第20話 「罪とか罰とかで」<ネギ> 中等部の校庭の中央にある噴水。 昼休みでグラウンドで遊ぶ人の姿は多く、校庭を行き交う人の数も少なくは無いというのに、不思議とこの噴水の周りには人の姿はなかった。 まるで、僕と綾瀬さんの二人に遠慮するように、誰も近付かない。 だから、僕は認識阻害の魔法で周囲に声が届かないようにして、僕がしてしまった全てのことを綾瀬さんに話し始めた。 僕が魔法使いだということも、話してしまった。 もしかしたら、綾瀬さんは、僕が魔法使いだと知らないのかもしれない……そんな考えが頭をよぎったけれど。 だとしても、それを隠すことはとても卑怯なことに思えて。 結局、気付いたら何もかも口にしていた。 「僕は、悪魔が憎かったんです。………だから、あの悪魔さんを見たとき、きっと自分が得た力を試すべき時が来たんだって……復讐を果たせるって、思ってしまったんです」 ポツリポツリと呟く。 悪魔に襲われた村や、過去の自分のことを語るのはルール違反のような気がして口にはしなかったけど、それでも僕の中に間違いなくあった、暗い感情を口にする。 明日菜さんにも打ち明けることの出来なかった僕の中の暗い感情を、誰かに聞いて貰いたかった。 「僕は、あの悪魔さんを滅ぼそうとしました………やっつけるとか、苦しめるとかじゃなくて、この世から消してしまおうとしたんです……僕の力を試したいってだけで……っ!」 僕を断罪してくれる人が、欲しかった。 それが、僕を信じてくれた沢山の人達を裏切ることになる行為になると分かっていても。 明日菜さんの優しさに背を向けることだと分かっていても。 顔を上げる。 そこに軽蔑の視線があると覚悟して。 「……………………」 何故か、すごく微妙な表情をしている夕映さんの顔がそこにあった。 その表情の意味が分からなくて呆然としていると、夕映さんがポケットからハンカチを出して、僕の手に握らせる。 「………とりあえず、涙を拭いてください」 言われて、初めて僕は自分が涙を流していたことに気付いた。 自分が口にする言葉に耐えられずに、強く目を閉じた時に流していたんだろう。 額にも、いつの間にか酷く汗が張り付いている。 言われるままに、僕はそれをハンカチで拭った。 「………えぇと、ですね」 「はい……」 綾瀬さんが、何故かひどく言い辛そうに口を開く。 僕は、ただ静かに言葉を待った。 「非常に……口にしにくい話なのですが、私もネギ先生と同じ事をしています」 「え……?」 綾瀬さんのあまりにも予想していなかった告白に、僕は唖然とした。 頭の中まで言葉の意味が届かなくて、しばらくの間ひどく変な顔をしてしまったと思う。 「というか、ネギ先生よりも緻密な計画を立てて、確実にあの怪物さんを葬ろうとしていました」 「そ、そんな……!?」 目を見開く。 綾瀬さんは、僕の横に膝を斜めにして座ったまま、さっきと変わらない表情で僕を見ている。 思わず詰め寄ってしまってから、自分に綾瀬さんの言葉に対してなにか口をする権利など、どこにもないのだと思い出してしまった。 「さらに言うと、私の目的はなにかしら過去に遭った事件に対する復讐などではなく、個人的な勘違いによる復讐心がほとんどです」 僕は魔法を使って滅ぼそうとしたのだから、僕の方がもっと悪い……そんな言葉が口から出そうになって、慌てて口を閉じる。 僕ですら、自分の罪が“殺そうとしたこと”だと分かってるんだから、綾瀬さんにとってその言葉はなんの慰めにもならない。 それは、なにより僕自身が良く分かっていた。 「…………こうして言われてみると、とんでもないことをしてたです」 そう言ってから、綾瀬さんは深く深く息を吐いた。 僕からは、かける言葉もない。 なんだかひどく重い沈黙がこの場に降りてきているのを感じて、僕は視線を落とした。 その重い空気の中で、綾瀬さんが口を開く。 「怪物さんは、それだけのことをした私に、友達になってくれるって言ってくれたです。だからそれが、私が怪物さんに唯一してあげられることだと思っています」 僕は、綾瀬さんの言葉を噛みしめた。 あの悪魔さん……怪物さんは、ものすごく優しい。 だけど、僕がそれに甘えてしまっていいんだろうか。 「……罪の意識を感じていることは分かりました、けれど安易に罰を望むのは罪から逃げるのと同じ事です。ネギ先生には、他になにか出来ることがあるのではないですか?」 綾瀬さんの言葉に、僕は考える。 僕が罪から逃げようとしていただけという、綾瀬さんの言葉は、僕の中に欠けていたなにかに綺麗に収まった。 そうして自分を責めていた形のない焦燥が途絶えると、さっきまでの自分の考えが、酷く恥ずかしいもののように思えてくる。 僕がすべき事は、誰かに裁いて貰う事じゃない。 人のために魔法を使う『偉大なる魔術師』になるのが、僕が目指していた道だったはずだ。 顔を上げた僕を見て、綾瀬さんが口を開く。 「魔法……という概念については、後々お聞きしたいのですが、ネギ先生はそれが使えるんですね? それで、怪物さんに何かしてあげられることはないですか?」 「はい………」 綾瀬さんの言葉に、僕は考え込む。 答えはすぐに出てきた。 「怪物さんが困っていそうなこと……やっぱり、見た目……でしょうか?」 ちょっと失礼なことかとも思いつつも、やっぱり僕の頭に最初に浮かんだのはそれだった。 綾瀬さんも少し微妙な表情をしつつも頷いてくれる。 「……ですね。えっと…魔法で怪物さんの姿を変えたりは出来ないのですか?」 綾瀬さんの質問に、僕は首を振った。 「駄目だと思います。怪物さんは、悪魔……ですから、そういう肉体を変身させたりする魔法をかけるのはとても難しいんです」 これは、僕が魔法学校で散々調べたことだった。 それは悪魔を倒すための方法を調べた結果だから、その知識で怪物さんの役に立てることはないけれど。 僕にもっと強い魔力と知識があれば、もしかしたら高度な魔法でそんな結果を与えられるものがあるかもしれない。 だけど、今の時点の僕の力では、それは無理だった。 「………なるほど………では、怪物さんそのものを変化させるのが無理なら、怪物さんの周りに働きかけるものはどうですか?」 僕が頭を悩ませていると、綾瀬さんが小さく手を上げて提案してくれる。 「周りに……ですか?」 綾瀬さんの言葉を頭の中で反芻してみる。 つまり、怪物さんの周りの人が、怪物さんを怖がらなくなる…? 「はい。恐怖心を和らげるような魔法を周囲にかけ続けたりは……難しいですか?」 綾瀬さんの言葉を実行する方法を考えてみる。 誰かが魔法をかけ続けたりするのは論外だけど、他の方法なら可能かもしれない。 僕にはその魔法は使えないので、何か別の方法で代用をすれば……。 不意に閃いて、僕は自分のバッグの中を探った。 昨日、怪物さんと戦う前に荷物を調べたとき見つけたものを思い出したから。 バッグの中から出てきたのは、七色の丸い丸薬が入った細長い瓶。 昔お爺ちゃんから貰った、『魔法の素・丸薬七色セット(大人用)』。 かなり高価な品物で、これで作ることの出来る魔法薬は僕の技術で作れるものよりもはるかに種類が豊富で、その効果も魔力を込めるほどに強力になる。 「それは……?」 綾瀬さんが不思議そうに僕の手の中の瓶を見たので、僕はすぐに説明した。 「これは、魔法の薬を作り出す材料です! これを使えば、怪物さんを誰が見ても怖がらないようにする魔法の薬を作れるかもしれませんっ!!」 <主人公> 「……というわけで用意してきたのが、この魔法の薬です!」 バーン!って感じで魔法薬を手に満面の笑顔でやってきたネギ君。 あと、後ろでぺこりと可愛らしく頭を下げてる夕映ちゃん。 どういう経緯で知り合ってしまったのかは分からないけど、なんか今、過程とか前フリとかいうモノを全てすっ飛ばされたような気がしたんだが、気のせいでしょうか? あと魔法の秘匿とかそういう話は何処へ。 ここは我が心の故郷、地底図書館。 まるで自然に埋もれた廃墟のような様相を見せる木々に埋もれた白亜の建築物と、この巨大な図書館の中を取り囲む壁から流れ出している無数の滝から作られた透明度の高い美しい湖。 そして、その全ての風景の中に溶け込むように存在している無数の本棚、本棚、本棚。 その中には、俺には何語で書かれているかも分からないような古い文献と、そして教養を身に着けるのに役に立つ実用書や教材の類が並べられている。 湖の側には砂浜もあって、その側には一揃いのテーブルセットが置かれていた。 俺は、日課であるドラゴンさんの餌やりの仕事を終えて、クウネルさんから受け取った言語学の本の解読をこのテーブルでやっていたのだが。 このやる気に溢れすぎて人様に迷惑をかけまくりな気がする魔法少年が杖の背に乗って飛んできたというわけである。 しかも、何故かつい先日までは一般人だったはずの夕映ちゃんを背に乗せて。 とりあえず、なにかしら人間として大事なものを失ってはいけないと思い、俺はまずホワイトボードに挨拶の言葉を書いて見せた。 《こんにちは》 「……あっ、ごめんなさい。悪魔……いえ、怪物さんっ、こんにちはっ!」 いや、その呼び名の変化は良い意味で言ってるのか悪い意味で言ってるのか判断が付かないぞ? うっかり合体したら凄くパワーアップしてしまいそうだし。 「突然お邪魔してしまって申し訳ありませんです」 来たときに加えてもう一度ぺこり、と頭を下げる夕映ちゃんに、軽く触手を振っておく。 いや、来たこと自体は別に良いんだけど。 むしろネギ君の方が魔法使い的に色々とマズくないか? むしろ心配になってきたのだが、当のネギ君は満面の笑顔で応えてくれる。 いや、うん、なんか反応し辛いんだが。 すらすらとホワイトボードにメッセージを乗せて、ネギ君に見せてみる。 《大丈夫?》 「はい! 僕の魔力を精一杯込めて作った魔法薬ですから、効果は抜群ですよっ!」 いや、むしろ心配なのは君自身だ。 「……見た目は怪しげですが、ネギ先生が魔法で作りだしたのは私も見届けました。材料なども本格的な魔法使いのものだそうですから、試してみる価値はあると思うです」 うん、夕映ちゃんが太鼓判を出してくれるのは有り難いんだが、一日二日で魔法使いのことを知ったにしては適応力ありすぎだと思うぞ。 いや、もしかしなくても俺を見たせいで常識が崩れてしまったんじゃないか? 俺のせいかーーー、はははははは。 ちょっと人生に疲れつつ、とりあえずダブルでお薦めされた件の魔法薬を見てみる。 ネギ君の手の中の瓶に入っているそれは、ピンク色の蛍光色をしてた。 おー、魔法薬らしいですねー。 見た感じスーパー身体に悪そうだけどね!? いきなり説明されて面食らったが、要するにこの魔法薬を飲むと人に好かれやすくなるらしい。 なるほど、俺の見た目が変えられないならば、むしろ印象を変える作戦かー。 その発想はなかったが、いくら人に好かれるって言っても限度があるだろう。 ちょっと冷静になって考えてくれ、普通の人間と見た感じ好感度の高い生ダコの二種類が歩いてたとして、普通はどっちに話しかけたいと思う? どー考えても普通の人間である。 ……というか、生ダコが好感度高くても、むしろ美味しそうとかそういうベクトルにしか思われないよ!? まぁ、それはともかく。 キラキラと目を輝かせてこちらを見ている自分の魔法薬に絶対の自信を持っているネギ君と、何故か分からないが積極的に俺にそれを薦めてくれている夕映ちゃんのことは、さすがに無下には出来ないよなぁ。 俺の嫌いなことは、人の好意を無駄にすることなのである。 腕で払われて床に落ちてしまったバースデーケーキとか、開けられないままゴミ箱に捨てられるプレゼントとか、やって来ない恋人を待ち続けてる女の人とか、もうそれ聞いただけで色々想像して涙が出てしまうレベルで嫌いだ。 なので、俺は謹んでその好意は喜んで受けとることにした。 ホワイトボードに、マジックでメッセージを書いてネギ君に見せる。 《頂きます。ありがとう》 ネギ君の顔が、それはもう尻尾を振る子犬の如き勢いで輝く。 こういう表情を見せられると、あー、やっぱり子供なんだなーとか思うわけで。 とりあえず、魔法の隠匿の件とかの細かい問題は、俺の方からエヴァンジェリンさんかクウネルさん経由で学園長とかに頼んでおいてあげようと思ってしまった。 やっぱり、子供が周りに迷惑をかけるのは当然で、その迷惑を被るのは大人であるべきだ。 うんうん。 あと満面の笑顔でその蛍光色の液体を俺の方に近付けないで下さい自分で飲みますから。 「えっと……飲むときは、こ……この辺でしょうか?」 「そうですね……口がない場合は、やはり目なのではないかと思うです」 真面目な顔で目の中に混入しようとしているネギ君が怖い。 あと夕映ちゃんも神妙な顔で頷かないでください。 慌てて触腕を伸ばして、ネギ君から瓶を受け取る。 「わわっ、あっ、どうぞ!」 少し驚かせたが、さすがに目に突っ込まれるのは勘弁なので許して欲しい。 一度だけ軽く魔法薬を上げてネギ君に見せて、俺は紅茶を飲むときの要領で魔法薬の中へと細い触手を入り込ませて、その中身を一気に吸収した。 ・・・・・・・・ うをぉぉぉぉっ、なんだコレ!! めっちゃ美味しいよっ!!? 味とかいうレベルではなく、ただ純粋に美味しいという感触が俺の身体に広がる。 強いて味を言うならば甘さに近い。 ただ、甘いだけではなく、まるで魂が癒されるような甘さというか。 その味がゆっくりと身体に染みこんでいく感じが実感できるような、不思議な味だった。 しばらく、その素晴らしい美味しさに身を震わせる。 「……ど、どうでしょうかっ!?」 勢い込んで聞いてくるネギ君に、ホワイトボードにすらすらとマジックで魔法薬を飲んだ感想を書いてみせる。 《美味しい》 「えっ、ええええっ? そ、そう……ですか……?」 いや、そういえば魔法薬だったっけ? なんかこう、人に好かれるようになるとかいう効果とかはこの際どうでもいいぐらい、普通に飲み物として美味しかったんだが。 説明しがたいが、言うなれば、生まれて初めてコーラを飲んだ感じかもしれない。 「……あまり、見た感じの変化もないようです」 夕映ちゃんが、俺を上から下まで見ながら少し残念そうに言う。 そうか、俺の立場とかを考えて、この魔法薬を用意してくれたんだよなぁ。 心配をかけて悪かったと思うけど、少しぐらい人に怖がられても、夕映ちゃんが友達になってくれるって言ってくれただけで俺は十分だ。 今のところ、見た目で俺を怖がった人だって、大抵なんとか仲直りできてるっぽいし。 「すいません…………やっぱり、僕の魔力だけじゃ、怪物さんに効果があるような強力な魔法薬は作れなかったみたいです……」 「いえ、この話を提案したのは私です。……やっぱり、思いつきだけで考えたような方法では、怪物さんにとって本当の意味での助けになるのは無理だったですね…」 しょげ返るネギ少年、と夕映ちゃん。 ああ、そう言えば、この二人は悩み始めると長そうな所が似てる。 俺は、思わず美味しく飲んでしまったのを反省して、うまくまとめようということでホワイトボードにマジックでメッセージを書いた。 《ちゃんと効いてる。二人に好かれてる》 ホワイトボードを二人に見せると、二人は照れたようにうつむいた。 うんうん、うまいこと話がまとまった。 俺もあのやたら美味しい液体飲めて満足したし。 それじゃ後はエヴァンジェリンさんがやって来るまでに二人を帰すだけかー、とか思ってると夕映ちゃんがおずおずと口を開いた。 「で、でも……私が怪物さんのことを好きなのは、最初からです……から、効果の検証には」 ボソボソとくぐもった声で喋る夕映ちゃんは、なんか一生懸命というか少し可哀想で、思わずぺしぺしと触腕の先でその頭を軽く叩いてあげる。 ホントに気にしないで良いのに、なんでこの子はそこまで。 「だって………私は怪物さんのことを、初めから愛してるですっ!」 ハハハハハ、そんな一生懸命主張しなくてもーーー………… ・・・・・・・・・ ・・・・・・ ・・・ いや、なんか今問題発言が聞こえたような。 「はじめて怪物さんを目にして……その腕の中に助けられたときから、私は怪物さんのことしか頭の中にないんです……っ!」 いや、待って、むっちゃ泡吹いて気絶してたよね初対面!? なんか雲行きが怪しくなってきたんですが……っていうかじわじわ近付いてこないで夕映ちゃん。 涙目でじわりじわりと一歩づつ近付いてくるその姿に、何故か俺の本能が危険信号を鳴らす。 思わず砂浜の上を後ずさると、夕映ちゃんが涙目で聞いてきた。 「…………どうして、後ろに下がるですか?」 その悲しげな問いかけの対象が俺という事実に、なんだかもうスゲェ死にたくなる。 なんでこんな事に。 いやだいたい予想は付いてる、絶対ネギ君のあの蛍光色の魔法薬だ。 ハハハハハ、これぐらい予想しろよ俺。 ふらふらと両の手を伸ばして迫ってくる夕映ちゃんの腕を必死こいて触腕で押さえつつ、俺は必死にさっから棒立ちのネギ君に助けを求めた。 さすがに魔法使いなんだから、魔法の解除くらいお手の物の筈だ! なぁ、そうだろ!? 「駄目ですよ綾瀬さんっ!」 やった助かった! 「怪物さんは……僕のものですっ!!」 ハハハハハハハハハハ、やっぱ駄目だったよ! ……っていうか、何言っちゃってんだ少年っ!! 目の中にアレな情熱の炎を燃え上がらせて、ネギ君が俺に駆け寄ってくる。 いや駆け寄ってくるな、頼むから。 今の時点でヤバイのにさらに君が来ると二重の意味でヤバいですって! 慌てて触腕を一本伸ばして近寄るのを防ごうとしたら、ネギ君は神速でその触腕をつかみ、そのまま引き寄せたそれを両手の中にかき抱く。 さらに、目を薄く閉じて頬ずりを始めるという地獄のコンボを繰り出してきた。 「…………怪物さんの触手、とっても暖かくて柔らかいです……まるで、故郷のお姉ちゃんの腕の中にいるみたいに、安らいじゃいます……」 ヒィィィィィィィッ、なんかスッゲェ怖いよ!? あと、故郷のお姉さんに泣いて謝れッ! さすがにそれはないだろッッ!? 他の触腕を使って必死こいてネギ君を引き剥がそうとしていると、何故か夕映ちゃんまでその手伝いをはじめた。 ネギ君の腕を引いて、俺の触腕から引き剥がそうとしてくれている。 おおっ、正気に戻ったのか? 「………ネギ先生……駄目です。……怪物さんのこと、取らないで下さい……」 俺が水中に潜ったままそのまま水棲生物として暮らしたくなるようなことを、夕映ちゃんは切なげな口調で仰られた。 ぐいぐいと、力無くネギ君の腕を引っぱる仕草がまるで子供の駄々のようで、だからこそ本心からの動作なのが分かる。 明らかにネギ君の薬のせいだけどなっ!? 俺の内心のやり場のない怒りをスルーするままに、ネギ君が夕映ちゃんに向き直る。 「綾瀬さん……分かりました」 俺はもう、彼が何を言っても驚かないと思った。 というか完全に彼に正気っぽい発言を期待するのを止めていた。 「……二人で仲良く分けましょう!」 だからと言って、少年らしい無邪気な笑顔を満面に浮かべてそんな怖すぎることを口にするなと言いたい。 というか、俺はモノ扱いですか。 「分かりましたです……怪物さんが、それを望まれるのでしたら……っ」 望んでないから頬を赤らめてそんな危険なことを口走るのは止めてください。 というかネギ君、先生として今の発言はどうなんだ。 いや、二人とも正気じゃないのは分かってる、分かってはいるんだがっ! 二人がゆっくりと俺の方に向き直って、目を輝かせる。 ジュルリ、とかなんか聞こえるはずのない舌なめずりの音が聞こえたような気がした。 俺は断じて犯罪者にはならねえぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!! 次の瞬間、俺は飛んだ。 限界まで伸ばした触腕を壁に貼り付けて、ロケットの如き勢いで壁へと飛び、さらに天井に張り巡らされた世界樹の根へと触腕を伸ばして、一瞬で天井に張り付く。 天井の隙間にさらに触腕を潜り込ませて、一気に地底図書の外へと跳ぶ。 空中で半回転しつつ、地底図書の上の階層である機械仕掛けの歯車が並ぶ巨大迷路の階層へと着地するまで、わずか5秒間。 俺に出せる最高の速度だ。 後はそのままの勢いで上の階層に逃げて、ほとぼりが冷めるまで待てば 「待って……待ってください……っ! 僕のことを置いていかないでっ!!」 「待つですっ!受け止めてくれなくてもいいですっ、だから置いていかないでっ!!」 ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁまだ追って来てるぅぅぅぅぅっっ!! どんだけ反応速度が速いんだ君達は!!? 魔法の杖に二人乗りで飛行してるにも関わらず、MAXスピードで本棚の隙間を駆け抜けていく俺を逃すことなく追跡してくる二人に、俺は恐怖を感じずにはいられなかった。 しかも、二人とも俺のボディに突っ込む気満々だ。 受け止めて貰えるとか思ってるに違いないし実際受け止めるけどね!? でも受け止めたら色々とアレなことになるというか、なにされるか想像不能だがきっと恐ろしいことになると理解できる。 そんなことになったら俺は死んでしまうかもしれない。 「待って下さいーーーーっ!」 「待つですーーーっ!!」 俺は、触腕をひたすら動かして、ひたすら階層の上へ上へと逃げるしかなかった。 誰かが助けに来てくれると信じて。 あと、なんでこんな毎日不幸な目に遭うんだろうとか思いながら。 <タカミチ> 学園長室へと呼び出されたとき、すでに予感はあった。 微かに口の中に苦いモノが混じるのを感じながら、学園長室へと訪れた僕を待っていたのは、予想通りの言葉。 「………ネギ君が、図書館島の地下に住む彼と接触したそうじゃ」 確率的には、彼とネギ君が遭遇する危険は低いはずだった。 彼が地下から姿を現す機会はほとんど存在しないし、教職について忙しいはずのネギ君が図書館島の地下に行く機会も多いとは言えない。 だからこそ、学園長は最初の機会に彼のことは説明しなかった。 ネギ君の中に間違いなく存在するだろう、過去の復讐についての葛藤に触れるべきではないと判断したために。 出来ることならば、彼には過去ことを一時の間だけでも忘れて、純粋に教師としてこの麻帆良学園で過ごして貰いたかった。 学園長にも思惑はあるだろうし、僕にだってそれが限りなく不可能なことであることは分かっている。 それでも、だ。 だからこそ、僕も彼のことを秘密にすることを賛成した。 その決断が裏目に出てしまった。 まるで二兎を追う猟師だな、と内心で自分を皮肉る。 「…………それで、二人は……?」 二人とも無事だと思いたかった。 だけど、学園長も僕も、ネギ君が悪魔を倒すための方法を魔法学院で必死に調べていたことを知っている。 そして、ネギ君が尋常ではない修練と執念で、悪魔を滅ぼすことが可能な魔法を自分のものとしていることも。 せめて、最初の日に、図書館島に近付かないように言っておけば…! 「安心して良いぞ。二人とも無事じゃ……なんとか和解したらしいのぅ」 そう告げる学園長も、さすがにいつもの好々爺とした笑いを口にはしない。 それが危険との綱渡りの上で得られた結果に過ぎないことを知っているからだ。 「…………ネギ君には……」 やはり伝えるしかないのか。 彼がどういった経緯で、あの地底図書館の中に封じられたのか。 それはつまり、この麻帆良学園を狙う敵が確実に存在することを教えることになる。 それも、形のあるモノではない、世界の悪意とすら呼べるような、無数の外敵が。 彼がそれを知ったら、どうするだろうか。 僕の苦い顔を見通して、学園長がゆっくりと首を振った。 「……いいや、まだ話さんよ。……子供には、この責任は重すぎるからのぅ」 「ですが、ネギ君が彼のことを知ったのなら……!」 勝手すぎる言い分に思わず激した僕を、学園長が鋭い目で射抜く。 自分が感情だけで判断しようとしてしまったことを恥じて、僕は短く息を吐いた。 「……この事は、彼からの希望でもある」 「そうですか……」 静かに告げられた学園長の言葉に、僕は不思議と納得してしまった。 以前に魔法の秘匿のことを話したときに、同じような答えを返されたことを思い出す。 何があったかまでは知らない。 けれど、彼とネギ君の間に何かがあって、そして二人が和解できたのなら、その出会いには何か意味があったのだろう。 僕が何かを口にすべきことではない。 「儂からの言葉はこれだけじゃ。わざわざ来てくれてすまんのぅ」 そう言って深く椅子へと背を付けた学園長が、いつものように好々爺とした笑い声をこぼした。 いつもと同じ、学園長の独特の笑い声に苦笑を返しながら、僕はそのいつものその笑い声に、染み入るような安堵を感じているのに気付く。 「ありがとうございます。それじゃ、僕はこれで」 学園長に背を向けて入口へと歩き出した。 入口の扉を開ける前に、学園長の言葉が後ろからかけられる。 「………儂からも、すまなかったと伝えて貰えるかのぅ」 「分かりました。……ですが、たぶん彼は、伝えなくても分かって貰えると思いますよ」 学園長が地底図書まで出向けば、一般生徒達に目立ちすぎる。 伝言役を僕に頼んだのは心苦しさのためかもしれないけど、彼はたぶんそんなことを気にしたりさえしないだろう。 彼の優しさに期待しているわけでもなく、ただ漠然と、そんな風に思える。 振り向いて短く学園長へ会釈し、学園長室を出た。 「さて、と………彼は、どうしてるかな─────」 そして、僕は図書館島へと向かった。 |