第10話 「もろもろの事情」





<主人公>



 まぁ、そうそう綺麗に話が終わるわけもないもので。

 空になった液体窒素タンクは女の子達が片付けるつもりみたいだし、俺は地底図書館に帰ろうとしたのだが、何故か呼び止められた。

 他の女の子達からアヤセとか、ユエとか呼ばれてる、俺に友好宣言をしてくれた女の子である。
 長い長い黒い髪をお下げにしている紐は、不思議なことに俺の粘液でも溶けなかったらしく、そのままになっている。

 ……俺の粘液で、すっかり黒い髪の毛はベトベトに濡れてしまっている。
 あああああ、本気で申し訳ない……綺麗な髪なのに。

 それはそうとして。
 女の子は何故か他の子達を意識して、小声気味に俺に話しかけてきた。

「……その、お帰りになる前に、一つだけ確認したいことがあるのですが」

 何故か小さく挙手して顔を赤くしながら訪ねる女の子の姿に、正直、一体何を言われるのかと、予想がつかないでいたのだが。
 女の子が頬を赤くしている理由に思い至って、思わず凍ってしまった。

 うわーい、忘れてたですよー。
 俺、気絶してるこの子のパンツ交換したんだったー。

 いきなり友人関係は剥奪、そして戦闘再開なのか!?
 まだ見ぬ火炎放射器の火力とやらを、俺は思い知らされるのか!!?

 女の子は、さらに声を低くして言う。

「どういう理由であのようなことをされたか、ハッキリと教えてください」

 明確にせよ!ですか!?
 こう、オブラートに包んでごまかしたりしちゃダメでしょうか!!?

「か、覚悟は出来ているです……」

 えぇ!? なにその覚悟!!?
 一撃粉砕とか悪即斬とか見敵必殺とか、そういった覚悟ですか!?

「さぁ!」

 ヒ、ヒィ!!?

 女の子の何故か鬼気迫る様子に震えていると、他の女の子達が不思議そうに俺を見ている。

 タスケテー。

「ムムッ、夕映に何か悪さでもしたアルか?」
「いやいや、あれは談笑して楽しげにプルプル震えているのでござるよ」
「………夕映、大丈夫だよね…?」

 うん、信頼関係は少しづつ築くのが大事ですね。
 あと背の高いゴザルの人、好意的解釈は嬉しいのですけれど俺の感情はパーフェクトに伝わってません。

「な、なんでもないですっ! ちょっと、どうしても確かめたいことがあるので、もうちょっとだけ待って下さいです!!」

 俺の前の女の子が強めに言ったので、他の子達は液体窒素タンクの回収作業に戻ってしまった。

 諦めるしかないかぁ…。

 よし、きっと大丈夫だ。
 俺はこの子の友情を信じよう!

 決意した俺は、マジックで……そういえば、このマジックは前髪の長い子のだった。ちゃんと返そう……ホワイトボードに、答えを書き始めた。

 書き始めたのだが………。

 な、なんて書けば良いんだろうか。
 ハッキリと言われたものの、さすがにハッキリ書くのはあまりにもアレだし。
 もうちょっとこう、俺の表現力を使って傷つかないような説明にしたい。

 あとあんまり精神的にダメージが大きかったら俺が物理的に証拠隠滅されそうだというのもあるのだが!
 というかそれが怖いというのがメインなのですがッ!!

 えぇと、こう……なんというか………あれだ。

 水?……黄色?
 いや、黄色じゃダメだ。
 もっとこう、直接的じゃなくて、かつ格調高く……品のある感じに。

 こ、こうかな……。

 書き書き。

 おそるおそる、ホワイトボードを渡す。
 他の人に見られないようにそっと伏せて渡した。

 女の子も、恐る恐るという感じでそのホワイトボードを両手で受け取って。

 そっと俺が書いた文字を見た。




《黄金水が  》





「き…き…き、キェェェェェーーーーッッ!!」

 ゲェーーーーッ、液体窒素にも耐えた俺のホワイトボードが真っ二つ割れたッッ!?





 とりあえず、その後、床に突っ伏して落ち込んでしまった女の子は、他の子達が訳のわからないままに慰めてくれました。

 ホワイトボードは後日弁償してくれるそうです。






<真名>



 すでに時刻は9時を回ろうとしている。

 だが、地上を目指して螺旋階段を上る面々の顔は、いかにも晴れやかだ。

 まぁ、形はどうあれ問題が解決したのだから、それは当然だろう。
 戦いを期待していた古辺りはもう少しゴネるかと思ったんだが、格闘家は私が思ったよりも平和主義だったらしい。

 怪物を相手に綾瀬が奇声をあげたたりするトラブルもあったが、今は落ち着いているし、特に問題もなかったんだろう。
 ……というかあの怪物、綾瀬に怯えていたような気がするんだが。

 私は、楽しげに今日のことを話している皆の中には加わらず、念のためにトラップへの警戒を請け負ってやりながら、先頭を歩いていた。

 綾瀬と宮崎は、あの怪物に薦める本は何がいいかを話している。
 どうやら、本格的にあの怪物と友人関係を築くつもりでいるらしい。

 古と楓は、あの怪物はどれくらい強いかという話をしているが……あまりにもあの怪物の形が異様過ぎることもあって、想像も付かないようだ。
 実際、私にもどの程度の戦力なのか良く分からない。

 無論、戦闘になれば、相手の力量や動き程度の見当は付く。私は仕事でああいう怪物とやり合ったこともあるのだから。
 だが、剣を交えようともしない相手の力量を見抜くのは、私にも無理だ

 なるほど、あの、どこか甘いところのある“闇の福音”が、綾瀬の怪物退治に激励を送っていた理由が分かる。
 こんな危険のない任務、子供の使いとたいして変わらない。


 ……とはいえ、まだ問題は残っているか。


「………お前達、少しいいか?」

 足を止めて振り向いた私に、皆が話を止た。

 皆が階段の壇上に立つ私の顔を見る。

 ……楓の目が微かに開く。
 警戒しているのは、私の立場にある程度は気付いているからか。

「お前達があの怪物と本気で友達付き合いをする気なら、言っておきたいことがある」

 一度咳をして、言葉を句切り、これから言うべき言葉を考える。
 綾瀬の目が真剣なものに変わったのに気付いたからだ。

 わずかにでも油断して口を滑らせれば、気取られる危険がある。

「……もし、お前達が他の生徒にあの怪物のことを話せば、どこからか話が広がって、いずれあの怪物は名声を望むような人間によって狩り立てられる事になるだろう。お前達は、そういう人間から、ヤツを守れる自信があるか?」

 厳然とした事実。
 世界は優しくないとか、残酷だなどと言うつもりはない。
 ただ、優しくない人間も、残酷な人間も、確実にこの世界には存在している。

 綾瀬が反論を口にしかけるのを見て、手で制して話を続ける。
 まだ言うべき言葉がある、あまり口を挟まれるべきではない。

「麻帆良だけならまだいい。だが、麻帆良の外にも人はいる。あの怪物は、あきらかに動物図鑑には載っていない……その意味は分かるな? 言葉が分かって、知性があるから。だから人間と同じ扱いを受けるべきだと、誰もが思ってくれるわけじゃない」

 人間でさえ、平和な世界で言うところの“人間とての扱い”を、必ずしも受けられるわけではないのだ。
 ………そこまで、口にする必要はない。

「場合によっては、あの怪物のことを知っている私やお前達も、なんらかの危険に面する可能性だってある。もしも本気でお前達があの怪物を友達付き合いをする気なら、そのリスクを背負うことも考えて、その上で冷静に判断しろ」

 話を切る。
 沈黙が落ちた。

 綾瀬は階段に視線を落とす。
 宮崎も、同じように口を閉ざしている。
 古は微妙に分かっていない様子で、楓は静観するつもりのようだ。

 だけど、答えは今聞かないといけないといけないんだよ、綾瀬。
 それがこの選択肢を出す条件なんだから。

 できるだけ硬い声を意識して、口を開く。

「……綾瀬、答えろ。お前が決めることだ」

 名を呼ぶと、その顔が上がった。
 ………私の言葉に心を揺るがされた顔じゃないな。

「私はもちろん、そのつもりです。あの怪物さんの秘密を私達が守ることができるならば、リスクは最小限に押さえられます。流出してしまったニュースについての対策も、すでに計算済みです」

 いや、ニュースの対策とかは、絶対今考えただろう、お前。
 そう言いたかったが、さすがに口にはしない。

 ……真っ直ぐに私を見る目が、やけにくすぐったいな。

「だから、私の答えはこれで終わりになります…………ですが、逆に私から、皆さんにお願いがあるです」

 そう言って、綾瀬がぐるりと一同の顔を見回す。

「お願いの内容は、話の筋から分かって貰えると思いますが……」

 ………まだ不思議そうにしている古の顔を見て、小さく咳をした。

 少し失礼だぞ、綾瀬。
 いや、間違いなく古は分かってないと思うが。

「あの怪物さんのことは、他言無用でお願いします」

 綾瀬が深々と頭を下げる。

「うん、もちろん!」

 宮崎が笑顔で答えた。
 迷いがないのは親友からの言葉だからだろう、本好き同士で共感する部分があったのかも知れないが。

「んー、分かったアル。あの怪物のことは秘密ネ。絶対喋らないと約束するアルよ」

 コクコクと古が頷く。
 正直秘密を守れるか怪しいような返答だが、古はいかにも古い格闘家らしく、仁や義に厚いタイプだ。信用できると言っていい。

「あいあい、分かったでござるよ」

 楓が片手を上げて了承する。
 裏の世界には深く足を踏み入れずとも、危険には聡いところのある楓のことだ、その言葉に間違いはないだろう。

「………私も、もちろん秘密は守る」

 私も、楓にならって片手を上げて宣誓する。

 これで、全員が秘密を共有する約束を交わした。
 息を吐く。
 とりあえずは、これでいい。

「皆さん、ありがとうございます」

 最後にもう一度、綾瀬が深々と頭を下げた。
 綾瀬も、冷静でいる限りは楓とは別の意味で聡い。
 私達にそれなりのリスクを踏ませたことを理解しているのだろう。

 多少、頬を緩めて答えておく。

「別にいい、これも自分で選んだことだからな」
「しかし……」

 まだ気にしているのか、言葉を続けようとする綾瀬の頭を楓が軽く撫でる。

「夕映殿。拙者も夕映殿が下した判断には賛成でござるよ。あの御仁からはさっきの類は微塵も感じなかったでござる。きっと、少し話せばすぐによい友達になれるでござるよ」

 いい加減なことを言うな、楓。
 多少呆れつつも、ここで綾瀬にかける言葉としては間違ってはいないので、それ以上は追求しないことにした。

「それじゃ、話も決まったことだし、寮に帰るぞ」

 背を向けて歩き出すと、他の皆も付いてくる。

 とにかく、皆は選択を果たした。
 それでいい。

 螺旋階段を上っていく。
 その途中、すぐ後ろを歩いていた綾瀬が、一度だけ声をかけてきた。

「………ありがとうございました」

 私はそれに答えなかった。
 綾瀬も、それでいいと思ったのかすぐ後ろから離れて歩き出す。

 …………本当に感謝されるべきは私じゃないんだがな。

 もともと通達は来ていたのであの怪物を殺すつもりはなかったが、ここまであの怪物のことに関わったのは、図書館島の地下へと降りる寸前、仕事用の携帯宛に届いていたメールの送り主からの指示だ。

 じゃなければ、少なくともこの帰り道で、全員の意識を奪って記憶消去の処置を施すように学園側に要請していた。

 私は、仕事に私情を挟んだりはしない。

 ─────とはいえ、そんな後味の悪い仕事より、こんな風に後味のいい仕事の方がいいに決まっている。

『あの怪物に危険が及ばないようにして欲しい』
『もしも彼の正体が彼女たちに知れても、記憶消去の処置は待って欲しい』

 高畑先生から送られてきたそのメールを見たとき。
 さすがに二行目の依頼は必要ないだろうと思っていたのだが………どうも、高畑先生の希望的観測は当たっていたらしい。

 なんとも、“いい話”になってしまったな。

 世界の残酷さや優しさを計る気なんてないが。
 少なくともこの麻帆良には、優しい人間が多いってことだろう。






<エヴァンジェリン>



 外界は夜の闇に包まれたというのに、この地底図書館の中は変わらず世界樹の発光による淡い光に照らされている。

 暗闇に目が慣れていた私は、軽く目眩を感じて手で光を遮った。

「……マスター」

 茶々丸が日傘を手に私に注いでいた光を遮る。
 リボンのついた小さな蝙蝠のイラストが無数に入った小さめの傘。
 ………ハカセの作った傘だろうが、あまりセンスのいい柄じゃないな。

「……………いらん。それはしまっておけ」

 手を振ってそれを止めるように言うと、茶々丸は無言で日傘を折り畳んで懐に戻した。

「この光は、陽の光とは違い、私にとって不快なものではないからな……」

 世界樹の魔力による発光だ。
 陽の光とは比べるべくもない……むしろ、心地良いとさえ感じる。

 地底図書館を静かに見回す。
 静かに流れ続ける滝の音と、生い茂る緑、そして無数の本棚か。
 多少、奇矯な組み合わせではあるが、風流でもあるな。

 しばしその景色を眺めながら、世界樹の光を楽しむ。

 ……楽しんで、いたのだが。
 視界の端に映ったモノのせいで、風景を楽しむのを諦めざるを得なかった。

「………なんだあれは」

 砂浜の真ん中に、目玉焼きを思わせる奇妙な物体があった。
 黄身のあるべき部分には上を向いた巨大な丸い膨らみがあり、白身のあるべき部分には、太い触手と細い触手が入り乱れて放射状に広がっている。

 ……蛸の墜落死体。
 得体の知れない言葉が頭に浮かんだが、私は首を振って奇怪な思考を捨てた。

 ここにいると、どうも頭の回転が悪くなっていく気がする。
 まさか、世界樹の魔力のせいじゃないだろうな……。

 しばらく、その物体……バケモノを見つめていると、茶々丸が横から静かに解説の言葉を入れた。

「眠られているようです。極めてリラックスされた状態だと思われます」

 腹立つなオイ。
 人が深夜に訪ねてやったというのに、日光浴の挙げ句に熟睡か。
 しかも砂浜で。

「…………ところで、あの真ん中のポッコリ膨らんでいるのはなんだ?」
「眼球です。目蓋を閉じている状態のようですが」

 なんとなく訪ねてみると、茶々丸はよどみなく答える。
 慌てて見直すと、確かに膨らみの端の方には、あの巨大な眼球がしっかり閉じられていることを示す、黒い目蓋の縁が見えていた。

「…………不気味なモノを見てしまった気がする」
「マスター。確かに睫毛がないのは不自然ですが、あまり寝顔を覗いて悪く言うのは失礼かと思います」

 茶々丸が何故か真顔で注意してきた。
 何故かよく分からないが、コイツは妙にあのバケモノの肩を持つな。
 あと、お前の論点は凄まじくズレてるぞ。

「……あんなバケモノに失礼もなにもないだろう。とにかく、起こすぞ」

 茶々丸の相手をするのも疲れる気がして、私はその場から歩き出した。

 出来ることならあんな気色の悪い生き物には近寄りたくもないのだが。
 まぁ、せめて“糸”の有効範囲ぐらいまでなら近付いてやろう。

 ……別に、いきなり襲いかかってくるのを警戒しているわけではないが。
 前例があるからな。警戒に越したことはあるまい。

「……おい、起きろバケモノ」

 “糸”を引いて、太めの触手の一本を引いてやる。

 触手が軽くと震えると、バケモノの無数の触手が全てウネウネと揺れだした。
 …………大丈夫だろうな、コレ。

 一歩下がる。
 その動きを見越したように、バケモノは触手をぐにゃりと持ち上げた。

「………っ!?」

 慌てて地面を蹴って数歩下がる。
 茶々丸の背に隠れながら、様子を見ると。

 ゆっくりと、持ち上げていた触手を私とは逆方向に倒して、膨らんだ部分を斜めにしながらゴロリと横になるバケモノの姿があった。

「寝返りです」
「…………………………」

 茶々丸の解説はムカつくほど的確だ。

「…………おーーーーきーーーーろーーーーーーッッ!!!!」

 腹立ちまぎれに魔法薬を一つ割って氷の矢を撃ちだしたら、冷属性の攻撃にトラウマでもあるのか、飛び上がって起きてきた。

 ………しかしこいつ、驚いたら飛び上がれるのか。









 起きてきたバケモノは、私に気付くとしばらくウネウネと蠢いた後に、前と同じくテーブルの方で椅子に座るように薦めてきた。
 …………学習能力があるのは良いことだが、いちいち案内するだけで触手を何メートルも伸ばすな気色悪い。

《いらっしゃい》

 例によって私の向かいの椅子に奇怪な踊りと共に這い登ると、バケモノは最初にホワイトボードにそう書いてから、私と茶々丸に見せた。

 ……どうでもいいが、なんでそのホワイトボードは半分に割れてるんだ?

「お前には、色々と言ってやりたいことはあるが、………まぁ、いい。とにかく、私は学園側の決定を伝えに来た」

 こめかみを押さえて、あまり正面を見ないようにして言う。

 傍らに控えている茶々丸に例によって紅茶を頼んだ。
 キッチンの方へと歩いていく茶々丸を見ながら、話を続ける。

「魔法の秘匿義務を破った罪で、貴様を処分する」

 淡々と言った。
 視線を正面に戻すと、バケモノは茶々丸をじーっと見ながら、テーブルの上でリズミカルに触手をゆらゆらと揺らしている。

 ……………こいつ本気で人の話聞いてないなオイ。

「魔法秘匿義務を破った罪で! 貴様を処分すると言ってるんだバケモノ!!」

 今度はよく聞こえるように大声で言ってやると、さすがに気付いたのか慌ててバケモノがこちらに単眼を向けた。

 バケモノは、慌ててホワイトボードにマジックで何か書き出す。
 フン、命乞いか? それとも……

 そしてバケモノは半分に割れたホワイトボードを上げて見せる。

《どうなるんですか?》

「………………………魔法秘匿罪を破った者は、普通は人間からオコジョに変化させられて収容所に送られる。人間の姿を奪うことで、その尊厳を奪うという意味もある重い罰だ」

 この罰の性質の悪い所は、其処だ。
 罰の重さが伝わりにくく魔法使いの世界でもこの罰の執行について反対されることはないが、実際にこの罰を受けた者は精神に重いトラウマを背負うことになる。
 誇りある者にとっては、この罰は死罪すら越える重い苦しみになるのだ。

 ……だというのに、何故かバケモノの方は勢い込んでホワイトボードに文字を書いて、こちらに見せた。

《それでお願いします!》

 ………気持ちは分かるが。
 目を期待でキラキラ輝かせるな、気持ち悪い。

「………お前のようなバケモノは、オコジョに変化なぞできんぞ」

 言ってやると、よほど無念だったらしく、バケモノはこちらに見せていたホワイトボードをパタンとテーブルに倒してみるみる崩れ落ちた。

 そのまま糸こんにゃくの如く椅子の下に流れ落ちていく。
 ………どうでもいいが、そこまで残念なのか。

「………ふぅ」

 いい加減に真面目に相手するのも諦めて、私は息を吐いた。
 こいつの頭の中身は、どうも平和的すぎて調子が狂う。

「気色が悪いから椅子に戻れ。話にはまだ続きがある」

 軽く蹴ってやると、バケモノは慌てて椅子の上に戻っていった。
 だんだんこのバケモノが椅子を這い登る姿に慣れつつある自分に気付いて、少し目眩を感じたが。

 這い登ったバケモノは、もう一度こちらを単眼で見つめてくる。
 …………じっと見られると、余計に気色悪いな。

 私はそちらをあまり見ないように視線を外して、話を続ける。

「…………処分の件は冗談だ。本当はそれをネタにしばらくお前を追い回してやりたかったんだが、中止にしてやろう」

 本当のところ、このバケモノが私に本気で殺されそうになったら一体どんな反応をするか、見てみたかったんだが。

「追い回しても逃げ回るだけのお前など、魔法の的にもならんからな」

 少し話してみて分かった。こいつは、本気で私が何をしてこようと抗うつもりが無い。
 つまらん結果に終わるのなら、やらない方がいい。

 トン、と指先でテーブルを叩く。

 タカミチから聞いてきた、学園側の決定を口にする。

「ガキ共とお前が接触した件は、あのガキ共にお前が魔法関係者であることを隠匿し、かつあのガキ共がお前の存在を隠匿しようという意志があるならば、という条件付なら問題ないという結論になった」

 私の言葉に、バケモノがゆらゆらと触手を揺らした。
 茶々丸がいないとコイツが何を思っているか分からんが、大方、喜んでいるんだろう。

 …………相当に甘い判断だと思うがな。

 学園側が記憶消去の措置をとらなかったのは、コイツが“怪物”にならない為には、一般生徒と接触を持たせることは、よい結果を生むだろうと考えているらしいが。

 いくらあのガキ共が底抜けの馬鹿だとしても、怪物が実在するという認識を与えてしまった以上、魔法使いの存在に気付かれる危険は格段に上がる。

 そんな危険を犯してまで、このバケモノの処遇に気を遣う必要など無いだろうに。


 罪の意識でそれをしているなら、虫酸の走る偽善だ。


 口の端が苦く歪むのを感じる。

 こいつが死んだ原因はあの侵入者だ。
 だが、私と茶々丸は………コイツが死んだあの場所に、間に合う可能性があった。
 私がコイツを気にかけるのは、学園の連中の偽善とどう違う?

 歪めた唇が痛む。
 いつの間にか、私は唇の端を噛んでいた。
 微かに、犬歯が伸びている。

 バケモノにそれを気取られないように、唇の端を拭きとった。
 そうして、ふと前を見ると、いつの間にかバケモノが、文字の書かれたホワイトボードを触手で持ち、じっとこちらに見せている。

 書かれた文字は。

《ありがとうこざいます》

 まぁ、このバケモノはそんなことまで深くは考えないんだろう。
 …………腹の立つ生き物だ。

「決定を下したのは、学園の魔法使い連中だ。……せいぜい、自分が死んだ原因を作った無能共の集まりを利用してやればいい。感謝するなぞ、愚かしいことだぞ?」

 もう一度口を歪め、そう答えてやる。

 コイツは、自分の現状に不満を抱いていなさ過ぎる。
 無為に殺されてバケモノに変えられた自分の姿に、何故こうも怒りを抱かない?

 私の言葉を受けても、怪物は触手を揺らだけで何を考えているかはまるで分からない。
 ただ、ホワイトボードをパタンと倒して、怪物はまたなにか書き加えはじめた。

 そしてもう一度立ち上げたホワイトボードに書かれた文字は。
 私の考えていなかった、一文が足されている。

《すぐ教えに来てくれてありがとうございました》

 …………ははははははは、なんだ、私の勘違いか。

 私に感謝の言葉を贈っていたということか。
 相変わらず、微妙にズレている。

「………野暮用のついでだ」

 視線を逸らして答える。
 まともにその目を見ていると、なにかを見透かされそうな気がする。

 チラリと正面を見ると、バケモノは文字の書かれたホワイトボードを揺らしながら、まだこっちを見ていた。
 前後に揺らしているのは、頭を下げる代わりのつもりか。

 そのリズミカルな動きは妙に嬉しげに見える。

 ムカついたのでテーブルを蹴ったら、あっさりとバケモノは椅子から転がり落ちて、驚いたように触手をぐねぐねと揺らした。

 …………フン、少しは気が晴れた。

 必死に起きあがろうとしている化け物から視線を外すと、キッチンから茶々丸が紅茶を盆の上に二つ乗せて戻ってくるのが見える。

 もうしばらくは、付き合ってやるか。

 こいつには、魔法使いのルールという者をもう少し教えてやる必要がある。
 どうせ、ここでは誰もそれを教える者などいないだろうからな。

「いいか、そもそも魔法使いのルールはだな………」

 今日は、目的は果たせず終いに終わりそうだが。

 …………まぁ、一夜ぐらい、こういう夜があってもいいだろう。









つづく