第24話 「探検少女の苦悩」





<明日菜>



 額に濡れたハンカチを置くと、ネギは小さく低く呻いた。

 ぼんやりと目を開くとゆるゆると顔をこちらに向けると、たったネギの額に乗せられたばかりの濡れたハンカチが、滑り落ちてベッドへと落ちる。

 それをひょいと手にとって、少し考えてからポケットにしまった。

 ネギは、自分がベッドに寝かされていることもよく分かっていないのか、ぼんやりとした顔で、私と、その後ろで心配そうにしている本屋ちゃんを見ている。

 その目が、急に驚きの色に変わった。

「……あ、僕……は…っ!」

 慌ててベッドの上で身体を起こして、時計を探しはじめる。
 その動作で、私はコイツが何を心配しているのかに気付いて、小さく溜息をついた。

「アンタが引き受けた体育の授業はちゃんと問題なく終わったし、今日のショートホームルームは高畑先生が代わりにやってくれたから、アンタが気にしなくてもとっくにみんな帰っちゃってるわよ?」

 口に出してから、少し自分でも意地の悪い言い方とも思ってしまった。
 でも、ネギは私の言い方よりも、クラスのみんなに迷惑をかけなかったのが嬉しかったらしくて、ベッドの上で盛大に安堵の息を吐いた。

「……そうですかぁ〜、良かったです〜!」

 満面の笑みでそう言う姿は、なんだかひどく腹が立つ。

「あのねぇ」

 半眼で睨みながら、私は立ち上がった。
 自分の座っていた椅子を部屋の隅へと片付けながら、言葉を続ける。

「……自分が何処で寝ているかとか、何一つ疑問を憶えないわけ?」

 私の言葉にネギははじめてキョロキョロと辺りを見回しはじめた。

 自分が寝かされている清潔なシーツが敷かれた白いベッドと、部屋の端に置かれた、カギ付きの棚の中に並べられた医療用の器具や薬品類。
 普通の家には置いていないような、大きな灰色の身長計や体重計。
 部屋の壁のあちこちには、喫煙やシンナーなどの危険性を描いたポスターや、人の身体の中身がどうなっているのかを描いたちょっとグロい気がする図解が貼られている。

 今は先生こそ不在だけど、そこは何処から見ても保健室以外の何物にも見えないはずだ。

「…………えっと……保健室、でしょうか……?」

 おそるおそる聞いてくるネギに、さっきからずっとネギを前にしてオロオロしていた本屋ちゃんが答えてくれた。

「はっ、はいっ……当たり……です」

 本屋ちゃんの言葉に、ネギが不思議そうな顔をする。

「あれ? でもなんで……」

 コイツは自分が保健室に運ばれた理由を完全に忘れているらしい。
 私は一度深く溜息をついてから、仕方なくネギがどうして保健室に運ばれたかの経緯を説明することにする。
 コイツが何も憶えてなかったら、私が謝ることも出来ないし。

「……ウルスラの高等部の連中と私達が喧嘩して、アンタがその喧嘩を仲裁するためにドッジボールで勝負で決めるように提案したのは憶えてる?」

「あ、はい……えぇと、確か……それで皆さんが勝って……」

 聞いているうちに思い出してきたのだろう、ネギが私の言葉の続きを話そうとする。
 だけど、それを口にされる前に、私は少し早口で言葉を続けた。

「私達が勝ったけど、その後勝負に負けたウルスラの高等部のリーダーが、背中を向けてた私にボールを投げてきたの。……アンタは私を庇って代わりにボールを頭で受けて、倒れちゃったのよ」

 私の言葉を聞いたネギの反応は、少し私の予想と違った。
 ただ、ベッドの上で自分の手の平を見て、小さく「そっかぁ……」と呟くだけ。悔しがるか怒るかと思っていた私は、その様子にちょっと出鼻をくじかれてしまって口ごもる。

「あの……お怪我は、大丈夫ですか……? 頭の怪我は、怖いですし……」

 重そうだったら病院に……と、続いているらしい言葉は、ネギに笑顔を向けられるなり、本屋ちゃんの口の中でもそもそと消えていった。

「大丈夫です。お二人とも、看病してくれたんですね? ありがとうございます!」

 相変わらずストレートな笑顔だな、と思う。
 まぁ、言っている言葉は丁寧すぎてあんまり子供らしくないけどね。

「私は、アンタに助けられたんだから当然でしょ? お礼なら、アンタの怪我の処置の方法とか急いで調べてくれた、本屋ちゃんだけでいいわよ」

 ポンと肩を叩くと、本屋ちゃんは驚いたように大きく震えて、またあわあわと何かを口の中で呟きだしてしまった。

 本屋ちゃんは、ネギが倒れた直後こそ気を失いそうに慌ててたけど、気絶までしていたネギの状態が危ないんじゃないかってみんなが騒ぎ始めたときには、不在だった保健室の先生の代わりに怪我の処置や対処を夕映ちゃんと二人で調べてくれた。
 あの時は、控えめだったけどとても頼りになったのに、やっぱりネギの前だとダメらしい。

 いつぞやの図書館島の地下で聞いた話を思い出す。
 あの時ははっきりは聞けなかったけど、本屋ちゃんは本当にネギのことが好きなのかも知れない。
 てっきり、パルの言葉に乗せられてるだけかとも思ってたんだけど。

「……あっ、そうだったんですか……ありがとうございます、宮崎さん」

 私の言葉に従って、ネギはベットの上でちょこんと正座になると、ぺこりと頭を下げる。
 ……こーいうズレた仕草を見る限りはホントにガキなんだけどね。

 こんなののどこがいーんだか。
 真っ赤になって何故かネギにペコペコと頭を下げだしてしまった本屋ちゃんを見つつ思う。

「それに、やっぱり明日菜さんにも。ありがとうございました」

 ぺこり、とこちらにも頭を下げてきた。
 ニコニコと向けられる笑顔が痒くて思わず頬を掻いてしまう。

「じゃ、私からも言うけど…………助けてくれて、ありがと」

 真っ正面からは言えなくて、少し視線を斜めに逸らして口にした。
 だけど、チラリと視線を向けたネギは、とても嬉しそうに喜びの表情を浮かべる。

 うぅ、コイツと話してると、時々もの凄く恥ずかしくなるなぁ。

 なにか話を逸らす話題をと思って、少し気になっていたことを思い出した。
 ベッドから降りて立ち上がろうとしているネギに、寝かせるときに脱がした靴を持ってきてやりながら聞いてみることにする。

「あの時、アンタ魔法とか使わなかったでしょ? もしかして、あのボールって魔法使ってたら簡単に受け止められたんじゃないの?」

 何日か一緒に暮らしてるうちに、コイツの魔法の凄さは身に染みている。
 良い意味と言うより悪い意味で身に染みてる気がするけど。

 本当に単なる思いつきで聞いた言葉だったのに、何故か私の言葉に本屋ちゃんが驚いたような声を上げた。

「えっ……それってもしかして……今朝の、私達のことで……?」

 少し怯えているように、前髪の奥で本屋ちゃんの瞳が揺れてる。
 え、なんで本屋ちゃんが泣きそうになってるの?

「あっ、そうじゃないですよ!? 魔法を使わなかったのは、あまりそれにばっかり頼っちゃいけないってこの前に怪物さんから教えて貰ったからで、今朝にお二人に話したこととは全然関係ないですからっ!」

 慌ててバタバタと手を振って本屋ちゃんに説明するネギの顔はかなり焦っていた。
 女の子に泣かれるのに慣れてないんだろうなー、コイツ。

 ……っていうか、夜中に外に出て行ったと思ったら、あの怪物の所に行ってたのかぁ。

 なんだかあの怪物に相談しに行くネギもシュールだと思うけど、魔法に頼らないって話は正直ありがたいかも。
 服とか水着とかを魔法を使われるたびに頻繁に破られたらたまんないし、本人は弁償代を払ってくれたけど……いくらホントに悪いからって、こーんなガキンチョからお金を受け取るなんて、なんか嫌だし。

 にしても、今朝の話って?

 本屋ちゃんの誤解が解けて、なんとか雰囲気が一段落するのを待ってから、私は先ほどから気になっていた疑問を口にした。

「……ねぇ、“今朝の話”ってなに? もしかして、さっき夕映ちゃんが先に一人で帰っちゃったこととかと関係あるの?」

 私の言葉に、ネギの表情が少しだけ曇る。

 その代わりに、本屋ちゃんが私を安心させるように笑ってくれた。






<主人公>



『…1問目は“DIFFICULT”日本語訳は?』

 む、ず、か、し、い……と。

 触手の先を、対応する大きなボタンの上に乗せていく。

『うむ、正解じゃ』

 まぁ、とりあえず問題なし、と。
 ところで理事長先生、もしかしなくても、このツイスターは単なるデカい石版であって、問題の正解不正解って自分で見てますよね?
 別にツイスターである意味って、一切存在しないんじゃ?

『一応、第2問までやっておくぞい。“CUT”の日本語訳じゃ』

 もの凄く突っ込みたい衝動に駆られつつも、俺は次の問題に答えるべく触手を大きなボタンへと伸ばした。

 ここは、図書館島の地下の中階層付近、石造りの遺跡風なエリアの中にある大広間の一つだ。
 古代遺跡にしか見えない巨大な石造りの台座の上には重厚な造りの巨大な門があり、二体の、これまた巨大な石像が門の左右に仁王立ちして守っている。
 左右の壁には、この場所が図書館の中であること無理矢理主張している巨大な本棚。

 そして俺が今乗っているのは、その石造りの台座の手前にある、奈落の底まで続いているんじゃないかというような深い縦穴の上にある、ツイスターゲーム風の石版の上だ。

 ……なんでツイスターゲームなんだよと聞かないで欲しい。
 俺にもさっぱり分からないし。

 あと、ツイスターゲームをする触手の怪物というのはたぶん世界広しといえでも俺だけだ。
 後世に語り継がれることは絶対にないだろうけど。

 石版には“☆英単語ツイスターゲーム☆ Ver10.4”と刻印がされている。
 趣のあるあちこちにひび割れた部分のある巨大な石版の上にそんな文字が刻まれているのは、あまりにもシュールすぎると思うんですが。
 というか、そんな大量に作ったんですか、このツイスターゲーム石版。

『2問目も正解じゃ。ご苦労だったのぅ』

 俺にそう言っているのは、門の左右を守る巨大な石像の内の一体だった。
 全体的に中世の騎士のようなデザインの石像で、鎧のような頭部の奥からは、単眼が赤く輝いて俺を見下ろしている。
 巨大さと、手にした重量感溢れるハンマーのせいでもの凄く迫力があるのだが、そこから発せられている声は、俺の恩人の一人である学園長先生のものだ。
 魔法で操っているというそれは、驚くほど滑らかに動く。

 俺は、いつものようにホワイトボードにマジックで返事を書いて、俺を見下ろす巨大石像に向かって掲げて見せた。

《おやすいごようですよ》

 助けて貰った上に、住処まで用意して貰っているのだ。
 こんな仕事ぐらいなら楽なものだと思う。





 本日は、学園長先生が近いうちに使うという、この巨大ツイスターゲームの安全点検に付き合わされているのである。

 話によると、魔法使いの試練のために用意されたものだったのを急に一般生徒に使用することになったので危険がないように調整したいとのこと。

 魔法使いはある程度の実力があると“魔力障壁”という銃弾で撃たれても平気みたいな凄い防御手段があるので、その試練のための装置となると安全管理についてはとても微妙なのだそうだ。
 そんなものを一般生徒に使わないで欲しいと思うのだけど、そこはまぁ、学園長先生の趣味的なものだからしょうがないのだろう。
 やたらと元気かつアバウトなところのある麻帆良学園の学生なら、こういうものでも楽しんでしまいそうな気もするし。

 そんなわけで。
 俺は、その不幸な一般生徒さん達のために安全の確認をすべく、このツイスターゲームの石版と共に3回ほど地の底へと落下したのである。

 そう。

 問題に間違えると、問題に答えた人間ごと情け容赦なく落下するのである、この石版は。
 より正確には学園長先生の操る石像が、石版そのものを叩き壊すのだが。

『……それでは、次はまた破壊テストを頼むぞい。今度は前よりも破片が消滅するのを早く設定してあるから、石の破片の雨に上から降られたり、落下途中で石にぶつかられたり、割れた石の破片で怪我したりもしない筈じゃ』

 魔法で落下速度が遅くなるように作られてなかったら最初の時点で死んでたと思います。

 さすがにアレは酷すぎたと思ったらしく、俺が地の底から這い上がってくるなり、巨大石像の状態で学園長先生から平謝りに謝られた。

 しかし、そんなダメージをゼロに出来る魔法使いって凄いよなぁ。
 エヴァンジェリンさんに常日頃から襲われてるので、だいぶその恐ろしさは理解は出来るようになったんだけど。

 そんなことを考えているうちに、巨大石像がハンマーをゆっくりと振り上げた。

『それじゃあ、行くぞい』

 俺は、一応了承を示すために触手を一本上げる。
 そして、ハンマーが振り下ろされそうな、巨大石版の中央地点から飛び退いた。

 ゆっくりとハンマーが降りてくる。
 それが巨大石版に触れると同時に、激しい破砕音が響き渡り、俺の足場は砕け散った。

 砕け散ると同時に細かい破片は消滅して、大きい破片も人間を傷付けないように重量を失う。
 こういうのは、石版自体が魔法で作られた品物だそうだから出来る芸当らしい。
 しっかりと破片が消えたり消失する姿を見届けたが、消えるタイミングが絶妙なので一度見ただけでは破片が消えて無くなったことには気付けないだろう。
 今度は破片で怪我するようなともなさそうだし、これで安全性は問題なし。

 そして俺は、奈落の底へと落下した。









 なんとか無事に“☆英単語ツイスターゲーム☆ Ver10.5”が完成したのは、すっかり夜になってからのことだった。
 学園長先生の感謝の言葉を受けてから、遺跡風エリアを後にする。

 エヴァンジェリンさんが地底図書館に来るまではもうしばらく時間があるし、この時間帯なら人も少ないだろうから、上の方の階層に行こうかなぁ。
 あ、エヴァンジェリンさんに頼まれてた、のどかちゃんから借りてる恋愛小説の外伝2冊、もしこの図書館に置いていたらこっそり借りようかな。
 夜のうちに戻せば問題ないだろうし。
 というかぶっちゃけ俺も読みたいし、エヴァンジェリンさんが来る前に俺も読んでおこう。

 そう決めた俺は、上の階層を目指してひょいひょいと地下を登り始めたのだが。

 2階層ほど登ったところで俺を呼ぶ夕映ちゃんの声を聞いてしまったので、俺はあっさりと目的の達成を諦めたのであった。





 無数の歯車がギシギシと軋みながら回転する。

 歯車の数は数えきれないほどで、その大きさは多種多様。
 一体何のために回っているのかもよく分からないその歯車だらけの階層の、ほぼ中央にある上の階層に登る螺旋階段の一番下段にちょこんと座り込んで、夕映ちゃんは俺を待っていた。

 この階層は危険が大きいので、一人で探索するのを諦めたのだろう。

 歯車に挟み込まれても直前で弾き飛ばされるので死んだりはしないのだが、歯車とシャフトの下にある水面に落とされた挙げ句水の急な流れに流されて別の階層に移動させられるので、ここで探索が終了してしまう図書館探検部の人は多いのだ。
 ちなみに、無数の歯車が回っているシャフトに、ところどころゆっくり回転している巨大な本棚が混ざっていて、その中に無数の機械技術等の希少本や論文が並べられている。
 とはいえ、この階層ほど本を立ち読みするのが困難そうな場所はないと断言できる。

 ……というか絶対図書館とか関係ないだろうこの場所。

 とはいえ、ここは図書館島の地下でもかなり深い階層だ。
 こんなところまで中等部の女の子が一人で降りてくるとか、図書館探検部では認めてないだろうし、俺もさすがにどうかと思う。
 ……って、もしかして、俺を探してこんな地下深くまで来てしまったんだろうか。

 夕映ちゃんの服装は、探検用の軽装な服にライト付きのヘルメット、背中には大きめのバックパックを背負ってる。
 平日の放課後に図書館に入ってきたにしては物々しい装備だしなぁ。

 ぐふっっ……なんか、もの凄く申し訳ない。

 俺は、慌てて夕映ちゃんの前に急いでダイビングして……したらきっとトラブルが起きるので、比較的遠め、かつ夕映ちゃんの視界範囲内に着地した。
 我ながら気を使いまくった登場だが、これだけ気を使っていても、やっぱり夕映ちゃんは唐突に落下してきた俺の姿に驚いて小さく体を跳ねさせた。

 その姿は言うなれば、ホラー映画を鑑賞中、怖いシーンが来ると分かっていながら大音響と共に画面一杯に出現したショッキングな画像に驚いてしまった観客のような。

 とはいえ、予想はしていただけあって立ち直りは早いようで。
 それだけでも友達になってもらって良かったと思う。

 一瞬目を見開いた夕映ちゃんだったが、すぐに胸を撫で下ろして小さく溜息をつく。

 それで落ち着いてくれたのだろう、座っていた階段から立ち上がると、俺を少し見上げながらぺこりと挨拶してくれた。

「こんばんはです、怪物さん」

《こんばんは》

 来る途中にホワイトボードに書いておいたメッセージを、返事の代わりに見せる。
 そして、前側の触手を少し倒して、前屈みに体を倒した。

「……怪物さん、その動作は謝られているのか挨拶をしているのか判別が付きにくいので、どちらか一方に区別した方がよいと思うです」

 ぐはっっ……俺は挨拶のつもりだったのだが、さすがにこの角度と倒れる際の触手の動きなどによる微妙な区別は一般人には無理なのか!?

 しかし、一応日本人としたら挨拶や謝罪の時には頭を下げたいモノなのだ。
 近いうちにでも、なんとか一般の方にも見極めが簡単な新しい技を開発する努力をしよう。主に俺の精神的満足感とかのために!

 俺の新たな決意を余所に、夕映ちゃんは俺にちょっと驚いたような視線を向ける。

「……でも、怪物さんはホントに呼んだらすぐ来てくれるんですね……。ここは周りに音が届きにくいでしょうから、呼んでも無駄だと思ってたです」

 いえいえ、たまたまですよー。

 でも、ちょうど呼び始めたばっかりだったらしいのでそれは安心。
 ずーっと俺のこと呼んでたんだったら俺は良心の呵責で適当な歯車の中に飛び込まなければならないところだった……。いや、死なないけど。

 しかし、それだったら何のために呼んだんだろう。
 もしかして家に帰れなくなったのかな?

 俺が質問を書こうとすると、その前に夕映ちゃんは自分の背中に背負った大きめのバックパックを下ろし、その中をごそごそと探り始める。

「……ちょっと待ってくださいです」

 はいはい、待ちますよ〜。

 ・・・・・

 おおぅっ、いかんいかん。
 なんとなく、なんかくれるのかなー、とかフラフラと夕映ちゃんに近寄りかけたところで俺は慌てて正気に返った。

 いやいやいや、中学生の女の子に恵んで貰ってどうするんだ!?
 いくら俺でも、この前の古菲ちゃんからもらったオレンジジュースの味が忘れられないなんて事は断じてないはずだ! 美味しかったけどな!?
 このままでは駄目な人間になってしまう……いや、人間じゃないけど!!

「これです、ネギ先生から預かってきました」

 夕映ちゃんがバックパックから取り出したのは、夕映ちゃんの手の中には少し余るような、少し大きめのハンドベルだった。
 木製の長い柄の先に、銀色のベルがついていて、取り出した弾みで小さく“カロンッ”と鈍い音が鳴った。

 …………むぅ、なんかがっかりしたような……。

 いやいやいや、甘い物とかが欲しかった訳じゃないですよー。
 ハンドベルとか予想できなかっただけで。

 とりあえず、細い触手を数本伸ばして、夕映ちゃんの手からハンドベルを受け取る。
 銀色のベルは、俺の触手に包まれ那ながら、もう一度小さく“カロンッ”と音を鳴らした。

 とりあえず、ハンドベルを細い触手で持ちながら、ホワイトボードにマジックでメッセージを書いて、夕映ちゃんにお見せする。

《ありがとう。でも、どうしてハンドベル?》

 ネギ君からってことは、これで俺を呼ぶということなのか。
 ……というか、俺にハンドベル渡してどうするというのだろうか。むしろ俺はハンドベルの音を聞く方のような気がするんですけれど。
 でも、魔法使いのやることだから、油断は出来ないしなぁ。

「あ、怪物さんは使い方知らないのですか?」

 ちょっと驚いたような表情を見せて、夕映ちゃんが言う。

 俺はぐにゃりと体を曲げて頷いた。
 念のために、ホワイトボードにメッセージにも書こうとしたら、「あの、頷かれたのは分かったですよ?」と夕映ちゃんに言われたので書くのを止める。
 うんうん、分かって貰えるって嬉しいなぁ。

「このハンドベルは二つで一組になってるです」

 床に下ろしたままのバックパックから、夕映ちゃんがもう一つのハンドベルを取り出した。
 こちらは、俺が渡されたベルとほとんど同じデザインだがベルだけは金色で、取り出された勢いで鳴ったベルの音は“チリンッ”という澄んだ音だった。

「ネギ先生によるとですね。このハンドベルは、普通に鳴らす時はそれぞれ違う音ですが……しっかり手にして、どこかへ音が届くように念じて鳴らすと……」

 ハンドベルを両手でしっかり手にした夕映ちゃんが、むむむ、と眉を寄せながら小さく唸った。
 うわー、妙に可愛いなぁ。
 同じ精神集中の仕草でも、直後に破壊光線的なものが飛んでくるエヴァンジェリンさんとは大違いで、とても心が癒される。

 ……とか思ってると、夕映ちゃんが満を持して、という感じに気合いを入れて手の中のベルを鳴らした。

“チリンチリンッ”と澄んだ音が鳴り響く。

 俺の触手にぶら下げられた銀色のハンドベルから。

 おおーーーーっ!
 なるほど、もう片方のベルから音が鳴ったりするのかっ!!
 なんか、破壊活動的なモノとか服を脱がすモノとか、人に迷惑かけるものばっかりだった魔法の中で初めてホントに魔法っぽいモノを見た気がするよ、俺ッ!!

 思わずちょっと感動してしまった。

「す、すごいです……ちゃんと、怪物さんのハンドベルが鳴りました……」

 ……と、鳴らした夕映ちゃんの方も一緒に感動してるし。
 あー、そっか、今のってもしかして夕映ちゃんもはじめて試したのか〜。

 俺は、さっそく自分の手にしたハンドベルに、届け〜届け〜、ととりあえず自分でもよく分からない念を込めて、ゆっくりと左右に振ってみた。

“カロンカロンッ”と鈍い音が、夕映ちゃんの手の中の金色のベルから鳴り響く。

「きゃっ……」

 夕映ちゃんは、手の中で鳴りはじめた自分のベルを驚いた顔で見た。

 やがてその顔に喜びの表情が浮かぶと、お礼とばかりに自分の手の中にある金色のベルを左右に揺らして鳴らしてくれる。
 もちろん、俺も負けじと自分の触手に掴んだ銀色のベルを鳴らすわけで。



“チリンチリンッ……チリンッ……チリンチリンチリンッ”

“カロンッ……カロンカロンカロンッ……カロンカロンカロンッ”



 しばらくの間、二つのベルが、図書館島の地下に鳴り続ける。

 ひとしきり鳴らしに鳴らしまくって、お互いが満足したところで、どちらともなくベルを鳴らすのを止めた。

「魔法ってすごいですね……なんの機械的な装置が組み込まれてるわけでもなく、ただ“音を届けたい”と思うだけで、実際に音を別の場所で鳴らすなんて、驚きです……」

《すごいねー。ちゃんと、届けと思ったときだけ届いてた》

 俺も、正直に思ったことをホワイトボードに書いて、夕映ちゃんに見せる。

 ベルの音がもう一つのベルの方から鳴ってくることも凄いと思うけど、それよりもずっと不思議なのは、ちゃんと“届け”と思わなければ、ベルは相手の方に届かないという事だった。

 本当に、たた思うだけで、そういう風に音が向こうに届くわけで。
 なんというか説明しにくいけど、凄いと思う。

「同じ装置は科学で作れるかも知れないですが、この、思ったことを……というのは、生身の人間のままでは決して不可能な領域……。電気的に脳波を察知する技術などが開発されたとしても、この感覚と同じモノは、決して作れませんです!」

 手の中のハンドベルを宝石のように大事そうに掲げ持ち、目を輝かせて夕映ちゃんが言った。

 バーン!と手の中のハンドベルを空へと掲げる姿はまるで世紀の発明を前にした科学者さんのような感じだ。
 あんまり楽しそうなので、思わず太い触手を使って拍手してしまう。

 ぺちぺちぺちぺちぺちぺち

「うぅぅぅぅぅ……なんですかその拍手は……」

 急に恥ずかしくなったのか、夕映ちゃんは頬を押さえてその場でしゃがみ込んでしまった。

 ごめん、なんか可愛かったので、つい。









「……送ってくれて、ありがとうございます」

 俺の触手のうちの太めの一本に掴まって、夕映ちゃんが礼を言った。
 夕映ちゃんを掴まえている触手は、たった一本で腰をぐるりとしっかり掴んで、その身体が落ちないように付け根の部分にお尻を乗せもらっている。
 我ながら触手の使い方が器用になってきたなぁ……いや、嬉しいのかどうかというともの凄く微妙なところなんだけど。

 ひょいひょいと四本ほどの触手で体をどんどん上の階層へと移動させながら、俺は夕映ちゃんにホワイトボードを見せつつ細い触手の一本でメッセージを書く。

《あんまり遅いとのどかちゃんが心配するよ》

「む……」

 同じ部屋に住んでいるらしい親友の名前を書くと、夕映ちゃんは少しだけ困ったような低い唸り声を喉の奥で鳴らした。
 うわ、触れちゃ駄目な話題だったかな?
 でも夕映ちゃんとのどかちゃんの二人が喧嘩するなんてちょっと想像できないんだけどなぁ。

「のどかは、怪我をしたネギ先生の看病で学校に残りました。私は、どうしても図書館の探検を進めたかったので、一人で図書館島に来たんです」

 あ、ハンドベルを渡しに来たのはついでだったのか。

 そう言えば、夕映ちゃんが俺を呼んだのってかなり深い階層だったしなぁ。
 それにしても、たった一人であんな深い階層まで降りてくるなんて、よっぽど読みたい本でもあったのかな?
 あんまり深い階層にある本じゃなかったら、暇なときに探しても良いんだけど。

 ホワイトボードにそうメッセージを書いてみると、夕映ちゃんは首を振ってそうじゃないと答えた。

「私が図書館島の地下を目指していたのは、地下深くに魔法の秘密が隠されているのではないかと思ったからです……その、ネギ先生のような、魔法が……使ってみたかったので……」

 ま、魔法少女!?

 夕映ちゃんのフリルひらひらな魔法のバトンを振り回す姿を、ついつい想像してしまった。
 うーむ、意外とちゃんと似合ってしまう……やっぱり夕映ちゃんが小さめだからか、本人が中学生なのを考えるとちょっと似合い過ぎるのもどうかと思うけど。
 まぁ、可愛いならいいんじゃないだろうか。

 ホワイトボードに、正直な感想を書いて夕映ちゃんにお見せする。

《かわいいと思う》

 そのメッセージを見るなり、夕映ちゃんは慌てて口を開いた。
 よっぽど慌てているのか、落ちないように触手を掴んでいた手を離してバタバタと上下に振る姿が必死さをアピールしている。

「い、いえ! 決して怪物さんが想像したような魔法少女的なものではないですよ!? もっと、こう、古代の魔法使い的というか、ファンタジー的なものを想像していたというか……それはそれで、恥ずかしいのですけれど……」

 自分で喋る言葉に急に照れが入ったのだろう。チラリと目を向けた夕映ちゃんの顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。

 う……な、なんだろう、聞いた俺も恥ずかしくなってきた!?

 なんとなく、口に出してみると“魔法使いになりたい”って夢は、まるで“スーパーマンになりたい”みたいな、とてつもなく恥ずかしい夢のような気が。
 いや、ご本人様とはバンバン会ってるわけだし、夢ではない筈なんだけど、魔法使い。

 しかし、別に夕映ちゃんは魔法使いに憧れる要素があったわけじゃないと思うんだけど……何故そうなったんだろう。
 俺はホワイトボードにその疑問を書いて、夕映ちゃんの眼前に見せる。

《どうして魔法使いなの?》

 その質問を見た夕映ちゃんの表情は、なんとも複雑なものだった。

「……ネギ先生に、魔法のことを詳しく教えて貰えないか相談したんです。そうしたら、魔法使いの世界には危険があるから、自分からは教えられない……ごめんなさいって、言われました」

 夕映ちゃんは、小さく息を吐く。

「だけど、私達が探すのを止めることは出来ないから、どうしてもと思うなら、頑張ってください……って」

 うわー、それは怒れないよなぁ。
 ネギ君としてはかなり真面目に答えたんだって分かっちゃうだけに。

「のどかは、諦めてもいいと言いましたけど……私は、諦められないのです。怪物さんと会って、友達にしていただいて、ネギ先生から魔法使いのことを知って……」

 そこで言葉を切って、夕映ちゃんはぐっと拳を握った。

「ここ数日の出来事は、私にとってとても胸の躍るものでした。図書館での探検は……私にとって、学校のつまらない授業よりずっと充実した時間です……!」

 ……うわー、目が輝いてる。

 うーん、これは止められないなぁ。
 別に魔法使いは目指さなくていい気はするんだけど。
 むしろ、俺の方がちょっと応援してあげたくなってきてしまった。

 とはいえ、ちゃんと魔法使いの危険性とかもアピールしておかないと、実際に会ったときのダメージが大きくなるだろうし。
 今日の学園長先生の無駄すぎる魔法の使いっぷりとか、ここまで魔法使いに夢を抱いている夕映ちゃんが見たら逆ギレするかもしれない。

 俺はさらさらとホワイドボードにメッセージを書く。

《魔法使いは危ないよー》

「危ない……ですか?」

 メッセージを読んだ夕映ちゃんの反応はあまり芳しくなかった。
 まぁ、夕映ちゃんが知ってる唯一の魔法使いであるネギ先生がいい子だしなぁ。
 魔法使いのイメージがよいものになるのも仕方ないだろう。

 とはいえ、俺の知ってる魔法使いの人をその中に足すと、急にそのイメージが怪しくなってくるんだよなー。

 俺とかその“危ない”の結果みたいなもんだし。
 とはいえ、俺はかなり特殊かつ不幸なケースだろうし、もーちょっと身近な話題で魔法使いの危険性をアピールしよう。

 俺はホワイトボードにきゅきゅきゅとマジックを走らせて、新しいメッセージを書く。

《魔法は人をおかしくさせる》

 そのメッセージが書かれたホワイトボードを触手に掴んで夕映ちゃんに見せながら、俺は魔法の生みだした悲劇の恐ろしさを思い出していた。

 あの真面目でとても責任感の強いネギ君が、俺に真剣な顔でじわりじわりと迫りながら、決然とした顔で『二人で分けましょう!』とか気が遠くなるような問題発言を口走ったこと。

 いつもは俺のことを化け物だと公言して憚らない鬼のようなエヴァンジェリンさんが、頬を赤らめながら俺に迫ってくるという奇行に走った挙げ句、逃げる俺を鋼鉄の糸で縛ってから、それはもう大変嬉しそうにのしかかってきたこと。

 あのとても頼りになる、一番最初に俺を信頼してくれた高畑先生が、それはもう真剣な顔で正々堂々と『彼は僕のモノだ!!』と大宣言をして下さったおかげで俺の精神が涅槃へと旅立ってしまいかけたこと。

 特に最後のは悪夢に出てくるレベルです。

 高畑先生があの後チャチャゼロさんに俺のことを心配する伝言だけを残して帰ってしまったせいで、俺にとっての高畑先生の印象はアレで止まっているのだ。
 ごめんなさい高畑先生、次に顔を合わせたときどんな顔をすればいいか分かりません……。

 そんな俺の脳内の葛藤を余所に、夕映ちゃんはホワイトボードのメッセージを読む。

「……人を、おかしく……させる、ですか……?」

 そのメッセージに、彼女は戸惑うような表情を浮かべた。
 魔法使いといえば、あの明朗快活で真面目なネギ君しか知らない夕映ちゃんには、そう言われてもピンと来ないのだろう。

 毅然とした態度で言葉を返してくれた。

「私は、魔法のような力を手に入れたとしても自分を見失ったりはしません。仮に魔法にそのような性質があったとしても、ネギ先生のような存在がいることから、自分の強い意志があれば良い魔法使いになることは可能だと思います」

 ……え、あ、いや、なんかそういう話じゃないですよー。

 でも、夕映ちゃんだってその魔法であんな……なんというか、思い出すと可哀相なので思い出すのは自粛する……おかしすぎる状態になったことがあるのだ。
 本人の記憶が無いというのは時には良いこともあるんだなぁとか今思いました。

 うん、昨日のネギ君へのメッセージを一部前言撤回しよう。
 というか俺の記憶も消して欲しいです。主に迫ってくる高畑先生の記憶とかを。

 …………まぁ、それは叶わない夢なので諦めるとして。

 俺は、夕映ちゃんに見せていたホワイトボードを下ろして、書いていたメッセージを消す。

 なんかこう、表現がマズかった気がする。
 今度はもっと別方面のデメリットで攻めてみよう。

 ……そんなことを考えた瞬間に浮かんだ言葉は、ただ一つだった。
 迷いなくそのメッセージを書いて、夕映ちゃんにお見せする。

《あと服が脱げたりするし》

 ネギ君に計三度も脱がされたらしい明日菜さんとか。

 というか、話を聞くとネギ君は魔法使うたびに服を脱がしている気がするんだが、あの真面目少年はなにかしらそういう運命の元にでも生きているのだろうか?
 昨日、とりあえず魔法から離れるように言ったのは正解だったと我ながら思う。

「そっ、それは………確かに、そうかも知れませんが……っ」

 少し頬を赤くした夕映ちゃんが自分の肩を抱いて俺から視線を逸らした。
 あ、夕映ちゃんも脱げちゃったんだっけ……って、よく考えたら俺のせいだった!?

 わーーい、ナイス墓穴。

 ごめんエヴァンジェリンさんも脱がしたし、俺もネギ君のこと言えません。

 マジで魔法とか悪魔とか怖すぎだよね、うん。





 俺がそんな結論に至ったところで、地上階へ続く階段の上端に到着した。
 さすがに上の建物までは、まだ図書館に残っている人がいるかも知れないので登れない。

 ぺたぺたと螺旋階段を垂直に這い進んでいた触手の動きを止めて、掴んでいた夕映ちゃんをひょいと階段の上へと下ろしてあげる。

「……む、なんだか、はぐらかされた気もしますが……ありがとうございました」

 ちょっと不満そうにしつつも、夕映ちゃんはぺこりと頭を下げてくれた。
 うーん、礼儀正しい子だなぁ。

 別に良いよと触手をパタパタと左右に振って答えると、夕映ちゃんは少し笑った。

 ……うん、ちょっとエヴァンジェリンさんっぽい笑みでした。
 あああああ、魔法使いなんか目指すからとうとう夕映ちゃんまで邪悪に!?

「でも、魔法使いのことを探すのは止めないつもりです。ズルはしませんが、もし危険があったら怪物さんもご協力よろしくお願いします」

 ぺこり、ともう一度頭を下げられてしまう。

 ……むぅ、そんな可愛いお願いだったら、断れないなぁ。

 俺は、マジックをホワイトボードに走らせて、ひょいと掲げて夕映ちゃんに見せる。

《呼んでくれたらすぐ飛んでいきます》

 夕映ちゃんがそれを読んでくれたのを見計らって、細い触手の一本を巻き付けてしまっていた銀色のハンドベルを出してみせる。
 軽く振ると、夕映ちゃんのバックパックの中で“カロンッ”とくぐもった音が聞こえた。

 夕映ちゃんが、嬉しそうに笑って自分のバックパックを見た。

 図書館島の中なら、俺は何処にでもすぐに行けるし。
 もし声を出せなくても、俺がこのベルを鳴らせば、その音を頼りにすることができる。

「それじゃ……今後ともよろしくお願いします。……です」

 ぺこりともう一度礼。
 今度はなんとなく俺も体を曲げて礼をした。

 そして、手を振りながら夕映ちゃんは地上へと歩いていき、俺はその背中にパタパタと大きい触手を振って別れを告げる。

 そうして夕映ちゃんが見えなくなると、俺はハンドベルを救急バックの中に大事にしまって、再び地底図書館を目指して戻り始めた。





 うーむ、なんだか大分時間が経ってしまった。
 そろそろエヴァンジェリンさんが来る頃だし、さすがに本を探す時間はないなぁ。

 うぅ、あの本の続き、読みたかっただろうし、エヴァンジェリンさんの特訓のダメージが倍ぐらいまで跳ね上がりそうな気がする。

 ……ちょっとこの階層辺りで何か別の本がないか探していこう。

 でも、どんな話がエヴァンジェリンさんの好みに合うか分からないし、代わりに読むにしても良さそうな本があるとは限らないしなぁ。

 今は甘々っぽい話が割と好きみたいだし、そーいうのがないだろうか。
 うっかり悲恋の話とか読んだら機嫌悪くなりそうだし。

 地下の浅い階層の書架をぺたぺたと這って、なにか面白そうなモノでもないかと小説のコーナーでタイトルに目を通してみる。

 その時、唐突に救急バックの中で音がした。

“チリンッチリンッチリンッ”

 三回、澄んだベルの音。

 ………あれ?

 なんで、今、音が聞こえるんだ?

 夕映ちゃんって、たった今図書館から出たところだよね?

 ……なにか危険があったら知らせるって言ってたけど……なんで、図書館から出たばっかりの夕映ちゃんが、ハンドベルを鳴らすんだ……?

 俺の疑問に答える人なんて、この図書館島にはいないわけで。





 ─────────それ以上、ハンドベルは鳴らなかった。





 俺は地上めがけて駆け出す。

 “呼んでくれたらすぐ飛んでいく”って言ったのは、俺だし。









つづく