは………ん…?」

 高畑先生が、ふとテーブルの上を見て不思議そうな表情を浮かべる。
 その瞬間、普段通りの表情を浮かべていたエヴァンジェリンさんの顔に、微かに苦いものが走った。

 あ、そーか! 夕映ちゃんの魔法使いの教本が……

「…………その本は、なんだい?」

 高畑先生の問いに、エヴァンジェリンさんは高畑先生の視線の先……テーブルの上の本へと目も向けようともせずに、悠々と答えた。
 先ほど一瞬だけ見せた苦い表情は欠片も見せずに。

「なに、同じ化け物のよしみでな」
「……なに?」

 高畑先生が不可解なものを見る目でエヴァンジェリンさんを見る。
 俺もその言葉に驚いた。

 エヴァンジェリンさんが俺をいつも化け物と呼ぶのは慣れていたけど、自分を化け物だなんて言ったことは一度もなかったし、俺にはそんな風にはとても思えない。
 でも、俺は別に魔法使いの勉強を教えて貰ってない……って、そうか、なんとなくエヴァンジェリンさんがどうやって誤魔化すつもりなのか分かった。

「あ、あの……マスター」

 茶々丸さんが、どこかオロオロとした様子で口を開く。

「……黙れ、茶々丸」

 たぶん、茶々丸さんは違うと言おうとしたのだろう。
 エヴァンジェリンさんは、それが口にされる前に、その言葉を拒否していた。

 それが、嘘を続ける為なのか、本気なのかは分からないけど。
 エヴァンジェリンさんのシナリオでは、俺が魔法を教えて貰ってるということにするんだろう。
 本当に、見事な嘘だと思う。

「その本の内容は、この私自身の手でコイツに直接教えている……必要なことだからな」

「……エヴァ自身の手で……!?」

 高畑先生の顔が驚愕に歪む。

「フン、何を驚くことがある……この地底図書館でなら、私の実力は十分に発揮できる。この本の内容をそのまま実行することなど訳もない」

「……………エヴァ……君は、彼のことを……?」

 高畑先生の声は酷く乾いていた。

 えーと、そのあまりにももの凄い驚きように、むしろ横で聞いている俺の方が怖くなってきたんですけど。
 魔法使いの修行って、そこまで秘密にしないといけないものなんですか?
 そりゃ、俺みたいなグロい怪物が魔法を使い出したら大変なのかも知れないけど、むしろ今さら魔法くらい使っても、あんまり変わらない気がしません?

 エヴァンジェリンさんが、高畑先生の問いかけに答える。

「これを教えるのだ、私が何を考えているかぐらいは分かるだろう? それとも、化け物にはこれを知る権利すらないなどというつもりか?」

 何処か挑発するような笑みを浮かべて、エヴァンジェリンさんが、テーブルの上に置かれたままの本を、後ろ手に指先でトンと叩いた。

 ふと、その本を俺は見た。

 エヴァさんも、初めて顔半分だけテーブルへと振り返ってそれを見た。

 高畑先生の視線の先にあったその本。

 テーブルの上にぽつんと置かれていたその本のタイトルは。





【Kissから始める恋愛講座 ―男の人と話すと緊張しちゃうのはどうして?】





「エ……エヴァ…………まさか、君が……」

「いやちょっと待て」

「…………いや、すまなかった。君達にそんな権利がないなんて事は絶対にない……その、僕からも応援させて貰うよ。ちょっと……なんだかあまりにもショッキングな話で、心の整理を付けるのに時間がかかるかもしれないけど」

「いやいやいや今のは無しだ! さっきの会話は忘れろ!!」

「見た目なんかお互いに惹かれあう精神の結びつきに対してはたいしたものじゃないと思うよ。うん。僕も昔は色んな冒険をしたけれど、今回のようなことは始めてだね。だけど世の中が広くてどんなことだってあり得るということは知っているつもりだよ。うん、だから大丈夫」

「ワケの分からないことを言いながら早足で逃げるな!! いいから黙って人の話を聞けぇぇえええええええええっっ!!」

「ああっ、マスター、お待ち下さい……」

 なんだか凄く遠い目をしながら隠し扉の方へと早足で歩み去っていく高畑先生と、それを怒鳴りながら追いかけていくエヴァンジェリンさん、そしてオロオロしつつ付いて行く茶々丸さん。

 三人はそのまま地底図書館から退場していってしまった。

 ……えぇと、誤解が解けるといいですね。

 ぼんやりしていると、触手の下の方でごそごそ動く感触がした。
 高畑先生がそのまま戻ってこないのを確認してから、触手を引っ込めつつ脇に退いて、ずっと下に隠れて貰っていた夕映ちゃんを解放する。
 ちゃんと発見されなかったところを見ると、この隠行術は成功だったらしい。

 あと、手の中にしっかりと魔法使いの初級教本と初心者用の魔法の杖を手にしてる。

 なるほどー。
 とっさに自分で回収するなんて夕映ちゃんは機転が効くなぁ。

 ……えぇと、誤解が解けるといいですね。
 俺は、たぶん今頃は地上へ向かいつつあるであろう一行へ届くように祈った。

 隠れている内に魔力酔いも治ったのか、夕映ちゃんはしっかりと立ち上がって、スカートから上へと服を手の平ではたいて、付いていた砂を払っていく。
 俺は夕映ちゃんの背中の方に付いた砂を払ってあげながら、ホワイトボードにメッセージを書いて夕映ちゃんに見せた。

《ごめんね》

「い、いえ。お陰で助かったのは間違いないですから……なんだか最後の方はよく聞こえませんでしたが、なにかもの凄いことになっていたようですけれど……?」

 見えてないから、なんであんなことになったかは分からないだろうなぁ。
 というか、見えてたらあんな悲劇は起きなかったんだけど。

 詳しい事情を話すのは止めよう。
 なんというか、黒歴史ばかりがこの場所では増えてるような気がするけど、こんなアレな事を知らされるのは俺だけで十分だ。
 俺は、小さく首を振りつつホワイトボードにメッセージを書いて、まだ釈然としない顔で周囲を見ている夕映ちゃんへと見せた。

《帰る?》

「えー………あっ、…えぇと……はい!」

 夕映ちゃんは、俺の見せたメッセージに一瞬迷ったようだけど、頷いてくれた。
 あー、そっか。
 お師匠は嘘が生んだ悲しい誤解を解くために果てない旅に出ちゃったから、待ってても戻ってこないと思いますよ。

「オイオイ、俺ヲ忘レンナヨ」

 俺の頭頂部に乗ったまま、チャチャゼロさんがパタパタと手を振る。
 そーいえば、外だと自分で歩き回れないんでした。

 というか、さっきの件、実は気付いてませんでした?
 茶々丸さんが黙殺されてたので、横から突っ込むタイミングを見失ってしまったのだと好意的に解釈しておこう。うん。

「あ、それでしたら私が」

 夕映ちゃんが小さく手を上げて名乗りを上げる。
 そういえば、いつも夕映ちゃんが修行している時は、チャチャゼロさんは俺の相手をしてくれているので、あんまり面識ないんだっけ。

「オゥ、頼ンダゼ」

 俺の頭頂で弾みをつけて、チャチャゼロさんがぴょーんと華麗に跳んだ。
 見事に夕映ちゃんの頭の上に着地して、がっちりと上に乗る。

「……あの、頭の上じゃないと駄目な理由でもあるのでしょうか。抱きかかえる方がなにかと持ち運びやすいのですが……」

「冗談ジャネーゾ。ソンナ恥ズカシイ真似、誰ガヤラセルカヨ」

 げんなりした顔でチャチャゼロさんが言い捨てる。
 そっかー、恥ずかしいのか、そういうの。

「そ、そういうものなんですか……?」

 うん、夕映ちゃんの気持ちは分かる。
 お人形なのに抱きかかえられるのが恥ずかしいというのも不思議だよなぁ。
 まぁでも、チャチャゼロさんも長いこと生きてるらしいし、そういう好き嫌いだってあるんだろう、きっと。

 まぁ、それはともかくとして。
 さらさらとホワイトボードにメッセージを書いて夕映ちゃんにお見せする。

《それじゃ、行こうかー》

「はいっ! よろしくお願いします!」

「オゥ、今日ハ飛バシテ行ケヨ」

 了解ッス、チャチャゼロさん。
 俺は夕映ちゃんをいつものように触手で軽く抱きかかえると、地底図書館の外壁を登り始めた。

 夕映ちゃんが辛くない程度に、今日はスピードを出してみよう。
 素早く触手を壁に連続して貼り付けながら、前へ前へ、上へ上へと体を疾走させていく。





 ……それはそれとして、誤解はちゃんと解けたのかなぁ。









つづく