第13話 「地底の怪物の謎」





<夕映>



 図書館探検部では、地下階層へ降りる際のルートと言えば、図書館島地下の北区画における名所の一つである巨大な本棚……北端大絶壁をフリークライミングで下りるのが基本なのですが。

 怪物さんの先導で辿り着いたの場所は、巨大な滝が流れると共に広い空間に灯りが満ちている大絶壁とは違い、あまり光の届かない奈落の底へ続いているかのような巨大な空洞でした。

「わー…、すごい……」
「地下へ降りるのに、こんなルートがあったですか……」

 懐中電灯で、巨大な穴の底を照らします。
 ですが、懐中電灯の先から伸びる光の帯は、闇に呑み込まれて何も照らしませんでした。

「一体、この穴はどれくらい深いんでしょうか……」

 私の呟きに、のどかは声を失っています。
 地下の底から吹き上げてくる風に前髪が煽られているのに、のどかは髪を押さえもしないで、じっと目を開いてこの深い闇の底を見ていました。

《落ちないように気をつけてね》

 ふと視線を後ろに向けると、すぐ側に怪物さんが、長い触手を床に垂らしたまま、触手で持ったホワイトボードをこちらに見せていました。
 触手の先が少し浮いたり下りたりしているのは、私達が落ちそうになってもすぐに捕まえられるようにでしょうか。

「はい、気を付けるです。………気を付けるですよ、のどか?」

「ひゃっ…う、うんっ」

 声をかけると、のどかは驚いたように小さく体を跳ねさせてから、こっくりと頷きました。
 のどか……思わず魅入ってしまうのは分かりますが、慌てて動くから怪物さんが一瞬ビクッて触手揺らして焦ってたですよ。

 あらためて、もう一度穴の底に視線を戻して、懐中電灯の照らす範囲を横に動かしてみます。

 丸く口を開けた空洞の外壁は、北端大絶壁と同じように本の類が並べられていますが、いつ見ても整然と本が並べられている大絶壁と違い、こちらに並べられた本は虫食いのように途切れ途切れになっているようです。

「………ここに置かれている本は、他の本棚と違ってちゃんと並んでないですね」

「あっ……本当だ。私も、図書館島の地下にある本棚って、全部綺麗に並べられてるんだって思ってた……」

 私の言葉に、のどかも感心したように言葉を返してくれます。

 これは、図書館探検部でよく口にされる図書館島の謎の一つで、図書館島地下に無数に置かれている本棚に並べられた本は、全てが綺麗に分類別に、著者ごとに並べられているのです。

 噂話になりますが、昔の図書館探検部の部員の一人が、この分類に異議を申し立て、あえて並び順を変えて回ったことがあったものの、一夜にして全て元に戻っていたという伝説があります。
 ………眉唾物の話と思っていましたが、こういったものや、怪物さんのような存在を見た後だと、ちょっとそれがただの作り話とは思えないですね……。

 図書館島探検部は、この図書館島に敬意を示すため、地下で読みたい本を発見した場合も、出来る限りその場で読むようにし、借りてくる場合は借りた本棚を憶えて、必ず元の場所に戻すのがマナーとなっています。
 実は、普通に地上に置かれている借りた本の返却ポストに入れても、ちゃんと地下の本棚に返されるという話もあるのですが。

「怪物さん、この本棚の本がバラバラな理由を知ってるですか?」

 もしかして思って聞いてみると、怪物さんはホワイトボードに理由を書いて見せてくれました。

《予備と、巻が揃わなかった本ですよ》

 怪物さんの答えに、私とのどかは揃って目を見開きました。

「そっかぁ……」

「なるほどです。そう言われてみると、図書館島地下深くにある本棚の本は、基本的に同じ種類の本が重ならないようにちゃんと全巻揃えて置いていましたね」

 そうじゃなかった本は、こういう、図書館探索部の人間にも知られていないようなスペースにまとめて置かれているのですね。

 なんだか、普通は知られることのない図書館島の面を見たような気がします。

「しかし……これだけの本がどれもちゃんと巻が揃っていないというのは……なんというか、本好きとしてはもどかしい感じがするですね」

 懐中電灯でゆっくりと空洞の外壁を照らす。
 照らし出される本棚の全てが、バラバラのサイズのものが並べられていたり、一つの棚の中に数冊だけがポツンと並べられていたり。

「………うん。ちょっと、可哀想……いつか、ちゃんと揃って本棚に並べたらいいのにね」

 のどかも、同じ本好きとしてこのもどかしさが分かってくれるのか、頷いてくれました。

 ふと後ろを見ると、怪物さんも………。
 ………えぇと、これは同意していると見ていいのでしょうか。
 単に前後に揺れているように見えますが、文脈からすると頷いているのですよね…?

 怪物さんの動きについては、研究の余地があるというか……そもそも、見た目のインパクトに慣れるのが肝心です。
 あまりにも見た目が……なんというか、悪夢的というか……特徴的すぎて、どんな動きをしていても、怖いことをしてきそうな気がしてしまうのです。

 そんなことを考えつつじっと見ていたら、怪物さんがホワイトボードになにか書き始めました。

《同意してました》

 ………あうううう、つい疑わしげ視線を送っていました!?
 分かってたのについつい傷付けるような態度をとってしまったです!

「い、いえ、頷かれていたのは分かっていたのですよ!? ちょっとこう、怪物さんの見た目の怖さを克服する方法を模索していただけというか……」

「ゆ、ゆえ〜? それは、フォローになってないんじゃ……」

 のどかに服の端を引っぱられて慌てて怪物さんに向き直ると、怪物さんは通路の端に小さく丸まって、触手の先で床に丸を書いてました。

 かっ、完璧に傷ついてます!!?
 というか、何故こういう時だけ分かりやすい動作をするんですか!?

「ごっ、ごめんなさいです!」

 慌てて、側まで行って何度も頭を下げる。
 すると怪物さんはこちらに向き直って、少し慌てたようにホワイトボードに文字を書いて、私とのどかに見せてくれました。

《冗談です》

 …………こ、これは、どう反応すればいいのでしょうか。
 思わず脱力して壁に手をつくと、のどかがホッと息をついているのが見えました。

 と……とりあえず、怪物さんは許してくれそうです。

 深く息を吐いていると、怪物さんはホワイトボードに小さく《ごめんね》と書き足してから、チラッと私に見せてくれました。
 私が何か言う前に、すぐに消してしまいましたが。

 そして、何事もなかったように、地下へと続く空洞の方へと大きい触手をゆらゆらと揺らしながら行ってしまいました。
 傷ついていたのに冗談で場を軽くしてくれているのか、本当に最初から単なる冗談だったのか、全然見た目から何を考えてるのかが分からないのです……。

 あの動きを見てるうちに、なんとなく分かるようになるものなのでしょうか…。
 ………見た目のインパクトが強すぎて全然分からないです。

「あっ、そうだ……ゆえ、ロープは何メートルくらいのを持ってきた?」

 またついつい怪物さんの触手の動きを見ていた私は、のどかの声で我に返りました。

 そういえば、地下へ降りるならロープを掛けないといけないですが、そもそも、私達の持ってきたロープが大絶壁よりも深そうなこの巨大空洞の底までちゃんと届くかどうか……。

 試しに怪物さんに巨大空洞の深さを聞いてみたら、私の持ってきたロープの長さの、2倍近くの深さを答えられてしまいました。

「ムムムム……どうしたものでしょうか。のどかのロープと私のを結べば……」
「それだと重さに耐えられないし、危ないよ〜…」

 いけません、のどかの言葉の通りですね。
 先に進むことに目が眩んで危険を犯すのは愚行以外の何者でもないですね。

「それなら、今日はロープで途中まで下りて、この空洞の壁面にある本棚を見てみるですか」
「うん。私はそれでいいよ」

 のどかも頷いてくれたので、後はロープを掛けるところを探せば……。
 周りを見回していると、先ほどから巨大空洞の縁に待機していた怪物さんが、触手で自分を示していました。

「怪物さん、そんな端にいると落っこちるですよ」

 この図書館地下の移動には慣れているとは思いますが、万が一ということもあるので一応注意してあげました。
 すると、何故か触手を一度震わせてから、怪物さんは………。



 いきなり巨大空洞の底へと飛び込んでいってしまったのですが。



「か、怪物さんーーーーっ!?」

「いきなりどうしたですかーーッッ!!?」


 慌ててのどかと二人して巨大空洞を覗き込むと、空洞の中へ落ちたと思っていた怪物さんは、すぐ目の前に壁面にぺったりと貼り付いてました。


「……きっ、きゃあああああああああああああああああああああああッッ!!?」
「ひ…ひゃあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!?」


 思わずのどかと二人で抱き合ったまま悲鳴を上げると、怪物さんは触手を穴の縁に貼り付けて再びひょいと登ってきました。

 なんというか、確かに想像して然るべきことでしたが……あぅぅ、決して口に出したりはしませんでしたが、見た目的にもの凄く気持ち悪いです。
 蜘蛛ぐらいのスピードで壁を移動する巨大な蛸みたいな感じでしょうか。

 そして、戻ってきた怪物さんは、ホワイトボードにすらすらと文字を書いて見せてくれました。

《イヤじゃなかったら、底まで連れていけます》

「………………」

「………………」

 のどかと二人して顔を合わせて。

 二人同時に怪物さんの方に向き直って、声を揃えて言いました。



「お願いします!」
「お願いするですっ!」



 見た目の怖さより、この大空洞の下にある本への好奇心の方が、二人とも遙かに上なのでした。









 大空洞の底へ怪物さんの太い触手に巻き付かれたまま降りて行ってから、2時間後。

 私とのどかは、下りた時と同じく怪物さんの太い触手を腰に巻き付けたまま、再びこの大空洞のの底から戻ってきていました。

 底へ下りる時はもの凄く気になっていた腰に巻き付いた触手の感触も、いい加減数百メートルもの登り下りを付き合えば、すっかり慣れっこになってしまったのです。
 さすがに下を見るのは怖いので、目の前を流れていく壁面の本棚を目で追っていましたが。

 ひょいと床に下ろして貰って、触手を解いてもらいます。

 しばらく、足元を足の先でトントンと叩いて感触を確かめます。
 久しぶりに踏む硬い床の感触は、やはり安心するものです。

「………はううぅぅ〜〜」

 隣では、のどかがふにゃりと床にへたり込んでいました。

「ムム、情けないですよ、のどか。図書館探検部の一員としてこのくらいの探検でへこたれてはいけないです」

 手を引いて立ち上がらせてあげると、のどかも少しは慣れていたのか、なんとか立ち直りました。
 ついでに、埃まみれだったのどかの服を軽くはたいて、汚れを落としておくのです。

「あ、ありがとう……。……ゆえも、埃まみれだよ?」

 クスリと笑うと、のどかも私の服の汚れを軽くはたいてくれます。
 最後に髪の毛についていた埃もはたいて貰って、やっと一段落しました。

「ふー……お互いホコリまみれだったようですね。のどか、ありがとうです」
「うん。……ゆえも、ありがとう」

 二人で顔を揃えてクスクスと笑う。

 ふと、怪物さんの方を見ると、いつの間に書いたのか、太い触手の中にメッセージの書かれたホワイトボードを手にして、私とのどかに見せていました。

《おつかれさま》

 のどかと二人で並んでそのメッセージを見てから、お互い顔を合わせる。

 とても疲れましたが、なかなか有意義な時間……探検だったのです。
 まだまだ見て回りたい場所はありましたが、今の私の好奇心は十分満たされています。

 だから、二人揃って、怪物さんに頭を下げました。

「今日はありがとうございました!」

 二人の声が綺麗に揃う。

 頭を上げると、怪物さんは照れたように触手をくねくねとよじらせています。
 ……この二時間で色々ありましたから、だいぶ見た目で分かるようになってきたのです。

 のどかも分かるのか、口元を手で隠してクスクスと笑っていました。
 それを見て、私も口元を緩めてしまいます。
 やっぱり、この怪物さんに、友達になりたいとお願いしたのは正解だったですね。

 なんとなく、もう一度お礼を言いたくなりました。
 そう思ったのですが、怪物さんを見ると、またホワイトボードにメッセージを書いています。

《本は借りてこなくて良かったの?》

 ひょいと持ち上げて見せたホワイトボードには、そう書いていました。
 ……怪物さんの質問の通り、私とのどかは結局一冊も本を借りては来なかったのです。
 それは、地下へ降りて、其処に並べられた本棚の中の凄い蔵書の列を見たとき、のどかと二人で決めたことなのです。

「はい……。その、怪物さんに連れていって貰ったのは嬉しかったですけど……」

 怪物さんが気にするのではないかと心配してそろそろと言葉を選ぶのどかの代わりに、私がその言葉を継いで理由を話しました。

「いつか、自力であそこまで下りた時こそ本を借してもらおうと、のどかと決めましたです」

 私達の言葉を受けた怪物さんは、少し触手をクネクネと揺らしていましたが、何か思いついたのか、返事をホワイトボードに書いて見せてくれました。

《他の友達に悪いから?》

 ……ハルナや、木乃香さんのことは直接は口にしていなかったと思うですが。
 なんとなく、罪悪感を感じていたことを気付かれてしまっていたのでしょうか。
 まだまだ私も修行が足りないです。

「……そうです。いつか、一緒にあの地下の風景を見たい友達がいるです」

 怪物さんのメッセージに頷く。
 本当なら、怪物さんのことを紹介してしまいたいものですが、それは叶わぬ夢ですから。

「私も…です。だから……いつかそこを見に行く時は、自分達で頑張ります…!」

 のどかが頭を下げる。
 怪物さんは、困ったように触手を震わせると、慌ててメッセージを書いてくれました。
 急いだせいか、あまり綺麗じゃないカクカクした字で。

《トモダチ思いですね》

 ……そんな感想を急に書かれると、急に恥ずかしくなってくるのですが。
 のどかも思わず赤くなってうつむいています。

 怪物さんは、どこか嬉しそうにそのホワイトボードを揺らして私とのどかにひとしきり見せると、もう一同裏返しにして、新しいメッセージを書き始めました。

 何故か、今度は少し心配そうにそろそろと書かれたメッセージを見せてくれる。
 そのホワイトボードには、こう書いてありました。

《もしその時にこっそり見守ってても、許してください》

 そのメッセージに、のどかの表情が驚いたものになる。
 たぶん、私も驚いてしまっていると思います。

 ………もしかして、この怪物さんは、本当に“図書館の精”なのでしょうか。

 あまりにも始めに出会ったときのインパクトが強すぎて思わず否定していましたが、なんだか今になって不思議と信憑性が出てきてしまった気がするです。
 のどかは、ちょっと感動してしまっている様子で、もしかしたら私と同じく“図書館の精”説を信じかけている……というか信じてしまっているんじゃないでしょうか。

 でも、自分で否定していましたし、さすがにそれは無いと思いますが………ムムム。









 怪物さんにお礼を言ってから別れて、のどかと二人で女子寮まで帰る道。
 二人で怪物さんが一体何者なのかを話しましたが、やっぱり答えは出てきませんでした。

「……分からないけど、怪物さんは“友達”でいいと思う……」

 控えめに口にしたのどかの言葉が、結局、その論議の結論になりました。
 私も、とりあえずはそれでいいと思います。

 それで、話が一段落したのですが。

「…………そういえば、帰り道の途中で、怪物さんと何か話してメモをとっていたみたいですけれど、なにをお願いされていたですか?」

 私は、ふと思い出したことをのどかに聞いてみました。
 あの時は色々と考えることがあったので気にしてませんでしたが、のどかは帰り道に色々と怪物さんと話して、なにかメモを書いていたのです。

「あ……うん。怪物さんの読みたい本をね、上の方の階には行けないって困ってたから、代わりに借りてきてあげる約束をしてたの」

 のどかの答えに少し驚きました。
 いつの間にか、のどかもあの怪物さんと凄く打ち解けたらしいです。
 それも、一人で借りられる数が決まっている上の図書館の本を代わりに何冊か借りてきてあげるとは、本好きののどかにとってはとても重要なことでしょうし。

「そ、そうでしたか……あの、とても興味があるのでお聞きしたいのですが、あの怪物さんが借りてみたいとお願いしていた本は、一体どんな本だったのでしょう?」

 もの凄く気になります。
 なんというか、見た目でどんな本が好きかを推測するのは一切無理ですし。
 いえ、なんというか、悪魔的な呪いのホントかを読んでそうなイメージはあるのですが。

「……ふつうの本だよ?」

 そう言ってのどかが見せてくれたメモには、本当に普通の本でした。
 というか、のどかやハルナが読むようなファンタジー小説や恋愛小説などの名前が普通に並んでいるのですが。

「……ふ、普通というか……………えぇ!?」

 これ、本当にのどかが借りたい本じゃなくてあの怪物さんが借りたい本なのですか!?
 もの凄く本の好みが普通すぎて意表を突かれましたのですが……。

「う、うん……私も、何冊か薦めちゃったし………でも、好きな作家さんとか、いくつか一緒だったよ? だから、気に入って貰えると思ったんだけど……」

「あっ、い、いえ……それは全然問題ないと思うのですが……えぇと……」

 私の反応に驚いて困っているのどかに、慌てて首を振った。
 うぅ、本当に分からなくなってきました……。

 あの怪物さんが、のどかが推薦する甘い恋愛小説を読みふける姿を想像すると……なんというか、凄まじい頭痛に襲われる気がするです。
 ファンタジー小説なんて、むしろ怪物さんの存在そのものがファンタジーのような気がするのですが、読んでいて何か疑問を感じないのでしょうか?

 ま……ますます、あの怪物さんの正体が分からなくなってきました……。






<主人公>



 女の子二人を見送ってから地底図書館へと戻ると、クウネルさんが待っていた。
 クウネルさんは、いつものようにニコニコと穏やかに笑っている。

 ただいまーって感じで触手を振ると、クウネルさんも小さく手を上げて挨拶してくれた。

「お疲れさまでした。女の子二人をしっかり最後までエスコートして、なかなかの紳士ぶりでしたね。私も上司として鼻が高いです」

 見た目は全然紳士じゃないですけどね〜。
 とはいえ、二人にはちゃんと喜んで貰えていたみたいですし、クウネルさんが探索の手伝いを許可してくれたお陰でとても助かりました。

 ねぎらいの言葉に感謝しつつ、ホワイトボードに感謝の言葉を書く。
 クウネルさんに見せたメッセージは。

《ありがとうございます》

 俺はいつもこのメッセージをクウネルさんに見せている気がするけど、こういうメッセージはその時々にちゃんと書くのが当然だと思う。
 それに、いくら書いても感謝し足りてないよなぁ。

「いえいえ、お気になさらず。部下を満足させるのも上司の仕事ですよ」

 人差し指を立ててウインク。
 もの凄く綺麗な顔立ちのクウネルさんがそれをやると、ちょっと怖いくらい絵になる。
 思わず小さく拝んでしまった。

 ……というか、いつの間にか俺はクウネルさんの部下として認められていたらしい。
 最近はドラゴンさんの餌やりの仕事も慣れてきたし、そういうところが認められたのかな。
 働きがいがある職場で嬉しいけど、それ以外の仕事もそろそろやらないとなぁ。

 とりあえず、いつものように移動時には持ち歩いているクウネルさんから頂いた救助セットの入った小さいバックを太い触手の根っこから取り外して、荷物置き場にしているテーブルの置くに片付ける。

 そしてホワイトボードにクウネルさんへの質問を書いた。

《お仕事ですか?》

 基本的にはクウネルさんって、お仕事の話とか説明以外ではここには来ないからなぁ。
 たぶん、いつもはここよりさらに地下の方で、俺の想像も付かないような魔法とかの何かをやってるんじゃないかと思うけど。
 謎の魔法使いさんだし。

「いえいえ、今日は、この前に貴方に溶かされたラテン語などの教材をお渡しに来たんですよ」

 あ、それはありがたいです。
 どこから取り出したのか分からないけど、クウネルさんが空中に手を出すと、魔法みたい数冊の本が現れて、その手の中に乗った。
 ………いやいや、魔法みたいというか、本当に魔法なんだろうけど。

「今度は溶かしちゃダメですよ?」

 ニコニコと笑いながら、荷物置き場のテーブルにそれを乗せてくれる。
 笑顔が微妙に怖いので、やっぱりまだちょっとは根に持たれてるみたいだな〜〜。
 うぅ、昔の俺の馬鹿。

 慌ててホワイトボードに返事を書いてお見せする。

《もうしないですよ〜》

 ここ数日で俺は大分、この洋服を溶かす粘液を抑える技術のレベルを上げた。

 なにしろ今日は、制服を着た女の子二人をに時間もエスコートしたのに、二人とも制服を溶かしたりすることなく完璧に最後までお見送りすることに成功したし。

 ……いやいやいや、俺は別に制服の女の子の服を溶かすような習性なんて持ってません。

 あれは単なる事故でした。
 二度とやりません、ホントに。

 俺が内心で激しく自分の存在について葛藤している様を見ながら、クウネルさんはニコニコととても楽しそうに微笑んでいた。
 ……もしかして俺の内心とか普通に読まれちゃってますか?

「……服を溶かすと言ったら………最近は、キティがよく遊びに来ているようですね?」

 えぇぇぇぇぇぇぇ、なんですかその会話の流れっ!?
 あと、キティって誰ですか!?

 ワタワタと触手をくねらせてると、クウネルさんは俺の様子に気付いて補足してくれた。
 もちろんとてもいい笑顔で。

「ああ、分かりませんでしたか? キティというのは、あの可愛らしい吸血鬼の……」

 あ、エヴァンジェリンさんですか。
 …………え? キティって……えぇ!? きてぃ……鬼帝??

 鬼帝エヴァンジェリン……ああ、そう言われてみるとなんとなくしっくりする気がする。
 ものすごく長生きしてたとか、昔は悪いことしてたぞーって言ってたし、きっとそんな感じの名前で恐れられていたんだろう。
 なんだか時々鬼みたいだしエヴァンジェリンさん。

『鬼帝様ッ!! 人間共が貢ぎ物を捧げにやって来ましたッ!!!』
『フン、この程度の貢ぎ物では足らんわッ!! 我が力を思い知れ、真祖ビームッ!!!』
『ぎゃーーっ、ごめんなさい鬼帝様! 次は今回の二倍持ってきます!』
『フハハハハハハッ、分かればよいのだ。もっと我を恐れて敬うが良いぞー!』
『鬼帝さま万歳! 鬼帝さまバンザーイ!!』
『はーっはっはっはっはっ、最高の気分だぞ! もっと褒め称えろー!』

 おー、脳内で想像してみるととても自然だ。
 きっと今はずいぶんと丸くなったんだろうなぁ。

 あれ、でもそんな呼び名を知ってるって事は、クウネルさんはよく知ってるのかな?
 疑問をホワイトボードに書いてぶつけてみることにした。

《お知り合いですか?》

 ホワイトボードを触腕で持って見せてみると、クウネルさんは何故かにこにこと穏やかに笑ったまま、しばらく沈黙した。
 考え込むように顎に手を置きながら、クウネルさんは答える。

「……そうですね。やはり黙っていた方が面白そうですし、エヴァンジェリンには私のことは秘密にするようにお願いします」

 了解しましたー。
 面白そうだからっていうのがとても不思議ですが、上司様の命令なので勿論従うのです。
 もしかしたら、クウネルさん的にエヴァンジェリンさんに気を遣っているのかもしれないし。

 昔のエヴァンジェリンさんの話をしたらきっと気まずいだろうから。



 ………うん。やっぱり、鬼帝エヴァンジェリン様とか人に呼ばせるというのはちょっと恥ずかしいですよね。









つづく