第22話 「日々は過ぎ行く」





<主人公>



「怪物さーーーん、いないアルかーーー?」

 語学の勉強のための本を求め地下五階層辺りをうろついていた俺を呼んだのは、そんな脳に突き抜けるかのごとき脳天気な呼び声だった。

 我ながら耳良いなぁと思いつつ、ノコノコと姿を現してしまうのは自分でもUMAの自覚がないのではないかと思わないでもないが、そこはやはり俺も人。
 人気のない真っ暗な書架に囲まれて本を探し続けるのは寂しいのである。

 そんなわけで、どことなく中国四千年の息吹を感じる呼び声に導かれ俺が姿を現したのは、図書館島地下名物・北端大絶壁を見渡せる橋梁のド真ん中であった。
 巨大にも程があるだろうというようなデカい本棚が作り出す絶壁に、巨大な滝が流れているという、さながら麻帆良地下のナイアガラとも言える絶景である。
 比較的に地下の浅い階層にあることもあって、ある程度は図書館島を知っている麻帆良の学生達にとっては、休日を恋人と過ごすための絶好のデートスポットの一つとして親しまれている。

 そんな場所に這い出てくる俺。
 わーーい、スーパー場違い。

 とりあえず、平日だったお陰で人の目がないのは確認したものの、絶景を前に俺がペタペタ這い回る姿のはもの凄く精神的にアレだ。
 大自然の前に自分の小ささを思い知らされるというか、なんだコレって気分になる。
 うわー、今の俺の姿は人に見られたくないなぁ。

「おー、いたアルーー! 怪物さーーん、こっちアルよーーー!」

 そんな俺の心情など1ミリも気付く様子もなく、満面の笑顔で俺へと手を振るのは、いつぞや俺を素手で仕留めた地獄の格闘家、古菲ちゃんだった。
 自分でもこの憶え方は失礼だと思うが、なんかもう身体に刻みつけられる勢いだったんだから仕方ないと思う。いや、吹き飛ばされた直後の記憶は全然ないんだけど。

 とりあえず、彼女がこちらに気付いところで、俺は来る途中にホワイトボードに書いていたメッセージを慌てて見せた。

《声高いですー!》

「怪物さーーーん、久しぶりアルなーーっ!!」

 気付いて! 気付いてください!!
 バタバタとホワイトボードを必死で振りながら近付く俺。
 全然気付いてくれないまま満面の笑みでパタパタ手を振って俺を迎えてくれる古菲さん。

 うわーーーい、全然気付いてくれないよ!?
 ぶっちゃけ今にも古菲さんの声に驚いた人がここに来るんじゃないかと気が気じゃないんですがっ!!

 なんかもぅ力尽きたくなるようなダッシュで目の前に到着すると、古菲ちゃんは正面衝突を避けるために慌てて飛び退きながら驚いた顔を俺に向ける。

「うわっ、凄いダッシュ力アル! 怪物さん、古菲にそんなに会いたかったアルか!?」

 俺は、ぐったりとそのまま橋面へと突っ伏しつつ、ホワイトボードをふるふると震える触手で古菲ちゃんの目の前に突きつけた。

《声高いですー!》

 なんかこう、今見せても全く意味のないメッセージである。

 フフフフフフ、たった今、喋れない事による新たな欠点に気付いたぜ……距離が遠いと、ホワイトボードを向けられたって見せられた人は字が読めないって事にな!

「はぅぁっ!? うっかりしてたアル!!」

 うっかりにも程がありますよー。
 とりあえず人が近付く気配はないので良かったですけど。

 俺は、脱力したままホワイトボードにすらすらと新しいメッセージを書いてから古菲ちゃんに見せておいた。

《気をつけてねー》

 脱力のあまり“ね”の後にそのまま線が繋がってしまった。
 我ながらなんて気迫のない注意文だ。

「あい分かったアル」

 とはいえ、こくこくと頷いてくれたのでとりあえずこの件は終了である。
 冷静に考えたら、魔法の杖で地底図書館まで飛んで来れるネギ君を除いたら、他の人は俺に合うには図書館島の地下で俺を大声で呼ぶしかないんだよなぁ……。

 今度、なにか呼び出してもらうのに良い方法とかないか考えてみよう。

 それはそうと、古菲ちゃんは何しに来たんだろうか。

 あんまり図書館とは関係なさそうな子だよなぁ……とか思うのは失礼だけど、どう見てもアウトドアな感じの子だし。
 なんか願い事だろうか。悪魔だけに、俺が。
 いや魂とか出されても何の願い事も叶えられませんが。

 とりあえずホワイトボードにメッセージを書いて古菲ちゃんへと見せてみる。

《今日はどんなご用ですか?》

 古菲ちゃんは、俺の書いた字をパチパチと目を瞬かせて読んだ後、何かを思いだしたかのようにポンと手を叩いた。

 あー、そっか。古菲ちゃん、見た感じ日本の人じゃないし、日本語読むのにちょっと間があるんだ、それでさっきのメッセージに気付けなかったのか〜……。
 ところで今のリアクションって、もしかして俺を大声で呼んでいる内に用事自体を忘れていたって事なんだろうか。謎だ。

「今日はこの前のお礼に肉マン持ってきたアルよ! 怪物さんも一緒に食べるアル!!」

 腰に下げていたポシェットから、肉まんの入った紙袋を取り出して古菲ちゃんが微笑む。
 紙袋には“超包子”とある。
 あー、ここってスゲェ美味しいんだよなぁ。何度か食べに行ったことある。

 ところで。

《もしかして、×お礼→○お詫び?》

 ホワイトボードに俺の素朴な疑問を書いてお見せすると、古菲ちゃんはもう一度、手をポンと叩く仕草を見せてくれた。
 うん、可愛いけどちょっと古菲ちゃんがどういう子か分かってしまった気がします。

「ニャハハ、そうだったアル」

 頭の後ろで軽く自分の頭を叩きながら、天真爛漫な笑みを見せる古菲ちゃん。
 ああ、純粋に俺が喜ぶと思って差し入れを持ってきて来てくれたんだなぁ。

 うぅ、でも、教えるしかないし……。

 かなりの罪悪感を感じつつ、ホワイトボードにマジックで、古菲ちゃんが気付かなかった、もっと根本的な問題を書く。

《ごめんなさい。肉マン食べられないんです》

 うぅぅぅぅ、ごめんよぅ……。
 でも俺、口が無いから固形物は食べられないんだ……。

「はぅあっっ!! そう言えば怪物さん、口無かったアル!!?」

 ガーンとショックを受ける古菲ちゃん。
 うぅ、人の好意を受け取れないのは辛いなぁ。
 ところで、なんで口がないことをそんなにはっきりと憶えてるんですか?

「んー、しょうがないアルね……じゃあ、怪物さんは、飲み物とかはどうアルか?」

 触手をゆらゆら揺らしながら見守っていたら、古菲ちゃんは思ったより簡単にショックから立ち直ってくれた。
 新しい提案を出してくれたので、ホワイトボードに答えを書いてお見せする。

《飲めます》

 俺の書いたメッセージを見るなり、古菲ちゃんは「ちょっと待つアル!」と言ってその場から駆けて行ってしまった。

 あ、そう言えばこの辺りって自動販売機もあったな、と気付いたのは一瞬後だった。

「買ってきたアルよ〜。オレンジジュースとウーロン茶、どっちがいいアルか?」

 驚くべきスピードで戻ってきた古菲ちゃんが、戻ってくるなり両手にそれぞれ一本づつのジュースを持って、俺に見せてくれる。

 うわー、買いに行ってくれたのか……なんだか凄く申し訳ない。
 とはいえ好意は素直に受け取っておくもの。

 俺は細い触手をゆっくり伸ばして、ぺし、とオレンジジュースの方に触れた。









「ん〜、怪物さんは、甘い物が好みだったアルか〜」

《実は割と》

 はむはむと肉マンを口にしながら時折話しかけてくる古菲ちゃんに、ホワイトボードで返事を書きながら貰ったオレンジジュースをちびちびと飲む。

 ちなみに、プルタブを開けるパワーがなかった俺は古菲ちゃんに開けて貰いました。
 いや、太い方の触手ならいけたんですけどね!? プルタブに入らないっていうか、細い方の触手だとプルタブがビクともしなかったっていうか……っ!

 目の前には大絶壁と、そこから流れ落ち続ける巨大な滝。
 遙か下方から聞こえる轟々と水がぶつかる音と、澄んだ空気と冷気を伴った微かな湿気が、今の俺の体にはとても心地良く感じられる。

 それに、ここはギリギリ外からの陽光が入り込んでいる場所だからだろう。
 以前にも感じたが、やっぱり地底図書館の世界樹からの光というものとお日様の光というのは、それぞれ別の趣があるわけで。
 陽の光を浴びると、やけに和むというか、うつらうつらと眠りたくなるんだよなぁ。

 俺は橋面にぐんにゃりと座り込み、古菲ちゃんはその横のベンチに腰掛けている。

「しかし、驚いたアル。まさかホントに呼んだら来るとは……」

 半信半疑なのにあんな大声で呼びまくってたんですかい。
 ガッツがあるというか、凄い行動力だなぁ。

「怪物さんにお詫びに来たのは良かったアルけど、どうやって会うかまでは考えてなかったアル」

 自分の後頭部をぽふぽふ叩きながらニャハハと笑う古菲ちゃんの、なんと天真爛漫なことか。
 あぁ、その前向きな明るさがなんだかとても羨ましい。

 俺は思わず感動してしまいつつ、俺はホワイトボードに正直なお礼の言葉を書いた。
 太い触手でにゅっと持ち上げて古菲ちゃんに見せる。

《わざわざ呼んでくれてありがとう》

 メッセージを読んだ古菲ちゃんは、肉マンを食べる手を止めてニッと笑った。

「ニャハハハハ、喜んでくれてなによりアル。またそのうち遊びに来るアルよ〜」

 あぁ、一回殺されかけたらしいので警戒してたけど、この子はホントに良い子だなぁ。

 ……というか、俺の知っている良い子はみんな俺を殺しかけてないか?
 いや、考えるな俺。

「今度はすぐ分かるように、もっと大声で呼ぶアル!」

 にっこりと天真爛漫な微笑みを浮かべてそう言ってくれる古菲ちゃん。
 わーーい、最初のメッセージもう忘れちゃってますよこの子。

 だが、この瞬間!
 俺の脳裏にある計画が閃いていた!!
 かつて思いついたものの、実際にやって見せたらエヴァンジェリンさんにあっさりと見破られて鬼のように酷評されたため、永久に封印となってしてしまった、俺の隠し芸の一つ。
 しかし、古菲ちゃんになら、この隠し芸は通じるのではないか!?

 いや別に古菲ちゃんなら簡単に騙されそうとかそういう話じゃなくて、俺はその天真爛漫さに賭けたいと思ったのである!

 それはそうとして

《呼ぶのはもうちょっと下の階層でお願いします》

 さすがにこんな浅い階層で呼ばれまくるのは心臓に悪いのでお願いしておいた。

「はぅあ!? 忘れてたアル! ちゃんと気を付けるアルヨ〜〜」

 頭の後ろをぽふぽふ叩いて笑う古菲ちゃん。
 うんうん、君には罪はないと思うんだけど、もうちょっと注意して欲しいです。

 さて、最後の肉マンを食べ終えて指先に付いた皮をぺろりと舐めとった古菲ちゃんに、俺はさっそく先ほど思いついた計画を実行すべく、ホワイトボードのメッセージを見せた。

《お礼にちょっとした芸をお見せします》

 メッセージを読むなり、古菲さんは驚くほどの食いつきの良さで話に乗ってくれた。

「おー、どんな芸アルか?」

 ああ、こんなに素直に話を聞いてくれると嬉しくなるなぁ。

 俺は目を輝かせて俺が何をするかに注目している古菲さんに、一度ぐにゃりと体を曲げて頭を下げると、ペタペタと橋の内側の端、北岸大絶壁の方へと這い寄る。

 目の前には左右一杯に流れる、巨大な滝。

 視線を背後に感じながらも手すりに這い登り、俺は一気に巨大な滝へとめがけて跳んだ!

「おおおーーーーーっ、怪物さんーーーーっっ!?」

 慌てて手すりに駆け寄ってくる古菲ちゃん背後に感じながら、俺はみるみると落下して……やがて、滝壺へ落ちる寸前の所で、俺の体は遙か上空から落ちていく滝の中へと潜った。
 この一瞬が、この芸の最も困難なところである。
 そして、ひそかに何度も練習を重ねたこの動きを俺は決して失敗することはない、例え滝の規模がとてつもなく大きかろうが、やってやれないことはないのだ!

 次の瞬間、俺は滝の中をみるみる上に向かって泳ぎ始めた!!

「おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! 怪物さん、凄いアルーーーっ!!」

 古菲ちゃんの驚きの声が聞こえる、やった! やったぞ、ウケてる!!

 ざっぱんざっぱんと滝を割るように足を滑らかに動かして、みるみる滝の中を登っていく俺!
 やった、やったよ! 俺、滝の中を泳いでるよ!!

「凄いアル! 登竜門の滝を登る鯉の如く、竜になって天へ昇らんばかりの勢いアルよっ!?」

 何故か中国の伝説まで持ち出して盛大に喜んでくれる古菲ちゃん。
 ありがとう!

 ありがたいけど、実はこの隠し芸は単に太い触手の内の二本を滝の内側の本棚に潜り込ませて、バランス良く滝の流れに体を浮かせながら這い登っているだけだったりするのだ!!
 それでいて足の数が減っていることに気付かれないように泳ぐ動きを見せるのは正に職人芸として見て欲しい!
 エヴァンジェリンさんとチャチャゼロさんには光の速さで見抜かれたけどね!!

 上機嫌で滝を昇る俺、大喜びで俺に喝采を浴びせてくれる古菲ちゃん。

「おーーーい、くーーーふぇーじゃーん! なにしてるのーー?」

 それにツッコミを入れる、聞き覚えのない古菲さんのご友人らしい女の子の声。

 うわーい。

「はぅぁっ!? ハルナ、こんなところでなにしてるアルか!?」
「いやそれは私が聞きたいんだけど……ん、なんか滝の中に面白いものでもあるのー?」

 さらば古菲ちゃん、また会おう。

 俺は即座に自分の体を支えていた二本の触手を、本棚から剥がした。
 大絶壁に流れる滝が素晴らしい勢いで俺の体を押し流していき、俺は一瞬で滝壺へと消えた。

「ま、またアルヨー!!」
「くーふぇ、あんた誰に挨拶してるの?」
「え、えっと……さっき滝をアメフラシが凄い勢いで登ってたアルよ!」
「……マ、マジで!!?」

 滝壺からさらに深い地下へと落ちていく寸前、なんだかもの凄いやりとりが最後に聞こえた気がしましたが、たぶん気のせいということにしときました。

 いや、古菲ちゃん、アメフラシて。






<弐集院>



「ニクマン・ピザマン・フカヒレマン! 我、弐集院 光の名に於いて命ず!!」

 詠唱に応え、目の前の空間に複数の淡く輝く光の玉が浮き上がる。
 光の中で常に輪郭を歪めながら人の姿を模しているそれらは、それぞれが一定の間隔を保ちながらゆっくりと美しい弧を描いて舞い、辺りの景色を照らしていく。

 シンと静まりかえった深夜の散歩道に、この場に立つ4人の影が揺れた。

「弐集院先生、ご指示通りに人払いと認識阻害の魔法を周囲に展開終わりました。結界の範囲内は、どこにも一般生徒の姿はありません」

 凛とした態度で散歩道を外れた雑木林の影から散歩道に出てくるのは、聖ウルスラ女子高等学校に在籍する魔法生徒である高音君。
 精霊の輝きに照らされた金糸を思わせる長い髪が、夜の風に揺らされて淡く輝いている。

「……これが、弐集院先生の造った電子精霊なんですね。綺麗です……」

 音もなく光の舞を演じ続ける人造の精霊の姿に目を輝かせているのは、魔法生徒である佐倉君。
 まだ彼女は中等部の生徒だが、高音君の“魔法使いの従者”である為に同行していた。

「しかし弐集院先生……その始動キーは、さすがに変えた方がいいんじゃ……」

 彼と組んで魔法の詠唱を行うたびに聞かされる、いつものツッコミを口にしているのが、僕の同僚である魔法先生のガンドルフィーニ君。
 彼は手慣れた様子で軽く身構えたまま、周囲に時折鋭い視線を向けている。

 そして、手の中のノートPCに、電子精霊が解析した魔力の痕跡データを落とし込んでいるのが、この麻帆良学園に務める魔法先生の中でも古株の一人である、私……弐集院光だ。

 自動的に電子精霊が落とし込んでいく周囲の観測結果から、片手のキー操作でノートPCを操作して、必要なデータだけを抽出して落とし込んでいく。

「……しかし、本当にこの麻帆良学園内で悪魔の召喚が成功したんですか?」

 高音君が、周囲を一望して、微かに眉をしかめる。

「高音君は、彼自身は目にしていないが映像記録は見せられただろう? 僕はその日に一度だけ実物を目にしたけど、間違いなく悪魔だったし、実在していたよ」

 高音君に応えたのは、ガンドルフィーニ君だった。

 二人はどちらも時折この麻帆良学園の警備のために働いている人間で、だからこそこの麻帆良学園を護る結界の強固さに信頼を寄せている。
 それ故に、本来は外敵による転移やゲートの類を全て遮断している麻帆良の結界が破られたことを信じたくないし、信じたくないという気持ちが理解できるんだろう。

 ちなみに、ガンドルフィーニ君や私が彼女を名前で呼ぶのは特に他意はなく、彼女自身の希望によるものだ。
 グッドマンという家名を嫌っているわけではないけれど、そう呼ばれるのはあまり落ち着かないそうなので、魔法関係の人間は皆そう呼ぶようにしている。

「………でも、ずいぶん前ですよね? なにか、分かるんでしょうか?」

 舞い続ける電子精霊を見ながら、佐倉君が不安げに言う。

 今、抽出しているデータは、半月ほど前に行われたこの場所での召喚魔法の発動記録だった。
 調査自体はすでに一度別の魔法先生の力で行われていたけれど、僕自身がこの場所を調査するのは初めてになる。
 場所が人通りの決して少なくない散歩道であったことと僕自身が当時は出張で学園にいなかったせいで、今日、こうして調べるまでに事件からずいぶんと時間がかかってしまっていた。

 だが、魔力の痕跡ははっきりとこの場に残されている。
 それだけ、ここで行われた現象が異常だったという事だろう。

「問題ないようだね。この場所には明確に痕跡が残ってる。抽出したデータを参考にして、後で私の方からの結界の補修をしておくよ」

 ガンドルフィーニ君と高音君の表情が厳しいものになる。
 二人の表情を驚いた顔で交互に見てから、おずおずと佐倉君が口を開いた。

「あの……それって、すごく良くないことなんですか?」

 彼女の質問に思わず苦笑する。

「そうだね……本当に良くないことだよ、これは。学園の結界の中で簡単に召喚や転移のゲートが展開されてしまえば、学園内の警備は格段に難しくなるから」

 PCを見たまま彼女の問いに答える。
 だけど、そう口にしている私の液晶の画面に映っている召喚魔法の記録は、最初にこの件を聞いたときに予想したものとは違うものだった。
 こんな召喚魔法の魔力量では、麻帆良学園の結界の干渉を打ち破ることは出来ない。

「……でも、今回の件は気にする必要はないみたいだね」

 使用された召喚魔法のデータの記録を終了させて、もう一つの抽出データを見る。
 魔法の原因ではなく、魔法の結果。
 侵入者が使用した召喚魔法が発動した瞬間に起こった現象の痕跡。

 仕事の邪魔をするのを気が引けるのか、もの問いたげな視線を送りながらも口を閉ざしている三人をチラリと見て、PCのキーを叩く手を止めないままを言葉をかける。

「彼……いや、侵入者が召喚した悪魔は、どのような目的で召喚されたと思うかい?」

 その質問に真っ先に答えたのは、何故か頬を赤くした高音君だった。

「……弐集院先生、その質問はセクハラです!」

 ええええええええ!?
 まさかそんな反応をされるとは予想外だった。

 そういえば、高音君と佐倉君は彼の姿を映像で見ただけだったか、確かに彼の見た目は女性に好印象を与えるものじゃないと思う。
 でも、見た目だけでそこまで彼の性質を決めつけてしまうのはどうかと思うんだけど。

「弐集院先生、フケツです……」

 ぐっはぁぁぁぁぁッ!?
 さすがに純真なところのある佐倉君にまでそんなことを言われるのは堪える。

 さすがに慌ててPCの液晶画面から顔を上げると、高音君と佐倉君の二人が敵意に満ちた視線をこちらヘ送ってきていた。
 困ったような表情をこちらに向けるだけで、一向に助けを寄越さないガンドルフィーニ君が恨めしい。

「あー…えっと、私が言いたいのは、そういう意味じゃなくてだね」

 私は後ろ手に頭を掻きながら、憤慨している女の子二人の勘違いを訂正した。

「侵入者は、エヴァンジェリン君に倒されそうになった時、死にたくない一心で自棄になって召喚魔法を行使したんだ。術式そのものは仕掛けられていたようだが、制御できるレベルを超えた悪魔を召喚している。典型的な『悪魔に使われる悪魔使い』だね」

 それは決して稀ではない、魔法に溺れた魔法使いの陥る最後の一つだ。
 『偉大なる魔術師』を目指している高音君が、魔法使いの道を外れた存在に対する怒りのせいか、目尻を上げて口元を引き結んだ。

 うんうん、話が軌道修正されたお陰で、さっきまでの冷たい視線は止まった。
 娘を持つ身としてはあんな目で見られるのはごめんだしね。

 とはいえ、ここからは真面目な話題だ。

「………じゃあ、召喚魔法が成功したのは」

 ガンドルフィーニ君が口を開く。
 麻帆良学園の結界が召喚者の魔力に干渉することを知っている彼は、侵入者が原因で召喚が成功したわけではないことにすぐ気付いたんだろう。

 視線を落とすと、PCの液晶画面に私の推測を裏付けるデータが映っていた。

「生贄になった彼の特性だろうね。悪魔が召喚されたのは、彼の魔法無効化能力が麻帆良学園の結界の干渉を無効化したせいだろう」

 液晶画面に映し出された、データは出鱈目なものだった。
 侵入者が作り出した悪魔召喚のゲートに対して、麻帆良学園の結界の干渉は全くのゼロ。これじゃ召喚された悪魔がどの程度の力を持つかすら推測できない。

「つまり、同じ方法で悪魔が召喚される危険は……」
「ないよ」

 おずおずと尋ねた高音君に、あっさりと答える。
 正直、魔法無効化能力と呼ばれているものですら厳密に理屈が解明されている現象はないのだから、同じ事を再現できるはずがない。

 私の答えに、心配げな顔で話を聞いていた佐倉君が安堵の溜息をこぼす。

 うーん、彼のことを思うと不謹慎なんだけど、さすがに彼と同じような怪物と戦うのは彼女には恐ろしすぎる想像なんだろう。

「ははは、まぁ、しばらくは今日みたいな仕事の手伝いを中心にしてもらうから。佐倉君はまだそこまで心配しなくても良いよ」

 とはいえ、真剣に現場の経験を積みたがっている高音君には悪いけど、私達もまだ中等部の女の子をそんな目に遭わせるつもりはない。
 それでも、やはり多少は不服なのだろう、高音君が口を開いた。

「ですが、いつまでもそのようなことでは……」
「……待って」

 それを、手で制す。

 ガンドルフィーニ君も気付いたんだろう、背広の中へと手をかけながら周囲に警戒の視線を巡らせていた。

 強い風が吹きつけ、散歩道の左右に並ぶ街路樹の木の葉が激しく揺れた。
 高音君と佐倉君の二人が、慌てたように身構えて木々を見上げる。

 だけど、私とガンドルフィーニ君の視線は揺らがない。
 視線の先……散歩道を外れた雑木林の影から、エヴァンジェリン君とその“魔法使いの従者”である茶々丸君の二人が出てくるのを見ていた。
 多少この子には演出過剰なところがあるなぁ、などとのんびり考えてしまうのは、やはり娘が出来たお陰で心の余裕が出来たからかも知れない。
 昔からの知り合いにそんなことを話しても、お前は昔からそうだと言われそうだけど。

 私達が引っかからなかったのが気に食わなかったのか、エヴァンジェリン君は不機嫌そうに腰に手を当てながら声をかけてきた。

「……フン、何を大勢集まっていると思ったら、今更あの化け物の調査か。ヤツが邪魔になったときに始末する口実でも探しているのか?」

 挨拶のない主人の代わりとばかりに、横では茶々丸君が丁寧に頭を下げてくれる。

「やぁ、こんばんは。警備の仕事ご苦労様」

 挨拶を返すと、エヴァンジェリン君が多少つまらなさそうな目で私を見た。
 ガンドルフィーニ君は挨拶も無しか、相変わらず挑発に弱いなぁ。

 遅れて二人の登場に気付いた高音君と佐倉君が息を呑む気配が伝わる。
 その様子に溜飲を下げたようで、エヴァンジェリン君から感じていた臨戦態勢のような冷たい気配が消える。

 靴音を立てて私達の方に近付くと、彼女は、私のノートPCに視線を向けた。

「弐集院、召喚の時のデータを取ったのなら、私にも寄越せ。私の方でも多少調べてみたい部分がある」

 だが、私に近付こうとするエヴァンジェリン君の前に、ガンドルフィーニ君が半身を前に出して立ち塞がる。

「最初の調査の時のデータは受け取ったはずだろう?」

 詰問するような口調は、挑発の意味合いもあるんだろう。
 そうして何かを聞き出そうという腹積もりだったのだと思うけど、エヴァンジェリン君は彼をチラリと見て、軽く鼻を鳴らしただけで視線を私に戻した。
 おぉ、ガンドルフィーニ君が怒っている。若いなぁ。

「もちろん構わないよ。機密事項は守ってくれるんだろう?」
「……当たり前だ」

 手の中のノートPCをエヴァンジェリン君の方へと向けて開くと、相変わらず不機嫌な表情のままの主の傍らから、静かに茶々丸君が前へと進み出てくる。
 彼女は、まるで主の代弁であるかのように私に丁寧に頭を下げてくれた。

「ご協力、感謝いたします」
「ははははは、君達とは同僚だし、データの開示は義務の範囲だよ」

 ノートPCを受け取った茶々丸君は、液晶画面に視線を固定したまま凄まじい速度でキーを打っていく。画面に先ほど電子精霊が調査したデータが映し出されは消えていった。

「……終わりました。お返しいたします」
「お見事。相変わらず早いね」

 正直な感嘆の言葉と共にノートPCを受け取る。
 茶々丸君は特に私の言葉に返事をしなかったが、その代わりにエヴァンジェリン君がこちらを睨んでいた。
 ……ははは、別に取ったりしないのになぁ。

「エヴァンジェリン…君、そのデータをどうするつもりだ?」

 私とのやりとりが終わるのを見計らっていたのだろう。
 もう一度、ガンドルフィーニ君が彼女に声をかけた。眼鏡の奥から刺すような瞳で彼女を見ているのは、彼なりの挑発なんだろう。

「……あの化け物のことを調べるのに使う。お前が警戒しているように、麻帆良の結界をどうこうするのに使うつもりはないぞ?」

 挑発に応えたと言うよりも、多少呆れたような様子でエヴァンジェリン君が答えた。
 だけど、ガンドルフィーニ君は語調をさらに強めて言葉を続ける。

「化け物……か」

 言葉を切り、ガンドルフィーニ君は指先で眼鏡をずり上げながら、鋭い口調で彼女へと問いかけた。

「エヴァンジェリン、君は彼を自分の下僕にして、自分の役に立てようとしているんじゃないか?」



 ガンドルフィーニ君の言葉に、周囲の空気が冷える。



「…………ガンドルフィーニ先生、今の発言はセクハラですよ?」

 背後からかけられた高音君の刺々しい口調に、ガンドルフィーニ君は驚愕の表情を浮かべると、自分の失言に気付いて慌てて彼女達へ振り向いた。

「いっ、いや……違う! 決して僕はそんな意味で言ったわけじゃ……っ!!」

 しかし、時すでに遅く、佐倉君と高音君の視線は冷たい敵意に満ちていた。

 自分の発言について言い繕おうとするガンドルフィーニ君の姿に、当のエヴァンジェリン君はただ一瞥を向けただけで、問いかけへの答えもなくその場を去っていった。

 去り際に一礼を送ってくれた茶々丸君に、片手を小さく振って別れを告げる。

 その間も、魔法生徒二人によるガンドルフィーニ君へのバッシングは留まるところを知らない。

「ガンドルフィーニ先生、フケツです……」
「さ、佐倉君まで……」

 佐倉君が、ガンドルフィーニ君を汚物を見るかのごとき目で見ながら、じわじわと後ずさる。
 やはりこれは堪えたらしく、彼は言葉を失っていた。

「エヴァンジェリンさんが怒って帰ってしまうのも無理はありません。後で正式に謝罪をするべきだと思います」
「……そ、そうかい………分かった……」

 高音君の屹然とした物言いに、ガンドルフィーニ君は力無く頷いた。

「ハハハハハ、ガンドルフィーニ君、あまり考え込みすぎるのも良くないよ。今は彼女も僕達の同僚なんだし、あまりプライベートを詮索するのはマナー違反さ」

 ポンポンと肩を叩くと、ガンドルフィーニ君が何故かひどく恨めしげな顔で僕を見た。

 まぁ、さすがに可哀相と思わないでもないけど、時には彼もエヴァンジェリン君に対しての自分の硬すぎる態度について考え直す機会を持つべきだろう。
 いや、決して先ほど私が同じ目に遭ったときに見捨てたことを恨んでるんじゃないんだけどね、はははははは。

 これ以上は関わり合いになりたくないので、未だに糾弾の声の絶えない様子のガンドルフィーニ君達の方から視線を外して、電子妖精の実体化を解除する。

 ふとノートPCに最後に映し出された画面を見ると、侵入者が使った召喚魔法の術式の詳細なデータがあった。

「…………何に使うのか、か」

 呟き、吸血鬼の真祖とその従者が消えた闇を見る。

 先ほどガンドルフィーニ君が口にしたものと同じ、私の疑問への答えは、どこからも返ることはなかった。









つづく