第18話 「魔法少年説教編」<主人公> 俺は、地底図書館の湖の側にある砂浜に転がって、本を読んでいた。 どこからともなく流れ込んできている滝が湖に流れ落ちる音と、微かな風で地底図書館のそこかしこに植えられた木の葉が擦れる音だけが聞こえる。 側には、二日に一度くらいの割合でやってくるエヴァンジェリンさんが良く訓練の後の休憩時間に利用する、テーブルセット。 のどかちゃんから借りた恋愛小説全11巻、読了。 ────────────いい話だった。 特異な設定なんて何もない、本当に普通の高校生同士の恋愛話。 今の俺には望むべくもないことなのだが、だからこそ胸に響くところのある話だった。 実のところ、こういう恋愛小説はどうも読むのが恥ずかしくて最近はとんと離れていたのだが、久しぶりに読んでみると素直な心で読めて、とても楽しめた。 なんかもう、甘酸っぱい恋愛の話に対して恥ずかしいとか恥ずかしくないというレベルを、俺の肉体が超越してしまったからだろうか……。 読み終えた本のあとがきを読み終えて、トンと側のテーブルの上に置く。 あっという間に読んでしまったけど、あとでまた見返そう。 どうも、この体になってから、本を読む速度が速くなってる気がするのは、俺の目玉がビッグサイズになってるからだろうか? 便利と言えば便利だが、なんか味気ないのも事実だ。 いや、目の大きさは関係ないと思うけどな? むしろしょっちゅう貫通されたり粉砕されてる気がするので、普通は目が悪くなると思うし。 いや、そういう問題じゃないが。 そんなどうでもいいことを思いつつ、地底図書館の外壁に当たる場所に並んでいる無数の巨大な本棚見上げてみる。 本を読み始める前はここの本棚の中身も華麗に空を舞っていたのだが、今ではすっかり本棚の中に戻っていた。 どうやら、クウネルさんの言っていた本棚の整理というのは無事に終了したらしい。 少し周囲を見渡してみる。 クウネルさんの姿が現れる様子はない。 ………ということは、今日の仕事は終了って事かな。 ちょっと、あの魔法使いの少年のことを知らないか、聞いてみたかったんだけど。 もしかしたら魔法を使った反動で疲れてるのかも知れないし、次にクウネルさんが出てくる時を待って聞いてみることにしよう。 そういえば、あの少年に襲われたのは図書館の外だったから、クウネルさんには見えてなかったのかも知れない。 どー説明したもんだろうか。 まぁ、夜になったらエヴァンジェリンさんが来てくれるかもしれないし、そちらに聞いてるのもいいかも知れない。 お子様同士で知り合いかも知れないし。 あの少年も、エヴァンジェリンさんと同じで情け容赦なかったしなぁ。 いや、どっちかというと正義に燃えてる感じはしたんだけど。 そういう子なら、次に会ったときにはちゃんとメッセージを書いたホワイトボードを見せれば、ちゃんと分かってくれるだろう。 メッセージにはなんて書けばいいだろうか。 一目で俺が無害だと分かって攻撃が止めたくなるようなメッセージ。 えーと、《私は無害です》……うーん、むしろ挑発とか思われるかなー。 《敵じゃないよ》……これは良さそうかなぁ、いや、お前なんて敵じゃないぜ!という意味だととられてしまうという展開がないとはいえないしなぁ。 《降参》……おお、これにしよう! とりあえず、負けをアピールすれば攻撃を止めてくれるだろうし、攻撃を止めて貰ってからちゃんと説明すればいいのだ!! どうせ出会ったらいきなり凶悪な魔法攻撃とか撃ち込まれるだろうけど、書くことが決まってるなら前もってホワイトボードに書いておけばいいし! よーし、なんとかなりそうだ。 俺は、善は急げという事で、テーブルの上に置いたままにしておいた、夕映ちゃん製作の二代目ホワイトボードへと触手の先を伸ばした。 ………微かに、声が聞こえた。 え。 もの凄く嫌な予感がして、慌てて目を天井へと向けると。 地底図書館の天井である世界樹の根の隙間から、杖に乗った少年の姿が降りてくるのが見えた。 微かに手の平が輝いているのは、明らかに攻撃魔法とかの前兆っぽくて。 そーいえば、魔法使いなんだから当然地下深くにだって追って来れますよねー。 なんとなく安全気分になってたんですが、ハハハ。 俺に気付かれたのを悟ったのか、少年はもう呪文の詠唱を隠す様子もなく、淡く光る手を俺へと突き出しながら高らかに最後の一節を唱える。 「─────魔法の射手・連弾・光の29矢!!」 そして白い閃光が空中を走った。 さながら白いビームを思わせる光は、少年の側から俺へとめがけて柔らかい曲線を描きながら、蛇の襲撃を思わせる鋭さで飛んでくる。 ギャーッ、光線の数がムチャクチャ多いですよ!? 俺はとっさにホワイトボードを触手に掴みながら、テーブルセットから離れた。 手近な本棚に伸ばした触手を貼り付けて、一気に跳ぶ………って、やっぱり頑張ってみても魔法攻撃は避けられないんですねぇぇぇッ!!? 地面に突き刺さるかと思った光の矢は、一本残らず地面を這うように方向転換して、空中に避けた俺に向かって容赦なく全弾命中した。 イタイ、久しぶりに痛すぎる。 一瞬だけど、意識が跳んだ。 地面に転がって、なんとか体勢を立て直す。 ラッキーな事に目は潰れてなかったので、弾き跳んだ触手が再生すると同時に、触手を別の本棚に貼り付けてその場から壁の本棚へと移動した。 「ラス・テル・マ・スキル・マギステル───」 予想通りというかなんというか、少年が次の魔法を唱える声が聞こえてきた。 このまま砂浜に転がってたら、間違いなく的になってしまう。 まさに外道。 魔法少年容赦せん、というヤツだ。 あと、持ってきてたホワイトボードは空中で弾け跳んだときに掴んでいた触手の一本と一緒に、どっかにすっとんでいきました。 ぐるりと見回してもドコにも見当たりません。 壊れたら恨むぞ少年。 あのホワイトボードは夕映ちゃんから貰った貴重な記念品だというのに。 「──────風精召還、剣を執る戦友」 マズいなぁ……隠れる場所も少ないし、逃げ場はもっと少ない。 俺が着地した本棚には、さらに奥の階層へ降りられる通路が隠されているんだが、この中に入る間に攻撃されるだろうし。 それに、うまく逃げられたりしたら、もっとマズい。 この先には、ドラゴンさんの餌やりスペースである地下大空洞があるのだ。 少年が俺を追って飛んできたりしたら、ドラゴンさんがそれはもう大喜びで少年をパックンチョと食べてしまうに違いない。 クウネルさんによると、侵入者には一切容赦しないって話だし。 それはアウトだろう、どう考えても。 「───敵を撃て!!」 俺が迷っているうちに、少年の魔法が完成した。 図書館の外で使われた分身出現魔法。 少年と同じ姿をした半透明の影のようなものが無数に出現して、その手に剣みたいなモノを持って弧を描きながら飛んで、俺に全方位から迫ってくる。 とっさに、前に分身魔法を凌いだときと同じ要領で、千切れやすい触手を横に振って思いっきり分身軍団の先頭へと叩きつける。 横に振る過程で触手は千切れて、それを受けた分身は空気に溶けるように消滅した……のだが。 残りは、何故か俺に真っ直ぐに向かってきた。 わーい、どうも最初に受けた魔法とは微妙に違ったらしいですね。 残った無数の分身体は、俺が反応するよりも早く、その手にした剣で俺を切り刻んだ。 本棚に貼り付いていた触手まで切断されたので、俺はそのまま砂浜まで転がり落ちてしまう。 どうやら、一撃ダメージを与えたら消えるタイプだったらしい分身体は空中に溶けた。 だが、当然の如く、空からはあの魔法少年の呪文が聞こえてくるわけで。 しかも、まだ聞いたことのない詠唱の言葉。 嫌な予感を感じて、俺は再生してきた触手を周囲に伸ばして、地面から離れた。 「……クッ、ダメかっ!」 少年が悔しそうに歯噛みして詠唱を中断する。 やっぱり、なんかトドメ系の魔法だったらしい。 次の手を考えてなかったのだろう少年は、一瞬、空中に棒立ちになった。 …………今だ!! 俺は素早く砂浜に着地して、触手を跳ね上げる。 可能な限りのスピードで触手を動かして、一気にそれを書き上げた! 無理な動きに触手が悲鳴を上げるが、時間が限られている中、出来るだけ大きく書くためには肉体の酷使も仕方がない。 そして、砂浜に大きく書かれた文字は。 《HELP》 これでどうだあぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!? 「─────魔法の射手・連弾・光の17矢!!」 弾け飛ぶ俺、爆風で吹き飛ぶ砂浜。 やっぱダメでした。 ちゃんと周りはよく見ようよぉぉぉぉぉおおおおおおおおおっっっっ!!!? 爆発の衝撃で砂浜をごろごろと転がりながらまた千切れてしまった触手を復活させて、俺は適当な本棚の影に触手を貼り付けて跳ぶ。 そして、とにかく魔法の的になるのを避けるために少年の視界から隠れた。 基本的に、ホーミングしてくる魔法は相手が見えていないと使えない。 あの少年が遠くから俺をチクチク魔法攻撃してくる作戦なら、視界に入らなければとりあえずこの場はしのげる……のはいいんだけど。 「……逃がしません!」 杖に乗った少年が、空中を滑って移動してくる。 追ってくる少年の声を頼りにその視界から必死こいて隠れながら、俺はだんだん現実逃避したくなってきた。 エヴァンジェリンさんに追っかけ回されてるときと違って、少年が大真面目なだけに精神的にもの凄く疲れるんですが、この追っかけっこ。 …………誰か助けに来てくれないかなー。かなー。 <明日菜> 「………ああもう、どっこにもいないじゃないっ!」 半分泣きそうになりながら、私は虚空に向けて当たり散らした。 私の声は、左右を覆ってる石の壁に反響して、どこまでも続いているような長い通路の中へ、虚しく反響していった。 図書館島へと私が駆け込んでから、大分経ったと思う。 ありがたいことに、休館日だというのにこの図書館には明かりが点いていた。 それを頼りにすぐに地下を目指して降り始めたんだけど、長い階段を何度も下りているうちに、私は自分の無計画さを思わず呪ってしまった。 私は、あっという間にこの図書館の地下で道に迷ってしまったのだ。 図書館島の地下がもの凄い迷路になっているという話は同室の木乃香から何度も聞いていたけど、まさかここまで人外魔境の大迷路になってるなんて、思いもしなかった。 なにしろ、この迷路は、図書館のクセに普通に罠がしかけられてるのだ! さっきから、何度も落とし穴に引っかかって、地下へ地下へ落ちてしまってる。 それはそれで好都合なんて思えるほど、私は脳天気じゃなかった。 何度目かに落ちた落とし穴なんて、下が水浸しだったので、今はすっかり濡れネズミである。 貼り付いてくる服の感触が、ものすごく気持ち悪い。 自分が一体、どこへ向かって進んでいるかも良く分からなかった。 ちゃんと明かりみたいなのが点いてるから、とにかくその通りに歩いてきたけど、その先に何があるのかも分からない。 「……ちゃんと、戻れるのかな……私……」 通路の壁に手をつきながら、何度目かの溜息をつく。 あのガキンチョを心配になってこんなとこまで来てしまった。 それは、否定のしようがないことだけど、結局アイツのとこにも辿り着けないで、こんなところで道に迷ってたら何の意味もない。 私は、アイツに言ってやらないことがあったはずなのに。 いつのまにか通路の終わりに辿り着いてたみたいで、私の目の前には大きな広間があった。 図書館の中とはとても思えない、まるで古代遺跡のような、巨大な石像が守る大きな扉。 石像の扉のある石の巨大な台座の前には、石で作られた大きな橋がある。 その下は真っ暗闇で、もし落ちたりしたらとても助かりそうにもない。 「………なによここ…」 ずるずると壁に体を押しつけて、私は途方に暮れた。 なんでこんな場所に辿り着いちゃうんだろう、私。 別に私はこんな遺跡を踏破しに来たんじゃないのに、なんか、さらに深みにハマッてしまった気がする。 なんで、余計地下に進んじゃいそうな場所に出ちゃうんだろ、私は。 ………いっそこのまま座り込んで、救助を待ってようかな。 「……って、そんな簡単に諦めるワケないでしょ!」 私は、自分の頬を叩きながら、体を壁から離して立ち直った。 ワケの分からない遺跡に向き直って、猛然と走り出す。 こんな障害なんかに邪魔されてたまるもんかと、立ちはだかる巨大な扉を睨み付ける。 その時、唐突に、私の足元に耳障りな音が聞こえた。 軋むような音がして、足が宙を掻く。 「あ………っ!?」 足元を見ると、石で造られた橋は、バラバラに砕けていくところだった。 なにかを掴もうと体を捻って周囲を見る。 私が駆けていた場所は橋の真ん中で、橋は全て細かい破片になって砕けていくところだった。 どこにも、私が捕まる所なんて無い。 それでも手を伸ばして、私はなにかを喚く。 私の手の平は、虚空を掻いただけで、何も捕まえることが出来なかった。 ────────────────そして、後は落ちていくだけ。 私は、自分でも訳が分からず、ただ何も出来ずに死んでしまうのが嫌で、悲鳴を上げていた。 きっとこの声は誰にも届かないんだろうなと思いながら。 <主人公> 地底図書館を、白い閃光と爆発が荒れ狂う。 少年の魔法を何度もかいくぐり、魔法を受けるたびに触手を何度か切り落とされて、一体どうしたもんかと思っていた。 その時。 遠く、遠く、遙か上。 確かに俺は、声を聞いた。 少女の悲鳴。 今日聞いた、階段を落ちていくのどかちゃんの声を思い出す。 血が凍るような恐怖を感じて、俺は天井を見上げた。 今は空中で杖に乗ったまま静止している少年の後ろ。 世界樹の根が作り出した天井の隙間の一つ、上の階層と繋がっている穴の一つから、少女の悲鳴は近付いてきている。 少年は……さすがにまだ気付いていない。 悲鳴の主はまだ遙か上だ。 だけど、悲鳴が聞こえたときに助けるのが間に合うとはとても思えない。 落ちてくる速度は、思ったよりも遅かった………これなら間に合う。 間に合わせれば、悲鳴を上げている子はまだ助かる! 俺は、限界まで触手を伸ばして、外壁の本棚に触手を貼り付けた。 なにか使えるものはないかと周囲を見回した瞬間、俺の視界にあるものが映る。 いつぞやの事件の際に、夕映ちゃん達が図書館島の地下に置いていって、しばらくしてからクウネルさんの指示で俺が回収してきた、ボロいテニス用のネット。 いくつかの計算が俺の中で働き、俺はそのネットを使うことにした。 触手の一本を伸ばしてそのネットに絡みつけ、一気に引き絞って自分のものにする。 落ちてくるスピードに合わせて、これで捕まえれば……触手で捕まえるより全然マシなはずだ。 何度繰り返し、うっかり女の子を触手に絡め取ってしまって地獄の制裁を受けたことか!! いや、制裁はエヴァンジェリンさん限定だけどね!!? まぁ、さすがにエヴァンジェリンさんのような悪鬼のような女の子ばかりじゃないと思うけど、うっかり服を溶かして更に心証を悪くするよりは、ネットで捕まえてあげた方がいいだろう。 そしたら、俺をさっきから全力で攻撃してくる少年も攻撃止めてくれるかも知れないし。 ……っていうか、止まってくれ。 天井に触手を張り付ける。 「──ラス・テル・マ・スキル・マギステル────風精召還…」 少年が呪文を唱えるのが聞こえる。 意味は分からないが、俺がついさっき触手であの少年を取り押さえようとしたときに使った、分身を作り出して触手を切断する魔法。 あーーっ、やっぱりそう来るよな。 嫌なタイミングだけど、まぁなんとかなるだろう。 俺は天井に向けて跳ぶ前に、俺が今貼り付いている壁……外壁に当たる巨大本棚から、何冊かの大きめの本を、適当に触手で掴んで拝借した。 心の中でクウネルさんに謝ったが、きっと後で恨まれるだろうなぁ。 間違いない、絶対恨まれる。 ちょっと少年を恨みつつ、天井に貼り付けていた触手を一気に縮めて、天井へと跳んだ。 「──────剣を執る戦友」 ほとんど同時に、少年の魔法が発動して、その周りに例の半透明な分身が無数に出現する。 そして次に少年の声で、分身はまっすぐこっちに飛んでくる……のだが。 俺は本棚から持ってきていた本の数々を、その分身に投げまくった。 少年の命令で動き始める前に、本棚の直撃を受けた分身はあっさりと消滅していく! よぅっっしっ! 今日俺が喰らいまくったハードカバー連打をヒントにして編み出した奥義、ハードカバー本マシンガン成功!! あとで確実にクウネルさんに恨まれることを代償とする最終奥義だ! きっと当分は、クウネルさんに仕事を振られるたびに笑顔で怖い視線を向けられるぜ!! 「……そんな!?」 少年が驚きの顔を浮かべる。 悪く思うな、少年!! とか内心思いつつ、俺はその横をすり抜けて、天井へと貼り付いた。 落下してくる女の子は、もう悲鳴を上げていない。 気絶してしまったんだろうか。 エヴァンジェリンさんが空気の音を聞けとかなんか言ってたのを思い出して、焦りそうになる心を抑えてとにかく音を聞く。 なにか聞こえるはずだ。 悲鳴じゃなくても空気を切る音とか壁を擦る音とか心臓の鼓動の音とかアクセサリーの鈴の音とか………鈴の音!? 俺は、考えるのを止めて、その音だけを頼りに飛んだ。 触手がつかんでいたテニスコートのネットを大きく開いて、音の方向に向けて二本の触手を使って大きく展開する。 衝撃を吸収できるように少し柔らかく……。 その先に……杖に乗った、少年がいた。 鈴の音の主が落下してくる場所は、俺と少年のちょうど中間地点だったらしい。 「ラス・テル・マ・スキル・マギステル──!」 しかも、なにか呪文を唱えている。 少年の顔を恐怖に染まっている、そりゃ、空中から俺が迫ってきてるんだから当然だろう。 誰だって絶対ビビるのは間違いない。 だが、今のタイミングは勘弁して欲しかった。 とにかく、どんな攻撃をされても耐えられるように、ありったけの触手を伸ばして、少年と俺の間に壁を作る。 伸ばしすぎた触手の先の感覚が無くなるが、この際気にしていられなかった。 鈴の音が近付いてくる。 俺は天井を見上げる。 複雑に入り組んで世界樹の根の隙間、暗闇の彼方から、この地底図書館へとまっすぐに落ちてくる少女の姿が見えた。 心の中で喝采を上げる。 鈴の音は、落ちてくる少女の頭の方から聞こえる。 デカい鈴みたいなアクセサリーに、俺は感謝の言葉をかけてやりたい。 開いたテニスコートのネットの中に、少女を捕まえる。 タイミングも間違いなく、衝撃で死んじゃう危険も無し、これなら……。 落下してきた少女が、大きく開いたネットへ落下してくる、その瞬間。 「──────風花・武装解除!!」 少年の魔法が発動した。 次の瞬間、俺が開いていたネットは一発で弾け飛んだ。 イヤッッッホゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッ!!! マジですかッッ!!? なんてことしてくれるんだこの少年は! 俺は慌てて天井に繋いでいた触手を外す、ぶら下がっていたら間に合わないし。 驚いた顔で凍っている少年を横目に、落下する俺の体。 そして、まっすぐに水面に激突しようとしている少女を、ありったけの触手で包んだ。 「っきゃぁああああああああああああああッッッ!!?」 わーーーーい、意識がありましたよこの子。 なんて気丈な子だろうか、あんな高い位置落下してたら普通は意識を手放すだろーに。 とはいえ、これでとりあえずこの子の身の安全は守られた。 守られた………のだが。 何故か、俺の触手の中に抱きかかえられた女の子は、俺が粘液で服を溶かしたりするまでもなく何にも着ていなかった。 触手でしっかり掴んだ女の子の感触が、なんというかやけに暖かいというか柔らかいというか何というか、得体の知れない気持ちになるもんで、一瞬俺の意識が真っ白になる。 あれ? さっきまで服着てたよね、なんで? そんなことを思いながら、俺は水面に見事着水した。 適当な壁に触手を貼り付けて水面から脱出して、砂浜に上がる。 先ほどの少年が降りて来るのが見えたが、そんなことはどうでもよく、とにかく俺は急いで触手でしっかり掴んでしまっていた女の子を解放した。 なんというか、嫌な予感がしまくっていた。 デジャヴというヤツである。 具体的には、なにかを踏んづけたと思ったら、それがエヴァンジェリンさんだった時とか。 「あ……明日菜さん! なんでこんなところに!?」 少年が叫ぶ。 そうか、この女の子は明日菜ちゃんというのか。 ハハハハハハ、一つ賢くなりました。 そして、その明日菜ちゃんは、ふるふると震えながら。 何故か都合よくそこに落ちていた木製のバットを手に取った。 そんな明日菜ちゃんは、なんというか全体的に肌色な、あんまり直視してはいけないような格好になっていたので、俺は慌てて視線を逸らして遙か天井を見上げることにした。 うん、これからどうなるかは想像がついてる。 俺が本当は悪いヤツじゃないって事も、いつかきっと分かって貰えるさ。 でも、さすがに今の明日菜ちゃんは気の毒な目に遭いすぎたみたいだし、俺はこれからの運命を甘んじて受けようと思った。 なんだかとてもすがすがしい気分だったのは、決して脳裏に焼き付いてしまった肌色の幻想のせいじゃないと前もって言っておきたい。 「この……ヘンタイ生物ッッッッ!!!!!」 見事なスイングが俺の胴体というか、触手というか、真芯を捕らえる。 自分でもビックリするような勢いで放物線を描き飛んでいく俺。 次いで、べしゃりと壁に貼り付いて、落ちる。 よーーし、生きてる。 なんかもう全体的に痛すぎるんだが、とりあえず生きてるぜ! いつぞやの古菲ちゃんに喰らった一撃で前より衝撃に慣れてるおかげだと思おう。 というか、どれだけ丈夫なんだよ俺。 でも今のはヤバかった。 次さっきのフルスイングを喰らったら意識がどっかに飛んでいく。 というか今も意識がどっかに飛んでいきそうだし。 ぼんやりと視線を彷徨わせていると、運のいいことに、最初に吹き飛ばされてから行方不明だったホワイトボードが無傷のまま転がっていた。 少年と明日菜ちゃんを見るとなにか話している様子で、俺に向かって追撃が来る様子はない。 ……チャーンス。 俺は、触手を伸ばして落ちていたホワイトボードを掴むと、細い触手でマジックをとり、スラスラとメッセージを書いた。 少年と明日菜ちゃんがこっちを見る。 俺はそちらへと向けて、真っ直ぐにホワイトボードを見せた。 もちろん、書いているメッセージは一つである。 《降参》 俺は、そう書いたホワイトボードを二人に見えるように大きく、ゆっくりと振って見せた。 <ネギ> 《降参》 悪魔がその触手に持ったホワイトボードには、確かにそう書いてあった。 え……ホワイトボード…? ………えええええええ!? な、なんで? こ、降参って……!? 悪魔が降参って、そんなのあり得な…… 頭の中が真っ白になったまま悪魔を呆然と見ていたら、鬼のような形相をした明日菜さんがやって来て、僕の羽織っていた上着をもの凄い勢いで剥ぎ取った。 そのまま自分が着て、前のボタンを全部留めていく。 あ……そ、そういえば、明日菜さんは服破れちゃって、何も着てなかったんだった……。 思わず、僕から取った服を着ていくその様子をまじまじと見てしまった。 直後、もの凄い目で睨まれる。 「ひっ、ひぃぃ!?」 一瞬、あの悪魔と同じくバットでホームランされそうな気がして、思わず顔を庇ってしまう。 だけど、予想していたもの凄い衝撃は襲ってこなかった。 僕がおそるおそる顔を上げると、明日菜さんはツカツカとあの悪魔の方に歩いていく。 怖かった、ものすごく怖かったよぉぉぉぉぉぉぉ。 泣きそうになりつつも、明日菜さんに付いて行く。 そ、そうだ、今なら悪魔を僕の魔法で滅ぼすことだって…… そう思って悪魔に向かって杖を構えようとしたところで、いつの間にか足を止めて僕の横にいた明日菜さんが、僕の杖をひょいと取ってしまった。 「あ、明日菜さん、いきなりなにするんですか? 僕の杖、返してくださいーっ!!」 慌てて取り返そうとしたら、明日菜さんが僕の頭を掴む。 イタタタタタタタタタタッ!? 明日菜さん、痛いっ、痛いですよぉぉぉぉぉぉっ!!? 泣きそうになりながら見上げたら、もの凄い形相で睨まれた。 「ちょっとアンタ達そこに並んで正座しなさい!! 今すぐッッ!!!!」 壁際を指差して、明日菜さんが凄い勢いで怒鳴る。 「え、えぇっ、でも、悪魔が!!」 えぇぇぇぇっ、なんでそうなるんですか!? それに、僕は今悪魔と戦っていたところで、あの悪魔だっていつまた襲いかかってくるか……。 「黙りなさいガキンチョ!! ほらもうそっちの怪物は大人しく座ってるわよ!?」 明日菜さんが指差した先では、悪魔が明日菜さんの指差した先にちょこんと鎮座していた。 長い触手を体の下に折り畳んで、何故か明日菜さんから視線を逸らして正面をじっと見ている。 なんだか悪いことを言いつけられて反省してるような…って。 「えええええええええっ!? ホントに座ってるぅぅぅぅぅぅ!!?」 なんで普通に明日菜さんの言うことを聞いてるの!? 明日菜さん、これが悪魔だってホントに分かってるんですか!!? 「ほら、そこの怪物ちょっとは見習って、アンタも大人しく座りなさい!!」 僕がなにか言う前に、明日菜さんは僕の肩をしっかりと掴んで、無理矢理悪魔の横に座らせた。 ……背筋に冷たい汗が走る。 横をチラリと見ると、悪魔が太い触手を一本だけ上げて、僕を見た。 こ、怖い………。 僕が真横に座り込んでいる悪魔をチラチラと見ていると、明日菜さんがいきなり手にしていたバットで砂浜を垂直に叩いた。 ドン、と重い音がして、僕と……隣の悪魔が一緒にビクンと揺れる。 その様子をじろりと見てから、明日菜さんが腕組みをした。 ゆっくりと、怒りを噛み殺すような口調で、僕と悪魔に向かって喋り出す。 「アンタ達ねぇ……ちょっと真剣な顔してるから心配して追ってきてみたら……なんか落とし穴に落ちちゃうわ、落ちた先でいきなり二人がかりで私に襲いかかるわ……何やってんのよ一体?」 そのゆっくりとした声に込められた迫力と睨んでくる顔が怖くて、思わず目を閉じてしまう。 今この瞬間……僕は、隣の悪魔より、目の前の明日菜さんの方が怖かった。 でも、僕は間違ったことはしてないから、怒鳴られる理由なんて……。 顔を上げると、また睨まれて、思わず視線を逸らしてしまった。 「ぼっ、僕は、ちゃんと悪魔をやっつけようって……」 地面を見ながら口を開く。 うぅぅぅぅ、目が合ってないのに、明日菜さんがものすごく睨んるのが分かる。 ハッキリ伝えようとしていた言葉が、みるみる勢いを失ってしまう。 きゅきゅ、と音がして、そちらを見ると。 悪魔は、触手に掴んでいたホワイトボードにメッセージを書いて、明日菜さんに見せていた。 も、ものすごく器用な悪魔だなぁ……。 明日菜さんに見せているメッセージの内容を横目で読んでみる。 《この子が怖いので逃げてました》 「ええええええええええええッッ!?」 思わず声を出してしまった。 で、でも、それはないですよっ!? さっきまで僕とちゃんと戦ってた……戦って……たと思うし、逃げてたなんてっ! と、とにかく、僕だけ戦ったわけじゃ…ないはず。 戦いのことを思い出すと、なんだか急に自信が無くなってしまう。 でも、明日菜さんは僕のそんな抗議を完全に聞いてなかった。 「そんなのどっちでもいいわよ!! 私が聞きたいのは、真面目に止めようとしてた私が、なんで服を吹き飛ばされてハダカにされた挙げ句、怪物の……その……触手の中に突っ込まされちゃうわけ!!?」 怒鳴る明日菜さんの剣幕が怖すぎて、また思わず目を閉じてしまった。 でも、服を吹き飛ばしたのは、間違いなく僕の魔法な訳で。 おそるおそる目を開いて、とにかく謝る。 「あ、あの……ごめんなさい……見ちゃって……」 あの時のことを思い出したのか、明日菜さんの顔は少し涙目になって、顔を真っ赤にしていた。 思わず僕もあの時の明日菜さんの姿を思い出してしまって、赤くなってしまう。 さらにそんな僕の横で悪魔がもじもじしていた。 な、なんで僕だけじゃなくて悪魔まで照れてるみたいなリアクションを……。 な……なんだろうこの空気。 「わ…忘れなさい! さっきのことは、いっさい記憶から消去することっ!!」 何故か、さらに赤くなった明日菜さんが、側に置いていた木製バットを手に取ろうとしたので、慌てて悪魔がホワイトボードにまたメッセージを書き始める。 書いてたメッセージは……。 《すいませんホントはネットで助けるはずが》 「えぇぇぇっ!? ちょ、ちょっと待って下さい!! あのネットは僕を捕まえようとしてるんだと思ってたんですよ………だから、慌てて……」 悪魔の書いたメッセージを見た明日菜さんの目が、氷点下の勢いで冷たくなる。 その視線が僕を向こうとしている。 「へ〜、だと思って、私の服を吹き飛ばしたの? じゃ、もしかしなくても、あんな高〜いところから落ちて悲鳴を上げてる私を助けようとしたんじゃなくて、ただ単にうっかりで私の服を吹き飛ばしたのね?」 明日菜さんの非難の目は、悪魔じゃなくて僕一人に集中していた。 こっ、これが悪魔の罠!!? ふぇぇぇぇぇ……なっ、なんでこんなことに……っ? 「えっ、あ……うぅぅ………でも、僕、夢中で……気付かなかったから…」 「泣きそうになってごまかすんじゃない!アンタねぇ、私を助けようとしたぶんだけこのイソギンチャクもどきの方が人間的に上よ!? アンタは今、教師どころかこの変態マリモ以下なのよっ!!」 あ、悪魔以下ーーーっっ!? 人間的に悪魔以下って…………そ、そんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。 教師として頑張るって決めてここまで来たのに、どうして僕は人間として悪魔以下に………。 「……服が破けちゃったぐらいで……そんな、怒らなくたって………」 あまりのショックのために、僕は思わず、言ってはいけないことを呟いてしまった。 もちろん、僕の不満を聞き逃すはずもなく、明日菜さんの目が光る。 ものすごく凶悪に光ったその目を見て、僕は自分の失言に恐怖した。 慌てて口を閉じて、必死に首を振る。 だけど、明日菜さんは僕の発言を許してくれるはずもないわけで。 「よーし怪物さん、今からそいつの服をその触手でじっくりたっぷりねっぷり脱がしてやって。誰がなんと言おうと私が許可するから、やりなさい!!……っていうか、やれ!!」 明日菜さんの言葉に応えて、隣で大人しく座っていた悪魔がゆっくりと僕を見た。 え? なんでゆっくりと立ち上がるんですか? ぬらーり、と触手が僕の方に近付いてきて…… 僕は、慌てて跳びすさった。 ……って、なんだか追っかけてくるぅぅぅぅぅぅ!? というか、なんで明日菜さんが普通に悪魔を操ってるんですかっ!!? 「あああああああああ、やめてやめてやめてやめて下さぁぁぁぁいぃぃ!!悪魔さんもじわじわと触手を揺らしながら近付いてこないでぇぇぇええええええっっ!!!!」 僕の絶叫は、しばらく地底図書館に響き続けた。 <明日菜> ネギと二人、図書館島と麻帆良学園とを繋ぐ橋を渡る。 左右から照らす街灯の明かりが、私とネギの影を二つに分けていた。 コイツの杖では、私を乗せて空を飛ぶのは無理だったらしい。 そんな頼りない魔法であの大きい怪物と戦おうなんて考えるんだから、やっぱりコイツはガキンチョなんだと思う。 結局、あの地底の底から脱出するのは、あの怪物にお願いすることになった。 あの太い触手に巻き付かれたときには正直ぞっととしたけど、あの大きな怪物が触手をドンドン壁に貼り付けて垂直の壁を上っていくのは、ちょっと笑えて、爽快だった。 地上へと出るまでにかかった時間は、30分ぐらい。 あそこに落ちるまでにした苦労って、一体なんだったんだろうとか思ってしまう。 まぁ、最終的には、無事にコイツの所に辿り着けたんだから良いけど。 「………あのさー」 横をトボトボと歩くガキンチョに、少し遠慮がちに声をかける。 我ながらちょっとイジメ過ぎてしまった。 「は、はいっ!!」 なんだか、軍隊で命令を受けた兵士みたいな調子で答えられて、さすがに気の毒になった。 やっぱりイジメ過ぎたかー。 「もーいいわよ、怒ってないから」 実のところはまだちょっとだけ怒ってるのだけど、とりあえずそう言っておく。 そりゃ、いきなり乙女の秘密を全部見られた挙げ句、わけのわからないグロデスク怪物に抱きつかれたんだから、誰だって怒るだろうと言いたい。 「で…でも、今回のこと、全部僕の勘違いで……あの悪魔さんも………」 ガキンチョの声が曇った。 あの図書館の地下にいたグロデスクな怪物は、意外と普通に話せるヤツだった。 あの触手で私に抱きついてきたのも、私が落っこちるのを助けるためだったのは間違いないし、ガキンチョが襲われてると勘違いしていた本屋ちゃんの件だって誤解だったし。 あの怪物と本屋ちゃんが友達ってのはちょっと理解できない世界だけど、借りた本だって見せてくれた恋愛小説は私も何冊か読んだことがあった。 その中の一冊が私がちょっと前に本屋ちゃんから貸して貰ったことのある本だったので、怪物と本屋ちゃんが友達という証言が間違いない。 それを聞いたガキンチョの反応は凄まじく、一瞬で目の前が真っ暗になったという顔で、地面に突っ伏して怪物に謝りまくっていた。 あんまり謝る勢いが凄かったから、怪物になんか慰められてたし。 さすがにそこまで落ち込む様子を見せられたら、私だって慰めてやらないとって思ってしまう。 「あの怪物さんも、別に良いって言ってたじゃない。どうせガキのしたことなんだから、あれぐらい大目に見てくれるわよー」 「そっ、そんなっ! 僕は、もう少しであの悪魔さんを………」 顔を上げて、ほとんど叫ぶように私に言ってきたガキンチョの顔は、相変わらず自分のしてしまった事への罪の意識で潰れそうな感じだった。 罪の意識。 なんてガキンチョに似合わないフレーズだろうと、内心呆れてしまう。 だから、ぴし、と頭にガキンチョの頭にチョップをあげた。 「人の好意ぐらいちゃんと受けなさい。アンタまだガキなんだし」 なんでそこまで必死になるのかは知らないけど、やっぱりコイツはおかしい。 コイツぐらいの子供は、普通こんな顔をしない。 しないといけないような事も、ない。 「だって………それに、僕は子供かも知れないけど、魔法使いは自分の力に責任があって……」 なのに、まだグダグダと落ち込んでいるガキンチョの顔に、いい加減に腹が立ってきた。 「じゃ、アンタがやったことの責任、これからとって貰いたいんだけど?」 わざと冷たく言ってやると、ガキンチョの顔が分かりやすいぐらい簡単に落ち込んでいく。 そんな風に落ち込んでるなら、それ以上自分を責めることもないのに。 コイツは、ホントに不器用で馬鹿だと思った。 一生懸命のベクトルが、子供向けじゃないのだ。 「……はい。僕の出来ることだったら、どんなことだって……」 だから、私の言葉に応えたガキンチョの言葉は、馬鹿みたいに深刻で重い。 もう……一体何を言われると思ってるんだか。 呆れて溜息をついてから、私はガキンチョに言った。 「ずいぶん遅くなっちゃったから、部屋に戻ったら木乃香がきっとカンカンに怒ってるわよー?だから、責任持って私と一緒に謝ること! いいわね?」 私の言葉がすぐに理解できなかったのか、ガキンチョは、きょとん、目を丸くして私を見る。 なんとなく自分の言葉に恥ずかしくなって、私はその視線から半分目を逸らした。 だけど、半分チラリと見たガキンチョの顔は、子供らしい無邪気で安心した笑顔で。 「…はい!」 ネギは、大きく頷いて、満点の答えを返した。 |