第8話 「哲学少女計画編」





<のどか>



 私と夕映、それに、お手伝いで参加してくれた三人、古菲、長瀬さん、龍宮さんの、全員で5人は図書館島に移動中でした。

 それぞれ、夕映の作戦に必要不可欠な大荷物を手にしてます。

 まず、葉加瀬さんから頂いた、四本の小型のプロパンタンク。

 普通のプロパンタンクじゃなくて、遠くからリモコンスイッチを操作すると、周りに中に入った液体窒素を噴出する装置だそうです。
 使い終わったら、この容器だけでもちゃんと返してとお願いされてますから、もし本当に使っても、忘れないようにしないといけません。

 持ち運びは、長瀬さん、龍宮さん、古菲が一本づつ。
 あんまり力のない私と夕映の二人は、ときどき交代しながら一本を運んでいます。

 申し訳ないですけど、私と夕映は、背中に別の荷物を背負ってるので、それが精一杯です。
 これも、同じく葉加瀬さんから貸していただいた荷物。

 私は詳しくは分かりませんけど、『軍用火炎放射器』を持ち運びしやすいように小型化した物だそうです。
 大きめのボンベと、少し小さいボンベの二つが並んでいて、そのその間から伸びたホースが伸びて、今は持ち運びやすいようにぐるぐると巻かれたいます。
 ホースの先には、霧吹きの怖い版、みたいなのがついていて、ここから燃える液体が出てくるそうです。

 お借りする時に、絶対に人に向けちゃ駄目だって凄く念を押されました。
 安全装置もたくさんつけられていて、可能な限り危険はないようにしているそうですけど、最後にトリガーを引くのはやっぱり人間だから、だそうです。
 ものすごく、怖い。

 それに、図書館の中に持っていくのは、とても危ないです。
 すごく反対したけど、夕映は本があるスペースでは絶対に使わないと約束してくれたから、大丈夫だと思います。
 作戦でも、最後の最後にしか使わないし、もしかしたら最後まで使わないかもしれません。
 ………本当に、そうなった方がいいと思います。

 これを抱えて図書館島に入るのは、ちょっと恥ずかしかったです。
 やっぱりもの凄く怖い道具ですし、みんな驚いてこっちを見てます。

 でも、夕映や、他の三人は、みんな気にしてません。

 だから私は、夕映やみんなが、本当にあの怪物をやっつけに行こうとしてるって事を実感しました。
 そうしたら、あの怖い記憶を思い出してきて。

 一瞬、足が震えて、足が止まりそうになりました。

「………のどか、どうしました?」

 夕映がすぐに私が足を止めたことに気付いて、振り返ってくれます。
 ずっと、気にしてくれたのかな。

 だから、弱みを見せちゃ駄目です。
 最後まで、夕映についていくって決めたんだから………。

「うぅん、大丈夫。ちょっと重くて、疲れちゃっただけだから……」

 手にしていたプロパンタンクをちょっとだけ持ち上げて笑ってみせると、夕映は真面目な顔のまま、私の手の中からプロパンタンクを取り上げて、

「のどか、きつくなったらすぐに言うですよ。遠慮なんて、水くさいです」

 ちょっとだけ、怒ったように言ってくれた。

 少しだけ私が怖くなったこと、分かっちゃったのかな。

「うん。ごめんね」

 でも、それを聞いちゃいけないのは分かってるから、私は小さく謝る。

 そうして顔を上げると、長瀬さんがいつものような穏やかな笑顔で私を見ていて、なんだか赤面してしまった。

 つい、うつむいてしまったところに、長瀬さんの手がポンポンと私の手を撫でてくれる。

「ここからは、この五人は一つの敵に当たるためのパーティーでござるよ。なにがあっても一心同体、協力の精神が大事でござる」

「そうアルよ。お互い助け合って、怪物をやっつけるアル!」

「……そうだな。改めてだが、よろしく頼む」

 長瀬さん、古菲、龍宮さんがそう言って、力強く頷いてくれた。

「それでは、作戦を開始するです。まずは計画通り、この荷物をなくさないように地下3階まで慎重に降りるですよ」

 みんながそれぞれ頷きました。


 私と夕映は、再び此処に戻ってきた。
 そしてこれから、みんなで怪物をやっつけに行く。









 夕映が語ってくれた計画は、とても単純なものでした。

「シンプルイズベストなのですよ、のどか」

 夕映が言うには、複雑な作戦ほど、色んな要素が混ざってくるから失敗する確率が上がってしまう、らしいです。
 協力を申し出てくれたハルナやのどか達に遠慮していたのも、参加する人数が多すぎると、かえって動きの統率が取れなくて失敗してしまうから。

 ……本当は、友達を危険な目に遭わせたくないんだよね、夕映。

 私だって、何度も手伝うのはやめるように言われましたし、今も、私のことを気づかってくれているのが良く分かります。

 それでも、一緒に手伝ってあげるくらいはしてあげないといけないと思う。
 本当は、友達が危険なことをするのを止めないといけないと思うけど、あの怪物に……襲われた夜。
 怪物をやっつけるって、もの凄く怒っていた夕映のことを見てしまったから。

「それでは、もう一度計画を説明します」

 ここは地下三階。

 夕映が呼び集めた皆さんはもの凄くて、何度かトラップに引っかかてしまったけど、そのたびに長瀬さんが手裏剣?で、古菲がキックで、龍宮さんが、モデルガン?で、罠を壊してくれました。

 無事に、大荷物を持ったまま、目的地に到達できたんです。

 周囲は真っ暗で、誰もいません。

 もしかしたら、今朝のニュース……朝倉さんが配布していたニュースペーパーの、私達が見た怪物のことを書いた話……を見た人が、怪物を捕まえに来てるかも知れないと思ってましたけど、そんな人は一人もいません。

 懐中電灯で照らした本棚の並ぶ通路は怖いくらい静かで、どうしても前のことを思い出さずにはいられませんでした。

「のどか殿、大丈夫でごさるよ。周囲には怪しい影はござらん」
「ん〜……私には良く分からないアル。真っ暗でなんにもないアル」
「修行の成果でござるよ。ニンニン」

 長瀬さんの言葉に、古菲が周囲を見渡しながら不思議がります。
 私も古菲と同じで何も分かりません。
 ……けど、長瀬さんの言葉は、不思議と信じることができて、私はなんだか安心できました。

 その間に、夕映が地面に地図を広げます。

 今朝に夕映と二人で図書館探検部の先輩達にお願いして貸して貰った、最新版の図書館島地下探索地図。
 図書館島地下を探索しているたくさんの人たちの細かな書き込みが加えられている大きな地図は、広げると1メートル四方もあります。
 私が横から懐中電灯でそれを照らしました。

 長瀬さんと龍宮さんは、周りに懐中電灯を向けて、身体を半分外に向けて周りを見てくれています。
 本当に、どんなものが暗闇から出てきても見逃さないって雰囲気です。
 凄いなぁ……。

「まず、先ほど液体窒素タンクを仕掛けた部屋。この部屋に怪物を誘導するのが、この作戦の目的です」

 そう言ってから、夕映が手の中の小さなリモコン装置を見せてくれます。
 黒い、丸い小さなボタンだけが付いたリモコン。

「このボタンを押すと、あの小部屋にしかけたタンクが一斉に液体窒素を放出し、あの部屋の中のモノは残らず氷漬けになります。その直後に、龍宮さんと楓さんの二人が飛び道具で攻撃して、バラバラにするです」

 何度聞いても、なんだか怖い作戦だと思う。

「さっきから思ってたけど、そーいう映画、この前深夜に見たアル。怪物が大暴れする話だったアルよ」
「そういったものを参考にさせて貰いました」

 夕映が頷きました。
 私は、あまり深夜まで起きないので見てないけど、そんな映画の話を参考にしちゃっても大丈夫なのかな…?。

「……でもその話だと、怪物はまたプルプル集まって復活してたアルよ?」

 私の心配を補強するように、古菲が顎に指を一つ置いて困り顔を浮かべた。

「それを考慮しての火炎放射器です。古今東西、モンスターの弱点は炎か冷却かのどちらかと決まっています。計画通り、もし復活する気配があるなら、これを使ってトドメを刺すです」

 夕映が背中の小型軍用火炎放射器を見せて答えます。
 私の背中にもある。
 うぅ、なんだか急に重く感じるのは気のせいかな……。

「──────それで、問題はどうやってその部屋まで“怪物”を連れてくるか、だったな?」

 龍宮さんの言葉に、夕映は力強く頷くと、さっきの説明を補足する形で話を続けます。

 まるで中身のなくなった荷物倉庫みたいな、本棚のない小部屋。
 部屋の中には、少し古いマットだけがポツンと置かれているそうです。
 その部屋は、怪物と遭遇したときに夕映が落ちてきた部屋でした。

 だから、その部屋に通じる道は二つあります。
 三階の書架に続く扉と、螺旋階段の途中にある罠の穴。

「計画は2パターン用意してるです」

 夕映が指を二つあげて、こちらに見せた。

「1つは、こちらを追跡してきた怪物から私達が逃げることになった場合のパターン。もう1つは、くーふぇさんと楓さんのコンビネーションで怪物を撃退できた場合のパターンになります」

 教室で夕映が作戦を説明したときに、すでにみんなの役割分担は済ませてあります。

「拙者と古、それに夕映殿の3人が攻撃班、件、囮のA班でござるな」
「腕が鳴るアルよ。絶対に怪物を追っかける方の作戦にするアルね!」

「はい。…………でも、無理は禁物です。誰か一人でも捕まったら作戦失敗になりますから、特にくーふぇさんは近付くときに注意してください」

「うむ、任せるアルよ!」
「あいあい、フォローは任せるでござるよ」

 一番怖い役だと思うのに、古菲と長瀬さんはむしろ喜んでA班の役を請け負ってくれています。

「……宮崎と私は、基本はバックアップ。A班が怪物から逃走する場合はトラップゾーンに落ちた敵へのトドメ。B班が怪物を追撃する場合は、敵のトラップゾーンまでの誘導……それで間違いないな?」

 龍宮さんが、いつの間にか出していた長い銃……ライフル、ですよね?……を手にして聞くと、夕映は頷きます。

「一番難しい役ですが、よろしくお願いしますです」
「うむ、任された」

 龍宮さんが力強く頷きます。

 たぶん、私の役目は少ないです。
 龍宮さんの足を引っ張らないように、気を付けないと…。

「龍宮さん、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げると、龍宮さんは地下図書館に入ってからずっと続いている、引き締めた厳しい顔のまま頷いてくれる。

「宮崎は、火炎放射器の使用には気を付けろ。私が言うまで、背中から銃部を外す必要もない。とにか、私から離れないように注意してくれればいい」

 凛々しい、という言葉が似合う大人びた表情に、少しだけ羨ましいと思ってしまう。
 そんな表情が出来るなら、夕映に心配をかけずに頼りにしてもらえるのに。

「………小型でも、火炎放射器は重いだろう? それを持ち運ぶ人間がいるだけでも作戦の成功率はずいぶん違う。トドメの時には、頼りにしてるぞ」

 少し口元を緩めた龍宮さんに、軽く肩を叩かれてしまった。
 あぅぅぅ、また、表情を読まれちゃったかな?

 ふと見ると、夕映が少しだけ微笑んでいた。
 恥ずかしいです…。

 夕映は、作戦の説明は終わりということで、床に敷いていた地図をくるくると巻いて片付けはじめました。
 慌てて私も手伝います。
 みんなに、作戦のためにコピーした少し小さめの地図をみんなに配り始める。万が一にはぐれても戻れるように、合流地点が細かく書かれている優れものです。

 全員にそれが行き渡ったのを確認して、夕映が皆を見回しました。

「これで、作戦の基本部分は説明終了です。それでは、それぞれの移動ルートと作戦時間内の時間合わせを………」

「………ちょっと待ってくれ」

 夕映が、作戦説明を締めようとしたところで、龍宮さんが手を上げた。

「最後にもう一つ……………綾瀬は、怪物が必ず現れると言っていたが、確証はあるのか?」

 龍宮さんの質問は、私には本当に想像外のものでした。
 あの時の記憶のせいか、怪物が襲ってくるというイメージが強すぎて、逆に、襲ってこないなんてまるで想像してませんでした。

 でも、それも想像していたのか、夕映はしっかりと頷きました。

「もちろんです。あの怪物の行動パターンを推測した結果、統計的に最も有効と思われる囮の品も、ここに用意しているのですよ」

 不敵に笑って、夕映が腰に下げていたウエストバックから紙袋を出しました。

「………それは?」

 龍宮さんの質問に、夕映は無言で紙袋を開き、その中身を見せてくれます。

 ・・・・・・・・・

 見せてくれたんですけど。

「……紐パンアル」
「紐パンでござるな」
「………………なんで紐パンなんだ?」
「ゆ、ゆえ!?」

 夕映の紙袋の中から出てきたのは、色とりどりの下着でした。
 というか、これって……。

「こ、これが! あの怪物を誘き寄せるのに最も有効な品物なのです!!」

 全員の疑わしそうな眼差しに、真っ赤になった夕映が言う。

 あぅぅぅぅぅ、いけない! 夕映のことを信じないと!!

「……う、うん。……あの怪物、これで、くるよね。…うん」

「のーどーかーっ!! 微妙に目線を逸らしながら言っても、ぜんぜん説得力がないですよ!?」

 だって、だって……紐パンだよ?
 紐パ……あ!!!

「も、もしかして……」

 恐ろしい想像をしてしまった。
 あの時に見た怪物の、あの最初にしていた行動。
 あれって、もしかして夕映の履いていた……………が目的で!?

「……そ、そうです。だから、これが怪物の目的に、間違いありませんです…」
「そ……そうだね。……うん………」

 怖い……あの怪物のことが、本当に怖くなってきました。
 あうぅぅぅぅぅぅぅ。

「……なんだか良く分からないけど、本気のようでござるな」
「まぁ、実際に遭遇したお前達が言うなら、そうなんだろう……」

 長瀬さんと龍宮さんが、すごく微妙な顔で頷いてくれる。
 気持ちは分かりますけど……。

「ところで、この紐パン、どこから集めたアルか? いっぱいあるアル」

 最初からあまり気にして無さそうな古菲は、夕映の紙袋にあるものを見て不思議そうにしていた。

「こっ、これは………この計画のために、私が今朝に街に立ち寄って買い集めてきたモノです。朝方から開いている店が少なかったので苦労したですよ」

「ふーん、そうアルかー」

 …………これ、夕映のだよね…?

 登校前に洋服棚の下でなにかしてたから、なんだろうと思ってたけど……こんなことしてたんだ……。
 思わず夕映を見たら、視線で喋らないでって訴えられてしまった。

 なんだか、本当に大丈夫か心配になってきました……。






<主人公>



「ギャオオオオゥゥッ!!」

 イタタタタタタタタタタ、噛まないで噛まないで。

 ガッシュガッシュと蒸気機関の如きもの凄い音を立てて、巨大なお肉とず太い骨と、ついでにちょっと千切れた俺の触手の先っぽがドラゴンさんの口内で咀嚼されていく。

 途中で口の端から炎が溢れているのは、セルフ調理なのか。
 お肉の焼ける匂いが口の中から漂ってくる。

 ふー、とりあえずちゃんと食べてくれてるみたいで一安心。

 本日、ちょっと落ちこんでいたせいで忘れてしまっていたドラゴンさんの餌やりを、数時間遅刻して実行したのだけど、ドラゴンさんの怒ること怒ること。

 いつもの餌やりの場所である、地下の空洞に突き出た石台に行ってみたら、口の端と鼻から紅蓮の炎を噴き出しながら不機嫌そうに座り込んでいるドラゴンさんがお出迎えしてくれた。

 のだが。

 目がスーパー怖かった。

 慌ててお肉出さなかったら、パックリ食べられてたかも知れない。
 いや、お肉出してあげたのに足の先っぽをパックリ食べられたけど。

 餌をあげに来るのが遅れたのは謝るから、俺の足までお肉と一緒に容赦なく食べようとするのはナシにして欲しい。

「グルルルルルルルルルルルルル…」

 あ、お代わりお代わりっと。

 そーいえばこれ、あんまり味付けとかないけど、少し塩を振ってあげたりしたら喜ぶんじゃないかなぁ。
 焼くのは口の中でやってるみたいだから別に要らないみたいだけど。

 バツン

 ……………うん、また先っぽ噛まれちゃいました。

 もしかして、俺の足は調味料的なモノだとドラゴンさんに勘違いされてるんじゃないだろうか。
 または、カレーに対する福神漬け的な。

 まぁ、すぐに生えてくるし、そんなに痛くないから良いんだけど。

 いや、良くないのか?

 もしかして、俺があんまり痛がってないから、食べても大丈夫なモノとか思われてるのかも。
 でも、今さらゴロゴロのたうち回って痛がってるフリしてもなぁ。
 足でチョンって蹴られそうだし。

「グルル………ギャゥゥゥゥ」

 あ、もう一本ですか。らじゃー。

 はい、あーん。

 …………………おお、そうだ。
 よし。

 バツ…──シュバッ──…ン

 いぇーい、今回は顎に噛まれる前に、俺の触手だけ引き抜くことに成功!

 ガッシュガッシュガッシュ

 なんだか、お肉を噛みながらもドラゴンさんが微妙にこっちを睨んでいるような気がする。
 というか絶対睨んでる。

 いやいやいや、俺は調味料とか福神漬け的存在じゃないって。
 触手の尖端をフルフルと左右に振って違うことを主張してみたら、なんだか軽く後ろ足で蹴られた。

 のわあぁぁぁぁぁぁッッ!?

 後ろ足のサイズだけで、クレーン車級である。
 当然吹っ飛びましたとも。

 とはいえ、壁まで吹っ飛ばずに数メートル転がっただけなのは、ドラゴンさん的にはもの凄く手加減しているんだろう。
 全力だったら絶対に壁の染みです。

「ギャオオゥゥゥゥ……」

 慌てて触手をくねらして立ち上がっていたら、ドラゴンさんは、短く鳴いてから、背中越しにシッポを大きく振っているところだった。

 一度大きく羽根を開いてから、ばさりばさりと羽ばたいて、いつものように大空洞の中を地下へと戻っていく。

 またねー。
 次はちゃんと時間通りに餌を出すからー。

 エヴァンジェリンさん曰く、この学園に広がる世界樹の根が作り出している迷宮、の中に消えていくドラゴンさんを、俺は触手をパタパタと振って見送っていた。

 ふー。

 最後のは、愛情表現だったのだろうか。
 もしもあれがライバル宣言だったら、次回からは餌をあげるときに触手を引き抜くタイミングは気を付けないとなぁ。
 まだまだ油断できない。

 さてと。
 お肉は片付けて、今日は大人しく地底図書館で語学の勉強でもしてよう。

 クウネルさんが、ラテン語の教本を持ってきてくれたら助かるんだけど。
 なかったら、英語の教本があったし、あれを勉強しよう。

 地上階は怖い人たちがいそうだしなぁ。

 そーいえば、クウネルさんは昨日から一度も出てこない。
 こちらから連絡が取れれば良いんだけど、やっぱりなにか不思議な理由でそうそう歩いて回れないんだろう。

 それなら、図書館島の中限定でも好きに歩いて回れる俺の方がずいぶん自由なんだし、贅沢は言ってられないか。

 ………俺を探しに来た人たちが、地下の罠にかかってなきゃ良いんだけど。






<夕映>



 作戦終了時刻、19時。

 今回の作戦のために用意してきたストップウォッチが、作戦の時間切れを示すベルを鳴らします。
 それが鳴ると同時に、私は思わずその場に膝を突いて倒れ、失望のあまりそのまま床に突っ伏してしまいました。

 ────────────結局、怪物は影も形も出てこなかったのです。

 なんでしょうこの仕打ち。

 私の計画の何処かに欠陥があったのでしょうか?

 まさか、あの怪物は戦闘能力を察知するような特殊能力があって、今回のように龍宮さんや楓さんのような腕の立つ人間がいると姿を隠してしまうのでしょうか。確かに特殊能力以前に、動物には本能的に自分より強いものを警戒する能力があると言われていますが、基本的にはその説は明確に証明されたものではなく、自分より大きい動物を恐れているだけという説もあるほどです。今回のように、怪物より明らかに小さい人間に対しては適用されないはず。

 もしや、液体窒素のトラップが警戒の原因でしょうか。鉄の匂いのようなものを嗅ぎ付けているとしたら、この小型軍用火炎放射器をA班もB班も所持しているのですから、怪物が近付いてこないのも頷けます。しかし、長瀬さんの気配探知能力を信用するなら、怪物は近付いても来ていない。つまり、鉄の匂いを嗅ぐ余地はなかったはずなのですが…。

 もしかして、まさか……私の用意した囮の品物が不味かったのでしょうか?

 まさか、まさか、あまり考えたくはありませんが………洗濯した後の品だったから怪物の興味を引くことが出来なかったとか。詳しくは知りませんが、文献ではそういうモノが価値を持つ商売が存在していたと読んだことがあります。怪物もそれに当てはめられるとしたら………。

「まぁまぁ、夕映殿。誰にも被害がなかったと思えば問題ないでござるよ」
「ちょっと暇だったアルけど、トラップ破るのは結構楽しかったアルよ?」

 私の失敗をフォローしてくれる二人の言葉で、私は我に返りました。

 いけませんでした。
 計画に参加してくれたのに無駄足を踏ませてしまった皆さんにこそ、まず最初に謝罪しないといけないのに、つい自分の世界に入ってしまいました。

「……お二人とも、申し訳ありませんでした。予定通り、撤収するです」

「了解アル」
「あいあい」

 二人は、にっこり笑って答えてくれました。
 いつも居残り勉強で一緒になることの多い二人ですが、今まであまりそれ以外での接触は少なかったので、今回のことでとても頼りになるということがよく分かりましたです。

 簡単にそう思えてしまうのは、今の私が精神的に落ちこんでいるからかも知れないですが。
 一緒に辛い状況にあるときにも優しくしてくれる人が本当の友人だという言葉もあります。
 少しそれが、実感できたです。

 うぅぅぅぅぅぅ、またなんだか思考がずれてきました。

 無線機を取り出して、のどか達B班にも連絡します。

『のどか、作戦終了です。合流して今日は帰りましょう』

 私の言葉に応えたのどかの声には、少し心配げでしたか、なにも無かったことの安心の方が強く感じられました。

 本当に安心した様子で私の言葉に答えたのどかの、大事な友達の声を聞いて。

 私は、怪物が現れなくて良かったと、少しだけ思ってしまいました。





 ………地下三階に散らばらせた自分の下着を拾い集めないといけない事実を思い出した時は、さすがに死にたくなってきましたけど。

 とはいえ、液体窒素タンクはそのまま設置しておきますし、小型火炎放射器のレンタルもあと一週間借りられる約束はしてます。

 まだまだ、チャンスはあります……!






<主人公>



「少し仕事をお願いして良いですか?」

 唐突にクウネルさんが地底図書館に現れたのは、俺が砂浜に転がったまま、英語で書かれた絵本をゆっくりと読んでいたときだった。

 意外と面白い。
 原書の方が詩の綺麗さが際だつこともあるというのが良く分かった。
 微妙なニュアンスとしては、やっぱり日本語の方が分かりやすいんだけど。

 いかんいかん、そうじゃなくて。

 斜めに倒れていた体を触手を使って起こし、ホワイトボードにマジックで返事を書く。いあいあ、返事だけじゃ素っ気ないし。

《お久しぶりです。なんでもしますよ》

 溶鉱炉に落ちてみてくださいとか言われたら困るけど。
 さすがにないか、溶鉱炉は。

 でも、地下深くまで行ったら溶岩くらいはありそうな気がする。
 図書館島の地下はなかなか油断できないところだしなぁ。

「なにか色々と大変だったみたいですね。少し外の様子を見ていなかったのですが、大事なところを見逃してしまって残念でした」

 クウネルさんが、穏やかに笑いながら答える。

 やっぱり、なにかしてて外の様子が分からなかったのかー。
 それじゃ、あの時に罠から助けたのは間違ってなかったのかも知れない。
 クウネルさんが管理しているから絶対の安全が確保されてる訳だし、クウネルさんがいない時は、やっぱり罠は危ないだろうから。

「さて、お願いしたいことなんですが」

 コホン、と一つ咳を付いてクウネルさんが話し出す。
 ……こういうちょっと勿体ぶった動作って、芝居がかってしまって変な印象になりがちだけど、クウネルさんみたいな綺麗な顔の人がやると本当に様になるなぁ。

「先ほど簡単に地下を走査したときに、トラップの部屋に少し悪質な罠が仕掛けられているのを発見しました。それを撤去して貰いたいのです」

 あれ?
 トラップって、クウネルさんが仕掛けてるんじゃなかったんですか?

 触手をくねくねと動かして質問を書こうかと迷っていると、察してくれたらしいクウネルさんが話を続けてくれた。

「どうも、トラップを仕掛けたのは学園の生徒らしいです。目標は……たぶん、貴方じゃないでしょうか? モテモテですね」

 わーーーい、全然嬉しくないです。

 たぶんそんな展開になるだろうって思ったけど、なんだか予想以上に怖いことになってるなぁ。
 そもそも悪質なトラップって。

「トラップは、液体窒素を噴射する装置のようです。壊してしまうかとも思ったのですが、どちらかと言えば警告の意味も込めて撤去しておいた方が無難でしょう」

 怖ッ!!
 液体窒素とか、怪物の出てくる映画とかでしか見たことないんですけど。

 ぶるぶると震える俺の触手を見て苦笑すると、クウネルさんは話を続けた。

「設置した人は相当安全に気を付けてはいたようですから、人が引っかかったりすることはないでしょう。安心して良いですよ」

 標的になっている俺は安心できませんけどね!?

 まぁ、それでも。

 人が死ぬような罠が簡単に仕掛けられているわけじゃないと知って、少し安心した。
 麻帆良学園がそんな無茶をするような怖い人がいるような場所じゃないってのは知ってたつもりだけど、やっぱり怪物の体になってからは、魔法とかそういう知らなかった要素もあって少し怖くなったので。

「………とはいえ、図書館はあくまで本を読み、本を探す場所です。怪物退治の場所として利用されるのは極めて不満ですから、ここは無言の抗議を行うとしましょう」

 にこやかな笑顔でそう言うクウネルさんからは、何故か無言の気迫が伝わってくる。
 もしかして、なにげに怒っているのかも知れない。
 でも、確かに怒るよなぁ。

 俺もその気持ちは分かるので、ホワイトボードに了承の旨を書いた。

《了解しました》

 ホワイトボードの字を読んだクウネルさんは、感謝の言葉と共に、罠が仕掛けられているという、地下三階のとある部屋のことを教えてくれた。
 最近仕掛けられた罠って事で、クウネルさんに教えられてたので、その場所はなんとか憶えてる。

「設置した当人はもう帰ろうとしているようですから、もうしばらく待ってから撤去作業をお願いします。私は、またしばらく地下へ降りる必要がありますので…」

 あ、それで撤去作業のことを急いで話しに来たのか。
 なんだか大変そうだなぁ。

 魔法とか全然分からないからなんの手伝いも出来ないけど、この地下図書館の平和のために頑張ってもらいたいと思う。

「それでは、お気を付けて。……あ、液体窒素タンクは何か別のトラップに流用しますから、後でくださいね?」

 穏やかな顔のままちょっと物騒なことを言うと、クウネルさんはそのままいつものように空気に溶けるように消えてしまった。

 クウネルさんのことだから、危なくはないけど悪質かつ面白いトラップを作るんだろうなぁ…。
 この前に少しだけ図書館島地下の案内を受けたときに見せて貰った、地下最奥の超強力トラップの数々を思い出して、俺は内心で溜息をついた。

 それはそうと、液体窒素タンクかぁ……大きいモノだったら、持っていくの大変そうだし、とりあえずどんなのか見に行こうかな。

 地上に登るまで時間もかかるし、もう見に行こうかな。

 仕掛けた人とかはもう帰ろうとしてるって話だし。
 そんなにたくさん罠をばらまいたりした訳じゃないなら、すぐ帰っちゃうだろう。

 思いついたが吉。って言うし。

 俺は考えを決めると、触手を地底図書館の端にある絶壁に貼り付け、ひょいひょいと目的地を目指して昇り始めた。

 地下三階と聞いて、ちょっと嫌なことを思い出したけど。

 さすがに、あんな怖い目にあったらしばらく図書館島になんか来れないだろうし、また顔を合わせてしまうことなんて無いだろう。

 そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。
 俺も本好きだし。









つづく