「体育倉庫の夜」





 ぼくはカビ臭い空気の匂いを嗅ぎながら、不快な眠りから目を覚ました。
 最初に手に触れたのは、わずかに湿ったような感触のある、あまり柔らかさのないマットレスの感触。

 ほとんど真っ暗闇だったが、どこかから灯りが入り込んでいるのか、目を凝らすとなんとか周囲を見ることが出来る。
 顔を上げてみると、すぐ目の前に、大きな木箱が壁のように立ち塞がっていた。

 木箱の側面に並ぶ数字と、頂点に乗った布の丸みで、そいつが跳び箱だと理解する。

 別に暗闇は怖くない。

 気を取り直して周囲を見回すと、薄暗いこの室内には、折り畳まれたバレーボールのコートや平均台、ボールの詰まった籠、吊り下げられたサンドバッグのようなもの、体育で使うような道具が、室内に所狭しと並べられている。
 どうやら、今、自分がいるのは学校の体育倉庫らしい。
 天井の上辺りに小さな格子窓があって、そこから微かに明かりが届いている。けれど、それは陽の光ではなく月明かりで、外はもう夜になってしまっているようだった。

 いったい、どうして自分はこんなところにいるんだろう。

「……いたっ」

 不意に、頭がずきりと痛む。
 おそるおそる触ってみると、ぬるりと手が滑った。乾きかけの血が手にこびりついたらしい。

 けれど、今の痛みで思い出した。

 ぼくはクラスメイトの男子に、ぼくが大事にしていた筆箱を取られて、バットで壊されそうになっていた。
 その時に、慌てて筆箱を庇おうとして飛び出したんだ。
 頭が割れるような痛みを鮮明に覚えている。きっと、男子が振り下ろしたバッドが、そのままぼくの頭を叩いたんだろう。

 あの男子たちは、倒れているぼくを見て、怖くなって逃げ出したに違いない。









 立ち上がってみると、手足がずいぶんと冷えることに気付く。

 体育倉庫の床はコンクリートだし、陽の光なんてほとんど入ってこないから、冷えやすいのだろう。
 マットレスの上で倒れてたから良かったものの、これがコンクリートの上だったら、風邪を引いていたかもしれない。

「いたた……」

 それでも、手足に染みこんだ冷気のせいで、関節の節々がひどく痛む。
 なかば足を引きずるようにして、ぼくは倉庫の扉まで歩いた。

 格子窓から差し込む月明かりだけを頼りに、扉の上を手探りする。ぼくはなんとか冷たい鉄のノブを見つけ出して、扉を開けようとそれを回した。

 けれど、硬く嵌った鋼鉄の音がノブから返ってくる。ノブは回らなかった。

「やっぱり、鍵がかかってんだ……」

 重い息を吐く。なんとなく、こんなことじゃないかと、あきらめていた。
 ぼくを置いていった連中が鍵をかけたか、それとも学校を閉めるときに、見回りの人が中も見ずに鍵をかけて行ったか。

 しばらく扉を手探りで探したけど、簡素なノブ以外には何も見つからない。
 鍵がないと、中から開けることもできないみたいだった。

「…………閉じ込められちゃった、か」

 お母さんから持たされている携帯電話は、この前、連中に壊されたままだ。

 両親が家に戻るのはいつも夜遅くだし、もしかしたら朝までぼくが家に帰っていないことに気付かないかもしれない。
 もし探したとしても、学校の体育倉庫に閉じ込められてるなんて、そんなに簡単には分かりっこないだろう。

 どうやら、ぼくはこの場所で夜を明かさないといけないらしい。

「ま、いいや……一晩くらい」

 少し考えてから、ここから出ることをあきらめる。
 ぼくは最初に目を覚ましたマットレスのところに戻って、腰を下ろした。

 ここは学校の体育倉庫だ。明日になれば間違いなく誰かが扉を開くだろう。いつまでも助けの来るあてのない井戸の底に閉じ込められたわけじゃない。
 一晩くらい何を食べなくても死にはしないだろう。

 それに、時間を潰すのは得意だ。

「────そうだ。なんで、ぼくは体育倉庫なんかにいたんだっけ?」

 まずはそれを思い出してみよう。どうせ朝がくるまで、やる事なんてないんだから。









 ぼくは、いわゆるいじめられっ子だ。

 いじめのきっかけは、たいしたことじゃない。
 あまりぼくは体が動かすのは得意じゃなくて、いつも休み時間には本ばかりを読んでいた。だから、クラスメイトの男子達から遊びに誘われても、ことごとく断り続けていたのだけど、それがいけなかった。
 一人でいるのを、クラスの男子グループの中でも特に性質の悪い連中に、たまたま目を付けられただけだ。

 暇さえあれば連中はぼくの机の周りを囲んでちょっかいをかけてくるし、ぼくの行く先々で邪魔をしようとする。
 無視すれば今回のように持ち物を持ち去ったり、あるいはもっと直接的な暴力に訴えてくる。

 今度のことも、そうした彼らの気晴らしの一つだったのだろう。

 いじめのことは、それほど気にしていない。それに時間をとられるのは不快だけど、耐えられる類のものだ。
 ただ、ものを取られたり、壊されたりするのは嫌なので、ときどき抵抗する。それが相手を付け上がらせている原因だとは分かっているけど、だからといって無抵抗を通して、好き放題にさせるつもりはない。

 ものを奪うことに味をしめるようになれば、より直接的に、連中はぼくの財布を狙うようになるだろう。

 周囲からの助けが期待できるなら、そこまで悪化することはありえないけれど、残念なことにぼくの周囲には助けを期待できるような大人がいない。迷惑がられた挙句、おためごかしを言われるだけだ。

 いくつの経験を経て、ぼくはもう、いじめを終わらせることをあきらめていた。



 今日、ぼくが体育倉庫にくることになったきっかけも、いつもの連中が原因だった。

 掃除時間のときに、連中の一人に、机の中に入れていた筆箱を取られたのだ。
 そして放課後になって、こう命令された。

『筆箱を返して欲しかったら、今から体育倉庫に行って、呪いの縄跳びをとってこい』

 つまらない命令だと思ったけど、筆箱をすぐにでも壊そうとしていたので、諦めて言う事を聞くことにした。
 体育倉庫に行くくらいならすぐ済むことだし、何が盗られるわけでもないのだから、さっさと終わらせようとしたのだ。

 体育倉庫の呪いの縄跳びというのは、この小学校に伝わっている怪談の類だ。
 内容は、こんな話だ。

『むかし体育倉庫で自殺した生徒がいた。
 自殺するのに使ったのは、体育倉庫にある縄跳びのヒモ。天井の照明にそれを巻きつけて、首を吊って自殺したそうだ。
 けれど、生徒の死体を片付けた後、ちょっとした手違いが起きた。
 生徒が自殺に使った縄跳びのヒモを、縄跳びのストックが入った箱に落としてしまって、いったいどれが自殺に使った縄跳びだったのか、誰にも分からなくなったのだ。
 それらしい縄跳びは焼却処分にされたけれど、それはどうやら違う縄跳びだったらしい。
 なぜなら、この小学校では、同じように自殺した生徒が何人もいるからだ。
 体育で縄跳びを使うとき、自殺に使われた縄跳びを使ってしまうと、その生徒は、自殺させられてしまうのだという』

 馬鹿げた話だと思う。
 体育倉庫で自殺だなんて、ぼくは聞いたこともないし、自殺に使われた縄跳びをうっかり落すこともありえない。
 なにより、そんなにしょっちゅう生徒が自殺していたら、とっくにこの小学校は廃校になっているだろう。

 だから、ぼくにとっては呪いの縄跳び、なんてものは恐怖の対象じゃなかった。

 どうやって、“それらしい縄跳び”を選べばいいだろう、それしか考えていなかった。









 そこまで思い出したところで。突然、軋むような音が、背中ごしに聞こえてきた。

 普通ならば心臓をつかまれたように驚くのかもしれないけれど、ぼくはただ無感動に後ろを振り返った。
 どうもぼくは、考え事をしていると感覚が鈍くなるところがある。

 だから、ぼくがそれを見つけたとき、緊張感も何もなかった。この倉庫にいくつも置かれている体育用具の一つと同じように、ただそこにあるのに気付いた、という感覚で、ぼくはそれを見た。



 視線の先にいたのは、赤一色のワンピースを着た、長い髪の女の子だった。
 水に濡れたように青白い肌をして、体育座りで体育倉庫の壁を背にして座ったまま、じっと顔をうつむかせている。



 一瞬、なんでこんなところに女の子がいるんだろうと驚いてから、ぼくはすぐにその理由を思い出した。

「ああ、そっか。話の通りなら、ここにはオバケが出るんだっけ……」

 コンクリートの床を見下ろす視線は、どこか硝子玉を思わせる無機質さで、まるで感情というものが伝わってこない。
 けれど、物言わぬ人形とは違う。まるで、人の形をした別の生物を見ているような、不思議な存在感がある。

 それが間違いなく、オバケと言われるものだと、ぼくは理解した。

 怪談がすべて正しいのなら、ぼくはこれから、この女の子にとり殺されるのかもしれない。

 冷めた部分でそんな風に思いながらも、たいして怖いとは思えなかった。どんなに騒いでも、どうせこの体育倉庫からは逃げられないのだし、もし無事に出られたとしても、憂鬱な小学校の生活が続くだけなのだから。

 沈黙はしばらく続いた。

 じっとその目を見ていたぼくは、視線がかすかに動いて、ぼくを見るのが分かった。
 口元がかすかに動き、開いた唇の隙間から空気が漏れる音が聞こえる。

 聞こえてきたのは、少女の声だとは思えないような、醜く潰れた声だった。

「……なにしてるの?」

 かすれた、小さな声だ。けれど、どこからも音の届かない体育倉庫の中だったせいか、はっきりと聞きとれた。
 ぼくは何より話しかけられたことに驚きながら、すぐに答えを返す。

「うん。ちょっと、ここに、閉じ込められて……」
「そう……」

 かすれた声で息を漏らし、小さく頷く。
 チラリと見えた女の子の喉には、赤黒く引きつったような線の跡が見えた。

 たぶん、首吊りの跡だ。

 ぼくは、それでようやく、彼女の口から漏れる苦しげな息の音と、かすれた声の理由に気付くことができた。
 潰れた喉から声を出しているから、そんな声しか出すことができないんだ。

「いたくない?」

 気付いたら、口からそんな言葉が出ていた。

 口にした後に、そんなことを聞いても何にもならないのだと、ようやく気付く。
 もう、とっくに終わったことなのだ。

 ぼくの視線の先で、女の子はうつむいて、膝の間に顔を埋める。髪がさらさらと垂れて、彼女の表情を隠す。
 それからしばらくして、かすれた声で答えが返ってきた。

「いたいよ…………」

 かすかに涙が混じったような、濡れた声だった。ほんの一言なのに、罪悪感が水に溶けた墨のように湧き上がる。
 ぼくは言葉を失って、ただ漠然と彼女を見ていることしかできない。

 また、長い沈黙が続いたあと、彼女が顔を上げた。
 顔を覆い隠すほどに垂れてしまっている、長い髪の隙間から、瞳を瞬かせてぼくの顔を見る。

「…………いたくない?」

 かすれた声が、そう聞いてきた。

 しばらく、その言葉の真意を取りかねて、答えに窮していた。
 けれど、女の子の視線の先が、ぼくの顔より少し上にあることに気付いて、やっと合点がいった。

 彼女の視線の先、自分の頭にもう一度触れると、ズキリと痛みが走った。
 傷跡も、生乾きのままだ。

「うん。触ると痛むけど、大丈夫だよ」

 傷に触れた指を擦り合わせてみると、乾いた血がパラパラと欠片になって落ちていく。
 これぐらいなら、そんなに出血してはいないだろう。

「そう……」

 女の子の視線が、再び地下倉庫の床に落ちる。

「あなたは、どうして、閉じ込められたの……?」









 最近、ぼくが彼らのイジメに対してあまり真剣な対応をしていなかったので、鬱憤が溜まっていたのだろう。
 ぼくの筆箱を盗んだ連中は、ぼくに体育倉庫に一人で入って、“呪いの縄跳び”を持ってこいと命令した。

 自分達は、体育倉庫の外で、ぼくが逃げないかを見張っているのだという。

 つまり、連中はぼくに、肝試しをさせたいのだろう。
 あわよくば、ぼくが恐怖のあまりに泣き出して許しを求める姿を見てやろうという魂胆だ。

 “呪いの縄跳び”の怪談は有名で、体育の授業で縄跳びがあると、その噂を怖がるあまり、わざわざ自分で縄跳びを購入してくる生徒もいる。連中は、口では馬鹿にしながらも、怪談の恐ろしさを信じていたのだろう。

「例の縄跳びを持ってくるまで鍵かけるから」
「ちゃんと約束を守らないと、絶対開けてやらないからな!」
「ビビッてないでさっさと探せよ!!」

 そんなことを口々に言って、連中は体育倉庫の鍵をかけた。

 本当に怖がりな子にこんなことをしたら冗談では済まないだろう。だけど、幸運なことにぼくはたいして怖がりではなかったし、彼らがいつまでもぼくを閉じ込めておくとも思っていなかった。
 連中のの一人は塾通いだし、何より外でじっと待つだけのイジメが楽しいはずもない。

 ぼくは、適当に体育倉庫の中を探して、縄跳びのストック中から特に古そうなものを抜き取ってから、あとは扉に戻って、数分ごとに、呪いの縄跳びを見つけたから開けてくれと連中に頼んだ。

 結局、4度目に扉を叩いたときに、彼らはぼくを閉じ込めるのに飽きて体育倉庫の扉を開けた。
 彼らにぼくが渡したのは、ぼくが油性ペンで“呪”と握りに書いた、古い縄跳びだ。

「ふざけんなよ! 約束破りやがったな!!」

 最初に渡したとき、“呪”の文字に驚いて縄跳びを落したせいだろう(一瞬でも騙されたことに驚いたけど)。
 連中は、ぼくが縄跳びの字を書いたのだと気付くと、すぐに盗んだ筆箱を壊そうとした。

 ぼくはすぐに筆箱をひったくって逃げようとして……体育倉庫に逃げ込んだ。

 もみあってるうちに、筆箱が体育倉庫の床に転がった。 連中の一人がバッドを振り上げて───……









 ぼくがここに閉じ込められた事情を話し終えると、女の子は背中を丸めてくつくつと笑い声を上げた。

 肩を震わせる仕草は、まるで嗚咽を堪えているように見えるけれど、髪の隙間から覗く目は楽しそうに笑っている。
 なんだか馬鹿にされているように思えている気がして、ぼくは憮然とした表情を浮かべた。

「なにが面白いの? ……深刻な話のつもりだったんだけど」

 そう言うと、さすがに悪いと思ったのか、女の子は何度か咳をするような仕草をして、笑い声を止めた。

「だって、“呪”って自分で書いて、呪いの縄跳びだなんて……よく思いつくね」
「あいつらバカだから、騙されると思ったんだよ」

 本当のところ、これは嘘だ。
 どうせ難癖を付けられるのだから、こちらから殴る理由を渡せばいいと思って、わざとチャチな方法で騙したのだ。
 いつまでも体育倉庫で探し物を続けさせられるより、さっさと終わりにしたかっただけに過ぎない。

「だいたい、あいつらは頭が悪いからさ。物を盗んで、返して欲しかったら命令を聞けなんて、バカみたいだよ」
「何を盗られたの……?」
「筆箱だよ。そんなに気に入ってたわけじゃないけど……買ったばっかりで壊したら、お母さんに悪いし」
「そっかぁ……ね、ちゃんと取り返せた……?」

 そう聞かれて、ぼくは言葉を詰まらせた。
 バットで頭を殴られる前、あの筆箱を握り締めていたのは覚えていたけど、今は手の中にない。
 手探りでマットレスの周囲を探したけれど、それらしいものは落ちていない。

「しまったなぁ。その辺に落ちてればいいんだけど……持って行かれちゃったかも」

 落胆していると、不意に、目の前に探していたものが突き出されていた。
 青白い手が、ぼくの筆箱を差し出している。

「……これ?」

 いつの間にか近付いたのか、倉庫の壁際にいた女の子が、四つん這いの姿勢で目の前にいた。

「わぁっ!? あっ……ご、ごめん! ありがと……!!」

 思わず驚きの声を上げてしまって、慌てて謝罪と感謝の言葉を口にする。
 手渡された筆箱は、壊されてもいない。少しホコリで汚れているから、叩かれたときに倉庫の床に落ちていたんだろう。

「……よかったね」

 彼女はかすかに微笑むと、掠れた声でそう言った。
 長い髪が垂れているせいで顔の半分が隠れてしまっているけど、安心したように細められた彼女の目は優しそうに見える。

「あ……」
「……なぁに?」

 思わずぼくが声を上げたものだから、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「え、えぇと……その……声、よく聞こえるように…………えっと、そこ……近くに、座らない?」

 言いながら、自分の座ってるマットレスを叩く。

 自分でも、オバケにいったい何を言ってるんだろうと思う。けれど、こんな風に気兼ねなく人に自分の不満を口に出来たのは久しぶりなのだ。ぼくはもっと彼女に話したいことがあった。

 少しだけ、沈黙があって、彼女は答えた。

「…………うん、いいよ」

 ぺたりと、彼女はぼくの横に座る。
 かすかな冷気を感じたけれど、ぼくはたいして気にしなかった。



 それから、ぼくは何時間も、彼女にたくさんのことを話した。

 ほとんど家に帰ってこないで、成績しかロクに見てくれない両親や、ぼくがいじめられていると知っていて止めようともしない担任教師、イジメは見て見ぬフリをするだけで顔を向けると視線を逸らすクラスメイトたち。

 ぼくは、自分がどれほど虚勢を張っていたかを本当は理解していた。
 陰口や罵声を無視していても本当は辛いし、殴られた痛みはいつになってもなくならない。だけど、それを認めれば、余計に自分がみじめになるから、平気なフリをしていただけだ。

 彼女は、もう大丈夫だよ、と。
 不思議な笑みを浮かべて、何度もぼくに言った。

 その笑みの意味だけは、どうしてもぼくには分からなかった。









 つんざくような悲鳴を耳にして、ぼくは目を覚ました。

 格子窓から届く白い光で、今がもう朝だと気付く。
 慌てて半身を起こすと、目の前にあった体育倉庫の扉が開いていて、その向こうに教師たちの顔があった。
 そのどれもが、顔を歪めて目を見開き、呆然とこちらを見ている。

 寝起きでどこかぼやけた頭のまま周囲を見回す。寝る前に、すぐ横にいたはずの女の子は、いなくなっていた。

 ぼくが寝ていたマットレスには、血の跡がいくつもこびりついていた。
 触れたときにずっと感じた湿った感触は、こびりついた血だったのだったらしい。

 とっさに頭に触れると、突くような痛みがあったものの、頭の傷口はもう生乾きじゃなかった。

「………………君、だ……大丈夫、なのかね……?」

 いまだに呆然としたままの教師たちの中から、教頭先生が一歩前に進み、おそるおそる聞いてくる。
 何を聞いてるんだろうと思いながら「はい」と頷いて、ぼくはよろめきながら立ち上がった。

「こ、こっちにきなさい……! まっすぐ!!」

 怒鳴りつけるような声に呼ばれて、ぼくは数歩、教師たちの方に歩いてから、はじめて気付いた。
 教師達はぼくじゃなくて、ぼくより少し上を見上げている。

 ぼくは振り向いて、彼らの視線の先を見た。



 そこに、ぼくをいじめていた三人がいた。

 縄跳びで、天井から首を吊られて、三つ、ぶらりと並んでいる。

 顔は恐怖と苦悶で歪んだまま、彫刻のように固まっていた。



「ああ……そんなところにいたんだ」

 ぼくはなんだかおかしくなって、くすりと笑った。
 ずっと彼らがすぐ近くにいるのに気付かずに、ぼくは彼らの悪口を言ってしまっていたらしい。

 そりゃあ、あの女の子に笑われるのも、しょうがないか。









END