第19話 「外の世界の事情」





<ネギ>



 自分の体が揺れる感覚で、僕は目を覚ました。

 薄暗い部屋の中、微かになにかが動く音を聞こえる。
 暖かくて柔らかい布団の中、ぼんやりとなにかが足りない気がして、手を伸ばした。

 つかんだものは、微かに暖かい枕。

「…………あれ……」

 目を擦りながら顔を上げると、呆れたような表情のお姉ちゃんの顔が見える。
 ベッドの端から降りようとした途中で半身を起こした姿勢。

 少し着乱れたパジャマの端から見える身体付きに、ぼんやりと違和感。

「……私はもう起きる時間だから、あとはそれでガマンしてなさいよ」

 囁くような低い声でそう言われて、僕はやっと自分の目の前にいるのがお姉ちゃんでないことに気付いた。

 お姉ちゃんのように、長い髪。
 いつも鈴のアクセサリーで結んでいる髪を下ろした明日菜さんは、いつもより優しげに見える。
 お姉ちゃんみたいだな、と、ぼんやりと思って。

 急に自分のしでかしたことに気付いてしまった。

「あ……アスナさん……ぼ、僕は…」

 慌てて謝ろうとした口を、明日菜さんの手が塞ぐ。
 少し怖い目。

「木乃香が起きるでしょ。大声出さないの」

 慌てて頷く。

 閉じたカーテンの隙間から覗く空は、まだ薄暗い。
 そういえば、まだ学生の人が起きるにはずいぶんと早い時間だった。

 するりと僕の口を塞いでいた明日菜さんの手の平が離れる。

「……すみません、僕……いつもお姉ちゃんと寝てて、つい……」

 じっと僕を見る明日菜さんの顔に、急に恥ずかしくなって、僕はうつむく。

 昨晩、寝る前にベッド二つしかないからってソファを借りたはずだったのに。
 木乃香さんから冗談交じりに『ウチのベッドで寝る?』と誘われたのを断ったことを思い出して、僕は恥ずかしさのあまり顔から火が出そうになった。

 『紳士としてそんなことは出来ない』なんて言ってたのに……。

 小さく額を指先で突かれる。

「いーわよそれくらい、アンタまだガキだし」

 顔を上げると、指先を僕に伸ばしながら、明日菜さんが小さく笑って僕を見ていた。
 お姉ちゃんみたいに優しい顔に、ぼんやりと見とれる。

 思わず、じっと明日菜さんの顔を見ていると、その表情が変わった。
 少し笑みを浮かべた顔で口元を隠してクスリと笑って。

「……ま、一人で寝れないのはちょっとガキすぎるかもねー?」

 また、急に恥ずかしくなってしまった。
 明日菜さんの顔がまっすぐ見れなくなって、僕は布団の中に顔を沈める。

 布団から出ていた僕の頭を、明日菜さんの手の甲がポンと叩いた。

「じょーだんよ。いいって言ってるんだから、遠慮しないの」

 パイプ製のハシゴの軋む音が聞こえて、明日菜さんがベッドから降りていくのが分かった。

 少しだけ布団から顔を出す。
 どうして、こんなまだ空が薄暗い時間にベッドから離れるんだろう。

 衣装棚の側でパジャマを脱ぎ始めていた明日菜さんの白い背中を見てしまって、僕は慌てて布団の中に顔を引っ込めた。

「あぅぅぅ、ごめんなさい……」

 誰にともなく小さく呟く。
 あまりの恥ずかしさに耳が熱くなった。

 そのまましばらくして、衣擦れの音が聞こえなくなったのを待ってから、僕が布団から顔を出すと、明日菜さんは髪を結び終えるところだった。

 見ていると、髪を結び終えた明日菜さんは玄関の方に行ってしまう。
 外へ出て行くのかな、こんな朝早くに……。

「あの……」

 背中へ声を掛けると、振り返ってくれた。
 僕の表情を見て、聞きたかったことを分かってくれたのか、ベッドの側に戻ってきてくれた。
 木乃香さんを起こさないように、小さな声で行き先を教えてくれる。

「新聞配達のバイト。学校に行く前には戻ってくるから」

 明日菜さん、働いてるんだ。
 驚いてしまって、なにか言うべき言葉を探しても見つからない。
 そうしているうちに、明日菜さんにまた頭を手の甲で小さく叩かれてしまった。

「いーからアンタは寝なさい。あと一時間くらいは寝れるでしょ」

 なにげない言葉だったけど、逆らえないようななにかを感じて、僕は小さく頷いた。

 やっぱり、ウェールズのお姉ちゃんのことを思いだしてしまう。
 恥ずかしいし、こんな風に甘えちゃうのは駄目だと思うんだけど、そんな風に言われてしまうとなんだかとても安心してしまって逆らえない。

 だけど、明日菜さんが玄関へと歩き出すのを見て、なにか言わないといけないと思って。
 少しだけベッドから身を乗り出して口にした言葉は、ありきたりなものだった。

「……あの……い、いってらっしゃい……」

 僕の言葉に、明日菜さんは顔半分だけ振り返って、呆れたように小さく息を吐く。

 そうして、口元に笑みを浮かべたまま答えてくれた。

「……いってきます」






<主人公>



 ………うわーーーーい、投げた本が見つからねぇーーー。

 俺は、朝っぱらからいきなり地底図書館の湖の底に潜っていた。

 というか潜りっぱなしだった。



 昨日、なんか色々あったから早めに横になったのがなにより間違いの元。

 目を覚ましてから、昨晩はエヴァンジェリンさん達も来なかったしよく寝れたなー、とか思いながら地底図書館を見回すことしばし。
 地底図書館の壁面に立てられている巨大な本棚に並べられた本の一部が、キレイに消失しているのに気付いて、俺は青くなった。

 いや、俺の肉体がリアルに変色したワケじゃない。
 なんだか油断するとうっかり変色しはじめそうだから断っておくが。

 俺が思いだしたのは、奥義・ハードカバー本マシンガンである。
 よーするに、魔法少年ことネギ君との激しい戦いの際に、俺が魔法を迎撃するために投げた数十冊の本を回収するのを俺はサッパリ忘れていたのだ。
 しかも、一日経っただけあっていったい俺がどっちの方向に本を投げたのかとか全然憶えてない、どこから探せばいいかすら分からない始末。

 それでもとにかく俺は探しまくり、大部分は砂浜に突き刺さったり別の本棚にナナメに挟まったりしてる形で見つかった。

 魔法のコーティングとかのお陰で、破損も一切無く問題ない状態である。
 この辺は予想通り、というかブッ壊れるの前提で本は投げない。
 クウネルさん怖いし。

 だが、残りの数冊がどうしても見付からないという段階になって、俺はやっと事態の深刻さと問題の大きさに気付いた。

 地底図書館にある大きな湖。
 ここに落ちてるとしたら、捜索がとんでもなく困難だということに。
 しかも、下手したらこの湖の底、どっか別の場所に繋がってるんじゃないか?という問題。

 仕方なく、俺は急いで湖にダイブしたわけである。



 そんな感じで湖の中を捜索することしばし。

 まぁ、俺も多分そーなんじゃないかなー、とか思っていたのだが。
 さすが呼吸とかしてるのか不明な体だけあって、俺は自分が水中の中にいくらでも潜っていられることに気付いてしまった。

 あと、水中の中で俺のビッグサイズな目をいくら開いていても、全然苦になりません。
 さらに、しばらく湖の中を捜索しているうちに、太い触手を伸縮させて泳ぐ泳法を開発してしまいました。

 …………もしかして、俺の体って普通に水中仕様なんじゃないか?

 なんだか、昔アニメとかで見たずんぐりむっくりボディにツメとか生やした水中戦型ロボット達の勇姿が俺の頭をよぎるんだが。
 なんというか、めっちゃ悪役ポジションです。



 とはいえ、俺が投げた本を回収するのにはありがたい話なので、めげることなく水中に落ちた本を探索しまくっていたのである。

 湖の底の方にいくつか余所に流れる穴があったのだが、本が流れ出さないように鉄の格子が付けられていたので、投げた本が図書館島地下の藻屑に消えるという最悪の事態は免れた。

 なるほどー、湖の中に浸かっている本棚から本が流れちゃったら大変ですしねー。

 ……というか、ここホントに図書館で良いんだろうか。

 そんな根本的な問題点に疑問を憶えつつも、俺は地道に本を拾い集める作業にいそしんだ。
 しかし、最後の一冊というところで、詰まってしまったのである。

 湖の隅から隅まで探したのだが、やっぱり見付からない。
 まさか、うっかりネギ君の魔法と相殺されて消滅してしまったのだろうか。

 ハハハハハ、弁償とか無理ですよなんか良く分からない言語で書かれた全三十巻ぐらいあるハードカバーな本の中の一冊だけとか。

 でも見付からねぇぇーーーーーッ!!!

 泣きたい。
 いっそこのままずーっと潜っていてしまおうか。
 そしてそのまま謎の水中生物として新たな誕生を果たしてしまおうか。

 でも本が無くなってる事実は絶対確実バレるので、どこまでも追跡されるよなぁ。
 きっと、獲ったどー!って感じで陸揚げされる。
 下手したらドラゴンさんの昼食の一部として美味しく頂かれてしまう。

 ……というわけで、俺はいさぎよく諦めて水中から陸へと久しぶりの帰還を果たした。



「お疲れさまです」

 俺を迎えたのは、クウネルさんの100万ドルの微笑みでした。
 手の中には当然のように、俺が探していた最後の一冊があったりする。

「……いつまでも戻ってこないから困っていましたよ」

 あー、そういえば、かれこれ3時間ぐらい水中にいた気がします。
 待ってたんですねクウネルさん。
 待ち構えてたんですね。

「ちなみに、この本は別の本棚にキレイに挟まっていました」

 なるほどそりゃ気付かないわけです。
 さすがに本棚の中を全部チェックするとか不可能ですし、キレイに別の本棚の中に入り込んでたら俺じゃ見つけられるワケないですもん。

 …………ははははは、真っ白に燃え尽きたぜ……。

 精根尽き果てて砂浜に触手を垂らしたままへたり込む俺を、クウネルさんがそれはもう楽しそうに微笑んで見ていた。
 その手の中からふわりと問題の本が浮き上がり、外壁の巨大本棚へと飛んでいく。
 これで、俺のせいで抜けていた本棚の穴は完璧に埋まった。

「フフフフフ……貴方もそれなりの対価は支払ったようですから、今回本を粗雑に扱った件は水に流してあげましょう」

 わーい、優しい言葉ありがとうございます。
 クウネルさんが出てくる前にしれっと全部本を元に戻そうとしたのは、当然のようにバレバレだったらしい。
 いや、予想はしてたけど。

 本は魔法で管理されてるって話だし、昨日のあの空飛ぶ本の嵐を見せられた後だと、どんな本だろうがクウネルさんの目を盗んで隠すのは不可能じゃないかって気にもなるさ!
 なんか盛大な無駄足だった気がするけど、スゲェ恨んでそうなクウネルさんが許してくれたんだから、この際どんなことにでも目をつぶるぜ!!

「ところで一度試しに水圧への耐久試験を」

 うぉぉぉーーいっ! この人全然許してないじゃないですか!!?
 俺のこと押し潰す気満々ですよっ!!?

 なんか浮力を失って大海溝へと沈んでいく潜水艦のごとく俺の身体が軋みを上げる幻覚が一瞬見えて、スゲェ怖かったんですが。

「フフフ………今のも冗談です。なるほど、だんだん反応が分かるようになってきました」

 俺の触手の震え具合を観察して遊ばないで欲しいです。

 なんだかこのままだと果てしなく俺に災難が降りかかってきそうなので、俺は慌てて触腕を伸ばして、近くのテーブルに置いてあったホワイトボードを触手に掴んだ。

 さらさらといつもの如くメッセージを書いて、クウネルさんに見せた。

《本はすいませんでした。なにかお仕事ですか?》

 念のために謝罪文も付けつつ、速攻で話を進める。

 今の会話を嫌がってるのが丸分かりだが、クウネルさんはむしろ分かってやってるだろう。
 実際そうだったらしく、クウネルさんも笑顔のまま軽く謝ってくれた。
 そして、クウネルさんの話は本題に入る。

「今回伺ったのは、昨日の件ですよ」

 それを聞いて、一瞬なんのことだか分からなかったのは秘密だ。
 なんだか俺の身体に隠されていた秘密とか本を探すのに夢中だったとか、色々とイベントが豊富だったのでかなり忘れかけていました。

 ネギ君と明日菜ちゃんかー。

 魔法をバンバン撃ちまくってきた鬼のような少年を思い出す。
 いや、最後はひたすら謝ってくれてたけど、それはそれでどうかという謝り具合だった。
 子供の頃からあんな風だったらそのうち胃に穴が開くんじゃないだろうか。
 あと明日菜ちゃんを思い出すと、あのけしからん姿を思いだしてしまいがちなので明鏡止水の心で忘れ去っておく。

「あの件を学園長に報告するつもりなのですが、なにか貴方からコメントがあるのでしたら報告に添えようと思いまして」

 そーかー。
 学園長先生とこの方は連絡を取り合っているのですか。
 逆に言うと、学園長先生以外はクウネルさんのことを知ってる人はいないっぽい。
 なんてとてつもない秘密主義な人なんだろーか。

 でも、俺も昨日はネギ君と明日菜ちゃんの質問に《ヒミツです》で通しまくったしなー。

 さすがに俺は実は謎の魔法使いに殺されて〜……とか説明できないし。
 そんな説明した日には、あの正義っぽい少年はまた俺を追っかけ回したときのごとく燃える瞳でどっかに飛んでいくに違いない。杖で。
 色々と迷惑をかけて回りそうだし、保護者さんに返しておくのが筋だと思う。

 そう考えると、秘密主義ってのもしょうがない部分はあるんだろう。

 しかし、あんな子供が教師だっていう話はホントなんだろうか。
 いくら麻帆良学園でも、ちょっと常軌を逸しているような気がするんだが。

 まぁ、なんかあるんだろう、魔法使い的に秘密なこととかが。
 ……そう考えると念を押しておいた方がいいか。
 まさかとは思うが、史上初の少年教師兼少年警備員に爆誕されたら目覚めが悪いし。

 俺はホワイトボードにメッセージをスラスラと書き、クウネルさんに見せた。

《くわしくはヒミツにしておいて下さい》

 メッセージを見たクウネルさんは、少しだけ目を細めると笑みを深くした。

「分かりました。私は、伝えても構わないと思うんですが……今回は、貴方の意向を優先して欲しいと伝えておきましょう」

 いえあんなお子様時代から教師兼警備員みたいなハードワークさせてたら絶対性格歪みますよ!?
 きっとエヴァンジェリンさんみたいなのが増えちゃいますって!!

 俺は、空を飛びながら攻撃魔法を放ちまくって地面を焦土と変えた挙げ句、ふんぞりかえって高笑いをする二人の少年少女を想像して戦慄した。
 あの二人は会わせたら駄目だな……きっと、なんかアレな化学反応が起きて、俺が盛大に迷惑を被るに違いない。

 そんなことを想像していたら、クウネルさんの姿はいつのまにやら地底図書館から消えていた。
 しまった、挨拶するの忘れた。

 いや、きっと俺が怖い想像してるの分かってて放置していったんだろうけど。
 というか、放置は寂しいなぁ。
 出て行くなら、一声くらい掛けてくれれば良かったのに。

 まぁ、しょうがないか。

 俺はいつものようにテーブルに置いてある救命セットを装着してから、日課であるドラゴンさんへの餌やりを行うために、いつもの隠し通路へと向かった。






<夕映>



 昼休みの教室。

 私のクラスの人達は学食の利用者が意外と少なく、半分ほどの人数は教室でそれぞれが家から持ってきたお弁当を食べています。
 お弁当に豪華なものが多いのは、お料理研究会の会員であり自分の店すら持っている五月さんや超さんをはじめとして、料理の腕前が優れている人が多いからでしょう。

 ちなみに、私は今日はのどかの作ったお弁当を頂いていますが基本的には学食派です。

 今日に限って昼食が教室でのお弁当になったのは、のどかが急に料理に目覚めたからです。
 
 なかなかその道は険しそうで、しばらくは試食をハルナと共に務めることになりそうです。

 そういうわけで、今日は私とのどか、それにハルナの三人で昼食の時間を過ごしていました。

 こういう時間の時は、あまり口の多くないのどかやあまり積極的に話題を提供できない私達に対して、ハルナが話題の中心になる形になります。

「……で、私が思うに、本気で好きならやっぱり恋愛ってのは攻めの一手だと思う訳なのよー」

 トン、と食べ終えたお弁当を机に置いて、ハルナが自説を語り終えました。

「うん……ハルナの言うこと、間違ってない…と思う」

 私は話半分程度にそれを聞いていましたが、のどかはもの凄く真面目な顔で、相槌を何度もつきながら聞いていたようです。
 ハルナの口にする話はかなりいい加減な理屈ですが、ある程度筋が通っているせいで完全に否定できない所がタチが悪いところですね……。

 すでにパンでの昼食を終えていた私は、買って置いた抹茶コーラ味ジュースを飲みながら、ハルナの暴走を止めるか否かを思案していました。

 昨日、私達三人が寮に戻ってからのこと。

 私の予想した通りというかなんというか、ハルナによって行われたのどかの恋心に関する尋問は熾烈を極め、あっという間にのどかのネギ先生に対する感情はハルナの知るところになってしまいました。
 それを全て聞き終えたハルナによると、これは本格的な恋愛感情であり、そうと決まったならば躊躇う理由はない……とのことです。

 こういう事に関してはすぐに騒ぎ立てる傾向にあるハルナが、茶化すわけでもなく真面目にのどかに話していたので、冗談で言ったのではない……と思いますが。
 いざ、行動を起こそうとなると、結局いつもの調子になってしまうのは困ったものです。

 その行動能力がのどかにとってプラスになるのなら、私も応援すべきだと思いますけれど。

 そのこと以外にも、ネギ先生に対して私が懸念している事柄はあるです。
 問題は、どうやってそれをネギ先生に切り出すかですが……。

「じゃ、さっそくこれから、授業のことで勉強教えて貰いに行こ〜よ! もちろん、のどか中心で、私達は途中で抜け出すからさっ!」

「えぇっ…今から……っ!?」

 ハルナのありあまる行動力に、のどかが悲鳴を上げます。
 ……というか、いつの間にか私も参加人数に加えられているようです。

「もちろんよ! 先生に、分からなかったからことを教えて〜…って言って、優しく説明して貰うけれど、もっと教えて貰いたい。それじゃ二人きりで放課後の個人授業を〜……って展開になっちゃうかも知れないよ!?」

「なっ、なっちゃわないよ〜〜っ!?」

 妙な抑揚を付けて作戦を説明するハルナに、のどかが別の意味で悲鳴を上げて困っています。
 でも、のどかだとネギ先生の説明を受けても授業の内容が分からないなどということはないと思うですが。
 のどかの性格上、その作戦には無理があるのは間違いないです。

 でも、話を聞きに行くというのは、私としても賛成ですね。
 授業中には聞けないような話を聞くことが出来るかも知れないです。

「……のどか、ハルナの言うことにも一理あるです。個人授業の話はともかく、話をするきっかけに授業での質問を使うのは悪くないと思うですよ?」

 飲み終えたジュースを机の上に置いて、のどかに聞いてみます。
 ……私が話に参戦したことでハルナが目を輝かせていますが、のどかが渋るようでしたらこの話は無しということにしましょう。

 問題は、のどかの反応ですが。

「……う、……うん。私……やってみる…」

 おずおずと、ですが、私とハルナの言葉に頷いてくれました。

 ……少し意外です。
 やはり、ハルナの言っている通りのどかの思いは本物なのでしょうか。

「オッケー! それじゃ、さっさとお弁当片付けて、英語の教科書とノートを出して! なんか適当に聞けそうな部分を考えよ〜」

「それをあまり大声で口にするのはどうかと思いますです」

 ハルナが言質は取ったとばかりに大喜びで行動開始を宣言します。
 さすがに教室にはネギ先生はいませんが、昼食を教室でとっていた皆が不思議そうにこちらを見ているですよ?

「えっと……準備は、大丈夫。授業で聞きたくなったことは、ちゃんとあるから……」

 のどかも、覚悟を決めたのかお弁当を片付けながら、教科書とノートを取り出してページを開き始めました。

 ……のどかもかなり積極的なようで良かったです。

「……………でものどか、それ、数学の教科書です」
「あうぅぅぅぅぅぅぅ………」

 私の言葉に、のどかがみるみる赤くなって慌てて英語の教科書を取り出しました。
 やっぱり、ちょっと舞い上がっているようです。
 ハルナの言葉通り、ネギ先生の所まで私達が付いて行ってあげた方がいいのは間違いないようですね。

「よーしのどか、今のドジはかなり萌えるわ! 今の調子で行けばネギ先生もイチコロよ!」
「………ハルナ、今のは別にわざとじゃないです」

 分かってて言ってるんだと思いますが、時々冗談が本気になるところがあるこの友人の言動には油断は出来ません。









 中等部校舎の中庭。

 学食から戻ってきたクラスメートからの情報で、ネギ先生の居場所を知った私達は、すぐさまハルナの先導で現地へ向かいました。
 のどかがハルナに引きずられていた気がしますが、この際気にしない方向です。

 中庭へ到着すると、ネギ先生はすぐ見付かりました。
 噴水の側に座り込んで、足を手に抱いて何事かを考えている様子です。

 ……前から気になっていましたが、校舎を歩くときや授業の時以外はいつも持ち歩いている、あの長い棒のようなものはなんなのでしょうか?

 まぁ、そういう疑問は後ほど聞くことにして。

「よーし、行くよのどかー?」

 低い声でそう言いながら、すでにハルナはじわじわとのどかの背を押し始めていました。
 私もその後ろに慌てて付いて行きます。

「──────、───、───────」

 のどかは、ここまで来て覚悟を決めたのか、口の中でもそもそと何度か練習をしてから、やっと座り込んでいるネギ先生に顔を向けました。
 ハルナの後押しのお陰で、そこにはもうネギ先生が目の前にいるです。

 トン、とハルナがのどかの肩を叩いて、背中から手を離します。

「あの、ネギ先生──────」

 のどかの呼ぶ声に、ネギ先生が顔を上げます。
 微かに見えた、思い悩むような表情は、すぐに笑顔に変わりました。

「あ……はいっ!?」

 ………少しだけ焦ったような顔は、なにか後ろめたいことを考えていたのでしょうか?
 いえ、あまり人の態度を深読みするのは良くないですね。

「…………………………………………」

「………え……えっと…?」

 のどか、ネギ先生が困ってるですよ?
 好きだというのは分かりましたが、どうして顔を見ただけで即座に固まるですか。

「スミマセンネギ先生! 朝の授業について説明が────」

 慌ててハルナがフォローしながら、手の平で軽くのどかの肘をつつく。
 駄目です、全然反応無しでネギ先生の顔に見入ってます。

「あ、はいはいっ、いいですよー。えと……14番の、早乙女ハルナさんですね」

 笑顔をハルナに向けて鞄の中を探るネギ先生は、出席簿などを見ている様子はないです。
 ……まだ二日目だというのに、もう生徒の顔を覚えてるですか。
 確かに、このような子供が教師だというのには驚きましたが、少なくとも教師をやろうとする努力は怠っていないようですね。

 ………それはいいのですが、のどか、まだ固まってるですか?

「あっ、私じゃなくて、こっちの子なんですけどー…」

 仕方ないので、私の方からものどかの肘をつつきます。
 やっと硬直から戻ったようで、慌てて………また、ネギ先生の顔を見てもじもじとその場で顔をうつむけてしまいました。

 ………のどか、それだとまた振り出しに戻ってるです。

「あっ、はいはいー」

 鞄から教材を取り出したネギ先生が、ハルナの言葉を受けてのどかの顔を覗き込みます。
 その顔に、少し不思議そうな表情が浮かびました。

 ……なにか、気付くことでもあったですか?

「……あれ?」

「え……」

 ネギ先生の声と、のどかの声が重なります。
 そして、直後にネギ先生が、やわらかい笑みを浮かべました。

「そっかぁ…宮崎さん、髪型変えたんですね? 似合ってますよー」

 えぇぇっ、そ、そうなんですかっ?

 そういえば、確かに少しだけ前髪を左右に分けていたような………というか、なんで同室の私も気付いていないようなことにこのタイミングで気付くのですかこの子供先生は!?
 ハルナも私と同じだったらしく、一瞬驚いた顔をしましたが、こちらは即座にその表情を笑みへと変えました。

 すぐさま、ハルナの手が長いのどかの前髪を両手で左右に退けて、いつも前髪で隠れがちなその顔を、ネギ先生によく見えるようにします。

「でしょでしょ!? かわいーと思うでしょ!? この子、かわいーのに顔出さないのよねー」

 ニコニコと笑いながら、のどかの背を胸で軽く押して、その顔をネギ先生に近づけさせます。
 なんというか、その一連の動作があまりにも自然すぎて、横から何か手を出したりする隙が一切ないです。

「えっ……あ………」

 ネギ先生の顔を正面から見ることになって、のどかの顔がみるみる真っ赤に染まっていきます。
 もともと赤面症で、人をまっすぐ見たり見られたりするのが苦手なのどかとしては、かなり恥ずかしい状態のはずです。

「はい! とても可愛いですよ!」

 それでも、ネギ先生はまったく自然に、笑顔のままハルナの言葉に応えました。
 いえ、子供の言葉ですから、他意はないと思うのですが……。

 のどかには、それは相当な衝撃だったらしく。

 一瞬にして耳まで真っ赤になってしまうと、ハルナの手から逃れると、何を言う余裕もなくその場から脱兎の如く逃げていってしまいました。

「あ!? 宮崎さんーーっ!?」

 慌ててネギ先生が呼びますが、もうのどかの耳にも届いてないのか、その姿はあっという間に校舎の中へと消えてしまいました。

「あんっ…ちょっと、のどかーーー!?」

 慌てて、ハルナがのどかを追っていきます。
 一度足を止め、ネギ先生に「ゴメンねセンセー!」とだけ言葉をかけてから、そのままハルナも校舎の中へと駆けて行ってしまいました。

「え……あ………」

 後に残されたのは、教材を膝に乗せたまま呆然としているネギ先生とその場に残った私の二人だけになります。

「のどかはちょっと照れただけです。……あまり、正面から人の目を見るのに慣れてないせいなので、怒らないであげて欲しいです」

 そう言うと、ネギ先生は先ほどの自分の行動を少し反省したのか、頭を掻きながら困った顔をしました。

「すいません……僕、時々思ったことがそのまま口に出ちゃって……」

 ……なんというか、この会話の流れでその言葉を返せるネギ先生はもの凄い人物のような気がしてきたのですが。
 この人はホントに小学生ぐらいの歳なのでしょうか。

 内心で多少呆れていると、ネギ先生は気を取り直して私に尋ねてきました。

「あっ、えぇと……4番の、綾瀬夕映さん、ですよね? 綾瀬さんも、授業の質問ですか?」

 周りを見回す。
 この噴水の周辺には、ちょうどよく人の姿はありません。

「授業以外のことで、少しお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

「はいっ! 僕に答えられることでしたら!」

 ネギ先生は生徒に相談されるということが嬉しいようで、笑顔で快諾してくれました。

「……それでは」

 一言断ってから、私はネギ先生の隣に座りました。
 あまり声高に相談できるような内容ではないので、すぐ側まで近付きます。

「えっ、あ、あの……」

 すると何故か、ネギ先生は慌てた顔で横に動いて、私から離れていきました。

「……逃げないでくださいです」
「はっ、はいっ!」

 もう一度距離を詰めると、今度は逃げません。
 周囲を見回して、誰も周りにいないことを確認してから、ネギ先生に言葉をかけます。

 質問は出来るだけ短く簡潔に、出来るだけ核心を突く形が望ましいです。
 私が昨日からネギ先生に抱いていた不審、すなわち……。

「……昨日、図書館島で何をしていたですか?」

 私の言葉を聞いたネギ先生の反応は劇的でした。
 目を大きく開き私を見ると、微かに体をのけぞらせた姿勢で固まります。

 やっぱり、なにかあったですか。

 完全休館日の図書館島に、何故か都合よく駆け付けるという偶然。
 怪物さんが外へ出ていたというのどかの言葉。
 のどかは階段から落ちるときにネギ先生は下にいたはずなのに、のどかが目を覚ました場所は階段の上で、ネギ先生もその側にいたという不自然な証言。

 具体的な筋道を付けてこれらの事実を関連づけることは私には出来ませんでしたが、私がネギ先生の行動に不審を憶えるのには十分でした。

 なにより、のどかはネギ先生に真剣に恋心を抱いています。
 そんな相手が不審な行動をとっているというのは、私には耐えられないことです。

「話して欲しいです」

 いまだ固まっているネギ先生に短く告げます。

 その目の中に何かしら罪の意識のようなものがあるのが分かって、かすかに胸が痛みましたが、今は私がほとんど何も知らないことは知られるわけにはいきません。

 私が目で促すと、やがてネギ先生は小さく頷きました。
 口を堅く結んだ表情には、嘘を吐こうとする様子はありません。

 ゆっくりと、ネギ先生は口を開き。

「………昨日、僕は──────」






<明日菜>



 ドン、と廊下の曲がり角からぶつかってきた衝撃に軽くつんのめる。

 それがクラスメートの本屋ちゃんだと気付いて、慌てて片手で支える。
 よっぽど急いで走ってきたらしい本屋ちゃんは、私の手の中で小さい悲鳴を上げた。

「……大丈夫?」

 両手で肩を支えてあげてから尋ねる。
 本屋ちゃんは、やっと自分が私にぶつかったのだということに気付いたらしくて、慌てて私に何度も繰り返し頭を下げた。

「ご…ごめんなさい! その、周りが見えて無くて……!」

 びっくりするような勢いで謝ってくれる本屋ちゃん。
 うーん、なんだか反応に困るなーと思いつつ、軽く笑いながら片手を振って答えた。

「いーからいーから。それより、どーしてそんなに急いでたの?」

 見た感じまた走ろうとしている様子もないから、世間話程度の気分で軽く尋ねてみる。

 そう言えば、本屋ちゃんが走るなんて、ホントに珍しいなー。
 同じ本好き仲間でも、パルが走ってるのはしょっちゅう見かけるけど。

「あっ……はい、ネギ先生に……その…………言われちゃって………」

 頬を真っ赤にして、本屋ちゃんがもごもごと答える。
 なんだかよく聞き取れないけど、私はネギと本屋ちゃんという組み合わせで、一つだけ思い当たることがあった。
 そーいえば、その件は自分でどうにかするってネギも言ってたなー。

 記憶を消したりはしないって言ってたけど、何を言ったんだか。

「あー…もしかして、あの怪物のこと?」

 声を潜めて聞いてみる。
 ネギがどんな風に言ったのかは知らないけど、フォローをするのも保護者の仕事のうちかなー、とか思いつつ。

 だけど、本屋ちゃんの反応は私の予想外で。

「えぇっ!!?」

 本屋ちゃんは、目を開いて硬直してしまった。
 そして、口元を押さえて周囲を見回してから、おそるおそる私に聞いてくる。

「あの………もしかして、アスナさんも……知ってるんですか……?」

 声を潜めて聞いてくる本屋ちゃんの表情には、明らかにネギから昨日の件を聞いた様子なんて無いわけで。

「……アハハハハハハハハハ………。うん、知ってる……」

 乾いた笑いで答えつつ、私は内心では思いっきり冷や汗を流していた。



 わー、思いっきり墓穴を掘っちゃったなー。









つづく