第15話 「魔法少年遭遇編」<ネギ> 『学園生徒の皆さん───こちらは生活指導委員会です───────』 どこからか、よく響く女性のアナウンスが聞こえる。 麻帆良学園中央駅の改札口を抜けた僕は、その先に広がる光景に目を奪われた。 人、人、人、人─────学園へ続く坂道を、一面の人が走っている。 そのどれもが学生で、少しづつ違うけれど、同じような制服を着ている人達ばかり。 「わわわっ、何コレ…スゴイ人!?」 思ったことをすぐ口に出てしまうのは悪いクセだとアーニャによく言わているのだけれど、僕は驚きと感動のあまり、気が付くと口を開いてしまっていた。 「これが、日本の学校かーーーっ」 ……本当にコレが、みんな同じ学園の中で勉強している人達なんだ。 都市全体が一つの学園、幼等部から大学部までのあらゆる学術機関が集まってできた都市、その全ての総称が『麻帆良学園』。 こんなスゴイ場所で、僕は教師を務めることになるんだ。 『今週は遅刻者ゼロ週間────始業ベルまで10分を切りました────急ぎましょう』 綺麗な声の女性のアナウンスに押されるように、僕の横を沢山の学生さん達が駆けていく。 走っている人や、スケボーに乗っている人、ローラースケートに乗っている人たちや、路面電車に乗っている人……うわぁ、電車に捕まってる人、危ないなぁ。 みんなが、焦って「ちこく」「ちこく」と口にしてる。 ……ちこく……遅刻? 慌てて、ポケットの中に入れてた懐中時計を取り出す。 誕生日にお姉ちゃんに貰った懐中時計を開くと、時計の針は、約束の時刻までもう時間がないことを示してた。 「わ、いけない! 僕も遅刻する時間だ!!…初日から遅れたらまずいぞー」 慌てて、学生さん達の中を走り出す。 自然と手足に魔力をまとうと、手足が軽くなっていく感覚が返ってくる。 慣れ親しんだその感触に満足して、僕はまっすぐに駆け出した。 目指すのは、麻帆良学園女子中等部。 迎えの人が来てくれる約束だったけど……タカミチだったらいいなぁ。 女の人だったらちょっとイヤだな、恥ずかしいし。 そんなことを思いながら、僕は麻帆良学園への駆けて行く。 そう言えば、また思ったことを口にしちゃってた。 うーん、このクセで悪いことがないと良いんだけど……早く直さなきゃ。 <主人公> 「今日は、この図書館島は完全休館日になります」 昼間の日課、ドラゴンさんの餌やりを済ませてから地底図書館に戻ると、すでに待ち構えていたらしいクウネルさんご本人から、そんな通達があった。 待っている間、お暇だったのか紅茶を淹れていてくれて、ご馳走になってみるとそれがまた冗談みたいに美味しかった。 先日エヴァンジェリンさんに出したレモンティーにレモンを絞った汁を入れるという大ポカをかました俺としては、思わず尊敬の念を抱かずにはいられないわけである。 まぁ、それはそれとして。 完全休館日というのは、図書館島全体が立入禁止になる日のことである。 基本的に図書館は全て月曜日が休館日であり、図書館島の地上階もその例に漏れないのだが、この日は図書館島に続く橋が通行禁止に……あれ? 通行禁止だったっけ?……まぁ、とにかく通れなくなるのだ。 月に一度、だいたい月最初の月曜日に行われるのことになっていたと思う。 俺が知っているのは其処までなのだが、クウネルさんは、さらに俺の知らなかった驚くべき真実を教えてくれた。 「完全休館日は、私が魔法で図書館内の本を一斉に整理する日なんですよ。一般生徒が間違えてそんな光景を見たりしては魔法のことが知られてしまうから、人払いと認識阻害の魔法でこの図書館島を封鎖することになっているんです」 恐るべき事実だった。 そーいえば、休館日に図書館島に行こうとしたら、全然図書館利用しないようなヤツが今日は休館日だから行けないだろ?とか言い始めて不思議に思ったことがあった。 あれが人払いとかそういう魔法の効果なのか。 まさか、図書館の休館日に間違えて人が来ないように魔法を使っていたなんて。 ………そんな地味な目的に使われてるなんて、普通気付かないよなぁ。 って、あ、しまった。 クウネルさんの説明を聞き終えた俺は、もの凄くマズイ事態に気付いた。 よく考えたら今日に約束していたことがあるのだ。 よりによって、その人払いとかの魔法で来れなくなってしまう一般生徒の方と。 慌てて、ホワイトボードに質問を書いてクウネルさんに見せる。 《今日、本を貸しに来てくれるって、女の子が言ってたんですけど》 この場合はどうなるんだろう。 休館日だから図書館島に入れないって認識して来なくなるだけなら良いんだけど、それ以外になにか変な副作用とかあったら大問題だ。 クウネルさんは、俺の心配を読みとってくれたのかどうか。 いつもの綺麗な微笑を口元に浮かべたまま、にこやかに請け負ってくれた。 「ああ、彼女達の存在なら私も“正確に”把握しています。人払いの結界と認識阻害の対象から取り除くことも出来ますから、そうしておきましょう」 おー、それはありがたいです。 だけどそれって、不自然に思わないんだろうか。 魔法のことは秘密にした方がいいのに、こんなことで知られちゃいけないと思うんですけど。 一応確認のために、もう一度質問をホワイトボードに書き示す。 《そんなことして大丈夫ですか?》 俺の質問を目にしても、クウネルさんの表情は変わらない。 やっぱり穏やかな微笑で、それをしても危険のない理由を教えてくれた。 「学園を守っている認識阻害の魔法が、こういった施設に関する疑問などを抱きにくいようにやんわりと意識を逸らしていますから、問題はありませんよ」 なんとなく思ったんだけど、それってかなりハードな話ですよねー。 魔法使いさん達からすれば安全のためだと思うんですけど、人の心を好きに操ってるみたいでちょっとどうかと思う。 俺が死んだ原因もその人払いの結界とか認識阻害とかの魔法が原因だとエヴァンジェリンさんが言ってたし、あんまりそういう魔法には良い印象がないのだ。 もちろん、それが何も知らない人たちを守る一番良い手段だってのは知ってるんだけど。 俺の気持ちが、なんとなく透けて見えたんだろう。。 クウネルさんは俺を安心させるように、薄く笑ってから言葉を続けた。 「学園を守っている魔法は、人の考えに制限をかける呪縛に属するような魔法ではありません。逆に、物事をより“受け入れやすく”する友愛に属する魔法です。………人を歪める魔法は対象の心を蝕みますからね」 なるほど。 だから、麻帆良はやけに人がアバウトかつおおらかなのかー。 ……って、もしかしなくても、俺はそんなラヴ&ピースな魔法が効かないから、麻帆良学園でずっとビクビクしていた訳なのか!? いいやいやいや、さらに考えてみると、あのかつて凶暴だったっぽいエヴァンジェリンさんが、今はすっかり丸くなっていたりするのもその呪いのせいなんですか!? 恐るべき平和の呪い! むしろここに凶悪犯収容所とか立てましょうよ!? 俺は、はじめて魔法使いの力に恐怖を感じた。 ……だというのに、クウネルさんは特にそれに気付いた様子もなく簡単に話を締めくくった。 「とはいえ、それほど強制力の強い魔法じゃありませんから、その存在を知った時点で効果がなくなりますし、考え方が固まっている人や魔法使いには全く効かないですから気を付けて下さい」 あ、そうですか。 凶悪犯収容所計画終了。 エヴァンジェリンさんの心を丸くしたのは単なる日々の積み重ねだったらしい。 やっぱり平和が一番ですね。 とりあえず、今日いらっしゃる予定ののどかちゃんには、『今日は君のために図書館を貸し切ったのサ!』とか言っておくことにしましょう。 ………半端じゃなく引かれそうなので実際には口にしませんが!! とりあえず、クウネルさんのご説明も終わったようなので、ホワイトボードに思いついた質問を書いてからお見せする。 《なにかお仕事ありますか?》 たぶん、ここにいらっしゃったくらいだし、なにかあると思うんだけど。一応。 俺のメッセージを見ると、やっぱり予想は当たっていたらしく、クウネルさんはニコニコと俺の仕事の説明を始めてくれた。 「私は、地下の蔵書の整理に集中しますから、貴方は地下の階層から地上階へと移動させる本の運搬をお任せします。その後は、逆に地上階から地下へ移動させる本の運搬も」 わーーーい、結構な量になりそうな予感。 「貴方の運搬能力を見越しての量ですから時間は十分にありますよ。………それはいいですが、運んでいる最中に本を溶かさないでくださいね?」 クウネルさんの笑顔からなんだか瘴気が溢れ出てきた気がするんですが……。 ひぃぃぃぃぃぃ、怖いですよクウネルさん!!? てっきりもう許してくれていたと思ってたけど、俺が自分の触手から出る粘液でクウネルさんの蔵書をうっかり溶かしたことは、いまだに恨まれてるらしいです。 ……自分で冷静に思い出してみると、恨まれてなかったらおかしいくらいですね、ははは。 とりあえず、クウネルさんの視線のが怖いので、俺は慌てて答えをホワイトボードに書いてクウネルさんに見せた。 《了解です》 …………ところで、どうやってあの女の子達の正確な情報とか調べたんでしょうか。 クウネルさん、魔法とかならいいんですけど、盗撮とかしてないですよね? 数時間後。 地上階と地下を往復することかれこれ数十階。 あまり知識の無かったこの浅い階層の地図が俺の頭の中に頭の中にすっかり出来上がったところで、やっと頼まれていた本の運搬は終了となりました。 運搬した本は、それはもう様々で。 伝説に語られているはずの魔導書のあからさまな劣化コピー的な状態の本が、一般生徒は見向きもしないのに反し、魔法使いから見ると別の意味で大ウケの内容だったため、この際だから永久保存ということで地上階から地下へと移動することになったとか。 永久に続刊が出ないと思われた為に地下に埋蔵していた漫画が奇跡的に連載再開しちゃったので、仕方なく地上階にある本棚へと戻す羽目になったとか。 いや、俺がなんとなく目にしたものがアレなものだっただけで、もっと価値のある人類の財産的な本もあったはずです、きっと。 ちなみに、俺が運搬している間、地下の階層はもの凄いことになっていた。 図書館地下の本棚から、本が飛び出していた。 それも、一冊とか二冊じゃなくて、ありとあらゆる本が飛び出して、ゆっくりと舞っている。 空を舞う本は、螺旋を描いたり円を描いたり、ゆっくり上昇したり降下したり、それはもう賑やかに図書館島の地下を支配していた。 最初見たときは何処のポルターガイストさんですかと思ったのだが、本がきちんと本棚から本棚に移動しているところから見ると、これがクウネルさんの魔法らしい。 スゲー! 魔法スゲー!! 感動しましたが、それを横目に地底図書館の方に下りようとしたら、本がドガドガ俺の柔らかなボディに突き刺さりました。 いえ、わざとやってませんかクウネルさん? そんなわけで地底図書館に帰るアテもないので、仕方なく地上階の方でのどかちゃんを待つことにした俺でした。 よく考えたら人払いの魔法のおかげで一般生徒さんの目もないので、俺は例え外であろうと大安心で待つことが出来るのだ!! そんな訳で、俺はのんびりと、図書館島の地上階を彷徨いてみた。 無人の図書館。 異世界にでも迷い込んだような………という言葉が頭の中に浮かぶ。 人間の時には何度も訪れた其処が、今は誰一人いない無人の空間と化している。 図書館でありながら、麻帆良独特のあの騒々しさが完全に無くなる訳もなく、いつも完全な静寂が訪れることの無かった図書館。 それが、完全な静寂に押し包まれていた。 なんとウソくさい風景だろうか。 そして、その中を彷徨う自分こそ、なんと嘘くさい存在だろうか。 ………と、感慨に浸ったりしつつも、普通に漫画の新刊をチェックする俺なのですが。 ガッデム、新刊は全部借りられてますよ。 この麻帆良学園の一部の生徒は、この図書館を無料の貸本屋かなにかと勘違いしてるんじゃないかと俺は言いたい。 いや、漫画の新刊を読もうとしていた俺が言う台詞じゃない気もしますけどね!? 仕方ないので雑誌のコーナーを見てみる。 しっかり揃えられている漫画雑誌を流し読みしてみると、お気に入りの連載が唐突に最終回になっていてヘコんだ。 いや、そこに至った過程は分かりませんが、あきらかにあり得ない展開ですよコレ!? まるで世界に取り残されたような気分を味わいました。 しかし、ここのところ日本語の本はほとんど読めない上、ラテン語読解のテキストやら、実用書とかしか読んでなかったので、漫画が異常に読みやすく感じます。 やはり漫画は日本が誇る文化ですよ! そんな感じで図書館の読書コーナーの片隅にあったソファーに身を沈めて、ぺらぺらと触手で情報誌や漫画雑誌の類をめくって過ごすことしばし。 俺が人間だったときは、いつも大抵誰かが使っていて座れなかった高級っぽいソファーである。 なんかマッサージ機能まで付いていたので使ってみると、なんだか訳の分からないところをマッサージされました。 微妙に気持ちがいいような、むしろ単に体が揺れてるだけのような。 なんだかだんだん眠くなるような……。 ……って、いかんいかん、このまま寝てしまったら、俺は間違いなくこのソファを溶かし尽くしてしまう。そう直感した! …………本当に、麻帆良学園の施設の無駄な充実ぶりは謎だ。 そんなこんなで、我ながらどうかと思うほどくつろいでましたが。 何時のまにやら時刻は放課後。 そういえば、のどかちゃんが俺に本を貸しに図書館島に来る時刻である。 うーん、地下があの状態だし、地上階でお迎えした方がいいだろうなぁ。 たぶん俺にだけマシンガンの如く空飛ぶ本が襲いかかるだけだと思うが、そもそも、あれを見て魔法の存在はウソですとか言ったら、このウソつき生命体め!みたいな目で見られてしまう。 いや、のどかちゃんはそんなことは言わないと思うけど。 しかし、地上階で迎えるにしても、どこで迎えたもんだろうか。 図書館の正面扉を開けたら、すぐ目の前に俺がいるというのはどうだろう? …………うん。たぶん、のどかちゃんは気絶する。 でも、地下に下りる階段は一箇所じゃないしなぁ。 そもそも、図書館が閉館だと思って入って来ないかも知れないし。 よし、外で待とう。 俺の用事で来て貰うわけだし、のどかちゃんに無駄足踏ませてしまうのは忍びない。 外に出ても、認識阻害の魔法があるので一般生徒に見られることないらしいし。 なにより俺は、長いこと見てなかった太陽を、唐突に見てみたくなったのだ。 <のどか> 今は、図書館島に続く大きな橋を渡っている最中。 図書館島が今日は完全休館日なので、橋には私以外に人の姿はありません。 『今日からこの学校でまほ……英語を教えることになりました、ネギ・スプリングフィールドです。3学期の間だけですけど、よろしくお願いします』 教壇に立って自己紹介をした、まだ10歳の男の子……先生のことを思い出して、私はつい口元に笑みを浮かべてしまいました。 すぐに、朝倉さんや他のみんなに質問責めにされちゃって可哀想だったけど、ハルナにつかまって真っ赤になった先生の顔はとても可愛かったです。 でも、ホントに私が気になったのは、最初の自己紹介の時の顔で……。 あんな小さい子なのに、ちゃんと『先生』みたいな顔をしてて………私は、その顔をまじまじと見つめてしまいました。 あの時、先生は、教室みんなの目を受け止めて、それでもちゃんと自己紹介してました。 そんなのは、私には絶対無理です。 だから、他の人は、『かわいいーっ』って言ってたけど、私は『かっこよかった』って思えて。 あうぅぅぅぅぅ。 急に恥ずかしくなって、私は手の中に抱えた数冊の本の中に顔を埋めました。 図書館島の、怪物さんに貸してあげると約束した本。 私のお気に入りの恋愛小説。 でも、あんな小さい先生との恋愛の話なんて、その中にもありませんし……。 …………あうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜っ。 恥ずかしさで、顔から火が出そうになる。 あんな小さな男の子に、変なこと考えたりしたらダメですよね。 頭を振って、“変なこと”を追い出す。 そういえば。 橋の上には、やっぱり私しかいない。 今日は完全休館日、だけど図書館島にある図書館には入れるのかな? 入り口が閉まってたらどうしよう……夕映は、怪物さんが来ていいって言っていたなら、なにか方法があるかも知れないし、一応入口まで行ってみたら……って言ってたけど。 夕映が、代わりに行ってくれるって言ってたのを思い出して、私は急に恥ずかしくなった。 教室に夕映が残ったのは、先生の歓迎パーティーの準備。 もしかして、私が昼休みの時にちょっと先生のことを話しちゃったから、気を遣って代わってくれようとしたかも……。 うぅん、ちょっとじゃなくて、私、もの凄く先生のことを話してたような気がする……。 あうううううううぅぅぅぅぅぅ〜〜〜。 コン。 「あぅっ」 足先が、階段に当たってつんのめってしまいました。 顔を上げて見ると、いつの間にか橋を渡り終えていて、目の前には階段がありました。 いけないいけない、ちゃんと怪物さんとの約束を守らないと。 手の中に持っている恋愛小説を抱きしめる。 それに、先生の歓迎パーティーまではまだしっかり時間があるし、急がなくても大丈夫。 もう一度頭を振って、私は階段を上りました。 少し段が高い階段はいつも昇るのが大変だけど、その先に見えてくる図書館の本館を見るのが好きで、私はいつもその階段を上るときは顔を上げるようにしています。 この麻帆良学園に来て、はじめてこの階段を上って、あの大きな図書館を目の前にしたときの感動が、今もまだ胸に残ってるから。 今日も、そうやって顔を上げてから階段を少し早足で上って………。 地面からせり上がるように見えてくる、大きな建物………と……………。 「…………………」 足が、勢いを失って、止まってしまいました。 いつも、人が沢山で入りしている大きな図書館の正面玄関。 だけど今日は其処には誰もいなくて。 ──────────────その代わりに、怪物さんが転がっていました。 いえ、その……比喩表現とかじゃなくて、ゴロゴロって、その沢山ある、足…えぇと、触手?…をグネグネさせながら、左右……えぇと、上下?…に、転がってます。 時々、動きが止まって、その……太い…足…触手……が、ピーンって伸びて、すぐにふにゃふにゃって地面に垂れ落ちて、そしてまた、ゴロンって転がって………。 え? え? ここ……外…ですよね?? 焦って周りを見ても、誰もいなくて。 そ、そういえば、今日は図書館島は完全休館日なんでした。 だから私しかここにいないから、誰もこの光景は見ていないから……大丈夫…なんでしょうか? で、でも、なんていうか……なんでこんなことに…? もう一回見てみると、今度は怪物さんは、太い触手…足?をゆっくりとしならせて……あ、ちょっと勢いをつけて、ゴロゴロ転がって行っちゃいました……。 ………あ、また転がりながら戻ってくる………。 あっ。 なんとなく、その光景に、私の中で唐突に符合してしまったのは、この前にテレビで見た動物番組に出てきた、日光浴をして嬉しそうに転がる子犬のそれで………。 え、でも、それはちょっと……全然見た目が……ええええええ!? どうしよう、こんな時はどうしたら……? ………そんな風に焦っていたせいでしょうか。 いつの間にか、私のことに気付いてしまったらしくて、怪物さんはコロコロ転がる動きを止めて、私のことをじっと見てました。 固まってしまったままじっと私のことを見ている目がなんだか可笑しくて。 「ご、ごめんなさい……」 慌てて頭を下げてみたものの、私の顔は笑ってしまっていました。 ご、ごめんなさい……でも、その……可笑しくて、つい。 怪物さんは、しばらくしてからゆっくりと太い足で立ち上がって、夕映が作ってあげたホワイトボードにメッセージを書いて、見せてくれました。 《今のは忘れて〜〜〜》 ……最後の『て』と『〜〜〜』がつながったそのメッセージは、なんだかちょっと泣いてるみたいな雰囲気があって、私はまた少しだけ可笑しくなってしまいました。 でも、なんだか一生懸命な様子だったので、私もちゃんと怪物さんに向き直って。 「…はい」 しっかり頷いて、さっきのことは忘れることを怪物さんに約束しました。 でも、凄い光景だったなぁ、とさっきの光景を思い出して。 もう一度クスクスと笑う私を、怪物さんが困ったように見ていました。 あんまり外にいると他の生徒さんに見られちゃいますよと注意して、怪物さんには図書館の中に入って貰いました。 そして、私が抱えていた本をお貸しして、とりあえず一段落。 「………でも、誰もいない図書館島なんて、はじめてです」 いつものように、図書が陽に焼けないように、だけど本を読む人が読み辛くならないように、ちょうどいいくらいに陽の光が射し込む図書館。 奥の本棚の方も、ちゃんと白いライトの光が照らしていて、いつもと同じ風景です。 それなのに、人がいないだけで、なんだか寂しい雰囲気になってしまいます。 でも、怪物さんが、一階に来れるのは素直に良かったと思いました。 なんだかちょっと嬉しそうですし。 私が貸した本を太い足に抱えて、大事そうに手にしてくれています。 貸して良かったな、とちょっと思います。 そんな風な怪物さんを見ていると、ふと目が合いました。 なにか考え足るようにしばらく小さい足をふらふらと動かした後、怪物さんは、ホワイトボードにマジックで文字を書き始めました。 そして、私に見せてくれたメッセージは。 《なにか借りていきます?》 いいのかな…? ちょっとズルしちゃってるみたいで、よくないなって思っちゃうけど。 「あの、いいんでしょうか…?」 一応、聞いてみました。 他の人が借りたがってる、新刊とかじゃないならいいかな? そう思いながら、怪物さんを見てみる。 怪物さんは、私の質問に、メッセージをホワイトボードに書いて答えてくれました。 《新刊とかじゃないなら》 思わずその答えに、私はまたちょっとだけ笑ってしまいました。 ……だって、私の思ったことと全く同じです。 怪物さんは、困ったように小さい足を揺らして、私の答えを待ってくれています。 「…はい。借りさせてください」 私は、小さく頭を下げて、怪物さんにお願いしました。 それからしばらく、怪物さんと並んで、図書館の小説のコーナーを見て回りました。 怪物さんは私が本を持ってくるのを待っているつもりだったみたいですけど、せっかくだから、一緒に見てみましょうとお願いしたら、ちゃんと付いてきてくれて。 お気に入りの本とか教えて欲しいですってお願いしたら、怪物さんは、何故かすごく嬉しそうに色々な本をお薦めしてくれました。 お薦めされた本の中のいくつかが、私の読んだ本と重なっていて、それもちょっと可笑しくなってしまったことです。 でも、怪物さんはどうやって普段からこういう本を読んでるんでしょうか……。 夜にここまで登ってきて、借りていくのかな? そんな事を思いながら、ゆらゆらと太い足と小さい足を揺らす怪物さんを見ている時。 ふとした思いつきで、私は怪物さんに聞いてみました。 なんとなく、自分の好きな本を喜んで読んでくれる人だから、もしかしたら参考になるようなことが聞けるんじゃないかって思って。 思いつきだったですけど。 「あの………怪物さんは、恋愛小説って、どんな話が好きですか?」 最初の質問。 なんとなく答えは分かっていましたけど、やっぱり聞いてみたくて。 怪物さんは、私の言葉に動きを止めると、細い足を使ってさらさらとホワイトボードに答えを書いてくれました。 見せてくれた答えは、私が思っていた答えと同じで。 《幸せになる話》 ホントは、それは変な答えだと思いますけど。 なんとなく怪物さんの答えはこんなのじゃないかと思ってました。 「そうですね……。私も、そういうのが、好きです」 クスクスと笑みがこぼれる。 夕映に話したら、物語の結末だけで小説を評価するのは間違いだって言われちゃいそうだけど、それでも私は、やっぱり最後が幸せに終わっていないと悲しい。 それでも、大好きだっていえる小説はあるけど、でもホントは、どんな話だって最後は幸せなら良かったのにって思う。 この怪物さんは、見た目は凄く怖いけど、ホントに優しいんだと思いました。 だから、もう一つだけ、聞いてみたかった質問をさせて下さい。 「あの………もう一つだけ」 怪物さんは、小さい足を揺らして私の言葉を待ってくれます。 私は、聞きたかった質問を……質問をしようとして……口を先に開いて。 あ、あれ? えっと…… 「あの……恋人……そ…その、恋をする、相手……というのは、どんな人なら…………いいと、思いますか? えっと、理想……というか、条件…っていうか………」 こ、言葉がまとまりません……えぇと、変なこと聞かれてたって思われたかも……。 その、聞こうとしたことはもっと別の言葉だったはずなのに、直接的に聞こうとしたら急に恥ずかしくなっちゃって……うぅぅ。 あうううううう、も、もしかして、怪物さんに聞いたら、その、人の話じゃなくて、同じような怪物さんの好みとか答えられるかも……足が沢山ある子がいいとか……? う、えええええ、そ、それだったら、もの凄く変なこと聞いちゃったかも知れません。 怪物さんも、硬直しちゃってますし……。 あ。 怪物さんが、ホワイトボードに答えを書いてくれてます。 ど、どんな答えが出てくるんでしょうか……。 ………でも、私の聞きたかったのはちょっと違うっていうか……。 その、聞きたかったのは、私自身のことで……。 私が、期待半分、残念さ半分で怪物さんを見ていると、ホワイトボードにメッセージを書き終えた怪物さんは、それを見せてくれました。 そこに書かれていたのは。 《どんなことがあっても、守ってくれる人》 ………守ってくれる人。 先生は、どうなんでしょうか。 その、10歳の子ですし……やっぱり、守ってくれるとか、そういうのは。 でも、あの目を思い出して。 ちゃんと皆を受け止めようとしていたあの目は……。 あうぅぅぅぅぅぅ、やっぱり、私は……そうなんでしょうか………? その場に立ちすくんでいると、怪物さんが、小さい足でポンポンと肩を叩いてくれました。 …………もしかして、私が聞きたかったこと、分かっちゃったんでしょうか…? あうぅぅ。 は、恥ずかしいです……。 <ネギ> 「ふーーーー、やっと一段落だーー」 うぅ、また思ったことを口にしてしまった。 そんなことを思いつつ、遠くに授業の終わりを告げるチャイムを聞きながら、僕は女子中等部の校庭を歩いていた。 ウェールズから持ってきた沢山の荷物を背負っているのに、行くあては見つからない。 それも、思ったことを口にしてしまう僕のクセのせいだ。 酷い失恋の相が出ている女の人を見つけて、とっさに女の子にそのことを口にしてしまった。 それだけでも十分に良くなかったと思うんだけど、もの凄く怒って僕の言葉を信じてくれない女の人に、ついつい僕も意地になってしまって、失恋の相のことを繰り返し言ってしまったのが最大の間違いだったと思う。 それで、その女の子完全に嫌われてしまったのはしょうがないんだけど。 学園長先生に言われた僕の宿泊先が、その子の部屋だったそうで……。 トントン、と軽快な音が近付いてくる。 それは足元に転がってきたボールで、思わず拾い上げた。 「あ、先生ーーー」 「センセ、ボールとってーーーー」 誰のモノかと思って周りを見てみると、校庭の隅で遊んでいた女の人たちが手を振っている。 えぇと、確か僕の担任するクラスの女の人だったはず。 だけどとっさに名前が出てこない、早く憶えないといけないな、と思った。 その後ろでは、物珍しそうな顔で別のクラスの人が僕を見ている。 「あ、はーい」 名前を思い出すのを諦めて、僕はボールを女の人たちの側まで歩いていって渡した。 両手でそれを受け取ってくれた女の人は、にっこりと無邪気に笑ってお礼をしてくれる。 「センセー、ありがとー」 うーん、やっぱり子供だと思われてるんだと思うけど。 やっぱり先生って読んでくれるのは嬉しいな。 二人に小さく手を振って別れる。 今度は、もっとちゃんと『先生』って呼ばれるようにしないと。 あの噴水の側で、タカミチに貰った出席簿を見てみようかな……。 みなさんの名前を憶えて、それから、少しづつちゃんと『先生』だって認めて貰おう。 そんな風に思って、一歩踏み出したとき。 「……あれ?」 視界に、不思議なものが見えた。 目を擦って、もう一度視線の先のものを見る。 「……あれって、人払いの魔法……」 口に出してから、慌てて自分の手を口で押さえる。 急いで周囲を見回した誰も聞いていないか確認。良かった、誰も聞いてなかった。 安堵してから、もう一度、そこを見る。 麻帆良学園の片隅から延びた橋の先、一つの島の中に建てられた大きな建造物の集まり。 図書館島、と呼ばれる施設だと思い出す。 簡単に教えて貰った麻帆良学園の話の中で、その図書館は、とにかくもの凄い蔵書があるって聞いたのを憶えてる。 だけど、その図書館が、魔法で作られた結界に護られてるのは……なんでだろう? タカミチは、麻帆良学園の中のことはあまり教えてくれないけど、あの図書館には、タカミチや学園長の他の魔法使いの人がいるって事なのかな? 目を凝らして、図書館を見る。 …………認識阻害の魔法もかかってる 普通の人が入れないようにして、なにをしてるんだろう? ───────────────あれ? そこに見えたのは、僕のクラスにいた女の人だった。 教卓の正面、二番目の席に座っていた、前髪の長い大人しそうな女の人。 名前を思い出そうとする……………………………思い出せない。 そっか……出席簿をまた見直さないと。 でも、あの女の人と一緒に、図書館に入ったモノ……。 ……………あれは、なん………だろう? 背筋が冷える感触がする。 ずっと昔の、どこか遠くに置いておいた記憶が、僕になにかを訴えかける。 忘れてはいけない、けれどそれに引きずられて足を止めてはいけないと、お姉ちゃんに優しく諭されて、だから、心静かに思い出せることが出来るはずの記憶。 僕はアレを、アレの仲間を、僕は見たことがある。 きっと、見間違いだと思いながら。 僕は、図書館島を目指して駆け出した。 |