第11話 「図書館島の友人」





<主人公>



 今日も今日とてドラゴンさんの餌やり係。

 今回の戦績は、一勝二敗でした。
 警戒はしていたのだけど、本気になったドラゴンさんの噛みつきスピードは驚異でした。
 やはりドラゴンさんは俺の足をトッピングとして食べる気満々らしい。

 ちなみに、味付けに振ってみた塩コショウは割と好評でした。

 それが終わって、地底図書館の中でまったりと英語の本を読んでいたところ。
 クウネルさんがいつものように視界の外からまるで最初からそこにいたかの如く現れた。

 俺はすかさず、立ち上がると、ホワイトボードに文字を書き。

《申し訳ございませんでした》

 ホワイトボードを両手で掲げつつ、クウネルさんを土下座でお迎えしたのでした。









 昨夜はたっぷりエヴァンジェリンさんに魔法使いのルールというものを教え込まされた俺は、、俺の行動が周りの魔法使いの人まで責任を取らされるかも知れないという事実をやっと理解したのである。
 エヴァンジェリンさんとしては、高畑先生とかエヴァンジェリンさんのことを言っていたのだと思うけど、俺からすると、何より責任を取らされそうな人の名前にまず浮かんだのはクウネルさんだったのである。

 現場責任者的な感じだし、これは確かに良くない。

 存在自体が秘密の人だからよく分からない気もするけど、学園長先生は少なくとも知ってるみたいだし、もし俺が原因で何かがあったら、クウネルさんが一番責められそうだ。

 というわけで、土下座でお出迎えとなったのである。

「フフフ……構いませんよ? 面白そうになってきましたし、この調子でやって下さい」

 俺の行動に、クウネルさんはいつものように穏やかな顔で笑って許してくれた。

 ……なんだか、この人は誰に責められても全然大丈夫な気がしてきたのは秘密だ。
 とはいえ、こんな風に気軽に許してくれるのは嬉しい。

 触手数本を使って少し体全体を持ち上げ、体の下に折り畳んでいてた足元の触腕を戻す。
 体というよりほぼ体全体が触手の塊である俺には、一部でも触手を折り畳むというのは全体の動きに酷く制限がかかる。
 折り畳んでいた触腕を戻すと、一緒に巻き込まれていた数十本の触手も解放されて、解放感を楽しむように空中を踊るように揺れる。
 最後に、体全体を下ろしてから、7本の触腕を床に下ろした。

「…………ところで、今のポーズはなにか柔軟体操的なもので?」

 いえ、土下座でした。
 それから土下座終了のコンボで。
 さりげに俺の考えを読んでくれるクウネルさんでも、分からないことはあるらしい。

 自分でも今の動きは土下座とかいうレベルではない気はしていましたけど。

 しかし、今から土下座と説明するのもどうかと思うので、話を変えることにする。

 とある悲しい事故によって二つに裂けて半分になったホワイトボードに、借りただけなのに結局女の子から貰ってしまったマジックで、文字を書き込む。

《タンクはとってこれませんでした》

 昨日のことも知っている様子だし事情は話す必要はないのかもしれないけど、依頼を果たせなかったのは事実なので、ちゃんと報告しておく。
 せっかく任された仕事なのに、あっさり失敗(?)してしまったので、ちょっと心苦しいのだ。

「いえいえ。昨晩何があったかに関しては魔法で見ましたから、お気になさらず」

 割と真面目に気にしていたのだけど、クウネルさんはあっさりと流してくれた。
 そして、触手の先に俺が持っている割れたホワイドボードを見て口を開く。

「しかし、見事に割れましたね。力作だったのですが」

 はい。見事に割れました。
 たぶん液体窒素浴びて脆くなっていたのだと思うけど、詳細は不明です。

 ……なにかもっとこう、未知のパワーが加わっていたような気もします。
 それについて研究するのは危険だと俺の本能が告げているので、追求はしませんけど。

「代わりの品は女の子が用意してくれるそうですし、ホワイトボード二号の製作は止めておきましょう。女の子からのプレゼントなんて、良かったじゃないですか?」

 笑顔で言ってくれるクウネルさん。
 おおおおおお、そう言えば今までの人生で初めてかもしれない。
 いえ、単なる弁償の品なんですけど。

 しかしよく考えたら、俺もあの女の子の着ていた服その他をパーフェクトに溶かしてるし、弁償しないといけないんじゃないだろうか。

 ………弁償しようにも、俺はお金持ってないしなぁ。

 そういえば、エヴァンジェリンさんの服も溶かしてたし。
 あの服は、俺の記憶が正しければ女史中等部の制服だったはず。

 ………麻帆良って制服が結構高いんだよなぁ。

 昨日うっかり溶かしてた女の子のもそうだったし……って、俺、よく考えたら制服ばっか溶かしてるじゃん!?
 うわああああああ、エヴァンジェリンさんの言う通り変態生命体っぽいよ!!?

「なにかしら葛藤されているようですが、さすがにここまで独創的なダンスになると、この私にも理解不能ですね………」

 おわ、すいません。
 いかんいかん。

 クウネルさんに、どうにかならないか聞いてみよう。
 あんまり迷惑はかけたくないけど、何も言わないよりは言った方がいいだろうし。

《お返しをしたいのですが》

 俺がホワイトボードに書いて見せた言葉に、クウネルさんは少し思案の顔を浮かべた。

 いえ、あんまり真剣に考えなくても良いですよー。
 お給料とか貰っても使う場所がそもそもありませんし、直接に現金を渡すのはあからさまに不自然だからアウトだろうし。

 そういうことを伝えた方がいいだろうかとホワイトボードを触手に掴んだところで、クウネルさんが満面の笑顔でポンと手を叩いた。

「こういうのはどうでしょうか?」

 ピン、と人差し指を上げて、クウネルさんが提案した。

「あの子達は図書館探検部のようですし、図書館島を探検するのを手伝ってあげては?」

 え、いいんですかそれ。
 俺が手伝うのは、もの凄く掟破りのような気がするんですけど。

「そうですねぇ………秘匿レベルが一般人に許可されている範囲の階層なら許可します」

 だいたい中階層くらいまでですか。
 確か、図書館探検部の大学部の人たちが、その階層まで到達しているとかなんとか聞いたことがある。

 でも、その許可はありがたいなぁ。
 モノで返す訳じゃないから、俺も変に気を遣わなくて良いし、あの子達も喜ぶだろうし……いやいや、しばらくは怖がってついてこないと思うけど。

 お礼の言葉をホワイトボードに書いて、クウネルさんに見せる。

《ありがとうございます》

 あまりたくさんの文字を書いても時間がかかるだけなので、それだけを書いた。
 丁寧に書いたし、心はしっかりこめているつもりです。

「いえいえ、これぐらいは構いませんよ。面白そうですしね」

 クウネルさんは、穏やかに言ってくれた。

 あと、基本的にクウネルさんは面白そうなら割となんでもOKな人なのだろうか。
 奥が深い人だなぁ。
 さすが謎の魔法使いさんだ。

「……ところで、その女の子達なんですが」

 感心していると、唐突にクウネルさんが指を一本真上に上げて、言った。

「図書館地下に降りてきていらっしゃっていますね。たぶん、地下三階まで降りて、貴方を探すつもりなんじゃないでしょうか?」

 ええええええええ、いきなり昨日の今日なのにですか!!?

 いかん、心の準備が……って、そんな暇ないしっ!

 この地底図書館から地下三階まで登るのは結構時間がかかるのだ。
 トラップも無駄なぐらい充実している地下三階で待ちぼうけをさせるわけにはいかないし、急いで登らないといけない。

 実は、高畑先生やエヴァンジェリンさんが使ってる地上直通エレベーターを使えば全然早いのだけど、そんなことしたら地上から地下三階に俺が下りる間にパニックホラーな状況が発生してしまう。
 パニックホラーだとラストで俺が死ぬのが決定済みなので、一般人の目に付かないように俺は地下の中を這い登って進まざるを得ないのだった。

 急いでホワイトボードに別れの挨拶を書いて、クウネルさんに見せる。

《行ってきます》

 よし!! 登るぜ絶壁50メートル!!!

「ああ、ちょっと待ってください」

 ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!? なんか急に全身が重くなったよ!!!?

 地面にぺったり貼り付けられつつクウネルさんを振り向くと、ニコニコしながら地底図書館の奥で地下風に吹かれて揺れている、白い布状の物体を指で示した。

「…………あれをお返ししないと」

 わーーーーい、忘れてました。
 いえ、実は忘れたことにしたかったというか。
 高畑先生とかにお渡ししてそれとなくお返ししてあげて欲しかったというか。

 いえ、実際そんなことお願いしたら高畑先生が社会的にピンチに陥りそうだし、絶対ダメだというのは分かっているんですが。

「こんなこともあろうかと思って、お渡しするのによさそうな可愛らしいピンク色の紙袋も用意しましたので。リボンつきですよ?」

 気配りありがとうございます。

 ………クウネルさん、絶対面白そうだから用意しましたね?

 恨めしげな目で見ると、クウネルさんはいつものように穏やかな顔で微笑んでいた。






<タカミチ>



 なんだろう……今、一瞬寒気がした。
 なんだか社会的に抹殺されそうな予感というかなんというか……気のせいかな。

 二月に入って大分暖かくなってきたというのに、風邪でも引いたか。

 そんな風に考えてから、自分に苦笑する。
 そもそも多少冷え込んだ程度で風邪を引くような半端な鍛え方をしているつもりはない。

 そんな風に思ってしまったのは、自分がここのところずっと、この麻帆良学園で教師の務めを続けていたせいなんだろう。
 日常の中で腕を錆び付かせたつもりはないけれど、生活の感覚が日常の中に埋もれていくのは避けられないのかもしれない。

 もうすぐ予定されている、自分が受け持っているクラスの担任の交代が済んだら、しばらく麻帆良学園を離れて感覚を取り戻すのも良いかも知れない。

 いや、そうしなければならない、のか。

 女史中等部の校舎から、職員講堂に移る渡り廊下に出るのを待って、煙草を口に挟んだ。
 外の風が吹き込む渡り廊下なら、喫煙も大目に見てくれるだろう。

「高畑先生、講堂は禁煙ですよ」

 煙草の先に火を灯したところで、そんな声がかけられる。
 職員講堂からこちらに近付いてくるのは、硬く、どこか厳しく見える顔立ちに細長いメガネをかけた、自分と同じ魔先生の一人である男性だった。
 異国の人間らしい表情が読みにくい容貌と浅黒い肌の為か、近付きがたい印象のこの教師は、教師の中では少し浮いているところがある。

 彼は中等部の担当教師ではないから、こちらに近付いてくるのは純粋に僕の喫煙を咎める為なんだろう。

「すいません、ガンドルフィーニ先生」

 苦笑しながら、内ポケットの中にいつも煙草と共に入れている携帯灰皿を取り出し、煙草の先に灯った火を消してから携帯灰皿ごと内ポケットに戻す。
 こういうマナーに厳しいのは女子校ならば当然なんだと心がけているのだけど、どうしても徹底できない時があるのは何故なんだろうか。

「いえ………」

 火を消したのを見て、ガンドルフィーニ先生の歩みが勢いを失った。
 わざわざこちらまで歩いて近付くことはないだろうに。

 だが、とっさに不正を見逃せないその真面目な気性は、好感を抱くべきところだと思う。

「ちょっと寒気を感じまして、ついつい………ありがとうございます。ここでは、生徒も見ていますし、いいことじゃなかったですね」

 頭を掻いて苦笑して見せると、ガンドルフィーニ先生は息を吐いて僕に並んだ。

「いえ、私も気が立っていたようです。一体、なにをしてるんだか……」

 眼鏡を手で覆うように押さえて、もう一度息を吐く。
 心労が重なったとき、ガンドルフィーニ先生がよくする仕草だ。

「…………彼の件ですか?」

 彼が担当していた仕事を思い出して、訪ねる。
 すでに僕自身も報告は聞いていたけど、人に話した方がいいことだってある。

 ガンドルフィーニ先生はしばし黙った後、口を開いた。

「本当に、普通の一般生徒でしたね、彼は」

 その言葉に、自分が聞いた、彼についての報告を思い出す。

 彼の生まれた家は、自営業で本屋を営む、普通の家庭だった。
 両親は彼が高校一年生の際に交通事故で他界。
 事故の際の保険金と遺産は、親類に管理を任せるが、本人は親類の家に世話になることを断って、学費と生活費の援助を受けてこの麻帆良学園都市に移り住んだ。
 事故の後にも、彼の性格が激変したような様子はない。
 彼を知る人間は、大抵が“あまり憶えてないけど、いい人でしたね”と言っていた。
 本当に、ありきたりな、普通の青年だったんだろう。

 普通の、というには運が悪すぎるか。

 結局、彼の魔法無効化能力の要因についても、それらしいものはなにも見つからなかった。
 確か報告書では、母方の実家が京都であったことから、遠く妖怪の類の血を引いているのではないか、なんてありきたりな推察で結ばれていたと思う。

 彼の周りには、本当になにも見つからなかった。
 彼の死んだ原因は、この麻帆良学園都市だったとしか言いようがない。

「……彼は、“失踪した”として取り扱うことに決定しました。この学園にいた、彼の友人の何人かの中には、彼を捜そうとしている子もいるようです」

 ガンドルフィーニ先生が硬い声で言う。

 可能なら、家の事情でで引っ越しと説明してあげたい。
 だが、彼には親類がいる。
 彼らが音信不通になった彼に疑問を抱けば、話が大きくなり過ぎる危険がある。

 もちろん、疑問を抱く可能性があるのは、彼を捜そうとしている彼の友人も同じだ。
 だが、麻帆良学園都市に張り巡らされている結界のもつ性質の一つである強力な認識阻害の力が、彼の友人の中にある失踪した彼に対する違和感を、自然に消し去っていくだろう。

 そうして、彼の存在を探す者を僕達が消し去る。
 それも僕達の魔法使いの理由で。

「彼にこの事を話したら、どうすると思いますか?」

 彼にこのことを伝えるのは僕達の義務だ。
 ガンドルフィーニ先生が気にしているのは、彼がそれで自暴自棄になるのではないか、ということだろう。
 そうして、結局、彼自身すら本当に殺すことになるのではないか、と。

「………図書館島に連れて行く途中に、そうなるだろうって事は伝えてますよ」
「なっ……本当ですか!?」

 そういった魔法使いのルールに基づいた事件を、僕は何件か知っているので、どういう結果になるかは予測できた。
 伝えるのを後に回すよりも、先に言っておいた方がまだ救いがある。
 それに、伝えても問題ないという予感があった。

「ええ。彼は、それでいいです、と言っていました」
「……………………」

 あの時に、僕は彼を信じると決めたのだ。
 まるで怒りも悲しみも見せずに、ルーズリーフにそれだけを書いて見せた彼を。

 私の言葉に、ガンドルフィーニ先生が顔を伏せ、眼鏡を手の平で押さえた。

 いつの間にか、渡り廊下は歩ききっていて、職員講堂の前に辿り着いている。
 僕は足を止めて、その場に留まった。

 一歩先に進んだガンドルフィーニ先生は、眼鏡から手を離してこちらに振り向く。

「……やっぱりまた吸いたくなってしまったんですが、大目に見て貰えませんか?」

 内ポケットの煙草を少し見せて頭を掻くと、ガンドルフィーニ先生は息を吐いた。
 少し目元を緩めて笑うと、「どうぞ」とだけ答えて去っていく。

 僕との会話で多少は気が晴れたのだろう。
 職員講堂の中へ消えていくガンドルフィーニ先生の足取りは、最初にここを歩いてきたときよりも落ち着いたものになっていた。

 ガンドルフィーニ先生が煙草を吸うのなら、一本渡す所なんだけどね。
 歩み去っていくその背を見送り苦笑すると、手にした煙草の先に火を灯した。

 そういえば、もうすぐ魔法使いの修行のために、彼がこの学園に赴任してくる。

 ……彼が見る麻帆良学園は、どんなものになるんだろうか。






<主人公>



 魔法使いのルールというものの厳しさは一応知ってはいたのだけど、昨日までの俺は、まだまだそれを漠然として考えていなかったわけで。
 昨晩たっぷりとエヴァンジェリンさんから鬼のような厳しさで教え込まれたり目を突かれたりした結果、俺には大分その魔法使いのルールとやらが身に付いているわけである。

 そんなわけで、たまたま自己紹介をしていなかったのは、俺にとっては非常に僥倖だった。

 うっかり俺が本名なんて教えてしまったら、光の速さで俺の正体が謎の失踪した高等部の好青年であることが知られてしまうだろう。
 ごめんなさい好青年は言いすぎたと思います。
 あと、もしかしたらスルーされそうで微妙に悲しいです。
 この濃いヤツが溢れかえっている麻帆良学園じゃ、俺って影薄かったからなぁ。

 まぁ、それはともかく。

 俺は、女の子達に遭遇したら、まずは自己紹介を試みることを心に決めたのである。

 そして、移動しながら無い知恵を絞って自己紹介のメッセージを考える俺。
 なんとか地下三階に到着した頃には、パーフェクトに俺の存在に説明のつく自己紹介を開発することに成功した。

 あとは、自己紹介する相手を探すだけだ。
 ………なんか本末転倒になりつつある気がするけど。

 これで結局見つからなかったらどうしよう、とかちょっと思ったが、実際に地下三階に到着してみると、女の子達を発見するのは簡単だった。

 女の子達が、時々俺の名前を呼びながら移動していたからである。

「怪物さ〜〜ん〜。いたら出てきてくださ〜〜い〜〜!」
「………か、怪物さん〜〜っ!」

 なんだろう、すごく出て行きづらい。
 ハーイ怪物デース!って感じで出て行かないといけないのか俺。

 それでも、必死に俺は声を上げてくれてるのは分かるわけで。
 女の子達は二人とも、あんまり大声で人を呼ぶようなタイプじゃないみたいだし。

 とはいえ、合流する際には、背後から近づくなどの危険な行為は出来るだけ避けて、とにかく自然な出会いをアピールするべく、俺は知恵を絞った。
 とりあえず、こっちからいきなり近付くんじゃなくて、先回りして、女の子達の歩いている通路の先で床に立っておく。

 これでよし。
 これなら精神的ショックも少ないはずだ。

 そして足音が近付いてきて、俺の姿を懐中電灯が照らした。

「怪物さ……ヒィッ!?」
「キャァァッ………か、怪物………さん?」

 しくしくしくしくしく。
 すいません、やっぱり怖がらせちゃいましたね。

 俺が視界に入った瞬間に小さく悲鳴を上げる女の子二人に、微妙にハートが傷ついたのが、それはまぁ諦めるしかないとして。

 何故か前髪が長い方の女の子が、ほとんど反射的に後ろに下がりながらも後ろ手に、背後の本棚に並んだハードカバーな本に手をかけていたのが、微妙に俺のトラウマを刺激したりした。
 いえ、きっと無意識であって、投げようとしたわけじゃないってのは分かるんですけど。

 あれは痛かったのです。
 精神ダメージ的にはあの攻撃が俺の今までの戦いで最大のダメージだったのかも知れない。

 とにかく、あの悪夢を再現されたら今度こそ俺が精神的に天に召されるので、慌てて触腕に前もって用意していたホワイトボードを見せる。

《探させちゃってごめんね》

 それを見た女の子二人が、へなへなと脱力するのが分かった。

 今思ったんだけど、いくつかのメッセージを書いた看板を大量に持ち歩くとコミュニケーションが樂かも知れない。
 持ち歩くのがもの凄く大変そうだけど。









 俺と女の子二人は、図書館島地下三階にある、倉庫らしき小部屋に移動していた。

 今日は平日なので図書館探検部の人間が降りてくる危険は少ないらしいが、念には念を入れて、人が移動してくる可能性の薄い場所で落ち着いて話そうということになったのだ。

 ちなみに、提案者は長い髪の毛を紐で結んでる方の女の子である。

 速攻で仕切られている俺。

 とりあえず、小部屋の奥の方に移動した俺は、その辺に落ちていた踏み台を触腕でつかんで埃を払い、女の子達が座れるように部屋の入り口付近に置く。

「あ、ありがとうございます……」
「どうもです」

 一瞬ちょっと変な顔をされたが、女の子達はそれぞれ礼を言って座ってくれる。
 変な粘液とはついてないですよ本当に。

 えぇと、まずは。

 さらさらさら、とホワイトボードに当初から予定していた言葉を書く。

《自己紹介をします》

 俺が見せたホワイトボードに、意表を突かれた顔を見せる女の子二人。
 おおぅ、唐突すぎたか。

 そーいえば、確かに触手の怪物に小部屋に連れ込まれた挙げ句、自己紹介を宣言されたら、変な顔をしてもおかしくないよなぁ。
 いやまぁ、そもそもどんなシチュエーションなんだと自分でも突っ込みたいのですが。

 とはいえ、比較的順応力が高いらしい長い髪の女の子はすぐに復活してくれた。

「わっ、分かりました……お聞かせ下さい」

 何故か神妙な顔で頷いてくれた。

「…………あっ、はい。…その、私達も、まだしてないから、お先にどうぞ……」

 前髪の長い子も、驚いたのを失礼だと思ってくれているらしく、謝ってくれる。

 さて、では、自己紹介をしよう。
 ただし、自分の名前を出してはいけない。

 この子達にとって、俺は元が人間であってはならない。
 魔法使いの世界のことを知らせないように、俺はただ一匹の怪物として存在するように、説明してあげないといけない。
 嘘はあまり好きじゃないが、それは、この子に危険が及ばないためなんだから。

 だから俺は、ホワイトボードに嘘の自己紹介を書いた。

 触腕に持ったそれを、見せる。





《私は図書館の精です》

「………………」
「………………」

「………………………」
「………………………」

「………………………………………」
「………………………………………」

「………………………………………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………………………」

 書き書き。

《ごめんなさいうそです》

 駄目でした。

 今初めて理解しました。俺は嘘が超下手です。
 いや、思いついたときは、これだぁぁぁぁぁッ!!ピッキーーーン!!!って頭の上に小さい豆電球が光るぐらいの勢いで大丈夫だと思ったんですよ!? ここ図書館だし、図書館の精霊がいても自然じゃないですかっ!!

「……あの、無理に話さなくても良いですよ?」
「はい、その……大丈夫です……。怪物さんが、いい怪物さんだって、私達は知ってます……」

 なんだろうこのとてつもなく優しい空気。
 女の子二人がすごく可哀想な生き物を見る目で俺を見てます。

 ちっ、違うんだっ!
 いや、あってるけど……だけど、そんな優しい声をかけないでくれぇぇぇ!!

 しかし、俺がこれ以上嘘をついても墓穴をさらに掘り進むことになるのは明白な訳で。

 俺は、ホワイトボードに文字を書いて、二人に見せるしかないのであった。

《すいません》

「……いいんですよ、怪物さん」
「はい。……もっと仲良くなって、色々話したくなったら……その時、話してください」

 二人の笑顔が優しい。
 あと俺の呼び名は怪物さんで決定したっぽいです。

 今さら《俺のことはラルフと呼んでくれ》とか書いたら絶対不審物を見る目で見られるし。
 いや、別にそんな名前で呼ばれたくはないけど。

 そんなことを考えていると、髪の長い方の女の子が、少し真剣な顔で話し始めた。

「安心してください。たぶん、あまり詳しく正体を知られたくないだろうと思って、あの時に怪物さんと出会った5人で、怪物さんのことは他言無用にするという誓いを立てていますです」

「私達、怪物さんが安全に暮らせるように、怪物さんのことはヒミツにするって約束したんです」

 髪の長い女の子の言葉に、前髪の長い子も頷いてくれる。

 あ、そこまで心配されてたんだ
 一応、エヴァンジェリンさんから、そうなるだろうって話を教えて貰ってたけど、そんなことまで気が回るなんて、この子は頭がいいと思う。

 割れたホワイトボードに、感謝の気持ちを込めて、二人に見せる。

《ありがとう》

 二人は、少し照れたように笑っていた。

 とりあえず、俺の自己紹介はそれで勘弁して貰えたらしく、次に女の子達の方が自己紹介してくれることになりました。

 まず、長い髪を紐で結んだ子が立ち上がり、俺を見て自己紹介を始める。

「私の名前は、綾瀬夕映です。名前の書き方は、夕日に映える、と書きます」

 あ、そうか。
 俺って筆談だから、書き方知らないと呼びにくいもんなぁ。
 俺はこの利発そうな女の子の自己紹介に感銘を受けた。

 いや、女の子じゃなくて、夕映ちゃんか。

「好きな本と著者は………」

 夕映ちゃんは、俺も知っている幾つかの本を上げていった。
 彼女が上げていく絵本から、文学小説、詩集に、哲学書までと多岐に渡る本とその著者の名前に、俺はすっかり感服した。
 その上げられた本の数や名前が多かった事じゃなくて、一つ一つ本の名を口にするたびに、その本に対する思い入れが表情に垣間見えたからだ。
 ああ、本当にこの子は本が好きなんだな。
 俺よりむしろこの子の方が図書館の精に思えてきた。むしろ、申し子というか。

「少し、長くなりすぎましたですね。……私の自己紹介は、以上です」

 最後に、礼。

 なんとなく、触腕でぺちぺちぺち、と拍手を送ったら、夕映ちゃんは少し赤くなってしまった。
 でも、どうしても拍手したい気分だった
 この子は俺の方を最後までじっと見ていた。
 普通は怖がると思うし、たぶん怖かっただろう。
 それでも最後までよどみなく自己紹介してくれた。すごい度胸だと思う。

 次に、引っ込み思案らしい前髪の長いこの方が椅子から立ち上がった。
 おずおずと、自己紹介を始める。
 さすがに俺の方を真っ直ぐに見れないで少しうつむき気味になってるのは、当たり前の反応だと思うので、気にしないでいいですよ。

「……宮崎のどかです。か、書き方は、平仮名で、のどか、です」

 長閑、じゃないらしい。
 なんというか、微笑ましい自己紹介だなぁ。

「好きな本は……」

 この子の上げた本は、割と俺にも馴染みのある本が混じっていた。
 夕映ちゃんと同じく文学小説や詩集なども読むけど、もう少し俗っぽく、推理小説や恋愛小説、ファンタジー小説なども好きらしい。
 おお、その本は俺も最近読んだよ! とか言いたい。
 いや、俺って図書館に住んでるんだし、図書館に置いてそうだからそう言っても良いのか?

「………………い、以上、です……」

 ぺこ、と頭を下げてから、のどかちゃんの自己紹介は終わった。

 公平に、こちらにも拍手を送ろう。
 ペチペチ、という微妙に間抜けな音が小部屋の中に響く。

 のどかちゃんは、赤くなったまま小さく俯いてしまった。
 いあいあ、そんな照れなくても。

「これで、全員自己紹介は終わり、ということで……これから、よろしくお願いします」

 最後に夕映ちゃんの締めの言葉により自己紹介は終了となった。

 全員、礼。

 ぺこり。

 ぺこり。

 くにゃり。

 ……………いえ、これは別に唐突に前後に傾いたんじゃなくて、頭を下げたつもりなんです。
 そんな微妙な顔でじっと見ないで下さい。

 コホン、と一つ夕映ちゃんが咳をする。
 足元に老いていた大きめのバックから、白い板を取り出して、俺に渡してくれた。

「それで……一応、お約束していた品を持ってきたのですが」

 ホワイトボードである。
 一代目のほぼ完全再現バージョンで、ちゃんと見せるのに便利な手持ち用の棒もついている。
 さらに、付属しているマジックとイレーサーは、紐の他にマグネットもついていて、使ってないときは固定しやすくなるという便利機能が加わっているではないか。

 さっそく俺はそれを受け取って、マジックを使って新品のホワイトボードに書き込んだ。

《ありがとうございます》

「いえ、前のものを破壊してしまったのは私なのですから、これは当然の義務なのです」

 真面目な顔で答えてくれる。
 それじゃ、俺の方もお礼をしないといけない。
 迷惑かけたのは俺も一緒だし、何かお返しするのも俺の義務ということで。

 イレーサーで文字を一度消してから、すらすらと夕映ちゃん達への礼を兼ねた提案を書いた。
 しかし、このマジック書き心地がヤケに良いなぁ。

 二人に見えるように、ホワイトボードに書いた提案を見せる。

《お礼に、これからみなさんがココを探検する時、呼んでくれれば案内します》

 もちろん、みなさん、というのは俺の存在を知っている4人の女の子達である。

「えぇ、いいんですか!」
「……ど、どのくらいの階層までなら案内が可能なのでしょうか!?」

 おぉう!? なんかえらい食いつきがいい!?
 目を輝かせる二人にちょっとビビリつつ、慌てて答えを書いた。

《危なくないところまでなら。あと、今日はおそいからダメですよー》

 後半の部分は、あまりにも二人の目の輝きが怖いので慌てて付け足しました。
 いや、実際今は結構遅い時間のはず。
 女の子二人を預かるなら、ちゃんと陽が落ちるまでには家に帰さないといけないし。

「それじゃ、明日もまた来るので、その時にお願いするです」
「よろしくお願いします…」

 ぺこりと二人揃って頭を下げられて、よろしくされてしまった。
 もっと警戒されると思ってたのに、まさか即日で案内をお願いされてしまうとは。

 本好きの魂恐るべし。

 とはいえ、俺の話の如く、結構時間も遅いので今日はお開きということになった。

 二人が俺を探し回るのに時間がかったのが原因らしいので、明日はもっと早い時間から地下三階で待っていようと思う。

 後は二人が帰るのを見送るだけなのだが。

 俺は、小部屋から出ていこうとする夕映ちゃんを触腕の先でツンツンつついて呼び止めた。

「なんですか?」

 振り返って不思議そうにしている夕映ちゃんに、ホワイトボードに書いた文字を見せる。

《これから渡すものは、家でこっそり見てください》

「……は、はぁ」

 凄い困惑顔をされてしまった。
 気持ちは分かるけど、ここはなんとか納得して欲しい。

 書き書き。

《とあるものを、お返しするだけなのです》

「わ、分かりましたです」

 のどかちゃんが不思議そうな顔でこちらを見ているので、念のためにあまり直接的な答えは書いてはいけない。

 一応頷いてくれる。
 気付いてくれたかな? いや、気付いてくれてなさそうな表情だな…。

 ええと、それなら、一応書いておいた方がいいよな……念のために。

 書き書き。

《それを見ても怒らないでほしいのです》

「……あ、あの、何を渡されるんでしょうか…?」

 いかん!夕映ちゃんがだんだん不安な顔になってきた!?

 クウネルさんから渡された、何故かやけにファンシーな小さい紙袋を触腕の先に掴んで取り出し、夕映ちゃんの前に差し出す。

 夕映ちゃんが両の手の平を出しくれたので、その上にポトンとその紙袋を落とした。

「………可愛い紙袋…だね?」
「……………一体、この中に何が……?」

 いかん、やはり期待されてしまってますよ! クウネルさーーん!!?

 慌てて、さらに注意事項をホワイトボードに書いて見せざるを得なかった。

《決して他の人に見せないでください》

「……なんだか、怖くなってきたのですが…」
「か、怪物さんーーーッ!?」

 いや、そんな危険物じゃないんですがッ!!?

 でも他の人の前で紙袋を開いたら………なんというか、相当に気まずいと思うので、とにかくこっそりと何の期待もなく開けて欲しいんだけなんですよ!?

 ものすごく怖がられてしまったが、一生懸命《危なくないですよー》と書いたホワイトボードを見せて納得して貰い、とりあえず件の紙袋は夕映ちゃんの手に収まったのでした。

 ………いえ、常識的に考えて返却されても普通は捨てちゃうって分かってますけどね!?
 それでも、俺が捨てるのはよくないだろうと思うわけで。

 地下二階付近まで二人を見送りして触手をパタパタと振りながら、あの紙袋がこれ以上の災いを振りまかないことを、俺は切に祈るのでした。

 うん、神様はいると信じよう。
 きっと。









つづく