「携帯電話を拾った」携帯電話を拾った。 地面に落ちた携帯電話から、呼び出し音が鳴っていたのだ。 ジリリリン、ジリリリンと、昔の電話機から鳴っていたような、鈴の響くような音。 通りを外れた空き地の脇に建ったままの、古い建物の側だった。 ヒビの入ったコンクリートに、目張りで白く曇ったガラス。 ところどころに見える目張りの隙間からは、ただただ黒い空洞が見えるだけで、何も見えない。 周囲には人はいない。 建物のことを、少し気味が悪いと思いながらも、携帯電話を落とした相手のことが気の毒に思えて、私は呼び出し音に急かされるままに携帯電話を拾うことにしたのだ。 拾ってみると、型の古い携帯電話だという事がすぐに分かった。 単色の色しか表示しないシンプルな液晶画面に、呼び出し元の番号が写し出されている。 『4』 「……?」 数字に違和感を感じたけど、私は深くは考えなかった。 たぶん、電話の呼び出し元を、そんななまえでアドレス帳に登録してるんだろう。 とにかく呼び出し音を止めようと、私はすぐに受信のボタンを押して、携帯電話を耳に当てた。 『もしもし、もしもし』 遠くから聞こえるような、小さな声が、向こうから聞こえた。 口を離して話しているのだろうか。男の声にも、女の声にも聞こえる。 「あの、自分はこの携帯を拾ったもので、持ち主ではありません。警察にすぐ届けるつもりですから、持ち主の人に連絡できるなら、伝えてあげてくれませんか?」 受話器の向こうの声に気味の悪いものを感じて、彼はさっさと警察に届けてしまおうと思った。 返事を待って、すぐ警察まで行くつもりだった。 『…………そこ……にいます。持ってきて、くれませんか……?』 一瞬、向こうの言っている言葉の意味が分からなかった。 ぼんやりと言葉の意味が分かってきて、慌てて周囲を見回すけれど、近くに建物があるわけでもなく、人の姿も見えない。 もしかしたら、と、思って、目の前の廃屋を見る。 『……そこに……います……。持ってきて、くれ……ませんか……?』 もう一度、受話器の向こうから声が聞こえる。 「み……見てるんですか……?」 廃屋には暗闇しか見えない。そこには人の姿などどこにもなかった。 そろそろと、二三歩、後ずさる。 『それなら……とりに、いきます…………』 低い声が、受話器の向こうから聞こえる。 遠くから聞こえるくぐもった声に、まるで喉が擦れるような、耳障りな音が混じって、やがてプツンと途切れてしまう。 俺は背後も見ずに建物の前から逃げ出した。 あの場所から離れて、息を整えた頃になって、俺は自分が、あの携帯電話を手に握ったまま逃げ出していたことに気付いた。 気付いた瞬間、俺はそれを道路に落としてしまった。 だが、そのまま捨てたままにはできない。 もしかしたら、本当は、この携帯電話は、あの近くにいた、普通の人の落し物なのかもしれない。 あの空き地には自分一人だけしかいなかったのだから。もしかしたら、あの場の雰囲気で俺がパニックになって 実際、あの建物から何かが出てきたわけじゃない。 ただ声が遠くて、電話が急に驚いてしまっただけかも……。 迷った挙句、俺は結局、その携帯電話を近くの交番に届けた。 落とし場所のことはちゃんと伝えたが、電話がどこかからかかってきたことついては、後ろめたさもあって一切口にしなかった。 翌朝、目を覚ましてすぐにテレビを点けた俺は、画面に映ったニュースを見て言葉を失った。 『交番に勤めていた警察官が、同僚に対して発砲後、自殺』 俺の家の近所がテレビに映っている。 なにより、事件のあった場所として警察に封鎖され、テレビ局のカメラが遠くから映していた交番は、昨日携帯電話を届けた交番だ。 そして、自殺した警察官として画面に映ったのは、俺が拾ったあの携帯電話を受け取った人の顔だった。 「……うそだろ」 事件は深夜に起きたらしい。 発砲の音で驚いた近所の人間が、警察に通報したのだそうだ。 なぜそんなことをしたのか、警察官が凶行に走った理由も分からず、急いで彼の身辺を調べているらしい。 「たまたま……だよな……?」 テレビを消して、息を吐く。 これは自分のせいじゃないはずだと、自分に何度も言い聞かせながら、俺はこう思わずにいられなかった。 あの時逃げてよかったと、 自分は正しい選択を選ぶことが出来たと。 不意に、枕元から、ジリリリン、ジリリリンと、携帯の音が鳴った。 END |