長い年月を経た大樹が幾重にも重なった深い森。その森に面した街道を一人の女性が歩いていた。

 女性は奇妙なことに給仕の服を身に着けている。フリル飾りのあしらわれた純白のエプロンに、スカートの丈が足元まで届くような黒いワンピース。とても旅人の衣装とは思えない。
 旅の荷物も見当たらず、衣装に反して長く伸ばしたままの薄紫の豊かな髪の上に、そこだけ不似合いな大きい広つばの帽子が載っていた。

「そろそろ見つかってもいい頃だと思うのだけれど……」

 頬に手をやって、女性は一つ溜息をついた。

 街道は、馬車が二台並べるかどうかという道幅で、石畳の加工も不完全なため細かな凹凸が目立つ。
 だが、女性はそれを不便に感じる様子もなく、滑るように街道を歩いていた。
 もしその姿を傍で見るものがいたら、その女性が下肢をすっぽりと覆うスカートの下で足を動かしていないことに気付くだろう。女性は石畳からわずか数センチの高さを浮いたまま、宙を滑って移動しているのだった。

 小さな鈴の音のような、遠慮がちな少女の声が女性の耳元でそっと囁く。

「あの、アークさん。あまりめだつようなことは……」
「大丈夫ですよ、アリエルちゃん。見える範囲に人間たちの姿はありませんから」

 女性の名はアークという。本名ではないが、同僚や部下達にはその名前で通していた。

 その彼女が口にしたように、他に街道を歩く者の姿はない。
 魔王軍の領内に面したこの街道は元々利用者が少なく、それに加えて最近では山賊の噂も広がっているため商人や旅人も避けるようになっていた。

「そうなんですか?」

 アークの薄紫色の豊かな髪の中から、小さな妖精がそっと顔を出した。
 この妖精が、先ほどアリエルと呼ばれた声の主である。人の目を気にしてずっと髪の中に隠れていたのだ。

 アリエルは周囲をおそるおそるという感じで見回して人目がないことを確かめると、透けるような白い肌の裸体を隠そうともせずに、嬉しそうに羽根を震わせてふわりと舞い上がる。

 妖精はしばし街道の上をふわりふわりと舞いながら、周囲を興味深そうにきょろきょろと見回していた。
 しばらくすると、女性の顔の高さに浮かびながら話しかける。

「おもったより、ひとはいないんですね。ニンゲンはたくさん群れる種族ときいていたから、国境のむこうはもっとひとでいっぱいだとおもっていました」
「アリエルちゃんは、人間を見てみたかったのですか?」
「はい。とてもきょうみがあります」

 アリエルはフェアリーと呼ばれる種族だった。同じように妖精族と呼ばれているピクシーが30センチほどの身長であるのに比べ、フェアリーは全長で10センチにも満たない位に小さい。
 また、ピクシーが人間種族側に傾いて街に住むようになったのに対して、彼女達フェアリーは森の中で暮らすことを選び、そのほとんどが魔物領内に身を置いていた。
 アリエル自身も、その生まれが魔物領内にある深い森であるため、人間種族の領内に足を踏み入れたことは一度もない。

「そんないいものでもないですよ? 乱暴者も多いですし、もっと性質の悪いような者も少なくはありません」
「でも、今はわたしたちとは同盟をむすんでいて、なかよくしているって教えられました」

 思わず頭を撫でてあげたくなるような良い子の答えだが、現実には正しいとは言えない。
 アークは首を傾けて、少し困った顔をした。

「個人同士では、そんなに仲良くもないんですよ」

 実のところ、アークは人間種族があまり好きではない。むしろ嫌悪していると言ってもいい。
 だからと言って、なにも『あなたのような可愛い子を売り飛ばしてひどいことをするような連中がゴロゴロいますよ』なんてことを言い聞かせる必要はないだろう。
 アークはそう考えて、柔らかく否定しておくだけに留める。アリエルも言動こそ幼いが、もう大人として扱われる立場でもあるのだから、現実を見れば自分で対処するはずだ。

「そうなんですね、気をつけます」

 アリエルはこくんと頷いてから、もう一度ふわりと羽根を振って高く舞い上がっていった。
 それを見送ってから、アークも街道をゆっくりと滑るように移動し続けながらくるりと回って周囲を見回す。

 雲ひとつない青空が、ずっと地平線まで続いている。こんな天気だから目標も警戒して隠れてしまっているのだろうかとアークは少し心配になった。今日の間に仕事を終わらせたいと思っていたからである。

 周囲に斥候でも出そうかしらと思っていると、上の方で鈴の鳴るような声が聞こえた。

「みつけました。二人です!」

 アークは、自らの豊かな胸の上に手を置き、安堵の息を吐いた。

 そうしてから、一度だけ目を閉じ、予定していた作戦を頭の中に描きなおす。
 すぅと大きく息を吸って、アークは目を開く。

「アリエルは目標の一人を始末してください。もう一人は見逃して、本拠へ案内をさせるように」
「はい!」

 アークの口にした『始末』という言葉に、アリエルは戸惑うことなくしっかりと頷いた。

「私は逃亡を許さないように周辺を征圧します。アリエルにも足の速い伝達役を随行させますから、なにかあれば命令を」
「お願いします」

 最初に打ち合わせしていた通りの展開だった。
 二人が揃えば、この作戦を成功させるだけの十分な戦力となる。だからこそ二人きりで目標の隠れている場所を訪れたのだ。

「作戦を開始します。目標は、潜伏しているオークの全滅です」

 アークの言葉が終わると、宙に留まっていたアリエルの姿が掻き消えた。
 優れた動体視力のあるものなら、風の中を滑るようにして真っ直ぐに街道の先へと飛んでいく妖精の姿に気付くことができただろう。
 その先には、街道から離れた一本木の下で道を見張っている、皮鎧を身に纏った豚面の男達がある。

 それを見送ってから、アークは手の先に力を込め、宙に円を描くような動作をした。
 綺麗な真円が空中に描かれると、そこにぽっかりと黒い円盤が生まれた。空間を削り取って異界へ繋がる穴、ゲートを作ったのである。

「おいでなさい、お仕事ですよ」

 円盤の端を鱗に覆われた巨大な手が内側から掴み、強引に割り開いていく。その向こうから現れたのは、全身を強固な鱗に覆われた巨大な体躯を持つ異界の悪魔、グレーターデーモンだった。
 巨大な一対の角と、獅子と爬虫類の特徴を併せ持つ凶悪な貌を持つ悪魔は、陽の光に目を細めると低く唸り声を上げて地面へ降り立った。
 一匹ではない。割り開かれて広がったゲートの向こうから、次々とグレーターデーモンが出現してくる。ゲートが消えるまでに、その数は9匹に上った。

「まだまだ足りません。頑張ってくださいね」

 アークにそう命じられると、グレーターデーモン達は皮膜を持つ巨大な翼を大きく開き、金属の擦れるような奇怪な響きを持つ咆哮を上げた。
 デーモン達が咆哮を向けた空間に亀裂が入る。先ほどと同じように、黒い闇の広がる亀裂の向こうから新たなグレーターデーモンが這い出でると、次々と地面に降り立っていく。

 彼らを前にして、アークはにっこりと微笑んで命じた。

「あと一息です。あと一度、お願いします」

 80匹を超えるグレーターデーモン達の咆哮が、再び街道に木霊する。その声に応えて、新たに生まれた空間の亀裂からグレーターデーモンが呼ばれ、次々と大地に降り立っていく。
 それは、地獄がこの世界に現出したかというような光景だった。






15話 「策略! オーク山賊団の謎!!」







 作り過ぎとか材料の無駄などと怒られた割には、昼を過ぎた頃にはキッチンに並べていた私の手による美味しいパン達は綺麗になくなっていた。

 もちろん食事の摂り方が人間とは異なる私がパンを食べられるはずもなく、その行き先はすべてヒルダの腹の中である。ヒルダはあまり言葉では褒めてくれなかったが、案外気に入ってくれたらしい。
 とはいえ、夕食は自分で作ると言っていたから、さすがに胃にもたれたのかもしれない。あるいはウェストサイズでも気にしたか。
 私はヒルダの体型に問題など微塵も感じていないし、少々多めに食べたときにも見た目に変化を感じたことは無いのだが、彼女としては万全の態勢を保ちたいらしく、それとなく食事の量や運動の量を調整しているようだ。
 そのことを指摘すると蹴られそうなので、私がその涙ぐましい努力に気付いていることを悟られないようにしている。

 私はキッチンの洗い物を終えて、使い終わった調理道具を片付けていた。
 なかなか乾かない木製のボウルやパン生地を伸ばすのに使った板は、すでに表に出して日干しにしている。今日のような良い天気の日は助かる。
 これで昼に済ませる家事は終了。あとは洗濯物を取り込む時間までは自由時間である。

 洗い物で使った作業用触手に付いた水を軽くタオルでふき取ってから、私は弾むように床を這ってヒルダの姿を探した。
 なに、だいたいどこにいるかの見当は付いている。ヒルダが昼食を済ませた後にやることといったら、寝室でベッドに寝転がって本を読んでいるか、書斎で沢山の本を並べてなにやら難しい顔をしているかのどちらかである。私の希望としては寝室にいて欲しいのだが、例のウェストサイズの問題もあるから書斎の方にいる可能性が高いだろう。

 この予想は正しく的中し、私が書斎の扉を叩くと、ヒルダの声が扉越しに返ってきた。

「今日は忙しい。さっさと済ませておきたい仕事があるから、夜まで邪魔をするな」

 返ってきた刺々しい言葉は、残念ながら予想にないものである。

 扉の前で多少考えた後、私は一つ試してみるかと書斎の扉のノブに触手を巻きつかせ、クルリと捻ってみる事にする。
 ノブは私の触手の中でクルリと回り、その途中でガチリと音を立てて動かなくなった。

 書斎の扉には内側から掛ける鍵が付けられていて、しかも忌々しいことに魔法で守られているため精密動作の可能な私の触手でもおいそれと開けることはできない。
 中にある書物に恐るべき価値があるからこのような強固な守護が備わっているということなのだが、字の読めない私には書物など無用の長物である。欲しいのはそれを読んでる主人なのだから大人しく道を譲って欲しいものだと思う。無論、そのようなことを思っても、扉が答えを返してくれるはずもないのだが。

 私は再びしばらく考えた後、再び書斎の扉を叩くことにした。
 三度叩いてみる。

 反応がない。
 もう一度叩いてみる。私は紳士なので苛立ち紛れに乱暴にノックしたりはしない。あくまでソフトに三回だ。

 反応がな――……おぉ、足音が近づいてくる。

「……まったく……なんの用だ」

 扉を開けて出てきたヒルダは、書き物でもしていたらしく細い銀のフレームの眼鏡をかけていた。
 一瞬この場ですかさず飛びかかってしまいたい衝動に駆られるが、なんとか自分の中にある理性を総動員して押さえ込み、一本だけ触手を伸ばしてヒルダの腕にそっと巻きつけた。ああ、この二の腕の柔らかさといったらたまらない。

「んっ……」

 いかん、つい触手で吸い付いてしまった。
 だが、こうして肌を吸うと、陽が昇ってから起きたせいで流した寝汗の匂いと味がかすかに残っていて、なんとも芳しく。
 もっと奥の匂いのきつい方に触手が吸い寄せられるように――……

「っっ! ……こっ、この……変態がッ!!」

 真っ赤になったヒルダは、私の触手を引き千切らんばかりの勢いで引っ張り剥がした。
 怒りに任せて細い足を高らかに上げると、私の頭頂部へと踵を一気に叩き落して廊下に踏みつけにする。

「あ、朝に水浴びをできなかったのは、お前が朝食を急がせたからだろうが! いつもは寝汗は風呂場で流している!!」

 私は大きな目玉を上に向けて、自分を踏み潰しているヒルダを見上げた。

 どうやら寝汗のことを気にしているらしい。私自身はむしろヒルダの汗の匂いなら、もっとじっくり味わいたいぐらいなのだが、どうやらヒルダ自身はそうした匂いや味を私に知覚されるのを嫌っているようなのだ。

「嫌がられていると分かっているなら自粛しろ!」

 いかんいかん、いまだ接触しているのだから考えていることが筒抜けなのであった。
 踏みつける素足と這い蹲らされた頭部という一方的かつ背徳的な支配関係を感じさせる接触であろうとも、皮膚部分さえ接触していれば私とヒルダの心は通じ合ってしまうのだ。もとい、私からヒルダへ一方的に思考が筒抜けなのであった。

「いちいち妙な含みのある表現をするな! いきなり触手で腕を這い上がってきたお前が全面的に悪いだろうが!!」

 心外な。腕に触手を巻きつけた時にちょっと色っぽい声を上げたではないか。あれはもう誘っているとしか……
 ははーん、さては照れ隠しか?

「……お前はもうちょっと自重とかはできないのか?」

 自らを抑圧するという行為にあまり価値を見出していないからな。
 ヒルダもアレだ。我慢は身体に悪いぞ。

「好き放題にも限度があるだろうが。まったく……」

 呆れた顔でヒルダが息を吐く。

 ところで、いつまで私は床で踏み潰されていればいいのだろうか?
 いや、ヒルダの素足で踏まれる感触そのものは嫌いではない。ヒルダの小さな足は踵まで柔らかくて良い具合であるし、こうして下からのアングルで見上げれば、足先から付け根までの素張らしい眺めを見ることができる。

 勝負モノの黒レースもいいが、今履いてるような可愛いシルクも良いな。
 普段からの履き心地ではそちらの方が気に入っているようだし、無理に背伸びをせずともいいと思うぞ。

「…………ジロジロ見るな、あほぅ」

 私のアドバイスをスルーすると、ヒルダは私を横殴りに軽く一発蹴って、踏み潰しの刑から解放した。
 そうしてヒルダそのまま書斎の中に戻っていったが、扉までは閉めて行かなかった。

 感謝しながら彼女の後を付いて書斎へと這い入り、少し考えてから扉を閉じておくことにする。

 ヒルダは書斎の大机に戻り、なにやら難しい顔で羽根ペンをなにかの皮で作った紙に走らせていたいた。
 腕は邪魔だろうから、大き目の椅子からぶらりと下がっている素足の足首に触手を巻きつける。あんまり強く絞めないようにそっとだ。

「相手はしてやるが、邪魔はするなよ」

 ヒルダは触手が巻き付く感触にかすかに身じろぎすると、そう言ってジロリと床上に這う私を睨んだ。

 言うことはそれだけだとばかりに、すぐに視線を紙に下ろして羽根ペンを走らせ始める。
 皮製の紙などいかにも書きにくそうな見た目だが、ヒルダが文字を手早く書けているところを見るとそうでもないのかもしれない。
 普段は植物繊維から作るという薄っぺらいものを使っているから、皮の紙を使うのにも何か意味があるのだろう。

 なにを書いているかちょっと興味はあるが、文字というものがさっぱり読めない私には確認のしようもない。

「手紙だ、手紙」

 ほぉ、手紙か。
 ヒルダが手紙を書くというのも珍しい。私がこの家に来てからは初めてではないだろうか?

 てっきり薬草作りで日々の糧を得るだけの隠者のような生活を送っているのだと思っていたのだが、実際にはそうでもないのだろうか。確かにこの家に篭ったままでほとんど森の外に出たことのない私には、ヒルダの交友関係を知る由もない。
 ヒルダは人間ではなく魔女という種族の生き物で、外見は今の少女の姿のまま生涯変わらないそうだが、実際には結構な年齢だという話だ。手紙のやりとりをする旧友の一人二人ぐらいはいるだろう。

「まぁ、確かに手紙のやりとりをするような相手はたいして多くはないがな。今書いている手紙は、古巣の上司宛だ」

 古巣か。魔女の学校にでも通っていたのか?

「いいや、魔王軍に将軍として在籍していた。手紙の宛先は魔王だ」

 それは驚きだな。

「全然驚いてないだろ」

 いや、初めて聞いた単語だったのでな。どういうものかはなんとなく分かるが、詳しく知るわけでもないので反応に困ってしまう。
 どちらかというと、ヒルダが退役軍人だったという事の方が驚きだ。なんだかまるでイメージに合わない。

「……あのなぁ」

 軍服とかまだとっているなら、ちょっと試しに着てみて欲しいのだが。
 ヒルダがそれを着たらどんな風になるのかとても興味がある。

「まぁ、それぐらいなら別に――…………いや、待て。なんか邪な事を考えているだろう」

 ずっと皮紙の上に走らせていたペンを止めて、ヒルダがジロリと私を睨みつけた。
 なるほど、元軍人というのも納得できる素晴らしい眼力だ。

 ちなみに私は決して軍服を着たヒルダを押し倒して着衣のまま触手をあちこちに潜り込ませて乱れさせてみたいなどという願望を抱いたりはしていない。あくまで私が抱いているのはヒルダの軍服姿に対する知的好奇心だけである。

「…………あとだ、あと。手紙を書いてからな」

 3分間だけ待ってやろう。

「なんで偉そうなんだお前は」

 私を軽く足蹴にすると、ヒルダは視線を戻して再び羽根ペンを皮紙に走らせはじめる。
 心なしか、その動きはさっきより書くのが早くなっている気がした。




◆◆◆






 最初、それに気付いた男は眼の錯覚だと思った。

 街道を少し外れた、死霊使いの森に繋がる雑木林の端。そこで男は仲間と二人で見張り役を務めている。

 カモになりそうな商人を見付けたら、本拠としている古い神殿跡へと馬を走らせて仲間に知らせるのが男の仕事だった。
 そうして仲間を集めたら、数に物を言わせて襲撃で混乱している連中を降伏させて略奪する。
 ちょいと『顔』を見せて睨みつけてやれば、商人や旅人共は震え上がって許しを乞うのだ。まったくボロい商売だと男は思っていた。

「……あぁ? なんだ、ありゃ…………」

 その日は街道に人影がまったく見当たらず、いっそタダの旅人だろうが構わず襲ってやろうかと思っていた男は、自分の視界に映ったものを最初理解できなかった。

 極彩色のなにか、小さな蝶のものが近づいてくる。
 それが翠の髪と肌色、それに羽根の色だと見分けるようになったとき、はじめて男は自分が見ているのが裸の妖精だと気づいた。

 そして、自分の正気を確認するヒマもなく。

「ひぇ?」

 男の首は、音もなく切断された。
 男は死んだ。

 男には妖精の徒手が自らの首を切断したのだと、理解することなどできなかった。



 ただ、死の直前。
 空中に留まった妖精が、まんまるに見開いた目で自分を……自分の頭を見下ろしながら、驚いた顔で声を上げるのが聞こえた。

「え……? あ……そんな!」

 だが、当然男にその声の意味を理解することもできなかったのである。




◆◆◆






「我々も失敗はしたくないのですよ。山賊たちのせいで荷が滞れば、それだけ儲ける機会を失いますからね」

 仕事の依頼書に書かれていた連絡先、街の大通りに面した高級宿を尋ねると、いかにも商人らしく口の回る若い男があたし達を出迎えた。
 メルチと名乗ったその男は、商隊連盟から今回の案件を任されたのだという。
 あたし達が一通り自己紹介を済ませると、「これは心強い! ご高名は伺っていますよ」なんてことを言いながら握手を求めてきたので、そのご高名とやらの内訳を聞くと、他の街であたし達がこなした仕事のいくつかを口にしてきたので驚いた。

「よくもまぁ、そんなことまで調べたもんねー。あたし達が仕事を請けるかどうかも分からないのに」
「色々とこの街にいる冒険者さんについては調べさせていただいてるんですよ。この件で失敗したら、他の商人たちの信用を失うのは目に見えてますから」

 ふーん。仕事を請ける冒険者がいなければ、向こうから声をかけるつもりだったのか。

 あたしはこの仕事についての評価を一段階上げた。
 この依頼主は、言葉通りに山賊退治を成功させることを前提に仕事をさせるつもりだ。無知な金持ちが報酬と仕事を丸投げしているのとは違う。
 商人相手だから大儲けは出来ないだろうけど、仕事を成功させるためなら協力を惜しんだりはしないだろう。

「じゃ、そのオークの山賊団とやらについて分かってること、もうちょっと正確に教えて。あと被害報告とかもあると助かるんだけど」
「それはつまり、この仕事を受けて頂けるということで?」

 確認のため、仲間の顔を見回す。
 予想はしていたが、ギリュウとネコミは二人揃って興味なさそうに部屋の装飾など眺めているだけで、ピクスだけが指先で丸を作って了承の意を伝えてきた。

「そういうわけで、受けさせていただきます」

 こうして、あたし達は晴れて山賊退治の仕事を正式に受けることとなったのである。



 さすがに自分の評判が掛かっていると言うだけあって、メルチの手際ときたらなかなかのものだった。
 商人を偽装するための馬車を用立てして、変装用の商人衣装と空の樽やら木箱やらの小道具まで用意するのに一時間とかからず、あたし達はすぐに街を出発することになった。
 連れて行く人数については多少揉めたものの、あたしの方からの推測を話して、いつも通りの四人だけで行くことになっている。

 遠目に性別が分からないように布地のあまるような緩い衣装を着たネコミが御者として前に乗り、その横には髪を上で縛って帽子で耳を隠したあたしが座ることにした。
 種族的にどうやっても珍しすぎて商人には見えないギリュウとピクスは揃って馬車の中に潜ませてある。

「どうして、四人だけで受けたの?」

 ネコミは鈍くさいように見えて、動物を操るのがなかなか上手い。
 馬車を引く栗毛の馬はネコミが手綱を操るままに街道を駆け、オークの山賊団が出るという辺りまで真っ直ぐに向かっていた。

「ああ、そいつらが、そんなたいした連中じゃないからよ。……んー、そろそろ緩めてきていいから。あんまり急ぎすぎると向こうが諦めるから」

 あたしの言葉に従ってネコミが手綱を緩めると、指示した通りに馬がスピードをゆっくり緩めていく。
 あまりフェルパーはこういうことが得意じゃないと聞いたような気がするけど、ネコミにとってはむしろこういうのは得意分野だ。あたしが思うに、ネコミは猫っ気より犬っ気が強いのではないだろうか? 傷つきそうなので実際には口にしないけどさ。
 馬のスピードがゆったりしたものに変わったところで、ネコミは思い出したように口を開いた。

「オークって……たいした連中じゃないの?」
「山賊団が、ね」

 あたしが訂正すると、ネコミは丸く開いた目をぱちくりと瞬かせてこちらを見た。

「山賊団がオークだって話、たぶんフカシよ。被害報告とか聞いたけど、連中、荷物の強奪はやっても商人をせいぜい脅すだけで全然殺してない。女子供がさらわれたなんて話もゼロ」

 あたしだって実際に見たことは一度もないが、歴史書や当時の記録を紐解けばすぐに分かる。オークって種族はそんな甘い連中じゃない。

 オルクス帝国という独裁国家を作り上げた連中は、人類圏の都市を十数箇所、国を四つ滅ぼした。それもわずか十年ほどの間に、である。
 オークがそれほどの猛威を振るった理由は、その繁殖力のすさまじさにあった。連中は雄しか存在せず、他種族の女を襲って子を産ませることで、恐ろしいペースで繁殖していくのだ
 最終的に、魔王軍と人類圏の国々による同盟軍によってオークは一匹の生き残りも許さず徹底的に根絶された。

 そんな危険な連中が、こんな半端な山賊の真似事をするはずがない。

「大方、軍隊の動きを鈍らせるとか、討伐隊を怯えさせるのがつもりで、オークの被り物を使って襲った商人を脅かしたんじゃない?」
「…………そうなの?」
「そうなの」

 ネコミは眉を微妙に八の字にしていた。変装の一環で被っている帽子のせいで見えないが、たぶん猫耳はぺたんと情けなく垂れているだろう。
 あんまり難しい駆け引きとかはネコミの苦手とするところだ。…………この辺も、猫らしくないところだと思う。

「ま、アンタは山賊が来たら刀抜いて適当に斬ってくれればいいから」
「うん」

 こくこくと繰り返し頷く。

 この娘には得意分野だけやらせとけばいいだろう。
 どうせ仕事の前に色々と考えるのは、あたしかピクスの仕事だし。一旦始まってしまえば色々考える暇なんてないのが普通だ。

 今回の仕事も、あとはせいぜいやってくる山賊を蹴散らすだけ――――…………



 不意に、馬車が激しく揺れて、止まった。
 馬が後ろ足で立ち上がり、激しいいななきを上げる。怯えた声だった。

「ネコミ!?」

 御者台から立ち上がり、周囲を見回しながら相棒に声をかける。周囲にはおかしいところはない。

「……分からない。馬が怖がってる」

 ネコミは御者台で立ち上がり、馬を押えつけようとしていた。なんとか馬は足を下ろしたものの、今度は前に走ろうとしない。

 山賊らしきものの姿はどこにも見当たらない。街道の真ん中、だだ広い草原と森が見えるだけなのだ。
 なのに、馬はこの上なく怯えている様子だった。

「山賊が来たの?」
「……見当たらナイガ」

 荷台から出てきたギリュウとピクスがすぐに聞いてきた。
 すでに広刃の大剣を構えたギリュウは、周囲を油断なく見回しているが、やはり異常を見付けられないようだった。

「ちょっと待って、馬が怯えてるけど、肝心の山賊が来てないの。もしかしたらもっと別の――」

 あたしが二人を止めようとすると、不意に横で立っていたネコミが低く身構えた。

「…………いる」

 街道の先を見てポツリと呟くと、ネコミは一息に御者台を蹴って馬達の前、街道の石畳の上に着地した。
 そのまま流れるような動作で腰に下げていた鞘から刀を抜き放ち、地を這うような低い姿勢で地面スレスレの高さを横薙ぎに切り払う。

 ぎぎっ、と鳴き声がして、唐突に地面から跳ね上がった影があった。

「グレーターデーモン! なんで!?」

 そいつは、全身を鱗に包まれた巨躯の悪魔。
 長く太い腕の先には鋭い爪を持ち、背には悪魔独特の皮膜を持つ翼、牙を剥き出した顔は爬虫類と獅子の醜さのみを掛け合わせたような凶悪な面構えをしている。
 その鱗は剣を容易く弾き、爪は鋼の鎧を紙のように切り裂く。それどころこの魔物は高度な攻撃魔法も操るのである。普通なら、危険度の高い迷宮の奥に潜んでいるような凶悪な存在だ。

 それが何故こんな街道の真ん中にいるのか。

「うそ……まだいる! 地面、良く見て!!」

 ピクスが焦った声を上げる。
 それも無理はなかった。彼女の指差す先では、一体づつ、次々とグレーターデーモンが立ち上がりつつあった。

 体色を変化させるか、透明化するかの方法で、地面に伏せて隠れていたらしい。
 発見されて隠れている必要がなくなったからだろう。姿を現したグレーターデーモンの数は合計で9匹。あたし達でもギリギリ勝てるかどうかという数だ。

「フン、コレぐらいの数ナラ十分仕留められルゾ」
「……どうする、グノー?」

 ギリュウとピクスの言葉に短く頷いて、頭の中ですばやく戦術を練る。

 あたしはワンドを構えて防御呪文を展開する準備をした。
 そうだ、攻撃呪文さえしのげればネコミ達三人の腕なら十分に押し勝てる。後の問題は…………

「……?」

 最初にグレーターデーモンに斬りつけたネコミが、いまだ身構えたままの姿勢で一歩引いた。
 相手から来ると思っていた反撃が、いつになってもやってこないのだ。

 連中はネコミやあたし達を遠巻きに見ているだけで、何も仕掛けてこない。
 何か、様子がおかしい。

 仲間を喚ぼうとしているのかもしれない。デーモンは、周囲にいる仲間とテレパシーで連絡を取ることがあると聞いたことがある。
 これ以上仲間を喚ばれれば倒すのは厄介になる。先手を打って仕掛けるか…………。

 あたしは、ワンドを持つ手に力を込めた。




◆◆◆






 厚手の軍用ジャケットは、生地の下に呪紋が組み込まれて強度を上げていて、少し大きめの袖の内側には呪具が収納できる。
 腰は動きやすいタイトスカートで、左右それぞれのポケットには魔力の補充に使う水晶がそれぞれ1ダース。。
 その下、膝下までを覆う編み上げブーツは薄い鉄板が填め込まれているせいで一回り足が大きく見えるのが難点だが、強度は折り紙つきだ。

 そしてジャケットやスカートを留める金具の一つ一つが防御のための呪紋が組み込まれたアミュレットであり、最高クラスの攻撃魔法ですらその防御を打ち破るのは困難だ。この軍服そのものが、鋼鉄の甲冑を遥かに越えた要塞であると言ってもいい。。

 衣装は全て、魔王軍仕官服の基本色である黒と灰色で統一されている。

 軍服を身に着けた自分を鏡で確認する。
 元々、齢を重ねることのない魔女である身だ。衣装はかつて軍に籍を置いていた頃とまったく同じに、ぴったりと私の身体を包んでいた。
 そうしていると、かつて魔王軍の将軍として軍隊に身を置いていた頃の自分を思い出して、自然と身が引き締まる気がする。

 最後の軍帽を被ってからくるりと振り返り、私は腰に両手を置いて胸を張り、自信満々に言った。

「フフン……どうだ。これで、私が魔王軍の将軍だったことを信用する気になっただろう?」

 衣装棚から離れて私が着替えるのを待っていた怪物は、大きな眼球を一つ、丸く見開いて私の姿をじっと見ている。
 軍服姿の私に恐れをなしたのか、その体表はぶるぶると震えていた。

「なんだ、私の偉大さを理解して、少しは日頃の態度を改める気になったか?」

 髪の毛を掻き上げて笑ってやると、触手がするすると伸びてきた。

 軍服のせいでほとんど肌が露出している部分がないせいか、吸い付く吸盤を粘液で濡らした触手はタイトスカートの裾から突き出している太股を狙ってぺたりと巻きついてきた。
 多少ぞくりと来たが、仕方ないので許しておくことにする。

 そして、触手が触れるや否や、ヤツの感情が私の脳裏に届けられる――――――

『感動した。今すぐ襲いたい。もう我慢できない』

 伝わってきた感情は極めて単純で、そして即、行動に直結していた。

「なぁッ!?」

 怪物は正面からいきなりかぶさってきた。

 普段のノタノタと床を這う姿からは想像もできないような捕食者の動きに、私は反応すらできずに背後にあった机の上に引き倒された。
 触手に乱暴に打ち払われ、机に並べていた筆記具や本がバサバサと音を立てて床に落ちる。

「こ、こら! こういうのは、もうちょっと理性的に……」

 慌てて怒鳴りつけながら、のしかかってくる肉の塊を腕で押しのける。
 手の平は、怪物の触手の中に埋もれて肉の奥に触れた。いつになくビクビクと激しく脈打ち、粘液を溢れさせている触手の感触が伝わってくる。

「ひ……っ」

 私の腕を太い触手が捕らえ、細い触手が群がるように撫でる。
 無数の突起をもつ触手が指先の一つ一つを舐め上げるようにザラリと擦った。まるで味わうようにゆっくりと。

「はっ、はなせ、せめて、軍服を…………」

 慌てて抜こうとした腕が抜けない。

 腕を飲み込んだ肉塊が膨張し、粘液で濡れた、ドクドクと脈打つ凶悪な形の触手が次々と肉の中から生まれてくる。
 まるで涎をたらす獣の群れようだ。触手の一本一本から、原始的な欲求――私を屈服させ、支配したいという欲望が私に向けて放たれている。

 そして、机に引き倒した私をじっと見つめる、いつものような感情がまるで見当たらない血走った眼球。

 ただの小娘ならば、恐怖に飲み込まれて為すがままになるしかなかっただろう。
 だが、恐怖に飲み込まれる寸前、私の中で何かが切れた。

「…………いい加減に、しろッッ!!」

 触手に飲み込まれていなかった方の腕を思いっきり振りかぶり、私は真正面から目玉をぶん殴った。
 眼球にまで突き刺さるかと思ったが、目玉は意外と表面が硬く弾力があり、私の放った拳は怪物をぐらつかせただけだった。
 それでも、真芯を捉えた感触は確かで、怪物は意識を喪失したかのように動きを止める。

「どうだ、これで少しは――――」

 このまま、倒れるか。
 そう思って気を抜いた瞬間。そいつは再び動き出した。

 再び動き出した触手の群れが拳を振るった腕にまで巻きつくと、私を先ほどとは逆にうつぶせに机の上に引き倒す。

「あっ……くっ、この……っ! しつこいぞっ、いい加減に…………」

 もう一度ぶん殴ってやろうと、私は立ち上がろうと足をばたつかせるが、背中から怪物の肉全体がのしかかってきたせいで重量を跳ね除けることができない。
 後ろ足に蹴りを入れようと足をばたつかせていると、太い触手が巻きついてきて自由を奪ってくる。

 私の背中ごしに、興奮に脈打つ無数の触手が悦ぶように蠢くのが分かった。
 タイトスカートが引き上げられ、下着を剥き出しにされる。
 細い触手がまるで愉しむように左右からそれを引き下ろしていくと、私の下肢は触手の前に無防備になった。

「うぅぅぅ……この、助平怪物め…………」

 ポタポタと、触手が背中越しに垂れ落ちてくる。ジャケットの生地越しに、生暖かい肉の感触を感じて、私は悔しさに唇を噛んだ。
 何十もの触手が、悦びに打ち震えながら私の下肢めがけて鎌首をもたげている。これから、連中の宴が始まるのだ。

 そんな風に思い通りになってやるものかという怒りと、諦めに似た感情が私の中で渦巻いていた。

 だが、私に選択の余地を与えるはずもなく、触手の先端が、剥き出しになった私の足の付け根へと這い進んでいく。
 粘液と、熱い肉の感触が、花弁の入り口に触れた。

「……あ、あとで……覚えて、いろ……ッ」

 背筋を走るおぞましい痺れを感じながら、私は背中越しに怪物を睨みつけた。
 その時だ。

『それならば、ここで止めた方がいいか……?』

 唐突に、脳裏に声が届いた。
 ムカつくほど理性的なその声に、私は呆然と口を開いたまま。怪物を見返した。

 花弁を強引に割り開いて私の中を犯す――――そのはずだった触手は、その代わりに私の花弁の上に触れるだけで止まっていた。

『実は先ほど殴られたときに理性を取り戻したのだ。二人の愛の勝利というヤツだな』
「な……な…………」

 ナニが愛の勝利だこの馬鹿者。私が言葉を失っていると、じっと花弁に触れていたままだった触手が、不意にビクビクと上下に動きはじめる。
 粘液が、敏感な部分に擦り付けられる感触に、自分が何をされている最中だったかを思い出して、私は慌てて声を上げた。

「なら、さっさとこのいやらしい触手をどかせろ! いつまでやってるつもりだ!!」

 自分の頬が紅潮しているのが分かる。
 この怪物の前で自分が今どんなポーズをとっているのか、そう意識すると羞恥心が膨れ上がってくるのを感じた。
 机にうつぶせに押し倒されて、尻を晒しているのだ。こんな屈辱的な姿を晒したまままともに話などできるわけがない。

『待って欲しい。このまま続けさせてもらえないだろうか? ほら、せっかく軍服姿に着替えたんだし、そのまま脱いでしまっては勿体無いではないか』

 二本目の触手が、上側から尻の縁に触れた。ゆっくりと割れ目に沿って尻を這い降りながら、粘液を擦り付けていく。
 とっさに、足を硬く閉じようと力を込めるが、こんな尻を突き出したような姿勢ではどうすることもできない。

「アホ……かぁ……! 軍服は、関係……ない……だろうがっ!!」

 私は身じろぎしてなんとか触手の拘束を振りほどこうとするが、すでにその気になったのか、触手は再び力を込めて私の腕に巻きついている。
 三本目、四本目の触手が、両脇から花弁に触れた。細く尖らせた先端部を、花弁の縁をなぞるように擦り付けてきた。

 痺れるような刺激が、下肢から背筋を這い上がり私を責める。
 こらえようと唇を噛んだが、ダメだった。

「くっ、んん――……っ」

 じっと堪えていた熱い息が漏れる。
 これで、自分の身体が反応しているのだと怪物に身体で示してしまった。
 悔しさのせいか、背筋を撫でる怪物の視線が、無駄な抵抗をするニヤニヤと私を嘲笑っているようにも見える。

『そんなこと言っている割には、こっちは少し濡れはじめているぞ。ほらほら、実は軍服姿でこういう目に遭うというシチュに興奮してるのではないか?』

 そんなバカなことがあるか。
 ただ、怪物が衝動の赴くままに襲いかかってきていたときの恐怖が急に消えたせいで、張り詰めていた緊張感が抜けてしまったのだ。
 それで粘液の催淫効果が効きやすくなったせいで――――……

「んっ、ふ……はぁ、ん…………べ、別に……軍服だからって、気持ちいいとか、あるわけ――――……ひぁぁっっ!!」

 一瞬、まるで針で刺されたような刺激が走った。
 ジャケット襟元から、ヌラヌラと濡れた細い触手がしゅるしゅると潜り込むと、先端についた吸盤で私の胸にいきなり吸い付いていた。
 そいつは乳首を粘液を擦りつけながらねちっこく吸い上げてくる。

『大丈夫だ。決して服を溶かしたりしないし、染みも匂いも私が責任をもって洗濯して綺麗にするから安心して欲しい』
「あっ、安心できるかっ! この、大馬鹿………ひぅっ! なっ、あ……ひぁぁっ!?!」

 背中の裾を持ち上げて、ジャケットの中に次々と触手が潜り込んできた。
 ジャケットの前が解けて、下に着たシャツが露になる。白い生地は、触手のなぞるままに醜く膨らんで、上からでも私の肌の上を触手が蠢くさまが分かる。

『やっぱり、もう汗が浮いているじゃないか。いつもそうやって我慢しているから、こんなに汗だくになるんだぞ?』
「う……うる……さい…………」

 こいつは、私の身体の匂いを楽しんでいるのだ。
 脳裏に囁かれる声に、一旦は忘れかけていた羞恥が這い上がってくる。
 だが、触手を止める手段もなく、腰から胸、背筋から腋の下まで、触手は粘液で私を汚しながらゆっくりと肌を味わうようになぞり上げていく。
 私の肌と、下に着たシャツの間は、触手が噴き出した粘液と私自身の汗でドロドロになっていた。

「卑怯だぞ……こんな、中に、入って……ひぅぅッ?! やめっ……このぉ……っ!!」

 もう、どうしようもなかった。

 力づくで暴れようにも、服の中に潜り込んだ触手は私の肌の要所に吸い付き、絶え間なく責め続けている。
 絶え間なく肌を這い回る快感から逃れようと身をよじるたび、触手が無数の突起を蠢かせながら肌を擦り上げ、頭が痺れるような快感が背筋を走った。

 そして、追い討ちをかけるように、後ろから無数の触手が下肢を責め上げてくる。
 さんざん触手に入り口を弄られた花弁はすでに硬さを失い、細く尖った触手は敏感な肉の内側にまで潜り込み、繰り返し苛めるように私の中を責め立てていた。

「あ、あ、ひぁッ!?……んっ、んんんっ……んあぁぁぁ…! ぁぁ…ぁあ……やめっ……はぁっ、ふぁぁ……っ」

 軍服を着たままだというのに、私は裸で犯されているのとまるで同じだった。

 責め続けられる苦しさに息を吐くたび嬌声を上げる自分を、頭では恥ずかしいと思っていても堪えることができない。
 頭が、どうにかなってしまいそうだ。
 恥ずかしさのせいか、悔しさのせいか、涙がこぼれているの気付いても、自分ではどうしようもなかった。

 啜り上げる私を、怪物が見下ろす。

『すまん。虐め過ぎたか』

 そんな声が耳元に聞こえた気がすると、いつの間にか、私をあれだけ責め続けていた触手の動きは緩やかなものになっていた。

「あ…………」
『もう少しゆっくりとやろう。時間をかけても、邪魔は入らないのだからな』

 私の唇を割って、口内に柔らかい一本の触手が潜り込んできた。
 生温く粘液に濡れたそれは、人間の舌のような柔らかい表皮をしている。

「んんんんっ!? ふぅ、んっ、んぅぅッ……む、んん――――………………」

 いっそ噛みついてやれと頭の中では思っているのに、身体の方はまるで言うことを聞かなかった。

 唇の中に割り入りこんだ触手は、私の口内をゆっくりと蹂躙していく。
 舌を絡めとられ、口腔を舐め上げてうえで、じゅるじゅると音を立てて唾液を吸い上げられ、逆に生温い粘液をたっぷりと口内に流し込まれる。
 口元に吸い付いた太い触手の中に舌を吸い上げられ、触手の中に生えた無数の細い触手に舌を絡められ、嬲られていく。

 私はただ小さな体躯をよじって耐えることしかできなかった。
 いや、本当に耐えようとしていたのかもよく分からない。

「んぁ……はぁ、あ………………」

 長い蹂躙が終わり、触手が私の唇から抜かれる。
 私の唇と、引き抜かれた触手の間に、唾液と粘液の混じり合った濁った色の糸が垂れていた。

『落ち着いたかね?』

 いつの間にか、丸く見開いた目玉が私を見下ろしていた。

 その間の抜けた眼球を見上げていると、なんだか、悔しさとか怒りとか、どうでも良くなってしまう。
 粘液でドロドロにされた肌はすでに切実なほどに強く疼き始めていた。触られたい、弄られたいと私に訴えている。
 我慢するだけ無駄なのだ。いっそどうにかなってしまった方が――――

 ただ、恥ずかしさに顔を背けてから、私はぼそぼそと答えた。

「好きにしろ…………」

 その言葉を待っていたかのように、私の肌に張り付いていた無数の触手は再びゆっくりと動き出す。
 分かっていても、再び肌を触手が擦る感触に身体が震えるのが分かる。

 だが、今度は抵抗しなかった。

 触手が私の足を吊り上げて、足の付け根に濡れた触手の先端を当てる。軽く押し当てただけで、花弁の入り口にそれは埋まっていく。
 私は熱い息を吐き、続く刺激に耐えようと唇を噛んだ。

 だが、私の予想の変わりにもう一本、触手の先端が私の下肢に押し当てられた。
 さんざん粘液を擦りつけられて、濡れそぼった私の尻穴に、熱く脈動するそれが先端を埋めようとしている。

 尻の穴である。

「や、やっぱり……ダメっ、ダメだ! そっ、そこはちがうだろぉっ!!」
『人間にはチャレンジ精神が必要だと思わないか、ヒルダ』

 全力をあげて抵抗しようとしたが、脱出は不可能だった。

「ば、ばか! そんなの、必要な……んんんんっ!? ふぅ、んっ、あぅぅッ!……あぁ、うぅぅっ…………」

 私の尻穴の中へ押し入った触手は、粘液を私の肛内に注ぎ込むと細く形を変えながら激しく前後し、表面に生まれた無数の突起で肛内を刺激しはじめた。
 恐れていたような痛みや気持ち悪さはない。
 だが、排便するときにわずかに感じる、肛内を滑り落ちていく異物の感触、それが逆に中へと入っていくおぞましい感触は言葉では説明できない。

 注がれた粘液の催淫作用が、それを明確な快感に変えている。未知の淫らな刺激に、私は心底震えた。

「ふぁぁぁ…! あ…あ……あ…そこは……ひぃっ、ん〜っ、んぁぁっ、やぁああああっ! んんっ、あぁぁぁ……」

 肌に張り付いた無数の触手もまた、乳首や腋、敏感な部分をきつく吸い上げ、自分を擦りつけようとでもするかのように精力的に激しく肌を擦りつけてくる。
 ぐっちゃぐっちゃと音を立てて触手が膣口を前後する。たっぷり注がれた粘液が肉をざらざらと擦り、無数の突起が敏感な部分を内側から責め立てる。
 自分の奥の奥まで犯されているのではないかというほど、触手が蠢く感触が自分の中を犯していくのが分かった。

 内と外から、触手が私を責め立てていく。

「ん…くっ…んん…――――――…っ!?! く……あぁぁぁ…………」

 不意に、私の中で触手の先端が膨れ上がる。
 膣内と肛内に、同時に大量の熱い粘液が注がれると同時に、私は自分の頭の中が真っ白に蕩けるのを感じた。



『どうだ、チャレンジ精神のお陰で新しい地平が開けただろう』
「…………この、ドスケベ」

 調子のいいことを抜かす怪物を睨みつける。

 私はテーブルに仰向けに転がったまま、息を吐いた。
 否定はしない。悔しいが確かに気持ち良かったのは事実だ。

 だが、せっかく衣装棚から引っ張り出してきた軍服はドロドロに汚れてしまった。
 触手に巻き付かれて拘束されていた袖の匂いをスンスンと嗅いでみると、なんともしれない匂いがする。後で死ぬほど洗濯させてやろう。

 そんなことを思いながら、怪物から視線をはずして、さかさまになってテーブルの向こうを見る。

 上下逆になった世界に、窓が見える。
 ヤツが気を利かせたのだろう、襲われたときには確か開いていたはずのカーテンは、いつの間にかしっかりと閉じてあった。
 私はさっぱりそのことに気付いていなかったので少し悔しい。

 カーテンの隙間からは、まだ陽が照っているのが分かった。確か、今は昼時を過ぎた時刻だ、陽は少し西へと傾いているだろう。
 そんなことをぼんやり思いながら視線を下に下げると、カーテンの隙間から、フェルパーの娘が顔を覗かせていた。


「……………………………………………………………………」


 真っ赤な顔で耳を伏せているそのフェルパーは、ついこの間に見た顔だ。
 名前はネコミだったか。

 じっと見ていると、ネコミはやがて真っ赤になった顔を伏せて、ゆっくりと窓枠の下の方へと沈んでいった。


「…………………………………………………………………………………………………………………………」


『どうしたヒルダ。まだ余韻に浸っているのかね?』

 脳裏に響く声に顔を上げると、触手をゆらゆらと揺らしながら、怪物が大きな目玉で私を見下ろしている。
 私はしばらくそいつをじっと見上げた後、腰を上げてテーブル端に座りながらこう言った。


「…………………………よし、二回戦をやるぞ」


 答えを聞くまでもなく、悦びに打ち震える触手の群れは、私めがけて一斉に躍りかかった。。




◆◆◆






 事の最中にネコミが窓をぺしぺしと叩いてきたおかげで、残念ながらヒルダとのお楽しみは三戦目に突入する前に中断となった。

「……で、なにしに来たんだお前は。まさか死霊の森を馬で突っ切ってまで覗き見をしたかったのか?」
「ち、ちがい、ます……」

 シャワーを浴びてすっきりしてきたヒルダが、バスローブ姿のままで腰に手を当て問いただす。
 耳をぺたりと伏せ、顔を真っ赤にしたネコミがぷるぷると首を振った。

 どうやらネコミは馬を駆って大急ぎでやってきたらしい。
 ネコミを乗せてきたという馬は、よほど急ぎで走らされたのか家の前で汗に濡れたまま、私が用意した桶入りの水を黙々と飲んでいる。
 駆けて来たのは普通の森ではなく、死霊の森である。ヒルダのお陰で危険こそないものの、幽霊モドキがわさわさ出て来ただろうに、怯みもせずに完走するとはなかなか忠義者の馬だ。

 ご褒美にニンジンを差し出してみたが目もくれなかった。よほど疲れているのだろう。

「じゃあ、なんの用だ。人の楽しみを邪魔をするほどたいした理由なんだろうなぁ?」

 ヒルダはなぜかサドっ気のある笑みで寝込みをニヤニヤと煽る。
 まるで最初からお楽しみだったかのような口調になってるのは気のせいだろう。いや、確かに途中からえらく積極的だったが。

「う、はい……大事な、用事…………」

 こくこく、とネコミは頷いた。
 緊張しているのか照れているのか、もじもじと顔を上げたりしているは大変可愛らしい反応だ。
 なるほど煽りたくなるヒルダの気持ちも分からないでもない。

 だがまぁ、なんだか涙目になってしまっていることだし、私は触手をするりとネコミの手首に巻きつけて助け舟を出すことにした。
 そう、仲間に入れて欲しかったのなら最初から素直に言ってくれればいいのである。

「ち、ちがう……!」

 ネコミはさらに勢いよくぶるぶると首を振る。なんだ違ったのか、残念だ。

「ふーん、そういうことだったのかエロネコ娘め。覗き見をしているうちに発情したか、んー?」
「ちゃんと言うから! ちょっと、待って……!!」

 んー、などと言いながら胸をつつくヒルダにいつまでもこのパターンを続けていたらキリがないと悟ったのだろう、ネコミはばたばたと手を振って一旦タイムを要請してきた。
 それほど本気でもなかったヒルダは「ふむ」なんて答えると、腕組みして言葉を待つ姿勢になる。

 ネコミは頭を一度ブンブン振ってから、一つ息を吸って、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

「グノーが捕まったの……デーモンに。助けて、欲しい」

 耳をぴたりと伏せたなんとも情けなさそうな表情と、力なく垂れ下がった尻尾。
 ぎゅ、と強く噛んだ悔しげな唇は、ネコミが口にした言葉が事実であることを示している。

 まるでネコミを慰めるように、短く馬がいなないた。

 ヒルダの腕組みが解け、顔に呆れたような驚いたような、なんともしれない表情が浮かぶ。

「またか……」

 また仲間をさらわれるパターンなのかこの子達は。

 自然とヒルダの口から漏れたその言葉は、思わず浮かんだ私の感想とピッタリ一致していた。





つづく